
(No333-2の続きです)
そしてこの2月3月は、被ばく労働者統一春闘というふうに位置づけまして、多くの労働者からの要求を練り上げてひとつの統一要求を作りました。
昨日、東京電力とそして除染作業の元請けの一つである前田建設工業に対して、その統一要求書を提出して、回答を要求するという行動を行いました。
社前で抗議行動を行いました。
午後からは関係する厚生労働省、経済産業省、環境省に対して同様の要求書を突き付け交渉を行いました。
ただ、この収束作業や除染作業というのはそういう劣悪な労働環境であるという事だけが問題なのではありません。それらは被ばくを前提とした労働であるという事が最大の問題です。
今、収束作業の労働者は多くの人が累積被ばく20ミリシーベルトで解雇されています。
もちろんそのまま即解雇という事自体も問題なんですが、20ミリシーベルトという数値がどういう数値か?
これは同じ割合で被ばくをしていけば、「毎年0.1%ずつ癌になって死亡する人が増える」そういう割合です。「なんだ、0.1%か」というふうに思われる方もいるかもしれません。
しかし今、収束作業に入っている労働者は、1日3000人います。その0.1%と言えば3人。
その3人は他の仕事をしていれば死ななかった仕事なのに、収束作業に入った事によって「死ぬ」という事が予定されている3人なんです。
被ばく労働というのは、そういうある割合で誰かが死ぬことを前提とした労働なんです。
これを非人間的な労働と言わずしてなんと言いましょうか!(拍手)
その一方で被ばく労働を止めようというのは実は簡単な事です。
でも、今、そういうふうに言ったら、あの福島第一原発の労働者はみんな引き上げてくるしかありません。そのようになったらどうなるか?
おそらく核燃料は再び臨界を起こして、それこそ手を付けられない壊滅的な状況になるだろうというふうに想像が付きます。
私たちはすでにそういう、ある割合の人たちを犠牲にしてしまう様な社会を選びとってきてしまったわけです。私たち一人一人にそのような責任があります。
私は今、ですから、ここで是非皆さんにお願いしたいことは、「収束作業を急げ」とか、
「廃炉作業を加速化しろ」とか「漏れた汚染水をすぐに回収しろ」とか、そういう言い方をしないでいただきたい、というふうにぼくは思っています。
「急いで処理をしろ」ではなくて、労働者の安全を第一として、「慎重に回収しろ、作業しろ」そのように要求していただきたいというふうに僕は思っています。(拍手)
今、収束作業と除染作業の労働者が、その7割が地元福島の労働者です。この原発事故によって、故郷を奪われ、財産を奪われ、家族を失った福島の人たちに、今もなおこういう仕事を押し付けている。これが私たちの、この社会の現実です。
このような、非人間的な行動をなくすには、もちろん「脱原発」それしかありません。
しかし脱原発というのは単にエネルギー政策を転換させる、再稼働を許さない、全ての原発を即時廃炉させる、それだけで終わるものではありません。廃炉させるには廃炉作業があります。その後に廃棄物の管理作業があります。
私たちはもう、気の遠くなるような長い時間、この被ばく労働の問題と向き合っていかなければならないんです。
ですから、「脱原発」というのは、ただ単に政策の選択の問題ではありません。誰かを踏みつけにしていく様な社会、あるいは誰かを犠牲にしていく様な社会、その上で経済や産業が発展していく様な社会を、私たちは拒否する!(拍手)そのためのリスクと努力、それこそが脱原発の運動ではないでしょうか。(拍手)
都市が地方社会を犠牲にするのではなく、格差や差別を許さない、誰もが共に一緒に生きていく社会を具体的にこれから模索する。そういう取り組みを一緒にしながら、この脱原発運動を共に進めていきたいというふうに思っています。
共にがんばりましょう!(拍手)』
集会終了後、デモが出発。
デモコースは日比谷公園~東京電力前~銀座~数寄屋橋~鍛冶橋駐車場前(流れ解散)である。
記録班として、いつものように日比谷公会堂の交差点でデモを待つ。時間よりやや遅れてデモ隊が姿を見せた。4大学共闘は最初の隊列に入っている。今回のデモコースには歩道橋がないので、空撮(上から写真を撮ること)はできない。歩道の反対側を歩きながら、デモ隊の隊列の写真を撮る。
デモは比較的スムーズに進み、短時間で解散地点に到着した。今回は歩道上での流れ解散ということで、インターナショナルを歌うこともなく、東京駅方面に向かい、そのまま解散した。
※ スピーチは<みんな楽しくHappyがいい>さんのブログを参考にさせていただきました。
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