2017年の10・8羽田闘争50周年を前に「10・8山﨑博昭プロジェクト」が始動した。このプロジェクトに関連して、前回のブログでは、1967年10月8日の羽田闘争を当時の新聞記事を中心に振り返ったが、今回は羽田10・8救援会発行の「10・8救援ニュース」の記事を掲載する。
この資料は山本義隆氏よりプロジェクトに提供されたものである。
 
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(神戸新聞より転載)

【10.8救援ニュース No1 1967.11.9】羽田10・8救援会事務局発行
『10・8真相究明の活動について
10・8羽田闘争における最大の犠牲者山﨑君の死因は、警察によるとれき死です。しかし、その詳しい死因はいまだ発表されていません。
無責任にも警察は、れき死の証拠をあげていません。すなわち、遺体に残された傷と警備車の車輪とが一致するかどうかというようなたいせつなことを発表していません。そればかりでなく、警官の目撃談、目撃した警官の氏名、その他の警察側の発表は、時と共に変わっています。(朝日新聞、週刊朝日を日付順に並べてお読みください。)
つくり上げられた事実は必ずボロを出します。小長井弁護士をはじめとして多くの人たちが、現在事実を明らかにする作業を行っています。
わたくしたち羽田10・8救援会は、明らかにされたかぎりの事実をパンフレットにして発行する計画を立てています。そのときは、ぜひそのパンフレットを、10・8救援活動に役立てていただきたく思います。小長井弁護士が、社会新報に発表された一文を転載します。
なお、同文中の「死体検案書」などの資料は、御希望のかたには、コピーをお送りします。
 
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(死体検案書コピー)
 
山﨑博昭君の“死”について   弁護士 小長井良浩
政治的な「れき殺説」 デモ根絶めざす治安当局
(一)
この事件を私が最初に知ったのは、10月8日午後3時15分頃、自宅で裁判記録を読んでいるときであった。私は、国鉄労組、全電通労組、政労協、全糖労協などの顧問をつとめる総評弁護団所属弁護士であり、三里塚空港設置反対運動の弁護団長でもあるが、この日曜、たまった仕事を処理すべく、明治不動産事件の無罪弁論の構想を練って、昼食もぬきにして没頭していた。
そこへ電話で一学生がデモで死んだので、ともかく現場にすぐ来て欲しいという連絡を受けた。私は、多忙などのため、学生事件はこれまで引き受けないできたが、とにかく人の生命が失われたからにはなにかをしなくてはならないと決意し、現場に急行することにした。遺体の収容されている大森の牧田第二病院に着いたのは、午後4時40分、すでに遭難後5時間余りを経て、夕暮れになっていた。病院前に警護する警察官をかきわけて院長に面会を申し入れ、副院長に案内され、遺体が安置されている霊安室で院長らに所見、治療などについて尋ねた。
そのときの院長らの話では、死因は脳内出血、ほかにはさしたる外形的所見はないとのことであった。遺体の搬送を控え緊張した雰囲気の中ではそぐわないことではあったが、そこは弁護士としての勘がピンと来たので、思い切って遺体を見せて欲しいと申出て、棺のふたをあけた。そして問題の頭部について、居合わせた社会党国会議員、弁護士、友人たちにも見ておいていただいた。遺体の右側頬部および頭部に座創がある。右額になにかで突かれたような跡があることが顕著であったが、顔面、頭部が挫滅したわけではなく、生前の山﨑君の姿はそのまま思い浮かべることができた。
このとき、私は学生がデモで死んだという以外になんの予備知識もなかったが、いずれにしても死因の究明がなされなくてはならならず、それには解剖が重要であり、警察・病院側だけが立会うようでは真相の発見が妨げられ、公正に疑念をもたれると考えられた。遺体解剖の搬送に来ていた刑事らに検事への面会を取りつぐよう強く申入れたが、かたくなに拒否された。
こうして慶応病院の地下室に遺体が搬送されたのを見届けて、次の対策のため、タクシーで事務所に行く途中、NHKラジオの午後7時のニュースが、京大生山﨑君を学生の運転した自動車が轢き殺したという警視庁発表を流していたが、私もこのニュースにはショックを受けた。これは学生諸君に対する絶好の攻撃材料に使われよう。学生諸君も拙いことをしたものだと案じた。しかし、この報道には、どうもひっかかるところがある。事務所でいろいろ考えてみると、脳内出血が致命傷という自分が聞いた病院の話、遺体が挫滅していないという現に自分で観た事実が、学生が運転台を奪った巨大な装甲車が轢き殺したという警視庁発表とどうしても結びつかないのであった。あれだけの装甲車の重みをもって轢かれたならば、人間の顔は見るも無残に押しつぶされてしまうのではないか。従来取扱った交通事故事件の例では、思わず目をそむけるような被害であた。
私は、警備の言っていることは違う、と思うようになっていた。このままではなにか警察がいい子になって、学生諸君がいわれなく悪者にされかねない。警視庁発表が圧倒的な洪水のように全国にあふれるなかで誰かがこれに疑問を出さなくてはならない。それをするのは、この場合、私しかないと思った。私は、最初事故発生の電話を受けたとき指示しておいた目撃者捜しを強化することを奨励しその結果、当夜のちに、私の疑問を確かめることができたのである。
 
 
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(神戸新聞より転載)
 
(二)
翌9日の朝刊各紙には、山﨑君の死因についての記事が出た。加害者について学生説(警視庁)、警官説(私)、犯行について轢殺説(警視庁)、殴殺説(私)、致命傷については内臓(腹・胸・首)説(警視庁)、頭部説(私の見た限りで)といったように、警視庁と私とで事件の見立てが真っ向から対立した。
しかし、警察当局の問題対処の方策には初めから、許しがたい非道が重ねられていくことを指摘しなくてはならない。
第一に「警視庁は8日午後9時、同鑑識課と東京都監察医務院の検死結果」として、「死因は内臓損傷」と「発表」し(例えば10月9日付朝日新聞夕刊)頭部傷害についてはまったくほおかむりした。しかし東京都監察医務院の10月8日付「死体検案書」には「死亡の原因」として「腦挫滅、胸腹腔内(推定)損傷の疑い」と明記されているのであって、死因の主位は頭部傷害である腦挫滅となっている。警視庁が最も大切な頭部傷害を隠し、胸腹部の傷害とすりかえたことは、動かすことができない。警視庁の死因の発表が学生による轢殺との印象を与えるために行われた工作であることは、疑いを容れない。
第二に、捜査当局は遺族の報告によれば、司法解剖に20名近い係官を立会わせ、執刀する斎藤慶大教授のそばで、「これは轢殺に間違いない」とささやき、圧力をかけるとともに、遺族の推薦する医師の立会いはついに拒否した。そもそも捜査段階における鑑定処分には宣誓も対立当事者の反対尋問もないのに、かけがえのない遺体を処理してしまうことには問題がある。まして本件では、死因が争われている事案である。しかも捜査当局が頭部損傷について検死結果を隠し、ねじまげて虚偽の発表をしているときである。安保闘争でたおれた樺美智子さんのときには、遺族の意志を尊重して立会い医師を認めた先例もある。しかし、山﨑博昭君については、一方的な態度に終始し、捜査当局によって独断的な発表が敢行され、学生による轢殺という世論操作に用いられたのである。
第三は捜査当局は、山﨑君の死亡を学生による殺人事件として捜査すると発表した(例えば10月9日付朝日夕刊)。あまりの政治的捜査に唖然とする。法律家の常識では、たとえ警察発表を仮定したとしても、過失致死事件であって、殺人事件は立つはずがない。さすがに国会では、警視庁次長は殺人事件にはならないと答弁した。しかし、このような発表が行われると、一般人は、なにか学生が仲間同士殺人をしたような誤解をもつであろう。そこが治安当局の狙いに違いない。本件において、捜査権力は、手段を選ばない政治的な仕方で、一切デモを叩きつぶすことを策しているものとみなすべきである。
 
(三)
本件の捜査は、山﨑君の死につけこみ、商業報道機関を総動員して佐藤首相のベトナム行きという政治問題から国民の目をそらせた。
そして、学生の集団示威運動自体を不許可にした警察当局の違憲処分の問題をかくまおうというのである。そればかりか、山﨑君の虐殺を学生諸君になすろうとしている疑いが濃い。
70年安保問題をひかえ支配権力は政治街頭デモをこの機会に根絶やしにすることを狙っており、権力側と運動側とで死活の攻防がくりひろげられているとみなくてはならない。こうして山﨑君の死因問題は特殊な政治問題として当面の焦点となっている。この政治的事件についてなにかとてつもない陰謀によって虚偽が固められているのではないか、という疑惑をとことんまで追求したい。』
 
この小長井弁護士は、今回の「10・8山﨑博昭プロジェクト」の発起人の一人でもある。
次回はドキュメント「権力」製作・上映実行委員会発行の「映画反戦」の記事を掲載する予定である。
 
<お知らせ 1>
【10・8山﨑博昭プロジェクト/50周年まであと3年 講演と映画の集い】
●日 時  2014年10月4日(土) 午後1時30分より(開場12時30分)
●会 場  「きゅりあん」6階第会議室 (品川区東大井5-18-1)
      (京浜東北線「大井町」駅東口下車 徒歩1分)
●参加費  1,000円
●内 容    講演 「私の1960年代 -樺美智子・山﨑博昭追悼ー」
          山本義隆 (科学史家・元東大全共闘議長)
映画上映 「現認報告書」(1967年 監督:小川紳介)
 
<参加申し込み>
以下のメールアドレスあてに、お名前と参加希望と明記の上お申込み下さい。※定員になり次第、締め切りとさせていただきます。お早目にお申込み下さい。
 
このプロジェクトの詳細及び賛同の申込みは以下のホームページをご覧ください。ホームページからも10・4集会の申込みが出来ます。
10・8山﨑博昭プロジェクト
 

<お知らせ 2>
4大学共闘共同行動 9・23は亀戸中央公園へ!
9月23日(祝)、江東区の亀戸中央公園で【川内原発再稼働するな!フルシマを忘れない!さようなら原発全国集会&大行進】が行われます。(会場が代々木公園から変更になりました)
4大学共闘(日大、明大、芝工大、専修大の全共闘派)は、この集会とデモに参加します。
皆さんの参加をお待ちしています。
 
●2014年9月23日(祝)
●亀戸中央公園(東武亀戸線「亀戸水神駅」下車2分、JR総武線「亀戸駅」下車15分)
12:30集合 (集会会場はB地区・4大学のノボリ旗の下に集合)
12:30 オープニングライブ
13:00 トークライブ
集会後錦糸町までデモあり
主催:さようなら原発1000万人アクション
 
 
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