5月28日、「ベ平連」の元事務局長、吉川勇一氏が逝去された。No390で吉川氏を追悼して、「週刊アンポ」第1号に掲載された「市民運動入門」第1回という吉川氏の記事を掲載したが、この記事は連載記事なので、吉川氏の追悼特集シリーズとして、定期的に掲載することにした。
今回は「週刊アンポ」第2号に掲載された「市民運動入門」第2回を掲載する。

この「週刊アンポ」は、「ベ平連」の小田実氏が編集人となって、1969年11月に発行されたものである。1969年11月17日に第1号発行(1969年6月15日発行の0号というのがあった)。以降、1970年6月上旬の第15号まで発行されている。

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【市民運動入門第2回 吉川勇一 週刊アンポNo2 1969.12.1】
「とにかくデモをしよう -入口であり しかし 出口はないデモ
前回の話は抽象的で説教くさい。あんな心構えみたいな話を聞いてもあんまり役に立たない。もっと具体的なことをいったらどうか、こういう意見を聞いた。賛成である。
 そこでデモの話。ベ平連はデモではじまった。1965年4月24日、東京は清水谷公園から東京駅八重洲口まで、約千五百名の人びとが『ベトナムに平和を』をスローガンに行進した。これがベ平連運動の発足であった。東京にかぎらず、各地のベ平連、あるいは反戦市民運動はデモにはじまったところが多い。行動を重視するというベ平連である以上、これは至極当然のことだろう。運動をこれから始めようという人びとは、まずデモからはじめよう。すでに定例デモが組織されているところなら、それに加わったらよい。もしないのなら、自分たちでデモをはじめようではないか。
11月15日、佐藤首相訪米の2日前、東京では30ケ所近くで一斉にデモが行われた。市民団体の連絡調整機関である『ベトナム反戦と反安保のための六月行動委員会』に参加している沢山の市民運動体が、この日、それぞれ独自に行動をやろうと申合わせたのであった。さて、その中には、デモに参加したことはあっても、自分でデモをはじめたことのないグループがいくつもあって、デモをやるのはどうしたらよいか、という問い合わせが沢山あった。
 デモのやり方といっても、これまた一口ではとてもいうことがむづかしい。いろいろなやり方があるのであって、たとえば警察に届けるのかどうか、ということだけでも大問題として論ずべきことがらだろう。
 集会やデモを規制する公安条例は、都県条例25、市条例35、全国で計60条例あって、これらのところではデモの許可を事前にとることが定められているし、ないところでも道路交通法によってほぼ同じような規制が行われている。これらは市民的権利をはなはだしく侵害する悪条例であり、憲法違反の性格の強いものである。しかも、条文の文句以上に、その実際の運用面では警察が拡大解釈や政治的運用を行って、ますますひどい権利の圧迫を行っている。
 たとえば多くの条例では、許可申請書に『参加予定人員』を記入するよう定めている。主催者は大体の人数を予定して書き込むわけだが、あくまでも予定なのだから、実際の参加人数とドンピシャリ合うわけがない。ところが警視庁は、今年の6月にベ平連がやったデモに対し『届出人数は50人とあり、50人のデモとして認めたのだからそれ以上は一人も許すわけにはいかない』と強弁し、機動隊を出動させ、前から一人一人勘定をして、50人目の列に機動隊を割り込ませ、それ以後の列の参加者全員を強引に歩道上に追い上げ、蹴ちらすという暴挙をやってのけた。こんな目茶苦茶な規制は前例のないことだが、今や彼らは平気でそうした規制をしてくるのである。
 ベ平連のデモはこれまでつねに公安条例にもとづく届出をし、許可を受けてきた。それは大衆的に参加のできる行動の場を用意するためであって、決して条例をよしとして認めているわけではないのである。届出をしないですむような条件があれば、もちろんそれを活かしたほうがよい。たとえば愛知県条例では、名古屋、豊橋、岡崎などの各市で50人未満のデモは許可を要しないと定めてある。だから名古屋ベ平連の定例デモは届出をしていない。百人集まったら、49人づつに分けて別の方向に行進すればいいわけだ。
 届出のやり方は別項を参照していただきたい。地域によって違う点もあるはずだから、一応の参考ぐらいに考えたほうがよい。
 さて、デモにもいろいろある。一般的にはいいがたい。ここでは、まず少人数ではじめる場合だけを想定して、いくつかの問題を考えてみよう。
 まず、参加者数を気にしないことだ。デモのことを日本の警察は『集団示威運動』という。だがそもそもデモンストレーションという言葉に集団なる限定は含まれていない。オックスフォード辞典を引いても、『真理を論理的に証明すること』などという意味は書いてあっても、佐藤首相のいうような『状況によっては一瞬にして暴徒と化し、勢いの赴くところ実力によって法と秩序を蹂躙するようなおそれを本来内包する危険なもの』などという定義は絶対に出ていない。デモとは本来一人だって出来ることなのである。
 だから、少ししか集まらなかったからデモはやめちゃった、などというのはおかしな話なのであって、二人でも、三人でもやってよい。いややるべきなのである。実際、一人でプラカードをかついでデモをやった例(松本)や三人でやったところ(鹿児島)など沢山ある。東京のベ平連の定例デモは最近では毎回千人ぐらいの参加者があるが、その最低の記録は1966年2月の40名であった。その時、私は鶴見俊輔氏に『40人しか集まりませんでした』といったら『ほう、40人も参加しましたか』といわれた。この『も』を私は決して忘れない。
 デモの時、プラカード類は全員がもつようにしたい。最近のデモをみると、数は多くなったが、プラカードが反比例して少なくなっている。弾圧がひどいので、イザという時、手にプラカードを持っていては困るということかもしれないが、どうもそれだけの理由でもないようだ。旗はあるグループがここにいるぞ、という存在証明みたいなものであるが、それだけでは、そのデモが何を表明したいのかを示さない。個人個人が表明したい意見は多様なはずであって、それはプラカードに書くことによってずっと具体的になる。白いボール紙に穴を二つあけ、ひもを通して首から下げるようにしたものは、一番簡単だ。しかし、機動隊に併進規制でもされると見えなくなってしまう。やはり棒をつけて、頭の上に出るようなもののほうが望ましいだろう。
 デモの際にビラも配るようにしたい。沿道の人びとに歩きながら手渡すビラである。これでシュプレヒコールだけでは伝えきれない多くのことを、詳しく伝えることができる。できればワラ半紙ではなく、シャーベット・トーンかなにかの色紙に、きれいな字で刷りたい。
 シュプレヒコールの文句も工夫がほしい。『アンポ・フンサイ・トーソー・ショーリ』というのが近頃のはやり文句のようだが、これだけ馬鹿の一つ覚えのように繰返しているのも芸がなさすぎる。『デモニ・ハイロ!』というのは昨年の6・15デモの際、道ゆく人びとを誘った傑作だった。今年の2月、節分の日に米大使館前を通ったベ平連のデモは、豆をまきながら『基地は外、福は内」』と叫んだ。埼玉ベ平連が先月やったデモでは、警官隊が規制に出てきた時、『警官の賃金を値上げせよ』と叫んで、機動隊をズッコケサセタという。状況に応じて機知に富んだシュプレヒコールをぜひとも沢山生み出そう。
 マイクもあったほうがいい。トランジスタのハンドマイクは、安いものなら1万円ぐらいで買える。自動車もほしいが、自転車やリヤカーだっていい。東京の荏原地区ベ平連は自転車の荷台にアンプ、スピーカーをのせ、路地から路地をまわる自転車デモやって成功している。やり方はいくらだって考えつくものである。
 デモは運動の入り口かもしれない。しかし、デモのやり方は卒業できない。いくらやってみても、つぎからつぎへと問題が解決を迫って出てくる。デモにも免許皆伝なんてないのだろう。デモの専門家はいないのだ。だからまた、誰だってはじめられるのである。とにかくデモをやろう。」

【デモ届のやり方一例 (東京)】
都条例ではデモの始まる時間の72時間前に、出発地点の所轄警察署に所定事項(後述)を記載した許可申請書を三通提出しなければならないことになっている。しかし実際には、この申請のために警察に行くと、ほとんどの場合、警視庁警備課集会係(警視庁の三階)に行くようにいわれる。そこでやむをえず本庁警備課に行くと、人数、コース等について質問される。主催団体の性格や責任者なども根ほり葉ほり聞かれる。コースについてはここはダメ、そっちも認められないなどと、希望の道が変えられることが多い。そんな権限は警察にはないのだが、『出したって公安委員会は許可するはずがない』などといわれるから、『行政相談』という名目の実質的強要を受け入れざるをえなくなることがほとんどである。強引に希望どおり申請することは出来るが、その場合はほとんどが不許可かコース変更がなされてしまう。
 許可書は24時間前でないともらえないから、デモが合法的に出来るかどうかは1日前でないと判らないという不都合な仕掛けにもなっている。
 届出項目はつぎの通りだから、あらかじめ決めておく必要がある。①主催者の住所氏名②主催者が他府県居住者の場合は、都区内の連絡者の住所氏名③開催日④集合開始時間、演説開始時間、出発時間、解散時間⑤出発地⑥解散地⑦行進順路⑧参加予定団体およびその代表者の住所氏名(共催の場合のみ。ベ平連の届出はいつも「一般市民」と書いている)⑨参加予定人員(宣伝カーをつける場合はその台数)⑩集会デモの目的(ベトナム反戦のため等)⑪集会、デモの名称(適当につければよい。例「ベトナク反戦市民デモ」)⑫現場責任者の住所氏名⑬届出人(主催者であるが、本人でない人が届け出る時は代理とする。届出人自身の印鑑がいる。なお、主催者が高校生など未成年の場合は、二十歳以上の人を頼んでおかないと、警視庁は受付ない)⑭コースの地図(書いていってもいいが警視庁には印刷したものがあるから、それに赤鉛筆で書きこめばよい)。
 さて警視庁警備課でこの事前交渉が終り、届出書(地図を含む)三通ができたら、今度は出発地点の警察署にそれをもってゆく。返事がくるのは、前述のとおり1日前である。許可書はあらためて、提出した警察署へ受取りにゆかなければならない。その時、条件がいっぱいついてくる。警察によっては、受けとりにいった時、机の前に立たせておいて朗読して聞かせ、「よく判ったか、必ず守れ」などと説教するところもある。その条件とは「責任者は腕章等をつけて明示せよ、条件を全参加者に徹底させろ、ジグザグ、フランス・デモ、渦巻きデモ、駆け足、ことさらな遅足、座り込み、停滞などしてはいかん、鉄パイプなど危険なものをプラカードに使用するな、凶器になるような棒をもつな、プラカードは一人でもてる範囲のものに限る、旗竿などを横にたおして持ってはいかん」など沢山つく。おまけに「現場警察官の指揮に従え」などと無制限的条件もつく。一人でもてる範囲というが、二人でもつ横断幕はいいことになっている。とにかく、メンドウクサイ手続きだが、はじめてだからといってあんまりビクビクしないこと。

※この吉川勇一氏の「市民運動入門」の連載記事は、定期的にブログに掲載します。

【お知らせ】
来週はブログとホームページの更新はお休みです。
次回は7月31日(金)に更新する予定です。

(つづく)