5月28日、「ベ平連」の元事務局長、吉川勇一氏が逝去された。No390で吉川氏を追悼して、「週刊アンポ」第1号に掲載された「市民運動入門」という吉川氏の記事を掲載したが、この記事は連載記事なので、吉川氏の追悼特集シリーズとして、定期的に掲載することにした。
今回は「週刊アンポ」第4号に掲載された「市民運動入門」第4回を掲載する。
この「週刊アンポ」は、「ベ平連」の小田実氏が編集人となって、1969年11月に発行された。1969年11月17日に第1号発行(1969年6月15日発行の0号というのがあった)。以降、1970年6月上旬の第15号まで発行されている。

【市民運動入門第4回 吉川勇一 週刊アンポNo4 1969.12.29】
「権利を守るということ -市民運動の重要な根―
三億円事件の容疑者の誤逮捕事件はひどいものであった。さんざん人権蹂躙をやった上、草野青年に完全なアリバイが証明されて釈放することになったあとまでも、警察は「なぜ当日のアリバイをもっとはっきり言ってくれなかったのか」などと責任が警察にはなかったかのようなことをしゃべっている。マスコミも警察に輪をかけたようなやり方で草野青年を犯人に仕立てあげようとした。
だが、こうした警察権力とマスコミによる権利の侵害が明らかにされ、曲がりなりにも被害者に対して謝罪がなされるといった例はごくごく稀なことなのだ。さんざんひどい目にあい、新聞では凶悪犯人であるかのように書きたてられ、しかも事実無根と判っても、まるで警察当局の恩恵のごときありさまで釈放されるといった例は、学生運動、市民運動などの場合には、枚挙にいとまがない。
つい最近の私たちの経験を紹介しよう。10月10日、ベ平連は多くの団体といっしょに反戦・反安保の集会とデモをやった。午後3時から東京の明治公園には10万近い人びとが集まったが、反戦青年委員会や高校生のグループや、各大学ベ平連などは、それぞれ正午から独自の集会を別の場所に集まって行い、そこから明治公園の統一集会にデモで参加した。この参加デモの中で、大学ベ平連のジグザグやフランス・デモなど、公安条例によって付された条件に違反したという理由で、そのデモの現場責任者であった早大生、遠藤洋一君が逮捕された。
遠藤君は21才。「ベ平連ニュース」の編集を担当しており、陽気な青年である。90キロの巨体をもち、クジラの異名をもつ。クジラがジグザグ・デモの指揮をするのはさぞ大変だったろうと察するが、それは本題と関係ない。遠藤君は3泊4日を警察の留置場ですごし、ろくな取り調べもなく釈放された。
ところで、遠藤君逮捕の翌朝、警視庁公安部はベ平連の事務所を家宅捜索した。これはひどいもので、入口のドアに連絡先の電話番号まで書いてあるのに、鍵をぶちこわし、ドアを破壊して中に入り、関係者の立会いなしに捜索を強行した。おまけにベ平連の事務所とはスチル製の大戸棚とベニア製の扉で区別され、そのドアに鍵までかかり、「アンポ社」の掲示もしてある有限会社「週刊アンポ社」の編集室まで、鍵の蝶つがいをはずして侵入し、中を荒しまわった。
彼らが持ってきた捜査令状に、ベ平連事務所とはあったが、「週刊アンポ」社事務所が指定されていないことはいうまでもない。この捜索で、彼らは「日本のアウシュビッツ 大村収容所」というビラ8枚、「出入国管理令を粉砕しよう」というビラ31枚、「10月行動委員会」のカンパ用ビニール袋2枚、「ベ平連ニュース」10月号5部、英文パンフレット「ウイ・ゴット・ザ・プラス」5部など、計12件99点を押収していった。
ベ平連と「週刊アンポ社」は、ただちに弁護士さんと相談し、「週刊アンポ社」は家宅侵入罪で警視庁を告訴し、またベ平連は、押収品が遠藤君の被疑事件とまったく関係ないとして、即時返還を求める準抗告を提訴した。
<盗ったものは返せばすむか>
この裁判は現在進行中であるが、先日この準抗告裁判の証人尋問として、捜査に来た警視庁外事一課の木下惠という警官が裁判所に尋問された。この時のやりとりは、警察官のものの考え方を知る上で非常に興味深いものだったが、それを詳しく紹介する余裕は今はない。さてこの時の最後に、木下刑事は発言を求め「押収品は警察の手を離れて検察庁に渡っているが、検察庁は調査も終り、不要になったので、返還するから受取りにくるよう、再三、遠藤洋一に通知しているのだが、遠藤はいっこうに取りに来る様子がない」とのべた。
押収していったのはベ平連の事務所からである。それはベ平連や10・10実行委の所有物であって、遠藤君のものではない。まず返還するのなら、所有者であるベ平連に知らせるのが当然である。さすがに裁判長も「それは少しおかしいですね。遠藤の所有でないものを遠藤に返すといっても、受取れるはずはないでしょう」と注意していたが、ここで言いたいのは、直接には、そういう非常識なやり方についてではない。私たちが裁判所に提訴してまで争っているのは、押収されたものが必要だから、何とかお返しいただきたいとお願いしているのではないのである。返還は当然であるが、その前に、押収したという警察の行為が、まったく法の規定をふみにじったものだと主張し、その取消を要求しているのだ。そのかんじんのところが、証人として呼び出された警官には全然理解できないのである。「盗ったのが悪いのなら返しゃいいだろう」というのが彼らの考えなのである。昔から「あやまって済むのなら警察はいらない」とよくいう。しかしあやまりもせず、返せばいい、というのを警官がいうのでは話にもなんにもならないだろう。
第一、押収されたものを返してもらうのにはどういう手続きがいるのか、それが大変に侮辱的なものなのである。
まず、検察庁から葉書が来る。「さきに押収した左の物品を返還するから、某月某日、本状と印鑑を持参して検察庁証拠品領置課窓口へ出頭されたい、云々。」と書いてある。勤め人や学生だったらその日の勤務や授業を休まなければならないのだ。午後5時以降や日曜日には絶対に受付ない。元来、こっちが頼んでやってもらっている仕事ではないのだ。ふつうの社会常識からいえば、もってった奴が返しに来るのが当然なのだが、そんな考えは彼らに薬にしたくもない。
そればかりではないのだ。印鑑をもってゆくと、散々待たされたあげく「押収品仮還付受領書」なる紙に署名、押印させられる。それにはなんと、「今後、検察庁が必要になった場合には、いつでも提出いたします」という文句が入っているのである。
裁判までして争っている私たちが、かりに返還通知を貰ったところで、こんな馬鹿げた手続きをしてまで押収品を受け取りに行けるだろうか。
裁判官がいった。「そうですね。ベ平連の方がノコノコ受けとりにはゆけないでしょうね。どうです。あんたがたのほうで返しに行ったらどうですか」彼はノコノコという言葉を使った。オメオメでもいい。とにかく、普通の市民的常識でいえばそうなのだ。だが、こう言われた木下刑事は当惑していた。押収品を検察庁が、返しに行くなどということは前例がないのである。結局、この話はまとまらず、裁判は続行することになった。警察にこの捜査の不当性を認めさせるのは、まだまだ容易ではないだろう。頭の構造までただすのは絶望的でさえある。
<ピストル事件とマスコミ>
警察だけではない。マスコミも同じである。とくに警察まわりの記者や警視庁クラブ詰めの連中は、もう警察の考え方と同じである。警察の言い分をなんの検討もせず、うのみに記事にする。場合よれば、それに輪をかけた記事さえ書く。憲法の精神などどこにもない。
まず、警察につかまったら、そいつは悪い奴で、無罪を立証するのは本人の義務だというとんでもない逆立ちした考え方をもっている。今度の三億円事件の報道などその典型だ。
こんなこともあった。今年の2月、警視庁は、逮捕された米脱走兵の自供から判ったとして「銃砲刀剣類不法所持容疑」というとんでもない名目で、「イントレピッド4人の会」の世話人である立教大学の高橋武智助教授の自宅を家宅捜索し、予備校生山口文憲君を逮捕した。脱走兵援助のグループがピストルをもっている、というのである。新聞は一斉にこの捜索と逮捕を大々的に書きたてた。たしかに記事としては興味深いものだろう。だが、事実無根なのだから、有罪を立証する証拠などあるわけがない。警察は山口君を3日後に釈放した。私と山口君はすぐ警視庁記者クラブを訪れ、記者会見し、この釈放と警察の不当なやり方についてのべた。
ところが、その時集まった記者団の中の一人は、山口君に対し、事実無根だという証拠を求めたのである。しかし、もしピストルを持っていたのなら、警察がそれを立証することが可能かもしれないが、もっていない時に、それをもっていないということを一個人がどうして立証できるだろうか。物的証拠にもとづいて有罪を立証できぬ限り、その人は犯人ではないという戦後の法体系の考え方を、この記者は警視庁にいる間にすっかり忘れてしまったのである。
<徹底的に争おう>
反戦運動に対する弾圧の中では、こんな例はいくらでもあるのだ。さて、市民運動としては、どうしたらいいのか。どんなささいな人権蹂躙をも絶対に黙過せず、抗議、公告、告訴など、あらゆる手段を用いて徹底的に争う以外にはないだろう。新聞の誤報も追及の手を緩めてはならないだろう。記事を書いた記者とその責任者への抗議を必ずすることが大事だろう。
小田実が書いている。今度のデモで逮捕者は2人だった。少ないナと思う。そんな考え方を私たちがすべきではない。その2人の逮捕が不当なのだ。デモのたびに逮捕や捜索が行われるという、このとんでもない警察のやり方をなくすには、私たち自身の権利を守るための大変な努力がいる。手間も時間もかかる。だが「週刊アンポ社」は10月11日の家宅捜索の不当を裁判で争い続けるし、ベ平連は押収されたすべてのものを「仮還付書」に印を押さずに取返すまで争い続けるだろう。
(終)
【10・8山﨑博昭プロジェクト大阪講演会のお知らせ】
11月7日(土)に大阪での初の講演会「【大阪発】あかんで、日本!―理工系にとっての戦争―」を開催します。
この講演会は、2014年に発足した「10・8山﨑博昭プロジェクト」の大阪での最初の講演会です。1967年10月8日に戦争に反対して死んだ山﨑博昭(大阪府立大手前高校卒。当時、京都大学1回生)を追悼し、半世紀後の現在、ますます戦争への道を歩んでいる日本に対して、関西弁で戦争に反対する声を上げたい、関西弁で考え、語りたいという講演会です。
戦前・戦中にかけて、理工系の専門家たちはどのように戦争を迎え、戦後どのように反省したのか、しなかったのか。現在の日本の「科学技術立国」という思想は、戦時下の総力戦体制の中で生まれています。その歴史をふり返り、3・11以降の現在、原発に反対し、戦争に反対するほんとうの声を新たに求めたい。世代を超えて、その展望を見つけるための講演会です。
山本義隆さんが関西で講演を行います。大阪・関西在住の方は是非お申込み下さい!
【大阪発】あかんで、日本!―理工系にとっての戦争―
講師:
○山本義隆(科学史家、元東大全共闘議長)
「日本の科学技術―理工系にとっての戦争」
○白井 聡(政治学者、京都精華大学専任講師)
「ネオリベラリズムと反知性主義」
日時:11月7日(土)13:30開場、14:00開演
場所:御堂会館・南館5階ホール
〒541-0056 大阪市中央区久太郎町4-1-11
TEL(06)6251-5820(代表)
アクセス
・地下鉄御堂筋線「本町駅」8号出口南へ200m
・地下鉄中央線「本町駅」13号出口南へ50m
参加費:1500円
主催:10・8山﨑博昭プロジェクト
公式ホームページ http://yamazakiproject.com/
参加を希望される方は以下のメールあてに申込み下さい。
E-mail monument108@gmail.com


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