今年の3月に「反安保法制・反原発運動で出現 シニア左翼とは何か」(朝日新書)というタイトルの本が出版された。著者は小林哲夫氏。以前『高校紛争1969-1970「闘争」の歴史と証言』(中公新書)という本を出版された方である。
この本の出版にあたって、小林氏は明大土曜会にも取材に来られた。その関係で、4月の明大土曜会に小林氏をお招きして、本を出版しようと思ったきっかけ、取材の中で感じたことなどお話をしていただいた。
今回は、そのお話と、その後の参加者の質疑の一部を掲載する。

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「小林と申します。みなさんより10歳から15歳くらい下の世代です。3月に『シニア左翼とは何か』という本を出しました。
本を出した一番大きな理由というのは、2011年の原発事故以降、それから去年の安保法制でいろんな層の方々が反対集会に参加されているんですけれども、僕はメディアの一員として、特にテレビとか新聞とかのメディアですと、どうしてもシールズとかそういうところにフォーカス(焦点)が当たってしまいますが、実際行ってみるとそうじゃないんじゃないかと思いました。もっと年輩の方がたくさんいらっしゃっている。その方々にフォーカスを当てて、あえて『シニア左翼』、俺は左翼じゃないぞと言われる方も含めて、そういう本をまとめました。
僕が個人的に一番関心があったのは、新左翼の党派というのが、今、どうなっているのかということです。メディアでこの問題に関わり合おうとか、関心を持とうとかそういう人はほとんどいません。皆無です。年代的にもたぶん知らないと思います。デスク、編集長クラスも50代です。僕の年代でも中核派なり赤軍派ってなあに?という状況です。ただ(新左翼党派が)実際に現存している。その(新左翼党派の)彼らが、今、どういう構成で何を考え、どうしているのかをとにかく知りたかったというのが大きな理由としてあります、
一応機関誌を出して、それからネットで公開して、動員しているそれぞれ新左翼党派に全部あたりました。それぞれの代表者に会いましたけれども、断られたのは解放派の3つある内の現代社と革マル派です。2つの団体とも議論した中でお断りします、趣旨に合わないということでした。あと(の新左翼党派)は全部出てくれました。それで、それなりの言い分なりを聞きました。『へーっ』と思ったのが、党派によっても見方が違ったのが、シールズに対する見方です。例えば中核派の東京の人たちは『とんでもないやつらだ。』と。一方、関西派は『彼らのような動員力はできない。見習うべきことが多い。』ということで、無条件に近いくらい評価している。シールズの運動論を巡って党派間で意外に評価している党派がいくつかあったというのが僕なりの発見ではありました。
彼らとの話では、三里塚ではヘルメットを被るけれでも、国会前では絶対被らない、というような話であったり、少なくとそこまでハッキリとは言っていないんですけれども、国会前で水を差すようなことはしない。つまり、自分たちが嫌われるようなことはしない。ただ、自分たちなりのことはやる、ということで、存在感を何とか示そうとしていました。それからシールズに集まる学生を何とか獲得したいということもありました。
(党派の)世代交代というのがあるのかどうかということについて、今の(党派の)幹部というのが、大体60、70代です。例えば新しい世代、40代で書記長にとか、ないことはないんですけれども、1962~3年にブントから革共同が分裂して、1962~4年に今の新左翼党派の基が出来た時の中心メンバーであった20代後半から30代前半の方が、全くそのままの状態で50年近く経って、70代になっても幹部ということで、世代交代していない。別の見方をすると、40年も革命党派をやっていて、40年も革命を目指しているのに革命を成就しなかったのは、それは革命党派ではない。自分たち一代で革命をしなければ意味がない。だから世代交代は意味がないというような理屈もありました。60代.70代の方々なのでいろいろな思いが伝わってきました。
前回、土屋源太郎さんがいらした時に、その話をして、『実は革共同の藤原慶久さん、まだ元気でこの前会ったんですよ』と言ったら『まだいるの?』という話をされていました。藤原さんは1950年代の人で、76,7歳くらいですが、3、4年前に東京高裁前で捕まっているんです。会うと非常に穏やかな方ですけれど、その方を含めて、この本の中で新左翼について僕は特に価値判断を示さなかったんですけれども、これからどうなっていくのかなと思いました。
警察の公安の見方からすると、20年くらい前からあと10年、20年経てば党派は潰れるだろうと言われながらずっと存続しているので、たぶん10年経ってもまだ残っているんじゃやないかと思います。
新左翼党派の資金というか運営なんですけれども、圧倒的にカンパが多い中で、カンパをしてきた層がリタイア(退職)している。かっての活動家が60代70代になって貯えも無くなてきたので、大口カンパというものが10年後あまり期待できなくなるというのが、党派の存続を考える時には一番大きいんじゃないかとも思います。何かで潰されるというよりも、大口カンパの資金源が世代が上に行って無くなってしまうので断たれるというのが、一番大きい要因じゃないかなと思いました。

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この本の中で宮崎学さんという、いろんなことを言われている方に、昨年会った時に『シールズに対してどうですか?』と聞いたら『全面的に認める』と言っていました。印象的だったのは、『僕は共産党だったけれども、結構新左翼っぽいこともやっていたし、ゲバルトを肯定したし、民青でゲバをやっていた。でも、結局は勝てなかった。もうこのまま勝てないで死んじゃうのかなと思った時に、シールズが出てきて希望を見た。60年70年世代が学生運動を断念した中で、もう日本では学生運動はダメなんだろうなといった時にシールズが出てきて、僕は非常に感動した。僕ら全共闘と言われている世代は、あるいは学生運動をやっていた世代は反省して見習うべきだ。』と話をしていて、そういう思いがあるんだというのが僕も発見だった。
僕が思っていたのは、今のシールズの運動に対して、生ぬるいんじゃないかと思うかつての活動家の方が多いかなと思っていたんですけれども、割とそうではなくて、今の時代に合った運動のあり方ってどうなんだろうという、彼らなりの理解を示すというか、時代に合わせたものはどうなんだろうなと思っている。そこもさすがに新左翼の党派も少しは分かっていて、彼らと反対運動をやっている中での敵対というものを最低限作らないようにするためにはどうしたらいいかというのは、考えていらっしゃる。考えるとなると自分たちは独自の行動をしなければならない。例えば国会の裏側に行っちゃうとか。
60代70代の方、かつての活動家の方からすると、去年の6月から9月の状況に対して、いろいろ自分たちの考え方生き方を考えさせられたという話をまとめましたので、関心があったら読んで下さい。」

(その後の質疑の様子)
参加者A「シールズは僕は否定的だったので、シールズについて結構ページを割いていましたよね。あとは知っている人も何人か出て来たし、この後どうするんだというのはなかなか難しいですよね。」

参加者B「(新左翼党派は)もう組織はあることによって害だよね、間違いなく。いろんな経験は残してもいいけれど、そのまま組織を残しちゃったから、もうどうにもならないと思う。そういった財政問題で潰れるなと私も思っています。カンパはもう年金から集めるしかない。」

参加者C「僕らは次世代論というものを持っていなかった。それが決定的だった。自分たちのことで手一杯だったということじゃないかなと思います。」

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(2015.8.30国会前)
小林「僕が一番疑問だったのは、シールズのコールの中での民主主義、戦後民主主義という言葉に対するとらえ方です。60代70代の方々が民主主義を守れと、民主主義ということに対して、民主主義はギマンだと言っていた60年代の活動家が2015年になって、シールズの民主主義ということに対して割と迎合的だったということについて、結局僕はその疑問が解けなかったんです。じゃあ民主主義という言葉に対する、皆さんを含めての世代が、どういう風なことを思っていらっしゃるのかというのが問題提起としてあった。
もう一つ、ベ平連とシールズの明らかな相違性と類似性について、全く違うんですけれども、武藤一羊さんに『べ平連は民主主義という言葉を使いましたか?憲法9条という言葉を使いましたか?』と聞いたら『ほとんど使っていない。』と言っていました、『そもそも、沖縄問題にしても、9条を守れとか民主主義とかはあまりにもギマンだ。ベトナム反戦運動というのは、日本がアメリカのベトナム侵略に加担していることに対する運動で、それが何が9条だ民主主義だ、おかしいじゃないか、というところから出発しているので、少なくともベ平連のアジテーションにはそういうのは一切なかった。ただ、運動の進め方、組織の進め方、つまり個別の発想とかいうことについては、若干シールズと通じている部分がある。自由な発想ができる組織論運動論としては、自分が責任を持ってやったことはいい。ある程度何を言ってもいいだろう。ただ、根源のところには、ベ平連の活動家というのは全共闘との連帯性が非常に強いので、そういう権力に対する迎合的なところが一切ない。』ということです。武藤さん自身が『かっての小田さんや吉川さんが見ていたら、シールズとどういう風に一緒にやれただろうか、どうだったろうか。やれる部分とやれない部分、ただ年寄りの立場として見守るのか、一緒に何か共にできることをやれるものなのか。』ということろで、ベ平連系の人は非常に歓迎はしつつも、とまどい、特に戦後民主主義に対する、今の学生が民主主義という言葉を自分たちとは全く違うことで使っていることに対する疑問というか、それが払しょくされていないということがありました。」

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(2015.8.30国会前)

参加者D「僕なんか、シールズの皆さんが非常に保守的というか、精神構造としては一番象徴的だったのは、国会前で、私は家へ帰って暖かいご飯を作ってくれる家庭、お母さんがいて、それに幸せを感じるみたいなことを言ったら、いっぱい文句が出た。確かに僕なんか非常に違和感を持ちます。持つんだけれども、今の社会において何らかの問題意識を持ってということについては大切にしていかないといけないと思うし、そのことの延長、やっていく中で変わっていくんじゃないかという幻想というか、それを持っている。彼らは確かにあれだけ動員力のある運動を作っていったことについて言うと、評価しないといけない。それを利用しようとした中核派とかは、行って宣伝戦しかしない訳ですよ。やるんだったら自分で突入でも何でもやって、大衆運動を作ればいいじゃないか。それが出来なくて、あそこに行ってビラまきをやって宣伝活動しかやらないから、彼らが頭に来るのは当たり前なんだよ。昔の代々木と一緒なんだよ。
昔の全共闘運動をちゃんとやった人たちは迎合している気は全くないと思う。なくて、その上でこれをどういう風な形で支えながらちゃんとした方向に持て行くのかについての問題意識は持っているような気がする。迎合という事に関しては僕は非常に抵抗を感じる。」

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(2015.8.30国会前)
参加者E「私なんかちょっと思うに、一つには、定年退職して、それからいろんな活動を始めた人がたくさんいるんですね。原発反対運動やったりとか、そういうのが本当のシニア左翼じゃないかと思う。
さっきのシールズじゃないですけれども、彼らも基本的にいい悪いは別として、組織論がない運動論がない。我々が見てシールズがいいというのは、一つには自然発生的であったこと、一番評価しているのは、安保法制が通った後も運動を続けるという、その辺は我々にとってすごく新鮮なんですよ。
我々の時の運動は組織論があって運動論があって、要するの党派に収斂される。だけど、その党派も、基本的に一つの既成事実が出来てしまうと、60年安保もそうだし、我々の時の70年安保もそうなんだけれど、その後がなくなってしまう。それに対して、これからだという、そういう声が出たのは彼らが初めてだと思う。それは非常に新しいことだと思う。確かにこのまま行ってどうなるか分からないし、この前ちょっと新聞で見た時に、学生が学生をリサーチして、彼らも自衛隊の活動について全面的に反対ではない。一部の部分について、邦人警固とかそういうところについては賛成だという部分もあるから、理論的にはいろんなものを包括していると思う。
私が考えるのは、定年退職をしたシニアの運動は今はバラバラ。明大土曜会だってみんなバラバラにやっている。なおかつ、みんなやっているのは昔の党派の理論じゃないんだよね。党派の理論で運動している人はほとんどいないでしょ。
例えば原発反対デモでをやる時には、明大全共闘とか日大全共闘とかそんな名前で行くけど、それはほとんど規制がない。我々明治の連中はほとんどブントなんだけれど、ブントでさえもない。組織論とは全然関係ない、それが新しいシニアの左翼じゃないかなという気がしないでもない。だから、本のタイトルを聞いた時にそうなのかなと思った。読ませていただく。」

【本の紹介】
「反安保法制・反原発運動で出現  シニア左翼とは何か」
著者:小林哲夫 (教育ジャーナリスト・フリー編集者。著書に『高校紛争1969-1970「闘争」の歴史と証言』(中公新書)など多数)
定価:780円+税
発行:朝日新聞出版
『反安保法制、反原発……。国会前のデモなどで、若者以上に目立っているのが60、70代のシニア世代だ。若い頃、世の中に反旗を翻したものの、その後は体制に順応したはずの彼らは、なぜ再び闘っているのか。同窓会? 再びの世直し? 新集団をめぐる「人間ドラマ」を追った。』

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