昨年9月のブログ(No400 呪殺祈祷僧団再結成!呪殺祈祷会「死者が裁く」2016.9.11)で、昨年8月27日(木)に経産省前テント広場で行われた「呪殺祈祷僧団再結成祈祷会」の様子を紹介した。
この祈祷会は定期的に開催されているが、先日、知人からメールがあり、4月18日(月)に第3回目の祈祷会が開催され、足立正生氏(映画監督)がカメラを回して、渚ようこさんが歌を唄うということなので行ってきた。
この呪殺祈祷僧団とは・・・。
(祈祷会チラシより)
『呪殺祈祷僧団四十七士〈J KS47〉とは
【再結成】
1970年、日本列島を公害列島と化し、多くの人々に障害と死をもたらした水俣病、新潟水俣病、イタイイタイ病、四日市大気汚染等々の重大な公害問題に立ち向かった仏教者を中心とする「公害企業主呪殺祈祷僧団」という集団があった。このすでに伝説化した「公害企業主呪殺祈祷僧団」をこのたび再結成する運びとなった。再結成にあたって「公害企業主呪殺祈祷僧団」を「呪殺祈祷僧団(JUSATU KITOU SOUDAN)」と改め、僧団員の数を忠臣蔵にちなみ四十七人とした。したがって、正式名称を「呪殺祈祷僧団四十七士」、略称を「JKS47」とする。
【理念】
「呪殺」とは、神仏のはからい、霊験によるものである。
「呪殺祈祷僧団四十七士〈JKS47〉」は、神仏による音霊・言霊に感応し、伝達することを使命とし、死者との「共存・共生・共闘」を理念とする。それは、神殺し、仏殺しであった神仏分離・廃仏毀釈にはじまる日本の近代の始めから現在に至るまでの夥しい負の遺産を継承し、敗者の視点に立ち、ひたすら死者の裁きを懇請し祈念することである。
「死者が裁く」とは、近代化の悪潮流としての生者エゴイズムを糾弾し、死者との共存・共生・共闘を唱えた上原専禄の『死者・生者』にある言葉である。
【活動】
戦争法案廃案!安倍政権退陣!原発再稼働阻止!悪しき者らに死者の裁きを!
これが当面の緊急課題だが、安保関連法案の根本に存在する安保条約、日米地位協定を見直し廃棄することが最大の眼目である。』
とのことである。

経産省前テント広場には、数十人の人たちが集まっていた。足立正生氏や渚ようこさんもいる。
足立さんは撮影のためのカメラを何台か回すらしい。スタッフらしい人が何人もいる。前回来ていた末井昭さん(元「写真時代」編集者)もいる。呪殺祈祷僧団のタスキをかけて祈祷会が始まるのを待っていると、近くにいた若い女性がテントを見て、「すご~い。(撮影のために)小屋を建てちゃったの。」と言っている。
「ちがう!ちがう!」と言おうとしたら、末井さんが「このテントは・・・」と説明していた。
時折、パラパラと小雨が降る中、呪殺祈祷教団の祈祷会が始まった。

時間になりましたので始めさせていただきます。JKS47テント前広場の月例祈祷会をこれより勤修させていただきます。
今回の祈祷会は、現在、九州熊本大地震で進行中の犠牲者の皆様方を追悼するとともに、3・11東日本大震災の無念の死者の皆様方、無念の死を迎えた方々に追悼するとともに、速やかな九州大地震の収束並びに川内原発の速やかなる停止、脱原発の実現を祈念いたしまして勤修いたします。
法要に先立ちまして、鎮魂歌を渚ようこさんに唄っていただきます。この鎮魂歌は作詞足立正生さん、作曲秋山道男さんの「海つばめ」でございます。この歌唱に先立ちまして、九州大地震の方々のご冥福をお祈りして、1分間の黙祷を勤修いたします。
黙祷。
【序 黙祷】(3・11ならびに熊本地震の犠牲者をはじめ、無念の死者への追悼)
4月15日に起きた九州熊本地震で亡くなられた方へ、全員で1分間の黙祷を行った。
【歌唱】(渚ようこ「海つばめ」)
次に、鎮魂歌「海つばめ」(作詞:足立正生、作曲:秋山道男)が唄われた。

(歌詞)
夜明け海つばめ飛び鳴く 陽の輝きが とても悲しく
かたくなな心に 風の音さえ突き刺さる
火照った頬にはもってこいの 凍てついたアスファルトのベットがある
破れた旗を繕う銀の針はいらない
俺は暗闇で爪を研ぐのさ
ここは俺たちの戦場 ここは静かな最前線
夜明け海つばめ飛び鳴く 朝焼けの街角に 木の葉風に舞う
真珠色した 血反吐の荒野に 俺は小さな炎を放つ
燃やせよ 夜明けを 燃やせよ 街の夜明けを
炎よここは 炎よここは 俺たちの戦場
炎よここは 炎よここは 静かな最前線
この「海つばめ」は、若松孝二監督の映画「天使の恍惚」(1972年若松プロダクション+日本アート・シアター・ギルド共同制作)の中で唄われた歌である。映画の冒頭、ナイトクラブで横山リエが唄っていた。


「東京総攻撃を計画する革命軍・四季協会の十月組は、武器奪取のために米軍基地を襲撃するが、作戦に失敗し組織の再編を迫られる。裏切られ孤立した十月のメンバーは、協会に背を向け、爆弾を手にそれぞれが個的な闘いを個的に展開していく。カンヌ映画祭の帰途で撮られたパレスチナ革命のためのニュースフィルム『赤軍―PFLP・世界戦争宣言』(71)のラディカリズムをATG映画に持ち込み、日本における革命運動の総括を試みた。一方で実際に交番爆破が相次ぎ、連合赤軍による浅間山荘事件なども起きて行くなかで、『無差別テロ』を助長する映画だとして、上映反対キャンペーンが巻き起こり、日本映画史上に残る最も過激な問題作となった。」
この映画の音楽は山下洋輔トリオ、スチールは中平卓馬、出演者には日本赤軍の和光晴生、日大全共闘芸闘委行動隊長の岩淵進もいる。
【勧請(かんじょう)】(大導師独唱)
本日、この経済産業省前テント広場を道場と定め、熊本県及び大分県に発生した大地震による犠牲者を悼み、ここに鎮魂の祈祷会を勤修し奉る。
(中略)
南無妙法蓮華経・・・・

【読経 「妙法蓮華教 如来寿量品 第十六」】
(中略)
【表白文】(表白導師独唱) 福島泰樹氏
(聞き取れない部分は略)
(前略)そもそも我ら呪殺祈祷僧団とは、1970年9月7日、丸山照雄、梅原正紀、松下隆洪ら僧俗8人によって結成されし公害企業主呪殺祈祷集団の命題を引き継ぐものなり。呪殺とは国家企業によって殺されし死者の裁きを代行し、死者の声を祈祷により代弁するものなり。
1969年4月末、妻を失った歴史学者上原専禄は、妻への回向を通し、妻の常在を実感するに至った。死者との共闘の端緒である。そして、死者とともに生きるという実感は、日本の社会生活の実際の酷薄な現実を引き出し、さらに死者を拒絶する生者だけの世界を否定し、妻の死以前は観念的問題でしかなかったはずの虐殺の犠牲者たちが生き生きと立ち現われてくるに至るのである。
アウシュビッツで、アルジェリアで、ソンミで虐殺された人たち。その前に日本人が東京で虐殺した朝鮮人、南京で虐殺した中国人。また、アメリカ人が東京大空襲で、広島長崎の原爆で虐殺した日本人。それらはことごとく審判者の席についているのではないか。そのような死者たちとの、幾層にも入り組んだ構造における共闘なしには、執拗で頑強なこの世の政治悪、社会悪の超克はたぶん不可能であるだろう。
この一文「死者が裁く」が朝日新聞に書かれたのは、告別式を終了してから11ケ月後の1970年3月になってからであった。そして、こう宣揚し死者に対する真実の回向を説く。それは生者である私たちが死者のメディアになって、この世界で審判の術を上げて行くことにしかない。
老歴史学者の夫人への切々たる回向行はアウシュビッツ、アルジェリア、ソンミ村、関東大震災、南京事件、東京大空襲、広島・長崎における虐殺者を被告人席に立たせ、虐殺された数百万の審判者、死者たちと共闘によって、頑強な政治社会悪と対峙してゆく姿勢を明確にしていくのである。
かくして、愛する者の不慮の死から発した死者との共闘は世界史的規模を持って死者を内包しつつ、過去、現在、未来の存在の時空を駆け巡るのである。
1906(明治39年)9月、能登高浜の貧しい漁村に生まれ苦学、関東大震災、治安維持法の時代を生き、生涯を闘い抜いた歌人坪野哲久はこう言った。
残忍で強欲で流血を好むこと猟獣よりも甚だしい。我々の世界はこのような人間どもの集団であり、社会であり、歴史でもあるのだ。さらに支配する者と支配される者、強大国と弱小国、人間による人間の搾取と収奪と大量殺りく、そしてぬけぬけと猛々しく政治とか平和とかの美名を掲げている。
そしてぬけぬけと猛々しく政治とか平和とかの美名を掲げている。
老パルチザン坪野哲久は1988年11月、昭和尽、自らの死を前にこう歌った。
民衆を苦しめる奴とめどなく 極悪ならば眉間を撃つぞ

1960年6月15日、国会構内で虐殺された東大生樺美智子の声が聞こえる。
でも私はいつまでも笑わないだろう。いつまでも笑えないだろう。それでいいのだ。ただ許されるものなら、最後に人知れず微笑みたいものだ。
言葉は生きている。言葉には魂が宿っている。22歳の樺美智子は死んではいない。新生日本を見つめ、この悪しき地上にあって、闘うことを今も止めない。我々呪殺祈祷僧団に集う僧俗は高らかに死者と連帯し死者と共闘する。
我々呪殺祈祷僧団に集う者は、高らかに死者と連帯し、死者と共闘する。
昨2015年9月、憤死するまでを闘い続けた老写真家の必死の声に耳を傾けよう。
この国はすでに三権分立さえも危うくなったように思う。戦後50年間、自民党政権は改正手続きも民意もとらないまま憲法を拡大解釈し、自衛隊を保有し、自衛隊の海外派兵までも合憲とさせた。侵略戦争の果てに国際連盟と闘い、320万の国民が殺され、全国の都市がほとんど焦土となり、100万人の子どもが親と家を失って戦争孤児となり、全ての国民が飢餓に晒された悲惨な戦争を性懲りもなく繰り返すつもりか。
写真家福島菊次郎、1921(大正10年)3月山口に生まれ、国家が見捨てた戦災孤児や被爆者の悲しみを撮り続け、上京後は三里塚闘争、ベトナム反戦、全共闘、自衛隊と兵器産業、公害、福祉、環境問題を、執拗に歴史と国家の悪を撮り続けた。
太平洋戦争における非戦闘員の死者は約120万人で、消失家屋は228万戸と言われるが、そのほとんどは敗戦の昭和20年にサイパンを発進した焼夷弾攻撃によるもので、1000万人近くが住居を奪われ、戦後の荒廃の中に投げこまれた。あろうことか、日本国は東京大空襲、全国都市への空襲、広島・長崎への原爆投下の大量虐殺を命令実行したカーチス米空軍大将に、勲一等旭日大綬章を授与した。東京オリンピックが開催された1964年、受賞を決定したのは、時の内閣総理大臣佐藤栄作。A級戦犯で60年安保を強行採決した岸信介首相の弟である。その岸信介は安倍首相の祖父であり、佐藤栄作は安倍晋三の大叔父にあたる。93歳を迎えて写真家福島菊次郎は言った。
人の生命には限界がありますが、悪しき権力者は孫の代に続いて、悪しき権力者は孫の代に続いて更に次の代まで続こうとしています。けだし至言である。悪しき権力者の子々孫々への悪しき野望を今すぐに打ち砕かなければならない。

戦後70年にあたる、昨2015年8月、福島の原発事故は顧みられることなく、日本で最も危険な原発、川内原発は稼働を開始し、更には沖縄県民の総意は無視され、辺野古への米軍基地移設工事の魔手は着工に及ぼうとし、なかんずく戦争法案は平和安全法案という名に偽装され、昨年9月成立に及び、本年3月29日、ついに施行されるに至ってしまった。
結果、駆けつけ警固を含む集団的自衛権の行使のみならず、自衛隊による他国軍の後方支援も可能となったのである。
憲法を踏みにじってはいけない!
再び戦争を起こしてはならない!
若き自衛隊を大義なき戦場に赴かせ、戦死させてはならない!
若き自衛隊員に人を殺させてはならない!
億万の死者たちは、日本人を戦争に巻き込み、国土を死の灰で汚染する者たちを許しはしないであろう。
億万の死者たちは、日本人を戦争に巻き込み、国土を死の灰で汚染する者たちを許しはしないであろう!
政財界の悪しき野望を死者とともに正してゆかなければならない。
わたなかを漂流しゆくたましいの悲しみふかく哭きわたるべし
呪殺とは呪い殺すの意ではない。呪殺とは呪い殺すの意ではない。虐殺された死者が発する切羽詰った叫び声であり、怨嗟を込めた最後の言葉に他ならない。
彼らの痛苦を代弁することは、それば呪殺である。彼らの痛苦を代弁する言葉、それが呪殺である。
呪殺祈祷僧団に結集した我ら僧俗は、本日ただいま、原発反対、憲法順守を願う人びとが集うここ経産省前テント広場において、死者の願い、死者の痛苦を代弁し、此処に鎮魂、死者が裁くの法会を法修する。
(中略)
【祈祷】(祈祷導師)

【唱題】(南無妙法蓮華経の御題目を一心に唱え奉る正行)
それでは経産省に向けて南無妙法蓮華経と御題目をお唱えし、太鼓を打って参ります。太鼓に参加の方は前の方にお出になられて、ご一緒に経産省に向けて太鼓を力一杯打っていただきたいと思います。どうぞよろしくお願い申し上げます。
(南無妙法蓮華経の御題目を唱え太鼓を打つ)

【祈願回向】(大導師独唱)
謹み敬ってここに、平成28年4月14日に発生し、その後も熊本県及び大分県の各地において激震止むことのない大地震の犠牲者を悼み、避難生活を余儀なくされた被災者の方々に、一刻も早く平穏にして安楽なる日々が訪れんことを祈念し、一会の大師とともに異口同音に一心に南無妙法蓮華経と唱え奉り、ここに回向し奉る。
願わくは震災犠牲者の諸精霊仏果増進追善菩提 南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経
日蓮大聖人が法華経と並び深い影響を受けられた涅槃経には、次のように説かれています。
(中略)衆生は様々な苦しみを受けるものではあるが、そうした衆生の苦しみを、仏が衆生に代わって仏の苦しみとして受け止めてゆこうという、これは仏の慈悲を示された経文である。
(中略)日蓮大聖人滅後の我ら一同もまた、一切衆生が受けている同一の苦しみを、共に受け止めてゆかんとここに念願するものである。

今回、予期せぬ大地震に見舞われた熊本県は、奇しくも本年水俣病事件と呼ばれる不知火海沿岸の水俣及び近隣地域に現れた水俣病が公式に発見されたとされる昭和31年5月1日より数えて、平成28年5月1日でちょうど60年目にあたる。水俣病公式確認60年の年を迎えるのである。創業者の野口遵が、水力発電の余剰電力をもって明治41年に窒素肥料を作る日本窒素肥料株式会社を創立し、同社は昭和25年に新日本窒素肥料株式会社と、また昭和40年にチッソと社名を変更した。昭和8年、同社による水銀汚染が始まり、やがて魚が浮き、猫が狂い死にし、カラスや水鳥の落下が目撃され、昭和28年末、劇症奇病患者が続発し、昭和31年5月1日、水俣病が公式に確認されたのは周知のことであるだろう。以後、水俣病という名称の是非についても様々な意見が展開されているが、いわゆる公式確認より60有余年を経てしまった水俣病事件は、今日、多くの識者が語るように、東京及び日本全国各地への無差別爆撃、広島・長崎の原爆、ビキニ海域の水爆実験、東京電力福島第一原子力発電所事故と同様に、現在も止むことなく続いている国家による終わりなき棄民政策を検証するための極めて重要な負の遺産である。すでに故人となられた医師の細川一氏、原田正純氏、科学者の宇井純氏、被害運動に大きな足跡を残された川本輝夫氏をはじめとする被害者の方々、また、今も活躍をなさっているフォトジャーナリストの桑原史成氏、衆を頼まず己一任の闘いを継続されている漁師の緒方正人氏、そして作家の石牟礼道子氏等、こうした先達が残して下さった膨大な資料や活動記録から、今こそ我々は改めて真摯に学ばなければならないのである。今、ここに石牟礼道子氏の『苦海浄土』第一部第一章より一節を引いておこう。(中略)この激烈な石牟礼氏の言霊の響きは、紛れもなく石牟礼道子氏の闘争宣言に他ならないのである。我ら一同もまた石牟礼道子氏に倣い、我が国の近代の始まりより現在に至るまでの夥しい負の遺産を継承し、常に敗者の視点に立ち、ひたすら死者の裁きを神仏に懇請し祈念する近代への呪術師とならねばならぬだろう。
仰ぎ願わくば南無天下諫暁立正安国の大導師日蓮大聖人に回向し奉る。
(中略)
【四弘誓願】
(中略)
【呪殺祈祷僧団代表挨拶】

それでは一言御礼のご挨拶を申し上げます。本日はテント広場日誌にも月例の祈祷会であるということを謳っていただきましたが、この場所をお借りいたしまして、このような祈祷会を催すことが出来ましたのは、本日で3回目でございます。来月は5月12日、日蓮大聖人の伊東法難会の聖日にここをお借りして、またお勤めをいたしたいと思います。
本日はテント広場の皆様方を始めといたしまして、特別に渚ようこさんに「海つばめ」という歌を熱唱していただきました。大変ありがとうございます。この歌は、冒頭司会の方からも申し上げましたが、本日こちらにお出でいただいております、またカメラを本日は盛大に回していただいております、足立正生監督の作詞でございまして、こちらにいらっしゃる秋山道男さんの作曲ということで、かつて「天使の恍惚」という映画の中で横山リエさんが唄ったということでございます。渚さんはいつもステージでこの歌を唄われていらっしゃいます。渚さんを始め、足立正生さん、それから前回に引き続きまして「ロフト+1」の方々には多大なご協力を賜りまして大変ありがとうございました。
私は実は、今日が5月1日が水俣病60年の公式確認の日だということで、5月1日の前に4月にこの回向文でこんなことを申し上げようと思っていましたところに、奇しくも熊本大分の地震が起きてしまいました。大変私も驚きまして、どうしようかと考えましたが、やはりこの60年という長い闘いの、ある意味記念すべき日が本年の5月1日であるということを、この場所で申し上げたいということで、あのような回向文となりました。
5月1日にはこのような状況で、水俣では果たして何らかの式典が催されるのか、私はそうした情報を持ち合わせておりませんので分かりませんが、どなたかご存知の方がいらっしゃいましたら、どうぞ教えてていただきたいと思います。
また、もう一つ、こちらに「鎮魂―死者が裁くー」ということで旗を掲げておりますが、実は水俣病のことにつきまして、種々付け焼刃でございますが、本を読んでおるうちに、水俣東京展の折に石牟礼道子さんは「鎮魂の儀ではなく、魂鎮めではなく魂起こしだ、出魂の儀である。」
と、要するに亡くなった方々に安らかにお休みくださいというのではなく、眠りについている死者の魂を呼び起こすようにして、全ての人々の再生と共生を求める闘いへネットワークングしていかなければならないということを、石牟礼さんはお書きになっておられるということを私は知りまして、やはり鎮魂という言葉を、つい私ども僧侶は軽々に使いかねないので、十分注意をいたしまして、本当の意味での鎮魂、それから魂起こしということを、これからも心掛けて参りたいと存じます。
本日は沢山の方にご一緒にお太鼓を打っていただき、経産省に向かって南無妙法蓮華経とお唱えいただきまして大変有難うございました。
それではテント広場代表の正清太一さんにご挨拶を頂戴したと思います。
【経産省前テントひろば代表挨拶】

本日は有難うございました。皆さんのお力添えで必ず原発を止めることになるということを私は確信しております。あと10年以内に必ず止まるということを確信しております。皆さんと一緒に頑張っていきたいと思っております。このテントは、ご承知のとおり、日本中というよりも世界中の方々の期待を背負っているということを確認をしてご挨拶にしたいと思います。
どうも有難うございました。
本日はご参集誠に有難うございました。これを持ちましてJKS47テント広場前の月例祈祷会は終了させていただきます。
本日は本当に有難うございました。
(終)
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