私も関わっている「10・8山﨑博昭プロジェクト」では、6月に「ベトナム反戦闘争とその時代―10・8山﨑博昭追悼」展を開催する。併せて講演会も開催する。

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(チラシ写真)

以下、「10・8山﨑博昭プロジェクト・ニュースNo2」のお知らせから転載する。

◎展覧会と講演会のお知らせ◎
 6月7日(火)~12日(日)まで、東京・根津の「ギャラリーTEN」で、「ベトナム反戦闘争とその時代─10・8山﨑博昭追悼」展と題して、1960年代から70年代の日本のベトナム反戦闘争を記録写真と資料でふりかえる展覧会を開催します。写真家の北井一夫さんの協力を得て、10・8第一次羽田闘争の弁天橋の連続記録写真を初公開します。
 また、会期中の6月11日(土)、「第4回10・8山﨑博昭プロジェクト東京講演会」を、ギャラリー近くの「文京区不忍通り ふれあい館」で開催します。

 本展覧会は今秋(時期未定)、京都精華大学との共催で、同大学ギャラリースペースでも開催します。会期中に、同大学初代学長を記念した「岡本清一記念講座」で、山本義隆講演会があります(詳細は後日発表)。

***************【ご挨拶】*******************

 6月は国会南通用門で22歳の樺美智子さんが亡くなられた月、10月は18歳の弟が羽田で亡くなった月。
 私達はこの二つの月に反戦の集いを持ちつつ、来年の「10・8」50周年を迎えようとしています。
  「侵略戦争の銃は持たない。反戦の闘いには命をかける」。交わした数少ない弟の言葉の一つです。
 戦争できる国へ大きく舵を切った日本で、そうはさせない運動を大きく展開する時に、60~70年代の反戦運動を直視し、新たな糧とすることは大いに意義のあることだと思います。
 展示をご覧下さい。講演会にご参加下さい。
                 山﨑建夫(10・8山﨑博昭プロジェクト代表)
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◎山本義隆監修「ベトナム反戦闘争とその時代─10・8山﨑博昭追悼」展◎

期日:2016年6月7日(火)~12日(日) 11:00~19:00(土日は18:00まで)
会場:ギャラリーTEN (東京都台東区谷中2-4-2  電話03- 3821-1490)
主催:10・8山﨑博昭プロジェクト/協力:60年代研究会(代表・山本義隆)
入場無料

【企画趣旨】
 ベトナム戦争は戦争布告がないまま始まり、1975年に終結しました。この戦争をめぐって世界各国で反戦運動が拡がりました。本展は、当時の日本でのベトナム反戦闘争の軌跡を写真と資料で紹介し、現在から未来へつなげようとする試みです。
 1965年、米軍による北ベトナムへの空爆開始と南ベトナムへの上陸とともに、ベトナム戦争は本格化しました。ほぼ同時に日本では、ベ平連、三派全学連、反戦青年委員会、高校生運動が誕生し、反戦闘争が活発化しました。翌1966年には、立川基地拡張に反対して、砂川町の農民と全学連・反戦青年委員会の共闘が形成され、農民と学生と労働者との共闘体制は、その後の三里塚闘争にも引き継がれていきます。
 ベトナムでの米軍の軍事行動のエスカレーションに応じて、米軍の後方基地としての日本の役割は飛躍的に増大。それに並行して、反戦闘争は日本の戦争加担という事実と向きあっていくことになります。とりわけ、ベトナム戦争への加害者であることの自覚を日本人にうながしたのが、1967年10月8日の佐藤栄作首相の南ベトナムへの訪問強行でした。サイゴンの米国傀儡政権への政治的な梃子入れを目的としたこの訪問を阻止するために、学生・労働者は羽田で闘い、この闘いへの凶暴な弾圧のなかで、京大生・山﨑博昭君(18歳)が死亡しました。
 以後、日本の反戦闘争は激しさを増し、なかでもジャテックの活動は、米軍基地からの反戦米兵の脱走支援、さらには基地内での叛乱をうながす運動へ発展していきます。その後、日本国内のほぼすべての米軍主要基地において、反戦地下新聞が発行されるようになり、無許可離隊や命令拒否が続発するという事態が生まれます。それが世界最強を誇る合衆国の軍隊を内部から弱体化させ、1975年のサイゴン陥落、ベトナム戦争の終結に向かう遠因となったのでした。
 この1960年代半ばから10年近くの日本のベトナム反戦闘争は、学生・労働者・農民、そしてサラリーマンから主婦にいたるまで、広範な人々により、重層的な構造と広域的な拡がりをもって闘われました。また自衛隊内部からも反戦の声があげられました。
 本展「ベトナム反戦闘争とその時代」は、山﨑博昭君追悼とともに、かつての時代の一端を残存資料によって再現しようとするものですが、それはたんなる追憶にとどまらず、その時代の経験を後続の世代に継承させたいと願っての企画です。(展示監修・山本義隆)
*展示内容*
砂川基地拡張反対闘争の記録写真と資料/ベ平連とジャテックの活動記録/日本各地の米軍基地内での反戦地下新聞・機関誌/各地の市民運動の記録/第一次羽田闘争(1967年10月8日)の連続記録写真(撮影・北井一夫)/王子野戦病院反対闘争・佐世保闘争・三里塚闘争の記録写真/ポスター(粟津潔、他)、関連書籍、雑誌、新聞、写真集etc.

*会場では、会期中、毎夕(土日を除く)18:00から、1960年代から70年代の反戦闘争の記録映画の上映会を開催します。談論風発、討論歓迎。こぞってご参加ください。

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(ギャラリー写真)

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 (展示イメージ)

◎10・8山﨑博昭プロジェクト第4回東京講演会◎
戦争に反対する講演と音楽の夕べ
日時:2016年6月11日(土)  18:30開場、19:00開演
会場:文京区不忍通りふれあい館(東京都文京区根津2-20-7 電話03-3822-0040)
第1部/講演:「市民が戦争と闘った時代」
講師:和田春樹(元大泉市民の集い代表。歴史家。東京大学名誉教授)
第2部/音楽ライブ「明日」
出演:詩と音楽のコラボレーション集団VOICE SPACE
   小林沙羅(ソプラノ)、小田朋美(ピアノ・ボーカル)、豊田耕三(アイリッシュ・フルート)、関口将史(チェロ) http://voicespace.wix.com/voicespace
参加費:¥1000 
主催:10・8山﨑博昭プロジェクト
お問い合わせ・予約:E-mail: monument108@gmail.com

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(ふれあい館写真)
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◎ベトナム・ホーチミン市「戦争証跡博物館」での特別企画展について◎

 「ニュース№1」の続報です。ベトナム・ホーチミン市の「戦争証跡博物館」での「日本のベトナム反戦闘争の記録」展の開催については、現在、交渉を継続しています。賛同人の鳥口静雄さんの助力を得ました。詳細が決まり次第、今後のニュースでお知らせします。本年度の東京・京都での「ベトナム反戦闘争とその時代─10・8山﨑博昭追悼」展は、「戦争証跡博物館」での特別企画展の日本版として開催します。

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(戦争証跡博物館チラシ)

(ニュースNo1での報告)
【2015年8月18日/ベトナム・ホーチミン市「戦争証跡博物館」を訪問。1960年代から70年代の日本の反戦運動の歴史を記録する展示企画が決定!】

 戦争に反対するために立ち上がった「10・8山﨑博昭プロジェクト」の活動は、山﨑博昭の没後50周年となる2017年に、
(1)羽田・弁天橋の近くに、山﨑博昭を追悼するためのモニュメントの建立
(2)山﨑博昭の死因を究明し、この50年をふり返る記念誌の刊行
のふたつを目的として出発しました。その他に、当初から進行していた企画があります。1967年10月8日の第一次羽田闘争は、ベトナム戦争に反対する学生と青年労働者による闘いでした。その闘いについてベトナムの国民に歴史的な情報を伝え、未来につながる国際的な反戦運動の礎にしたい、という願いがありました。つまり、
(3)ベトナム・ホーチミン市(旧サイゴン市)の「戦争証跡博物館」に、山﨑博昭の遺影とともに第一次羽田闘争の記録を展示する、というのが、3つ目の目的でした。
 このため、在日ベトナム大使館の協力を得て、本年8月18日、発起人の辻恵、佐々木幹郎の二人が「戦争証跡博物館」を訪問。HUYNH HGOC NAN館長と面談し、わたしたちの希望を伝えました。館長は女性です。彼女は、自分を含めてベトナム国民は第一次羽田闘争の激しい闘いを誰も知らなかった。闘争の50年後にこのようなプロジェクトが山﨑博昭の友人たちを中心に進んでいることに感動する。ぜひ、ベトナムの若者たちにこのことを伝えたい、と言われました。その上で、わたしたちの提案を上回る、以下に示すような好意的な逆提案をいただきました。

*2017年1月~3月、「戦争証跡博物館」特別企画室で10・8第一次羽田闘争を中心に、日本の1960年代~70年代の反戦闘争の歴史を総括し、資料や写真などの記録を展示*

HUYNH HGOC NAN館長の提案の要旨は以下の通りです。
(1)地球の平和のために身を犠牲にして戦った山﨑博昭という日本の若者の存在について、ベトナムはもちろん、当博物館を訪れる外国人を含めた今の若者にぜひ理解してほしいので、特別企画展を開催したい。
(2)米軍に基地を提供していた日本で、日本全国にわたって反戦闘争が展開された事実を知らなかったし、日本国民の多くがベトナム戦争に反対した姿を資料として展示することは、ベトナムと日本の両国民の友好関係を築くために意義が大きい。
(3)1967年10月8日の第一次羽田闘争を中心として、1960年代から70年代にかけての日本のすべての反戦運動の歴史を具体的な資料によって紹介する展示会にしたい。
(4)当博物館の来場者は年間70万人。そのうちの70%は外国人。ベトナムで最大の入館者数を誇っている。
(5)博物館1階にある特別企画室では、毎年1月9日(1950年に抗仏戦争で虐殺された女子学生TRAN VAN ONの記念日)から、3月26日(ベトナム青年団設立日)までの期間、ベトナムの若者に向けた特別企画展を開催している。各大学・高校の学生たちに参加を呼び掛け、ピーク時には一日3000人が参加することもある。2013年の企画展では「戦火をくぐり抜けたアオザイ展」を開催した。
(6)当博物館での特別企画展が終了した後、ベトナム全国の大学を巡回する移動展示会を開催したい。そのとき日本のベトナム反戦闘争に参加した人たちと、ベトナムの若者との間でのトーク・セッションも企画したい。移動展示会では、年間20~30万人の観客数を見込むことが出来る。
(7)当博物館での3カ月の特別企画展と全国を巡回する移動展示会を終えた後、ベトナム国民の反応を確かめて、当博物館で永久展示する資料を選びたい。
(8)当博物館での特別企画展の期日として、2017年1月~3月を希望する。移動展示会を4月から始めれば、日本で開催される2017年10月の「10・8山﨑博昭プロジェクト」の50周年記念イベントにつなげることができるだろう。

 以上の提案を受け、今度はわたしたちが感動しました。ホーチミン市「戦争証跡博物館」館長からの提案によって、「10・8山﨑博昭プロジェクト」の目的と使命が鮮明になったと言えます。わたしたちはこの提案に全力で応えることにしました。

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今回の「ベトナム反戦闘争とその時代―10・8山﨑博昭追悼」展の目玉は、次の二つである。
一つは、写真家北井一夫氏の未公開写真の展示である。北井氏は、1967年10月8日の第一次羽田闘争の写真を撮っている。今回、第一次羽田闘争の記録写真のフィルム50数本の内、約半数のネガフィルムをベタ焼にしてギャラリーに展示する。40数年の時を経て、初めて公開される写真である。
二つは、ベ平連関係で、米軍基地内の反戦地下新聞の原本展示である。今まで殆ど知られていなかった、米軍内の反戦活動の貴重な記録である。
もちろんこれ以外にも、当時のベトナム反戦闘争に関わる多くの資料が展示される。ギャラリ-の展示スペースに限りがあるため、蒐集した資料を全部展示できないが、エッセンスの部分は展示できると思う。
また、展示期間中(土日を除く)、ギャラリー内で反戦米兵の映像上映などを予定している。
ギャラリーの初日には、17時からオープニング・パーティーを開催する。発起人も何人か参加するので、発起人と話をしてみたいという方は是非参加していただきたい。
展示期間中でも、何人かの発起人はギャラリーに来ているので、そこで話をすることもできる。
ギャラリ-内にテーブルとイスを用意しているので、いろいろな思いを語り合うこともできる。
なお、ギャラリーは参加無料であるが、お気持ちのある方はカンパをお願いしたいと思う。

6月11日(土)には、ギャラリ-の近くの「文京区不忍通りふれあい館」での講演もある。ギャラリー展示と連動した企画である。

この展示は「ベトナム反戦闘争の時代」を展示で振り返るものではあるが、決して思い出に浸るようなものではない。
過去の「戦争と闘った時代」の資料展示を通じて、「あの時代」の思いを現在、未来に生かしていくための展示である。
多くの方の参加を期待している。

(終)