昨年5月28日、「ベ平連」の元事務局長、吉川勇一氏が逝去された。No390で吉川氏を追悼して、「週刊アンポ」第1号に掲載された「市民運動入門」という吉川氏の記事を掲載したが、この記事は連載記事なので、吉川氏の追悼特集シリーズとして、定期的に掲載することにした。
今回は「週刊アンポ」第7号に掲載された「市民運動入門」第7回を掲載する。
この「週刊アンポ」は、「ベ平連」の小田実氏が編集人となって、1969年11月に発行された。1969年11月17日に第1号発行(1969年6月15日発行の0号というのがあった)。以降、1970年6月上旬の第15号まで発行されている。

【市民運動入門第7回 6・15方式と小西裁判 吉川勇一 「週刊アンポ」1970.2.9】
<新潟行動委員会の場合>
小西誠元航空自衛隊三曹のとった行動と「アンチ安保」の訴えは、今全国に大きな波紋をおとしている。地元の新潟をはじめ各地には「第二・第三の小西を!行動委員会」が生まれ、多様な行動を展開している。
とくに新潟行動委員会の活動は活発で、1月11日には、佐渡、高田、新発田と県内すべての自衛隊基地周辺に出かけて隊員に「アンチ安保」をはじめ、行動委のビラ手渡したし、18日には、新発田の自衛隊の記念日に公開体育祭の会場の中で唐手模範試合見学中の満員の隊員にビラを配り、二階から突き落とされ雪の中に投げ飛ばされるなどの暴行を加えられながらも隊員に反戦を訴えつづけた。ガリ版刷りながら、隊員に訴えるポスターが二種類、新潟行動委のニュース「叛軍」第三号までが発行されてもいる。四十代の電気工事請負業の人、三十代の大学講師、二十代の県庁職員、それに多くの大学生、さらには高校生、中学生までがこの行動委に加わって活動している。小西氏の行動に衝撃を受け、それぞれの立場から叛軍の活動を進めようという人びとである。
当然ながらそれらの人びとの思想的立場は多様である。ノンセクトの人が圧倒的だが、異なるセクトに属している人もいる。そこでは、小西氏のよびかけを支持し、自衛隊の中に反戦・反軍の行動を拡げようという行動を共同でおこす中で生まれてきた人間的信頼感と連帯感が、そのさまざまな立場の人びとを結びつけている。意見の違いや評価の違いはいくらもありながら、共通の行動がつくり出す濃い紐帯がそこには感じられる。
実際、どこのベ平連グループでも、反戦市民運動のグループでも、同じようなことだろう。思想・信条の違いは違いとし、ある時はそれについて徹底的に論じあい、批判しながらも、その中から新しい連帯、連合の思想がつくりだされていきつつあるのだ。
<6・15方式>
異なる勢力が共同してある行動を行おうという場合、そこにはある種の共通の諒解事項というか、約束事がいる。過去5年間のベトナム反戦市民運動がその行動の中からつくり出してきたものに6・15方式とよばれる考え方がある。一昨年初頭のエンタープライズ入港反対の行動の中できっかけがつくられ、その年の6月15日の大デモで市民・文化団体の共通の確認事項となり、さらに昨年の6・15でさまざまの政治団体や全共闘、反戦青年委員会などもそれを諒承して共同の大デモを成功させたやり方である。
簡単にいえば、まず共通の目標がある。思想・信条の差にかかわりなく、その目標に賛成する団体、個人に広く参加がよびかけられる。意見の違いは尊重される。相互の批判は自由である。しかし誹謗や中傷はお互いにつつしむ。だから、スローガンや行動の名称は最低限必要な一致をみるものにとどめ、それ以外にどのような主張を各自が自己のスローガンとして付加することもまったく自由となる。見解が異なれば、当然、その立場から選択される行動の形態は多様になる。行動形態を一つにしぼって制限したり、禁止したりしない。自己の団体、個人の責任において、形態は自由に選ばれてよい。ただし、それはまったく勝手というのではない。自分たちと違う思想をもち、違う行動形態を選ぶ人びとや団体がいることを認めるのだから、そうしたグループを含む全体との関連で自分の行動は選ばれなければならない。自分の行動が他のグループの行動を妨害したり、あるいは不本意にまきこんだりすることを避ける必要がある。
たとえばデモ。ゆっくり歩くグループがある。ジグザグをするグループがある。座り込むグループもあるだろう。その際、座り込んだグループがあとから進んでくるデモを通せんぼし、脇を通りぬけて進もうとする人たちに「逃げるのか!日和見!」などいわない。また通りぬける方も座り込みグループに対して「はね上がりの挑発主義者!」などといわない。選んだ形態はちがっても、その時の共通の目標に向かってたたかう同じ仲間だと考える。筋だけいえばそんなことになる。
しかし実際には、ともに共通の目標のために努力している仲間なのだという連帯感があれば、そんな非難の言葉が出ないどころか、座り込み行動をとらないグループも、それを囲み、それへの弾圧を警戒してともにたたかうことになるし、弾圧の危険を極力避けねばならぬ。たとえば子供連れのグループは、みんなで安全に守ろうとする努力がなされる。一昨年の6・15ではまさにそうだった。
<小西氏弁護団の場合>
いつの場合のどんな行動でもこの6・15方式が有効だというわけではないかもしれない。しかし、その考え方の根本にあるものは、小さな一つの市民運動グループの中でつくられつつある新しい人間関係と共通していると思う。
小西氏を支持し、三月から予定される裁判に勝利し、また自衛隊を解体させるための行動をおこそうという人びとの間には、もちろんさまざまな立場があるのであって、憲法を擁護し、自衛隊法は違憲だからという立場の人、人民の武装の権利は基本的人権であり、基本的人権を支える基礎なのだと理解する人、絶対非暴力主義の立場から軍隊の存在を否認する人、武装した国家権力に対抗し、社会変革を遂行する上で軍隊解体と人民総武装が必要だという立場をとる人など、かなり異なった考え方があるはずである。
そうした時、ある一つの立場を全体に強要したり、ある一つの立場を排除したりすることを主張するのは誤りだろう。
1月25日、新潟で開かれた小西氏の弁護団会議の際、一部の弁護士とグループから、新潟行動委員会のような団体が支援グループに加わることは、広範な国民の支持を失わせるから、支持グループから排除せよという主張がなされ、そうでないかぎり弁護は引き受けられないから手を引くとのべ、結局それまでの弁護団は一時解消することになってしまったという。非常に遺憾なことだと思う。
公判で勝利するには当然法廷技術上の検討と打ち合わせ、一致も必要だろう。しかし、被告の行動を制限したり、支援グループのあれこれの排除を要求したり、そうしないかぎり弁護しないなどと圧力をかけるなどということは間違っている。
弁護団の中にも当然さまざまな見解があり、それぞれの立場からの弁論が展開されるべきではあるが、被告には被告の、また支援行動グループにはそれなりの独自の立場と主張、行動があるのであって、それが相互に尊重されないかぎり、小西氏の行動がよびおこしたこの大闘争を信頼感を基礎にした広範な人びとによって勝利することは不可能になるだろう。
新潟行動委員会のやっていることが、運動を狭めるという非難は、私はまったく当たっていないと思う。このグループこそ、まず行動をもって小西氏のアピールに応えているのだ。それはともかく、6・15方式の適用は、このような場合、共同の場をつくるのに有効であるはずなのだ。
(終)
【お知らせ】
10・8山崎博昭プロジェクトでは、6月に以下の講演会を開催します。多くの方の参加をお待ちしています。是非、お申込みください。
◎10・8山﨑博昭プロジェクト第4回東京講演会◎
戦争に反対する講演と音楽の夕べ
日時:2016年6月11日(土) 18:30開場、19:00開演
会場:文京区不忍通りふれあい館(東京都文京区根津2-20-7 電話03-3822-0040)
第1部/講演:「市民が戦争と闘った時代」
講師:和田春樹(元大泉市民の集い代表。歴史家。東京大学名誉教授)
第2部/音楽ライブ「明日」
出演:詩と音楽のコラボレーション集団VOICE SPACE
小林沙羅(ソプラノ)、小田朋美(ピアノ・ボーカル)、豊田耕三(アイリッシュ・フルート)、関口将史(チェロ) http://voicespace.wix.com/voicespace
(注:東京芸術大学音楽学部の学生、院生、卒業生を中心とした現代詩を研究する音楽グループ。2004年に発足。)
参加費:¥1000
主催:10・8山﨑博昭プロジェクト
お問い合わせ・予約:E-mail: monument108@gmail.com
◎山本義隆監修「ベトナム反戦闘争とその時代─10・8山﨑博昭追悼」展◎
期日:2016年6月7日(火)~12日(日) 11:00~19:00(土日は18:00まで)
会場:ギャラリーTEN (東京都台東区谷中2-4-2 電話03- 3821-1490)
1960年代から70年代の日本のベトナム反戦闘争を記録写真と資料でふりかえる展覧会を開催します。写真家の北井一夫さんの協力を得て、10・8第一次羽田闘争の弁天橋の連続記録写真を初公開します。
主催:10・8山﨑博昭プロジェクト/協力:60年代研究会(代表・山本義隆)
入場無料

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