1967年10月8日、佐藤首相の南ベトナム訪問に抗議する第一次羽田闘争において、羽田・弁天橋で1人の学生が亡くなった。京大生山﨑博昭君。享年18歳。
この事件は「10・8ショック」と呼ばれ、社会に大きな衝撃を与えた。来年2017年には、この山﨑君の死から50年となる。
この没後50年を前に、「10・8山﨑博昭プロジェクト」が起ち上がった。プロジェクトでは、いまも、これからも私たちが戦争に反対し続けるという意思表示として、山﨑君の没後50年となる2017年に
1.山﨑博昭を追悼するためのモニュメントの建立
2.この50年を振り返る記念誌の発行
を企画し、その実現に向けた取組を進めている。

プロジェクトでは、この2つの目的のほかに、2017年1月にベトナムのホーチミン市にあるベトナム戦争証跡博物館での「日本のベトナム反戦闘争の記録」展の開催に向けて、資料の翻訳など準備作業を行っている。
 その経緯を「10.8山﨑博昭プロジェクト」ニュースNo1から見てみよう。

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(博物館パンフレット)

【2015年8月18日/ベトナム・ホーチミン市「戦争証跡博物館」を訪問。1960年代から70年代の日本の反戦運動の歴史を記録する展示企画が決定!】(プロジェクト・ニュースNo1より)

『戦争に反対するために立ち上がった「10・8山﨑博昭プロジェクト」の活動は、山﨑博昭の没後50周年となる2017年に、
(1)羽田・弁天橋の近くに、山﨑博昭を追悼するためのモニュメントの建立
(2)山﨑博昭の死因を究明し、この50年をふり返る記念誌の刊行
のふたつを目的として出発しました。その他に、当初から進行していた企画があります。1967年10月8日の第一次羽田闘争は、ベトナム戦争に反対する学生と青年労働者による闘いでした。その闘いについてベトナムの国民に歴史的な情報を伝え、未来につながる国際的な反戦運動の礎にしたい、という願いがありました。つまり、
(3)ベトナム・ホーチミン市(旧サイゴン市)の「戦争証跡博物館」に、山﨑博昭の遺影とともに第一次羽田闘争の記録を展示する、というのが、3つ目の目的でした。
 このため、在日ベトナム大使館の協力を得て、本年8月18日、発起人の辻恵、佐々木幹郎の二人が「戦争証跡博物館」を訪問。HUYNH HGOC NAN館長と面談し、わたしたちの希望を伝えました。館長は女性です。彼女は、自分を含めてベトナム国民は第一次羽田闘争の激しい闘いを誰も知らなかった。闘争の50年後にこのようなプロジェクトが山﨑博昭の友人たちを中心に進んでいることに感動する。ぜひ、ベトナムの若者たちにこのことを伝えたい、と言われました。その上で、わたしたちの提案を上回る、以下に示すような好意的な逆提案をいただきました。

*2017年1月~3月、「戦争証跡博物館」特別企画室で10・8第一次羽田闘争を中心に、日本の1960年代~70年代の反戦闘争の歴史を総括し、資料や写真などの記録を展示*

HUYNH HGOC NAN館長の提案の要旨は以下の通りです。
(1)地球の平和のために身を犠牲にして戦った山﨑博昭という日本の若者の存在について、ベトナムはもちろん、当博物館を訪れる外国人を含めた今の若者にぜひ理解してほしいので、特別企画展を開催したい。
(2)米軍に基地を提供していた日本で、日本全国にわたって反戦闘争が展開された事実を知らなかったし、日本国民の多くがベトナム戦争に反対した姿を資料として展示することは、ベトナムと日本の両国民の友好関係を築くために意義が大きい。
(3)1967年10月8日の第一次羽田闘争を中心として、1960年代から70年代にかけての日本のすべての反戦運動の歴史を具体的な資料によって紹介する展示会にしたい。
(4)当博物館の来場者は年間70万人。そのうちの70%は外国人。ベトナムで最大の入館者数を誇っている。
(5)博物館1階にある特別企画室では、毎年1月9日(1950年に抗仏戦争で虐殺された女子学生TRAN VAN ONの記念日)から、3月26日(ベトナム青年団設立日)までの期間、ベトナムの若者に向けた特別企画展を開催している。各大学・高校の学生たちに参加を呼び掛け、ピーク時には一日3000人が参加することもある。2013年の企画展では「戦火をくぐり抜けたアオザイ展」を開催した。
(6)当博物館での特別企画展が終了した後、ベトナム全国の大学を巡回する移動展示会を開催したい。そのとき日本のベトナム反戦闘争に参加した人たちと、ベトナムの若者との間でのトーク・セッションも企画したい。移動展示会では、年間20~30万人の観客数を見込むことが出来る。
(7)当博物館での3カ月の特別企画展と全国を巡回する移動展示会を終えた後、ベトナム国民の反応を確かめて、当博物館で永久展示する資料を選びたい。
(8)当博物館での特別企画展の期日として、2017年1月~3月を希望する。移動展示会を4月から始めれば、日本で開催される2017年10月の「10・8山﨑博昭プロジェクト」の50周年記念イベントにつなげることができるだろう。

 以上の提案を受け、今度はわたしたちが感動しました。ホーチミン市「戦争証跡博物館」館長からの提案によって、「10・8山﨑博昭プロジェクト」の目的と使命が鮮明になったと言えます。わたしたちはこの提案に全力で応えることにしました。

*今回の提案の受け止め及び今後の取組について*
(1)1960年代を中心とする日本の反戦闘争・反政府闘争に対する総括の場が、「戦争証跡博物館」での企画・展示という形で与えられたことの意義は大きい。
(2)必要な作業
◎1960年代を中心とする日本の反戦闘争・反政府闘争の実際のトータルな再現。
◎ベトナム反戦を軸に、全国の学園・職場・街頭での闘争と、学生・労働者・市民の運動の実態の掌握(旗・ビラ・ゼッケン・新聞・雑誌等印刷物などの資料、記録映画・ドキュメント映像と写真、論文・手記・評論・学術研究書等の収集)。
◎翻訳体制の整備(ベトナム語、英語の翻訳は不可欠)。
(3)実行体制
◎2015年末に、企画実行チームの設立と「60年代研究会(仮称)」を発足させる予定。』

 このベトナム展示の前に、日本版として、6月に東京・文京区のギャラリーTENで「ベトナム反戦闘争とその時代─10・8山﨑博昭追悼」展を開催した。また、10月には京都精華大学で、より規模を拡大した京都展示会を行う予定である。

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今まで、プロジェクトの事業を進めるために、賛同人を募集し、賛同人の方からは賛同金をいただいているが、この賛同金は、趣意書に書いてあるモニュメントの建立と記念誌発行のためのものである。新たな企画であるベトナム戦争証跡博物館における展示の費用は含まれていない。
このベトナム戦争証跡博物館の展示にあたっては、資料の翻訳、資料のベトナムへの輸送、展示準備のためのプロジェクト代表者等のベトナムへの渡航費用など、かなりの費用が見込まれる。そのため、今回、ベトナム戦争証跡博物館展示のためのクラウドファンディングを始動させたものである。
 クラウドファンディングの詳細は下記のアドレスからご覧いただくとともに、是非とも多くの方のご協力をお願いしたい。

【クラウドファンディングのページへGO!!】


ご協力をいただいた方には、お礼として、発起人である山本義隆氏の著書「私の1960年代」(要望に応じて自筆サイン入りも可)などを用意している。


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