重信房子さんを支える会発行の「オリーブの樹」という冊子には、重信さんの東日本成人矯正医療センターでの近況などが載っている。私のブログの読者でこの冊子を購読している人は少ないと思われるので、この冊子に掲載された重信さんの近況をブログで紹介することにした。
当時の立場や主張の違いを越えて、「あの時代」を共に過ごした同じ明大生として、いまだ獄中にある者を支えていくということである。
当時の立場や主張の違いを越えて、「あの時代」を共に過ごした同じ明大生として、いまだ獄中にある者を支えていくということである。
今回は「オリーブの樹」144号に掲載された重信さんの獄中「日誌」の要約版である。(この記事の転載については重信さんの了承を得てあります。)

<独居より 2018年8月9日~2018年11月8日>
8月9日 台風13号が千葉・茨城から北へと抜けたせいで、大雨は9日の昼頃から晴れ間にかわりました。明日からお盆明けの16日まで、このセンターは基本的に免業日が続きます。午前中、主治医の診察があり、この間の体温など曲線グラフに示してくれました。外部のウイルス感染でしょうとのこと。
(中略)
8月9日 台風13号が千葉・茨城から北へと抜けたせいで、大雨は9日の昼頃から晴れ間にかわりました。明日からお盆明けの16日まで、このセンターは基本的に免業日が続きます。午前中、主治医の診察があり、この間の体温など曲線グラフに示してくれました。外部のウイルス感染でしょうとのこと。
(中略)
8月17日 昨日連休が明けて、今日7月19日以来熱中症対策で禁止されていた屋外運動が許可されました。7階の一部分が屋上になっている自然芝の上で運動。来ない間に芝は伸び、カタバミと野げしの黄色の花があちこちに咲いています。でも、ちょうど風の道らしく、周りには草地で建物はないのに、風が吹き抜けます。日差しの下でなければ暑くない、30℃未満でしょうか。
(中略)
(中略)
8月23日 今日も昭島は33~24℃。屋外ではなく講堂2階の狭いスペースで運動。独房が3つ分位で、下から見えないようにと走るスペースは10メートル弱に2メートル幅くらい。壁に温度26度を示していました。建物内は26~29度位、場所によってもまちまちでしょう。室温は28度位か。廊下の冷気を取り入れるために一部扉になっているところを外すと、パンチメタルからもっと冷気が入る仕組み(東拘と同じ)ですが、私は寒くて開けません。
今日の新聞、横田基地にオスプレイを10月1日から正式に配備すると、政府は22日に発表したそうです。すぐに「横田基地の撤去を求める西多摩の会」が「沖縄の痛みを私たちも味わうことになる。共に闘っていく」と声をあげています。この昭島の医療センターのすぐ北側が立川市と福生市です。福生市の三分の一が横田基地。立川も福生も昭島も住民たちの方はなし崩し配備の不安を訴えているようです。基地撤去の活動は戦略的にも日米安保を問う命題です。強権的決定にむずかしい中、立ち上がる人々に連帯したいです。
(中略)
今日の新聞、横田基地にオスプレイを10月1日から正式に配備すると、政府は22日に発表したそうです。すぐに「横田基地の撤去を求める西多摩の会」が「沖縄の痛みを私たちも味わうことになる。共に闘っていく」と声をあげています。この昭島の医療センターのすぐ北側が立川市と福生市です。福生市の三分の一が横田基地。立川も福生も昭島も住民たちの方はなし崩し配備の不安を訴えているようです。基地撤去の活動は戦略的にも日米安保を問う命題です。強権的決定にむずかしい中、立ち上がる人々に連帯したいです。
(中略)
9月1日 「UNRWA」の拠出金のうち、米国は3.6億ドルの支払い責任がありながら、0.6億ドルしか払わず、今後はもう停止すると方向を打ち出しているとの米メディアのレポート。パレスチナの厳しい闘いがさらにひどくなるでしょう。この「UNRWA」の設置方針によるパレスチナ難民への拠出金は、パレスチナ人の「帰還の権利」をないがしろにするためのやり方だと、1949年の時から告発されました。イスラエルはパレスチナ人の帰還を拒否し、国連の機関「UNHCR」の参加を妨害して非政治的な人道機関として「UNRWA」をやっと認めました。「UNHCR」がまず、故郷への帰還を主張するため、イスラエルが妨害したのです。アラブ側は「この『UNRWA』によって、パレスチナ人の帰還の権利が侵されぬことを条件に」UNRWA設置を受け入れました。米・シオニストにとっては、金で帰還を阻止する道具として、これまで利用してきたのです。すでに和平交渉のアジェンダから「エルサレムはイスラエルのもの」としてはずさせようとしているように、トランプ政権はネタニヤフ政権のマイクロフォンと化しています。難民の数を減らさせて、(当時の国連発表でも72万人以上の難民は、現在550万人に増えており、それを減らす魂胆)。つまりは「帰還の権利」もまた、アジェンダから締め出そうと企んでいるようです。9月は「オスロ合意」25年目でもあり、シオニストはシオニストプランを実行に移しています。トランプも国内有権者の26%の福音派の票を集めようと、イスラエルと一体化している様子が分かります。
9月6日 新聞では台風21号の大きな被害が出ていますが、昼のニュースでは北海道が震度6強の地震とか。火山列島に原発再稼働は何と愚かなこと。人民新聞で小出裕章さんが圧力容器の土台も突きぬけ広がっている炉心は100年経っても取り戻すのは無理と、福島1・2・3号機の「炉心取り出し計画」破綻を指摘しています。その収束も出来ずにオリンピックだ「再稼働」だと安倍政権の政策はすでに「トルコ原発輸出」でも破綻しているというのに……。今日届いた資料の中に「レコンキスタ」(一水会)があり、一面に「クリミアで示した日本のプレゼンス」と、8月ロシア・クリミア共和国のヤルタでの百八十年祭に招待されて「一水会クリミア人道・文化訪問団」という形で演奏をやって大いに激賞されたという記事があり「ロックシンガーPANTAが『自分の目でクリミアを見てみたい』と参加した」ことを知りました。「平和の構築には武器よりも楽器が有効だ。音楽は国境を越える」と地元テレビのインタビューにPANTAさんが答えたとのこと。いいですね。元気に国境を越えて活動し続けている姿に連帯。
また資料の中にKさんが送って下った、72年のベイルートで私を追ったという週刊朝日の記事と、1978年1月号の月刊プレイボーイの「重信房子の詩」という記事。こっちは大驚きです。まったく覚えていなかった私のノートと詩。「文学少女だったと誰もが言う。あなたは『文学概論』を通じて4人の学生と知り合う。この黒い表紙のノートを憶えているだろうか。あなたが肌身はなさず持ち歩き、詩を書きつけたあのノートだ。1日5編も創作している詩作欲の旺盛さに我々は驚く(略)」という私へのメッセージをノートそのままと3頁にわたるいくつもの詩。じっと見ているうちに埋もれた何かが反応します。誰が持っていたのか、私のノート私の詩だからです。自分で驚いています。
「67年の夏休み学苑会合宿のハガキ」もそのまま宛名は伏せられていますが、これもびっくり。これは67年ではなく65年入学の時のことですが……。「昨日山中湖合宿からかえって来ました。何もがすべてあわただしく空しかったように思います。学習会は一度出ただけで、あとは一人でこの浜で思索(?)のためにボイコットしました。愚痴を言えば今の私はやはり文学をめざすべきだったということです。闘争の中の私は作為の私のようです。ではまた7/19」とあります。この一年生の時の19才の合宿は、伊波さんらがいて、山中湖の民青の赤旗祭とかちあってしまいました。民青の旗を降ろそう!と、いたずら好きの誰かが言い出しましたが、ちゃーんと寝ずの番をしていて叶いませんでした。そんなことを思い出しつつ、このノート誰が持っていたのだろう……このハガキは誰に……と何人かの顔がうかびますが、霞んでしまいます。驚きました。これ私?! と。
Kさん貴重な資料ありがとう。日本のメディアの記事は当時読んでいないので、今になって、そんなことも?! という記事に時々出会います。今回も。またKさんの記事も読みましたよ。9月30日朝日新聞「ゆとり教育」に関するコメント。日本に居なかった分歴史的流れはわかりませんが、Kさんのコメントは正鵠を射たものだと感じました。
また資料の中にKさんが送って下った、72年のベイルートで私を追ったという週刊朝日の記事と、1978年1月号の月刊プレイボーイの「重信房子の詩」という記事。こっちは大驚きです。まったく覚えていなかった私のノートと詩。「文学少女だったと誰もが言う。あなたは『文学概論』を通じて4人の学生と知り合う。この黒い表紙のノートを憶えているだろうか。あなたが肌身はなさず持ち歩き、詩を書きつけたあのノートだ。1日5編も創作している詩作欲の旺盛さに我々は驚く(略)」という私へのメッセージをノートそのままと3頁にわたるいくつもの詩。じっと見ているうちに埋もれた何かが反応します。誰が持っていたのか、私のノート私の詩だからです。自分で驚いています。
「67年の夏休み学苑会合宿のハガキ」もそのまま宛名は伏せられていますが、これもびっくり。これは67年ではなく65年入学の時のことですが……。「昨日山中湖合宿からかえって来ました。何もがすべてあわただしく空しかったように思います。学習会は一度出ただけで、あとは一人でこの浜で思索(?)のためにボイコットしました。愚痴を言えば今の私はやはり文学をめざすべきだったということです。闘争の中の私は作為の私のようです。ではまた7/19」とあります。この一年生の時の19才の合宿は、伊波さんらがいて、山中湖の民青の赤旗祭とかちあってしまいました。民青の旗を降ろそう!と、いたずら好きの誰かが言い出しましたが、ちゃーんと寝ずの番をしていて叶いませんでした。そんなことを思い出しつつ、このノート誰が持っていたのだろう……このハガキは誰に……と何人かの顔がうかびますが、霞んでしまいます。驚きました。これ私?! と。
Kさん貴重な資料ありがとう。日本のメディアの記事は当時読んでいないので、今になって、そんなことも?! という記事に時々出会います。今回も。またKさんの記事も読みましたよ。9月30日朝日新聞「ゆとり教育」に関するコメント。日本に居なかった分歴史的流れはわかりませんが、Kさんのコメントは正鵠を射たものだと感じました。
9月10日 読売新聞によると、アッバス大統領がイスラエル民間団体メンバーと面会した折、トランプ政権のクシュナー特使から中東和平構想として「ヨルダンと連邦国家のパレスチナ」を提案されたそうです。これは「オスロ合意」前の米政府やイスラエル労働党リクードらの「パレスチナ国家を作らせない」構想でした。アラファトは逆に「オスロ合意」で独立国家宣言後、積極的にヨルダンと連邦する戦略を描いていました。アッバスは「この連邦国家にイスラエルも参加するなら賛成する」と応じたと述べたそうです。イスラエルは連邦国家に応じる可能性は低く、提案は頓挫したらしいとの記事です。「オスロ合意」前ならヨルダンの主権下にパレスチナ自治区考えつつも、今では西岸は自分たちの領土として併合しているし、パレスチナ密住の自治区のみをヨルダン国家内の自治区にさせようという考えでしょうか。様々パレスチナへの戦略的締め付けが続きそうです。
9月12日 今日は久しぶりに屋上自然芝の上でウォーキング。昨日から7月以来初の温度20℃台に下がったのが続いて、さわやかないい気候です。
ちょうど、ウォーキングで汗が出てきた後半、「面会です」の声で中断して、ノート、法華経などを取りに部屋に戻り、面会室へ。11時頃でしょうか。面会室のドアについた小さな窓からN和尚を確認して面会室へ。ありがとうございます! と汗を拭き拭き挨拶すると、和尚は開口一番「そこにパンタさんが来てるんですよ。せっかく来たのに面会が許可されなかった」と伝えてくれました。「え?! アー何という……せっかく来てくださって申し訳ない」と、立て続けにお互いにその話。「今も現役で、今日も是非と……。ぼくはパンタさんのファンなんですよ。うれしい面会だったのに……」「クリミヤでのパンタさんの活躍、見たかった! 今も体調全然問題ないの?」など、法要の前にひとしきり残念会をやってから、兄の命日の法要と、少し早い彼岸法要をしてくださいました。
読経を終えると少ない時間、土曜会の友人たちの消息の話。時間は瞬く間です。「あと5分です」の声に早口になりつつ、パンタさんにお詫びと感謝と連帯の握手のリレーを、ガラス越しに手のひらをくっつけ合って伝えてほしいと頼みました。また新しい曲を作っていることでしょう。一度面会室で聴いた「ライラのバラード」も聞きたい。面会の帰り道、考えながら戻りました。和尚、ありがとう!
(中略)
ちょうど、ウォーキングで汗が出てきた後半、「面会です」の声で中断して、ノート、法華経などを取りに部屋に戻り、面会室へ。11時頃でしょうか。面会室のドアについた小さな窓からN和尚を確認して面会室へ。ありがとうございます! と汗を拭き拭き挨拶すると、和尚は開口一番「そこにパンタさんが来てるんですよ。せっかく来たのに面会が許可されなかった」と伝えてくれました。「え?! アー何という……せっかく来てくださって申し訳ない」と、立て続けにお互いにその話。「今も現役で、今日も是非と……。ぼくはパンタさんのファンなんですよ。うれしい面会だったのに……」「クリミヤでのパンタさんの活躍、見たかった! 今も体調全然問題ないの?」など、法要の前にひとしきり残念会をやってから、兄の命日の法要と、少し早い彼岸法要をしてくださいました。
読経を終えると少ない時間、土曜会の友人たちの消息の話。時間は瞬く間です。「あと5分です」の声に早口になりつつ、パンタさんにお詫びと感謝と連帯の握手のリレーを、ガラス越しに手のひらをくっつけ合って伝えてほしいと頼みました。また新しい曲を作っていることでしょう。一度面会室で聴いた「ライラのバラード」も聞きたい。面会の帰り道、考えながら戻りました。和尚、ありがとう!
(中略)
9月13日 今日は「オスロ合意」から25年目の日です。当時、アラファト議長に対して、PFLPやパレスチナの10組織ばかりか、ファタハの中心で外相級の任にあったPLO政治局長ファルーク・カドゥミ、詩人のダルウィシュやエドワード・サイードが、事態を知った8月から、オスロ合意の罠を、声を大にして訴えました。当時の「インティファーダ(87年からずっと続いていた人民蜂起)を終わらせるためのイスラエルの手口だ」「この合意は、イスラエル占領に合法性を与えるものだ」「PLOの憲章違反だ」etc. ふりかえると、当時窮地にあったアラファトが、PLO議長辞任要求の中で起死回生の転換を図ったのが「オスロ合意」でした。ソ連・東欧の崩壊を直視し、米国の仲介イニシアチブにパレスチナ独立を夢想したのです。しかし「オスロ合意」にはパレスチナ独立国家については書かれておらず、アラファトの夢を人々に語り続けたにすぎませんでした。アラファトがイスラエルの傀儡となることを拒むと米は協力しなくなり、ブッシュ大統領になると率先してアラファト追放を主張し、イスラエルシャロン首相はアラファト殺害まで主張し、国連総会では、アラファトの殺害をしないよう決議したほどです。でも結局殺されました。誰が手を下したか不明ながら、パレスチナ人は誰がやったかは知っています。
ネタニヤフ政権になると、結局パレスチナ併合に舵を切り「二国共存」は放置されたままです。トランプ政権は、アラファトが「オスロ合意」で棚上げに同意した「エルサレム問題」は、イスラエルに譲れ、「入植地」は認めろ、「帰還の権利」は認めない、というシオニストの主張に同意させるために財政的締め付けです。その上で、「二国共存」を持ち出すでしょう。つまり今、自治政府が治安・行政統治している西岸地区の20%プラス自治政府が行政を、治安はイスラエル軍による20%で、「国家」をつくらせ、それをイスラエルかまたはヨルダンの主権の下に置かせようとするでしょう。今もイスラエルが治安・行政を握っている西岸60%の併合を企み、パレスチナ人口密住地域を切り離す考えなのです。
25年目の「オスロ合意」は、占領を合法化する軍事力経済力に圧殺され、既に破綻しています。それでも「オスロ合意」にアッバースらが、イスラエルと治安共同まで続けているのは、「オスロ合意」で生まれた各国支援に財源を依存して成立している自治政府だからです。25年、自力の道筋はイスラエルに封鎖され、邪魔され、進みえなかったとしても、あまりの依存。今が正念場のパレスチナ自治政府です。パレスチナ人全体の一部でしかない自治政府は、より多くのパレスチナの内外に住む難民多数派も後まわしにしてきたツケが問われています。
ネタニヤフ政権になると、結局パレスチナ併合に舵を切り「二国共存」は放置されたままです。トランプ政権は、アラファトが「オスロ合意」で棚上げに同意した「エルサレム問題」は、イスラエルに譲れ、「入植地」は認めろ、「帰還の権利」は認めない、というシオニストの主張に同意させるために財政的締め付けです。その上で、「二国共存」を持ち出すでしょう。つまり今、自治政府が治安・行政統治している西岸地区の20%プラス自治政府が行政を、治安はイスラエル軍による20%で、「国家」をつくらせ、それをイスラエルかまたはヨルダンの主権の下に置かせようとするでしょう。今もイスラエルが治安・行政を握っている西岸60%の併合を企み、パレスチナ人口密住地域を切り離す考えなのです。
25年目の「オスロ合意」は、占領を合法化する軍事力経済力に圧殺され、既に破綻しています。それでも「オスロ合意」にアッバースらが、イスラエルと治安共同まで続けているのは、「オスロ合意」で生まれた各国支援に財源を依存して成立している自治政府だからです。25年、自力の道筋はイスラエルに封鎖され、邪魔され、進みえなかったとしても、あまりの依存。今が正念場のパレスチナ自治政府です。パレスチナ人全体の一部でしかない自治政府は、より多くのパレスチナの内外に住む難民多数派も後まわしにしてきたツケが問われています。
9月21日 昨日に続いて今日は朝から雨。今年の9月は暑くないまま彼岸を過ぎそうです。
ちょうど人民新聞9/15が届いて、川崎市で行われた8月29日からのイスラエル軍事見本市抗議のことが一面に報告されています。川崎市とどろきアリーナがイスラエル軍事見本市会場ですが、初日には約200人が反対と抗議のアピールの上、一斉にダイ・インを行ったそうです。「武器輸出反対ネットワーク」の呼びかけで地元住民とつながり「川崎でのイスラエル軍事エキスポに反対する会」が発足し、2カ月前から活動してきたようです。ソフトバンクも開催前々日の抗議行動に「参加を見送った」との返答。ブースにはイスラエル企業の武器と一体のセキュリティカタログ。「セキュリティ先端技術は武器ではない」との市民らの考えに対し、市民らの声が「とどろきアリーナ条例の使用目的や核兵器廃絶平和都市宣言に照らして開催反対」と、開催反対を訴えていました。イスラエルの先端技術はパレスチナ人の犠牲と人体実験によって進化し続けており、見本市をスムーズにどこでも開催させようとする動きに、強力なストップを求める行動が行われたことは大変重要なことだと思います。連帯!
(中略)
ちょうど人民新聞9/15が届いて、川崎市で行われた8月29日からのイスラエル軍事見本市抗議のことが一面に報告されています。川崎市とどろきアリーナがイスラエル軍事見本市会場ですが、初日には約200人が反対と抗議のアピールの上、一斉にダイ・インを行ったそうです。「武器輸出反対ネットワーク」の呼びかけで地元住民とつながり「川崎でのイスラエル軍事エキスポに反対する会」が発足し、2カ月前から活動してきたようです。ソフトバンクも開催前々日の抗議行動に「参加を見送った」との返答。ブースにはイスラエル企業の武器と一体のセキュリティカタログ。「セキュリティ先端技術は武器ではない」との市民らの考えに対し、市民らの声が「とどろきアリーナ条例の使用目的や核兵器廃絶平和都市宣言に照らして開催反対」と、開催反対を訴えていました。イスラエルの先端技術はパレスチナ人の犠牲と人体実験によって進化し続けており、見本市をスムーズにどこでも開催させようとする動きに、強力なストップを求める行動が行われたことは大変重要なことだと思います。連帯!
(中略)
10月2日 沖縄知事選、過去最多得票8万票の大差で勝利したのを、遅ればせに知ってうれしいです。“沖縄に翁長後継知事誕生本土の民は助けられたり”と一首。
10月に入って晴天。今日は屋上へ。台風で、プラスチックの斜めの柱で囲われ、その内側が鉄格子で、外は隙間から覗き見しか出来ないのですが、強風でプラスチック柱が早くも(まだ一年も経っていない)2枚壊れたらしく、抜けて外界がみえます。道路隔て、隣の昭和記念公園の森がみえます。外がみえるとホッとします。八王子では自然のまま地面にも触れていたのです。今頃、八王子のキンモクセイは花盛りでしょう。
10月に入って晴天。今日は屋上へ。台風で、プラスチックの斜めの柱で囲われ、その内側が鉄格子で、外は隙間から覗き見しか出来ないのですが、強風でプラスチック柱が早くも(まだ一年も経っていない)2枚壊れたらしく、抜けて外界がみえます。道路隔て、隣の昭和記念公園の森がみえます。外がみえるとホッとします。八王子では自然のまま地面にも触れていたのです。今頃、八王子のキンモクセイは花盛りでしょう。
10月6日 築地の市場が83年の今日、終幕です。私には小学校の一、二、三年の頃、父にねだって早朝の仕入れに連れて行ってもらった、ワクワクする場。築地に行ける日は、頑張って朝4時に起きて、玉電で渋谷に。それから都電で、朝買い出しのおじさんたちに混じって、青山から銀座を通って築地へ。鮮魚、乾物と市場をあちこち回って、大人たちの掛け合いを、じっと観察するのが大好き。父は武士の商法で、かけひきが下手だなぁーと、子供心に思いながら。もう私にとっても65年くらい前の築地ですが。
(中略)
(中略)
10月12日 今日は若松監督の命日。七回忌です。何かの記事で若松監督の映画ができたとありました。今頃上映されているのでしょうか。合掌。
受け取った資料の中にKさんからの本「あの明治大学がなぜ女子高生が選ぶ№1大学になったのか」という長いタイトルで「奇跡を起こすブランドポジションのつくり方」(上阪徹著)とあります。へーえ明大が?! と思いつつ読んでいくと、大学の様変わりがよく判ります。「オシャレな美男美女多し」とか「志願者数11年連続10万人超」「米国のディズニー・ワールドに留学できる」和泉校舎の「ガラス張り図書館に毎日5000人」「就職サポート充実」など、キャンパスから門も壁も取り払いモダンの先端を行く大学。私たちの時代とは一世紀の開きのあるような……大学の中にはびこる資本と産業社会の姿をこれでいいのか……という思いで読んでいます。
(中略)
受け取った資料の中にKさんからの本「あの明治大学がなぜ女子高生が選ぶ№1大学になったのか」という長いタイトルで「奇跡を起こすブランドポジションのつくり方」(上阪徹著)とあります。へーえ明大が?! と思いつつ読んでいくと、大学の様変わりがよく判ります。「オシャレな美男美女多し」とか「志願者数11年連続10万人超」「米国のディズニー・ワールドに留学できる」和泉校舎の「ガラス張り図書館に毎日5000人」「就職サポート充実」など、キャンパスから門も壁も取り払いモダンの先端を行く大学。私たちの時代とは一世紀の開きのあるような……大学の中にはびこる資本と産業社会の姿をこれでいいのか……という思いで読んでいます。
(中略)
10月19日 今日は引越し。転房となり、南向きに変わりました。最初に入った明るい房。ほんの少しプラスチック柱の隙間から見える公園の森が色付きつつあるのが分かり、「秋!」と、思わず呟きました。同じ広さの房でも、ほんの10㎝の隙間で広がり感は大違い。南向きなので、太陽の影も月の変化も見られてうれしい。
新聞では、サウジアラビアのジャーナリスト、カショギ氏の殺害に皇太子関与か? などと語っていますが、関与は当たり前で、国際社会の批判に驚いているのは、王室と大半の国民でしょう。絶対王政・暴政の支配を隠した衣装が少し綻びを見せ始めました。米欧は、もともとサウジの暴政を知っています。シリアなどアサド政権に対する人権・人道を口やかましく糾弾する米欧のダブルスタンダードで隠して来、石油利権をむさぼっていたに過ぎません。サウジは「サウド家の国」という国名に示される国。
新聞では、サウジアラビアのジャーナリスト、カショギ氏の殺害に皇太子関与か? などと語っていますが、関与は当たり前で、国際社会の批判に驚いているのは、王室と大半の国民でしょう。絶対王政・暴政の支配を隠した衣装が少し綻びを見せ始めました。米欧は、もともとサウジの暴政を知っています。シリアなどアサド政権に対する人権・人道を口やかましく糾弾する米欧のダブルスタンダードで隠して来、石油利権をむさぼっていたに過ぎません。サウジは「サウド家の国」という国名に示される国。
10月20日 新しい房から朝9時には太陽が直接見えました! 6、7月この部屋にいたのですが、軌道が少し上で、直接見えませんでしたが、10月になって、ちょうどすれすれの視界に太陽がまぶしい! これは「初日の出」を見られるか? と楽しみです。
10月21日 昨日の夕刊と今日の朝刊が届いて、「サウジ、記者死亡認める」「総領事館での過失主張」「18人拘束・王族に言及せず」のサウジ政府発表。殺人主犯が、その裁判官をやるのでは、アラブ世界は大いに笑いに湧いていることでしょう。ムハマド皇太子をトップとする委員会で、情報機関の再編見直しを行おうとするのですから。アラブは、独裁者の強権に耐える一つの術として、「小話」にして権力者を笑いものにするのが常々です。どんな小話が巷に伝わっているのか聞きたいところです。サウジもヨルダンも王政は、都合が悪くなると、王室の責任逃れで、責任者を作り上げて拘束したり、更迭・辞任で局面を変えるのです。米・欧のうるさい追及から逃れるためです。殺されたジャマル・カショギはきっと、有名だった70年代の武器商人のカショギ一族かもしれません。石油相だったヤマーニの娘もそうですが、米欧で教育を受けた人の中には、あまりのサウジの野蛮な王政に、国内に留まれず、異議申し立てをする者が多くいます。50年代には、ナセルの民族主義がアラブ中を席巻した時、サウジでも自由プリンス運動で、王族も立憲君主制をめざして立ち上がりましたが、弾圧でエジプトに亡命した中に、サウード王の息子の一人も居ました。後に謝罪して帰国。王室の人は殺されず戻れちゃうのです。でも、彼は王政継承叶わず、彼の息子は最初からビジネスに転身した、サウジ一の大金持ちのタラール王子。去年11月には、ムハンマド皇太子に逮捕拘束されて、巨額をふんだくられました。サウジは、王政打倒なしに民主化は成り立たないのですが、金にものを言わせていて、米国もトランプも目が眩んでいますね。
今日は50年目の10・21。ちょうど、円山公園秋晴れの下、沖縄の勝利が、そしてこれからの困難が語られているのでしょうか。50年前、前田さん達のブントの防衛庁への進撃。喧噪の中大中庭や明治の学館前の集会を思い出します。米・欧でもベトナム反戦が闘われていた日です。10・21国際反戦共同の連隊再び! と願いつつ。
(中略)
今日は50年目の10・21。ちょうど、円山公園秋晴れの下、沖縄の勝利が、そしてこれからの困難が語られているのでしょうか。50年前、前田さん達のブントの防衛庁への進撃。喧噪の中大中庭や明治の学館前の集会を思い出します。米・欧でもベトナム反戦が闘われていた日です。10・21国際反戦共同の連隊再び! と願いつつ。
(中略)
10月25日 先週壊れたプラスチックの柱の間に富士山を“発見”して以来、ベランダ運動でラジオ体操が終わり自由行動の号令が掛かるとみな走り寄って西側の隅へと富士山を見に。頭上は今日も青空なのに西の方は雲と曇り空で見えませんでした。
(中略)
(中略)
11月1日 窓の端に少し見える森(昭和記念公園らしい)の木々が少しずつ変化し、銀杏らしい一角は、鮮やかな黄色で青空と美しい対比をなしています。
フリースのジャンパーが支給され、午前10時頃の屋上30分の運動には、みんなそれを着ています。
少し寒くなったからです。着ていないのは私くらいです。ラジオでは、辺野古工事を再開とのニュース。
(中略)
フリースのジャンパーが支給され、午前10時頃の屋上30分の運動には、みんなそれを着ています。
少し寒くなったからです。着ていないのは私くらいです。ラジオでは、辺野古工事を再開とのニュース。
(中略)
11月8日 今日は逮捕記念日。もう18年目を数えたことにびっくりしています。逮捕の時、友人・仲間たち・海外の仕事のこと、様々を考えながら今後の生き方・あり方を考えました。本名を久しく使うことはありませんでしたが、そこから再生していこう。何よりも被害・迷惑が及ぶだろう方々に、謝罪では済まないだろうけれども、そこから始めなければならないし、同志たちに与えるダメージを、どう乗り越えていったらいいのか……自分らしく再出発しようと、東京へと連行される新幹線の車窓から稲荷の広がる色付いた秋をみつめながら考えました。旧友、仲間たち、新しい友情、みんなに支えられて、それがいつも私の力の源泉でした。そして家族たちの私への信頼は、母、姉、メイを始め、私に暖かい安心を与えてくれました。もう18年もたったのですね。母も彼岸の人となり、西浦さんら友人も、丸岡同志も逝ってしまいました。
“巡りくる逮捕記念日十八年秋雨見詰めつ生き延びよと声”“やっぱり良い人生だったと振り返る山あり谷あり逮捕記念日”
2009年の癌の発見から、幸運と良いドクターに出会って、4回の開腹手術で、9か所の癌を摘出して生き延びてきました。何もできず、唯、支えられながら好奇心を楽しみ、生きてこられたのは様々な方々の交流のおかげです。良い人生を個人的には過ごしてこられたことを、多くの責任と反省を抱えながら、いつもありがたいことと感謝してきました。まだ先は長く「自由への道」は遠いですが、これまで歩んできた18年に較べれば短い時間になりました。何とか生きてみんなと直接手を握り、語りたい! そんな思いで、これからも生命を大切に生き続けようと思います。それもまた、責任の一つだと思っています。みんなに感謝し、また、反省を込めて再会を誓います。
“本名で自己批判から再出発唇(くちびる)かみしめ逮捕のあの日”(中略)
米国は、下院の新しい力が楽しみです。日本でも来年は参院選!
“巡りくる逮捕記念日十八年秋雨見詰めつ生き延びよと声”“やっぱり良い人生だったと振り返る山あり谷あり逮捕記念日”
2009年の癌の発見から、幸運と良いドクターに出会って、4回の開腹手術で、9か所の癌を摘出して生き延びてきました。何もできず、唯、支えられながら好奇心を楽しみ、生きてこられたのは様々な方々の交流のおかげです。良い人生を個人的には過ごしてこられたことを、多くの責任と反省を抱えながら、いつもありがたいことと感謝してきました。まだ先は長く「自由への道」は遠いですが、これまで歩んできた18年に較べれば短い時間になりました。何とか生きてみんなと直接手を握り、語りたい! そんな思いで、これからも生命を大切に生き続けようと思います。それもまた、責任の一つだと思っています。みんなに感謝し、また、反省を込めて再会を誓います。
“本名で自己批判から再出発唇(くちびる)かみしめ逮捕のあの日”(中略)
米国は、下院の新しい力が楽しみです。日本でも来年は参院選!
(終)
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次回は2月8日(金)に更新予定です。
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