このブログでは、重信房子さんを支える会発行の「オリーブの樹」に掲載された日誌(独居より)や、差し入れされた本への感想(書評)を掲載している。
今回は、差入れされた本の中から「思い出そう!一九六八年を!!山本義隆と秋田明大の今と昔」の感想(書評)を掲載する。
(掲載にあたっては重信さんの了解を得ています。)
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【「思い出そう!一九六八年を!!―山本義隆と秋田明大の今と昔」(編著者・板坂剛と日大芸術学部OBの会・鹿砦社刊)】
 「思い出そう!一九六八年を!!―山本義隆と秋田明大の今と昔」(編著者・板坂剛と日大芸術学部OBの会・鹿砦社刊)を読みました。2018年は1968年から50年目、いくつかの特集が組まれています。
 「“彼ら"は何の為に闘ったのか?“彼ら"=全学共闘会議(略称「全共闘」)に集まった若者たちの役割は何だったのか」。“彼ら"の指導者、山本義隆と秋田明大を比較検証しながら、今だから見えるそれを探ろうとしているのがこの本です。「“彼ら"の末席を汚していた私」が探しているのは、「自分が遭遇したあの劇的な一時期、著者に活気を与えた“時代"の正体である」と著者は記しています。そうか……そうなのだ、日本ではあの時代は「あの劇的な一時期」であり、私の中では決して一時期ではなく、パレスチナ戦場でずっと続いていて今ここに囚われているのだ……と改めて思い至りつつ読みました。
 この本の中では、かつての日大全共闘(芸闘委・芸術学部闘争委員会)の中で果敢に闘った著者たちが、山本義隆と秋田明大を軸に68年のあの東大時計台前を万余の学生たちで埋めた11・22や、秋田明大逮捕の69年2月12日、山本義隆逮捕の9月5日など、時代と二人の人物―水と油のような―の比較をしながら闘いの日々の時代を掴みだそうとする内容は興味深いものです。全共闘の人々が好きで感情移入していた「網走番外地」や「昭和残侠伝」含めた文化論も面白く読みました。そして、著者の目線は東大全共闘の1月18日、19日の闘いを経て20日、東大入試中止決定に追い込んだ余勢をかつて、日大の2月の入試を中止させることが出来たはずだととらえ返し、そうすれば68年11・22で提起された「全国学生統一戦線」はより生々しく実現されていただろう。今から思えば千葉動労などと組んで出来たと思うが、当時誰も考えつかなかった……と述懐しています。私もアラブ戦場から日本をみた時、何度も同じような想いで、当時の闘い方の(特に党派の)何と直情的で稚拙なやり方だったか……と反省を込めて思うことがありました。私自身のあの時の個人的体験を思い返せば、69年1月18日19日には東大闘争支援の神田・御茶ノ水、本郷カルチェラタン闘争の中にいました。そしてその直後から大量逮捕で東大組含めて救援体制に追われていました。それが一段落すると社学同の次の闘いの方向、新入生オルグとか、4・28沖縄闘争へと視点が向けられていって、隣人である日大闘争と共同する視野に欠けていました。それは日大闘争が東大闘争と違って、良くも悪くも党派のコミットメントが少なく、私たちには十分な回路をもちえなかったせいかもしれません。
 あの時代日本ばかりか世界も共通していました。西独赤軍のアスリッド・ブロールが当時を回想して、「信じられないだろうが、あの頃世界で一番夢みたいな話は、ロックスターになる事ではなく革命家になることだった」と述べています。この本の著者も、「60年代の若者たちは仕組まれた大人社会の管理に背をむけて、純粋に自分たちの願望と欲望をストレートに表出する行為を望んでいた」と述べているように、全共闘運動は正義性をもってその機会を爆発させたのだと思います。その分、大学当局は体育会や警察と共に運動の合法性を収奪し「犯罪者化」して社会運動の変革の芽を摘もうと潰したのです。
 日大の場合は68年9月30日、3万人を超える大衆団交で古田理事会が非を認め、学生の求めた改革案を受け入れると、時の首相佐藤が翌日に学生たちを非難して反転させます。勢いづいた古田理事長らは居直り、逆に秋田明大ら全共闘の学生らに逮捕状を執行しています。同様に、69年安田講堂攻防後の1月20日入試中止を余儀なくされた当局と権力は、同日、山本義隆の合法性を逮捕状で剥奪してしまいました。大衆運動にあっては、指導者への逮捕状は非合法化=「犯罪者化」される中で運動が権力に肉薄しきれず、社会と隔てられると希望のベクトルは奪われます。また、自分の反省を込めて言えば、党派の政治利用主義と急進化がそれに拍車をかけたといえます。全共闘運動は全国連合を結成した69年9月5日、会場に入るところで当日、山本義隆が逮捕されて以降、全国全共闘の流れは、分散、または個別化して力を失っていきました。
でも、全共闘とは何だったのかと問う時、この本に記された一つの事例に私は、その価値を見ます。かつて日大全共闘として闘った人々の「9・30の会」は、68年9月30日の団交で一度は勝利しながら、政権と結託して居直った理事会に敗北させられた50年前の現実を、「日大アメフト事件」に現れた今の田中理事会体制が同じ体質で温存されてきたことを告発しました。そして2018年6月10日声明で、田中理事長以下全理事の退陣を求めました。あの時代の正義と良識は、闘った人々に中に生き続けていることを証明しており、この本の中に収録されたその声明文を胸熱く読みました。
 また、本の中で初代の芸闘委行動隊長の岩淵進のことに触れていて、彼を改めて思い出しました。70年、「映画批評」の事務所で椅子に馬乗りに坐って、高坂さんと花札を何時間も繰り返し、時々放心したように虚空を睨んでいた姿です。そんな時、目が合うと「壊れちゃったんだよ」と道化てニッと少し笑い、また花札を切っていた姿。
 純粋に立ち向かい、夢の実現に跳躍したものの傷の深さはあの時代の多くの若者の姿だったかもしれないと思います。私の方は海外に出て、あの祭りのような嵐のような全共闘や党派の時代の風のまま闘い、自惚れた「使命感」と人間的日々を主観的にはずっと継続し続けていて、その分私は傷が深いのかもしれないと思いつつ1968年を読んでいます。     (2018年11月24日記)

【本の紹介】
板坂剛と日大芸術学部OBの会=編

『思い出そう! 一九六八年を!!
山本義隆と秋田明大の今と昔……』

(紙の爆弾2018年12月号増刊)680円
1968年、全共闘は国家権力と対峙していた。
戦後資本主義支配構造に対する「怒れる若者たち」
当時の若者には、いやなことをいやだと言える気概があった。
その気概を表現する行動力があった。
権力に拮抗した彼らの想いを知り、差別と排除の論理が横行する現代を撃て

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