重信房子さんを支える会発行の「オリーブの樹」という冊子には、重信さんの東日本成人矯正医療センターでの近況などが載っている。私のブログの読者でこの冊子を購読している人は少ないと思われるので、この冊子に掲載された重信さんの近況をブログで紹介することにした。
当時の立場や主張の違いを越えて、「あの時代」を共に過ごした同じ明大生として、いまだ獄中にある者を支えていくということである。
今回は「オリーブの樹」145号に掲載された重信さんの獄中「日誌」の要約版である。(この記事の転載については重信さんの了承を得てあります。)

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<独居より  2018年11月13日~2019年2月12日>
11月15日 今日は例年より十数日遅く初霜が下りたとラジオが伝えています。例年より暖かい小春日和が続いていて、今日の快晴は隙間の富士山もきれいです。もう作務衣木綿(パジャマ)の上にフリーズジャンパーを羽織ってもいいかな……と思いつつ、そのまま作務衣だけで屋上に出ると風があって寒い程でした。でもウォーキングしているうちに身体が熱くなります。
(中略)
11月19日 夜のニュースで、日産のカルロス・ゴーン会長逮捕。特捜部は国民的関心事の財務省改ざん問題に動かなかった割に、一民間人に周到に手ぐすね引いて羽田で逮捕には、大きな違和感です。ゴーンの強欲さを擁護する考えはないですが、「司法取引」は、益々日本の警察国家化・検察の「正義の独占」を確立したことを示しています。会社の一部と権力が共謀して、排除したい人物を司法取引で排除し、会社は安泰、というモデルがこれから増えそうです。「別件逮捕」の名人たちですから、やろうとしたら「司法取引」何でもありで、陰険な権力の恣意的民事介入が今後とも続きそうな日本。ゴーン会長の拘留がどうなるのか、日本の遅れた司法のシステムを世界に訴える良い機会かもしれません。日本は、否認すれば公判まで長期拘留されることなど、世界のスタンダードと大違いですから。
(中略)
11月21日 今日は八王子で毎年恒例だった国府弘子さんと早稲田桜子さんジャズライブコンサートがありました。いつも梅雨の季節だったので、こちらではイベントなしなのかと思っていましたが、昭島センターでの初ライブです。でも八王子の講堂ではわずか数メートルから十数メートルの距離で動き回って肌感覚で楽しめたのですが、昭島センターの講堂は少し大きめですが、2階がすごく高い位置にあり、そこから観賞するので、なんだかがっかりでした。ステージ台を使わず平場で演奏してくれているのですが、こちらはプラスチック板越しの高い位置からで。八王子の時と違います。でも、「枯葉」からビートルズナンバー、それに新しい曲もバイオリンとピアノの競演を楽しみました。オリジナル曲の「ノスタルジア」と「スターランド」が特に良かったです。1時間の演奏を楽しみました。
11月22日 今日の空は昨日の快晴から転じて暗く、降りそうな寒い日です。
今日はフリースのジャンパーを着て屋上に行こうと準備をしていたら、10時過ぎN和尚の法要面会で、フリースを脱いで面会室へ。多忙の中感謝!
一般の友人が面会不許可なので、できるだけ月一回法要面会に来て下さるとのこと。申し訳ないですが、ありがたいことです。今月には遠山さんの御遺族にも会われるとのこと。体調のこと、土曜会は12月1日ですが皆も元気にしていることなど話してくださって、いつもニコニコ、お坊さんの包容力を感じます。(昔は目の色変えて学園闘争中だったことも……!)
(中略)
11月25日 今日の新聞に「星野文昭さんを自由に」の新聞全面広告!すごい。紙面は不屈の力の結晶のよう。感激しました。一度「さわさわ」が表紙の絵を星野暁子さんから許可を得て、載せていたのを思い出します。一刻も早い釈放をと、心から連帯します。
(中略)
11月27日 今日は11月コーラスの日。「365日の紙飛行機♬」(編集室註:数年前のNHK朝ドラ「あさが来た」のテーマソング)というAKB48の歌と「古時計」「花は咲く」の3曲を思い切り歌いました。(中略)
今日珍しい蝉を発見しました! “晩秋にはぐれ一匹油蝉獄の六階仰向けに果てたり”不思議です。今頃。今年初めて蝉を見ました。回廊でそのまま冬中天を向いているのかと思ったら、夕方、片羽だけ残されていました鳥かねずみか何かが食べてしまったのか? これも不思議。7階の獄窓の外の回廊の三和土です。
(中略)
12月11日 今日は早めのクリスマス会。第1部(13:30~14:10)と第2部(14:20~14:40)です。第1部はカソリックの浅草教会の神父さんのお話で、神の愛を語っておられたようです。聞き取れませんでしたが、ちょうど官本の「新約聖書入門」を借りていたので、その内容を思い出しつつ聴いていました。それから「聖夜」合唱。第2部はカリタス聖歌隊の讃美歌などの斉唱・合唱です。聖歌隊の人たちの作った「君は愛されるために生まれた」や「いのち」の清々しい歌声に多くの若い人が泣いていました。後悔したり感じること多かったのでしょう。「オーホーリーナイト」「あめのみ使い」「ハレルヤ・クリスマス」、最後に「花は咲く」を歌ってくれました。劇場2階席から観賞といった場所です。クリスマス会に合わせて、夕食も早めのローストレッグとケーキ(ヤマザキの五つにカットしたロールケーキ)が出ました。まだ食べきれず、机の横にあります。
(中略)
12月17日 資料の中に、初めて「監獄人権センタ―」の「ニュースレター」を見ることができました。(長く獄中に居たのに読んだことがありませんでした。)そのNo93(2018 1/10)のニュースレターに海渡弁護士の「東日本矯正医療センター内覧会報告」が記されています。「はじめに」で、地理的条件や収容施設の概況に触れ、「施設の概要と収容規模」更に「居室と所内の環境と眺望」「医療内容の改善と医療の独立性の向上」について記されているものです。当所に収容されている一人として、この海渡弁護士の内容に対応して記しておくべきと思う点を記しておきます。
私は2010年9月29日、東京拘置所から八王子医療刑務所に移監されました。(2008年12月、大腸癌発見で2009年2月、大阪医療刑まで手術のために移監され、手術後戻り、その後東拘で抗癌剤治療を続け、2010年8月に最高裁で刑が確定)八王子では、抗癌剤治療・開腹手術(子宮癌)PET検査(外の病院でのPET検査)開腹手術(小腸癌・大腸癌)3回を経て、2012年7月腫瘍マーカーが初めて正常化しています。そして、2018年、東日本矯正医療センターの開設に伴い、2018年1月14日に入所しました。その後大腸癌で2016年再び開腹手術をしています。私の居房は、海渡弁護士が内覧会で見た「ルーバー付きの窓」ではありません。(幅130cmの窓で、5cm程開けられる。)設備について言えば、八王子でもCTやMRI、透析装置もありました。でも、建物の老朽化で、患者も医師・スタッフもシモヤケ状態のとても寒いものでした。
新しい施設は、CT、MRI、透析装置は更新されて最新のものとなり、一度にこれまでの何倍かの患者に対応できるようになっています。眼科も器材が一新され、これまで外部でしかできなかった視野検査(緑内障チェック)の機材も導入、各科の機材・スペースは最新の市民病院並みか、それ以上と思えます。すべて電子カルテとなり、患者のプラスティックブレスレッドのデータ記録を読み取って管理しています。ただ、放射線関連施設はないようで、PET検査はできません。受刑者(患者)は、施設について情報提供されませんので、経験や推察、資料学習などで知るのみです。そのため、居房・運動・診察以外の外の園芸のことは(梅の苗木のこととか)、海渡先生の報告で知りました。患者の建物内の環境は驚くほど快適に改善されています(八王子の自然の中で、走ったり運動する喜びを失ったのは大きな損失ですが)。
第一に空調によって、厳寒の凍傷から逃れられ、また、蚊やダニなど夏の酷暑もなく、その点では天国のような気分を味わっています。第二に、市民病院並みの病室の設備(寝具類、これまで10㎏もある古い布団から、軽い人工羽布団へ)週一回の布団カバーやシーツの交換。病房は大きく、幅2.3m、奥行3.6mくらいでベッドごと扉を通ることができます。(ベッドも最新のもの)私物管理のロッカーは幅28cm、高さ85cm、奥行45cmの細長い事務用ロッカーで、中には仕切はありません。その他に小さな棚があり、日用品や広辞苑を置いています。椅子はなく、よく病院にある一本足のテーブルで、ベッドに座って書きものをしています。(患者がベッドで食事をするテーブルです。)第三に清潔な浴場(個人用と4人用。4人用は広い湯舟に熱い湯が満々。八王子はぬるく、寒くて湯舟に入れなかった)。第四に、運動は7Fの半屋上の一部スペースを使っています。8mx5mくらいか。自然芝で、そこにノゲシ、カタバミなどもまぎれて、可憐な花を夏には楽しみました。第五は食事です。社員食堂かファミレス並みに盛付も工夫し、PFI方式のため、食器から(ふた付きのきれいなもの。八王子のプラスチックと違って)食欲をそそります。メニューは35日(5週)毎に繰り返すようですが、それも材料のせいか、時々変わります。味もまあ、社員食堂かファミレス並みです。第六に、処遇は八王子と基本的に変わりません(日課・規則・罰則・指導・検閲など)。検閲(手紙などや書籍)は、八王子より厳しく、自著も70年代・80年代のものは不許可。年賀状も「〇〇さんによろしく」も不可でした。ただ規模が大きくなり、女区は6Fですが、フロアーを管理する女性の制服の人以外は、用事がない限り男性の制服の方々に会う機会はなく、病院の病棟そのものです。
海渡先生は患者(受刑者)が自然に接する機会が失われないよう配慮されているのを感じた、と記されていますが、患者から見ると、屋上の運動場も病房も、居房の外の回廊は斜めの50㎝幅のプラスチック板の柱で、外がみえないようになっていて、光は入りますが、ちょっとした隙間10㎝くらいから外が見える程度です。八王子から来た分、やはり庭も見えないし、地面を歩けず、見えず、は辛いです。今は南向きの舎房にいて、隙間から昭和記念公園西端の紅葉が、プラスチック柱の間の10㎝くらいから見え、太陽も仰げるのがとっても嬉しいです。第七に医療ですが、フロアー入口付近に診察室と看護師のスタッフルームがあり、主治医や担当医が主張して来て、診察を行います。パソコンモニターが常備され電子カルテに入力しつつ、検査結果をモニター画面に呼び出し、立体画像やグラフ化したデータなどで、説明してくれます。
八王子時代から主治医は変わりません。医師はとても丁寧で信頼しています。他の医師・看護師も皆、辛抱強い方たちと見うけられます。どの患者にも積極的に患者を治療しようと意欲的ですし、概ね患者たちは満足しています。もちろん私もそうです。制服の方々も、規律は厳しいですが、みな丁寧で親切です。他の刑務所にある非人間的な扱い(泉水さんの懲罰のような)は、見たり経験したことはありません。アジア・世界に対する日本のモデルとして、このセンターを重視していくのでしょうが、この水準において、日本全国の刑務所や医療施設が改善されるよう願ってやみません。尚、このセンターの「刑事施設視察委員会」は、まだできていないのか、何も連絡はありません。海渡先生の要望事項にあるように、豊かな自然あふれる環境が、年と共に整備され、それが患者にも味わえるようになることを望んでいます。(八王子では男女運動会もありましたが、昭島では患者は見学もできませんでした。)以上、海渡先生の報告を読んで、患者側からの報告です。
(中略)
12月22日 冬至。大好きな日。これから希望が育つように陽が長くなるからです。夜7時遠くでピストルのような連続音。真暗な空に次々ときれいな花火が上がっています。7時から5分位?12月8日にもあったけど何だろう。方角は府中や多摩の方。競馬場か百草園、高幡不動の催しか……。何か嬉しい贈り物、受け取りました。
(中略)
12月26日 (中略)
今日は12月の花、真紅のアネモネ(ベカーのアネモネを思い出す花!)純白のアネモネ、パープルのアネモネの3本とキリンソウの蕾の枝が届きました。正月まで花は持ちそうで嬉しいです。今年も皆の支えの中、対話を描きつつ日記を記して来ました。年を越えるごとに、友達がいること、そのありがたみをしみじみと実感しています。こんな環境にある私に、へこたれずいつも励ましてくれるみんなに有難うを伝えます。来年もよろしくお願いします。どうか良いお年を!健康でいて下さい。私も再会の希望を力に、また頑張ります。ありがとう。房子
(中略)
12月31日 今年の最後の日、Mさんの手紙に「今年の年越しは『平成』という年の最後の年越し。最近つくづく思うのが、時間の経過が早すぎるということ。昭和・平成、あっという間に新しい世の中が5月から始まりますが……、期待半分不安半分です。でも、いつでも前を向いて、自分らしく正々堂々と嘘のない生き方をしていきたいなと思っています」と彼女らしい、まっすぐなひたむきさが込められていて、私も刺激を受けています。
日本は、新しい天皇、オリンピックと宣伝されていくうちに、どんどん政権の思い通りのやり口が実行されています。改憲阻止はなんとしてでも! と思う新しい年です。
中東では、米軍のシリアからの撤退の流れに呼応して、これまで湯水のように武器と金でシリア・アサド政権打倒を主導してきたサウジとUAEが、アサド政権と関係を復活させて、反イラン包囲を狙っています。父親のハフェズ・アサドは、反帝反植民地主義者で、イラン革命後、一貫してイランを支持してきました。イラン・イラク戦争時を含めて、世俗主義ながら「アラブ対ペルシャ」や「スンニ―対シーア」に与せずに、イスラエルに対する態度をメルクマールとして、イランと同盟を維持してきました。その路線は息子も踏襲しています。また、クルドの人民防衛隊は、対トルコ戦に備えて、アサド政権と組み、マンビジュをアサド政権に引き渡し、新しい動きはアサド政権に有利な流れをつくっています。もともとアサド政権は、ずっとシリア内クルドを支援し、クルディスタン労働者党(PKK)も支援してきたのですが「反テロ」攻撃の中で、カルロスやPKKのオジャランらも国外にでてくれ、と要請した経緯があります。その結果、オジャランも逮捕されましたが、「自治」で折合いをつけられないわけではないでしょう。2019年、中東もまた、トランプに、ネタニヤフに、金満サルマーンに抗して、国も人民も闘いを続けるでしょう。サルマーンらがアサド政権をアラブ連盟の資格から追放し、これまでアラブ連盟の中で調整してきた「アラブイニシアチブ」を宗派的なものに変えた結果、非アラブ主体のロシア、イラン、トルコのイニシアチブが登場しました。サルマーンらは収拾がつかなくなって、再びアラブ連盟にアサド政権を招き入れ、「反イランアラブイニシアチブ」を復活させようと目論んでいるように見えます。アサド政権も強権で、自国民に行った蛮行は非難されるべきですが、サウジ等の、常識では考えられない武器の流入が、内戦化を招き、非和解的に広げ、住民の難民化の元凶をなしたのは事実です。そしてアサド政権の世俗主義は、自国民反対派を弾圧しつつ、少数民族や左派の砦として今もあるのが現実です。
大晦日、世界を見渡し、日本を直視し、狭い房ながら新しい年の流れを想像すると、胸躍ります。そしてまた、親しい友人たち、家族、遠くにいる友らがどんな年の瀬を迎えているだろうか…と、顔を思い浮かべて語りかける一年の区切りです。みんな、ありがとう。

2019年1月元旦 新年のご挨拶を申し上げます。今年は「初日の出」をちゃんと眩しく見ました。良いことがありますように! ひとつでも人々にとって良い政治を! と願わずにはいられません。
昨夜は夕食時、小さなお椀に年越しそばがほんの少し。それから祝日用菓子3点(ポテトチップス60g、トーハンキャラメルコーン80g、ヤマザキクッキー9枚入り)配給。夜は紅白と年越しで0時15分まで放送延長です。どの歌も耳に残らず、読書と就寝合図の減灯、ベッド入りの9時以降はウトウト。0時に窓辺でインターナショナルを。
朝は気持ちの良い元旦です。例年は、朝にお節料理が箱入りで届くのですが、ここは日常的にきちんと料理メニューが施されているせいか、それとも手違いか、昼食後に「明日回収」という、これまでにない簡素なパック入りの「お節料理もどき」の、プラスチックパックに、野菜煮、黒豆、ソーセージ、膾などの入ったものが配られました。えっ? というものでしたが、食事は良いので満足です。朝は珍しく、数の子。それに鶏肉スープ、3が日は麦なしの白飯です。昼はブリ、夕食はチーズ入りハンバーグ、サラダ、スープ、抹茶水ようかんの小さなパックです。みんなからの年賀状、ありがとうございます。嬉しいものです。

1月2日 初夢、楽しくて目覚めたのに思い出せない! と、まだ明けない暗闇の窓辺で、南の燃えるような赤が、群青色の空と溶けあって何ときれい。そして、群青色の明けの明星の隣に新月近い月が煌き、まるで砂漠の月のよう! トルコやアルジェリア国旗を思わせる☾☆形です。良いことのある新年を! と祈りました。“格子越し暁闇に煌めく明星に新月迎える月が寄り添う”
(中略)
1月14日 送って頂いた福島泰樹歌集「うたで描くエポック大正行進曲」を読んでいるところです。激しい追憶と哀切の歌の数々に何かを突き付けられて己を思わず問うような思いに駆られつつ読んでいます。序の「大逆の歌」から白秋を歌う「鶏頭の歌」、野枝や大杉、辻潤らを歌った「万物流転の歌」、和田久太郎や大杉の友情の友らを詠んだ「白屋襤褸の歌」や「パナマ帽の歌」など、著者は「思えばこの二年数カ月を私は大正という圧政の冬の時代を激しく抗い、活き活きとして闊歩する先駆的庶民、画人、文人、芸人、アナキスト、男や女たちに歌を作るという行為をもって向き合ってきた。一首をなすことによって、おのれの生を倍加するほどのエネルギーを得た瞬間もあった」と「跋」に記しているように、熱量が溢れた歌の数々で、それを一首ずつ好きな歌をもぎとると、その通史の意味を失うのではないか……と思わせる歌の数々です。
著者はこの人々と歌で向き合う中で「歴史とはそれを意識する人々の中に常に現在形として在り続ける。それが一人称詩形にこだわり、歌を作り続けてきた私の実感である。」「存在と時間が織りなす魂のリアリズム」がためらいなく現在形で書くことを可能としたとも述べています。歌は現在を鋭く直視し、比較し、不甲斐無さに憤慨し、批判しているのは間違いありません。その分突き刺さるのです。そのまま読まないと一首一首の関係性や情熱、憤りが伝わらないのですが、いくつか好きな歌を記します。とくに管野スガの歌がいいです。
管野スガ二十九歳中庭に白い蕾がただ顫(ふる)えてた
天に向き淡くひらきていたりしが風に縊られ散ってゆきにき
踏まなければならない階梯ならばよし獄窓に雰れこよ朝のひかりよ
淫売ニモ紡績女工ニモナラナイデスンダ、寝棺ヲ希ムト調書ハ誌セリ
著者が幸徳秋水を詠んだのもあります。秋水が明治43年11月獄で脱稿した「基督抹殺論」に対して“「さようなら」の一語にこめた憶い出の千万無量の感慨なるを”他に人物と向きあいつつ読んだ他の歌を切り取って並べることになりますが、例えば“昻然と顔つきあげて立っていた赤旗風に震えている午後”(これは渡辺政太郎の葬儀に和田久太郎が赤旗先頭に革命歌を歌いながら進んで行く様が想起されます。)“大川は哭いているのか一切を呑み込み夕陽の中に没せり”
“みちばたの柘榴の皮はこの俺を嘲笑うための真赤な舌か”
“顔腫らし立っているのは新兵か一銭五厘のそよ吹く風か”
“この俺は誰かと問えば泣きはらした目のように散る白い花びら”など、哀切な抒情に響く歌もいくつもあります。時代は常に現在形で甦ることを実感しつつ、何故か私はそこに「連赤」の友が連らなって浮かびます。

1月17日 今日午後、再びまた、検閲の指導。Yさん宛てに、Y先生に哀悼の意を伝えてほしい、という一行で「~伝言してください」とか「伝えてください」は不許可で書き直し。八王子では、一、二行の短い伝言は許されたのですが、ここでは一行でもダメだ、とのことで書き直しをして「伝言してください」の言葉は消しました。今後は、一行でも、伝えてくださいとか伝言という言葉は使えません。刑務官は書き直すよう指導しているが、今後はそれもなしに、抹消や禁止もありうると通告。不適当な部分の抹消で、黒く太く消されるのですが、それを避けるために書き直させるわけです。勿論、規格外なら「抹消」はあると思いますが、「禁止」とは……。脅され権力を誇示されたようでびっくり。「禁止ですか?! どういう場合に禁止ですか?」と尋ねると、「例えば、このYという人物が犯罪行為があれば禁止しますよ」と言うので、あまりに無関係な返答に「それは飛躍ですよ。犯罪と今の書き直しの禁止と話が違うでしょう? 書き直しの抹消はよくわかります。でも、そちらの言った禁止は脅しではないでしょうか。私には、そう聞こえました」と言いました。脅しではない。自分は国民の支持を受けて、こうして矯正を行っているので、民主主義云々と、話が大きくなりました。それは国民の「支持」ではなく、「付託」と言うべきでは?と言いたくなったのですが、失礼かと。こういう時、女区担当責任者が同席しますが、この刑務官は女区の立ち合いを入れません。一人同行してドアを閉めてしまうのです。これまでにない新しい経験をしています。
(中略)
1月21日 週が明けて午前中、運動から戻ったところで入浴なのですが、その前に「引越し」を通知されてしまいました! 今まで南向きで、存分に陽が房に届いていたのです。そして今日は満月を捜そうと思っていたところでした。まだ新年から月を見つけていないので、今日こそ!と。作業していると、時間を忘れて集中してしまい、昨日も逃しました。1月21日、今日の月の出は17時1分。18時~20時の間に捜そうと思っていたのです。月齢は15.1、満月です。北側は入ったとたん、寒い! 窓はこちら開いていたせいでしたが、でも、閉めても2度くらい違うとみんなが言う通り。しかも、プラスチック塀で、何も見えない……。前の南の房なら、西端の昭和記念公園の桜が見えるはずなのですが、3か月は 引越しなしで、この北側です。
(中略)
1月24日 今日はN和尚の新春祈祷会です。寒い中感謝します。
“風邪召した僧侶の友はマスクのまま新春祈祷会法華経朗誦”と面会室で一首雫れました。ここでは3月まで面会者はマスク着用がルールですが、N和尚は風邪を引いたとのことでしたが、朗々と通る声で読経して下さいました。30分の面会のうち半分くらいは読経などで学習し、その後話が少しできます。私の方からは面会が毎月許可されないことも有りうると告げられた点を伝えました。「そうですか、その時はその時で」と和尚は泰然としています。Tさんの便りでも「僕たちの気持ちを代弁してぶつけられるのはNの存在ですから、僕たちも彼の行動を全面的にバックアップしたいものです。」と面会法要にエールを送ってくれています。
3月には遠山さんの命日(発見された日を命日として3月13日)に近い12日に御遺族とクラケンら現思研の仲間たちと法要が執り行われるとのこと。時間がかかりましたが昨年高原さんら遺族とN和尚の面談が叶い、以降親しい交流が育っていること嬉しい限りです。私も遠山さんを歌に詠んで「三月哀歌」を送りました。
(中略)
1月28日 「宝島」はとても読ませる小説でした。沖縄の庶民の「アメリカー」に対する憎悪の情念、そこでどんな支配下に置かれているか、1972年沖縄返還になっても基地・米の支配の変わらなさを知る庶民の感情が巧みに描かれています。物語は「戦果アギヤー」という米軍基地から略奪して貧しい人々に配る義賊的集団の活動などに至る人々の話です。戦争中どんな目にあい、10歳~13歳で敗戦下に生きてきたか。その4人の主人公たちの活動が、成長に合わせて沖縄返還の72年までを歴史の節目の反米闘争や米兵の犯罪を縦軸にして物語が展開されていくのですが、ミステリーとエンタメでありながら沖縄が被り続けている現実がしっかり描かれていて、面白くてテンポの良い小説です。
(中略)
2月5日 春節。今日は曇りつつ晴れの旧正月です。(中略)
人民新聞の1月25日号を受け取りました。12月下旬に送った私の一文「2019年中東の緊張と混迷の脱却を願って」が載っています。長かった分、編集してスペースに収めてくれました。ちょっと言葉足らずもありますが、よくまとめて下さってありがとう。今後は短くします。深謝!明日は「人民新聞ガサ入れ国賠訴訟」ですね。連帯しています。
(終)

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