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今回のブログは3回目、7月19日のNo522で掲載した関西学院大学闘争の記録の続きである。1969年2月の入試粉砕闘争と学館前座り込みの文章と写真、新聞記事を掲載する。
まず、1969年2月の入試粉砕闘争の経過を、この冊子に掲載された「闘争日誌」で見てみよう。
【闘争日誌】(関学闘争の記録より)(抜粋)
2.4 全共闘「入試実力粉砕」の方針打出し、泊り込み強化。これに対し武田教務部長、「全共闘側の武装阻止にも素手で立向う」と言明し入試会場は体育館と中等部、高等部校舎を使用することに決定さる。
2.6 全共闘武装部隊80人、学院当局に雇われた右翼学生200が看守する体育館を未明に火炎ビンと投石で攻撃し、右翼学生を完全に粉砕。院長は、5時10分に機動隊導入を要請。早朝から「入試粉砕、闘争勝利」のシュプレヒコールで学内を武装デモ。午後1時、機動隊500、正門前に待機し、その場で、松田政男氏の講演を聞いていたサークル闘、全学1連協、キリスト者反戦連合の学友300人と対峙。午後2時機動隊、試験場防衛のため、体育館、中等部、高等部に配置さる。学生会館前で、2、000人の学友、機動隊導入に反発し、徹夜ですわり込む。
2.7 経済学部入試始まる。午前8時20分、担棒とヘルメットで身を固めた全共闘80人、機動隊に突入。
7名が不当逮捕さる。引き続き、入試終了直後、再び機動隊と激突。すわり込み部隊500人に減る。入試実現派300グランドでデモ。
2.8 商学部入試。全共闘、第5別館と法学部のバリケードを強化し、機動隊の強制解除に備える。



2.4 全共闘「入試実力粉砕」の方針打出し、泊り込み強化。これに対し武田教務部長、「全共闘側の武装阻止にも素手で立向う」と言明し入試会場は体育館と中等部、高等部校舎を使用することに決定さる。
2.6 全共闘武装部隊80人、学院当局に雇われた右翼学生200が看守する体育館を未明に火炎ビンと投石で攻撃し、右翼学生を完全に粉砕。院長は、5時10分に機動隊導入を要請。早朝から「入試粉砕、闘争勝利」のシュプレヒコールで学内を武装デモ。午後1時、機動隊500、正門前に待機し、その場で、松田政男氏の講演を聞いていたサークル闘、全学1連協、キリスト者反戦連合の学友300人と対峙。午後2時機動隊、試験場防衛のため、体育館、中等部、高等部に配置さる。学生会館前で、2、000人の学友、機動隊導入に反発し、徹夜ですわり込む。
2.7 経済学部入試始まる。午前8時20分、担棒とヘルメットで身を固めた全共闘80人、機動隊に突入。
7名が不当逮捕さる。引き続き、入試終了直後、再び機動隊と激突。すわり込み部隊500人に減る。入試実現派300グランドでデモ。
2.8 商学部入試。全共闘、第5別館と法学部のバリケードを強化し、機動隊の強制解除に備える。



入試粉砕闘争は、2月6日未明、全共闘武装部隊80人が、火炎ビンと鉄パイプを武器として、入試会場にあてられていた体育館、中等部、高等部周辺にむらがる右翼、体育会系学生、教職員250を完全に粉砕した時点にはじまる。全共闘は、6項目要求関する対理事会大衆団交予備折衝を積み重ねてきたが、学院当局はこれを拒否。彼ら当局の意図は、大衆団交を一般的な「おしゃべり」の場にすることだったのである。
入学試験を契機に、関学闘争は質的転化を遂げた。すなわち、学園闘争史上、はしめての関学入試粉砕闘争が、12月以降の6項目要求闘争という個別学園闘争の枠を突き破り、大学の存在そのものを突き崩す闘いとして闘いとられたということである。関学80年の歴史を“マスタリー、フォア、サーヴィス”の下に窒息せしめ、労使協調のイデオロギーに毒された中堅サラリーマンを大量に育成し、関西財界に売り渡し、なおそのうえ“入試実現”によってブルジョア大学としての延命を謀らんとする学院当局と、そしてそれを強要してきた資本制国家100年の日本の社会総体に対する闘いが入試粉砕闘争であった。
そしてこの闘いは、大学の解体を要求するばかりか、国家にとっては資本制分業生産の一時的麻痺を意味することから、それを維持、回復せんがための機動隊=国家の暴力装置の反革命的介入は必然のことであった。そして、その時まさに「関学の栄光の歴史」は、もろくもくずれ去ったと言ってもよいだろう。
これに対し、「学問の自由」なる関学の危機を即自的に感じはじめた多くの学生大衆は学生会館前に座り込み「機動隊導入弾劾」のシュプレヒコールを繰り返した。グランドでは、右翼系学生500の「入試実現」の垂れ幕もたれていた。




入学試験を契機に、関学闘争は質的転化を遂げた。すなわち、学園闘争史上、はしめての関学入試粉砕闘争が、12月以降の6項目要求闘争という個別学園闘争の枠を突き破り、大学の存在そのものを突き崩す闘いとして闘いとられたということである。関学80年の歴史を“マスタリー、フォア、サーヴィス”の下に窒息せしめ、労使協調のイデオロギーに毒された中堅サラリーマンを大量に育成し、関西財界に売り渡し、なおそのうえ“入試実現”によってブルジョア大学としての延命を謀らんとする学院当局と、そしてそれを強要してきた資本制国家100年の日本の社会総体に対する闘いが入試粉砕闘争であった。
そしてこの闘いは、大学の解体を要求するばかりか、国家にとっては資本制分業生産の一時的麻痺を意味することから、それを維持、回復せんがための機動隊=国家の暴力装置の反革命的介入は必然のことであった。そして、その時まさに「関学の栄光の歴史」は、もろくもくずれ去ったと言ってもよいだろう。
これに対し、「学問の自由」なる関学の危機を即自的に感じはじめた多くの学生大衆は学生会館前に座り込み「機動隊導入弾劾」のシュプレヒコールを繰り返した。グランドでは、右翼系学生500の「入試実現」の垂れ幕もたれていた。




学内に押し入ろうとした機動隊を、学生会館前まで押し返したデモ隊は、その場で抗議の“座り込み”に入った。
“機動隊導入弾該!入試粉砕!”のシュプレヒコールは、われわれの団結と連帯感を呼び醒し、時間の経過は、闘争の限界点を示した。
全共闘、右翼、機動隊、そしてこの座り込み部隊の対峙関係の中で、座り込みは、夜を徹して闘われた。
しかし、自己目的化してしまった座り込みは、重く沈み、次第に生気を失っていった。


2月7日、経済学部入試が、機動隊250の警備のもとに実施され、全共闘60名が午前、午後の二度にわたって機動隊の阻止線を突破するために衝突、学生会館前に座り込んでいたサークル闘、全学一連協の学友を踏みつけて、機動隊は、法学部校舎のバリケードを解除する構えを見せた。
これに対して、全共闘は「バリケードを断固死守する」方針を打ち出し、深夜、徹夜の座り込み部隊とともに武装デモを行い、バリケードの強化にとりかかった。
「機動隊に警備を願っているは、入試実施のためだけであり、学内のバリケードには手をふれさせない」と言明していた小宮学長は、ここに至っては、全共闘を機動隊に売りわたす他になすすべがなかたのか、9日早朝、機動隊2,500が、第5別館を包囲し、激しくガス銃を撃ち放ち、薬物入りの放水を浴びせかけてきた。









これに対して、全共闘は「バリケードを断固死守する」方針を打ち出し、深夜、徹夜の座り込み部隊とともに武装デモを行い、バリケードの強化にとりかかった。
「機動隊に警備を願っているは、入試実施のためだけであり、学内のバリケードには手をふれさせない」と言明していた小宮学長は、ここに至っては、全共闘を機動隊に売りわたす他になすすべがなかたのか、9日早朝、機動隊2,500が、第5別館を包囲し、激しくガス銃を撃ち放ち、薬物入りの放水を浴びせかけてきた。









【騒然と初の“警棒入試” 関学】毎日新聞1969.2.7(引用)
受験生がかわいそう “むしろ延期を”府警にがい顔
「入試反対」「警官帰れ」兵庫県西宮市の山手の学生街を揺るがすシュプレヒコール、ヘリコプターの爆音―警官のヘルメットと警棒に守られた関西学院大学入試は、大学入試の常識とおよそかけ離れた狂気と騒乱に包まれた。全国での初めての異常な入試に受験生たちは「紛争最中の試験だから、ある程度は覚悟していたが、後輩の試験だけは静かに受けさせるだけの先輩の思いやりが欲しかった」と嘆いていた。
ゲバ棒をっ持った共闘会議派、すわりこみだけのノンセクト学生、スピーカーでがなりたてる入試賛成派、それに警官隊―7日、関学大キャンパスの朝は「四すくみ」の形で明けた。その渦の中で入試は強行された。
午前7時ごろに機動隊約700人が試験場の体育館前道路をジュラルミンのたてで封鎖した。そこから約100メートル離れた地点につくられた全共闘のバリケードには石の山がどんと築かれた。
大学正門はイスのバリケード、立看板、旗―ぴったり閉じられ、受験生シャットアウト。午前8時ごろから集まり始めた受験生たちは試験場を案内する地図を受け取りながら戸惑い気味。「案内します」「試験場はこちら」白腕章の大学職員が声をからすなかをグラウンドから体育館など試験場へ。
午前8時15分、全共闘の学生約70人が投石を始めた。石は警官のタテに当たってガンガン鳴りつづける。機動隊員は守勢一方。たまりかねた機動隊の投げ返した石が間にすわっていたノンセクト学生の間に落ちる。数分後、横から回り込んだ30人余の機動隊員が攻勢に出た。その前にノンセクト学生が立ちふさがり、機動隊員に「帰れ」「帰れ」と連呼、とうとう機動隊を押戻し、投石はやんだ。
学生と警官の衝突をまのあたりに見た受験生と父兄たちは「覚悟していたが、こんなにひどいとは。子供がかわいそうだ」とショックの大きさに声も小さい。大阪市からきた母親は「せっかく勉強してきたのだから、ベスト・コンディションで受けさせてやりたい。試験が始まるのを見届けたら先に帰るつもりでしたが、これでは心配で帰れません」と試験場に消えてゆくわが子を不安げな目で見送っていた。
受験生の一番乗りは午前7時すぎ、山口県柳井市から来たA君(18)。「旅館にいては落ち着かないし、大学の異様な姿をこの目で見てやれと思って早くきた」というが、学生と警官がにらみ合う状況を見て「やっぱりいやですね」とぽつり。
試験は3会場とも定刻9時に始まった。次第に増える機動隊員がその周辺を固めている。6日未明、たたき破られた体育館の窓やドアにはベニヤ板が打ちつけられ、寒風はかろうじて防がれていたが、監督官室などはあん幕でおわれただけ。
明石市のある父親は「このような異常な状態で、入試を強行する大学側の態度が理解出来ない。現時点で入試がむずかしければ延期するなり、何らかの方法があったはず」と吐き捨てるような口調。
一方、ある母親は「入試に反対する学生さんの気持ちもわからないわけではないが、受験生にとって入試は一生を左右する重要なものです。この大学を目指して勉強してきた受験生のために大学が機動隊を導入したことも、受験生を守る意味で仕方ないことだと思います」としんみり。父兄の意見も賛否両論だった。
小宮孝学長代理の話
外の騒がしさが試験場内に聞こえるのではないかと心配したが、構造のせいか静かなので安心した。欠席者が少なかったのは受験生の真剣さの表れで、強硬してよかったと思う。14日まで機動隊にお願いして妨害は実力で排除してもらう。
答案、頭にはいらぬ
正午、昼休みで出てきた受験生たちの多くは、外の騒ぎを「少しは聞こえたが、解答に一生懸命だったから・・・」と話していたが、奈良市から来た受験生は「二時間目の国語で長い説明文を読んでいる途中、再三のシュプレヒコールがうるさくて、初めから読み直した」と憤然とした面持ち。また、親子連れの一組は「もし息子がパスしても、入学式のことが気になりますね」ときびしい口調だった。
受験生がかわいそう “むしろ延期を”府警にがい顔
「入試反対」「警官帰れ」兵庫県西宮市の山手の学生街を揺るがすシュプレヒコール、ヘリコプターの爆音―警官のヘルメットと警棒に守られた関西学院大学入試は、大学入試の常識とおよそかけ離れた狂気と騒乱に包まれた。全国での初めての異常な入試に受験生たちは「紛争最中の試験だから、ある程度は覚悟していたが、後輩の試験だけは静かに受けさせるだけの先輩の思いやりが欲しかった」と嘆いていた。
ゲバ棒をっ持った共闘会議派、すわりこみだけのノンセクト学生、スピーカーでがなりたてる入試賛成派、それに警官隊―7日、関学大キャンパスの朝は「四すくみ」の形で明けた。その渦の中で入試は強行された。
午前7時ごろに機動隊約700人が試験場の体育館前道路をジュラルミンのたてで封鎖した。そこから約100メートル離れた地点につくられた全共闘のバリケードには石の山がどんと築かれた。
大学正門はイスのバリケード、立看板、旗―ぴったり閉じられ、受験生シャットアウト。午前8時ごろから集まり始めた受験生たちは試験場を案内する地図を受け取りながら戸惑い気味。「案内します」「試験場はこちら」白腕章の大学職員が声をからすなかをグラウンドから体育館など試験場へ。
午前8時15分、全共闘の学生約70人が投石を始めた。石は警官のタテに当たってガンガン鳴りつづける。機動隊員は守勢一方。たまりかねた機動隊の投げ返した石が間にすわっていたノンセクト学生の間に落ちる。数分後、横から回り込んだ30人余の機動隊員が攻勢に出た。その前にノンセクト学生が立ちふさがり、機動隊員に「帰れ」「帰れ」と連呼、とうとう機動隊を押戻し、投石はやんだ。
学生と警官の衝突をまのあたりに見た受験生と父兄たちは「覚悟していたが、こんなにひどいとは。子供がかわいそうだ」とショックの大きさに声も小さい。大阪市からきた母親は「せっかく勉強してきたのだから、ベスト・コンディションで受けさせてやりたい。試験が始まるのを見届けたら先に帰るつもりでしたが、これでは心配で帰れません」と試験場に消えてゆくわが子を不安げな目で見送っていた。
受験生の一番乗りは午前7時すぎ、山口県柳井市から来たA君(18)。「旅館にいては落ち着かないし、大学の異様な姿をこの目で見てやれと思って早くきた」というが、学生と警官がにらみ合う状況を見て「やっぱりいやですね」とぽつり。
試験は3会場とも定刻9時に始まった。次第に増える機動隊員がその周辺を固めている。6日未明、たたき破られた体育館の窓やドアにはベニヤ板が打ちつけられ、寒風はかろうじて防がれていたが、監督官室などはあん幕でおわれただけ。
明石市のある父親は「このような異常な状態で、入試を強行する大学側の態度が理解出来ない。現時点で入試がむずかしければ延期するなり、何らかの方法があったはず」と吐き捨てるような口調。
一方、ある母親は「入試に反対する学生さんの気持ちもわからないわけではないが、受験生にとって入試は一生を左右する重要なものです。この大学を目指して勉強してきた受験生のために大学が機動隊を導入したことも、受験生を守る意味で仕方ないことだと思います」としんみり。父兄の意見も賛否両論だった。
小宮孝学長代理の話
外の騒がしさが試験場内に聞こえるのではないかと心配したが、構造のせいか静かなので安心した。欠席者が少なかったのは受験生の真剣さの表れで、強硬してよかったと思う。14日まで機動隊にお願いして妨害は実力で排除してもらう。
答案、頭にはいらぬ
正午、昼休みで出てきた受験生たちの多くは、外の騒ぎを「少しは聞こえたが、解答に一生懸命だったから・・・」と話していたが、奈良市から来た受験生は「二時間目の国語で長い説明文を読んでいる途中、再三のシュプレヒコールがうるさくて、初めから読み直した」と憤然とした面持ち。また、親子連れの一組は「もし息子がパスしても、入学式のことが気になりますね」ときびしい口調だった。
(つづく)
【お知らせ】
ブログは隔週で更新しています。
次回は8月16日(金)に更新予定です。
コメント
コメント一覧 (2)
関学の院長は、遠縁にあたり、あったこともありますが、当時大学にいたいわゆる日本のインテリの象徴かもしれません。
meidai1970
が
しました
コメントありがとうございます。
関学の院長がご親戚とは知りませんでした。
この記録の中で、写真も出てくるかな?
ブログも開設から10年を越えました。
どこまでやれるかは分かりませんが、これからもよろしくお願いします。
meidai1970
が
しました