今回のブログは、6月18日(土)に東京・目黒区で開催された、あさま山荘から50年 シンポジウム「多様な視点から考える連合赤軍」(主催:連合赤軍事件の全体像を残す会)の報告である。
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当日のプログラムは以下のとおり。

14:00 開会挨拶
14:05 第1部 映像で見る連合赤軍事件 (前回のブログに掲載)
14:30 第2部 シンポジウム  (前回のブログに掲載)
パネラー:森達也(映画監督・作家) 
雨宮処凛(作家・活動家) 
山本直樹(漫画家)
パトリシア・スタインホフ(ハワイ大学名誉教授)オンライン参加
ピオ・デミリア(ジャーナリスト)オンライン参加
当 事 者:岩田平治(元革命左派) 
雪野建作(元革命左派)
(15:45~ 休憩)
16:00 第3部 若い世代との対話
宮島ヨハナ(国際基督教大学1年)
中村眞大(明治学院大学2年)
安達晴野(早稲田大学1年)
17:15 閉会挨拶

今回は、このうち後編として第3部の概要を掲載する。発言内容が不明な部分などは省略しているので、若い世代や当事者の発言を全て掲載している訳ではない。そのため「概要」とした。発言内容を全て読みたい方は、「連合赤軍事件の全体像を残す会」が今後発行する予定の冊子『証言』をご覧いただきたい。

<登壇者プロフィール>
●若い世代
宮島ヨハナ(国際基督教大学1年)
 インターナショナルスクール在学中、卒業研究のテーマに「入管問題」を選ぶが、入管収容者に対する人権侵害を知り大きなショックを受ける。2021年4月、高等部3年在学中の時に、出入国管理及び難民認定法(入管法)改正案に反対する集会を自ら呼びかけ、事実上の廃案につながる働きをした。当事者意識を大事にし、社会の変革に必要なことは「愛」だと語る。黒人差別への反対運動に取り組んだ、公民権運動活動家ローザ・パークスさんの “You must never be fearful about what you are doing when it is right.” (正しいことをしているのなら、決して恐れてはいけない)という言葉に、勇気をもらっている。
中村眞大(明治学院大学2年)
 東京都立北園高校在学中に、北園高校の頭髪指導をめぐる校則・自由の問題をテーマにした、ドキュメンタリー映画『北園現代史 ~自由の裏に隠された衝撃の実態~』を製作・公開。YouTubeに「限定公開」された2日後には再生回数1万回を超え、社会に大きなインパクトを与えた。評判を呼んだ映画はその後東京ドキュメンタリー映画祭にても特別上映される。
全国の高校生や卒業生たちに呼び掛け、学校の自由や理不尽な校則について問題を討論・告発する「全国校則座談会」等を企画し、YouTubeなどで発信している。
安達晴野(早稲田大学1年) 
東京都立北園高校元生徒会長。歴史的に自由な校風が伝統である北園高校で、校則に定めのない頭髪指導が行われたことをきっかけに、校則問題は人権問題であると声をあげる。映画『北園現代史 ~自由の裏に隠された衝撃の実態~』では教員の理不尽で半強制的な指導に粘り強く抵抗する姿が多くの人々に共感を与えた。様々な意見や価値観を前提にして、お互いを尊重し理解しようとする「対話」を大切にしている。
「社会変革は実現しうるし、自分たちの手で実現できる」と語る。将来は「弱い立場の人の拡声器」になることを目指している。
●当事者
岩田平治 
1950年生まれ。“鯨でも取りたい”と入学した東京水産大学時代に革命左派に参加。山岳アジトで3カ月の活動の後、離脱。山から逃亡した最初の例となった。吉本隆明にインスパイアされて『「共同幻想論」による連合赤軍事件の考察』を著す。組木細工を作り地域の施設などに寄贈する。本日受付でお渡ししたキーホルダーがその作品。

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(岩田さん手作りのストラップ)
雪野建作
 1947年生まれ。横浜国大時代に革命左派に加盟。71年2月、真岡市(栃木県)の銃砲店に押し入り猟銃10丁、装弾3000発などを奪った事件に関与、指名手配された。以後、武闘派のグループ等と交渉を任務とする「組織部」として主に都市で活動する。71年8月に逮捕・起訴されたため、山岳アジトでの“総括”には関わらなかった。逮捕後は指導者の川島豪との違いを自覚し、連合赤軍の破局後は総括論争を進め、72年秋に離党する。
●司会進行
金 廣志(塾講師)
 1951年、大阪市生野区「猪飼野」の朝鮮人部落に生まれる。3歳のときに上京し、神奈川県の座間、上野の「アメ横」で育つ。都立北園高校在学中に反戦運動に参加。高校を中退して1970年赤軍派に加盟。71年に全国指名手配されるも15年間の逃亡を続け、時効を迎えた。1986年より塾講師として再出発する。親の多くが、金廣志の経歴を知りながらも子どもの教育を託す中学受験のカリスマ講師として著名。父は韓国の済州島四・三蜂起事件のときのパルチザンであった。◆著書『自慢させてくれ!』(源草社)、『落ちたって、いいじゃん! 逆転発想にこそ難関中学合格のカギがある』(角川書店)、他。

【あさま山荘から50年 シンポジウム「多様な視点から考える連合赤軍」】
(主催:連合赤軍事件の全体像を残す会)
●第3部 若い世代との対話

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<若い世代の自己紹介>
金廣志
それでは第3部を始めたいと思います。
今壇上に、左から中村眞大君、宮島ヨハナさん、安達晴野君が座っています。明治学院大学2年生、国際基督教大学1年生、早稲田大学1年生で非常に若いです。若いですけれども、高校時代に、我々から見ると、こんなに素晴らしい活動をしたのかと感心させられる活動をして、現在もアクティブに様々なことに挑戦していると思います。
(5分ほど3人の紹介ビデオが流れる)
宮島ヨハナ

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簡単に自己紹介をお願いします。
宮島ヨハナと申します。9月から国際基督教大学に入学しました。高校がインターナショナルスクールで、高校の卒業論文がきっかけで、入管問題に関わっています。今日はよろしくお願いします。
入管自体はあまり知られていないと思うんですけれども、入管というのは在留資格がない外国人又は在留資格が切れてオーバーステイになってしまった外国人が、帰国するために収容される施設なんですけれども、そこで問題がたくさんあって、強制収容の問題を説明したいと思っていて、強制収容で年間に収容される人は、他の国だったら収容期間が決められていて、日本は収容期間が定められていないので、半分以上が6ケ月以上収容されていて、長い人だと1年、最悪のケースだと7年とか収容されていて、すごく問題になっているのは、いつ入管から出られるのか分からない状況なので、精神的に参ってしまって、うつ病を発症する人も多いですし、自殺するケースもあるので・・・

中村眞大

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安達晴野

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安達晴野と申します。私は、「校則のない自由な北園」と言われている高校で3年間生徒会長として、校則にはない頭髪指導の問題に取り組んできました。今、私が金髪にしているんですけれども、これは高校を卒業したから金髪にしたのではなくて、昨年の9月に金髪にしました。なぜ金髪にしたかというと、元々僕は入学してから3年生の9月まで、ずっと黒髪で過ごしてきて、自分自身黒髪が好きだったんですけれども、学校が昨年9月に頭髪検査をやると言い出しまして、僕としてはずっと頭髪指導について異議を唱えてきた時に、学校側と話し合うことが出来ずに、生徒のいろんな声を無視する形で頭髪検査を行うことに非常に疑問を感じまして、頭髪検査に引っかかれば、嫌でも頭髪検査について先生方と話し合う機会が得られるので、じゃあ金髪にしちゃおうと思って、頭髪検査の日に合わせて金髪にしてきました。
(ビデオ上映終了)

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金廣志
若者が前に3人いるけど、どんな奴なんだろうというのもあるかもしれませんので、彼等がどのような活動をしてきたのかをイメージビデオで作っていただきました。
改めて、もう1回紹介いたします。
国際基督教大学1年生の宮島ヨハナさんです。(拍手)明治学院大学2年生の中村眞大君です。(拍手)早稲田大学1年生の安達晴野君です。(拍手)

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<若い世代が向き合っている社会問題とその活動>
3人のパネリストは非常に様々なところで活躍していて、我々の頃に比べて、非常によく考えて、よく成熟しているなと思うことがあります。
まず、3人の皆さんには、今現在の様々な社会問題と向き合って活動されていると思いますが、どのような社会問題と向き合って、そしてどのような矛盾を抱えたりしながら活動しているのかということを語っていただきたいと思います。そしてその問題は、日本社会がどのような方向に向かえば解決していくと思うのか、今の考えでいいですから、お話していただければと思います。
宮島ヨハナさんからお願いします。

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宮島ヨハナ
宮島ヨハナと申します。本日はよろしくお願いします。
私はさきほどの動画でもあったとおり、入管問題について卒業論文で調べたことをきっかけに、この問題に関わってきました。この問題は最近報道されることが増えたんですが、なかなか市民の方に知られていないと思うので、手短に説明したいと思います。
そもそも入管とはどういう場所かと言うと、入国管理局というのは、日本人外国人の出入国審査、外国人の在留管理、難民認定などを行う法務省の外局です(現在、出入国在留管理庁)。私が調べたのは、そこの収容所で起こっている人権侵害について調べていて、本当に調べれば調べるほど、本当にひどいことだなと思って、私たちは戦争を経験していない世代でもあるので、日本は平和なイメージがあって、人権侵害という言葉と結びついていなかったんですが、本当に調べていくと、こんなことが日本でも起こっているんだということにすごく衝撃を受けて、自分でも何かこの問題に対して行動を起こしたいと思いました。
その一つのきっかけとして、私の父が、入管の仮放免の保証人をしていまして、幼い頃から仮放免の方と関わりを持っていたので、その中で一人私にとって印象に残っている方がいて、カメルーン人の女性の方なんですけれども、その方は私がインターナショナルスクールを受験する時に英語を教えてくれていまして、その方も難民申請者で、カメルーンから母国の紛争などから逃れて来日したんですけれども、難民認定されなくて、日本も0.4%という極端に低い難民認定率なので、それが原因で認定されなくて仮放免の生活を続けていました。すごく穏やかな方で、彼女は乳ガンを発症して、胸が痛いと職員に訴えても適切な治療を受けられず、最終的には仮放免されている時に、支援者のおかげで医療を受けられたんですけれども、手遅れになってしまって、去年の1月に亡くなりました。私はこのニュースを新聞記事で読んで、本当に衝撃を受けて、もっと衝撃的だったのは、彼女の在留資格が取れたのは亡くなった3時間後だったんですね。もっと早く在留資格が取れていれば、もっと早く入管内で適切な医療を受けていれば彼女は生きられたかもしれないと思って、本当に私は衝撃を受けました。
卒業論文で調べている中で、去年の3月に政府が国会に提出した「入管法改正(案)」がありました。括弧付きの改正案で、中身を見てみると、国連からも指摘を受けていましたし、難民とか国際法に専門知識を持つ弁護士からも指摘を受けていましたが、一つ私が個人的に問題だと思ったのは、難民認定申請を3回以上して、3回以上拒否された人を母国に強制送還することを可能にするという点で、これは国際法のノン・ルフールマン原則があって、難民を殺されたり迫害されるリスクがある母国に返してはいけない、強制送還してはいけないという国際法に違反していたんですね。それを国会で採決しようとしていて、私はこれはすごくおかしいと思って、すでに行われた支援者による国会前の集会に自ら参加して、卒業論文の一環として自らアクションを主宰することになりました。改正案は結局は廃案になったんですけれども、入管で起こった人権侵害は続いていますし、抜本的な法改正をする問題はまだ解決されていないので、今後も大学内での活動などを通して、自分でもこれから訴えていきたいと思っています。
この問題と向き合って感じる矛盾としては、オリンピックがあった時に、政府だったりメディアだったりいろんなところで「多様性を尊重しよう」と言われていたと思うんですけれども、「多様性を尊重する」アッピールとして大阪なおみさんがトーチリレーをしたり、難民のオリンピック・グループだったり、表目はすごく難民だったり多様性を尊重していると見せつつ、陰では入管内では難民申請者に対する人権侵害があったり、難民認定が極端に低かったりという現実があって、私はその現実のギャップを知っていたので、まだまだ国際社会に誇れる日本ではないと感じています。(拍手)

金廣志
ありがとうございます。
ウイシュマさんのことを含めた入管問題が新聞で大きく報道されたので、経緯をご存じの方もいらっしゃると思うんですけれども、彼女が現れて潮目が変わったんですよね。それまでは簡単じゃなかったんですが、高校生の女性が一人現れて集会を呼びかけた。そしてそこで多くのスタンディングの抗議が起こった。大臣も知らん顔できなかったんだと思います。まだまだこれから闘いは続くと思うんですけれども、頑張っていただきたいと思います。
次に中村眞大君にお話しをしていただきたいと思いますが、私の高校の後輩なんです。51年後輩です。安達晴野君は52年後輩です。「何でお前、後輩を連れてきたのか」と言われるかもしれませんけれども、そうじゃないんですね。1年前に突然彼が僕の前に現れました。ネットで調べたら私の写真が見つかったらしいですね。その時に、半世紀前に北園高校で高校紛争があって、バリケードストをやって、そして校則を変えた。その時に東京中の高校が立ち上がって、約100校くらいが校則が無くなって制服が無くなったんです。それに対する取材をしたいということで、知り合いました。非常に頼もしい若者です。
中村君、よろしくお願いします。

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中村眞大(なかむらまさひろ)
皆さんこんにちは。金さんの後輩の中村眞大と申します。
私は都立北園高校というところに在籍していました。今は明治学院大学の2年生です。私が主に取り組んでいる活動は校則の問題です。何故校則の問題に取り組むようになったのかというのは、私が高校に入学した後から、私が入学した高校は「自由の北園」と呼ばれていまして、校則も無い、制服も無い、本当に自由な学校だったんです。私もそれに惹かれて試験を受けて高校に入ったんですけれども、入ってみて、もちろん中学校と比べてすごく自由だったんですけれども、それと同時に規制が段々と強化されているという現実に直面するようになりました。例えば髪の毛を染めるということ。今は当たり前のように普通の人たちが髪を染めて生活しているという現状がある中で、「高校生が髪を染めるとはけしからん」というような風潮が先生方であったり広くありまして、髪染めをしていた生徒に対して、「黒く染め直せ」というような指導をするとか、だんだんと「自由の北園」ではなくなるんじゃないか、北園高校が自由な高校じゃなくなるんじゃないか、そういうような危機感を抱いていました。ただ、高校在学中はなかなか行動に移せなかったんですけれども、高校を卒業する直前に、さきほど映画の予告編を上映していただいたんですけれども、問題提起をしよう、自由の北園高校が、自由の伝統が続いていた北園高校が、このまま規制強化の波にのまれて普通の高校になってしまうのは絶対に嫌だということで、ドキュメンタリー映画を制作することを決めました。それが『北園現代史』という映画で、今もユーチューブで公開しているんですけれども、その映画を作る過程で金さんと知り合いました。前半部分が今の北園高校の現状について、後半部分が50年前に北園高校で、当時の在校生がバリケード封鎖をして自分たちの主張を押し通した、しかも弾圧されることなく主張が通ってしまったということを知りまして、今の現状にも共通する部分があるんじゃないかと考えて、当時の在校生、私の先輩にあたる方々に取材をして、後半部分はそのドキュメンタリーになっています。それをユーチューブで公開したところ、学校の中はもちろん大きな反響があったんですけれども、学校の外からもすごく大きな反響をいただきまして、メディアなどに取り上げていただくことができました。それがきっかけで、北園高校以外の校則の問題に取り組んでいる学校の生徒さんから連絡をいただきまして、北園高校だけの問題じゃないんだなということを実感するようになりました。今、ニュースで報じられている校則問題というのは、ツーブロック禁止ということだったり、元々地毛が茶髪の生徒が「黒髪に染め直しなさい」という指導で裁判になっているということやいろいろ報道されているんですが、私は原則校則については、元々無くていいんじゃないかと考えています。例えば、屋上に上がってはいけない、柵が無いから危ないという細かいのは置いておくとして、見た目の校則というのは絶対に無くすべきだと思っています。今回は、たまたま北園高校が髪染めの規制が強化されたということで髪染めだったんですけれども、学生の見た目を管理するというのは、学校であろうと絶対にやってはいけないことだろうと思って、この問題にずっと取り組んでいるところです。原則、学校は自由であるべきだと考えています。
卒業した後も、校則の問題に取り組んでいるんですけれども、それ以外にもドキュメンタリーの取材に興味がありまして、自分の関心のある分野に取材をしたりとか、そういう活動もしています。今日はよろしくお願いします。(拍手)

金廣志
ありがとうございます。
中村君と会ったのは昨年の2月くらいだったと思います。非常に成長しました。びっくりします。この年齢というのは、最初は大きな社会問題として考えたんじゃないと思うんです。違和感とか、学校のこんなところが嫌だとか、そういうところから入っていったと思うんですけれども、そういう問題をどんどん自分の内面の中に繰り込んでいって、新しいものを作っていって、そして仲間をたくさん増やしていって、非常にこれからの活動に期待しています。
中村君の撮った映画で主役をしている安達晴野君、よろしくお願いします。

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安達晴野(あだちせいや)
こんにちは、安達晴野と申します。今年の春に大学に入学しまして、今は政治学を学んでいます。私が高校でしてきた活動は中村眞大先輩が仰ったことと重なるので、そこは省略して、僕は今、校則問題をどう捉えているかというお話をさせていただきたいと思います。
私は校則問題というのは、人権と民主主義の問題だと考えています。
まず一つは、頭髪のこともそうですし、生徒に限らず、人間が生まれながらに持っている権利を、何の理由もなく不当に制限するというような校則や指導が今行われている。しかも、それを先生の側も生徒の側も、場合によっては保護者側も何の疑問を持っていない。それが普通だと思ってしまっている。そういう人権意識の欠落というのが、校則問題の一つの根本的な原因だと思います。
もう一つは、民主主義の問題にあります。校則というのは、基本的にほとんどの学校では先生が一人で決める、先生のみが一方的に決めてしまう。決めるプロセスとか、そういうのもはっきり書かれていないし、決まった校則に対して、生徒や保護者が声を上げても、なかなか反映されない、無視されてしまう、跳ねのけられてしまうという現状があると思います。
私の知り合いの学校だと、そもそも校則はあるけれど、それがどういう校則なのか生徒に知らされていない。先生から状況に応じて「これは校則違反だから」と教えられていくという状況のところもあるみたいで、民主主義のプロセス、話し合ってお互い同意した上でルールを決めていく、もしもルールを付け加えたり変更する場合も話し合って決めていくというプロセスが全く整理されていないというのが、もう一つの校則問題の根本的な原因だと思います。人権の問題と民主主義の問題というのは、学校現場だけでなく日本社会全体に共通しているものだと思っていて、おそらく学校現場に人権と民主主義というものが存在していないから、今の日本社会でも人権と民主主義が存在していない、若しくは危機にさらされていると思うし、社会に存在しないから当然教育現場にも存在しなくなってしまうという相互作用があると思います。なので、「たかが髪染めなんかなどうでもいいじゃないか」という声を掛けられることもあるんですけれども、「どうでもよくないんだ。これは学校現場でもそうだし、日本社会全体に通じる問題なんだ。もし髪の毛がどうでもいいと思っているんだったら、どうでもいい髪の毛の事を指導しないでくれ」と思っています。
以上です。(拍手)

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<若い世代からの疑問に当事者が答える>
―武力(暴力)についてー
金廣志
ありがとうございます。
やっぱり若い人は熱いですね。我々も熱かったんですよ。半世紀前の若者もそうですが、現在の若者たちも様々な社会矛盾に向き合い、より良い未来社会を築こうとしているのかなと思います。さきほどの話にも出てきましたが、日本人は人間とか社会の本質に触れるテーマに対して議論することが苦手なんですね。社会の表層をなでるような議論しかされていない。それがSNSの社会でも同じように表層をなでる議論しかされない、ということがあると思います。
今日は未来を担う若者たちのためにも、社会経験を積んだ大人たちが本気で若者たちの疑問に答えていただきたい。今日は3人とも最初の時間から、よく映像を観ておいてくださいとお話しました。そして2部の議論を聴いて、その上で疑問に思ったこと、おかしいと思ったこと、あるいは共感すること、そういうことがあれば鋭く質問していただきたいです。
よろしくお願いします。

安達晴野
そうですね。動画を観てお話を聴いて、いろいろ気になったところがあるんですけれども、最初に、岩田さんが「世の中、武力的な裏付けがないと変わらない。そして今もそう思う」と仰っていたと思うんですけれども、それが正しとか正しくないとかは置いておいて、そもそも武力というものを何の目的で用いるのか。それはどういうことかと言うと、例えば相手を交渉のテーブルに引きずり出すために武力を用いるのか、それとも、そもそも相手をせん滅して自分たちが力を握るために武力を用いるのか、どういう風に武力を用いるのを想定していたのか、というのが気になります。

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岩田平治
武力は核兵器にしても、相手を脅すためとか、自分を守るためとか、そういう中での武力ですね。やっぱりそういう裏付けがあって初めて戦争抑止力という言い方もありますし、実際に武力を用いて他国を侵略したり、北朝鮮みたいに脅しにミサイルを使うとか、日本の中でもそういうものに対して防衛費を上げなければいけない(という議論がある)。ただ平和、人権を唱えているだけで、果たしてそういうものを、いろんな考え方の人たちに囲まれている中で、今の日本のそういうものが守られるのかな、ということもあると思います。
そういう意味での武力であって、日本が原爆を落とされて悲惨な経験をしている国であることは事実ですし、広島の原爆死没者慰霊碑に「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから」と刻まれているけれども、ただ刻まれているだけで二度とそういうことは起きないのかと言えば、決してそうではないし、日本の戦後の民主主義も、日本に原爆を落としたアメリカが持ってきてくれたものなんですよね。軍国主義に反対して日本人が民主主義とか人権とかを勝ち取ったわけではない。結局はアメリカの武力によって初めてそういうものが持ち込まれて、それが正しいか正しくないかは置いておいて、そういう事実があったんですよね。今、アメリカはウクライナを応援して、自分たちはやらないがウクライナにやらせていますが、実際ベトナムでアメリカは同じことをやっていたわけです。ロシアや中国はベトナムを応援して、最終的にアメリカはベトナムで勝てなかった。そうすると、ベトナムはあれだけ自分たちが悲惨な目に遭ったにもかかわらず、今度ウクライナに対して声を上げているかと言うと、決してそうではないわけです。それは最近の政治の関係で、ロシアから援助を受けたとかいろんなことがあるでしょうし、現在も繋がりが強いということもあるでしょうから、だからそういう意味で人類の歴史というのを見てみると、正義が勝ったんじゃなくて、勝った方が正義を作っているというのが、歴史の今までの過程だったということを踏まえて、これからの活動というか世の中の見方というものを、きっちり見て、自分たちの将来の活動なり人生を作ってもらえたらいいなと思います。

安達晴野
ありがとうございます。

金廣志
ちょっと僕の方からそれに関して、暴力については一番悩んできたことなんですよね。我々は暴力をどう考えて来たかと言うと、暴力を無くすための暴力と考えていたんですよ。歴史上、システムがチェンジする時に、暴力が行使されなかったことは無いんです。かつてチリのアジェンダ政権が平和的に政権を移行して社会主義を実現しましたけれど、ピノチェトのクーデターによって倒されました。韓国でも1960年に李承晩を倒した学生革命が起こりましたけれど、その後、朴正煕のクーデターが起こりました。我々の言っている暴力というのは、暴力を無くすための暴力だ、だけど本当に必要な暴力というのはあるのか、ということを、今日は来ていませんけれど、先週青砥(幹夫)と熱く語りました。これは正直な話、いまだに解決のつかないことなんです。あなたたちも一緒に考えていって欲しいと思います。

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安達晴野
ありがとうございます。
例えば、ガンジーは非暴力・不服従を訴えて、実際にイギリスの植民地支配から独立した。もちろんイギリス側から武力的な弾圧があったり、独立後にインドとパキスタンで分裂してしまって、戦争が起きたり、そういうことがあったと思いますが、社会変革の程度は別として、暴力が伴わないと何かが変わることがないのかなと、自分はまだ半信半疑というか・・・。

金廣志
若者を責めるわけにはいかないんだけれども、ガンジーのインドは世界で最も軍事大国の一つであるということも含めて、我々は暴力というものに対して、もっと深く考えないといけない。暴力に対抗する暴力しかないんだという考え方は、何の意味もない。今、世界で行われているロシアがウクライナを攻めたから、我々の軍事力を大きくしなければいけない、日本は防衛費を倍にしなくてはいけない(という議論があるが)、どうやったら平和が来るんですか。戦争が起こらなければ、破局が来なければ、新しい時代は来ないと言っているだけですよね。我々はずっと非戦を語り続けること以外に、どうやって未来社会を創れるのかというのが、一応私の建前上は考えます。

安達晴野
ありがとうございます。

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中村眞大
僕は連合赤軍事件の時は私は生まれていないですいし、オウムの事件の時も生まれていないですけれども、連合赤軍と聞くだけで日本の歴史という感覚が正直しているんです。こんなこと言ってしまったら失礼かもしれないですけど、江戸時代の幕末の新選組の話ですけど、すごく規律が厳しくて何人も切腹したという話がありますけれど、本当にそういう類の扱いというような、頭の中でそういう風にあるわけですが、もちろん当時を知る方が生きていらっしゃるという点では違いますけど、一種の日本の歴史というような感じています。
今日、すごくいろいろなお話を伺って一つ疑問に思ったことは、今の若い世代というのは、暴力にほとんど縁がないわけです。基本的に、今の若い人たちがどのように運動しているかというと、SNSを使うことがすごく多いです。特にツイッターです。次に多いのがインスタグラムだとかと思うんですけれども、SNSを使って、時には人を煽ったりすることもあるだろうし、時には署名を集める。そういうSNSを使うというのが、使い方によってはすごい暴力に走ってしまうこともあるけれど、私たちがやっているようなSNSを使った署名という民主的な方法に使うこともできるというので、使い方によっていろいろ変わってくるかなと思うんですけれど、私たちは暴力というのは絶対にダメだ、対話が絶対に大事なんだと考えている人が、今の若い人の中ですごく多いと思います。
今日のお話を伺っている中で、連合赤軍の後にオウム真理教があったり、ずっと暴力という手段は歴史の中で繰り返されるというか、連合赤軍で終わったわけではなくて、オウムの事件があって歴史って繰り返されるんだ、とすごく感じたんですけれども、今は私たちが暴力という手段を使って世の中を変えるということは全く想像できないし、僕たちの世代から暴力革命が生まれるというのは、全くもって想像できないんですけれども、今後、また暴力の時代が来るのかどうかというのは、すごく気になっているところで、今すごく対話が大事だ、考え方が違う人たちとも話し合ってみようという人が多いんですけれども、今後、また暴力しか世の中変えられない、というような時代がまた来てしまうのだろうか、というところが気になっているところです。
もう一つは、当時、連合赤軍で銃砲店を襲ったりとか、そういうことがあったと思うんですけれども、素朴な疑問なんですが、連合赤軍の皆さんが銃砲店を襲って武力を持とうとした理由というのは、抑止力のための武力だったのか、それとも本当に銃を使って国と戦おうとしていたのか、というところが気になった点です。論理的に考えれば数十人と国では戦って勝てるわけないと思いますが、武力を自分たちが身に着けることによって、どういう手段を用いて、具体的に国を変えたかったのか、世の中を変えたかったのか、伺いたいと思います。

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雪野建作
本当の事を言うと、1971年の1月2月の時点で、武力によって何かをするという必要性は全く無かったんですね。機動隊だって鉄砲を持ってくるわけではないし、催涙弾とかその程度で来るわけで、運動する人たちを殺しに来ているわけではなかった。運動の側はそれに対抗して武力で、しかも銃を持って相手を殺すことも含めて、支配してしまうという現実は全くありませんでした。我々もそういうことを全く考えていなかった。
何のための銃かと言うと、(指導者の)川島豪が獄中で「俺の身柄を解放しろ」ということで、指導部が「やりましょう」ということで、具体的には裁判で被告人が拘置所から護送されて来る。そこのところで銃を構えて奪還する。奪還する時に抵抗したらどうするのか、撃ち殺すのか、そんなことも考えていなかった。
だから我々自身も武装して、軍事的な闘争をやるという意思はなかったんです。ところがやってしまうと、さっき(2部で)山本さんが「言葉」と言いましたが、別の「言葉」が現れてくる。川島豪は、やっているうちに「武装闘争」だとか「敵のせん滅」だとか、「敵の抑圧を解除して、こちらに支配権を」と言い出すんですね。実際、そういうことは有り得ない話で、たまたま狭い範囲で一時的になったとしても、日本みたいな高度に発達した経済、社会の元では、たちまち抑圧されてしまって、何の意味もないことなんですね。ところが川島豪はそれを言い出した。永田(洋子)がどういう人か、良く分かるテキストがあります。彼女は何と言ったかというと「銃を握りしめて初めて分かった」とバカなことを言った。別に銃といっても鉄の道具だし、それは持つ人がどういう意思を持つかによって違う意味を持つわけです。普通は鹿だとか猪だとか熊を撃つための道具として使われていたわけで、警察官の拳銃だって闘争をやっている人たちを殺すために持っているわけではない。だから、川島豪が言ったのは、全くの空語だったわけです。それ以上に永田(洋子)が言った「握りしめて初めて分かった」というのは、何の意味もない感情論で、何の説得力もないものなんです。ところが、それが当時の運動の中では、次第に「それで行こう」となってしまったんですね。
赤軍派はどう言ったかというと、そもそも「交番襲撃の時に、相手を殺そうと思わなかったから負けたんだ」と言う人がいて、それに反論する人もいなかったし、5月くらいには革命左派は「銃を軸とした武装闘争」と言い出すようになってしまった。
もし警察官が人々の運動を銃を使って撃ち殺していくという状況があれば、それに対抗することは必要でしょうし、実際に対抗することが始まったと思うんです。言葉だけが先行
してしまって、「武装闘争」を言い出したんですね。言い出してしまうと、ちょっと聞くとそれが論理的であるかのような、言葉巧みな人が現れるわけです。森恒夫がその最たるものだったと思うんです。そいうのを永田(洋子)が見て、森恒夫はすごいと思うわけです。この人に指導してもらおうということで、川島豪から森恒夫に乗り換えてしまうんですね。
一言で言うと、言葉が先行してしまった。実際の条件が何も無かった。それがその後の「総括」に至るわけです。

金廣志
岩田さん、どう考えますか?

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岩田平治
まあ、そう仰っている雪野さんも指導部の一員だったんですよね。捕まるまでは、思っていたにしても、永田(洋子)や坂口(弘)のそういう方針を納得していなかったと言いつつも、指導部の一員だったわけです。ですから、私は実際に総括が始まった現場に居て、自分が同志を殴って、結局殺人罪とか死体遺棄罪で起訴されて、5年の実刑判決を受けたということがありますが、それじゃあ、私自身が自分自身を顧みて、幹部たちはそう言っているだけで、私は反対していたからあれしたんじゃないし、幹部たちに協力しなければ、今度は私がやられるからやったわけではないんです。やっぱり、そういうことの選択をきちんとしながらも、そこで殴ることを選んだり、その場で居ることを選んで居たわけです。そういう意味で、自分自身を顧みた時に、吉本隆明さんが書いた『共同幻想論』を読んで、はっとしたんですけれども、人間は自分自身を抑圧することを知りながら、そういう抑圧する規範を作り出すことができる存在だと。その存在が共同幻想であり、それは個体の幻想と逆立する構造を持つと。それは人間の個人の中に持っているんですよね。ですから、革命とか革命戦士とか人民とか、そういうものを私自身が彼女たちの発言の中から選んで自分の中に入れて、そういうものを一番の共同幻想として掲げて、自分自身の対幻想とか個のいろんな思いとか、そういうものを押し殺していったと考えた時に、森や永田や坂口や、他の人たちにしてみても、喜々として仲間を殺すなんてことは有り得ないわけですよね。彼らも悩みながら、山本さんがさっき(2部で)言ったように、言葉が先行したみたいな話じゃないですけれども、やっぱりそういう言葉とか態度に自分自身が囚われてしまう、そういうことがああいう事態を生み出したんじゃないかなと思うんです。ですから、あの事件の様々な細かい局面を見てみると、女らしさがいけないとか、あるいは風呂に入ってはいけないとか、そんなことが言われて総括されたわけです。そのこと自体は愚問だし、永田の加虐趣味でも何でもなくて、そういう側面が出てくるようになったのかなと思います。

金廣志
ちょっといいですか。暴力についてなんですけれど、暴力というのはエスカレートする宿命にあると思うんです。要するに、さきほどの映像にもありましたけれど、60年安保の時のデモ隊は何も持っていない。機動隊は警棒を持っているけど。何人かはプラカードを持っていますけれど。そして1967年の10・8羽田闘争で山﨑博昭さんが亡くなっていますけれど、彼も何も持っていませんよね。何も持っていないまま殺されたんですよね。そうすると我々は武装しますよね。武装すると武器の方が先になっちゃうんですよ。例えば銃、私たちは赤軍派ですから、首相官邸占拠という話をしましたけれど、その時のイメージはすごく簡単で、11tトラックを3台盗んで、20人くらい荷台に乗って突っ込んで、皆が日本刀を持って切り込んでいくという、馬鹿げたことを考えているんです。その程度のことしか考えていない。銃を手に入れると考え方が変わるんです。指導も変わります。
先ほどの話と結びつくんですけれど、暴力は必ずエスカレートするんだ、そのことが一つ大きな問題になっていると思います。さっきの総括の話もありますけれど、(2部で)パトリシアさんは止められると言いましたけれど、本当に止められるのかという悩みもいまだにあります。

雪野建作
議論して反対していた時も指導者の一員だったんじゃないかと言われたんですが、実は指導部ではなかったんですけれども、一番これは反省して、もっと別のやり方がなかったのかと思うところです。
具体的には、6月に北海道から奥多摩湖の奥の山梨と東京の県境の川のところに野営地があるんですが(そこに行って)、そこで議論して、どういう議論だったかというと、「銃を軸とするかしないか」とうことです。
私が言わんとしたことは、「準軍事的な闘争をやる条件はないし、それはすべきでない」ということです。それでも武装闘争をやるという一般論について反対ではなかったし、あと私も若いから、そういう闘争に身体の中に燃えたぎるものがあるわけです。そういう意味で、結局丸2日議論したんですけれども、決着が付つかなかった。その時にどう論争を収めたのかというと、私が「その方針に納得できないし、承服しないけれども、多数決でしょうがない。この方針で行くことは認めます」と言った。はっきり言って、そのまま行ったら絶対やり続けることはできないし、いつか大きな壁にぶつかった時に、その時になるまで自分の議論は受け入れられないだろう、そういう風に思っていました。それで、私は議論に負けて、形式的な問題ですけれども、指導部の中で外交的なことをやる組織部の一員でしたから、そういう場所の中で動く役回りでしたから・・・。
さっきの武装闘争の問題については、私はそういう立場でした。そういう立場だったから、川島豪とだんだん意見の違いが出てきて、議論をして、一番最初の段階で、「これは間違っている」という議論をやったんですけれども、結局、私は一人離党するという形になりました。それが、あの1年間の私が歩んできた道です。
何か別のやり方があったのかというと、私は金さんのように根性がないから、何しろ指名手配されていた。組織的な支えなしに生き抜くというのはどうすればいいか分からなかったし、そもそもそういう発想がなかった。それでしょうがないから労働しに行って、まもなく捕まってしまったということです。

中村眞大
ありがとうございます。
最初にお二人がお話されていた言葉の恐ろしさ、人の話した言葉の恐ろしさであったり、自分が発した言葉に囚われてしまう恐ろしさというのをすごく感じました。
もし森恒夫が当時ツイッターをやっていたら、森さんや永田さんのセンセーショナルな演説がツイッターやtiktok(ティックトック)で拡散されていたら、自分たちの周りの大学生だけでなくて、もっと幅広い人たちに彼らの言葉が届いていたらどうなっていたんだろう、とちょっと考えましたし、逆に言えば、今もしそういった事態に陥ったとしたら、当時と同じようなことがまた起きてしまうのだろうか、というようなことも考えました。
ありがとうございます。

63

―「総括」殺人を阻止する方法はあるのかー
宮島ヨハナ
さきほどの話と繋がるかもしれないんですけれども、私はこのシンポジウムに出ることが決まった時に、全然あさま山荘事件も連合赤軍事件の事も全く知らなくて、自分でドキュメンタリーとか観ていたんですけれども、やっぱり何で理想的な平和な社会を目指して純粋な気持ちで進んでいた大学生が、リンチ殺人に走ってしまったかというのが、すごく私も疑問で、自分なりに考えてみたんですけれども、いま取っている平和研究という授業があって、そこで集団的な暴力の一因となるのが、やっぱり権力者に従うことというのを学んで、その例として、ミルグラム実験(閉鎖的な状況における権威者の指示に従う人間の心理状態を実験したもの)というのがあって、権力者の人が目の前にいる人を電気ショックしてくださいと言って、普通の学校の先生だとか一般人の方にそういう風に言って、最初はためらうんですけれども、最終的には全員電気ショックをしてしまうという実験結果で、それを聴いたときにすごくこのリンチ殺人にも当てはまると思いまして、私が向き合っている入管問題というのも、結構入管施設内で職員による暴行が問題になっていて、職員の人が収容者の人に対して制圧という言葉を使って暴行を行って、結果として骨折とか失明するという事件が起こっているんですけれども、それもやはり職員自身が悪いというよりも、職員がそういう暴行をすることを許してしまっている組織というか、上に立っている組織だったり、制度が悪いと私は個人的に思っているので、今回連合赤軍事件が起こってしまった理由としても、そういう権力者と、パトリシアさんも言っていたように、日本では他国と比べて上下関係が強い文化もあると思うので、そういう意味でリンチ殺人を行ってしまった一因として、一つだけの原因ではないと思うんですけれども、いくつかの原因の一因として、そういう権力に従うということがあると思っていて、それに対してパトリシアさんが「それを阻止する方法があるんじゃないか」と言ったんですが、お二人はそういう阻止できる方法があると思うのか、お聞きしたいです。

70

岩田平治
自分自身が過去を振り返ってみて、やっぱり阻止する方法は無かったと思います。というのは、私たちの組織の中で一番あれなのは武装闘争だし、革命戦士になることだし、その他の人道的とか倫理的とか人間に命が大事だとか平和とか、そういう次元が無いわけです。そこからの議論でないと議論にならないわけです。ただ、感性的にはこういうものに付いていけないということで、私は逃走というか、山で殺されていた小島さんの16歳の妹を山に連れてこいと(言われた)、私の彼女もそうだったんですね。私の彼女も革命戦士になろうと思っていたわけではない、ただ私との関係の中でたまたまそういう闘争に関わっていくことはなきにしもあらずだったんですけれども、山に連れて来たからと言って指導部が彼女たちを必ず革命戦士にするという保証もないし、結局、名古屋で活動して、彼女たちとも連絡が取れなかったんですけれども、最終的に山に入った時に逃げたんですけれども、それでも私はこの革命が間違っているとは当時は思っていなかったんです。正しいかもしれないけれど、私は付いていけないという形なんですね。ですから、私が離脱した後も引き続きリンチ・殺人みたいなことが起こるんですけれど、私の時には3人死亡しているのかな、そのうち2人が縛られた状態だったんですけれども、その後更に6名が処刑とかいろんな形で殺されているんですよね。ただ、私が山から(名古屋に)活動に出された時点では、もうこれでだいたい終わったということだから活動を始めたと理解していたわけです。ですから、私が逃げる時に、幹部の人たちがどういう風に考えるかと思ったら、私が警察に捕まって何か言う前に私を捕まえて殺すんじゃないかと考えてたわけです。ですから親戚を頼って大阪に行って、大阪の親戚のつてで和歌山の山奥のところを紹介してもらって、そこで働いて隠れていた。ただ、幹部たちは私を連れ出すのに、自分の家族とか妹とか東京に居ましたから、そういうのを拉致するなりして「出てこい」と言えば出ていかざるを得ないと考えていました。ですから、私が正しいんだと離脱したわけではないんですね。もう付いていけないということなんです。ですから、そういう意味では、さきほども言いましたように言葉は何のために必要かと言うと、「組織」になったり「大勢」になったり「我々」になったりするためには必ず必要なんですよね。
私の考えを伝えるのは限界があります。私の孫も高校1年生になるので、あと数年経つとこのようになるのかなと思うと、とてもこれほど立派な意見を言えるようになるとは思えないですが、素晴らしいことだと思うんですけれども、考えていってもらいたいことは、やっぱりある程度多くの人の賛同を得ないと力にはならないと思うんです。武力云々ではなくて。そういう中で「私」が「私たち」になり、そうするといろんな軋轢とか問題が出てくるんですね。その時に意見の違う人たちも出てくるだろうし、意見の違う人たちを従わせるためにはどうしたらいいのかとか、多数を得るためにどうしたらいいのかとか、そういう問題に直面すると思います。ただ、そういうものを、いろんな形で解決するというか、新しい工夫を生み出すような形で、今やっている運動を続けて行ってもらえたらと思っています。

37

雪野建作
パトリシアさんが、「阻止する方法はある」と言った。私は、これは「あるけれども、それも限界がある」と。それで、岩田さんが言ったことは大事な事なんですよ。いろいろ理屈としては納得せざるを得ないけれども、感性的にはどうしても納得できない、付いていけない、これはとても大事な視点なんです。最後の拠り所として、ある分岐路があって、その時、社会的な圧力だとか、それまで自分が生きて来たことだとか、そういったものをどこかでどちらかに行かなければいけない。その時は本当に自分の感性を信じて、それから言葉にできないけれども何か違う、どうしてもこれは間違いだという時は、それを否定しない。(間違いを)否定する方向に進むべきだと思います。そいう意味で、岩田さんは正しい道を歩んだと思います。ただ、その団体がそういう人が1人か2人いたとしても、団体全体としていい方向に行っているか、これはまた別問題です。ただ、一人ひとりは結局1人なんです。自分なわけですから。自分と団体は別のものですから。その時に、個人としてどういう身の処し方をするかと言えば、今言ったような処し方をするしかないし、その方が正しい。そういう人が段々増えていけば、団体としても方向を変えざるを得ないんじゃないかなと思います。

金廣志
さきほど岩田さんとも話したんですけれども、パトリシアさんがそういうお話をされた時に、「ちょっと我々は考えられないね」と。ある一つの集団が、ある一つの思想を持って、そしてそれを真実だと思って活動した時には、離脱することはできないですよね。ですから、私たち自身が、さきほども話がありましたけれど、その前の段階で一つひとつそこの疑問を常に公にしていく、内側に秘めて「まあいいか」と1回重ねた、「こっちもいいか」と2回重ねた、その時から地獄が始まると思うんですよね。宮島さんはキリスト者ですから、ある意味での新しい別の概念を持ってくる方法もあります。それは愛かもしれません。ただ、さきほど岩田さんの話にもありましたけど、我々が一度共同幻想に絡めとられたら、我々の言葉は個人の言葉ではなくなりますから、難しいと思います。
何でそんなことを言っているかと言うと、あなたたちの将来が決してそうならないという、そういうことを教訓にして今後生きて行っていただきたいと思うから、そういう話をさせていただきます。
最後に本当に短く、3人の若者に、未来社会に生きる希望と理想を語っていただきたい。また、そのお話の後に、半世紀前に未来社会を築こうとした岩田さんと雪野さんに、若者たちへのエールを送っていただきたいと思います。

<若い世代が未来社会に生きる希望と理想を語る>

61

宮島ヨハナ
そうですね。私の理想の社会は、やっぱり綺麗ごとに聞こえちゃうかもしれないですけど、一人ひとり違うと思っていて、この社会って皆が同じっていうよりかは、日本人という括りの中にも、様々なバックグラウンドだったり、ジェンダーだったり、どこの国から来たとか、そういう多様な人間がいる中で、違いを認め合って、尊重し合って、隣人を愛していくというのが私の理想です。
すごく高い理想だとは承知しているんですけれども、それが理想で、今は理想とは程遠い現実ですけれども、一人ひとりが社会で生きて行く中で、隣にいる人も家族だったり友達だったりというのも尊重し合って、愛し合って、お互いを高め合っていくという、そういう社会が理想だなと思いますし、今の日本社会ですと、結構少子化が問題になっているので、これから外国人の労働が必要になってくると思うんですね。そういう中で技能実習生の問題だったり、外国人労働者の問題だったり、入管の中の難民の問題だったり、様々な問題に直面していると思うんですけれども、そういう問題と向き合っていく中で、違いを尊重し合って、どう壁を壊して共存していけるかということを、市民一人ひとりが考えて、例えば今度(参議院)選挙がありますけれど、そういう時にも、そういうことを視野に入れて考えていって、外国人であっても、どんな人であっても安心して暮らせる社会、それは制度の改革かもしれないし、法律の改正かもしれませんけれども、そういうステップを取って、より生きやすい、どんな違いがある人間も生きやすい社会が私の理想の社会です。(拍手)

64

中村眞大
そうですね。今、宮島さんが仰ったことにすごく共感するんですけれども、僕が思うのは、今、物事とか人に対して一つの局面からしか見ない人がすごく多い気がしています。例えば、沖縄で高校生が警察官に警棒で殴られて失明してしまって、それで怒った沖縄の若者たちが警察署を取り囲んだというニュースがあったと思います。その時に、SNSとか世論は少年を失明させた警察ではなくて、そんな時間、夜にバイクに乗っていた高校生を叩いたというのがすごくショックでした。その高校生は、夜出歩いていたかもしれない、もしかしたら暴走族に属していたかもしれない。けれども、警察官に顔を殴られて失明したということは紛れもない事実で、それに関しては同情するべきで、警察が非難されるべきだと思うのに、なぜか「あいつはそんな時間に夜出歩いていた。そういうことされてもしょうがないよね」と高校生批判がネット上に出回ったことがすごくショックでした。確かに彼は暴走族とかに属していたかもしれないという側面があったとしても、「でもこれとこれとは別問題なんだよね」と考えられる人がすごく少ないと思っています。今日の連赤の話でも、人が死んだということだけをすごく取り上げて、テロリストだと考えて、その奥にある背景だとか、そこに至るプロセスというのを全く無視して、「怖い怖い」と片付けてしまうという人たちもすごく多いと思うので、それはやはりテレビだとかSNSだとかいろいろな原因があると思うんですけれど、もちろんSNSとかテレビの良さはあるんだけれども、一つの局面から見るんじゃなくて、もっといろいろな複数の視点から見て、最終的に判断するというようなことが出来るような人がたくさんいる世の中、そういうような世の中で多様性とか認め合っていけたらいいのかなと思っています。(拍手)

66

安達晴野
僕は、人間が人間として、一人ひとり個人として尊重される社会になって欲しいと思っています。いろんな個性があると思うんですけれども、そういうものを受け入れて尊重できるような関係性というのを築ければいいな、と思っていて、正しく私が通っていた都立北園高校というのが、それに近かったと思うんです。北園高校に入ると、めちゃくちゃ個性が伸びる、個性的になると僕は思っていて、北園高校は板橋区にあるんですけれど、僕の地元も板橋区で、僕の中学校から、だいたい1学年10人くらい北園高校に進学する。皆、北園に入って顔が明るくなった。あと、僕が驚いたのは、この子って本当はこういう感じの子だったんだ、と思ったんですね。やっぱりそれは、自由な環境の中で、今まで抑圧していた個性を出せるようになった。また、その出した個性に対して、誰かが文句を言ったりするのではなくて、「そういう人もいるよね」と受け入れる、受け入れるというのは好きになるとかそういうことではなくて、「そういう人もいるでしょう」と受け止めることが出来ていたのかなと思っていて、結構世の中を見ると、自分と違ったものを受け入れることが、自分を否定することになると勘違いしている人がたくさんいるのかなと思っていて、けれど絶対そうじゃないと思うんですよ。自分と違うのを認めたからと言って、自分の価値が否定されるわけじゃないし、逆に自分に価値があるから、自分と違う人は価値がないというわけでもないと思うんです。やっぱり、それぞれがお互いの個性とか価値とかを受け止めて、尊重できるようになる社会であって欲しいと思っています。
それで、社会が変わるか変わらないか、社会が変わるためには暴力が必要かも知れないというお話があったかと思うんですけれども、自分は暴力が無くとも社会が変わると思っていて、その正しく成功体験として自分が今まで取り組んできた校則問題があると思っています。もちろん、校則問題はまだ解決したわけじゃないし、発展途上というか、今、正に変わろうとしている最中だと思うんですけれども、僕はずっと自分の意見が政治に反映されたり、若しくは社会に反映されたりすることが無いんじゃないか、絶対に無いとまでは思っていなくても、ほとんど無理だろうみたいに思っていたんですけれども、校則問題にこの3年間取り組んできて、自分が声を上げることによって、本当に社会とか政治が変わっていくんだと実感することができたんですね。
今年の4月から、全都立高校で、いわゆるブッラク校則と呼ばれている一部のもの、例えばツーブロック禁止とか、下着の色の指定とか、そういうものが無くなったりとか、そういう風にゆっくりではあるけれども、絶対に声を上げることによって社会が変わると僕は思っています。
僕はメンタルが結構強いし、楽天家でもあるので、確かに国会など見るとすごい暗い気持ちにはなるけれども、それでもきっと社会は良くなっていくだろうし、自分が良くしていきたいと思っています。(拍手)

72

<若い世代へのエール>
金廣志
すばらしい意見をいただきました。最後に岩田さんと雪野さんに、若者たちに、もう自分の事はいいから、若者たちに未来に対するエールを送ってください。

雪野建作
さっきも言ったんですけれども、自ら信じることに従って進んでください。そして、自分の感性を信じてください。これだけです。

岩田平治
若い人たちの意見を聴いて、これからの日本は決して捨てたものじゃないと思いました。ただ、今回、50周年ということでテレビの取材とか新聞の取材を受けて、私より若い30代40代の人たちが、決して未来に対して希望を持っていないわけではないけれども、やっぱり社会の中でも揉まれて、少しは屈折した感じになっているかなという気がしました。ただ、今日の大学生の皆さんは、そういう素晴らしい考え方や希望を持っておられるので、そういうものを出してもらえればいいなと思います。
応援していますので、是非がんばってください。(拍手)

金廣志
今日は皆さんありがとうございました。
私たちのこれまで多くの誤り、それに対する反省を重ねながら、この半世紀を生きてきました。しかし、半世紀前に抱いた理想や希望を捨てて生きてきたわけではないんですね。より良い未来社会を築くために、私たち自身も思想的研鑽が必要だったと思います。そこで得られた反省を、こんな若者たちの未来に伝えていかなければならないかなと思っています。
半世紀前に私たちが抱いた理想や希望が、より良い形で進化して、新しい若者たちに受け継がれることを期待します。この未来を担う若者たちに拍手をお願いします。(拍手)
どうも今日はありがとうございました。これでシンポジウムを終わらせていただきます。
(終)

【アーカイブス】
「連合赤軍事件の全体像を残す会」では、「あさま山荘」40周年と45周年に集会を開催しています。
このブログにも報告を掲載していますので、以下のアドレスからご覧になれます。
No245  シンポジウム 浅間山荘から四十年 当事者が語る連合赤軍
No471 浅間山荘から45年「連合赤軍とは何だったのか」第一部
No472 浅間山荘から45年「連合赤軍とは何だったのか」第二部

連赤関連記事(もっぷる通信特別号 3・31人民集会特集 1972年4月20日)
No241 連合赤軍浅間山荘銃撃戦と総括による死をどう受け止めたのか


【重信房子と遠山美枝子 「47NEWS」よりリンク】
『私だったかもしれない ーある赤軍派女性兵士の25年』の著者、江刺昭子さんが「47NEWS」に掲載した記事です。
「若き日の重信さんと親友遠山美枝子さんの生の軌跡を素描することで、あの時代の空気や党派の動向、女性たちの生き方をたどり、考えたい。」(江刺昭子)

「47NEWS」は、全国の52新聞社と共同通信のニュースを束ねた地方紙連合ウェブサイトで、今回の記事は「47リポーターズ」に掲載されたものです。
リンンクを貼らせていただきました。以下のアドレスからご覧ください。

重信房子と遠山美枝子(1)
「マルクスよりルソーが好き」バリケードの中で意気投合した2人 数奇な運命を分けたものは何か

重信房子と遠山美枝子(2)
「社会科の先生に2人でなろう」お茶の水をカルチェラタンに 佐世保・王子・三里塚...続く闘い

重信房子と遠山美枝子(3)
「ふう、あなたが先に死ぬんだね」アラブにたつ日の涙 樺美智子につながる美質

重信房子と遠山美枝子(4)
純粋な若者たちを追い込んだものは何か 「兵士として徹底的に自己改造する」と山へ

重信房子と遠山美枝子(5)
女を後ろに下がらせる組織にあらがう 「私たちが新しい世の中を作る」と最後の言葉

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『私だったかもしれない ーある赤軍派女性兵士の25年』(インパクト出版)江刺昭子/ 著
(紹介)
1972年1月、極寒の山岳ベースで総括死させられた遠山美枝子。
関係資料と周辺の人びとの語りで、複雑な新左翼学生運動の構図、彼女が学んだ明治大学の学生運動と赤軍派の迷走を描く。
目次
第一章 2018年3月13日横浜相沢墓地
第二章 重信房子からの手紙
第三章 ハマッ子、キリンビール、明大二部
第四章 バリケードの中の出会い
第五章 「きにが死んだあとで」
第六章 赤軍派に加盟
第七章 遠山美枝子の手紙
第八章 新しい世の中を作るから
補 章 伝説の革命家 佐野茂樹

(著者プロフィール)
江刺昭子(エサシアキコ)
1942年岡山県生まれ
広島で育つ。女性史研究。
著書に『樺美智子 聖少女伝説』などがある。

定価2,000円+税

【お知らせ その1】
「続・全共闘白書」サイトで読む「知られざる学園闘争」
●1968-69全国学園闘争アーカイブス
このページでは、当時の全国学園闘争に関するブログ記事を掲載しています。
大学だけでなく高校闘争の記事もありますのでご覧ください。
現在17大学9高校の記事を掲載しています。

http://zenkyoutou.com/yajiuma.html

●学園闘争 記録されるべき記憶/知られざる記録
このペ-ジでは、「続・全共闘白書」のアンケートに協力いただいた方などから寄せられた投稿や資料を掲載しています。
「知られざる闘争」の記録です。
現在12校の投稿と資料を掲載しています。


【お知らせ その2 】
ブログは概ね2~3週間で更新しています。
次回は9月23(金)に更新予定です。