2022年10月8日は、1967年の10・8羽田闘争から55年目となる。この日は羽田・弁天橋での黙祷、萩中公園近くのお寺での法要、そして蒲田で記念集会があった。
今回のブログは、その参加報告である。写真を中心にドキュメント風に当日の様子を書いてみた。
2022年10月8日(土)
【献花・黙祷@弁天橋】
午前10時35分
(弁天橋)
弁天橋を渡ると、橋の欄干にメッセージと花を付けている人がいた。
メッセージには「67年10・8山﨑忌 恥ずかしくない行動をしてきたよ」と書かれている。
前年の54周年の日にも欄干に花が添えられていたので、誰だろうと思っていたが、いつもより時間が早いせいか、その人に会えた。
大田区内で「子ども食堂」をやっているとのこと。「子ども食堂」の準備ということで、簡単な挨拶をしただけで立ち去って行った。
メッセージには「67年10・8山﨑忌 恥ずかしくない行動をしてきたよ」と書かれている。
前年の54周年の日にも欄干に花が添えられていたので、誰だろうと思っていたが、いつもより時間が早いせいか、その人に会えた。
大田区内で「子ども食堂」をやっているとのこと。「子ども食堂」の準備ということで、簡単な挨拶をしただけで立ち去って行った。
(欄干のメッセージ)
午前11時15分
(広場に集まる参加者)
午前11時30分
弁天橋前での追悼の小集会が始まった。参加者は40数名。
最初に山﨑博昭プロジェクト発起人の佐々木幹郎氏から発言があった。
「テーブルの上にある写真が山﨑博昭の姿です。彼は18歳、全然歳を取りませんが、私たちは全員後期高齢者になりつつあります。しかし、この10月8日は、毎月月命日で私たちはここに集まって、18歳に戻ります。そして、その時の思いを、これからもどこで戦争があろうとも戦争には反対する、この意思を毎月確認してきました。
(追悼小集会)
次いで、発起人である辻恵氏から発言があった。
「10月8日の11時、ちょうど今頃の時間ですよね。機動隊とぶつかって山﨑が殺されたのは。(「11時20分から40分の間」という声)ちょうど11時半前後だと思うので、一生忘れないで皆と一緒に頑張っていきたいと思います。」
(追悼小集会)
次に発起人である山本義隆氏より発言があった。
「今日は関西からも来ていただきありがとうございます。昨日の夕方外に出たら寒くて、今日濡れたらえらいこっちゃと思っていたけど、いい天気になりましてホッとしています。
この運動を始めて8年になるわけですけれど、戦争が現実に始まって、しかも原子力発電所が攻撃の目標になるという、恐るべき事態になっているわけで、戦争に反対する、原子力発電所を止めさせるということを言い続けなければいけないと思います。今日は1日、最後まで頑張っていきましょう。」
再び佐々木幹郎氏から発言があった。
「本来ならここで福島泰樹さん(発起人・法昌寺住職)が来て読経してもらう予定だったんですが、昨日旅から帰ってこられて、朝起きたら高熱があり、突然来られなくなりました。そのため、今回は読経はありません。
(黙祷)
黙祷の後、弁天橋を背景に全員で記念撮影を行い、近くの五十間鼻無縁仏堂に向かった。
【五十間鼻無縁仏堂の平和地蔵にお参り・献花】
午前11時50分
五十間鼻無縁仏堂の前に到着。
仏堂に渡る桟橋の前には由来を記した看板がある。
<五十間鼻無縁仏堂の由来>
創建年代は不明でありますが、多摩川、又関東大震災、先の第二次世界大戦の昭和二十年三月十日の東京大空襲の折には、かなりの数の水難者が漂着いたしました。その方々をお祀りしていると言われております。
元は、多摩川河口寄りの川の中に角塔婆が一本立っているだけでありましたが、初代漁業組合長故伊東久義氏が管理し、毎年お盆には盆棚を作り、有縁無縁の御霊供養をしていました。昭和五十三年、護岸工事に伴い現在地に移転しました。その後、荒廃著しく、仲七町会小峰守之氏、故伊米次郎氏、大東町会故伊東秀雄が私財を持ち寄り復興致しました。(後略)
(鳥居の前から見た五十間鼻無縁仏堂)
水難者をお祀りするために作られたお堂で、地元の方々が護っている。
「五十間鼻」という名前は、大田区観光協会のサイトによると
「水中に長さ50間(約90m)に渡り石を敷き詰め、洪水時の急流から岸辺を守るために作られました。水難事故者を供養する無縁仏堂が建てられています。」とある。
潮が引くと、五十間の長さの鼻のような形の石積みが水中から姿を現す。この日は釣り人で賑わっていた。
桟橋を渡るとお堂があり、ここに「平和地蔵」がある。「平和地蔵」は、羽田闘争50周年の2017年10月に、山﨑博昭プロジェクト発起人によりここに祀られた。台座には「山﨑博昭」の名前が刻まれており、弁天橋に向かって立ち、平和への祈りを続けている。
(平和地蔵に手を合わせる参加者)
正午
「平和地蔵」へのお参りが終り、参加者は萩中公園に向かった。
(バス停前の参加者)
40数人も乗るとバスは超満員。途中のバス停から乗って来た人が「この路線バスでこんなに混んでいるのは初めて」とビックリしていた。
(昼食を食べる参加者)
【法要 福泉寺】
午後1時55分
萩中公園の集会所を出て福泉寺に到着。
(福泉寺)
午後2時
(ご焼香する参加者)
午後2時40分
(墓碑に花を供える参加者)
(追悼文を読み上げる佐々木氏)
〈10・8羽田闘争55周年に際して〉
1967年10月8日、午前11時40分ごろ。山﨑博昭くんは羽田・弁天橋の上で、警棒を乱打する機動隊と衝突するなかで、生命を落としました。即死でした。享年18歳。ヘルメットもかぶらず、手には石も棒も何も持っていませんでした。
それまで彼は、弁天橋のたもとで、萩中公園側からやって来る機動隊を阻止するための防衛隊のなかにいました。そこから彼は、一人で駆け出して、橋の上での闘いに参加したのです。どうしても闘争の最前線にいたかった。アメリカによるベトナム戦争に反対する意思表示を、一歩でも空港に近づいて示したい。当時の佐藤栄作首相はアメリカの傀儡政権のある南ベトナムへ行こうとしており、日本が戦争に協力することになる。その飛行機の出発を止めたかった。
55年前の10月8日、弁天橋は晴れ渡っていました。同じ橋の上にいた人々はその日の青空の記憶をよく覚えています。
山﨑博昭くんの死は、同世代に「ジュッパチ・ショック」と呼ばれる大きな衝撃を与えました。1960年の安保闘争で機動隊に虐殺された樺美智子さんの死から7年目のことです。
戦争に反対する。このたった一つの単純な叫びが、命がけのものであることを山﨑博昭くんの生と死は示しました。戦争があるかぎり、かつても、いまも、これからも、戦争に反対する叫びが続くことを、そして後の世代に受け継がれることを、わたしたちは願っています。
続いて、佐々木幹郎氏から墓碑の説明があった。
「山﨑博昭の文字は、昔の(中国の)青銅器の時代に青銅器の周りに彫り込まれた「金文(きんぶん)」という文字です。それを高校3年生の時の同級生だった書道家の川上吉康氏が書いてくれたものです。
ここに墓碑を作ることが出来るまで、私たちは数年に渡ってこの周りのお寺さんにいろいろお願いしたんですが、どこも無理でした。最後に福泉寺にお願いした時に、今日杖を突いて出てこられた女性の住職がOKしていただき、ようやく作ることができました。
東京のメンバーは毎月月命日で参っていますが、この文字は飽きがきません。山﨑の思いがこもった文字になっていると思います。」
(手を合わせる水戸喜世子さん)
山﨑博昭君の実兄の建夫さんは
「今年はこれだけたくさん来てくれたよ」
(本堂の前で記念撮影)
午後3時20分
(集会室の参加者)
【55周年記念集会】
大田区消費者生活センター2階 大会議室
「10・8羽田闘争55周年―山﨑博昭プロジェクトがめざしたもの」
午後5時15分
(北井一夫さんの写真)
(受付の様子)
午後6時
(会場の様子)
(上映の様子)
(発起人の皆さん)
左から山本義隆、水戸喜世子、北本修二、新田克己、福井紳一、代島治彦、三橋俊明、辻恵、小林哲夫の各氏
午後7時40分
(若い世代の方)
右から那波泰輔さん(大学非常勤講師)、中村眞大さん(北園高校→明治学院大学)。
午後8時20分
だいぶ時間が押してしまったので、予定していた参加者との意見交換はなかった。
(説明する辻恵氏)
今後の山﨑博昭プロジェクトの活動について、明確な方針は示されなかったが、毎月8日の月命日の集まりは継続するようだ。
最後に、11月23日に渋谷のロフトで開催される全共闘世代と若が語り合うイベントについて紹介があった。
午後8時30分
閉会。
懇親会は消費者生活センター1階の中華料理店「歓迎」で30数名が参加して行われた。
記念集会の詳細は、後日ブログに掲載する予定である。
(終)
かつて10・8羽田闘争があった: 山﨑博昭追悼50周年記念〔寄稿篇〕
かつて10・8羽田闘争があった: 山﨑博昭追悼50周年記念〔記録資料篇〕
各4,290円(税込み)
<購入方法>
以下の10・8山﨑博昭プロジェクト事務局あてに申し込みください。
E-mail:monument108@gmail.com
ご送付先、お名前、お電話、冊数を必ずお書きください。
本を郵送する際に同封します振替用紙にて代金+送料をお支払いください。
【お知らせ その1】
「続・全共闘白書」サイトで読む「知られざる学園闘争」
●1968-69全国学園闘争アーカイブス
このページでは、当時の全国学園闘争に関するブログ記事を掲載しています。
大学だけでなく高校闘争の記事もありますのでご覧ください。
現在17大学9高校の記事を掲載しています。
●学園闘争 記録されるべき記憶/知られざる記録
このペ-ジでは、「続・全共闘白書」のアンケートに協力いただいた方などから寄せられた投稿や資料を掲載しています。
「知られざる闘争」の記録です。
現在12校の投稿と資料を掲載しています。
【お知らせ その2 】
ブログは概ね2~3週間で更新しています。
次回は11月11(金)に更新予定です。
コメント
コメント一覧 (4)
meidai1970
がしました
上京された折は飲みましょう。
meidai1970
がしました
歴史を振り返り、次を考えることはこうした記録を残し続けることなのでしょう。
なかなかできないことです。
ありがとうございます。
50周年もそうでしたが、あっという間の55年でしたから。
meidai1970
がしました
コメントありがとうございます。
記録を残すというのは大切なことです。
西澤さんの手記もお待ちしています。
meidai1970
がしました