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重信房子さんを支える会発行の「オリーブの樹」という冊子には、重信さんの東日本成人矯正医療センター(昭島市)での近況などが載っている。私のブログの読者でこの冊子を購読している人は少ないと思われるので、この冊子に掲載された重信さんの近況をブログで紹介することにした。
当時の立場や主張の違いを越えて、「あの時代」を共に過ごした同じ明大生として、いまだ獄中にある者を支えていくということである。
今回は「オリーブの樹」146号に掲載された重信さんの獄中「日誌」の要約版である。(この記事の転載については重信さんの了承を得てあります。)

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<独居より  2019年2月14日~2019年5月15日
2月14日 風の強い屋上でハッピーバレンタイン! とみな笑顔。何かをみつけてはみんな楽しみを探す明るい人々です。運動に出て来れる人の数は限られているせいかもしれません。Mさんの送ってくれたネットと写真届きました。その中に冤罪・布川事件の桜井昌司さんが尊敬する人として、泉水博さんの名をあげて「泉水さんが千葉刑務所に入っている時に、仮釈放を目前にしながら、重篤な病気の同囚のために、正当な医療を要求して一人で決起したんですね。ぼくには全く考えられませんよ。とにかく仮釈放になるまでひたすらじーっとおとなしくしています。これはね、できません。すごい人ですよ。千葉刑務所で語りつがれています。」という話をされたことが記されています。「そうか日本赤軍はそんな人だから泉水さんを指名したのか―。集会の場で『ぼくにはできません~』とおっしゃる桜井さんもすごい」とあります。泉水さんも桜井さんもいい話、嬉しく読みました。ありがとう! (中略)

2月25日 午前中待っていた新聞が届いて“辺野古「反対」7割超”「玉城知事の得票超す」投票率は52.48%と一面に朝日新聞。当然反対が多いと思いましたが、投票率と反対の得票がどの位かな、と気になっていました。沖縄の民意が他の県の県議選や知事選などよりも高い投票率でしっかり反対を示したこと、大変有意義です。読売新聞では一面の扱いは小さく、投票率が低いとか影響ないなどの論調で、問題を小さく扱おうとしています。米本土と日本の沖縄県外の市民の共感を育て、反対を現実のものにと願うばかりです。工事も軟弱層の地盤改良に7万7千本の杭が必要だとか、計画自体が無理押し続き。断固とした姿を見せるべきは、沖縄県にではなくトランプ政権になのに、官邸は何をしているのか……。

2月28日  私が48年前、ベイルートへ日本を発った日。いろいろ感慨深いです。
丁度、2月の花、みごとな紅梅1m程の枝ぶりの4本に、あわせて背の高い3本の菜の花が届き、わーっ!と思わず歓声です。うれしい春が来ました。花瓶が小さいので、それでも80㎝くらいにして、4本の枝を4方に分散させてハサミで調整しつつ飾りました。ぐんと房内が華やかです。夕方には「オリーブの樹145号」も届きました。感謝! 御多忙の中、いつも描いてくださってありがたいです。今号は東大闘争のこと、上原さんが書いてくださいました。当時を思い返します。最後まで振り続けた上原さんの共産同の旗が、屋上から落下する映像は、1.19の象徴的シーンとして、人々にも記憶されています。丁度書評の「思い出そう! 1968年を!!」にも、その頃のことを触れましたが、御茶ノ水駅から本郷に向かって攻防を繰り返したのを思い出します。荒岱介が「畜生!畜生!」と、うめきながら走り回って部隊に采配を振るっていました。東大組が逮捕勾留されている間に、ブントは分裂、赤軍派7.6事件などが起きるのですが、当時みな本気で変革を!と、持てる力を朗らかに尽くしていました。良い文章をありがとう。入力・編集・印刷など、編集室の皆さん、ありがとうございます。
「支援連ニュース」菊池さんの文「東ア」の人々の逮捕状況やメンバーの自供と弁護人解任に抗して、家族たちが弁護士とともに、再び救援センターの弁護人を選任して闘い、支えていった歴史を知りました。家族の強固な連携の力が、どんなに有意義に今に至る支えをつくりあげてきたかを知り、ありがたい絆だと学びました。(中略)

3月9日 東京も春一番が吹きました。今日はもう終わった梅の枝を片付けようと花瓶を洗っていたら、新聞紙に広げた梅の枝と菜の花の茎あたりから、きっと毛虫になる前のニョロニョロとヒルのような虫2匹。啓蟄ですね。梅の枝は枯れつつあるのですが、新芽の緑が生きそうな小枝を折って改めて花瓶に飾りました。窓の外はプラスチック塀で何も見えませんが、きっと東京のはずれの昭島、原っぱには土筆やふきのとうが八王子みたいに咲いている頃です。

3月11日 週末の快晴から雨の昭島です。今日は彼岸法要の日。雨のため屋外の運動はなく早い入浴となりました。部屋に戻って着換え始めたところにN和尚の面会の知らせが届きました。寒い雨の中申し訳ないです。面会室は寒いのでフリースを着ていったら、入浴直後で汗一杯。脱いでまずN僧の読経に法華経を黙読しつつ、3・11の被災者に、それから明日N和尚が導師となって執り行われる遠山さんの墓前法要を思いつつ、遠山さん、山田さんら「連赤」の友人たちに、そしてまた3月15日命日の母のために祈りました。いつもN和尚は姉と連絡しあってくれるのでありがたいです。また、前回の面会の折、できれば遠山さんのイメージに合うトルコ桔梗の青紫にカスミ草の花束を墓に、と話していたのですが、もうトルコ桔梗は手に入るとのことで明日献花して下さるとのこと。「三月哀歌」という私の遠山さんを悼む短歌も、御遺族がぜひ明日の墓前に奉納したいとおっしゃっていると知らせて下さいました。これまで大学時代の旧友とご遺族が会う機会がなく、47年目N和尚の努力で一緒に墓参することができ、遠山さんの無念を家族の怒りを愛する遠山さんを共に追悼して、新しい気持を拓くことができることを念じています。感謝。

3月13日 今日の午後、障碍者のバイオリニスト式町水晶さんと母の啓子さんの演奏と講演がありました。シンセサイザー風なのかも(よく判りませんが)バイオリンの大音響や東北大震災の特別なバイオリンによる静かな浜辺の歌や、力強い「リベルタンゴ」「孤独の戦士」など、合間に自らの障碍を朗らかに語り、自信と信念を持った演奏家でした。母親の話も聴きたいのに難聴で聴き取れず……残念です。一時間半健常者たちの演奏よりも力強くすごいな……と感動しつつ鑑賞しました。(中略)
3月18日 遠山さんの墓参会の写真報告、様々な思いで今日読むことができました。加えて夕点呼時Yさんの補足説明と共に高原さんからの墓参のお礼の文もまた丁度届きました。(墓参後の食事会で、植垣さんを許せない、高原さんの発言と金さんの言い合いになったとか……。「遠山さんと面識はありませんが、いろいろなお話を聞いて連合赤軍事件というのは50年近い年月を経ても多くの人の心に癒すことのできない傷を残したということを改めて実感しました。そういう意味で墓参に参列させて頂いてよかったと思います。」とYさん)
“一月尽殺意無きまま殺したと旧友(とも)を語れる冗舌憎し”
これは私が高原さんの想いを詠んだものです。「革命とサブカル」を1月に興味深く読んだのですが、読みつつ、ふと高原さんが浮かび零れた一首です。

3月19日 昨日夜受け取った高原さんの墓参への礼状は心に残りました。高原さんは、「感情的に抑えきれない時があります。昨日も、せっかく参加くださった皆様に不快な想いを引き起こしてしまったこと、誠に申し訳なく思っております」と礼状にあり、50年目に、犠牲者全員の親しい人々が一堂に会して故人を偲べば、と願っています。和尚が言い争いを収めたようです。三年後には、山田夫人のT子さんや、できれば加害の側にいた人が深謝する場になれば…と思ったりします。かつて東京拘置所に青砥さんが私に面会した折、第一声が「親友の遠山さんをあんな形で殺し、死なせて誠に申し訳ありません」と深く頭を垂れていたのを思い出します。そんな機会が訪れることをと、思わずにはいられません。橋渡しの役に立つべき高原さんが感情を抑える必要がある時にそうできないと、今回の墓参を実現してくれた和尚にとっても、難しいことだと推察します。

3月22日 「監獄人権センター通信」No.97の「空と風と星の詩人~伊東柱(ユンドンジュ)の生涯」(海渡雄一執筆)がとってもいいです。伊の詩と治安維持法で福岡刑に収監され、1944年2月22日獄死したこの人のことは、何度か記事で読んだことがありました。今回は何篇か詩が載っていて、いい詩だなぁと心に滲みます。感謝。また、渡邉浩史歌集「赤色」を読んでいます。この人は、秩父蜂起発祥の地で生まれ、秩父困民党総理の田代栄助研究家であり、接骨医院長だそうです。こんな歌が好きです。
“酒飲めば飲めば淋しくなるばかり耳朶はこんなに冷たいものか”
 なんだか茶碗酒をゆっくり飲み干していた父の姿を思います。父の、夢破れた人生を思いつつ、こんな歌も。
“往く雲は変わらざりしよ千年を敗れ敗れて俺の近代”
“ならぬことはならぬとはいえ自由党ラッパ鳴らして辻曲がり行く”
“逆縁のかくも非情の盃を干してどうする散りゆく牡丹”
また、ゆっくり読みたいです。

3月26日 ラジオJウェーブのニュースで、トランプがシリア領のイスラエル占領地ゴラン高原の、イスラエル主権、つまり占領地併合を認める文書を、訪米中のネタニヤフと話の上で署名したとのこと。「21世紀のバルフォア宣言」です。中東で、占領と民族浄化政策を続ける政治シオニズムが米政権の力で生きのびる限り、戦乱は増殖され続けます。
“トランプの「バルフォア宣言」シオニストへ再びアラブの地を与えんと企む”

3月30日 今日はパレスチナの「土地の日」。76年に土地収用に抗議しゼネストしたイスラエルパレスチナ人に対し、イスラエル軍が弾圧・虐殺した日。そしてそれにも拘わらず闘い続けた日です。きっと今みな闘っているでしょう。「ガザ帰還の大行進」が去年始まった日ですから、ガザで西岸でゴラン高原でヨルダン、シリア、レバノンの難民キャンプで様々な闘いの姿を示しているでしょう。また今日は檜森さんの命日です。あの日と同じように丁度桜が満開の今年の3・30、十八回忌になるのですね。思い出す姿は若いままの檜森さんです。花は今日のためのように独房で咲いています。
“三・三〇春告げる花雪柳チューリップ見つめつ君を弔う”
“奪われて追放されて殺されてそれ故益々パレスチナを愛する”

4月2日 新聞を読んでびっくり。選挙狙いか、政権の元号利用、皇室利用の甚だしさに驚くばかりです。ことさらに「極秘」を煽り、指名している「各界有識者9人」や衆参両院の正副議長の意見聴取などと権威付けしつつ「携帯電話もとりあげる」など、狂乱では?(副議長赤松氏は抗議したらしいのですが。)こういう服従の強制化が「令和」を現しているような気がします。ことさらに「国書由来」を安倍首相は強調していますが、学者たちも述べているように、時代自身が中国の学習から影響されているのですから、やはりその説は「帰田賦」に典拠があることや、梅は中国の国花で「今回の元号選びは、ふたを開けてみれば、日本の伝統が中国文化によって作られたことを実証したといえる」(小島毅東大教授)や「行政が元号の使用を強制している実態はおかしい。元号法は撤廃してほしいと考えている」(保立道久東大教授)、「国書の強調は日本がGDPも中国にぬかれ、勢いを失ったことの反映のような気がする」(水上雅晴中大教授)などなど。元号を「極秘」「強制力で」取り仕切って見せて、国家権力を前面に出した政治ショー。末恐ろしい強権を「令和」は帯びて生まれてきたな……というのが私の印象です。「令」は庶民が浮かべるのはやはりまず「命令」の「令」でしょう。元号は皇室が使用してもいいが、公的機関や一般社会では不要です。少なくとも西暦と並記にしてほしいです。混乱のもとですし。

4月5日 送ってくれた治安フォーラム、今年の1月号から4月号まで、感謝。警察関係者が読むのでしょう。「ジハード主義を読む」保坂修司などもありますが、中国、ソ連の諜報・サイバー攻撃の手口の分析、日共の動向(去年10月の中央委報告で、入党者4,355人、日刊赤旗844人増、日曜版6,691人増とか)オウム真理教の分析、去年の右翼活動分析、去年の「過激派の軌跡と今後の展望(過激派問題研究会)」、3月号は外事国際テロ情勢、2018年の「国際テロ」「中国」「北朝鮮」「ロシア」と、それぞれ個人名でなく各「研究会名」の分析記事、また「日本赤軍の動向」という項目があり、5.30記念日と「テロ」を称賛していること、逃亡中の7人に投降を促さず、支援を継続しているとみられること、「こうした姿勢が改められない限り、その危険性は矮小化して評価されるべきではない」とのこと。予算のためか、そうしか言いようがないためか? 解散して18年の組織の亡霊に妄想を持っているのでしょうか。(中略)

4月16日 巷では「令和」で盛り上がっているのでしょうか。朝日新聞では批判的記事も載っていますが、イベントや商売やバラエティーで元号を盛り上げているのでしょう。小島東大教授、当時の良識なら令和は「りょうわ」(大法律令、令旨など)と言うし、万葉集の序の「令」と「和」は、(「令」は月を修飾する語)直接関係なく、とってつけたよう。観梅の宴は「落ちゆく花。縁起が良いと思う人は少ないのでは。「中国古典の『文選』と国書『万葉集』のダブル典拠とすれば、東アジア友好のメッセージも伝わったはず、と述べています。また、万葉学者の東大品田教授は、庶民も詠んだとされる万葉が「天皇や貴族などの一部上層にとどまったというのが現在の通説」「当の本人(詠んだとされる人々)は、万葉歌集の存在自体知る由もなかった」と、近代以降、万葉が愛国に利用されたことを示し、警戒しています。たとえば、「海行かば水漬く屍山行かば草生す屍大君の辺にこそ死なめ顧みはせじ」など、軍国歌謡へ。カコを現在に都合よく偏重する安倍政権の姿ははっきりしています。私は伝統や歌を否定するものではありません。万葉集をこじつけで押し付けようとする姿勢を警戒したいと思います。
“狭量さ晒すが如く新元号国書国書と宣いており”
と思わず零れます。(中略)

4月21日 昨夜半、久しぶりに煌々と輝く月を見つけました。十六夜の月です。やっと見つけました。
“煌々と十六夜の月にみつめられ密かな憤怒も溶けてゆくらし”

4月28日 今日は4・28闘争、沖縄が思われる日。夕方和尚の電報届きました。面会の予定知らせてくれました。5月16日です。5月15日はパレスチナのナクバの日。パレスチナのために法要したいと思います。和尚の送ってくれた東京新聞のコピーはいつも面白い。今回はパンタさんの頭脳警察50周年記念コンサートが7日あの新宿の花園神社の野外テント劇場で行われたとのこと!赤軍派結成と同じ年なのですね。「パンタ」という芸名はひょっとしてヘラクレイトスの「万物流転」(パンタ・レイ)という言葉と関係があるのかと執筆者はロッカーとして変幻自在に生きているパンタさんを記しています。「その政治的過激さは一貫しており、日本の芸能界では希有。怒ることはたやすいが、半世紀にわたって怒る続けることは難しい。頭脳警察はそれを実践した。」と賛辞の文です。そうか……パンタさんも芸能界?!そういう風に捉えていなかったのを自覚。パンタさんの怒りは優しさと表裏なのですね。現実があまりにも不公平だから何故?!と根源的に問い続けるパンタは変革者であり続けているのだと思います。祝50年のコンサート、知っていたら花束を贈りたかった!残念……でも祝50周年!(中略)

5月8日 パレスチナでは5月を迎えて激しい攻防と緊張が続いています。占領者イスラエルが圧倒的な軍事力でパレスチナ人を蹂躙していることと、被占領者たちの抵抗運動を「喧嘩両成敗」や「ハマースのテロ」とする米欧メデアバイヤスのかかった主張で、いつもイスラエルが免罪されて何十年たったことか……と、改めて思う5月です。朝日新聞の論調と読売新聞を較べて読んでいると、扱い方、事実の捉え方、読売の方がより頻繁で正確です。朝日はエルサレム支局の視点が基調で、イスラエル側主張の紹介が多いと思います。これからナクバの日も迫り、5月は更にパレスチナを注視し続けたいと思います。アラブも代替わり、私たちの知る友人・知人が少なくなって、若い人々が最前線を担っています。

5月10日 丁度「月光」58号の特集で、坪野哲久の歌を味わっているところでした。1928年に「無産者歌人連盟」後の「プロレタリア歌人同盟」を結成した人の一人です。何度も獄中に追いやられつつ、闘い続けた人。渡辺政之輔、山本宣治の追悼集会での“渡政の闘志かがやく祭壇の赤旗よ!もっとひるがえれ”“どうしても泣けてくるのだ山宣の死面(デスマスク)が今日掲げられた”の歌や、“チンポコがぐっしょり濡れて雨の中に地ほり穴ほりぶっ通した鉄管”“お前になんか腕づくだって負けやしねえがおれらには命の使いどころがあるんだい”など、若い時の歌。同じころ“曼殊沙華のするどき像(かたち)夢に見しうちくだかれて秋ゆきぬべき”(1940年)など。1988年、死の前にはこんな一首も。“核と癌ああ文明の貌(かお)としてかがやきおびえて世紀末くる”この人の生き方も敬しますが、この夫人、同志で歌人の山田あきの方がもっと好きです。“連翹の花にとどろくむなぞこに浄く不断のわが泉あり”“みずからの選択重し貧病苦弾圧苦などわが財として”“被爆者の現身(うつしみ)のあぶら石を灼きそを撫でしわれ永遠のつみびと”などなど。短歌はいいなあと、刺激を受けつつ思います。哲久らの歌が求められる時代だと、今。こんな歌も。“われ一生に殺なく盗なくありしこと忿怒のごとしこの悔恨は”哲久の心意気。
もう中東はラマダン(断食月)です。明日金曜日(ラマダンの最初の祈りの金曜日)ですが、イスラエルの不当な仕打ちが予測されます。「ガザでは生きていることを毎日祝うの」と、かつてメイが言った言葉が思い出されます。ナクバの71年目を迎える5月です。“パレスチナ祖国へ帰る自由さえ奪われ殺され71年”「月光」の歌人たちに刺激されて、このパレスチナの5月、私も詠んでみました。
パレスチナ――ナクバの記憶
オリーブの種で作りし数珠手繰り
ナクバの日々を友は語りぬ

真夜に扉叩き壊され銃口が
火を噴き母と兄は倒れし

母の骸だんだん冷えゆくその下で
隠れし六歳われ生きのびて来し

凝固する母の血の胸に罌粟(けし)白花(びゃっか)
置きて弔い別れし五月

死も知らず母の乳房にしがみつく
蠅にまみれし赤子が泣いてる

手に二人三人目の背の子の袖噛みて
必死に川を渡る親見し

若きらは見知らぬ老婆をかわるがわる
背負い逃れしナクバの五月

虐殺と飢餓と酷暑の地獄の道
その時の友は今も親友

ナクバの日々北へ北へと追いたてられ
オリーブ畑も果樹園も盗られ

パレスチナ怒り哀しみ切歯扼腕
犠牲厭わずフェダイーン(戦士)となる

アシュバルの子等の目輝き我らみな
フェダイーンになると胸を張りたり

おみならは祖国へ帰ると旗掲げ
占領軍の銃口に向かう

占領軍と占領された者並べて喧嘩
両成敗は欺瞞に過ぎぬ

世界から帰還の権利見捨てられつ
不条理許さぬパレスチナの友ら

硝煙と朝霧越えて敵陣へ
オリオンの星となりし友らは

などなど、ナクバのことを話してくれた情景を浮かべて詠むと、洗練されない直情が溢れてしまいます。
 
5月15日 今日は米統治の沖縄が、72年日本の統治下に入ったはずの日。国土の0.6%の沖縄は、日本に復帰後、日本本土の反基地闘争が力及ばず、沖縄の基地の集中を許し、今でも米軍基地施設の7割が沖縄に。「普天間の危険」を口実とする辺野古沿岸移転は、更に民意を排除して続けられる不条理です。県民総所得に占める軍関係所得の割合は、5%程度。基地のない、アジアのセンターとしての観光立県は、日本にとっても国益のはずです。基地撤去と日米安保の解消も、21世紀半ばには実現されねば…と思いつつ。一方又、71年前にはイスラエルが5月14日に建国し、それを知ったこの日、5月15日は、パレスチナにとってのナクバの日です。今、ラマダン中。ナクバの状態のまま「帰還の権利」を奪われたパレスチナ人民の闘いは、米欧植民地支配の先兵として登場したシオニスト国家に対する闘いは、21世紀勝つまで続くでしょう。「勝つ」とは政治シオニズムを脱したパレスチナ人、イスラエル人の民主主義な社会を基盤とした国とすることです。
パレスチナ問題の専門家で、JSRニュースを配信しておられた奈良本さんが、米国の新中東和平案について、次のように記しています。「アメリカの新『中東和平』は、凄まじい内容です。Israel Hayomにリークされたものが以下に紹介されています」として、要点は、①イスラエルは西岸地区の全入植地を併合②非武装化されたパレスチナ国家③パレスチナ側が拒否すれば、PA(パレスチナ自治政府)へのすべての資金援助を停止、いかなる国からの援助も阻止④もしPLOが受諾して、ハマースが拒否すれば、イスラエルによるハマースとジハード(イスラーム聖戦機構)のメンバーに対するイスラエルの暗殺作戦を支持⑤エルサレムは、イスラエル、パレスチナ共通の首都、など」とのこと。
イスラエルのネタニヤフとトランプの作り出す「中東和平案」は「現状の合法化」、つまり占領地の入植地や戦略陣地の西岸地区をイスラエルが67年の第三次中東戦争以来手離していないのですが、それをイスラエルに併合し、「帰還の権利」を抹消させ、エルサレムはイスラエルの首都として、アラブや国際社会に認めさせること。残りにパレスチナ「国」と国の名を与え、財力と軍事力でパレスチナを黙らせようとする魂胆。パレスチナは今こそ脱シオニズムの民主化―イスラエルもパレスチナも―の長期持久戦略で立ち向かう時です。パレスチナからオスロ合意を脱した闘いこそ! と念じています。なぜなら、すでに実質併合下にあり、トランプやネタニヤフの任期の先を見据えた解放戦略として、イスラエル人もパレスチナ人も問われるからです。パレスチナの今の抵抗戦はまた、「反イラン戦略」でイスラエルと組もうとするサウジらの力を押し止める力となるはずです。厳しい闘いのパレスチナに、そして日本の沖縄に連帯!パレスチナに沖縄に連帯する5月です。 

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