【私たちはいま 戦争にどう向きあえばいいのか】
「ロシアのウクライナ侵略戦争」・「北朝鮮の核ミサイル」・「台湾有事」・「領土問題」」を理由にして「防衛費倍増」・「アメリカ軍との核共有」・「憲法9条改正」に世論を導こうとする日本政府。世界に蔓延する「ナショナリズムの拡大」・「軍拡」の嵐の中で「反戦・非戦・不戦」の松明を私たちは掲げることができるのか!
私たちはどのような未来を提案・創造することができるのか!
Z世代と団塊世代、雨宮処凛、全共闘が「私たちに迫りくる戦争」を徹底的に語り合う!
【第1部出演者】
●雨宮処凛(格差・貧困問題に取り組む「反貧困ネットワーク」世話人 「週刊金曜日」編集委員 「公平な税制を求める市民連絡会」共同代表)
●糸井明日香(高校生時代に校則・制服問題に取り組み、大学生時代には学費問題に取り組む 現在は社会問題をビジネスで解決する株式会社ボーダレスジャパンメンバー)
●中村眞大(ドキュメンタリー映画「北園現代史」監督 校則問題・社会問題をテーマに映像発信する大学生ジャーナリスト)
●安達晴野(ドキュメンタリー映画「北園現代史」に出演 校則問題や政治問題について発信する大学1年生)
●吉田武人(2015年安保に反対した「T-nsSOWL」に中学1年生で参加 現大学2年生)
●伊集院礼 (元 未来のための公共・2015年安保に反対した「T-nsSOWL」メンバー)
【第2部出演者】
●三宅千晶(1989年沖縄県那覇市生まれ。被爆三世。早稲田大学卒業(水島朝穂ゼミ)。弁護士。日本弁護士連合会人権擁護委員会基地問題に関する調査研究特別部会員)
●元山仁士郎(1991年沖縄県宜野湾市生まれ。一橋大学大学院法学研究科博士課程。「辺野古」県民投票の会元代表。SEALDs/SEALDs RYUKYU立ち上げ・中心メンバー)
●船橋秀人(来春から京都大学大学院生 規制緩和による非正規雇用者の増大をもたらした竹中平蔵による授業、そして実学偏重の大学に反対して抗議活動を行う 反戦運動アクティビスト)
●田中駿介(「旧土人部落」と呼ばれた地区で中高時代を過ごす。2014年「北の高校生会議」発起人。東京大学大学院生 慶大「小泉信三賞」、中央公論論文賞・優秀賞を受賞)
●前田和男(1947年東京生まれ。東京大学農学部卒。翻訳家、ノンフィクション作家)
【ファシリテーター】
●金廣志(元都立北園高校全共闘メンバー・元赤軍派メンバー・塾講師)
●安田宏(元都立上野高校全闘委メンバー・元慶應大学日吉自治会副委員長)
金廣志
それでは時間になりましたので、イベントを始めたいと思います。
(登壇者を)拍手で呼んでください。(拍手)
今日は若い方々にお集りいただいて、「私たちはいま 戦争にどう向きあえばいいのか」というテーマで、若い人たちに、今現在進行形の戦争あるいは未来形の戦争について、さまざまな形で語っていければと思っています。
このシンポジウムをやるきっかけなんですけれども、日本は戦後77年間、憲法9条の「戦争の放棄」、「戦力の不保持」と「交戦権の否認」という意思表明の中で、直接戦争に加わることはありませんでした。しかし、今年の2月24日にありましたロシアによるウクライナ侵略戦争あるいはウクライナの抵抗戦争、その過程の中で戦争に対する日本人の認識というものが大きな意識変化が見られてきたのではないかと感じています。しかも、その戦争を一つの理由にして、台湾有事あるいは尖閣諸島の領土問題を理由にして、防衛費倍増、米軍との核共有、憲法9条改正、世論調査でもそっちの方向を支持する率が高くなっているというような現状があります。
日本はこれまで「反戦・非戦・不戦」というような、ある意味では抽象的でありながら、77年間憲法9条の下で、大きく言うとその3つのキーワードの中で戦争を行わないできたと思うんですけれども、現在はある意味での右派の熱量が非常に高く、左派が右派の論理に対してまともに答え切れていないのではないか、という認識も持っています。
そして日本が「軍拡、軍拡」と言っているわけですけれども、このまま軍拡が進めば、当然のように、軍備というのは拡大すれば必ず最後は戦争するしかないわけですね。それは第一次世界大戦とか第二次世界大戦の時に経験していることですから。そのような軍拡が進んで行こうとしている中で、今の若者たちが、ある意味で自分たちの未来の戦争をどのように捉えるのかということを話し合っていただければと思います。
私たちは戦争を知らない世代と呼ばれてきたわけです。生まれてこの方、私たち自身は戦争を経験しなかったわけです。そして戦争を知らない大人になったんですけれども、今の戦争を知らない子供たちが、このまま戦争を知らないで生きていけるのか、そのような問題も出てくるかと思います。それについてこれから語り合えればと思っています。よろしくお願いします。
まず初めに、ロシアのウクライナ侵攻が2月24日に起こったわけですけれども、その3日後に私があるブログ、今日参加している糸井さんのブログですが、それを見ていたら、戦争が起こったことに対する戸惑い、疑問あるいは得体の知れない恐ろしさ、そのようなことについて書かれていました。
まず、糸井さんが最初に戦争が起こった時に若者がどのように考えて、どのように思ったのかということから、最初の話の取っ掛かりができるのかなと思っています。
糸井明日香
よろしくお願いいたします。糸井明日香と申します。
ウクライナで戦争が始まった時に、ニュースもずっとそのことばかりでしたし、私はツイッターもよく見るんですが、ツイッターもその話題ばかりで、どういう歴史的背景があったのかみたいな話とか、ロシアの立場とかウクライナの立場があって、こういう事を言っている人がいる、ああいう事を言っている人がいる、いっぱい情報があって、デマみたいな情報も錯綜しているという状況で、ただただ犠牲者だけが増えていくみたいな、そんな時間が流れていて、何も出来ることがないみたいな、寄付したらいいのかとか、反戦デモに行ってもいいのかとか、そういうことも分からないまま過ぎて行って、これはいったい何が起きているんだろうかということだったなと思いますし、ずっとニュースとツイッターを見てしまう毎日でした。
戦争というものが一体何なのかということをその時に、ニュースがずっと流れていたからかもしれないですけれども、考えたというのが、その時思っていたことかなと思っています。

糸井さんのブログにそのようなことが書かれていまして、その後、ここにおられる皆さんと話をしている段階で、伊集院君からもやはり似たような話がありまして、ロシアのウクライナ侵攻のニュースを聞いて、自分たちの周りの人たちがどう反応していたのか、関心、無関心あるいは無感動を含めて、自分を含めて自分の周りの若者たちは、どのようにこの戦争を受け取っていたのかということについて、皆それぞれ意見を聴いてみたいという話だったと思うんですけれども、伊集院君の方から皆に聞いてみたいことをお話いただければと思います。

伊集院 礼
伊集院と申します。私自身は1998年生まれで、その当時大学4年生で卒業間近の時だったんですけど、まずウクライナで戦争が起きたということで、私自身元々クリミア半島で起きていたこととか報道で軽くは把握していたので、戦争が起きそうな地域ではあるかなと思ってはいたんですけど、それでも衝撃が大きくて、僕自身はその時にウクライナの問題を考えようということで、ジャーナリストの志葉玲さんを講師にして、卒業前に近くの大学の方と一緒にオンラインで講演会を開いたりしたとか、知り合いが東京の北区とか板橋区の地域で「戦争に反対する東京北部青年の会」というものを作って地域からウクライナも問題について考えようということをやっていたので、そういったものに参加してみたりしたんですけれど、私以外にも普段そういった問題に対して大学の友人とかは必ずしも喋る人ばかりではないんですけれど、結構多くの方から「あれまずいよね」「大変なことになったね」「日本も巻き込まれるんじゃないのか」という話を受けた記憶があります。これは私の周りだけで起きていたことなのか、少なくともロシアのウクライナ侵攻があるまでは、ニュースの中では戦争の話題について、いつも社会活動をやっている人以外に関してそういう話を振られることはなかったので、その時に起きたこととして、今回は特殊だったのか、それとも私の周りだけで起きたことなのか、皆さんの周りでも起きたことなのかということを聞いてみたいと思います。
金廣志
中村眞大
そうですね。同世代の反応ということだと思うんですけれども、僕はあの時は東京にいなくて、春休みの期間だったと思います。ニュースなどで戦争が始まったということを知ったんですけれども、今までもアフガニスタンの話だったりとか、あることはあったんですけれども、なかなか報道としてはトップニュースでやるようなものではなくて、ニュースではあるけれども、ちゃんとニュースを見ている人でないと知らないということが多かったんですけれども、今回のロシアとウクライナの話はネットでも大騒ぎになって、ニュースでも毎日トップニュースでやるようなトピックだったので、普段政治とかに関心を持っていない同世代の友達とかも、みんな「大変なことになった」というような反応ではありました。
というのも、どうしてもアフガニスタンとか中東地域とかアフリカとなると遠い話と思いがちなんですけれど、僕たちの住んでいる街と似たような風景の街が攻撃されているという状況をテレビとか、あとは一つ大きいのはツイッターで毎日のようにウクライナに住んでいる日本人の人が、ある種実況のような感じで「爆弾の音で眠れない」だとか、そういった呟きが次々とネットに流れてくる、タイムラインに流れてくるという状況で、すごく身近に戦争というものを捉えるきっかけになったというのが大きかったと思います。
あともう一つ、ツイッターと言うと何かしら社会に興味を持っている人がやっていることが多いんですけど、普段は日常の出来事を投稿して、インスタグラムでもその日は「戦争が始まっちゃった」とか「人を殺すな」とか、そういうような投稿で溢れた記憶があるので、そうした意味でもこのロシアとウクライナの戦争は多くの世代、普段関心を持っていない層にも届いたんじゃないか、僕の周りの反応を見ているとそう感じました。
金廣志
他に自分は、周りは少し違ったかなという人はいますか?
私も戦争が始まった時に、一人でこの情報を見ているとすごくしんどくなってしまうなというのがあったので、その時はオンラインでしんどくなっている者同士で集まろうという感じで集まって話をしたんですけど、その時は「家族でニュースを見るのが辛い」という友達がいたりして、戦争で家族がバラバラになった人の話が流れているので、ニュースを見ると涙が出てきちゃうみたいな、でも何も出来なくてみたいな、そんな反応は私の周りではあったかなと思います。安達君、どうですか?


安達晴野
私も今、大学1年生でロシアのウクライナ侵攻が始まった時は高校3年生の受験シーズンだったんですけれども、中村さんが言っていたように、ツイッター上とかではすごく、特に侵攻初日から1週間くらいは、普段全然政治とかニュースの話をしないような人でも「これはおかしい」とツイートしたり発信したりというのがありました。
ただ、そこからだんだんと投稿が減っていって、もうここ数ケ月は僕の友達からロシアのウクライナ侵攻の話を聴いたり、若しくはそういう投稿を見かけたりというのは無いですね。それは段々慣れてきたというか、言い方が悪いですが、ニュースとしての鮮度が落ちて来たというのもそうだと思いますし、あとはかなりショッキングな映像とかそういうのがSNSではモザイクもなしで流れてくるので、そういうのから自分の心を守るための防御措置として、あまり見ないようにしているという声も、僕の友達と話をしたりしましたね。
金廣志
吉田武人
さきほどの安達君の意見、僕もそうだなと思うんですけど、ここ最近で言うとウクライナ疲れみたいなものを感じています。侵攻開始の時は、それこそ何年かぶりに夕方のテレビのニュースを見るようになったという人もいたんですけど、そういった中でずっと同じものが続いている、そしてそれをやり続けるニュースを見たくない、その情報に触れること自体心が疲れるみたいな、そういうのが2、3ケ月経ってくる中で、かえって(ニュースを)見ないようにしているとか、そういった情報がツイッターの自分のタイムラインに入ってくること自体に反感を覚えるみたいな、そういったことは周りと話をしていて感じました。
金廣志
雨宮処凛
2003年生まれ、すごい。私がイラクに行った年に生まれたんですね、あの戦争が始まった時、私は全共闘世代と彼等の中間、75年生まれでもちろん戦争を知らないし、連合赤軍事件の時も生まれていないんですけれども、イラク戦争が始まるという時に行って、当時「人間の盾」と言っていましたけれど、イラクに滞在していました。
今回のウクライナ侵攻の話は、侵攻が始まってすぐに杉原こうじさんが次の日に「とにかくロシア大使館に行こう」と呼びかけて、それに応じて私も行ったんです。そこでは数十人くらいで、ロシアへの批判の抗議の声を上げるというのが行動としてあって、それから渋谷でウクライナの人たちがいろんな行動をしたりしましたよね。そういう中で本当に自分自身、その地域の問題に無知だったというのを痛感しましたし、それから(侵攻の)初期にみんな避難していくじゃないですか。犬とか猫を連れたり、ものすごく足場の悪い川の上に板だけ渡したところをどんどん人が避難していくのを見て、これは本当にヤバイというのと、体が不自由な人は逃げられないなと、あの避難の様子を見て、体力のない人もそうだし、あの避難に絶対に耐えられないなとすごく思って、ちょうど私その時に、荒井祐樹さんの戦争と障がい者に関する本を読んでいたんですね。その本は太平洋戦争中の障がい者がどんな扱いを受けたかというようなことが書いてある本で、すごくそれと被ってしまったというか、例えば障害のある子供が(戦時中に)疎開するわけですね。そこで障害がある子供だけに青酸カリが渡されて何かあった時の処置用みたいになったり、戦争前は障がい者教育に力を入れるすばらしい人格者の先生と呼ばれていた人が、障害児を相手にする、戦争の足手まといになる子供たちを相手にする先生は非国民と言われたりだとか、ガラッと変わる中で、本当に逃げられない人たちがどれほどいるのかということと、その頃ウクライナの障がい者団体の人たちが団体で声明を出して、その人たちを助けるボランティアみたいなものがたくさん出来て、そういう活動が始まったんですけれども、真っ先に置き去りにされるのはそういう人たちというか、戦争が始まった瞬間に命の序列が明確に付くわけです。あまりにも厳しい状況にあると、犬やネコを連れていること自体が批判されかねないみたいな空気に絶対になり得るなと思ったので、戦争という非常時になった時にむき出しになるものがあるなというのはすごく思いました。


金廣志
雨宮さんはイラクに多くの右や左の方と一緒に行かれましたよね。
雨宮処凛
団長が木村さんで、塩見さんもいたし鈴木邦男さんもいたし、ロフトの平野さんもいたし、あとパンタさんとか椎野さんもいたし、塩見さんは撮影禁止のところで撮影して、一瞬秘密警察に捕まったりとかして、めちゃくちゃでした。
金廣志
戦争反対に行ったんじゃなくて、冷やかしに行ったんじゃないかと。
雨宮処凛
金廣志
そういう話もありましたよね。特に湾岸戦争、イラク戦争、そしてアフガニスタンの戦争、非常に遠い戦争というイメージがあったと思うんですね。あとイスラムという世界自体が日本人にとって馴染みが薄いみたいなことがあったと思うんですけど、今回のロシアとウクライナの戦争についても、本来的には日本人から見たら遠いところですよね。遠くてあまり大きな関心を持つ場所ではないと思うんですけども、たぶん情報が違ったんだと思うんですよね。その情報みたいなところが、今話を聴いていると、何故急激に戦争について若者たちがさまざまな情報に触れようとしたのかということと、それがアッとう間に縮小して行ってしまうという、そのことについて中村君どうですか。


中村眞大
もうすでに皆醒めてきているということですよね。どんなニュースでもすぐに皆飽きるというのは、今までもずっと言われてきたことで、例えば世間を戦慄させるような大量殺人事件もここ数年何件かありましたけれども、もうニュースではほとんどやっていないし、皆ほとんど忘れている。話を出せば「ああ、そういうのがあったな」と言うくらいで、ウクライナの戦争も継続はしているものの、ずっと同じような状況でどうしても醒めてきてしまっている中で、それを継続させていくのは結構難しい事なのかなとも思います。
僕自身も、僕と安達君は同じ高校の出身で、学校のブラック校則と言われている理不尽な校則の問題にずっと取り組んでいるんですけれども、それでも生徒会という組織の中で、どうやってこの話を次世代に継続させていくかというのですごく悩んで、どこの学校でもそういうのがあるんですけど、どんなトピックでも継続させていくというのはすごく難しい事なんじゃないかなと思っています。平和運動だとか反戦運動だとか、そういうものをどうやって継続させていけばいいのか、未来があるのかどうかという話もしたいと思います。


<反戦平和運動について>
金廣志
これは吉田君の方から問題提起を含めてして欲しい。吉田君は反戦運動とかデモに積極的に行かれている方ですよね。たぶん最初の時の勢いみたいなものと、今のある意味では消耗していくような反戦平和運動みたいなものがあると思うんですけども、それについて意見を述べていただければと思います。


吉田武人
そうですね。まず全体として日本という国自体が、社会運動がずっと低迷しているというのがあって、その中で特に若者の社会運動を見た時に、やっぱり盛り上がっているテーマというとジェンダー平等、セクシュアリティの問題だったり、気候正義の問題であったりというのがあると思うんですね。一方で平和運動というのが、一時のSEALDs(シールズ)的な盛り上がりはあったけれども、SEALDsの動員を支えていたのは旧総評を始めとしたオールド左翼の動員で、それが更新されないまま平和運動というのがずっと来ていて、なおかつこのウクライナ侵攻も、かえって旧来の左翼が言っていた絶対的な戦争反対ではなくて、むしろロシアという悪の帝国があって、それに対して我々自由と正義のある西側が連帯するという、そういう形になりつつある。そういう形で「NO WAR」という言葉が使われている。
こういう状況下で平和運動を僕らが再建できるのか、僕らがもう1回普遍性を持って「平和だ、反戦だ」ということを言える未来というのはあるのかな、というのを皆さんに聞いてみたいですね。
金廣志
今、非常に大事な話をしましたね。「絶対不戦、絶対非戦、絶対反戦」と言っていた人たちが、片一方は善、片一方は悪と見なすという、要するに最近の新聞の調査でもよく出てきているんですけれども、考えが変わったという若い人の意見が多いんですね。今までは観念的に戦争はいけないものだと思っていた。しかし、抵抗は戦争とは言えないんだというような、そういう言い方をする人が出てきましたよね。
伊集院 礼
今まで私たちの世代というは家族に戦争体験者がいないという、私の場合は祖母が90代で戦争を体験しているんですけれども、僕の世代は家族にも誰もいないというのが普通なんですけれども、そうなった時に、リアリティを持って今回のウクライナの侵攻では戦争というものに関して感じたと思っていて、戦争というと国と国との対立だみたいなことになっているけど、実際は自分の大切な人たちが、人間はみんな最後には亡くなるわけですけれども、一番嫌な死に方で死んでしまうということが戦争の本質だと私は雑な言い方ですが思っているんですね。それに対して嫌だということを言っていいんだよという話に関してどうやっていくかという話と、それを個人の立場と生活の中でという話なんですが、長く続いてきた平和運動と今の若い世代は、社会全体に余裕がない中で、関わっている世代が違う中で乖離というのは正直あるかなと思います。
ただ、考えていることというのはそんなに大きく違わないんじゃないかと私は見ていて、それをどういう表現で出していくかということと、それを表現する余裕があるかというところの違いが大きいんじゃないかと思っています。
今後、僕自身が考えると、平和運動だとかそういったものが繋がっていくかということであれば、私は別の形で繋いでいけるんじゃないか、別の形で展開していけるんじゃないかと思っていますし、さきほど吉田君が話してくれた気候正義だとかセクシュアリティの問題ですとか、そういうところで社会運動を、形を変えて繋いでいるように、そういう形になっていくんじゃないかと私自身は感じています。


金廣志
安達君が言っていましたが、「理念的にはいろいろなことを思っても、最後は友人たちに何故戦争はいけないのか、何故平和が必要なのかということについて説得しきれない」そういうような言い方をしていたと思うんですけれども、その辺の問題意識について語っていただいて、それに対して皆さんがどう思うかということについてお話していただければと思います。


安達晴野
平和を訴えて平和のために活動することは、いろんな社会運動、活動の中でも一番難しいことだと思うんですね。何んでかというと、自分の周りとか自分の国だけでなくて、全世界に対して働きかけないといけない。だから、例えば今ウクライナの侵略反対を訴えている人も、「じゃあ具体的にどうやったらこの戦争が、侵略が終わるのか」と言われたら、きっと皆ほとんどの人が答えを持っていないと思うんです。
今の日本には、「答えとか案を示さないと意見を言っちゃだめなんだ」そういう空気があると思うんです。実際にウクライナの侵略反対を訴えている人も、じゃあウクライナにロシアに降伏しろと言うのか、もしくはそんなこと(侵略反対)をプーチンに言っても絶対に聞き入れないだろうとか、そういうような平和を訴える人に対する非難、批判というのもあるんですよね。訴える側としても、おかしいなと思うけれども、自分は案を持っているわけではないから言えないな、そういう雰囲気があるんじゃないかなと思うんです。そう考えると、そもそもどうして戦争がいけないのかというところを、根拠となる、軸となる部分を考えていかなければいけない。
あともう一つ思うのは、今戦争反対を訴えると、ウクライナが善でロシアが悪なのか、もしくはロシアが善でウクライナとかアメリカが悪なのかという、そういう白黒を付けないといけない、戦争反対を訴えることはどちらかの味方に付くことだという、そういう風潮があると思うんです。もちろんどちらの方がより悪いというのがあるかもしれないけれども、本来的な意味では戦争反対を訴えるというのは、決してどちらかの味方に付くとか、どちらかの敵になるという意味ではないと思うんです。だからそこら辺についても、いろいろ皆さんからお話を伺いたいと思います。
金廣志
若い人たちは、これが初めて出会った戦争だと思うんです。雨宮さんが、これまで安保法制やイラク戦争を含めて、そういう中で何故戦争に反対しなくてはいけないのか、何故平和が必要なのかということを考えてこられたと思うんです。若い人たちに、雨宮さんが考えてこられた思考の過程みたいなものを少しお話いただければと思います。


雨宮処凛
何故戦争に反対するのか、さっき言ったように、戦争は非常時になった瞬間に命の序列と優先順位が揺るがない形で決まってしまって、そこには足手まといなってしまうとか、戦争に役立てないみたいな人は切り捨てられていくという、それは資本主義社会でも生産性の有る無しというのがあるので、あまり変わらないと言えば変わらないですけれど、それがより露骨になるということと、ものすごい規範を押し付けてくるような社会になりますよね。例えばイランで今女性がヒジャブの被り方が悪いというので道徳警察に暴行され、その女性が亡くなって、ものすごい女性たちで運動が起こって、またそれですごい死者が出たりしていますけれど、「お前の服装が悪い」とか言い張る道徳警察みたいなおっさんが蔓延するみたいな、絶対そういう人がデカイ顔をし出して、何らかの基準に沿わない人を処罰するような力を持っていってしまうので、それって一番息苦しいなと思います。
私自身も戦争は遠い話だったので、たまたま20代の時に9・11テロがあって、それからすぐアフガン空爆があって、それからイラク戦争が始まるという一連の流れがあって、アフガン空爆反対デモに行ったのが初めてのデモだったんですね。その前に99年に右翼バンドをやっていた時に、イラクでライブをやっているんです。木村さんに連れていかれて、サダム・フセインの長男に会っているんです。そういう経験をしていたので、その99年のイラク行きでビックリしたのは、イラクは経済制裁中だったので薬の輸入ができないんですよね。小児病院に皆連れていかれて、そこで「薬の棚は空っぽです。91年のイラク戦争(湾岸戦争)で劣化ウラン弾が使われて、放射性物質がイラク全土にばらまかれたから、こんなに白血病とガンの子供がいっぱいいるんです、先天性異常の子もいっぱいいるんです」と見せられて、「でも何も治療ができないんです」と見せられた時に、すごいビックリして、私は湾岸戦争は中学生くらいに観ていて、もうゲーム画面のような戦争映像しか覚えていないです。暗闇の中に緑の光が爆弾が落ちていくみたいな、その下にこれがあったのかというのが、そこですごい強制的に目を見開かされて、だから私はたぶん現地に行かなかったら関心の糸口がなかったというか、ある意味自分が当時何も考えていない大馬鹿だと分かっていたからこそ、現場に行かせないと、本当にこの女は馬鹿のまま一生終わるというのを、当時そんなに景気が悪くなかったので、一生戦争のこと考えなくても生きていけるような社会だったんですね。それがすごくヤバイと思っていたからこそ、積極的にそういう場に行くようにしたというところが大きいですね。
だからやっぱり、何も無い状態で「関心を持て」と言われても、そんなの抑圧的な学校の先生みたいで、なおさら意地になって「そんなこと興味ない」と言ったりするだろうみたいなことがありますね。
金廣志
中村眞大
今の雨宮さんお話があって、今もツイッターで流れてくるのは戦争の映像で人が撃ち殺されるところとか、そういうのが出てきますが、そういうのではなくて弱者の人が置き去りにされるとか、直接の戦いではなくて、その下でいろいろな事があるというのは本当に不公平で、今日本で「核武装しないといけないんじゃないか」と言っている人たちも、たぶん戦争が大好きなわけじゃないと思うんですね。ただ戦争をしたいと言っている人たち、武器商人とかは知らないんですけども、普通の人たちはたぶん皆戦争は嫌だと思う一方で、台湾有事だとかウクライナの事があるというのをニュースで見て、これはしょうがないんじゃないか、僕らも戦争に巻き込まれる、積極的にやっていくわけじゃないけれども、巻き込まれてしまうからいろんな武器を買わなければいけないんじゃないか、そういう風に思っている人もたくさんいると思っていて、そういう人と平和について語ると、どうしも議論がズレてしまうということがあると思うんですけど、そういう人たちに「戦争をしてはだめなんだ」と言う時に、さっきの安達君の話と繋がるんですけど、どういう風に伝えればいいんだろうというのは、すごく悩ましいところではあると思います。僕の中でもまだ考えがまとまっていないところがありますけれども、そういった話も聴きたいと思います。
<再び若者が立ち上がることはあるのか?>
金廣志
先ほど、私たちは戦争を知らない子供たちが、戦争を知らない大人たちになったという話をしたわけですけれども、私たちの父母というのは皆戦中派なんですね。戦争世代で家族の中に何らかの被害を受けなかった人はいないんです。
私は1951年生まれですから、団塊の世代よりも下なんですけれども、偶然安田さんと私は上野の育ちですから、上野の山には傷痍軍人がいるんですね。上野駅のガード下には、まだその時代にも浮浪児がいて、浮浪児狩りがありました。乞食という言葉は当たり前にありました。それは自分たちが直接戦争を体験していないんだけれども、戦争の結果、そういうことが起こって、そういう存在が現れて、しかもそういう人たちは、共同体がその人たちを救って支えたということがないんですね。単に見捨てられていただけです。戦争というのはひどくむごいものです。これは国家がやったことです。国家がやったことだけれども、その被害の責任は個人が背負うんだ、というのを感じたということがあると思います。ですから、直接結び付月かどうか別にして、私の場合は高校生の時に、学校の近くに王子野戦病院が出きるということがあって、日本が戦争に加担していく、そのこと自体が許せない。巻き込まれ論というのもあったんですけれど、巻き込まれるんじゃなくて、むしろ積極的に基地を提供して、日本はベトナムを攻撃しているのと一緒じゃないかという思いがあったりしました。そういうことがあって、私たちも反戦運動、それは平和運動でもあると思い込んで活動していったんですけれども、再び若者が立ち上がることはあるんでしょうか。


伊集院 礼
私は楽観的だと言われると思うんですけれども、(再び若者が立ち上がることは)あると思っています。というのが、さっきの話に被ってしまうところがあると思うんですけれども、今回のウクライナの問題ですとか、その前の香港の問題ですとか、それぞれその結論というところでは、若い世代の中には確かに「日本も侵略されるかもしれないから防衛を固めなければいけない」とか「軍備を増強して」とか「自衛隊を国防軍にして」みたいな話をする人もいるんですけど、絶対その反対の意見というのはどこの場でも出てくるんですね。どこの場でも出てくるということは、その中の何割かが行動するというのは昔も起きていたことなので、昔ほど社会に余裕がないので、どの程度の人が声を上げられるかという問題はあるんですけれども、今のやり方で声を上げる人が出てくると思うんです。
例えば核兵器の問題なんかもそうですけど、「核兵器を皆持っているから自分たちも持たないとマズイよ」という話があると思うんですけど、それって結局アメリカの銃社会と同じで、銃を皆持った結果、いろんな歴史があってああなっているわけですけれど、(銃の発砲事件が起きるのと)同じようになるので、そういった懸念にはしっかり反論できる余地はあると思っているので、そういった中で声をあげて大きくしていくことは出来るのではないかと思っています。
金廣志
吉田武人
そうですね。立ち上がらなくてはいけなくなった時に、自分たちは若者なのかというのはありますよね。僕らの多くは、1回は立ち上がったと思うんですけども・・・
金廣志
ちょっと説明しますと、伊集院君と吉田君は2015年安保の時に、「T-nsSOWL」(ティーンズ・ソウル)として戦った。だからSEALDs(シールズ)には文句がある、不満もあるということを時々言っていましたけれど、若くして運動に立ち上がった彼らですら、今の現状は厳しいんでしょうか。
吉田武人
まあ客観的な情勢は厳しいと思うけど、僕らが出来ることは常に主体的なことだと思うんです。それは何かと言ったら、僕らが歳を取って、さっき伊集院君が言っていたように、戦争に反対する、そこから関心を持つ人がいるから、そういう人に対して自信を持って継承して行って伝えていく、そして何か起きた時に、目の前にいる自分より若い後輩がちゃんと立ち上がってくれる、そのように自分のやってきたことを伝えなければいけないと思うんです。それは僕らもそうだし、たぶん会場にいる皆さんもそうだと思います。
自分は昔、「戦車闘争」というベトナム戦争の戦車搬出闘争を戦った町の出身なんですけれど、ずっとその時代から基地を監視している監視団の市民団体があって、それは残念ながらもうすぐ活動を終えてしまうんですけど、そこでも中心としてやっている方は「若い人には若い人のやり方があるから」と言うんですね。だから「自分たちが直接継承していく必要はないんだ。彼らなりの世代のやり方でやってくれ」と。でもそれは責任放棄じゃないですか。要は自分たちより下の世代に対して堂々としていられる自信がないということなんじゃないのか。だけど継承していかなきゃやり方なんか分からないんだから、しっかり自分よりも下の世代に対して自信を持って、僕らも皆さんもちゃんと継承していく、そういうことじゃないでしょうか。
<反戦運動のイメージは?>
金廣志
糸井さん、反戦運動あるいは平和運動について斜めに見てしまうところがあるような話をされていましたよね。斜めに見ているのか、あるいは違うように見えているのかという問題もあると思うんですけれども、少しお話いただければと思います。


糸井明日香
斜めに見ているかな?社会にどう受け取られているかというか、特に私の周りにいるような若い世代に、反戦運動みたいなものがどう受け取られているかを見た時に、何か色が付いて見られているというか、戦争に反対するということ自体は学校の授業でもやるような、右とか左とか関係なく戦争はよくないよねという一つの合意は取れるんじゃないかと私は思っているんですけど、反戦運動みたいなものになった瞬間に過激なイメージみたいなものが持たれてしまっているなと感じているのもあって、それで敬遠されているのもあるんじゃないかなというのは感じていて、楽しくやるものでもないとは思うんですけど、もっと皆が参加しやすい形に変えていくというか、探していきたいなと私は個人的には思っています。
金廣志
反戦運動というのは、平和運動というより、前世代の人が悪くて、暴力運動じゃないか、そいう風に見えたという感じですかね。
糸井明日香
中村眞大
そうですね。さき糸井さんもおっしゃっていましたけど、学校の授業で習うような話になると、皆「そうだよね」となるんですね。修学旅行で僕の学校は沖縄に行っていろいろ見ましたけど、やっぱり「すごい衝撃を受けた」と皆言っていたんですけど、じゃあそこから「戦争反対」と声を上げるということになると、急に色が付いて見られちゃうというか、デモを面白くということで、この前も「選挙ギャルズ」というグループが今どきの感じでやっていましたけど、それでも「後ろに何かいるんじゃないか」とか、「見てられない」とか、ひどいことを散々言われていましたけども、どうしたら声を上げるということが普通の事として見てもらえるんだろうというか、特殊な人間だと思われちゃうわけですね、怖い人たちだとか、そういう風に思われちゃう。それはいろんな歴史的経緯があるのかもしれないですけど、一つずっと考えているんですけど、デモとかアクティビストの人たちが周りから応援されていくような仕組みというのを作る必要があるんじゃないかなと思っていて、例えば僕らの若い世代が普段どういう人たちを応援するかというと、すごい1人で頑張っている人とか、夢に向かっていろいろやっている人とか、どうしても皆応援するじゃないですか。例えばスポーツ選手だったりとか、ミュージシャンだったりとか、そのすべてを真似しろとは思いませんけれど、そういう人たちのある種のノウハウみたいなものを引き継いで、アクティビストも、「この人応援したいな」と思ってもらえるような、そういう雰囲気を作っていく必要があるのかなと思っていて、その時だけ唐突に現れてワーッと叫んですぐいなくなるというんだと、どうしても応援してもらえないと思うので、ある種ストーリ-性じゃないですけども、あまり媚びすぎるのもよくないとは思うので難しいとは思うんですが、継続して応援してもらえるような仕組みというのを作っていく、そういうものでアレルギー的なものを払拭していきたいなと思っています。他の人にも聴いてみたいところです。
金廣志
今思ったんですけれども、非常に中村君は前向きな話をしてくれていますよね。私は「昔の人が悪かった」と言われるのは、時々腹が立つんですよね。「じゃあお前たちがやればいいだろう」と言いたくなることがあるんですよ。昔、雨宮さんに「あんたたちのせいで私たちの運動はひどいことになったんだ」みたいな風に、誤解かもしれませんが言われたような気がするんですが、そこら辺はどうなんでしょうか、雨宮さん。

雨宮処凛

雨宮処凛
そこまでのことは言ってないですけど、それまで運動が盛り上がった時代があったのが、最終的に連合赤軍のインパクトが大きすぎて、その後の世代にすごく政治が禁止されるような、そういう空気が後々まで残ったのは確かで、それは自分が何でこんなに政治の話をすると「社会のせいにするな」とか、すごく拒絶感があったんです。その理由を連合赤軍事件を知って初めて、「ああ、こういうことだったのか。それは日本社会全員傷つくわ」というような納得があったし、2015年安保て初めて連赤の呪縛から逃れた世代が出てきたので、やっとその呪いが解けたというのは、歴史的なことだったわけですよね。
連赤の呪縛から解放された初めての世代が今担っているということなので、それは私はすごく希望というか、この後に過剰に政治を禁止されない中で何ができるかというのはすごい大きいですけれど、それとは別に、今SNSとかの意識高い系と揶揄され嘲笑され冷笑されるという空気が、連赤の呪縛とは別のものだ、別のもののやりづらさというのがすごくあるので、それは本当に大変だなと思いますね。
金廣志
かっての半世紀前の事については、もうそれ自体が完全に最後の切り札みたいに言われているだけであって、そのことと言うより、むしろ左派と言われているもの自体が、もう日本社会の中では一種の国家の足を引っ張る、社会のプライドを貶めるような存在だというような意見が強くなっているかなという気もしますけど、世論調査もそういう傾向に行っているかなと、世論調査がすべての意見ではありませんけども、さっき中村君の言ったような運動が前に出て行かないと、これはじり貧の話になるのかなとも思いました。
伊集院 礼
私としてはSEALDs(シールズ)に関しては文句というよりか後悔の方があるということを先に言っておきますが、裾野を広げていくことと同時に考えなければいけないこととして、今おっしゃっていただいたような、それぞれの運動のスタイルとかはそれぞれの時代の理由があって、伝統としてやってきているものもあって、主張と一体になっているものもあるので、裾野を広げることと同時に、何かそのスタイルを縛るということは全く別の話だというところは、私としてはその点に関しては強く意識していきたいと思っていて、どちらも自由だけれどその中で裾野を広げる取り組み、自分たちの主張として続けていく取り組み、例えば「総がかり運動実行委員会」という国会前で今大きくやっているところは、青年中心のグループが作られていて、彼らは「オールドスタイル・ニューウエーブ」という言い方をしているんですね。そういう形でやっていてもいいと思いますし、サウンドデモとかデモという形から離れてもいいですし、ある程度自由な中でこういった検討をされていけばいいかなと私は思っています。
<絶対平和主義は成り立つか?平和外交は?>
金廣志
この短い時間の中で、非常に何かリアルな事を語ることは、すごく難しいことだと思うんですよ。だけど一方で日本の戦後の中に絶対的平和主義みたいなものが生まれてきたんですね。これは私たちも非常に大きな影響を受けてきました。一方で絶対的平和主義なんか成り立たないということが、ある意味では革命暴力を使わなければ暴力を無くすことはできないんだという、暴力を無くすために暴力が必要なんだという、そういうような考え方もあったんですね。
皆さんとお話していると、非常に暴力に対するある意味での嫌悪感、あるいは「暴力自体がまた次の暴力を生むんだ」というような考え方があると思うんですけれども、絶対平和主義というのは成り立ったかということについて、一つ議論しておきたい。これは成り立たなかったら成り立たないでいいと思うんですよ。だけど、よりそこを目指さなければならないものであれば、そこで皆さんの意見をお伺いできればと思います。


吉田武人
国家を否定すれば成り立つんじゃないか。だけど僕らの素朴な厭戦感情の中には、日本という国への思いもたぶんある。だけどそこの話を始めると、いろんな前提知識を必要としていく。例えば、ここで「断固として反戦運動を戦う」と言っても通るけど、戦うことに反対するのに戦うというのは変な言葉じゃないですか。そういうところの教条論争をずっとやっているのかな。
金廣志
この話は本当はやりだすと面倒くさい話になっちゃうけれども、絶対平和主義というのは要するに「戦わない」ということ、そういうことは成り立つのかという問題を、今回のロシアのウクライナ侵攻は突き付けたと思うんですよ。「戦わない」という選択肢はあるのか。
これまで日本の社会は憲法9条によって裏打ちされることによって「戦わない」という選択を取って来た国ですけれども、それ自体が成り立つのかどうかという事は少し難しい状態になったのかなと思っています。
安達晴野
結構日本が今軍拡を進めようとしていて、その中であるのは、やっぱり外交だけじゃ駄目なんだ、そもそもしっかり武力というものを持っていないと、外交のテーブルにも付けないんだというような意見がすごくたくさんあると思うんです。裏を返せば、武力が無いと話し合いとか平和というのは訪れないんだということだと思うんですけど、本当に外交の力だけで戦争を防ぐことは出来ないのかということを、僕はずっと。まだ自分の中でも答えは出ていなんですけれども、考えていて、ただ、今思うのは、仮に外交の力だけで平和が成り立たないとしても、今どう考えても軍事一辺倒で外交努力を怠りすぎているんじゃないか、話し合いによる努力というものを怠りすぎているんじゃないかと思っていて、怠っている状態で実力がないとダメなのか、それとも実力が無くてもいいのかという議論をすること自体が、僕はおかしいというか、結論は出ないと思います。
中村眞大
答えではないんですけど、平和外交と言う時、どうしても平和外交と言うと「そこに座ってよ。平和にやろうじゃないか」みたいなそういうイメージがあるかもしれないんですけど、そういう綺麗ごとでもなくて、軍事だけじゃなくて、例えば今はグローバル化の時代でいろんな国と貿易、輸出入をやっていると思うんですけど、そういうところで駆け引きをしていくということなのかな。僕は外交は全く詳しくないので分からないんですけども、単にフレンドリーに話して「平和に行こうぜ」とやるんじゃなくて、闘いの場を軍事から駆け引きというところに移すのかなとも思ったりしました。
全然答えではないんですけど、僕の思っているところで、他の方の話も聴いてみたいと思います。
私も答えではないんですけど、外交って何なのか分からないというか、外交で本当に何をしているかというのが見えなくて、人と人とのやりとりで、結局相手も人だからみたいな話もあるのかもしれないですけど、何かそれに頼るみたいなのが未知数すぎて、気持ち的にそれで行けると思い切れないところがあるなと思っていて、何がそこで行われているのかが分からない、分かる部分もあると思うんですけど、どうなるか分からない予測できない要素がすごく大きいのもあって、外交でやっているという期待感みたいなものを持ちづらい手法なのかなとちょっと感じていて、外交って何なのかよく分からないんですよ、私。

伊集院 礼

伊集院 礼
外交って私たち市民の立場からして、実際にその実務に関わったこともないし現場も分からない人間からすると、すごく漠然としていて、実際に表に出てこないことも多いじゃなないですか。だからすごく分かりづらいなと思うんですけど、僕なりの答えとして僕が持っているのは、ハッタリでもいいから絶対平和主義ということに関しては大前提として言いたいなというのは思っていて、現実難しいですし、現実味があるのかと言われると無いのかもしれないですけど、昔国連中心で国際紛争というのを無くしていきましょうという合意を取れていましたかと言うと、取れていなかったわけですし、毒ガス兵器だとかそういうものを禁止できましたかというと、出来ていなかったわけですし、憲法9条のようなものを持っている国は一つもなかったわけです。少しずつはたぶんましな方向に進んでいけるんじゃないかと、私はあんまり根拠は無い期待として持っているので、そういう形で進めていければと僕は思っています。

吉田武人

吉田武人
外交の話が出て「アメリカ」という単語が出ないのがちょっとビックリするなという、対米自立か対米従属か、特に日本の民族派を中心にあると思うんですけど、じゃあその対米自立って何かと言うと、自立した形の自主防衛というのを掲げていて、国家がある種自立した状態というのは戦争という能力を持つという状態だから、そう考えると外交による平和って何かと言ったら、たぶん相互依存をどんどん進めていく、もちろん自分より大きいアメリカという国への過大依存だと、それはそれで戦争に利用されると思うんだけど、日本もある程度経済力もあって、それで中国に依存関係にあってという、様々なフィールドで依存関係を強くしていくというのはあるのかな、安保でも自衛隊でも。


金廣志
吉田君、難しい話をしたよね。これでもう少し突っ込んじゃうと大変な話になる。そろそろ時間なので、今日本でテレビなどで問題になっているのは防衛費倍増の話なんですよね。防衛費が今GDP比の1%、約6兆円と言われているんですね。これを2%で欧米並みの11兆円にしよう、欧米並みと言っても経済の底力が違うから2%と言っても額が全然違うんですけれども、日本は軍人恩給とか払っていませんから、実質は世界で第3位くらいの軍備費を使っているんですけれども、それを更に倍増しよう、3倍増と言う人も現れていますよね。それについて賛成、反対で手を挙げていただけますか?これは実際に税金でやったら大変な話になってしまうわけです。これは要するに中国に対する「恐れ」なんですけど。どうなんですか?核は持つべきなんですか?核を持つ、核を持たないで手を挙げていただけますか?本当はこんな話を聴いても意味が無くて、皆さんがそういうことに反対なんだろうということで、時間も来てしまいましたので、また第2部の方の話も受けて、第3部で30分くらい討論したいと思っています。
(第2部に続く)
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