![イメージ 1](https://livedoor.blogimg.jp/meidai1970/imgs/b/4/b4a6d6ae.jpg)
今回も前回の続きということで、催涙弾がひどかった1971年6月17日のデモについて書いてみたい。
1971年6月15日~17日は、6月17日に控えた沖縄返還協定調印を阻止する連続闘争として、全国で集会・デモが繰り広げられた。都内では6月15日に明治公園で全国全共闘・全国反戦の集会が開催されたが、中核派と反帝学評の内ゲバにより統一した集会が開けず、党派間の分裂が決定的となった。1970年初頭から形骸化していた全国全共闘は、この日で実質的に消滅した。この日以降は各党派による統一集会は開催されていない。
6月17の集会は、中核派系が明治公園、反帝学評系が宮下公園、べ平連が中央区坂本公園とそれぞれ独自の集会を持ち、中核派系のデモでは手製爆弾により機動隊員37名が重軽傷を負うという事件が発生している。
この3日間は新左翼運動の1つの転換点だったといえる。
明大の黒ヘル部隊は宮下公園の反中核系集会に参加したが、宮下公園の集会・デモも荒れた。当時の新聞記事を見てみよう。
朝日新聞1971.6.18社会面(要約引用)
【都心で火炎瓶、放火 全共闘系 国電一時ストップ】
「全国全共闘系の集会は分裂集会となった。中核派とわかれた反帝学評、フロント、プロ学同などのグループは渋谷区宮下公園で7800人が集会、デモに移ると間もなく、一部学生がデモコースから外れて国電渋谷駅付近の繁華街へ吹き出し、火炎瓶を投げて荒れた。
さらに約300人は同公園近くの山手線に乱入、線路上で激しい投石、このため山手線は一時、内、外回りともストップした。」
新聞記事では、さらりと書いてあるが、この時の機動隊は催涙ガス弾を水平撃ちにより、デモ隊列に次々と撃ち込んできた。
その時の様子はリンクしている「明大全共闘・学館闘争・文連」のエピソード1971に書いたが、被害状況について明大弾圧対策委員会が書いた文書があるので引用する。
【告発】(要約引用)
「権力の催涙ガスを使った弾圧はますますエスカレートしている。6・17のあの雪のように降りかかる白い粉の中にいた諸君は、これがまったく殺すことさえいとわぬ、権力の狂気じみた拷問的発想であることは確認できるだろう。催涙弾は今や頭部、頚部を狙い撃ちし、眼前で炸裂して、白い毒粉をあびせかけるといった恐るべき凶器となっている。
当日にも数百発の毒ガス弾が放水とともに撃ち込まれ、ほほを直撃され、口内まで貫通した者、毒ガスによるひどいやけど、中毒症状をおこしている者など多数が催涙弾によって受傷している。
各所の隊列に向けての直撃、至近距離での爆発でデモ参加者ほとんど全員が大量の粉をあびており、即日、あるいは1週間、2週間たってから、顔、首、肩、胸、足などに、しっしん、水泡ができ、その後さらに全身に症状が広がり、リンパ腺がはれあがり、全身がだるく、37~39度の熱が出て、痛み、かゆみで不眠、食欲不振におちいっている。
検査によれば検診者全員に尿と白血球の異常が認められたという。当然のことながら逮捕者の多数が毒ガスにひどくやられている。特に6月17日逮捕の上野128号は上半身から左足ももにかけて、水泡、全身赤くただれ、熱も39度のまま、睡眠、食事もとれず、治療を要求すると五箇所の病院をつれまわされた。結局、あまりのひどさに警察は完黙の彼女を釈放した。最近急激に濃度が強められ、催涙ガスの使用基準は拡大される一方である。(法務省令では、人体に向かっての直撃禁止、警告の義務を明記している。)」
確かに6・17の催涙弾はひどかった。当日、私も全身に催涙弾の粉を浴びたことは間違いない。弾対の文書にあるような症状が出たかどうか記憶にないが、目の調子が悪いのはその時の所為だろうか。
一方、警察の見解はどうか。連載No8で紹介した「過激派殲滅作戦」から引用する。
【過激派殲滅作戦】―公安記者日記― (要約引用)
「6月30日:きのう、救援連絡センターが記者会見し、15~17日に使われた催涙ガスは高濃度の新型で重症ヤケド続出と発表。担当記者から警視庁側のコメントを要求してきた。(中略)警備のいうように、おそらくガスの種類、濃度に変化はないだろうが、低濃度のものでも一定地域で大量に使った場合、高濃度と同じ効果をもたらすわけだから、あのときの乱戦ぶり、特に17日の明治公園の様子からすると、センター側の発表は理解できる。」
おそらく被害の原因は警察の見解のように新型の催涙弾が使われた影響ではなく、多量に、それもデモ隊列に直接撃ち込んで使われたことによる影響だろう。1971年ごろになると、デモの規制には大量の催涙弾が使用され、その使われ方も銃を撃つようにデモ隊列に向かって直撃するような撃ち方が普通となったように思われる。
あの催涙ガスの何とも言えない独特の臭いが記憶に蘇ってくる。