前回の連載に出てきた、高校の同級生でウーマン・リブの運動をやっていたN子のその後である。少し私小説的に書いてみよう。
1971年9月、遅い朝食を家で食べて自宅で本を読んでいると、N子から電話がかかってきた。相変わらず九州なまりの言葉で「私が貸した本を返してもらいたくて電話したの」と言う。「じゃあ返すから御茶ノ水まで来いよ」というと、「御茶ノ水?私、お金が全然ないのよ。定期もないし。」と返事をする。
結局、N子は了解して御茶ノ水の喫茶店で落ち合うことになった。
9月だというのに、風が強く春先のように蒸し暑い天気の日だった。
御茶ノ水の喫茶店には、すでにN子が来ていた。久しぶりに会ったが元気そうだった。
型どおりの挨拶を交わして、借りていた詩集をN子に渡した。
「学校の方はどうなの?」とN子が聞く。「相変わらずさ」と私が答える。
「近頃、ウーマン・リブの活動はどうだい?」と聞いてみる。
「最近体の具合を悪くして親戚の家で休養していたから、活動の方とは大分遠ざかっているいるわ。でも、考えたのよ。やっぱり私は1人でやっていくって・・・・。他人のことは考える余裕がなくなって、自分のことしか考えられなくなったの。私は私なりにやっていくつもりだけど、それが私にとっては一番いいと思っているわ。」とポツリポツリと喋りだす。私はにがいコーヒーを飲みながら黙って聴いている。
昨年(1970年)の今頃は、女性解放運動のことでN子から追及されて答えに窮するようなこともあったが、今日はそんな様子はまったくない。
N子は夏に鎌倉に行ったこと、東京と鎌倉を毎日往復したこと、フランス語の勉強を再び始めるためにフランス語の学校(アテネフランセ)へ行くこと、ヌードモデルをやめたこと、SEXのこと、映画の話など、とりとめもなく、言葉を捜しながら喋っている。
気が付くと、もう6時。N子は時計を見て「もういかなくちゃ」といって席を立った。
2人で喫茶店の外に出て空を見上げると満月が赤味を帯びて雲の間から光を放っていた。
別れ際にN子から渡されたガリ刷りの詩を紹介しよう。N子の心情が分かるような気がする。
【erosの長征へ向けて】
『あたい 昔 思ったものだ
世界地図 ひろげてベトナムをにらみ パレスチナをあおぎ
腕を組み 目を閉じて 世界を駆けめぐるあたいの心は
その日の朝の輝く光を待つ、夏草のつゆでぬれていた
「人間は解放されなきゃアカンのや」
見てごらん あたいの心は こんなに痛む メコンの川すじを流れる幼児の泣き声
廃墟にたたずむ 力なき民の群れ
セーラー服にとじこめられた あたいの身体は 怒りにふるえた
「敵はどこだ?敵は?」 ぶあつい書物が マルクスがレーニンが
資本主義制度という敵を教えてくれた
あの官庁に あの宿舎に 憎っくき敵が詭計をたくらんでいるんヤ
「ぶっ殺せ!ぶっ殺せ!」怒りの突撃!突撃!
惨敗 みじめさ しょぼくれる雨に 後足ひきずった かんおけの列が
幾度も 幾度も 街の雑踏の中に消えていく ちりぢりに
「人間は解放されなきゃアカンのや」呪文のごとく どの本のページにも書きつらなって
あたいたちは暗唱していた 「~ 解放されなきゃ ~」
血ばしった目は 解決の糸口をさがして ページからページを追って
世界情勢の上をさまよって 会議から会議をかけずりまわって
あたいたちの生気は失せていく
過激なことばを 機動隊のなまぐさいムチを 気付け薬に欲しがる
中毒症状が あたいたちを犯し続ける
セーラー服にとじこめられた あたいの身体は くさっていく
「人間は解放されなきゃアカンのや」と口ばしる あたいの身体は腐っていく
生身の腐乱する会議室をぬけ出し 静かに荒野へ歩き始めるのよ
草のさわやかな熱気を足裏に
その身に重いセーラー服をぬぎすてて 歩いていくのよ
黒い夜 裸身が群れて遊んでいた森
しげみの奥の狂熱に耳をすまし 歩いていくのよ
あたいたちが世界と出会う地平へ
ゆき』
ウーマン・リブの闘士だったN子も消耗してしまったようだ。N子とはこの後、会っていない。行方もわからない。