
連載32で「朝日ジャーナル」回収事件のことを書いたが、「朝日ジャーナル」は新左翼や全共闘系の記事が多いこともあり、大学時代はよく読んでいた。1969年発行の「朝日ジャーナル」には「学園ハガキ通信」というコーナーがあり、毎号ではないが、大学の紛争の現状など大学生からの投稿を掲載していた。
連載19.24.25.26で全国大学紛争校一覧を紹介したが、あれは「サンデー毎日」記者が集めた情報を編集したもの。こちらは読者の投稿をそのまま載せているので、より大学紛争の実態に近い内容と思われる。今回の連載から何回かに分けて、その「学園ハガキ通信」を紹介したい。
今回は「朝日ジャーナル」1969.4.6号に掲載されたものだが、この号には
○ゲバ棒から就職への道程 座談会・獲得したものをどう活かす
○加藤新総長の東大再建とは
○高校生その心 告発(卒業式闘争の写真)
○刑事弁護にみる黒い死の思想 「暴力学生」弁護拒否論を批判する
○「山谷解放」の虚像と実像
などの記事の最後のページに「学園ハガキ通信」が掲載されている。
【朝日ジャーナル 1969.4.6号「学園ハガキ通信」】(引用)
□いぜん立入り禁止(日大農獣医学部)
『2月10日に学校側は「入試をやるために」との理由で警官に守られてバリケードを解いた。しかし2月11日の入試は学部ではなく、両国講堂で警官に守られて行われた。
「清掃整備のため当分登校しないように」と1ヶ月以上も校舎に入れない。3月31日現在、校舎内には学部長代行の許可を得た者しかはいれず、教職員でもはいれない人がいる。校内には警備員と他の大学の学生を高給でやとって泊りこませている。
学校近くで集会やデモをやると、すぐ警官隊や機動隊がかけつけ、ただ集まって話をしているだけで、都公安条例違反になる。公園などで集まるのは、違法になるのだろうか。
われわれがバリケードを築いていたときには、だれでも自由に学校内にはいれ、自立講座を開いていた。21日の朝刊には、授業再開を前提として近々学部集会を開くという広告が載っていた。 (金子俊輔 農業工学科)』
<管理人:注>
日大全共闘関係のホームページは学部ごとにいくつかある。農獣医学部のホームページをリンクに載せたので、そちらも参考に見て欲しい。
そのホームページの年表欄から、今回の投稿に書かれている出来事を引用してみる。
(1969年)
2/10 機動隊導入 バリケード撤去 農闘委は学科ごとに学外に撤退
2/11 農獣医学部 日大講堂にて入試 農闘委は日大講堂周辺でビラ撒き・抗議集会
その後 中大中庭での「労学市民5万人集会」に参加
2/12 農闘委は 明大和泉校舎に拠点を移動
3/28 世田谷公園野球場にて学部集会 後に学部側は多数決により授業再開を決議した と主張
※リンクの「1968年全共闘だった時代」HPの掲示板に40年後の農闘委の皆さんの赤ヘル写真が載っています。
□道元禅士の怒り
『昨年の3月、受験生にビラを配布した学友が、そのビラの内容が建学の精神=仏教イデオロギーを否定したという理由で11人が処分された。
42日間にわたって闘い抜かれた駒沢大学闘争(処分白紙撤回闘争)は、パリの5月革命と時を同じくして、そして東大・日大全国学園闘争の口火を切る闘いとして展開された、というぼくたちの誇りがある。
当時、「一般学生」と呼ばれていたぼくの1年間の小さな歴史は、東大・日大闘争に参加し京大で機動隊導入に声をふるわし、「一般学生よ起て!」とアジる。もはや「暴力学生」と当局者は叫び、仏教イデオロギーを背負った道元さんはなげくでしょうか。
でも道元さんよ。彼ら当局者の言う仏教イデオロギーは、戦前の駒沢大学において、軍事教練優秀校として戦争を賛美したことをぼくたちは知っているし、そしていままた学生を弾圧する一つの手段として登場したことにぼくたちは怒りを持って弾劾するだろう。
彼らの言う仏教イデオロギーはそんなものです。一番、怒りを感じているのは道元禅士その人なのかも知れないね。 (赤坂義昭 文学部)』
<管理人:注>
駒澤大学は仏教系(曹洞宗)の大学である。
ウィキペディアによると、駒澤大学の建学の精神は「行学一如」と「信誠敬愛」である。
「行学一如」とは、修行(実行・実践)と修学(学問・研究)は一体で、互いに影響し合って発展していくという禅の思想に由来する言葉である。
「信誠敬愛」とは、大乗仏教に説く自利と利他の精神を敷衍して、自己を磨くには、誠の心をもってし、他者のために尽くすには、深い慈しみの心をもってすべきということである。
当時、駒澤大学は反帝学評の拠点校の1つであった。
次回も「学園ハガキ通信」の続きです。