今回も前回の連載の続きで、桜画報社員となった「構造」編集部の広告戦線での戦いを「構造」1971・6月号から見てみよう。
写真は朝日ジャーナルに掲載が却下された「構造」の広告である(「構造」からの転載)。
【「桜は咲いたか」 泰平小ゥ僧】(引用)
『3月26日に広告掲載についての連絡があった時、私達は3つのことを考えた。〆まで通りの形式で広告を載せる。回収に対する抗議のボイコット。なんらかのかたちで回収に触れた広告を作る。であった。
私達は討議のうえを選んだ。△離椒ぅ灰奪箸蓮△燭正馮櫃鬚靴燭世韻如6?鮃告ができるわけではなく、別の広告がそこを埋めてしまう。抗議は広告代理店を通って朝日新聞社には伝わるかもしれないが、読者には何一つ知られることはない。回収の問題は単に朝日新聞や朝日ジャーナル編集部に抗議して済む問題だと私達は考えない。第一、それではあまりにつまらない。独占的大新聞社の横暴に対し断固抗議する良心的ジャーナリストという構図はまったく醜悪である。
結末の獲得物を予想しての大風呂敷をここで広げるのは恥ずかしいからやめよう。ただ、回収についての追及が朝日新聞社の中からも外からもなされず、すべてがこのまま封じ込められて行くだけであった時、回収号広告の再掲載というのは“桜の民”にとって最後のチャンスであると思えた。かかるしだいで、広告はなんらかのかたちで回収のことに触れ、できれば赤瀬川原平氏に描いてもらいたいということになった。その結果、赤瀬川氏もその“桜の思想”故に共鳴され、相談もトントン拍子に進展し、次のような関係をイメージして作られた。
―「4.30朝日ジャーナル」に経済構造社の広告が載る。ところが、広告平面を全面的に桜画報号外が乗っ取っている。しかたなく経済構造社は桜画報社にたのみ契約をして全面広告を掲載。-
桜画報はその平面を乗っ取ることにより、3・19回収号分を挽回する。経済構造社も、ジャーナル広告は毎月1回であるのになぜに、4月号だけ2回なのか、その原因と理由を読者の前に解明し、と共に5・6月号の宣伝をする。念のために全体にキリトリ線を付けた。この号がまたもや回収されないとも限らないので、その時はキリトリ線の外を切り取ったうえで回収せよ。という意味である。この理論的根拠は“あくまでも朝日ジャーナルは桜画報の包み紙=パッケージで、本品は桜画報である、”というかの「赤瀬川のテーゼ」に依拠している。
なお、キリトリ線が広告代理店を通して朝日新聞社出版広報部から断られたのは別の理由からであった。朝日新聞社にはそれぞれの発行物に対して広告掲載の規定があり、キリトリ線については、その広告の全長の何パーセントだかに決まっていて、それに抵触するということだった。(これが無規定だと、見本進呈などに使うキリトリ線がエスカレートしてしまう恐れがあるからだそうである)
こうして広告原稿が作られ、版下にされ4月16日に広告代理店に手渡された。
「広告はそのメディアの存在構造を語る」といういくらか有名な一文がある。広告が本文か、本文が広告か、という問を発した人がいたが、これは認識がまちがっている。広告と論文が本文を構成しているのである。私達は新聞にしても雑誌にしても、広告は広告であるとして記事にのみ目を向ける習性を身につけているが、これが問題である。広告はそのメディアの重要な構成要素である。(中略)』
総会屋のオーナーと雑誌編集部との関係も比喩的に書かれているので引用する。
『たとえば親の職業が株主総会指導業でもしていれば、小僧が1人いるってことは、たくさんの会社から小僧の養育費をくださいといって金をいただく立派な理由になる。小僧が学生運動なんかをやっているとかえって多くもらえたりする。第一、スキャンダルやエロ・グロで育てるより「左」で育てた方が小僧の成長も速い、すぐに大きくなれる。大きくなればそれだけ養育費をもらえる。でも銭がたくさん集まってても小僧を育てている保母さんには全然銭はまわってこない。左の保母は左らしく肥やさず貧しくあってこそ左の小僧を育てられようというものだ、との親心らしい。たしかに!正しい!そんなに肥りたがる保母なら解雇する、場合によっては小僧と縁を切ると親はいうのです。子ほど親は立派ではないのが世の常です。
造反有理、理路整然、全面展開は明日のジョーにまかせ、好奇心旺盛責任感皆無の“桜の民”は、ひやかしたり、するふりをして他の暴動心をそそるのです。
とにかく、ぼくらは明後日のジョーである!』
「構造」編集部の広告戦線の闘いは終わった。そして、この「構造」という雑誌も1971年6月号を最後に廃刊となった。
街頭からヘルメットも野次馬も追放されていくような状況の中で、明後日のジョーである「構造」編集部は、その後、どこを乗っ取ったのだろうか。