
大学ゲリラの唄 ―落書東大闘争―(三省堂新書・1969.5.20発行)という本がある。
当時、東大農学部助手であった岡本雅美氏と村岡行一氏が採集した東大闘争に関する「非論理的」な資料をまとめたものである。「非論理的資料」とは、ビラ、落書、替歌などである。
本のあとがきには「己の情念や理念を十分に表現しうる言葉を、いまだもちえぬ者たちが、既製の理論的な言語や枠組みを盗んで語るとき、理論的表現のもらたす普遍化、定式化に蚕食されてかき消えてしまう何ものかを、この書に採録された詞文から読みとられることを願う」とある。
今回は、そのうち落書編を紹介する。写真は、かの有名な「連帯を求めて孤立を恐れず 力及ばずして倒れることを辞さないが 力を尽くさずして挫けることを拒否する」という落書の写真である。
では、この本から安田講堂内のいくつかの落書を見てみよう。
【大学ゲリラの唄】(引用)
『○永続的 非妥協的バリケードを構築せよ!
○君もまた覚えておけ 藁のようにではなく ふるえながら死ぬのだ
1月はこんなにも寒いが 唯一の無関心で通過を企てるものを 俺が許しておくものか
○団交は一般的に暴力を意味しない 大衆の確認の中で行われるからだ!
敵対者(人民と支配者)が対等でない時の戦う人民の表現形態にすぎない。
○悪魔も寄りつかぬ静寂の中で ドン・キホーテは夢を見ていた
しかし僕等は自己を主張するに不可欠なハンマーを見ている
反革命分子よ 気をつけるがいい
血と肉をもった存在が今や 鉄槌なしには主張され得ないのだ
○万国の労働者 被抑圧人民団結せよ!
世界に新しい共産党をつくれ
○東大・日大は連帯して闘うぞ!
日共・民青の反革命粉砕!
○静寂は闘いの中に 平和は闘いの中に 秩序は闘いの中に
○真黒に汚れた手の中に ごそごそもぐりこむ硬いベットの上に 僕達は革命の夢を見る
○戦闘的な社学同の同志よ 反戦青年委員会は 君達と共に最後まで闘う
○俺は行くぞ!! 重い!重すぎる
軽くするために行くんだ 遠くまで行くんだ 己のために 君の為に
○女性の自立をめざして 日本女性解放同盟は死ぬまで闘うぞ!!
○ローザの心は革命の心 おせばパトスの泉わく
社会主義の情熱と人間的感性 それが革命の生命なのです
○中核の部隊は最後まで勇敢に戦い抜くであろう。だが我々は玉砕の道を選んだのではない。我々の後に必ずや我々以上の勇気ある若者たちが、東大において、いや全日本全世界において、怒涛の進撃を開始するであろうことを固く信じているからこそ、この道を選んだのだ。そうだ、我々はみずから創造的人生を選んだのだ。
中核第二軍団第五小隊
○とめて下さいお母さん 背中の銀杏も笑ってる 女々しき東大 どこへも行けない
○労働者諸君 学生はここまで 後は君達の出番だ
○未来を怖れて現実を避ける君 君に未来はない 君に現在がないから
君には現在も未来もない 君にはLifeがない 君の腕の時計の針が回るだけ
君にあるのはそういう君だけ 君に見えるのはそういう君だけ
君がするのはそういう君を守ること
○運命のままに生きることを拒否し 新世界を求めてぼくは旅立った
もとより幻想など持たぬから 困難に直面しても悲愴にもならず
英雄を気取ることもなかった この歓喜の合唱のための闘いを
未完成に終わらせてはならない(駒場第八本館)』
バリケード内の落書は東大に限らず、どの大学のバリケード内でも見られた光景である。
明大のバリケード内も壁のいたるところに落書や党派のスローガンがあふれていた。
国鉄のストの時にも電車にスローガンがペンキで書かれていた。当時はスローガンと落書の時代でもあったのだろうか。
明大のバリケードの中で「孤立を求めて連帯を恐れず」という落書を見かけた。「連帯を求めて孤立を恐れず」のパロディーみたいな落書であるが、1970年以降の闘争の先鋭化や内ゲバを予想したような落書だった。
安田講堂攻防戦以降の闘争の後退戦の中で、党派を中心に、70年安保闘争に向けて闘争の質的な発展を図るためには、安易な連帯を拒否し、闘う強固な組織を作っていこうという流れがあった。そういった流れの中で闘争の先鋭化と孤立化が進み、果てしない党派間・党派内の内ゲバという呪縛へと落ち込んでいく・・・。
そういった時代の予感を的確に表した落書といえよう。
でも「孤立を求めて連帯を恐れず」には賛同しない。やはり「連帯を求めて孤立を恐れず」が正しいと思う。
それが全共闘運動の精神だから。