前回の続きで、明治学院大学(写真は筆者撮影)の闘争の様子を紹介する。
明学大では1968年10月から校舎のバリケード封鎖が続いていたが、翌69年2月、機動隊が導入され封鎖は解除されてしまう。
【警官隊が封鎖解除 占拠学生、無抵抗で退去】毎日新聞1969.2.8(引用)
『(前略)警視庁は8日午前4時すぎ警官隊300人を出動させ、学生の排除とバリケードの撤去にあたった。(中略)
警官隊は午前9時すぎまでに封鎖6校舎のバリケードを撤去、大量の石、竹ヤリなどを押収した。大学当局は校舎内の立入りを禁止し、当分の間警官隊に警備を依頼して学生の再占拠を防ぎ、入試実施に全力をあげる。
明治学院大学では昨年10月、国際反戦デーの看板撤去をきっかけに、学生側が自治権の奪還、学生部の解体などを要求。反日共系学生を主体とする全学共闘会議が結成され、同月30日、同大中央の12階立て校舎ヘボン館をバリケード封鎖した。
その後、学生たちは本館、6号館、チャペルとつぎつぎに封鎖を拡大した。大学当局はついに7日、若林学長と武藤富男院長の連名で、高輪署長に対し「学内封鎖の解除と占拠者を排除してもらいたい」と正式に文書で要請した。
封鎖校舎には学生約230人が泊まり込み、“徹底抗戦”を叫んでいたため警視庁は警官隊300人を出動させ同大構内に入った。
大学の武藤富男院長、若林竜夫学長らがバリケード校舎の前に姿を見せ、占拠学生に校舎内からの退去を命じた。学生たちは無抵抗で本館、6号館などから出て、構内をデモしたが、まもなく正門付近で機動隊に規制された。
午前5時45分、学生たちは正門をかためた警官隊の人がきのなかを一人ずつ“首実験”をされながら“追放”されるように構外に退去した。ミッション系らしく学生のなかには、女子学生が約70人もいた。(中略)
大学当局は今後、職員や学生による“平和部隊”を組織して校舎を守るが、警官隊にも当分の間警備を依頼、学生が再占拠をはかれば、建造物侵入などで検挙してもらう方針。(後略)』
当時、明治学院大学文学部講師だった詩人の天沢退二郎氏が、朝日ジャーナルに明学大闘争について寄稿している。
【明学教授会の思想的破産 天沢退二郎】朝日ジャーナル 1969.4.13号(引用)
『(前略)昨年4月以来、さまざまな兆候や事件が起こっていたにせよ、<紛争>の直接の契機となったのは10月8日の応援団・学友会学生による立看板破壊事件であったが、その後の本館封鎖、ヘボン館封鎖、第二次本館占拠から機動隊導入におよぶ<紛争>のエスカレーションの過程は、当初の立看破壊が指標していた問題をこえて、明学全共闘による闘争が全国的な大学闘争の一環であることを証明した。
というのも、かれらの闘争過程がついにひきずり出したものこそ、学校当局=学校権力の暴力的正体であり、また、教授会なるものの反動的正体だからである(そしてまた、しばしば右翼体育会と結びついて、かれら全共闘のたたかいを分断し、阻害した民青自治会の対応もまた、全共闘がひき出した民青の正体暴露であり、全共闘のたたかいの正当性を立証するものだった。)(中略)
民青自治会はすでに第一次本館占拠のときから、その犯罪的な正体を明らかにしていた。
体育会系の学生と声をそろえて《あの破壊のあとを見よ!》と一般学生によびかけていた自治会幹部は、次にヘボン館を占拠した全共闘を、これも体育会系と結んで逆封鎖・水攻めにし、さらに学校側の設定した<全学集会>を<ヘボン館占拠への抗議集会>にきりかえ、多数決で<実力撤去>をとりつけてバリケードに迫ろうとした。
学長は一時は歓喜して《私が諸君の先頭に立って突っ込む》と叫んだのである。学校当局―民青―<一般学生>のファシスト的な結びつきは、そのとき一瞬あざやかなイメージを結んだといえる。
しかし、そのとき多数決で勝ったはずの民青執行部と行動をともにしようとした<一般学生>は、憤激して全共闘とともにバリケードを守ろうとした全共闘シンパよりもはるかに少なかった。
民青はこの失敗から、大衆団交議長団をリコールされ、全共闘はついにヘルメット・ゲバ棒の行動隊によって逆封鎖を粉砕し、民青と右翼を学内から放逐した。(中略)
不当にも学外に追われ、学生大衆とのコミュニケーションを引き裂かれた全共闘―現在は全闘連―諸君もいまは試練に立たされているが、攻撃的なバリケードの思想表現性と、物理的ゲバルトを支えるラジカリズムによって、自己を深化し、闘争を徹底的につきすすめねばならない。
教授会は国家権力と学校当局との結合に加担することをやめて自らの破産を認め、全共闘の要求項目をすべて受け入れねばならない。
学生大衆は<一般学生>という虚像のなかにひそむファシスト的素因と、ひとりひとり主体的に対決し全闘連を支えてたたかわねばならない。』
1969年6月25日夕方、全共闘系学生150人が正門、東門などを再びバリケード封鎖した。(終)