全国学園闘争シリーズの4回目は、東京・目黒区の東京工業大学の闘争を紹介する。
この学園闘争シリーズに登場する大学には、なるべく現地に出向き、当時の状況をイメージするとともに、写真を撮ってくることにしている。
東急線の「大岡山」駅を出ると、すぐそばに東工大の正門が見える。
前回の東洋大ほどガードマンの視線が厳しくなかったので、東工大の中に入って写真を撮ろうと思ったが、気後れして正門の付近を撮影するに留めた(写真は筆者撮影)。
東工大の闘争の発端は新寮の建設をめぐる管理運営問題だった。
【東工大が全学スト】毎日新聞1969.1.30(引用)
『新寮建設をめぐって紛争中の東京工大(斯波忠夫学長)で29日正午から約2千人の学生が参加して、学生大会が開かれ、無期限スト突入を決めた。
国立1期校の同大学は2月1日から入学願書の受付けを始めるが、このスト決定により、入試実施にも微妙な影響を与えると心配されている。
28日に続いて開かれた学生大会で五寮委員会を中心とする学友会(山森茂夫委員長)から「学寮の管理、運営規則の白紙撤回」など5項目を要求する無期限スト提案が出され、賛成716、反対680、保留128でかろうじて可決、即刻、無期限スト態勢に入った。
この提案にもとづき学生側は「当面バリケード封鎖などの強硬手段はとらず、2月5日に学生大会を開き、スト体制をふたたび全学生に問う。入試問題には態度を保留する。」との柔軟な態度をとっている。
しかし、30日からはすべての講義、会議をストップさせるため教室のカギを学生に渡すよう要求し、それが拒否された場合は実力封鎖の辞さないとしている。(後略)』
結局、全学バリケード封鎖に突入したが、その時の新聞記事の見出しが刺激的だった。
工業系大学ということで、危険物があることは何となく分かるが、「核」まであったとは・・・。
【“核つき”で全額封鎖 東工大の反日共系】毎日新聞1969.2.13(引用)
『多量のウラン、プルトニウム 米から政府が借用 管理に不安
全学無期限スト中の東京工大では13日に予定していた大衆団交を大学側が拒否したことに対し、全学闘争委(反日共系)は一挙に態度を硬化、12日から全学バリケード封鎖に突入した。
このため全教官が構内にはいれず、危険物が山と積まれている原子炉工学研究所や理学部実験室などは管理責任者不在のまま機能マヒ寸前に追い込まれた。
同研究室には政府が米国から借受け委託している濃縮ウランも多量に使われており、政府も「危険な上、国際信義にもかかわる」と重視、早急に事態の打開策を迫られている。
東工大では、3、4日にかけての本庄教務部長つるし上げ事件以来、大学側は「公開、平等の原則が認められない限り団交に応じられない」と13日の団交も拒否回答、全学闘争委との話し合いの道は断たれた。
これに反発する全闘委は約200人が12日から正門、南門、緑ヶ丘門にバリケードを築き、全教授に「なぜ団交に応じないか」と自己批判を迫り、「団交に同意する」との文書にサインした5,6人だけ構内に入った。
原子炉工学研究所や理、工学部は大学院生や助手の自主管理にまかさざるを得ない情勢で、学生同士のトラブルや不慣れな学生による危険物取扱いで何が起るかわからない事態となった。
原子炉研究所には20パーセント濃縮ウラン12.5キログラム、天然ウラン2.5キログラム、プルトニウム80グラム、そのほかアイソトープなどがあり、このうち濃縮ウランは「日米原子力双務協定」に基づいて日本政府が借用したものを同大に委託した形で使われている。
これら核燃料やアイソトープは、核分裂実験装置室や放射能実験に使われている。(中略)
このほか同大には水素ボンベやエチレン、塩素、酸素ボンベなどが本館、各むねの廊下に千本以上も並べられている。
「風通しがよいため廊下に置いている」と大学側ではいっているが、水素ボンベ(高さ約1.5メートル)が倒れ元センがゆるめられると爆発し、ロケット弾のように200メートルも飛ぶ危険なもの。
1年に2,3度は水素ボンベによる小さな火災事故が発生しているという。
このため、うかつに機動隊導入もできず、この辺も大学当局の泣きどころ。
全闘委は本館教務部長室を本部とし、山森茂夫学友会執行委員長、西多喜男五寮委員長を中心にスト体制を固めている。
「東大、日大紛争を第一次学園闘争とするなら、東工大を第二次学園紛争の拠点として長期的に闘争を続ける。原子炉などは院生らの判断にまかせられるのではないか」と山森委員長はいっている。』
東工大は全学部を中核派が握っていたようだ。集会でも東工大の白ヘルをよく見かけた。
「全闘委」がどんな組織だったのか、また、中核派との関係がよくわからない。
(つづく)