No140の続きです。
明大全共闘内でセクト間のヘゲモニー争いが続く中、大学当局は10月1日からの授業再開に向けて動き始め、次のような文書を全学生(父兄)あてに郵送した。
【後期開始にあたって 学生諸君に訴える】1969.9.26明治大学(引用)
『(前略)わが明治大学においても「明大を第二の広大に」(明治大学新聞9月18日付)のスローガンや、「徹底抗戦」(明治大学新聞同上)をめざした「永久闘争宣言」(明治大学新聞同上)を発する明大全共闘運動の動向は、ますます激烈の度を加え、大学闘争の段階から、いまや政治闘争にまでエスカレートしてきたことはあきらかであります。(中略)
今日の大学紛争は、すでに政治闘争化の様相を呈し、一個別大学が対処できる範囲を越えつつあります。(後略)』
ここで引用されている明大新聞に掲載された明大全共闘の記事はこれだろう。
この記事はⅠ部商学部闘争委員会(中核派)の主張なので、全共闘を代表しているものではないが、大学側の授業再開の宣伝にうまく使われてしまった。
【本学の砦死守戦に勝利 六項目要求=改良主義路線と対決】Ⅰ部商学部闘争委員会 1969.9.18明大新聞(引用)
『(前略)われわれは、今、明大のバリケードを強化拡大し、砦死守の闘いの態勢を確立することである。こうした時、ブント、ML派の党派利害のために9.3全明全共闘結成を流産させてしまった犯罪性を弾劾すると共に、われわれはブント・MLの諸君に結成のための共同の努力を訴える。
明大の砦死守戦に勝利し、11月決戦を断固として闘い抜くことこそがわれわれの任務である。
広島大学に続け! 我々の意識と決意は鮮明である。』
9月24日、授業再開を目指して、明大全教職員集会が八幡山グランドで開催されることとなったが中止される。
【10月新学期控え緊迫 スト100日】1969.9.25明治大学新聞(引用)
『(前略)24日、全教職員集会が当初予定されていた本学付属中野高校講堂から急拠本学八幡山グラウンドに移され、午後1時30分から開かれる予定であったが雨天のため中止された。
この全教職員集会は「最近の学内事情について」を議題に学長か所信の表明がなされ、10月1日から予定されている授業再開のための大学側の方針を全教職員に図ることになっていた。(中略)
一方、教職員集会に反対する全共闘各セクト、各闘争委約250人は、この日八幡山グランドに近い和泉校舎に集まり八幡山に向かおうとしたが、正午過ぎ教職員大会中止の報が入ったため各闘争委員会ごとに集会を開いた後解散した。
生田地区各闘争委、政経闘委などブント系約70人が前夜から和泉校舎に泊まり込み、この日に備えた他24日午前8時30分頃史地共闘を中心とする四連協仏文4闘委などノンセクト約50人が同校舎に到着、続いて法闘委など反帝学評・ノンセクト30人、ML・中核系50人と、正午までには各セクト・闘争委が集結し、冷たい雨が降る和泉校舎に、久しぶりにシュプレヒコールが響きわたった。
しかし、セクト間の折り合いがつかず、ブント系が1号館207番教室、ML・中核系が学生会館1階ホール、反帝学評系が図書館前でそれぞれ別の集会を持ち、またノンセクトも1本にまとまらず統一集会もないまま2時過ぎ解散した。(後略)』
「ノンセクトも、史地共闘・四連協など50人が学館会議室、和泉地区ノンセクト20人が学館と四分五裂の状態」(明大新聞)であり、全明全共闘結成を巡る対立は解消せず、全共闘はセクト間の対立により事実上の分裂状態にあった。
私もこの日、和泉の学館運営委員会室で待機していた。明大新聞で20人と書かれていたが、実際は414B統一戦線の10人程度。
9月30日、「日大法経奪還闘争」(詳しくはNo49参照)を前にして、駿河台の本校が捜索される。
各大学のバリケードが次々に崩されていく中で、駿河台の本校は都内に残された全共闘最大の闘争拠点であった。(写真は朝日新聞から転載)
【「日大奪還」に先制 明大を捜索“武器”ごっそり】1969.9.30朝日新聞(引用)
『警視庁公安部と神田警察署は30日午前6時すぎ神田・駿河台の明大記念館、学生会館、1.2.4.5.11号館など9ヶ所を凶器準備集合罪、建造物進入、暴力行為等処罰に関する法律違反の疑いで捜索、角材、鉄パイプ、ガソリンなど17件、およそ1200点を押収した。
調べによると、日大全共闘の学生たちが今月4日明大記念館などで集会を開き、同日夕方から明大通りを無届けデモ、機動隊に投石した疑い。
11日にも明大学生会館などに角材や石を大量に持込み、日大経済学部本部に押しかけバリケードで封鎖した。
さらに30日午後の「日大奪還闘争」のために29日、近くの明大記念館などに角材や鉄パイプ、火炎びん、石などを多量に持ち込んだことがはっきりしたので、警視庁では日大奪還闘争に“先制攻撃”を加えるために捜索したという。(後略)』
(つづく)