9月上旬、「図書新聞」から手紙が届いた。手紙は、ある本(写真)の出版記念会の案内状だった。
『「日本赤軍!世界を疾走した群像」の出版記念会へのご案内
暑さの火照りがなお残る日々です。
「シリーズ60年代・70年代を検証する」は、その(1)として「柄谷行人 政治を語る」を昨年出版しましたが、その(2)「日本赤軍!世界を疾走した群像」が、9月に出版されることになりました。
内容は、今年7月に懲役20年が確定、下獄し、日本人グループとして戦後初めて、最も矛盾が集まり厳しいアラブの地において連帯せんとした重信房子氏が軸となっています。
その母体であった共産主義者同盟赤軍派議長の塩見孝也氏は組織出生の格闘を、また日本赤軍兵士として戦火を交え無期懲役となって刑務所に送られている和光晴生氏、映画製作とパレスチナの人々との血と汗の熱い連帯を潜り弾圧を経た足立正生氏、日本と世界を広く実に深さのある視野で映画を撮り続けている若松孝二氏が問題のテーマを、核心ばかりか余裕ある周辺から浮き彫りにして、全体像を明らかにしています。
編者・聞き手は、作家・歌人の小嵐九八郎氏(「蜂起には至らずー新左翼死人列伝」講談社刊の著者)です。
つきましては、捕らわれてしまっている重信房子氏、和光晴生氏になんらかの思いを、そして、この本が魂をふくらませて人々へとながれるようにという願いをこめて、出版記念会を計画しました。
おいそがしいとは思いますが、どうぞ、是非、是非、お出かけを。』
本の出版記念会・・・。このような会合に出たこともないし、どんなものだか見当もつかない。
以前、図書新聞に連載されている「シリーズ60年代・70年代を検証する」の明大出身の二木啓孝氏の回で、資料として1969年の明大新聞を提供したことがあり、その関係で私のところに案内状が来たのだろう。
私のような者が出席していいものだろうかと、ちょっと躊躇したが、これも何かの縁と思い、出席することにした。
会場はJR「水道橋」駅近くの居酒屋。
店の前には「出版記念会」らしい案内も出ていない。
店に入ると、従業員の人が「奥へどうぞ」と案内してくれた。
雰囲気で分かるのかな?
奥の座敷には「図書新聞様」と小さな札が張ってあるだけ。「出版記念会」の文字もない。
定刻を過ぎて会は始まった。
出席者は約30名。明大関係では、米田隆介氏、二木氏、局瑤H氏、N氏、そして私。
まず、図書新聞のM氏が「著者の2名、重信、和光両氏が下獄している中での出版は格別の意義がある。」と本の出版の趣旨を含めたあいさつがあった。
続いて、著者1人である足立正生氏から「異論はあってもバランスのいい本だ」とのあいさつの後、乾杯。
この後、M氏の進行で参加者が次々と「あいさつ」を行なったが(私もあいさつさせられた)、その中からいくつか紹介する。
著者の1人である塩見孝也氏からは
「日本赤軍は果敢に闘ってがんばった。理論を現実化した。この本はコンパクトに日本赤軍のことがわかる本であり、重信、和光両氏の下獄への餞(はなむけ)の書である。
日本赤軍は良しにつけ悪しきにつけ、赤軍派を受け継いだ。
(本に)一つだけ注文があるとすれば、丸岡さんに言及して欲しかったこと。
丸岡さんについては、関西を中心に救援活動をしているが、心臓病でベットに横たわっている。救援の署名とカンパをお願いしたい。」
再び足立正生氏からは
「遍路がわりに刑務所めぐりをしている。重信さんに会いに行ったら、その日に上告棄却。
丸岡さんにも会いに行った。小嵐さんには丸岡さんに会ってもらいたい。
丸岡さんは酸素吸入器を付けて車椅子生活、2週間に1回病院に行っているが、ハイジャックによる超法規措置を取らされたことに対し、検察庁による「早く死んでしまえ」という措置である。
まじめに出している本で面白いものはめったにない。この本を読んで欲しい。
若松さんは残念ながらスケジュールが会わず今日は来られない。」
聞き手である小嵐九八郎氏からは
「丸岡さんについては、刑が確定するとコンタクトが取れない。確定する前に会えなくて残念である。今後、がんばっている生者のことについて、この検証シリーズで3.4巻を出していきたい。」
そして、重信房子さんを支える会、救援連絡センター事務局長、ブント・中核派・解放派・ML派のリーダー的立場にいた方々(神津陽氏など)、元赤軍派の方からのあいさつが続く。
出席者の1人が「新左翼諸党派の中で、歴史の検証に耐えられるのは日本赤軍だけだ。」と話していたのが印象的だった。
こんなメンバーの会合に、ノンセクトで一兵卒だった私のような者が居ていいのだろうかと思った夜でした。
「日本赤軍!世界を疾走した群像」(株)図書新聞発行 2,625円