(ブログの字数制限を越えるため、No250-1とNo250-2の2つに分けてあります。)
No237に引き続き、明大土曜会のメンバーであるH氏の福島県飯館村訪問記を紹介する。
放射能汚染で避難を余儀なくされた福島県飯舘村の住民を支援する手がかりを得ようと、避難している飯舘村関係者を訪問した時の報告である。
訪問記第4回目は飯舘村の「飯舘ふぁーむ」伊藤延由さん(2011.10.30)。
■放射能に負けない村の作法■
二本松から飯舘に向かう川俣町に入った。町内会自主ボランティアのたくさんの人が1チーム5名位で街角の側溝や落ち葉が散った街路樹で除染している。汚したのではなく汚されたのだから第一義的には国や東電がやらなければならない作業のはずだ。
飯舘村に入った。飯舘ふぁーむへは6月25日以来の再訪になる。その時は村の街道に沿った田んぼや畑はその見分けがつかないくらい草ぼうぼうだったが、今回はかなり除草されている。日曜なのか何軒かは車が止まり窓が開いている。それでも村道を歩く人の姿は見かけなかった。
街道から飯舘ふぁーむに向かうわき道から小太りの体が汚れた犬が顔を見せ、ずっと車を追いかける目つきでたたずむ。
この10月期に飯舘村の長谷川健一さん、佐藤健太さん、ふぁーむの伊藤延由さんにお会いしたが、「スローライフの美しい村」「までいの力」という言葉を聞くことはなかった。
原発事故からの避難について、これからの除染について、帰村について、村内では考え方が分かれている。家族の選択肢、村の選択肢という厳しい現実と向き合っているからだ。
ふあーむの伊藤さんにお聞きしたのだが、「飯舘は水争いのない村」だったそうだ。「川からの用水路ではなく、各農家が<ため池>を持っていたり、山の沢水引いてをいて農業用水にしていた」とのことだ。そして気候が厳しい村は、村落の共同体が強くなければ生活の難しい所だったのではと想像する。
対立し足の引っ張り会いばかりではなく、考えは違っても危機に際しては協力する。そして、ものごとを前に進める。そんな村の姿が改めて問われているのではないか、と思う。
村の対応に厳しい意見を持つ3人だが、どこかで共通する「いいたて村を愛する心」を感じた。
飯舘ふぁーむのある小宮地区は浪江町に近く、村でも放射線量の高い地区だ。
参考までにふぁーむ敷地の線量を示しておく。
11.09今朝7時半の線量(マイクロシーベルト/h)(前回値10.28)
室内 1.3 (1.3)
玄関先 3.5 (3.0)
上の田んぼ1m 5.4 (5.1)
地面 8.0 (7.1)
畑 1m 4.5 (5.2)
地面 6.0 (6.3)
下の田んぼ1m 6.8 (6.0)
地面 7.0 (7.5)
ハウス地面 1.5 (2.3)
天井 4.2 (4.3)
■伊藤さんとのQ&Aから■
飯舘ふぁーむは村の中心から車で約15分、途中の道からはほとんど人家を見ない山あいの美しい谷間にある。伊藤さんは村への残留宣言をしていたが、度々の村の説得、みんなへの協調もありここから1時間離れた松川町のアパートから通っている。
ふぁーむの玄関前のベランダには、はちみつを濾している桶やマイタケを乾燥するカゴ、近くの川で捕ったどじょうの水槽が並んでいる。
Q このどじょうがブログに出ていた野田さんですか?
伊藤 原発再開の首相にも困ったもんです、マイタケは乾燥させて東電に請求します。この分厚い書類が東電への8月31日までの補償請求のつづりです。
後は3ケ月毎に請求することになってますが、私でも頭が痛くなります、こんなものをお年寄りに書けというのも無理な話です。
弁護士とも相談したのですが、補償の振込先だけ東電の書類を使い、後は私のフォーマットで請求します。
農業への補償は農協がなってますが、受け入れるのは農業のみで林業や精神的被害は受け付けません。それに農協は補償額の2%を引きます。2%は上乗せして東電に請求すべきだと思います。
Q 3.11から半年以上が過ぎましたが、改めてどうですか?
伊藤 チェルノブイリを学んでいれば放射能は同心円に降らないということは判っていたはずです、悔やまれます。3月15日は浪江町方面から避難した人が、村の施設に1,200人はいました。線量が高かったその日は、午後から雨、夜から雪、夜中は吹雪になりましたが、ここのふぁーむには毛布がいっぱいあるので、何度も濡れながら村の施設に運びました。
今日あたりのここの線量は4~5マイクロシーベルト/hあります。3月15日は100マイクロシーベルト/hを超えていたと思います。
Q 世界7月号で伊藤さんのことを知りましたが、その後のマスコミの対応はどうですか?
伊藤 マスコミは飯舘村が問われている問題からの発信はしなくなった外から報道するだけになり、何らかの規制が働いていると思います。
(No250-2の2に続く)