(ブログの字数制限を越えるため、No255-1からNo255-3の3つに分けてあります。)
No250で、明大土曜会のメンバーであるH氏の福島県飯館村訪問記を紹介したが、今年の5月に「飯館ふぁーむ」を再訪したO氏のレポートがあるので、それを紹介する。
伊藤さんは3月10日、福島県の猫啼温泉で4大学共闘のメンバーと交流し、講演を行っている。
1.日時:5月19日~20日(土日)
2.訪問先:郡山→飯舘村(いいたてふぁーむ農業研修所管理人、伊藤延由さん)
■川俣町を越え、峠を登りきると飯舘村だ。だんだん線量が高くなってきた。線量計は、1.9、2.2、飯舘ふぁーむのある野手神地区にはいると、4.0マイクロシーベルト/hを越えた。
■観測点40ヶ所の総平均は(5月10日発表の村の資料から)
地上1 m 4.43マイクロシーベルト/h(前回4月26日 4.70)
地上1cm 6.04マイクロシーベルト/h(前回4月26日 6.35)
前回から5%程度下っているが、依然人が住める環境でない。
この環境で屋外10時間、屋内14時間(屋内の1/3とカウント)一年間過すと年間被曝量約24ミリシーベルト程度。
100ミリシーベルト以下は安全だとする御用学者氏にすれば問題ない線量と言うのでしょうが、震災前は年間1ミリシーベルトが基準だったはず。(いいたてふぁーむ伊藤さんの記録より)
■いいたてふぁーむは、IT企業(株)エム・ オー・シーの農業研修施設。伊藤さんは定年後、この施設の管理人として、農業研修の指導をしていた。3.11後は、飯舘村から松川町に避難したが、いまでは飯舘村に戻り、飯舘村から避難した人、避難を拒否して住まい続ける人たちと一緒に活動している。村の方針は、除染をしていつか帰村を薦めようというものだが、「山林が80%の飯舘村で除染を進めるには無理がある」「村が本当に村民を守る気があるのなら、全村避難で『新天地を求めるしかない』と主張する。(伊藤さんのお話)
■一方、飯舘村の田んぼは除染実験中です。
除染技術を模索しているのです。
飯舘村と村民をモルモットにして。
そして徐々に除染では震災前に戻せないと判ると、20ミリシーベルト/年間以下で帰村させると言っています。
20ミリシーベルトの影響はタバコの害よりも低いと言います。
待ってくださいタバコは嗜好品吸う人がリスクを承知で吸うのです。
放射能は人が好むと好まざるに関わらず24時間365日吸い続けるのです。
万一ガンが発症しても証明のしようが無いのです、日本人の二人に1人はガンになるから、そして三人に1人はガンで死ぬから。
■飯舘村の小宮地区(野手神も入る)では、住民の反対を押し切って、仮置き場を作り、除染のために削り取った雑草などを黒いビニール袋に詰め込んで、野積みにしている。
「あんなへっぴり腰の雑草刈りでお金が貰える、産廃業者は巨額の除染資金を使い放題」(地元民の感想)
(伊藤さんの話)
除染して農業の復興と言いますが、賞味期限が切れ掛かっている我々の代では無理です。
私は孫達に300年たたないと元に戻らないと言っています。
除染して帰村一辺倒の復興策のみで村は復興しない。
今村がやるべき事は災害復興住宅を建設し、一日も早く仮設や借り上げ住宅から村民を救い出すこと、その目処を示すこと。
建設場所も飯舘村に拘らず、子ども達と安心して暮らせる場所と言う条件を満たす場所に建設すること。
除染の効果が無いこと(人が安心して住める環境に戻せない)が徐々に明らかになっている中で、帰村の目処も示せない、ストレスはつのるばかり。
村民の命を守ることこそが村が行なうべき最優先課題のはず。
■除染や帰村に対する村民アンケートを実施しない菅野村長
飯舘村では、村長など行政側と村民の対立が続いている。村長側は、あくまで除染による帰村を求め、避難については消極的な対応。これは南相馬や川俣、川内村などでも行政の対応は同じ。住民の命よりも行政を維持することに目が向いている。これは国の政策がそうなのだから、いたしかたない面もあるが、実際に村の子どもたちの命を守る気概があるなら、もっと視野をひろげて、あらゆる策を講じるべきだというのが伊藤さんの意見だ。そのためには、きちんと村民の希望や考えを調査するのは当たり前のことだ。しかし、村長は村民アンケートの実施を拒否しているという。
そこで、伊藤さんら「新天地を求める会」では、地元の出版社と共同して、住民アンケートを実施した。アンケートを実施するには、避難した村民の住所を把握する必要がある。しかし、村は個人情報保護を理由に避難先の住民名簿の開示を拒否した。
(No255-2に続く)