野次馬雑記

1960年代後半から70年代前半の新聞や雑誌の記事などを基に、「あの時代」を振り返ります。また、「明大土曜会」の活動も紹介します。

2013年02月

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No274のブログで重信房子さんの近況を伝えたところであるが、今週は娘の重信メイさんが出演したラジオ番組を紹介する。テーマは「中東で激化するメディア戦争」
メイさんは昨年の11月末にレバノンに出国したが、その直前に収録されたものである。
TOKYO FMで2012年11月28日に放送された「TIMELINE」という番組について、関連する部分を引用して掲載する。
(文書が長くブログの字数制限を越えるため、No277-1からNo277-3に分けて掲載します。)

【TOKYO FM 2012.11.28 TIME LINE(要約引用)】
<中東で激化するメディア戦争>
アナウンサー
『パレスチナ自治区ガザを実効支配するイスラム原理主義組織ハマスとイスラエルの停戦が合意されて1週間、依然緊張が続く中、パレスチナは国連の参加資格としてのオブザーバー機構から国家へ格上げする決議案を国連総会に提出しました。
これが採択されれば、国連の場でパレスチナが国家と呼ばれることになります。この国家は象徴的な意味合いに留まるものの、これをイスラエルへの圧力として和平交渉を再開させたいという狙いがあるのです。
一方、ニュースでもお伝えしましたが、エジプトではモルシ大統領の権限強化に反発するデモが行われ、10万人が抗議の声を上げています。
中東で続く内戦や紛争やデモ、特にチュニジアやエジプトではアラブの春でSNSが民衆の大きな力となりました。
しかし、体制側、反体制側の両者がSNSを使うことによって、その存在意義が変化してきているといいます。』

上杉 隆(自由報道協会代表)
『SNSの使い方はアラブのみならず大統領選挙でも、2008年はオバマ陣営が優位だったんですが、今回はオバマ、ロムニーともにSNSを使いこなして、あまり差が出なかったということもあります。先に使った方が有利かということ、そうでもないというのが、このSNSの特徴とも言えるんですが、市民の声を伝えるという意味では未だに大きな役割を果たしている。とりわけツイッター、フェイスブックあるいは動画のユーチューブですね。
そのユーチューブでは、これは日本ではあまり見られないんですが、メディアを含めてユーチューブを多用しておりまして、そこでは遺体の写真が普通に動画で出るわけです。
日本人だったら目を覆いたくなるような写真なんですが、私自身はニューヨークタイムズにいた時から慣れているのであまり違和感はないんですが、むしろ日本が過度にそういう意味での現実を隠すという報道に違和感を持っていると思います。
その過激になっている映像、果たしてどうやってそれが出回っているのか、そして単にセンセーショナリズム、過激な映像だけに捉われるのではなくて、その背景、それがどうやって出回ったのか、あるいはその裏に何が隠されているのか、こういうものをきちんとリテラシーを働かせて受け止めるというのも非常に有意義な時代になったのではないかと思います。
そこで今夜、TIMELINEがフォローするのは、ツイッター、フェイスブック、ユーチューブ、中東で激化するメディア戦争。』

アナウンサー
『ガザ地区でイスラエル軍がハマス幹部を狙った攻撃、この空爆の様子を撮影した動画をアップするのに、イスラエル軍はユーチューブやツイッター、ブログ、画像投稿サイトフリッカーを使って広報にも力を入れています。
また、内線が続くシリアでもSNSを使った活動が広がっているというんですね。アラブの春以降、現在の中東でのSNSの使われ方を、ジャーナリストで中東問題専門家の重信メイさんに伺いました。』

重信メイ(写真)
『特にシリアに行ってたりするとそうなんですけども、武器になっているんですよね、戦争の。それは両側の武器になっていますので、私はこれをメディア戦争と名前を付けていますが、やっぱり今までは武器を使う必要があったというのが、いろいろな政治的な政策、例えばアメリカがイラクと戦争をした時もそうでしたし、アフガニスタンを攻撃した時も、武器や軍を使って抑えていこうということがあるんですけど、ソーシャルメディアを使うことによって、その分、ある程度武器を使わなくて済む、世論を勝ち取ることによって、自分たちがやることをもっと簡単に出来るようになった、ということがあるので、シリアもそうですし、反対勢力も親アサドも両方側がソーシャルメディア、情報を使って国内世論、国際世論を勝ち取ろうというような勢いで使っているんですね。
例えばシリアの例ですけど、反対勢力の側が家族が行方不明になった。その数日後に遺体になって、かなり体にいろんな傷が付いて出てきた。こんなこともアサド政権がするんだ、という感じでブログを書いたり、ユーチューブで流したり、反対勢力はメディア戦争の中に盛り込んで使っていったんですね。

(No277-2に続く)

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(No277-1の続きです)

ただ、それが1週間議に、反シリア側が出してきたプロパガンダに対抗するように、シリアのテレビにIDカードを持った彼女本人が出てきて「私は死んでいないんです。家族があまりにも暴力をふるうので、逃げたんです。」と言うんです。
その事件というのは、本当に両側が情報を使って戦争をしているというのが、明らかに分かりますね。
なので、そういう風に確認が出来ないけれど情報だけが独り歩きして、政治的に利用されたり、戦争にも利用されていくというのが、最近いい面もあったソーシャルメディアなんですけれども、残念ながらそういう風に使われるということもあるということですね。』

アナウンサー
『重信メイさんが挙げて下さったシリアの例なんですが、この他にもこんな例があるそうなんです。ユーチューブにアップされた血まみれの人たちを川に投げ落とす映像。これは親アサド政権側による暴力だとして、CNNなど各国メディアが報じたんですが、実は暴行を受けていたのは逆で、親アサド政権の人たちなんですね。重信さんはアラビア語が分かる人であればおかしいと分かる映像だと指摘しています。
しかし、映像を流した各メディアは訂正をしていないそうなんですが、上杉さん、重信さんが語っていたメディア戦争についてどうお考えですか。』

上杉 隆
『これはスピンコントロールと専門語で言うんですが、メディアコントロール。これはアメリカとか特にイギリスなどは90年代初頭には、この専門の担当官が登場して、これを意図的にチームでやるというのをやってきた。90年代の湾岸戦争の有名なスピンコントロールとしては泡だらけになった鳥という映像がありましたね。こんなひどい環境破壊をやっているイラクだ、フセインだと。実はあの後で完全に誤報だった、ということが90年代初頭に欧米では起こっている。
それがアラブの春、SNSによってもっと巧妙に、そして世界的になっていたのが現状で、メイさんが言うようにメディア戦争という状況になっているのは本当なんですが、驚くことに日本だけが極端に遅れている。
阿部総裁と野田総理が、インターネット番組に出るか出ないかということでもめているというのがありましたよね。それは出るか出ないかでもめているのではなくて、既にどの国でもそこに出て、どのような形でメディアをコントロールするか、つまりスピンをかけるかという時代に入っているのに、日本だけが前世紀のようなことをやっている。
そういう意味では、政治自身もメディア自身も遅れていると言うのが日本なので、おそらく遅れていることはいいことだなと思うのは、一つは分かっていない、と言うことなんです。ただ、これは分かっていないで、実際には誰かがやってしまえば気付かないで無意識の内にコントロールされるという恐怖がある訳です。
ですから、この辺の研究というのは、きちんとジャーナリズムがやらなくてはいけないのですが、日本のジャーナリズム自身が、記者クラブによって洗脳されいるので、スピンコントロールとか、メディア戦争も実は始まっていることに気付かないんですね。
そういう意味では、アラブの春で起こったメディア戦争より、より深刻なことが日本で起こっているのではないか。現状で起こっているアラブの春は重信さんの報告のとおり、アルジャジーラも含めて、このような形で戦争のスピンに使われているというところが深刻さを増しているということですね。』

アナウンサー
『重信さんはSNSは戦争の武器になっている、というような表現をされていましたけれど、SNSは内戦や紛争の抑止力となるのでしょうか。』

重信メイ(写真)
『ソーシャルメディアも、必死で自分たちの情報を広げたいとか、報道されないものをより多くの人に知らせたい、という気持ちで始まったはずのものなんですけれども、その力を体験した者からすると、情報をちょっと曲げたとしても広げたいという意味で、特にユーチューブでデマの情報がいろいろとあるので、いい方向にいっていたのが、逆に、最近、悪く使われているところもあると思う。
残念ながらエジプトとチュニジアのように、何百人と亡くなる方や怪我をする人が出てくる訳ですよね。それは政権を変えようとか、革命を起こそうとかした時は、絶対にあると思うんです。
そこで、シリア(内戦)を止めるにも、私たち世界の人たちも、武器をもったらどういうことになるかというのを、イラクでもアフガニスタンでもレバノンでも、例がいっぱいある訳ですから、そこから見習わないといけない。見習うことが知識の一つですよね。

(No277-3に続く)

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(No277-2の続きです)

もう一つは、中に居る人たちも、お互いが、いろいろな情報を、見た人が感情的になるように使われているんだ、プロパガンダに使われているんだということを、頭のどこかに入れておく、少し冷静に情報を見るようになれれば、たぶんあそこまで悪化した状況にはならないと思います。』

上杉隆
『アラブの春によって、多くの人々がSNS、特にインターネット、ツイッターやフェイスブックの力を使えるんだ、ということに気付いた。これはある意味いいことだと思いますね。人民に力を、という状況になった訳ですが、そこから使い方を若干最初は間違える。つまり無法地帯で自分の感情をコントロールできずにそれを使うということは、それが過度に行き過ぎるとコントロールができない。また、それが政府や権力側に利用されるということになってしまった。
そこを食い止めるのは、本来ならばジャーナリズムの役割なんですが、日本ではジャーナリズムがそういう役割を果たしていない。
実は、重信さんがこの前の日曜日に日本を離れて帰国したんですね。基本的にあちらに戻るということなんですが、ずっとギリギリまで話していたんです。これはSNSの使い方は日本はまずいなと、むしろリテラシーもなく、メディアにある程度慣れている中東やそちらの方がまだ、この部分はメディアという武器をうまく使っているけど、日本人の場合はそういうのを使うのがへたなので、取り扱いができないので、危険な方向に行ってしまうのではないか、ということを丁度重信さんと話したばかりだったので、この本に書かれることも含めて、アラブの春の正体、非常に印象的ですね。』

アナウンサー
『うまく使えないと危険な方向に行ってしまうのではないか、と危惧されているということなんですが、逆にSNSをうまく使うと紛争、内戦を止めることができるのでしょうか。』

上杉隆
『若干そういう傾向があるのは、中国でそう思いましたね。中国でのツイッターは、日本での報道は過度の反日を煽るとか、そんな風になっていますが、実はそれは多様性を踏まえているんですね。
今までの中国のメディア環境、言論空間と違って、多様性を踏まえたことによって反日を煽る層もあれば、いや違うだろう、お互いにもっと冷静になろうというような、むしろ日本の方が若干そういうところが少なく、反日を煽っている中国、つまり反中に行くべきだという。それに対して中国と仲良くしようという声を無理やり抑え込むような均一な言論空間が芽生えてきてしまっている、という意味では、むしろ多様性を認めるようなメディア空間にしていくというのがメディア戦争を止める唯一の道ではないかと思います。』

アナウンサー
『ジャーナリストで中東問題専門家の重信メイは著書「アラブの春の正体」で民主化革命とメディアの関係について解説されています。』

以上、番組の関連部分を掲載した。
ここで紹介されている重信メイさんの著書「アラブの春の正体」(写真)は、昨年10月に発売された本である。メイさんは「中学生でも読めるような本として書いた」と言っていたが、その意図どおり分かりやすい本になっている.。
本のあとがきで、メイさんはこう書いている。
『パレスチナ問題は宗教的でも民族的でもなく、「人間的な問題」です。人間として絶対に許してはいけないことがパレスチナで起こっていることをわかってほしいのです。
私がこのあとがきでパレスチナ問題を取り上げたのは、この問題と「アラブの春」は決して無関係ではないからです。
チュニジアやエジプトの人々が訴えたのは、まさに「人間的な問題」です。
だからこそ、「アラブの春」を利用して権力掌握のために住民をないがしろにして内戦を起こすような人々のことを許すことはできません。私が本書を書こうと思ったのは、まさにその「事実」を日本にいる人たちに知って欲しかったからです。』
この本は松岡正剛氏の書評サイト「千夜千冊」でも取り上げられた。(以下書評の一部引用)
<本書はチュニジアやエジプトに連続しておこった「アラブの春」を、欧米や日本のメディアが「民主化」への前進だと称えたことに大いなる疑問を呈した一冊である。わかりやすく書くことをこころがけているようだが、中東の空気を肺腑の奥まで吸ってきた者ならではの説得力だった。>

メイさんは現在レバノンにいるが、日本にも時々帰ってくるので、その時に、最新の中東情勢などについて話を聞いてみたいと思う。

※「アラブの春の正体」-欧米とメディアに踊らされた民主化革命ー
発行:角川書店  定価:781円+税

(終)

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(文書が長くブログの字数制限を越えるため、No276-1からNo276-3に分けて掲載します。)

先週に引き続き、昨年10月、1966年当時の学生会中執委員長であった故中澤満正氏(写真)が、明大土曜会の会合で明大学費闘争について語っていただいた内容の後編を掲載する。
なお、文章が長いので、筆者の独断でタイトルを付けさせていただいた。

<2・2協定前夜>
翌日、駿河台で大衆集会をやろうと思っていたですが、全然集まらないです。他所の党派はほとんど来ない。明治も社学同系の強烈なシンパの100人弱しか来ない。誰もアジテーションもしない。一人私がアジテーションするだけなんです。
私はここで、大衆のエネルギーからかけ離れた学費闘争の衰弱というのを初めて認識して、翌日の2月1日の全学闘会議で妥結案を呑んで、半年結論を伸ばし、その間に学生と協議するという案で手を打つしかない、敗北を宣言しようという方針を出して、その議論が進行中だったんです。
それが1回でまとまる会議だと思っておりませんから、全学闘では了解されましたけれど、各学部闘争員会、各地区闘での了解を得ておりませんので、その晩、ブントに呼び出されて明治のLCとブント学対、そして社学同の都委員会との合同会議が行われるんですね。
確か「2月7日にブント総力で明大支援の総決起大会を明治で開くから、それまでは妥協されては困る。妥協するならそのあとにしろ。そうでないとブントの面子が立たない。」ということで、私は「ブントの面子はそうかもしれないけど、我々は大衆運動として生きてきたんであって、大衆のエネルギーのないところで、党の面子だけで闘いを続けるなんてことはできない。」と言って、最後まで折り合わなかったんです。
そのやっている会議の中で、一人ずつLCが呼び出されて消えていくんですね。最後に残ったのは商学部の委員長で全学闘の書記長だったスガヤ君と私だけです。最後に「社学同やブントが面子で闘いを進めるというのなら、今日、私は全学闘で妥結すべきだという方針を出したんで、とても一緒にはできない。私はもうここで運動を降ろさせていただきます。やるなら社学同がやってください。明大独立社学同としてはできません。」と言って、そこで打ち切りになったんです。
最後に「斎藤克彦もいないし、コガもいないし、その他、明治のLCも見ての通り一人散り、二人散りしているのでどこかから呼び出しがかかっているようだから、斎藤の行方を確認して、押さえるなら押さえないとダメですよ」と忠告だけして、「私はこれでブントとは縁を切らせていただきます。」と言った。
中大学館の臨時亡命政府から離れるんですね。

<2・2協定調印>
朝、タクシーに乗ってスガヤと二人で「終わっちゃったな。明日からどう生きるか考えなくちゃいかんな」と言っていたら、タクシーのラジオの臨時ニュースで「未明にホテルで、懸案だった明治大学の学費値上げ反対闘争は妥結、調印した。」という話が出た、
「何だ、俺らが政治局とケンカしている間にあいつら勝手にやりやがった。」
しょうがない新宿に出て、深夜映画館に入って、飯食って、それで私の学生運度は終わったんですね。
のちに大内君の証言によると、かなり前から学校当局と会って妥結案の検討がなされ、当日までは約1週間近く篠田さんの自宅にずっと居てですね、そこから調印式場に行った。私は誰が仕組んだなんてことは言いませんけれども、そういう人たちは自分たちが正しいと思っているんでしょうから言いませんけれども、私はいつも交渉は大衆の前で、大衆の道義に基づく共感が得られない運動はやらないということで、一方的に我々は自治会を論破し、大衆的共感を得てやってきたポツダム自治会運動の最後の運動だった。
それだけ大衆基盤もあったんですね。(中略)

<明大社学同とは>
余談ですが、私は明治の社学同、あれだけ全学制覇したけれど何人いたかというと、30名です。30名いれば十分だと思った。30人が100人の人間を、あたかも社学同のように考える仲間を持つ。その100名が5人から10人の、ひと声かければ一緒に闘う仲間を持っていればいいと。
そうじゃなかったら、民青は当時明治に300人いたんですから、それでも全学部で共産党を追放して社学同が持っていたのは、やっぱり、そういう大衆基盤なんです。
その大衆基盤を大事にすることが一番重要だ。できれば学費闘争でそれを倍くらいにしたい、常時だいたい500名動かせる力を、主要な闘争だと社学同のLCが考えた時に、もちろんいろんな手続きを踏んでですが、共に参加してくれる500名の部隊を作りたいと思ってたんですね。

(No276-2に続く)

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(No276-1の続きです)

だから私は党を肥大化させることを自己目的にする人たちとは、基本的に相いれなかった。考えてみると、私は学生運動を4年くらい付き合いましたけれども、結局、一度も社会主義者になったこともないし、共産主義者になったこともない、ましてブントなんていう前衛政党に属したこともない、そういう人間でした。(中略)
明治の社学同は支部総会をやっても全員集まらないんですから。だけど、中央大学は社学同が一応取っていましたけれど、あそこの権力基盤は非常に弱くて、3分の1しかなかったんです。右翼が3分の1.民青が3分の1、社学同が3分の1。まず右翼と組んで民青を暴力でたたいて学外追放して、次に右翼をゲバルトで放逐して、その助っ人でいつも明治が行くんですが、その時は全員集まるんです。そういう社学同でしたから、真面目な社会主義者にとっては極めて不真面目な独立社学同でした。

<大衆運動の原則>
でも、忘れてはいけない原則というのは、とにかく大衆運動が死ぬ気でやると言った時に、本当に一緒に死ねるのかどうか。
僕は最後の30団交で手を洗いに行った時に、2人や3人死ぬことがあっても、今日は
戦い抜く、これが最後の勝利のチャンスだからと言ったんです。ある人に言わせると、たかが学費という学内問題じゃないか、適当なところで手打ちすればいいと言うけれど、それでは、学生大衆からすれば見え見えで、そんなものに踊る学生大衆はいない。そうじゃなくて、たとえ敗れようと勝利しようと、自分たちの成果は自分たちの結果だということが実感でき、共感でき、敗北した後でもちゃんとその後の陣形が構築できるようなものにしなくてはならない。これを階級形成論というんですが、革命というのは民衆のお祭りだと言った人がいます。私もそうだと思います。
大衆エネルギーの頂点まで行った時に、革命的な指導と結びついたその一瞬に革命というのは起きる。日常生活を送っている大衆が、毎日革命のことなんか考えっこないですよ。今日食う飯のことしか考えない。今迫られている仕事の事しか考えない。自分の子供が今悩んでいることしか考えないですよ。でも、そういう人たちでも、あまり非道なことをすると怒りを感じるんです。素直に怒りを感じたエネルギーが、ちゃんと表現できるような組織や運動が必要だと思います。

<大衆運動の組織論>
僕は今の運動で一番欠けているのは、いろんな意味があるんですけれど、党派の思惑に支されない良さというのはあるんですけれど、大衆組織、大衆運動の技術というものの軽視だと思います。例えば、我々がここに運動の頂点を持ってこようと思ったら3ケ月前からずーっとプログラムを作るんですね。
例えば3ケ月前にやる講演会の講師は、非常に理性的で知的で論理的で実証的な学者を呼びなさい。2ケ月前になったら、その政治的な意味合いがどういう意味合いなのかというのを呼びなさい。闘争の月に入ったら、アジテーションの上手い学者・文化人を呼びなさい、こういう風に組み立てるんです。
朝、正門で撒くビラは2ケ月前はこういうビラ、1ケ月前はこういうビラ、闘争の時になったらこういうビラ、とトーンがずーっと変わって来るんです。昼時に食堂前で撒くビラはこういうビラ、と同じビラは絶対撒かない。それからクラス討論に持っていくビラはこういうビラ、ちゃんと討議素材として扱えるビラ。それから看板の置く箇所も徐々に増やしていくんです。校庭に立てる旗の本数も、1ケ月前から徐々に増やしていくんです。
最後の10日くらいは大立看板で、全クラスのマス目取りをして、そこに例えば原子力潜水艦寄港反対決議をしたクラスはそこに貼り出す、ストライキ決議をしたところは赤でストライキ決議、とずーっと貼っていくんです。
そうすると、何も貼られていないところは非常に肩身の狭い思いをするんですね。そこへ行って、とにかく教授とケンカして、教授を教室からたたき出して、暴力じゃなくていたたまれなくして、そして決議を取ってくる。
大衆のエネルギーをその1日の1点の集中させていくという、これは明らかに大衆運動の組織論なんです。だからそういう技術というのは、昔の日本共産党が一番長けていたんですが、そういう伝統も共産党は無くなったからね、大衆迎合しか考えなくなったからダメなんですが。

<大衆に支えられて次の指導者をつくる>
日本の戦後の大衆運動史を見ると、全うな労働運動をやって、組合員が命までかけて戦ったのはどういう闘争だったかというとですね。労組の執行委員は、みんな現場で一番優秀でよく働く人間が執行委員になった時代だった。

(No276-3に続く)

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