野次馬雑記

1960年代後半から70年代前半の新聞や雑誌の記事などを基に、「あの時代」を振り返ります。また、「明大土曜会」の活動も紹介します。

2013年04月

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(No285-1の続きです)

「朝日ソノラマ」の選択は必然であったかもしれない。とくに大学闘争の提起した問題を、音と活字で掘り下げ、記録することは、新聞、雑誌、テレビ、ラジオといった、どんなジャンルのマスコミでもできないことである。あえて、それが可能なメディアを探せば映画でしかあり得ないといえよう。
こうしたタイプの雑誌は、現在、世界で同誌とソ連の「クルガゾール」誌の2誌しかないのが現実である。「クルガゾール」誌の場合、ラジオ・テレビ国家委員会の直営であり、民営では「朝日ソノラマ」だけといことは、非常に経営がむずかしいということにつながるかもしれない。
だが、その二元的機能の重要性は、いま立証されたのである。激動する現代の、音と活字による「歴史の証人」としての存在を期待したい。』

この「朝日ソノラマ」のソノシートで、東大安田講堂の最後の解放放送を聞いていた記憶がある。ソノシートはレコードの衰退と共に消えていき、「朝日ソノラマ」も出版事業で会社を続けていたが、2007年に廃業した。

次はレコード。日大闘争のレコードがあった!という話。
「今度はレコードで登場 実音!日大闘争の記録」【毎日新聞1969.7.12】(引用)
『記録集から写真集、ソノシートまで現れた“大学紛争もの”だが、とうとう今度はレコードが登場した。
ビクターが発売した「実音!日大闘争の記録」(30センチLP)(写真上段)。レコードは「反逆のバリケード」でもおなじみの一人のノンポリ学生のK・T君が、この闘争に参加するようになった動機や経過を語るナレーション(小山田宗徳の朗読)から始まり、秋田明大・全共闘議長の獄中インタビュー。
また、いまなお潜行している田村正敏・全共闘書記長の「地下からのメッセージ」など、どうして収録したか“秘中の秘”という録音もはいっているが、なんといっても圧巻は。レコードのほとんど、50分をしめる「9・30大衆団交」。
古田日大会頭ら理事者側と学生たちのやりとり、講堂もゆらぐばかりに埋めつくした学生たちの怒号やヤジ、シュプレヒコールが熱ぽく盤面にたたき込まれて、日大闘争の最大のヤマ場にふさわしい迫力を感じさせる。そして、あれから1年近く日大の体質がどれだけ変わっているだろうかと、聞く人を再び考えさせるのだ。
このほか4・28沖縄デーの実音も入っているが、ディレクターの市川氏は「日大を選んだのは、ほかの大学のようにイデオロギー重視の闘争ではなく、人権闘争といわれるように焦点がはっきりしているから。このレコードで音だけが持つ事実の重みを分かってもらいたい」という。
学生運動の実態が音になるのは初めてだが、活字から写真、そして音とエスカレートしてきた“大学紛争もの”の姿は情報化時代の現代の一つの側面を表しているようだ。』

当時、こんなレコードがあったことなど知らなかった。値段が1,750円。当時、ラーメン1杯が70円の時代だから、貧乏学生にはちょっと手が出ない。
「実録」ではなく「実音」というタイトルも面白い。このレコードには、たぶん日大全共闘関係者が関わっていたと思われるが、レコードの音を聴いてみたいと思う。

【付 録】
今回のテーマはソノシートということで、家の中を探したら数枚のソノシートが出てきた。
そのうちの何枚かの写真を掲載する。(写真2段目・3段目・4段目)
このソノシートは、1972年に漫画家の赤塚不二夫が発行した「まんがNo1」という雑誌の付録である。

写真2段目の2枚は1973年4月号の付録。
「ホイ!」という歌の表面(左)と裏面(右)。歌っているのは三上寛、作曲は山下洋輔。絵は長谷邦夫。
写真3段目は1973年2月号の付録。
「ペニスゴリラ アフリカに現る!」という曲。演奏は山下洋輔トリオ。絵は杉浦茂。
写真4段目の2枚は1972年11月発行の創刊号の付録。
「おまわりさん」という曲の表(左)と裏(右)。歌手は少年Aとなっているが、三上寛。絵は佐伯俊男。

このメンバーといい、ソノシートの絵といい、時代を感じさせる。当然、曲はレコードなどで発売されていないので、このソノシートを聞く人だけが聞ける曲である。
この「まんがNo1」の付録のソノシートには、井上陽水が歌っている曲もある。
1973年3月号の付録。アルバム「氷の世界」に入っている「桜三月散歩道」の「まんがNo1」ヴァージョン。歌詞とせりふが少し違う。
持っていた「まんがNo1」は、引っ越しの時に古本屋に売ってしまったので、今は手元にはない。レコードプレーヤーが無いので聴くことはできないが、ソノシートだけが手元に残っている。
この「まんがNo1」をCDに収録した『赤塚不二夫のまんがNo.1 シングルズ・スペシャル・エディション』というものが数年前に発売されているので、曲を聴きたい方は、このCDを買えば聴くことが出来る。

(終)

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(文書が長くブログの字数制限を越えるため、No284-1からNo284-3に分けて掲載します。)

3月3日(日)、明治大学リバティーホールで、経産省前テント広場やたんぽぽ舎などの主催で「福島原発災害に学ぶ 福島・首都圏の集い」が開催された
福島の現状については、マスコミでも伝えられることがほとんどなく、福島原発災害が引き起こした問題が忘れられ、風化させられようとしている。このような状況に立ち向かっていくためには、福島の方々の声を広く伝えることが重要だと考える。
集会では11名のゲストスピーカーの方が発言したが、今回はNo282に続き、2名の方の発言を掲載する。
(録音が聞きとれない部分など、発言の一部を省略しています。)

郡司『続きましては、この間、国家権力とか既得権益の人たちと闘ってまいりました井戸川克隆さんです。よろしくお願いいたします。』

井戸川克隆(いどがわかつたか)さん
【1946年生まれ。前双葉町町長】
『みなさん今日は。今、4人の方から政治家は嘘つきということで、大変厳しいことを言われておりました。つい最近、その政治家を辞めることになりました。私は就任以来、嘘を付いたことはありません。財政再建のためにひらすら頑張ってきた途端に、このような状況になってしまいました。
まず情報は隠ぺいされる、後出しされる、そして後で「ごめんなさい」と頭を下げられて終わってしまう。これはあの地震の最中に感じて、これは容易ならぬ、まず外部の情報はあまり信用してはダメだ、自分が判断して町民を引っ張っていかなければダメだ、ということで引っ張ってまいりましたが、3度も不信任をかけられ、3度目には可決されました。
辞職要求書の文面も、皆さんにお見せしたいくらいの内容です。私は三行半ということでいろいろ決められたそうですが、私に町会議員8人が要求した文言は2行半です。従って私は「証拠を出してくれ」と言いました。文書で8人に対して出しました。「証拠は出せません」と言われました。それが実態です。
しかし、何と言っても福島県内の町民と、県外の町民の温度差がしっかり出来てしまいました。福島県内にいる町民は「福島県を私たちは愛しています」と、「もう覚悟を決めたんだから」という言葉を聞いて愕然といたしました。これほどまでに我が町民を洗脳してしまったのはいったい誰なんだという思いで、私は非常に強い憤りを今、持ち続けております。以前からそれはありました。
皆さんは放射能は目に見えないということで片づけておりますけれども、これは間違いです。見えるんです、放射能というものは。我々人間の知恵というものは限りがありません。諦めがそこで知恵を止めてしまうんです。ただ、私は放射能を見える形にしました。
お見せしましょう。これです。(地図を見せる)これはジュネーブにも持っていきましたけれども、福島県のマップに管理区域のマークを張りました。この線量は文科省から発表されている線量ですが、それを張っただけなんです。そうすると、自分の地域がどういう状況になっているか一目瞭然です。見えるんです。みなさん考え方を変えていただきたい。放射線、放射能は見えるんです。ただ、モニタリングポストのデータはいろいろありますから、それは後で整合性を保つ必要がありますが、いずれこれは公的機関から発表されたものであります。これも同じく見えるんです。これも放射能です。これは福島県が発表している、採ってはいけません、食べてはいけません、という自然からの贈り物の、いけないものをマップに落としました。魚は食べれませんから、川を色を塗りました。猪苗代湖は色を塗られております。この水を会津若松と郡山市が飲んでいるんですね。いわきも当然食べれません。県内一円どこも食べれません。こういう状況になって、自然界がだめだと言っているのに、人間だけがいいそうです。これは世界的に悲劇なんです。
(地図を指して)この黄色いマークを付けたところは放射線管理区域ですから、10時間以上居いたらダメなんです。子どもが居ちゃダメなんです。飲み食いしちゃいけないんです。これは福島県内ほとんど付いていますから、中通り、浜通り、会津若松市内にこのマークがいっぱい付いています。浜通りは北の方まで付いているんですよ。したがって、宮城県とか茨城県のデータは分かりませんが、境界はここだけで終わっていることはないでしょう。そういうことの中で暮らさせている、今の最高責任者は福島県知事。我々が訴えなけれがいけないのは、政治に対して補償を求めることです。これをやらないでは、この次に進む訳にはいきません。彼は県内から県外に出た人を呼び戻そうとしています。

(No284-2に続く)

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(No284-1の続きです)

私は24年の秋ごろ質問書を出していますが、明快な回答は来ていません。また、退任する間際に、県の方に「一体戻したら補償はどうするんだ。安全の基準を示せ。安心なのかしっかり数字を言え。」ということで回答を求めましたが、これは皆さんにお見せできるくらいの、数字が入っていない誠に曖昧な意味不明瞭な回答でありました。こういうことをしながら、県外に出た県民を戻そうとしているんですね。借り上げ住宅の家賃の補助の期限を設けているようであります。
こういうことがあったために、私は非常にいけないということで、昨年、ジュネーブに行って訴えてきました。非常に非人道的な扱いを、何故、主権者である国民に、国及び県がしなければならないのか。権限は彼らにはありません。主権は我々にあるんです。どうぞ会場の皆さんも我々も気が付かなければならないのは、他力本願では何も解決しないんですね。我々が起ち上がって自分の主権を主張する。県内で「福島県内は住むところではありません」という首長は私一人でした。従って排除されるのは当たり前ですね。排除されてもいい、しかし事実は言い続けようということで、私は町長職にこだわることはしませんでした。
これも皮肉なパンフレットなんですが、ベラルーシの旅の案内、25年先の日本を見にいく旅だそうです。25年後の日本というのは、ウクライナ政府の緊急事態省からの報告書、これはみなさんもご覧なっていると思いますけれども、未だに発症者が増えている。そして、若者は20%、あるいは20%を切るくらいしか健常者がいない。後は何らかの異常を抱えている。ウクライナを支える青年が、今はいなくなっているということは、裏を返せば、25年先の日本を見る旅に行かなくても、もうこういう実際のデータが届いている訳です。これを見るだけで、福島県内が今どういう状況に置かれているかというのは、非常に背筋が凍るような思いで、私はずっと言いました。たえずいろんな角度で、私はこういうことを喋り続けてきました。これからもやはり喋っていきたいと思います。
ジュネーブの市長さんからもお手紙をいただきました。昨年お尋ねした時に快くお会いしていただいて、その後、今年になって大変私の身辺を心配されて手紙をいただきました。
何のことないです。本当のことを語っているだけです。皆さん、20ミリシーベルトということで福島県民は回されようとしていますが、ドイツでは0.3ミリシーベルトが一般公衆の被ばく限度だそうです。そして、食物の限度は大人で8ベクレル、子どもで4ベクレルです。福島県は100ベクレルです。事故前は0.0いくらのベクレルでありました。したがって、従来の数値と今の数値を比較することによって、事の重大さがもっともっと分かりやすくなると思いますので、是非みなさんも数字で共有をしていただいて、日本がこういう国家であることを共有していただいて、そしてこの国の行政、政治の在り方、代理人としての議会議員の人たちは、みなさんの代表であって、代弁するべき方です。もちろん首長もみなさんから直接選ばれて、みなさんのために働くべき者が、帰って来いとか、何年先に何か月先に帰すとか、これは専門家の判断を待って、政治とか行政が判断しちゃいけないことなんです。それは間違っています。これも今後、機会をとらえて訴えて参りたいと思います、是非みなさんは、こういうとんでもないことに対して声を上げていただきたいと思います。
我々は今、お金が欲しい訳ではありません。皆さんの声を欲しがっています。よろしくお願いします。』(拍手)

郡司『ありがとうございました。私も昨年の9月にチェルノブイリに行ってきました。そこでびっくりしたのは、先ほど井戸川さんの話にもありましたように、緊急事態省という、復興庁ではないんですよ。26年、27年経ってもウクライナは今でも緊急事態なんですよ。いかに日本は復興という形で私たちが刷り込まれているな、ということを感じてまいりました。それでは前半の最後の方です。渡辺ミヨ子さん、お願いします。借り上げ住宅で、今お住まいになっているというお話もよろしくお願いいたします。』

渡辺ミヨ子(わたなべみよこ)さん
【1942年、福島県田村郡船曳町に生まれる。中学校卒業後、実家の農業を手伝い、後隣町の農家に嫁ぐ。2人の子の母親。有機農業にも携わる。3・11には田村市都路に居住していたが、放射能で宮城県に避難。4月田村市に戻るが、避難所生活、その後家夫の病気等で、現在は田村市の「借り上げ住宅」に避難。】

(No284-3に続く)

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(No284-2の続きです)

渡辺『皆さんこんにちは。私は田村市都路村というところに住んでいましたが、30km圏内だったものですから、避難指示は20km圏内と都路で一緒に出て、避難したんですけれども、去年の春先で賠償打ち切りで帰っていいことになっています。それで除染が進められていますが、私は除染という言葉を最初に聞いた時に、放射能がどこまで散らばったか分からないような状態の時に、除染という言葉を使って、何かまやかしの言葉じゃないかという気がしてならなかったんですけれども、実際にやっていることを見て、本当にまやかしなんだということが良く分かります。
地域の人たちを帰す口実に使っている、そして大手ゼネコンのために復興予算というものを使って、そういう人たちの金儲けに使っている。こんな状態の時にも、日本という国は、そいう人たちの金儲けのために奔走するんだな、ということが良く分かりました。
私は、小さい時から嘘はついてはいけない、と母親に言われて育ちましたので、この嘘を付く日本の国の政治というのは、原発事故にしても何にしてもそうですけれども、全ての人たちが嘘で固められているということに、原発の放射能以上の不安を感じます。
第二次世界大戦は私が生まれてまもなく終わったんですけれども、その頃の大人の人たちの話を聞いていてもそうでしたんですけれども、やっぱり同じような国家の嘘に国民は翻弄されて、あんな戦争になって、それも世界で誰も経験したことのない原子爆弾を2つも落とされて終わったというようなことだったんですね。
だから、私はこのままの状態で国が嘘をついて国民をだまそう、福島県民をだまそうとすることが続いていくならば、この国はもうお終いだなという気がします。
原子力発電所がスイスにもあるんですね。でもスイスは国民に嘘はつかないで、真実を全て打ち明けて、処理する方法を皆で考えるようにして、処理しているっていうことが、NHNの番組で報道されましたが、スイスという国は私は大好きです。第二次世界大戦の頃も平和だったし、あそこの国に行ったら戦争はないんだなと私は思って、とうとう50歳になる頃にスイスに旅行に行ってきましたが、日本の国は第二次世界大戦の時に嘘をついてあんな目に遭ったにもかかわらず、また戦後は国が国民をだますための嘘で固められた原発、国策で進められてきたこの政策で国民を苦しめている。こういう日本の政治は会津の白虎隊の時代から一つも変わっていない。ただ、科学技術は日本は世界一なんだ、とよく自慢しますけれども、「それが何よ」と私は思います。(拍手)
人命を大事にしないで、戦争ばかりやって、国民が苦しむ政治をやって、嘘で固められた偽りの社会の中で、人間が幸せに暮らせるはずがありません。(拍手)
私は大河ドラマで徳川家康などを見て参りましたけれども、おんなじことの繰り返しをやってますね。ただ、武器が科学兵器に変わっただけです。そういう国を動かす人たちが住んでいるこの日本に、このまま住んでいていいのかなと、とても今考えています。本当に国民を守るのであれば、全てを明らかにして悪いことは悪い、良いことは良い、国民が心底信頼できる政治家が立たない限り、私はこの国の未来はないと思います。(拍手)
宇宙飛行士が宇宙に飛んで行った時に見た地球、本当に素晴らしい母なる地球の中に私たちは住んでいるんです。宇宙飛行士が言った言葉が、「一番大切なことは知性と愛情と調和である」と言っています。その調和が日本という国では成り立っていなんです。私が考えますと、世界中で日本が一番嘘が多いんじゃないか、だから「おれおれ詐欺」もあんなに流行るんじゃないか。(笑)
原発政策を始め、全ての国の組織の成り立ちを、最初から嘘偽りなく国民に明らかにして、そして私たち国民を守っていただく以外にないと思います。皆さんでそういうことを訴えていけたらよいのではないかと思います。
よろしくお願いします。拍手)』 

郡司『ありがとうございました。2年目になります3・11以降、福島の人たちは地震、津波に加えて、先の見通せない原発事故に本当に苦しんでいます。前半6人の方々のお話しから、それが感じ取れたかと思っております。』
(前半終了)

※ 録音の書き起こしが終わったところから順次掲載して行きます。

(つづく)

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