野次馬雑記

1960年代後半から70年代前半の新聞や雑誌の記事などを基に、「あの時代」を振り返ります。また、「明大土曜会」の活動も紹介します。

2013年05月24日

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(文書が長くブログの字数制限を越えるため、No291-1からNo291-3に分けて掲載します。)

1968年から1972年頃までの全国学園闘争の新聞記事や資料を紹介するシリーズの第10回目である。2010年 12月の No166以来、2年半ぶりの登場となるが、今回は国士舘大学。
ネットによると、『国士舘大学は1917年、青年有志が私塾「國士館」を創立。創立者の柴田徳次郎氏が、1958年に国士舘大学を創設している。創設以来、「国士」養成を教育理念に掲げている。』とのことである。
先日、明大関係者のA氏から資料の提供を受けた際、資料の中に「国士舘民主化闘争」という冊子があった。当時、国士舘と言えば、高校・大学とも「最右翼」の学校として知られていたが、そんな大学にも学園民主化闘争があったのだ。
以下、その資料の中から抜粋して紹介する。

【国士舘民主化闘争(1971年10月):国士舘民主化闘争共闘会議】(抜粋)
最初に、国士舘大学民主化闘争の経緯を見てみよう。
『<第二次学内民主化闘争のあゆみ>
○待望の共闘会議結成
現在の国士舘大学民主化闘争は、1969年(昭和44年)の夏から秋にかけて組織化された自治会結成準備委員会に始まり、以後、今日までに下記の経過をたどり、現段階では自治会設立連絡会議によって、学内における全ての闘争が指導されている。
○勝利を目指して組織化された民主化集団
昭和44年10月
自治会結成準備委員会結成
昭和44年12月
文学部民主化闘争委員会結成
昭和45年1月
全学民主化協議会結成(自治会結成準備委員会と文学部民主化闘争委員会の合体)
昭和45年8月
民主化闘争評議会結成
昭和46年2月
自治会設立連絡会議結成(全学民主化協議会と民主化闘争評議会の共闘。現在、合体)
昭和46年4月
国士舘民主化闘争共闘会議成立

<民主化闘争は如何に問われているか 要塞化する学園の中で>
昭和44年から46年に及ぶ私たちの活動は、かって何回となく叫ばれた、民主化や自治権獲得のための運動が挫折し、壊滅させられていった事実を認識し、その原因は何であったのかを究明した。現在も国士舘大学という先例をみない特殊な民主化闘争の戦術が練られ、その一部は既に実践され闘われている。
学内で民主化を要求する発言や印刷物の配布等の基本的権利を否定された異常環境は、学内の人間でなくては理解できないと思われる。ここに国士舘民主化闘争の困難性がある。
(中略)全体主義態勢の体質は横の関係を持つ一切の機会を封じ、柴田ファシズム体制は完璧に近い状態であった。このような学内において、民主化結集を呼びかけることは至難のわざであり、くわえて民主化放棄の隷属的雰囲気とチンピラ右翼集団の温床であること、あるいは傀儡学生の横行は私たちを一層消耗させた。したがって、私たちは、オルグ活動もその範囲をせばめると共に闘争の長期化を受容し、あわせて表面化することを極力さけることにした。(中略)
現時点においては、完全なる地下集団の定着こそ、現状認識と大学当局の強力で卑劣な体質を踏まえた最良の闘争形態であると確信している。(中略)
更に今後の課題としては、学内に散在する新左翼各派の諸君、民青の諸君との協議を重ねる方針である。全ての先進的、民主的学友諸君との連帯を深め、柴田体制粉砕、民主化勝利の旗の下に結集し、闘争の進展を規すことが急務とされている。
また、国士舘大学の実態は教育的見地のみではなく、政治問題、社会問題として世論に訴える必要があり、広く市民運動を形成することによって、民主化運動を勝ち得るべきであると考えている。』

当時、国士舘民主化闘争については、マスコミ等でも取り上げられることは殆どなかったと思う。大学当局の弾圧を避けるために、密かに活動が続けられていたことが分かる。
次に、国士舘大学の特異な学校行事について見てみよう。

『<私学として許されるのか>
○強制される驚異の行事
国士舘大学年間行事
1月1日 新年祭 校庭において都内近郊居住の者は登校し、舘長とともに新年が祝われる。地方帰郷の者は祝意を舘長への年賀状によって示すことが望ましいとされる。(中略)
2月11日 紀元節(建国記念の日) 神武天皇御即位記念日として、全教職員、全学生が出席する。当日は、閲兵分列行進、観閲と言われる軍隊色の濃い式典プログラムも組まれる。
3月10日 陸軍記念日 日露戦争で、日本陸軍が満州でロシア陸軍に大勝利をおさめた記念として祝われる。当日は、帝国陸軍の強さと、国家間では戦争は当然とし、戦争を賛美するかのごとき訓辞、祝辞がある。
4月21日 靖国神社祭 この日、以前は靖国通りをブラスバンドを先頭にデモ行進が行われた。現在、「靖国神社法案」を成立させようとすることもあり、学生を強制的に「靖国神社国家護持貫徹国民協議会」主催の集会に参加させている。

(No291-2に続く)

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(No291-1の続きです)

5月3日 憲法記念日 昭和44年より開かれた「自主憲法制定国民会議」の主催、集会に学生を強制参加させる。現憲法はマッカーサー憲法として、国士舘ではこの日、否定する訓話がある。毎年、国民会議に参加した学生には、交通費と称されるものが、学生監から渡されたり、公欠と呼ばれる出席あつかいの休日が後日与えられる。又、一部学生には前述の靖国法案集会に参加した者同様、交通費以上の金額が手渡される。(中略)
5月27日 海軍記念日(開学記念日) 日露戦争で、日本海軍がロシア、バルチック艦隊を撃滅した記念日として式典が挙行される。(自民党代議士、財界人の講演があることもある。)
11月3日 明治節(明治天皇祭) 天長節と同様の式典が行われる。
11月4日 創立記念日 全学をあげて式典が挙行される。

国士舘大学では、このように他大学や、一般人の感覚では理解しがたい奇異な学校行事が公然と実施されている。学生は理由の如何を問わず行事参加を強要され、欠席者に対しては、反省文、始末書の提出が義務付けられている。(以前は停学、退学処分を原則としていた。)(中略)

<柴田舘長とはこんな教育者>
柴田舘長は学内における一切の政治活動を禁止するなどと公言し、クラブ、研究会等にも様々な制約、条件を加えながら、一方においては、柴田舘長自ら故日本大学会頭古田や佐藤栄作等を中心とした「日本会」なる右翼団体に所属している。個人的には全国勤労者同盟という狂信的な反共主義の立場をとる政治結社を結成し、会長として君臨しているのである。(中略』

この柴田学長は有名人だった。当時、白馬に跨って分列行進を閲兵したという話を聞いたことがある。
続けて国士舘大学の実情を見てみよう。

『<国士舘大学の実情リポート>
○大日本帝国はやはり国士舘に残存した
どれほど多くの人が国士舘の実情を知っているだろうか?少なくとも国士舘学生の圧倒的多数は実情を知らず、ただ一心に首都大学に、総合大学にひかれて入学してきたと思われる。在学生の95%が地方出身者であることがその証しとなるであろうが、東京都内の人ですら「恐い」「暴力右翼集団」などとはいうが詳しくは知らないという。これは国士舘大学が治外法権化したタコ部屋であり、舘長のカイライ分子(学生監、暴力右翼)の暴力により学生が固く口を閉じてしまったからに他ならない。国士舘学生はこの状態を「酷死棺」と名付けて自嘲するのである。(中略)

○国士舘の実践倫理全公開
必修科目「実践倫理」とは、他大学では見られぬ特異な内容の科目である。
国士舘大学が如何に一握りの経営者に牛耳られ私物化されているか、謂わば国士舘教育を凝縮したものが「実践倫理」なのである。舘長訓話、団体訓練、所感文、警備、式典、掃除、後輩善導、野球応援などを全部含めたものが「実践倫理」の構成要素となっている。
「訓話」 週1回、舘長、福舘長、田村幸策、高谷覚蔵のレギュラーと、招待講師、松川第五郎、石原慎太郎、山村政務次官(ハイジャック当時)等によって実施される。
「団訓」 週1回、学生監、舘長からの伝達事項と事務的連絡、式典の前には分列行進等の教練が行われる。
「警備」 年間を通じて1回から2回義務付けられ、5時間にわたる勤務時間中は交代で学内巡察、通用門歩哨、立哨を行うのである。国士舘では一人として守衛を雇用していない。
「式典」 前述の教練の式典において、全学生が杖(1.5メートルの棒で小銃の代わりとされる。)を持ち、舘長の前を分列行進をする。この杖の上部には全て日章旗がつけられている。その状態は太平洋戦争時の学徒出陣を想起させる。
「掃除」 学内の全ての掃除は学生が行い、争友組なる班制度がこのために作られている。
「感想文(所感文)」 所感文は学校行事、柴田氏の著書などに対して提出を要請される。大学の諸行事、柴田舘長の著書「革命は如何にして起こるか」「日本はこうすれば立直る」に対して、多少なりとも批判めいたことを書くと、担当学生監に呼ばれ説教(洗脳)がなされ、何回でも書き直すことを求められる。そして舘長の思想、教育方針に合致したものが、舘長柴田氏に届けられる仕組みになっている。(優秀?な所感文は、国士舘大学新聞に全文発表される。)(中略)

≪参考≫入学、終始業式等の式次第でみていただこう。
(例 入学式)
1 開会の辞
1 舘長入場(軍艦マーチが奏でられる)
1 国歌斉唱
1 教育勅語の奉読
1 舘長の祝辞
1 父兄の舘長祝辞に対する感謝の辞
1 聖寿万歳
1 国士舘大学園万歳
1 新入生万歳
1 在校生万歳
1 舘歌斉唱
1 閉会の辞
1 舘長降壇(軍艦マーチが演奏される。)終了

これは決して戦前の学校行事風景ではないのである。1970年代の日本の、それも東京のどまん中で平然と行われているのだから驚嘆するではないか。

(No291-3に続く)

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(No291-2の続きです)

○暴力右翼が支配する異常なる学内!
国士舘大学の暴力右翼の実態をご存知だろうか?組織右翼とチンピラ右翼が横行する学園として著名なはずである。どこの大学でも体育会系学生、右翼学生は礼儀としてオッスのアイサツはするが、私服でのオッスはサマにならない。国士舘大学の如く軍服に模した、しかも洋ランと称する制服を着た場合のみ、オッスは生きてくる。(中略)この暴力右翼集団は先輩に会えば、所、時かまわずオッス、オッスとかん高い声をはりあげる。(中略)それも1回の挨拶ですむことなく、4・5回オッスを繰り返すのだから威圧感は甚だしいものがある。(中略)
又彼等は心理的に恐怖心を与え、人権意識を抑圧するのみならず、ある使命をもって、深夜学校周辺をシナイ、木刀等の凶器を持って巡視するのである。私たちの民主化闘争が公然化してからは、警備室には武器(日本刀、木銃、こん棒等)を隠し、学生監(警備専門)と一緒に学内に入る学生に学生証の提示など検問を行い、一般学生の反発を買っている。具体的には、民主化闘争の学友が民主化を呼びかけるビラを領布すると、彼等右翼傀儡学生は、いち早くかけつけてビラの回収を行い「赤のビラを読むな!」「日本人ならそのビラをよこせ!」と叫び、ひったくるのである。(中略)』

うーむ、入学式の軍艦マーチはすごい!まさに大日本帝国が国士舘の中に残存していたのだ。
この資料の中には、国士舘の教育に対する学生の声、そして、街頭での声を掲載した部分がある。日大全共闘の方も登場する。

『<国士舘教育に対する声を聞いてください>
私たちは学園の生の声を聞くため、密かに世田谷本校、鶴川分校において約50名の学友たちに会い調査をした。
○入学時のある1年生は
入学式の時は驚きました。突然、軍艦マーチがなりだすんですもの。考えたら本当に恐ろしいことです。入学式と軍艦マーチは何ら関係ないのに、あれが公然と認められてるなんて・・余りにも非常識を感じます。あれは自治会で承認されたことなんですか、(という問いに私たちが自治会は現在ないと言うと彼女は)高校でも生徒会があるというのに、それに大学で自治会がない学校なんて・・・大学じゃないと思います。
(中略)

<国士舘とはこんな大学>
この街の声は、私たちの情宣班が去る昭和46年5月20日新宿駅付近にて120分間にわたって収録したテープからの抜粋である。
○日大全共闘の諸君(この日彼らは日大闘争のビラ配布カンパ活動をしていた。)
―国士舘の学生をどのように思うかー
私は小田急線を利用しているので、よく彼らを車中でみかけるが、好感は一度もだいたことがない。それは私が現在、このような運動をしていることもあるが、単に思想的対立だけがそうさせるのではない。
―国士舘民主化運動を知っているか、また国士舘の右翼学生について何か意見はー
今、初めて知った。しかし良心的学生が多数いて当然だろう。一万人以上の学生が全部右翼だったら昭和維新てやつをやってのけるかもしれない。(笑)日大闘争と比較することはどうかと思うが、67年、68年の日大闘争に見られた状況が国士舘においても十分考えられる。要は右翼の制圧にあると思う。
日大、拓大、国士舘の暴力右翼は総合度において全く一本化し、特に国士舘の右翼は量と質と訓練において目立つものがある。また、国士舘の右翼は計画的に私たちの闘争に介入し妨害している。われわれも、いずれ共闘し、彼等と闘う用意が必要だ。(中略)』

学生の声、街の声はまだあるが、省略する。
この資料の最後、あとがきには、以下のような文章がある。

『<あとがき>
(中略)これを読んだ人は、あるいは笑い、あるいはあきれるかもしれない。だが、一見、隔離された別世界のような国士舘の実態が、戦後民主主義というものの中で、確実に温存され、育てられてきたものであることを思うと、ただあきれはてたり、笑って片づけたりはできない。また、国士舘の学生は可哀そうだで済ますこともできない。朝鮮高校生に対する暴行の先兵となっている国士舘という存在というものが、日本の教育の、日本の政治の、そして日本人の“実態”なのである。国士舘の果たす“役割”は自明であり、年々、その“価値”は増大しているのだ。国士舘闘争は、その“役割”を、その“価値”を粉砕する闘いである。(後略)』

この資料「国士舘民主化闘争」は、42年前の資料である。
しかし、この「あとがき」を読んでいて、42年前のことではなく、現在のことのように思われた。この資料に書かれているような国士舘的なものが、日本の政治の“実態”として温存され、それは今、急速に力を増そうとしているのである。

※ 「国士舘民主化闘争」及び関連資料は、ホームページの「全国学園闘争図書館」コーナーで公開しています。

(終)

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