
(文書が長くブログの字数制限を越えるため、No288-1からNo288-3に分けて掲載します。)
3月3日(日)、明治大学リバティーホールで、経産省前テント広場やたんぽぽ舎などの主催で「福島原発災害に学ぶ 福島・首都圏の集い」が開催された
集会では11名のゲストスピーカーの方が発言したが、今回はNo286に続き、2名の方の発言を掲載する。
(録音が聞きとれない部分など、発言の一部を省略しています。)
郡司『ありがとうございました。続きまして「ふくしま集団疎開裁判」で活動なさっています井上利男さん、よろしくお願いいたします。』
井上利男(いのうえ としお)さん
【1951年新潟県長岡市生まれ。専門は著作権(知財)。1990年代から知財が知罪(知的犯罪)に変貌したのに嫌気がさし、知財特にバイオテクノロジーの危険性の告発に転向。2005年から日本最初の遺伝子組み換えイネの差止裁判に参加。命を扱う先端科学技術の担当者たちのいかがわしさを思い知らされる。3・11で命がないがしろにされる事態に直面し、最優先課題としてふくしまの子どもたちの集団疎開を実現するための裁判に参加。】
井上『皆さんこんにちは。郡山市からやってきました井上利男です。よろしくお願いします(スライドで説明:写真参照)これは私が住んでいます郡山市内の県営住宅の中の、子どもが遊べるような広場です。去年の7月の段階の数値ですが、0.86マイクロシーベルト、もちろん何の規制もなしに、子どもたちはマスクもせずに、未だにここで遊んでいます。
(スライドで説明:写真参照)この街は非常にいい街でした。今もいい街ですが、これはチェルノブイリ法でいう強制避難基準以上の場所を赤マルで記した地図です。これは「ふくしま集団疎開裁判」が証拠として、福島地方裁判所郡山支部に提出した証拠書類です。作成者は琉球大学の矢ケ崎先生です。チェルノブイリ法の基準では5ミリシーベルト以上は強制的に避難しなくてはダメなんです。そういう基準の場所が、郡山市の市街地のほぼ全域を覆ってしまっている訳です。
(スライドで説明:写真参照)これは私が住んでおります県営住宅内の広場の計測値です。上の1.503は地上100cm、その下の2.014は地上50僂里箸海蹐任后C録泙離團鵐のマークは、小学校の集団登校のための集合場所になっています。こういうところに、子どもたちがマスクもせずに集まって、交通安全のために集団登校する訳ですが、交通安全はいいが放射線防護が頼りない、そういう状況です。
これは7月に撮った写真ですが、この時の計測値が0.83マイクロシーベルト。そういう中で、小さな女の子たちが軽装でマスクもなしに話をしている、こういう日常風景があります。
こういう風景を作り出したのが、4月19日、事故のあと1ケ月あまり経った後ですけれども、学校を再開するために、福島県知事及び教育委員会あてに文部科学省が通知し、錦の御旗が国際的基準を考慮しますということです。国際基準としてICRP(国際放射線防護委員会)は、「異常事態が収束した後、1~ 20ミリシーベルトの基準を考えるのが適当であろう」、そういうことを言っている訳です。そこから文部科学省は独自に計算しまして、校庭・園庭で3.8マイクロシーベルト未満であれば、平常どおり校庭などを使用しても構わない、というお墨付きを与えました(年間20ミリシーベルトに到達する空間線量率は、屋外3.8マイクロシーベルト//時間)。
これは放射線管理区域基準の6倍強に当たります。こういう場所で子供たちが日常どおり過ごしてもいい、と文部科学省が言っている訳です。また、20ミリシーベルトといったら、一般人の被曝線量限度の20倍です。とても途方もない基準だと思います。
ICRPは事故の後、10日目ですが、(3月)21日に日本政府あてに出した声明ですが、現存被曝状況、これは「事故が収束した後、1 ~20ミリシーベルトの範囲で基準を決めなさい」、また、「汚染地域が残っているかも知れないが、当局(政府)がそうした地域を放棄するよりも、人々が居住し続けるのを許容する」そう提言しています。
こういう状況で、福島県の親たち、子ども福島ネットワークが中心となって呼びかけて、バスを仕立てて文部科学省に抗議に行きました。
2011年11月、内閣官房に低線量被爆のリスク管理に関するワーキンググループが開設されました。このワーキンググループで、11月28日にクリストファー・クレメント、そしてジャック・ロシャール、2人はICRPの幹部ですが、この2人がプレゼンテーションをやっている。この会合の最終会合が12月15日に開かれています。
このジャック・ロシャールという人は、ベラルーシでエイトス・プロジェクトをやっている。
(No288-2に続く )