野次馬雑記

1960年代後半から70年代前半の新聞や雑誌の記事などを基に、「あの時代」を振り返ります。また、「明大土曜会」の活動も紹介します。

2013年05月

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(文書が長くブログの字数制限を越えるため、No288-1からNo288-3に分けて掲載します。)

3月3日(日)、明治大学リバティーホールで、経産省前テント広場やたんぽぽ舎などの主催で「福島原発災害に学ぶ 福島・首都圏の集い」が開催された
集会では11名のゲストスピーカーの方が発言したが、今回はNo286に続き、2名の方の発言を掲載する。
(録音が聞きとれない部分など、発言の一部を省略しています。)

郡司『ありがとうございました。続きまして「ふくしま集団疎開裁判」で活動なさっています井上利男さん、よろしくお願いいたします。』

井上利男(いのうえ としお)さん
【1951年新潟県長岡市生まれ。専門は著作権(知財)。1990年代から知財が知罪(知的犯罪)に変貌したのに嫌気がさし、知財特にバイオテクノロジーの危険性の告発に転向。2005年から日本最初の遺伝子組み換えイネの差止裁判に参加。命を扱う先端科学技術の担当者たちのいかがわしさを思い知らされる。3・11で命がないがしろにされる事態に直面し、最優先課題としてふくしまの子どもたちの集団疎開を実現するための裁判に参加。】

井上『皆さんこんにちは。郡山市からやってきました井上利男です。よろしくお願いします(スライドで説明:写真参照)これは私が住んでいます郡山市内の県営住宅の中の、子どもが遊べるような広場です。去年の7月の段階の数値ですが、0.86マイクロシーベルト、もちろん何の規制もなしに、子どもたちはマスクもせずに、未だにここで遊んでいます。
(スライドで説明:写真参照)この街は非常にいい街でした。今もいい街ですが、これはチェルノブイリ法でいう強制避難基準以上の場所を赤マルで記した地図です。これは「ふくしま集団疎開裁判」が証拠として、福島地方裁判所郡山支部に提出した証拠書類です。作成者は琉球大学の矢ケ崎先生です。チェルノブイリ法の基準では5ミリシーベルト以上は強制的に避難しなくてはダメなんです。そういう基準の場所が、郡山市の市街地のほぼ全域を覆ってしまっている訳です。
(スライドで説明:写真参照)これは私が住んでおります県営住宅内の広場の計測値です。上の1.503は地上100cm、その下の2.014は地上50僂里箸海蹐任后C録泙離團鵐のマークは、小学校の集団登校のための集合場所になっています。こういうところに、子どもたちがマスクもせずに集まって、交通安全のために集団登校する訳ですが、交通安全はいいが放射線防護が頼りない、そういう状況です。
これは7月に撮った写真ですが、この時の計測値が0.83マイクロシーベルト。そういう中で、小さな女の子たちが軽装でマスクもなしに話をしている、こういう日常風景があります。
こういう風景を作り出したのが、4月19日、事故のあと1ケ月あまり経った後ですけれども、学校を再開するために、福島県知事及び教育委員会あてに文部科学省が通知し、錦の御旗が国際的基準を考慮しますということです。国際基準としてICRP(国際放射線防護委員会)は、「異常事態が収束した後、1~ 20ミリシーベルトの基準を考えるのが適当であろう」、そういうことを言っている訳です。そこから文部科学省は独自に計算しまして、校庭・園庭で3.8マイクロシーベルト未満であれば、平常どおり校庭などを使用しても構わない、というお墨付きを与えました(年間20ミリシーベルトに到達する空間線量率は、屋外3.8マイクロシーベルト//時間)。
これは放射線管理区域基準の6倍強に当たります。こういう場所で子供たちが日常どおり過ごしてもいい、と文部科学省が言っている訳です。また、20ミリシーベルトといったら、一般人の被曝線量限度の20倍です。とても途方もない基準だと思います。
ICRPは事故の後、10日目ですが、(3月)21日に日本政府あてに出した声明ですが、現存被曝状況、これは「事故が収束した後、1 ~20ミリシーベルトの範囲で基準を決めなさい」、また、「汚染地域が残っているかも知れないが、当局(政府)がそうした地域を放棄するよりも、人々が居住し続けるのを許容する」そう提言しています。
こういう状況で、福島県の親たち、子ども福島ネットワークが中心となって呼びかけて、バスを仕立てて文部科学省に抗議に行きました。
2011年11月、内閣官房に低線量被爆のリスク管理に関するワーキンググループが開設されました。このワーキンググループで、11月28日にクリストファー・クレメント、そしてジャック・ロシャール、2人はICRPの幹部ですが、この2人がプレゼンテーションをやっている。この会合の最終会合が12月15日に開かれています。
このジャック・ロシャールという人は、ベラルーシでエイトス・プロジェクトをやっている。

(No288-2に続く )

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(No288-1の続きです)

エイトスが言っているのは、チェルノブイリ原発で被災した住民の大多数は、被災地域に留まる決心をした。要するに日本政府にこういうことを勧める訳です。
人々を汚染地域に留まらせなさい、そういうことを勧めている訳です。
そして15日の最終会合の後、16日に例の原発事故の収束宣言です。また、その同じ日に「ふくしま集団疎開裁判」の申立棄却の決定が出ました。この中で、その理由として、100ミリシーベルトまで大丈夫だ、あるいは、文部科学省通知では20ミリシーベルトが暫定的な目安とされる、要するに法律論、科学的な論争を全て避けて、御用学者の言うことを、また、行政の決定をそのまま追認しただけの判決です。だから、司法自体が司法権を放棄していると思います。
去年9月の段階で甲状腺がんの患者が一人見つかりました。「チェルノブイリの例から見て、放射線の影響とは考えにくい」、そんなことを福島県立医大の山下俊一、そして鈴木眞一、この二人の教授が表明しました。つい最近、子ども2人ががんになっているのが見つかって、3人に増えました。それでも鈴木眞一は「原発事故の影響とは考えにくい」と言っています。
井戸謙一弁護士、この方は「ふくしま集団疎開裁判」の主だった弁護士の一人ですが、最後にこの人の言葉だけ紹介させてください。「裁判に勝っても、子どもたちを救うために市民の力が必要です。たとえ負けたとしても、市民の力の盛り上がりによって、子どもたちを救う道が拓けるでしょう。」
どうもありがとうございました。』(拍手)

郡司『ありがとうございました。続きまして、「原発いらない福島の女たち」から人見やよいさん、よろしくお願いします。』

人見やよい(ひとみ やよい)さん
【1961年生まれ。福島県郡山市在住のフリーライターエディター。地元の情報紙「Newボイス朝日」記者や、環境の市民グループこおりやま「楽笑村」代表を務めておりましたが、3・11事故後は、原発いらない福島の女たち、子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク情報共有班、フクシマ・アクション・プロジェクト事務局、福島原発告訴団等々。やむにやまれず始めた活動が多々。】

人見『「原発はいらない福島の女たち」から人見やよいと申します。よろしくお願いします。私は郡山市というところに住んでいます。私の自己紹介でフリーライタ―と書いてありますけれども、地元の情報紙の記者をしております。元々、インドアな人間なので、家で文章を書いたり絵を書いたりという生活をしている人です。
事故が起きました。それによって私は生活がガラッと変わりました。まさかこんなに東京に通うことになるとは思ってもみませんでした。私の人生の中で、これだけ東京に通ってくるというのは、本当に、この51年間生きてきた中で初めての事です。
方向音痴なんですけれども、何とか経産省前テントまでたどり着けるようになりましたし、議員会館にも何とかたどり着けるようになりました。そんなになってしまった自分が本当に悲しいです。あのまま福島で穏やかに平和にのんびり暮らしていたかったです。さっきのお子さんの写真なんかを見ると、涙が出て止まらなくなります。悔しくなります。
女たちが力を合わせて何かをしなくてはいけないと、皆で話し合いをしまして、この2年間、いろいろやっております。皆さんも既にご存知かと思いますけれども、座り込みを行ったりですとか、院内集会を行ったりですとか、東電に交渉に行かせていただいたりですとか、各省庁の担当者の方に来ていただいて、省庁交渉というのもやらせていただきました。
そういうことをやらせていただく度に 私たちは愕然とすることが本当に多くて、例えば省庁の方々のところにお母さんたちと一緒に行って、いろいろとお話をさせていただいた時も、例えば厚生労働省の方がお母さんたちに向かって「科学的な知見に基づいて、害は出ないことが証明されているんですよ。」と仰るんですね。「甲状腺にしこりが見つかってどうしてくれるんだ。」「2年後の再検査では本当に心配でたまらない。」と仰っているお母さんを前に、「科学的知見に基づいて安全なんですよ。」と、先ほどの山下先生が仰っていることだと思うんですけれど、「甲状腺のがんというものは、ゆっくりゆっくり進行するものだから、2年間放って置いても大丈夫ですよ。」「その後がんに発展したとしても、その後切除するのか、抗がん剤をするのか、それはその場で判断すればいいことで、これから2年間、再検査までの間は様子を見ていて大丈夫なんですよ。安心してください。」というようなことを仰るんですね。
実際に自分の子どもにしこりが見つかってしまった、嚢胞が見つかってしまった、お母さんたちはパニックですよね。

(No288-3に続く)

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(No288-2の続きです)

そんな人に向かって、そういうことをヌケヌケと仰る厚生労働省は、本当にその名前のとおり厚かましく生きている省だなと私は思います。(拍手)
文部科学省の方も、「子どもたちにガラスバッチじゃなくて、線量計を是非」とお母さんたちがお願いしても、「学校には線量計は1台ずつ置いています。それで測っているので安全です。」と仰るんですね。「その線量計は誰がお持ちなんですか?」と聞くと「先生です。」と仰るんです。マイカー通勤の先生が線量計を持っていても全然意味がないですよね。子どもたちは道路を歩いています。それこそ身長も全然違うし、大人が持ていてもしょうがないものを持っています。
そういう認識の下で福島が収束したと思われていることが、行くたびに、行くたびに、打ちのめされて帰ってくるんです。疲れ果てて。
私たちが疲れ果てるのを待っているんじゃないかと思うくらい、向こうの方の扱いというか回答というのは、愕然とさせられることがとても多いです。
そして、東電の交渉も何度かやっているんですけれども、扱いもだんだん良くなっています。最初は門の外で「入れてくれ!」という叫びをして、「中に入れろ!」というのを、ユーチューブなどでご覧になっているかと思いますが、一番最近行った交渉では、ちゃんと部屋を取って、その中で向こうの担当者と私たちが机で対峙して要望書を読み上げる、そしてその日のうちに向こうから回答書が出るというような、若干進展した部分もあります。そして、その中で私たちの要望に対して誠実に答えていただいているとも思っています。ただ、私たちの相手をして答えていただいているのは下の方なんです。私たちが会いたいのは、原発を止めることが出来る権限を持った執行部の方なんです。そういう方々に、私たちがどんなに苦しんでいるのか、お伝えしたいのに、そうじゃない、広報部の方が前に出てきて、いつも私たちの前で謝ってくださいます。
でも私たちはそういうことを望んでいるんじゃなくて、「とにかく原発を止めてくれ」、「今後二度と動かさないことを約束してくれ」とお願いしているんです。福島県は、10基全部を廃炉にすることを県として決議しました。そしてそのことも宣言しています。地元の了解を得たら動かしたいみたいなことが、向こうの回答には紛れ込まれているんですね。廃炉かどうかは未定である、ということがはっきり書かれています。何故それを決めていただけないのかが、私は被害者として理解が出来ないです。
そして、IAEA、国際原子力機関というところが、原子力の安全を進めるために福島県に入り込んできています。昨年12月、ちょうど衆議院の選挙が行われたその日に、家の近くの「ビックパレットふくしま」というところでは、福島閣僚会議というのが開かれておりました。3日間開かれて、私は3日間通って傍聴していました。一般の方も50名入れます、ということで応募していた訳ですけれども、実際に中に入ったら応募している民間の市民は20人もいなかったみたいです。というのも、傍聴に入れますという告知が、ものすごく分かりにくい場所にあったんです。外務省のホームページでやっと見つけることが出来て、それを見つけた方が広めてくださったので、私は入ることが出来ました。
ようやくパスをいただいて、空港にあるようなセキュリティのゲートをピッと通って、中に入れてもらって、「そのカメラを見せろ」とか言われて、「カメラ型の武器じゃないか」と言われて(笑)、どう考えてもそんなカメラ型の武器を持っている人間じゃないと私は思うんですけども、そんな疑いまで持たれて中に入りました。
福島県は脱原発を言っているにもかかわらず、その中で行われていた福島県の展示というのは、「安全です」ばっかりでした。福島県が脱原発を宣言としてまとめました、というパネル2枚。それがとりあえず脱原発のパネルなだけで、それ以外は福島県は除染を頑張っています、健康調査を頑張っています、頑張っている頑張っているばかりで、福島県がいかに安全かというのを世界に向けてアピールする場だったんだな、と感じました。
でもそんなことないですね。事故を起こしたら対策は何もありません、そして補償も十分に行われません。そういうことを、私たち福島県民は世界に向けて発信すべきだったのに、本当に嫌な場にされてしまったと思いました。
だけどこれからでも遅くはないので、私たち福島県民として、原発事故は安全を考えるべきではない、危険を考えるべきなんだ、ということを世界に向けて大きな声で発信していきたいと思っています。
皆さんも是非、ご協力よろしくお願いいたします。』(拍手)

※ 録音の書き起こしが終わったところから順次掲載して行きます。

(つづく)

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