
(文書が長くブログの字数制限を越えるため、No333-1からNo333-3に分けて掲載します。)
東日本大震災と福島第一原発事故から3年。3月8日から3月15日まではNO NUKES WEEKである。
4大学共闘(日大・芝工大・専修大・明大の全共闘派)は、3月9日の原発ゼロ・大統一行動に引き続き、3月15日の「フクシマを忘れない!!さようなら原発3・15脱原発集会」とデモに参加した。
【集会パンフレットより】
「東日本大震災・福島原発事故から3年。いまだに14万人以上の方々が、困難な避難生活を強いられています。そして震災による直接死を上回る震災関連死を生み出しています。いっぽうで安倍政権は、原発再稼働、原発輸出に積極的に取組み、原発推進の旗を振り続けています。脱原発世論を無視する安倍政権を許してはなりません。フクシマによりそい、いま、ここから、ふたたび脱原発の声を、行動を、広げていきましょう!」
3月に入ってからも寒い日が続いていたが、当日は気温も上がり行楽日和(デモ日和)。会場の日比谷野外音楽堂の上は青空が広がり気持ちがいい。
会場はぎっしり満員。主催者発表で5,500名が参加とのことである。
集会はオープニングライブの後、木内みどりさんの司会で始まった。
最初に福島からの報告ということで、武藤類子さん(ハイロアクション福島)のスピーチがあり、続いて呼びかけ人である大江健三郎さんと澤地久枝さんからのスピーチがあった。次に秋山豊寛さん(元宇宙飛行士・有機農業者)が賛同アピールを行い、なすびさん(被ばく労働を考えるネットワーク)からの被曝労働の報告、そして松下照幸さん(原子力発電に反対する福井県民会議幹事)から原発再稼働の現地報告があった。最後に鎌田慧さんから閉会のあいさつがあり、集会は終了した。
この集会スピーチの中から、秋山豊寛さんとなすびさんのスピーチを掲載する。
秋山豊寛さん(元宇宙飛行士・有機農業者)
『京都から来ました秋山でございます。
私はもともとといいますか、宇宙へ行ったのは会社の出張なんですけれども、福島で18年ほどシイタケ農家をやっておりました。原発、福島第一から32kmの地点で、原木シイタケ、クヌギとかナラ、それにシイタケ菌を植えてシイタケを栽培するという農家をやっておりましたが、もう福島ではハッキリ言ってシイタケは出来ません。
ナラなりクヌギなりの原木、あるいはその木には放射性物質が濃縮されて入っているんです。
それを元にしてシイタケをつくれば、必ずセシウムに汚染されたシイタケしかできないんです。
私の友人で果樹農家がいます。私は福島で農家をやっている間にいっぱい農家の友人が出来ました。彼は、汚染された地帯でもそれを離れて新しくやるには、私と同じように、彼も午年です。という事は72です。新しくやるのはとっても辛いことです。
私はたまたま京都の方で学校の先生をやるという仕事があったので、京都に移住しました。
彼はこの間電話をくれまして、「秋山さん、俺の身体また汚染されてるよ」
毎年彼はホールボディチェックといって体内のセシウム量をチェックするのをやっているんですけれども、「去年測った量よりも、今年の1月に測った方が、セシウム137のベクレル数が高くなっている」と。
今日の集会は「福島を忘れない」というタイトルが掲げられておりますが、福島では現在進行形なんです。あそこに若い人たちも暮らしています。毎日毎日、危険な中で暮らしているんです。
忘れないという事よりも、皆さんも今、それなりに汚染されているかもしれないんです。東京も関東もとっても危険な地域になりつつあるんです。その事を、皆さん、自分の中で確認して下さい
今やらなければいけない事、こういう問題を広げてはいけない事なんです。川内原発を再稼働させてはいけないんです!(拍手)
そして何よりも、そういう政策を推進する各自治体の首長、議員たち、そしてあの永田町にいる国会議員と“自称している”人たち。私あえて「自称している」と言います。
あの保守的な最高裁判所ですら、「違憲状態である」という判断の中で選ばれた人が、どうして国民を代表するんでしょうか!(拍手)
私たちはそうした人たちを一人一人、責任ある、責任なんか取れっこないんですよ。
福島の問題で誰が責任を取ったんですか!(拍手)
東京電力の社長だって、大量の退職金をもらってのうのうと暮らしているじゃないですか!(拍手)
そんな不正義が日本で許されるのは、私たちがひょっとしたら認めているからじゃないですか?
こういうのを認めない社会をつくろうじゃないですか。(拍手)
(No333-2に続く)