先週(No340)に引き続き、1970年の拓殖大学闘争の記事を掲載する。
【自治会執行部が解散 反対派の各セクト団結】1970.6.23毎日新聞(引用)
『“死の集団しごき事件”をきっかけに学内民主化要求が盛り上がっている拓殖大学の学生自治会(倉元省二委員長)は、大学側の休講措置に対抗して自主登校を呼びかけ、22日午後1時から学生大会を開いたが、全学行動委(反日共系)、民主化闘争委(日共系)を中心とする反自治会派の学生が自治会執行部をリコール、独自に「臨時執行部」33人を選出した。
臨時執行部は暴力追放と学内民主化をテーマに23日午後1時から同大キャンパスで大衆団交を開くことを大学側に要求しており、各セクトが大同団結して学校側と対決する構えをみせ“第二の日大闘争”の様相を見せてきた。
拓忍会の集団しごき事件で安生良作君が16日朝死んで以来、「暴力反対、大学民主化」を要求する学生の動きが表面化、19、20日と、自治会と反自治会系の学生が集会を開き、20日の自治会主催の追悼集会に反自治会系の学生がなだれ込む騒ぎが起きた。
大学側は22日から3日間休講措置をとったが、「学生の民主化要求を抑圧するものだ」と反発、自治会、反自治会の学生が同盟登校した。
午後1時から開かれた自治会主催の学生大会には、自治会解散を要求する全行委、民闘委の学生も合流、千百人の学生が参加した。
自治会は「拓忍会のしごき事件について」「休講措置について」「当面の課題について」の3つの議題を討議するよう提案したが、全行委、民闘委を中心とする学生のヤジと怒号の中で、挙手による採決の結果、自治会提案が否決され、倉元委員長ら執行部は解散を宣言、自治会を支援する体育会系学生とともに退場してしまった。
会場に残った約千人の学生は「自治会執行部は任務を放棄した」として改めてリコール、臨時執行部33人を選出した。
執行部の一人ひとりがマイクをとって「6・23大衆団交をかちとろう」「徹底的に戦います」とあいさつするたびに「がんばれよ」とホールを埋めた千人の学生から拍手と喚声がわき起こった。
このあと学生たちは「学内暴力の根源である麗沢会(りたくかい)=クラブ活動の総合体=の即時解散」「愛好会に名を借りた学内暴力団の解散」「学生自治の承認」などを要求して、23日午後1時から本館前のキャンパスで大学側の出席を求め、大衆団交を開くことを決め、午後4時半解散した。
これに対して、大学側は夜遅くまで教授会と大学委員会を開いて協議したが、三代川学生部長は「自治会執行部解散後の学生大会は正規のものと認めるわけにはいかない。大衆団交にも応じられない」といい、さらに体育会系学生は「学内秩序の破壊を見過ごすわけにはいかない」と硬化。
これに対しほかの大学では「裏切り者」「トロッキスト」とののしり合う全行委、民闘委が“反暴力”で大同団結、一般学生を巻き込んで、両者が対決の構えをみせている。』
【学生の動き緊迫 各所で集会】1970.6.23毎日新聞(引用)
『学生自治会をリコール、臨時執行部を選出した拓殖大学の学生約千人は、23日も同盟登校、午後1時からキャンパスで大衆団交を要求して集会を開いた。
安生君の死亡後、表面だった動きをひかえていた体育会学生も姿を見せ、セッタを引きずった学生が、キャンパスを行き来するなど学内は次第に緊張を増してきた。
学生たちは正午過ぎから続々と登校した。午後1時、退学処分になっている反帝学評のリーダー、K君がハンディマイクで、アジ演説を始めると、体育会や一部の学生から「お前は拓大生じゃないぞ」「引きずり出すぞ」とヤジが飛ぶ。
本館屋上のボリュームをいっぱいに上げたスピーカーで三代川学生部長が「K君、君は本学の学生ではありません。ただちに学外に出てください。学生諸君、学外者の言には耳を貸さないでください。不法集会はただちに解散しなさい」と繰返し呼びかける。そのたびに「やめろ、うるさい」のヤジ。
体育会系の学生がK君を連れ出そうとして、K君のまわりを固める学生ともみあう。どさくさにまぎれ、足をけり上げる学生、怒号とヤジが乱れとび、臨時執行部の学生の演説もよく聞きとれない。』
【拓大、突然ロックアウト 機動隊が固め、押合い】1970.6.24毎日新聞(引用)
『“死のしごき事件”がきっかけで反日共系、日共系の各セクトが手を結んで学園民主化と暴力追放を訴え、自治会臨時執行部が発足するなど混乱の続いている拓殖大学は、24日朝、突然ロックアウトを行った。
ぞくぞく集ってきた学生たちは機動隊に守られた門の前で口々に「大学側のやり方はきたない」と訴えた。正午すぎ、大学の要請で機動隊員が西門前の学生の排除を始めて小ぜりあいが起こるなど“戒厳令下”の拓大紛争はますます深刻化の様相をみせている。
前夜遅くの緊急大学委員会で「23日の集会で体育会を中心とする学生がデモの学生になぐりこみ、けが人を出した。これ以上の混乱を見すごすわけにはいかない」とロックアウトを決めた大学側は、この朝、正門と西門の鉄トビラの上に「24日午前8時より学内秩序を維持するため当分の間休校し、学生の無断構内立入りを禁止する」という掲示を出し、同時に警視庁に機動隊の出動を要請、機動隊と大塚署員ら80人が門を固めた。
午後1時から大衆団交を要求して決起集会を開くことにしていた学生たちは午前9時ごろからしだいに集り、正午ごろには約300人に達した。機動隊の姿と、ピッタリ閉ざされた鉄格子の門を見てぼう然。
大学側の掲示を見上げて黙り込む者、歩道に腰をおろす者・・・小さな議論の輪ができ「大学はどういうつもりなのだ」「学内の暴力にこそ門を閉ざすべきだ」「こういう問答無用のやり方が学内に暴力をのさばらせるのだ」と怒りの声。(中略)
<「体育会、礼儀正しいョ」総長・中曽根長官はブ然>
拓大のロックアウトについて中曽根康弘総長(防衛庁長官)、三代川正一学生部長らは24日午前11時半から東京千代区の砂防会館で記者会見した。
“学園紛争のない最後の大学”と自慢していた政治家総長もさすがに堅い表情。「どうもお騒がせして申しわけありません」と席に着くなりロックアウトに至った「声明文」を棒読み、ついで切り口上で補足説明。
「正当な手続きによる話合いがいまのままではできない。一部過激派学生が政治闘争にすりかえる動きが顕著であり、東大、日大などの二の舞を踏まぬためにも休校措置を取った」「毎日デモでは古い体質を総点検したりする改革の時間的余裕がないんだ」とブ然たる表情。
ついで記者団の質問を受けたが“大物総長”も「体育会は規律正しい。武道をやる者は人間的エチケットを心得ている」と相変わらずの高姿勢。一問一答、次のとおり。
― ロックアウトしなければならない最大の理由は。
総長:きのうからの状態を見ると、もし学生がハッスルしすぎると暴力を引起こす危険性が出ている。学生たちのアタマをひやす意味で休校措置に踏切った。
― 当分の間というが、どのくらいか
総長:正規の手続きによる学生との話合いが軌道に乗るまでだ。1日から夏休みだが、解除の時期はわからない。
― 学生との話合いをどのように行なうのか。
総長:一部過激派学生の指導する臨時執行部は認めない。本校では前から自治会や文連、体連、寮ゼミなどの代表20数人と学校側が話合う「全学懇談会」がある。この会を生かしていきたい。
― 総長は体育会学生の暴力ざたなどを聞いたことがあるか。
総長:(それには直接答えず)体育会学生は人間的エチケットに反する者はいないとはいえないが、ごく少数だ。武道をやっている者は修練を積んでいる。体育会を右翼や暴力団というのはかわいそうだ。
― しかし学内にはヤクザのような人たちがいるし、この連中は学生なのか。
総長:どうなんです。(中曽根さんは三代川学生部長に答えをバトンタッチ。天井を向いて知らぬ顔)
学生部長:先輩などは、いれていなので学生でしょう。
(中曽根さん、ひとり言のように)近ごろの学生はみんな適当な格好をしているのでなあ。
― 一部の過激派学生とあなたは決めつけているが、きのうのデモにも千人もの学生が参加しているではないか。(中曽根さん答えず)
学生部長:1年生で学校のことがよくわからない子供さんたちが参加しているようだが、扇動しているのは政治活動にすりかえようとしている一部学生だ。』
(次週に続く)