5月28日、「ベ平連」の元事務局長、吉川勇一氏が逝去された。No390で吉川氏を追悼して、「週刊アンポ」第1号に掲載された「市民運動入門」第1回という吉川氏の記事を掲載したが、この記事は連載記事なので、吉川氏の追悼特集シリーズとして、定期的に掲載することにした。
今回は「週刊アンポ」第5号に掲載された「市民運動入門」第5回を掲載する。
この「週刊アンポ」は、「ベ平連」の小田実氏が編集人となって、1969年11月に発行された。1969年11月17日に第1号発行(1969年6月15日発行の0号というのがあった)。以降、1970年6月上旬の第15号まで発行されている。
【市民運動入門 第5回 吉川勇一 週刊アンポ 1970.1.12】
「自衛隊員や警官にビラをまこう ーセカンド・フロントのすすめー
<羽田空港ベ平連>
佐藤首相訪米の取材前のことだった。「羽田空港ベ平連」をつくったが・・・とベ平連の事務局へ訪ねて来た人がいた。空港そのものに働いている職員である。すでに始まっていた気違いじみた警備状況についていろいろその内容を話し、これからの活動の豊富などを語って帰っていった。
首相が発とうとするとき、政府が考え警察がやったことは、機動隊を出動させて羽田や官庁街をとり囲む壁をつくり、その中からデモ隊はおろか、国民全部をしめ出して無人の街にしてしまうことであった。そうすれば安全だと思ったのだろうか。
だが、それは錯覚なのであって、無人の街とはいっても、そこには機動隊員はいたし、空港職員はいたし、飛行機の整備員も操縦士もいたのである。そしてそういう人びとは追い出し、しめ出すわけにはいかないのだ。そこにベ平連が出来ていたなどということは、支配層は夢にも考えていなかっただろう。彼らにとってベ平連とは、機動隊の壁の向こう側で黄色の旗を先頭にデモをしているグループとしてしか理解できないのだ。
<人間のいるところにベ平連>
だから、ましてや機動隊員の中や自衛隊員の中に「週刊アンホ」の読者がいたり、警視庁ベ平連や自衛隊ベ平連が出来てきたりすると仰天するわけである。
しかしベ平連の運動は、官庁や空港の職員の中であれ、そこに人間がいるところであるなら、どこへでも拡がり、はじまっていくものなのである。権力者はこうした人びとを人間とみない。道具であったり、壁であったり、計算機と考えたりする。市民運動はそうではない。権力機構の中におかれていても、人間であるかぎり、悩んだり、苦しんだり、ベ平連運動をはじめたりすることがあるのだと考える。この違いが権力者には最後までわからないのであろう。またわかったところでどうにも手のうちようもないアキレス腱となるだろう。
<機動隊・自衛隊の「第二戦線」>
米軍兵士の中における抵抗や反乱はますますひろがっており、アングラ反戦新聞は日本の各基地の中でつぎつぎと発行されだした。その反戦気分の拡がりは創造よりはるかに広い。本誌に連載された「基地の中の脱走兵」にもそれは詳しく出ていた。また12月26日、NETのモーニングショーで大泉市民の集いの朝霞反戦放送が紹介されていたが、放送に対して多くの米兵が指を二本出してV字の平和サインを示していたのには、あらためて驚いたほどだった。
在日米軍兵士の間で今話題になっている「WE GOT THE BRASS」は「セカンド・フロント・インターナショナル」が発行している。セカンド・フロントー第二戦線という意味は、つまり米軍を粉砕し、解体する戦いの第一の戦線がベトナム人民によるものということなのだろう。
機動隊のデモに対する弾圧が苛烈となり、自衛隊の治安出動訓練が激しくなるにつれて、その内部の動揺も次第に大きくなってきている。彼らも人間である以上、それは当然だと思う。とすれば、それらに対し、力をもって正面からぶつかる闘争と同時に、ここでも第二戦線がつくられてよいはずである。いやぜひつくらなければならないだろう。市民の中に不定形の拡がりをもつベ平連のような市民運動がそれをはじめるべきだと思う。
<機動隊のうた>
川内孝範が作詞し、橋幸夫がうたっている機動隊をたたえる歌「この世を花にするために」のレコードがビクターから出され、売れゆきは好評だという。とにかく警察が懸命に宣伝しているのだし、全国で約16万の警官が買うだけで大変な数にはなるだろう。
だが、警官の間でこの歌が好評だとしたら、それなりの理由があるのだろうし、それが判るような気がする。機動隊のこれまでの歌というのは「暴力のやから騒げば 輸送車は地軸をゆすり 法守る聖なる怒り 精鋭の胸にたぎりて 出動は怒涛のごとし ああ力 我等機動隊」という勇壮きわまりないものだったが、今度の歌は「恋も情けも人間らしく してもみたいさかけたいが それすら自由になりはせぬ この世を花にするために 鬼にもなろうさ機動隊」とか「何をこのんでそしりを受ける 損はやめろといわれても・・・」とかC調でうたうもので、そこに人間としての哀愁が出ているからなのかもしれない。フォークゲリラの歌う「機動隊ブルース」の「政府をみごと守るため恋しちゃならない機動隊 平凡パンチの写真みて ひとりさびしく暮らすのよ」などという「砂をかむよな味気ない」話と実に裏表の関係があるようで興味深い。こういう歌がつくられ、はやるということ自体、機動隊員や若い警官の中の矛盾や動揺の増大を示しているのだろう。
いささか脱線するが、ちょっと面白い話があったので紹介しよう。
昨年12月6日のベ平連定例デモで、青山通りを渋谷に向けて行進中、機動隊約百人が規制に出動してきた。途端にデモの先頭のベ平連の宣伝カー・スピーカーから、この「この世を花にするために」のメロディーが流れ出したのだ。ところがこれは別のフォーク・クルセーダースの「オラは死んじまっただ」式にテープのスピードをわざと倍にしてあったので、せっかくの橋幸夫もピーチク・パーチクのような感じの唄になっていた。デモの方は大喜びで手を叩いていたが、一人の若い警官がサッと宣伝カーに駆けより、中に向かって怒鳴ったのだ。「オイ、このレコード45回転なんだぞ。SPでかけてんだろう!」
どうだろう。この唄をデモの方がいただいてしまったら?デモのたび、機動隊が出てくるたびに、みんながうたうわけだ。案外機動隊をズッコケさせる効果があるんじゃなかろうか。元来、相手の武器をもらって使うのはゲリラの常道だろう。
<自衛隊・機動隊向けビラを>
さて、本題にもどって具体的な行動について考えてみよう。米軍基地のあるところ、米軍兵士のいるところだったら、ぜひ英文の反戦新聞をまこうではないか。「WE GOT THE BRASS」や「KILL FOR PEACE」など、本誌創刊号で紹介されたアングラ反戦新聞はベ平連の事務所を通じても入手できる。横浜や横須賀のベ平連や、沖縄ベ平連、福岡ベ平連などはそういう活動をしているし、静岡各地のベ平連も昨年暮のクリスマスに熱海へ一斉に出かけて休暇中の米兵にこれをまいた。米兵の反応はかなりいいようである。
米軍基地のないところでは、自衛隊員や機動隊員、警察官に対するよびかけを考えてみよう。警察官はどこにでもいるし、自衛隊のいない県はない。デモの時、出動してくる機動隊員にまく独自のビラも用意してみようではないか。彼らのやる非人間的行為を人間として断固糾弾するとともに、彼等のもつ人間としての矛盾をつくような人間的なビラを。
自衛隊員、機動隊員を反戦運動の仲間にしてゆく活動は、1970年代の運動の重要な柱の一つとなることだろう。
【お知らせ】
年末年始(12月25日、1月1日)のブログとホームページの更新はお休みです。
次回は来年1月8日(金)になります。
また来年も見に来てください。
(終)