昨年5月28日、「ベ平連」の元事務局長、吉川勇一氏が逝去された。No390で吉川氏を追悼して、「週刊アンポ」第1号に掲載された「市民運動入門」という吉川氏の記事を掲載したが、この記事は連載記事なので、吉川氏の追悼特集シリーズとして、定期的に掲載することにした。
今回は「週刊アンポ」第11号に掲載された「市民運動入門」第11回を掲載する。
この「週刊アンポ」は、「ベ平連」の小田実氏が編集人となって、1969年11月に発行された。1969年11月17日に第1号発行(1969年6月15日発行の0号というのがあった)。以降、1970年6月上旬の第15号まで発行されている。
【市民運動入門 第11回 表現の自由のための野蛮人とのたたかい 吉川勇一】(週刊アンポNo11 1970.4.6発行)
本誌前号の(有)週刊アンポ社社告にあるように、警視庁による「週刊アンポ」印刷所への本誌ゲラ要求事件は重大である。
(注:社告は次の内容である。
「警視庁の言論の自由抑圧に抗議する
2月はじめ、警視庁公安部外事一課の竹谷孝治は、本誌「週刊アンポ」の印刷所を訪れ、印刷所の係員に警察官の肩書の名刺を示すとともに、市販前の本誌「週刊アンポ」第7号(自衛隊特集)の校正用ゲラ刷りの提出を求めた。印刷所側がそれは商業道徳上もできないと拒否すると、さらに、早目に製本された本誌の見本を要求し、第7号3部をもって立ち去った。
この件にかんし、3月3日、本社を代表して吉川勇一が警視庁を訪れ、外事一課の磯貝誠課長代理に面会、抗議とともに事実関係を問いただしたところ、磯貝は竹谷孝治の印刷所訪問を認めたが、ゲラ刷りを要求したことはないと否定し、また見本刷りについては、「いろいろな話のついでに、印刷所が差上げます」といったので3部を貰ってきたのだとのべた。また、これは竹谷個人の行為ではなく、外事一課の方針として磯貝が竹谷に命じたものであること、また今後このような行為を引続きやるともやらぬともいえぬ、とのべ、さらに、警視庁外事一課の中にベ平連係りが設けられていることさえも認めた。
本社は、こうした警視庁の言論活動への介入とその自由への圧迫の行為に強く抗議する。現在、公明党による出版活動圧迫が問題になっているが、今回の本誌への行為は、警視庁という権力機関が、その名において行ったものだけに、きわめて重大である。
警視庁がどのように強弁しようとも、彼らが市販よりも10日も前に本誌の内容を知ろうとしてゲラ刷りを求め、そして「話のついでに」「任意提出された」として取次ぎ店にまわる以前の本誌3部を代金を払わずに持ち去ったことは事実であり、これこそ、事実上の事前検閲でなくてなんであろう。
ましてや、その行為を警視庁の方針として公言し、今後の継続をも言外に匂わすにいたっては言語道断である。外事一課は、昨年10月10日の反安保大デモを口実として、翌11日、ベ平連事務所を強制捜索した際、捜査令状もなく本社編集部室をも鍵をこわして立入り捜索しており、本社はそれに対して不法侵入罪、職権乱用罪をもって告訴済みである。この警視庁による「週刊アンポ社」に対する引きつづく不当行為、言論の自由という基本的人権に対する侵害行為にたいし、われわれは再度声を大にして厳重抗議するとともに、全国多数の読者のみなさんにその事態を報告し、ともに警視庁への抗議の行動をおこされるよう訴える。
われわれは今後も、いかなるささいな権利の抑圧、侵害をもみのがさず、本誌の言論活動を通じても、また本社員一人ひとりの活動を通じても、それをはねかえし、「安保フンサイへ、人間の渦巻きを」つくるため努力するものであることを、ここに表明する。
1970年3月23日 有限会社週刊アンポ社」)
私は3月20日、週刊アンポ社から秦野警視総監あての抗議文をもって警視庁を訪れた。外事一課の2人の刑事が私に会った。抗議文を提出しようとしたら、抗議など受ける筋合いはないといって受け取ることを拒否された。私が、「なにもこの文はあなたがたにあげようというのではないのだ、警視総監あてのものだから渡してくれればいい」というと、「私たちは子供の使いじゃない、警視総監も私たちも立場は同じだ、そんなものは受け取れない。私たちは国家の仕事をしていて忙しい身体なんだ。用がそれだけなら席をたちますよ」という大変な答えが返ってきた。とにかくケンモホロロというのはこういうことなんだろう。とりつくしまもない、というのかもしれない。私はあらかじめ名刺を出していた。そこで二人の名前をうかがいたいと聞いた。一人は「吉川さん、私のことはとっくにごぞんじでしょう」といった。たしかに彼は知っている。アンポ社への不法侵入罪、職権乱用罪で私たちが告訴している相手、木下恵刑事である。「あなたは?」私はもう一人に聞いた。「いう必要はない。」「どうしてですか?私のほうは名のっているのですよ。」「必要ないから必要ない。」もう滅茶苦茶である。
「意味論入門」という本で片桐ユズル氏は未開民族の中に、事物と名称を同一視して、名前を知られると命をぬきとられると思い込んでいる種族のあることをのべている。そして片桐氏は、こういう思い込みは往々にしてわれわれの間にもみられると指摘し、それは原始的心性なのだと書いている。まったくこの刑事氏は、名乗ることは国家の仕事で忙しい日本警察官にとって、一大恥辱であるかのごとき様子でかたくなに名をいうことを拒否した。黙秘権ていうのはこんな時にも通用するのかな?
<表現の自由の根本>
ところで、私が今回いいたいことは、言論・出版・表現の自由の根本のことである。警視庁は、職権をもって強制的に「週刊アンポ」をとってきたのではないので、印刷所がくれるといったから貰ってきたまでだ、と強弁している。そして、それが一体なんの言論弾圧なのかと開きなおっている。そうだろうか。たとえば、印刷所に一般の読者が訪ねて、早く読みたいから市販前の見本刷りをくれと頼んだら、印刷所側はどうしただろう?あと3日もすれば店頭に出るからそこで買ってくれといって断ったに違いない。「警視庁司法警察官」の肩書のある名刺を出し、見本刷りを要求したから、印刷所の係員はやむをえず「任意提出」したのだろう。一般の市民にとって、警察とはそれだけの圧力をもっている権力機関なのである。警官はそれを百も承知で任意提出を求めたのだ。こういう空気は、日本の中にますます拡がっている。
たとえば、青森県の県立五所川原農林高校では校長の指示で小田実・小中陽太郎共著「反戦のすすめー高校生とベトナム戦争」(三一書房)がストーブの中に放り込まれ、“焚書”にされた。校長は職権をもって教員に命令したしたのではないだろう。直接本を燃やした教員が「いや校長、思想を燃やすことはできないのです。燃やすのは間違いです。」といったら、彼は教育委員会から職務命令拒否で罰せられるというわけではないだろう。だが、彼はそうはせずに、いわれるままに本をストーブにくべた。こういう空気は、日本の中にますます拡がっているのだ。
<日々の生活の中での闘い>
表現の自由の問題の根本は、こうした条件、生活のすみずみまでおおっているこうした条件にあるのである。今、国会で公明党創価学会による出版の自由の妨害が大問題になっている。この問題を決して過小評価するわけではないが、しかし、ある民社党議員が脅迫電話を受けたといって「国会議員の言論の自由は憲法により保障されているんだ」といきまいた、というような記事を読むと、憲法が保障するところの表現の自由があまりにも矮小化されてしまっていることに暗澹となる。
日々の生活の中にじわじわとおしよせてくる権力による事実上の権利抑圧、権利侵害と闘うことなしに、表現の自由はますます空洞化してゆくことだろう。
「国家の仕事で忙しいんだ」といって抗議の言葉を聞こうともせぬ警官や、「危険な」本は燃やしてしまえば、その思想は煙となり、生徒は立派な国民になると考えているような高校教師、各地にますます増えているこうした野蛮人と闘い、それを増やしている現在の政策と闘うという具体的な日々の闘いに、言論の自由はかかっているのだ。
(つづく)
【お知らせ】
今年(2016年)のブログとホームページの更新は今日で終わりです。
来年は1月6日(金)から更新する予定です。
今まで更新は毎週行ってきましたが、来年はホームページとブログを開設してから10年目の節目の年になります。更新作業もしんどくなってましたので、来年からは隔週更新(2週間に1回)としたいと思います。
これからいつまで続けられるか分かりませんが、できるだけ情報発信していきたいと思っています。
よろしくお願いします。