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そのため、8月1日からライブドア・ブログに引っ越しました。
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引っ越しにともない、過去記事も引っ越しました。
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このブログでは、重信房子さんを支える会発行の「オリーブの樹」に掲載された日誌(独居より)や、差し入れされた本への感想(書評)を掲載している。
今回は、差入れされた本の中から「アラブ革命の遺産」の感想(書評)を掲載する。
(掲載にあたっては重信さんの了解を得ています。)
今回は、差入れされた本の中から「アラブ革命の遺産」の感想(書評)を掲載する。
(掲載にあたっては重信さんの了解を得ています。)
【「アラブ革命の遺産―エジプトのユダヤ系マルクス主義とシオニズム」(長沢栄治著・平凡社刊)】
「アラブ革命の遺産」(長沢栄治著・平凡社刊)を読みました。初めて読んだのは、2016年です。この頃は、2011年に始まったアラブ民衆蜂起が打ち砕かれ、米欧と同盟するサウジやカタールのアラブ王制国家が煽動する宗派戦争が席巻し「イスラーム国(IS)」を生み、それに驚いた米欧・アラブ王政軍が激しく空爆してISを破壊・追いつめていた時でした。
この「アラブ革命の遺産―エジプトのユダヤ系マルクス主義とシオニズム」と題する著作は、2012年3月に発刊されていて、丁度まだエジプト民衆革命の勢いのある時に執筆されているものです。この種の研究書には見られない熱い人間的洞察と心情に溢れていて、大変感動しつつ読みました。これは著者の人柄によるところが大きいかもしれません。帯に「終わりなきサウラのために」(サウラは革命の意)と記されています。
エジプトで共産主義者として革命を求めた多くの人々が王制下で、またナセルの民族革命政権下で、どのように闘い弾圧されたのか、そしてその革命の遺産が、どのようにこの新しい民衆蜂起に活かされるのか。それとも、かつてのような激しい弾圧の辛苦を背負うのか、時代の要請に応えるように執筆されています。「アラブ革命の遺産」として、歴史を俯瞰し1940年代・50年代を闘った、エジプト共産主義運動と、そのリーダーとして闘ったユダヤ教徒出身のエジプト人を中心に捉え返しているのがこの本です。「祖国を追われ世界を祖国として闘った」といわれるインターナショナリストのヘンリー・クリエル(1914~1978)と、ユダヤ教からイスラーム教に改宗しつつ闘った共産主義運動の理論的リーダー、アハッマド・サディク・サアド(1919~1988)の二人の闘い、生活、証言に焦点を当て、著者がエジプト知識人・革命家たちと思想的対話と交流を果たしながら書き上げたのがこの書です。この本は600ページに及ぶ大部なものですが、革命家たちの息吹が伝わるような、その闘いの矛盾・対立・葛藤・獄中での姿など、克明に明かしながら、著者もまたその中で呻吟を共にしつつ書いているように思える本です。
この本の主旨やポイントは、著者によって「アラブ革命が始まってから一年が過ぎた」という書き出しで始まる「まえがき」で、判りやすく示しています。その中で著者は、2011年に始まる民衆革命は、歴史的に半世紀以上前の、1952年、ナセルらの七月革命に始まる変革と、アラブ民族革命の遺産が引き継がれていると捉え、当時実現しえなかった志が今も闘い継がれており、それをアラブ革命の遺産として捉え直すことを自らに課した作業として執筆していることがわかります。
1952年、エジプト革命に始まる植民地支配からの解放と、人間の尊厳と権利を求める闘いがアラブ中を覆い、世界に影響を与えつつ、また、影響を受けながらアラブ民族主義革命が進んだ時代です。こうした革命の時代、若者たちは一人ひとりはどう生きたのか? 1940年代から活躍した人々と時代を掘り起こし、再現しつつ記しています。エジプト共産主義運動のリーダーであるヘンリ・クリエルとアハマド・サディク・サアドの歴史は、エジプトの革命の遺産の実情を示しています。クリエルは1943年、エジプト共産主義運動、民族解放民主運動(DMNL)を創設し、サアドはそのライバルの組織「新しい夜明け派」の指導部に属する理論家ですが、二人のユダヤ人指導者は、パレスチナ問題で正反対の立場に立つことになります。
1947年11月、国連総会のパレスチナ分割決議にソ連が賛成するという、アラブの共産党・共産主義者たちにとって衝撃的なことが起こります。サアドは、アラブ民族主義者同様、分割決議に賛成したソ連に、共産主義者として異議を唱えます。そしてのちにも、ソ連や「外国人(移民してきたユダヤ人など)」の共産主義運動の様々な軋轢の中で、「運動のエジプト化」に尽力していきます。
また、パレスチナの英植民地経済・社会を分析しつつ、反シオニズム・反英を貫きます。一方、クリエルは分割決議を支持するDMNL 路線を創出し、反対を主張する同志と党内矛盾対立に至りつつ闘います。このクリエルの分割案支持は、ソ連への追従というより、シオニズムに対するユダヤ人クリエルの親和性を疑った同志たちによって、1958年3月DMNL から絶縁を宣言されます。クリエルは、その当時既に1950年7月にファルーク王政によって、エジプト国籍を持ちながら「外国人」として国外追放されて、パリでの活動を強いられた中で、同志たちの絶縁という苦境に出会ったのです。クリエルがユダヤ人であり、国外に在って追放の身で指導しようとしたことが反発を生んだ、といえます。クリエルはその後「連帯」という組織を立ち上げて、アルジェリア独立戦争を支持して投獄されながら、南アの反アパルトヘイトの闘いなど、第三世界解放運動に尽力し、1978年6月、パリで暗殺されます。この本の中で、それらが詳細に多様な角度から記されています。
第一部は「アハマド・サディク・サアド論」、第二部は「ヘンリ・クリエルとエジプト共産主義運動」、第三部では「エジプト共産主義運動におけるユダヤ教徒問題」、第四部は「パレスチナ問題とエジプト共産主義運動」、第五部は「アラブ民族革命の時代を生きる」として、「はじめに」の中で概括しています。この第五部は補論的部分と断りながら、二人の革命家について触れています。エジプト・シリアのアラブ連合共和国時代(特に1958年)、激しい反共弾圧の拷問に殺された、誠実なレバノン共産党リーダーのファラジュッラ―・ヘルウを蘇らせています。この本の中で、それは、シリア・レバノン共産党書記長として、40年も君臨し、「ミニスターリン」といわれたハーレド・バクダーシュの正体を露わにし、対比しながら、ハルウの殉難の様子を哀悼をもって伝えています。また、友人でもあるムスタファ―・ティバ(元クリエルの同志で1952年から1964年、フルシチョフの訪エジプトまで獄にあり、闘い続けた革命家)との出会い・交流の中で著者が教えられた様子が率直に記されていて、補論部分はアラブ民族主義政権の強権・拷問・弾圧の中で、革命家たちがどう闘ったのか、学ぶことができます。
とくにナセル政権の評価をめぐって、結局、ソ連の国家外交政策に犠牲を強いられ、解体していった党(1965年3月、ナセル政権支持で、エジプト共産党は自主解党宣言をする)に、共産主義者の矜持をもって闘い続けた革命家の友人、ティバの姿を熱い共感で描いています。1960年代、日本の私たちは唯闘いの突出に力を注ぎ、市民・人民と共に闘えなかった革命をふり返りつつ読みました。
この本に私がとりわけ深い関心を抱いたのは、海外の私たちの1974年、闘いの中で交差したヘンリ・クリエルについて、その生い立ちや、共産主義者としてのエジプト時代を深く知ることができたためでもあります。クリエルは、何故あの時パレスチナ解放闘争支援を他の第三世界への尽力と比べて、躊躇したのか? 当時の疑問が、この本を読んで納得できるようになりました。
ヘンリ・クリエルは、初期のエジプト共産党を創ったユダヤ人であることを、1974年、私たちが彼らと出会った頃から知っていました。彼らの組織「連帯」はその多くを地下組織化して第三世界の解放闘争を支持していました。当時の第三世界の解放闘争は常に暗殺に晒されるなど厳しい中にあり、彼らの兵站を支えるためにはそうせざるをえなかったのです。クリエル本人もファルーク王政から外国人として追放されながら、そしてアルジェリア解放闘争を支持してパリで投獄されながら、ひるまず南アやアフリカの闘いもまた支えていました。私たちと接触するようになった折「連帯」は欧州では自国政府打倒の闘いは行わない、支持しないことが第三世界革命支援のために必要なことであり、欧州の武装グループには協力しないという立場を明確にしていました。その上でパレスチナ解放の武装闘争にはコミットしない、これまでしてこなかったという立場を取っていました。「第三世界革命支援」と言いつつ、なぜパレスチナ解放闘争は支援しないのか? ユダヤ人との対立にはモサドが介入し、仏・欧州での活動に支障が出るという風にこちらは理解していました。PFLPの国際遊撃戦には共闘しませんでしたが、結局私たちに対しては国際主義の立場からいくつかの兵站的な支援をしてくれました。
しかし74年に私たちの活動の過ちから、いわゆる「パリ事件」といわれる日本人・外国人の大量逮捕に至り、クリエルの仲間にも小さくない被害を与えたばかりか、クリエルが「テロリストの親玉だ」とか「KGBの手先だ」といった大キャンペーンに晒される結果をもたらしました。私たちは政治的にもまた技術的にもあまりに未熟でした。クリエルらはユダヤ人・イスラエル人とPLOらパレスチナ人の政治対話の回路をML主義者こそ開くべきだと考えていたと思います。当時の情勢もまた私たちも議論を受けとめうる程成熟していませんでした。その後すっかり厳しくなった条件の中「連帯」は活動を続け、78年5月4日クリエルは自宅アパートのエレベーターから玄関ホールへ降りたところで2人組の男たちによって射殺されました。誰がクリエルを殺したのか? モサド、仏右派の秘密軍事組織OAS,さらにはアブニダールによる殺害まで、当時衝撃的に犯人像が語られました。私はアブニダールに直接聴き、彼らではないと理解しました。それにアブニダール派は暗殺を誇示し隠したりはしません。モサドの仕業だろうと考えました。私たちの失敗、あやまちのためにクリエルらを危険に晒してしまった結果、クリエルの死を招いた責任の一端を負っていると反省して、友人組織を通して追悼を伝えました。今回この本によってクリエルの個人史を読み(当時のエジプトの億万長者のファミリーのユダヤ人子弟は仏の学校に通い、生活も仏人的でアラビア語も不十分で「外国人」という実体だったのも知りました)祖国を追われたスファルディのユダヤ教徒の彼が、ユダヤ人共産主義者として組織したパレスチナとイスラエルの民衆の側の対話が、モサドのクリエル抹殺につながったのだろうと改めてその思いを強くしています。革命を担う人々の人間的側面を革命の遺産として伝える希有な良書としてこの「アラブ革命の遺産」を再読しています。 (2018年12月6日記)
【内容説明】(紀伊国屋書店サイトより)
国家にも、民族にも、宗教にもとらわれずパレスチナ問題に直面しつつ公正な社会のために闘った国際的な活動家クリエルと改宗した知識人サアドの苦難の生。
目次
第1部 アハマド・サーディク・サアド論(ユダヤ教徒エジプト人とマルクス主義―アハマド・サーディク・サアドの場合;アハマド・サーディク・サアドと民衆的思想)
第2部 ヘンリ・クリエルとエジプト共産主義運動(クリエル問題とは何か;家族と文化的背景;エジプト共産主義運動の「第二の誕生」;組織の統一から分裂、そして弾圧へ;その後のクリエル)
第3部 エジプト共産主義運動におけるユダヤ教徒問題(『証言と意見』資料に見る外国人・ユダヤ教徒指導部問題;組織統一と指導部の非ユダヤ化をめぐる問題―『証言と意見』資料から)
第4部 パレスチナ問題とエジプト共産主義運動―サアドとクリエル(パレスチナ問題の展開―一九二〇年代から第二次世界大戦期まで;国連パレスチナ分割決議とエジプト共産主義運動;アハマド・サーディク・サアド『植民地主義の爪に捕われたパレスチナ』)
第5部 アラブ民族革命の時代を生きる(アラブ共産主義者の殉難;砂漠の政治囚収容所からの手紙―ムスタファー・ティバさんとの交友)
著者等紹介
長沢栄治[ナガサワエイジ]
1953年山梨県生まれ。東京大学経済学部卒業。東京大学東洋文化研究所教授。専門は近代エジプト社会経済史(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
【お知らせ その1】
「団塊/全共闘世代の未来と課題?続全共闘白書アンケートを素材に」
(9・16続全共闘白書シンポジウム)
続全共闘白書アンケートへのご協力ありがとうございます。
お蔭さまで、430超の回答が寄せられ、年内の出版化をめざして編集作業に入っています。
その「先触れ」として、アンケート結果を素材に、以下のシンポジウムを開催しますので、ぜひご参加下さい。
■9月16日(祝)13:30(開場13:00)~15:30
■帝京平成大学池袋キャンパス(豊島区東池袋2-51-4)
■概要 全共闘世代は高齢社会の厳しい現実をどう受け止め、どんな覚悟で「社会的けじめ」をつけようとしているのか? アンケート結果を素材に、上の世代、当事者である団塊・全共闘世代、その下の団塊ジュニアの三世代クロストークによって、「団塊/全共闘世代の未来と課題」を読み解き、次世代への提言とします。
■パネリスト:落合恵子(作家)、阿部知子(小児科医、衆議院議員)、若森資朗(元生協理事長)、小杉亮子(社会学者)
■コーディネーター 二木啓孝(ジャーナリスト)
■参加費 1000円(資料代を含む)
*詳細は添付のチラシをご覧下さい。
<問い合わせ先>
続・全共闘白書編纂委員会(事務局・前田和男)
〒113-0033 東京都文京区本郷3-24-17ネクストビル402ティエフネットワ-ク気付
TEL03-5689-8182 FAX03-5689-8192
メールアドレス aef00170@nifty.com
【お知らせ その2】
「糟谷プロジェクトにご協力ください」
1969年11月13日,佐藤訪米阻止闘争(大阪扇町)を闘った糟谷孝幸君(岡山大学 法科2年生)は機動隊の残虐な警棒の乱打によって虐殺され、21才の短い生涯を閉じま した。私たちは50年経った今も忘れることができません。
半世紀前、ベトナム反戦運動や全共闘運動が大きなうねりとなっていました。
70年安保闘争は、1969年11月17日佐藤訪米=日米共同声明を阻止する69秋期政治決戦として闘われました。当時救援連絡センターの水戸巌さんの文には「糟谷孝幸君の闘いと死は、樺美智子、山崎博昭の闘いとその死とならんで、権力に対する人民の闘いというものを極限において示したものだった」(1970告発を推進する会冊子「弾劾」から) と書かれています。
糟谷孝幸君は「…ぜひ、11.13に何か佐藤訪米阻止に向けての起爆剤が必要なのだ。犠牲になれというのか。犠牲ではないのだ。それが僕が人間として生きることが可能な唯一の道なのだ。…」と日記に残して、11月13日大阪扇町の闘いに参加し、果敢に闘い、 機動隊の暴力により虐殺されたのでした。
あれから50年が経過しました。
4月、岡山・大阪の有志が集まり、糟谷孝幸君虐殺50周年について話し合いました。
そこで、『1969糟谷孝幸50周年プロジェクト(略称:糟谷プロジェクト)』を発足させ、 三つの事業を実現していきたいと確認しました。
① 糟谷孝幸君の50周年の集いを開催する。
② 1年後の2020年11月までに、公的記録として本を出版する。
③そのために基金を募る。(1口3,000円、何口でも結構です)
(正式口座開設までの振込先:みずほ銀行岡山支店 口座番号:1172489 名義:山田雅美)
残念ながら糟谷孝幸君のまとまった記録がありません。当時の若者も70歳代になりました。今やらなければもうできそうにありません。うすれる記憶を、あちこちにある記録を集め、まとめ、当時の状況も含め、本の出版で多 くの人に知ってもらいたい。そんな思いを強くしました。
70年安保 ー69秋期政治決戦を闘ったみなさん
糟谷君を知っているみなさん
糟谷君を知らなくてもその気持に連帯するみなさん
「糟谷孝幸プロジェクト」に参加して下さい。
呼びかけ人・賛同人になってください。できることがあれば提案して下さい。手伝って下 さい。よろしくお願いします。 2019年8月
「糟谷プロジェクトにご協力ください」
1969年11月13日,佐藤訪米阻止闘争(大阪扇町)を闘った糟谷孝幸君(岡山大学 法科2年生)は機動隊の残虐な警棒の乱打によって虐殺され、21才の短い生涯を閉じま した。私たちは50年経った今も忘れることができません。
半世紀前、ベトナム反戦運動や全共闘運動が大きなうねりとなっていました。
70年安保闘争は、1969年11月17日佐藤訪米=日米共同声明を阻止する69秋期政治決戦として闘われました。当時救援連絡センターの水戸巌さんの文には「糟谷孝幸君の闘いと死は、樺美智子、山崎博昭の闘いとその死とならんで、権力に対する人民の闘いというものを極限において示したものだった」(1970告発を推進する会冊子「弾劾」から) と書かれています。
糟谷孝幸君は「…ぜひ、11.13に何か佐藤訪米阻止に向けての起爆剤が必要なのだ。犠牲になれというのか。犠牲ではないのだ。それが僕が人間として生きることが可能な唯一の道なのだ。…」と日記に残して、11月13日大阪扇町の闘いに参加し、果敢に闘い、 機動隊の暴力により虐殺されたのでした。
あれから50年が経過しました。
4月、岡山・大阪の有志が集まり、糟谷孝幸君虐殺50周年について話し合いました。
そこで、『1969糟谷孝幸50周年プロジェクト(略称:糟谷プロジェクト)』を発足させ、 三つの事業を実現していきたいと確認しました。
① 糟谷孝幸君の50周年の集いを開催する。
② 1年後の2020年11月までに、公的記録として本を出版する。
③そのために基金を募る。(1口3,000円、何口でも結構です)
(正式口座開設までの振込先:みずほ銀行岡山支店 口座番号:1172489 名義:山田雅美)
残念ながら糟谷孝幸君のまとまった記録がありません。当時の若者も70歳代になりました。今やらなければもうできそうにありません。うすれる記憶を、あちこちにある記録を集め、まとめ、当時の状況も含め、本の出版で多 くの人に知ってもらいたい。そんな思いを強くしました。
70年安保 ー69秋期政治決戦を闘ったみなさん
糟谷君を知っているみなさん
糟谷君を知らなくてもその気持に連帯するみなさん
「糟谷孝幸プロジェクト」に参加して下さい。
呼びかけ人・賛同人になってください。できることがあれば提案して下さい。手伝って下 さい。よろしくお願いします。 2019年8月
●糟谷プロジェクト 呼びかけ人・賛同人になってください
呼びかけ人 ・ 賛同人 (いずれかに○で囲んでください)
氏 名 (ペンネーム )
※氏名の公表の可否( 可 ・ 否 ・ペンネームであれば可 ) 肩書・所属
連絡先(住所・電話・FAX・メールなど)
<一言メッセージ>
1969糟谷孝幸50周年プロジェクト:内藤秀之(080-1926-6983)
〒708-1321 岡山県勝田郡奈義町宮内124事務局連絡先 〒700-0971 岡山市北区野田5丁目8-11 ほっと企画気付
電話 086-242-5220 FAX 086-244-7724
メール E-mail:m-yamada@po1.oninet.ne.jp(山田雅美)
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氏 名 (ペンネーム )
※氏名の公表の可否( 可 ・ 否 ・ペンネームであれば可 ) 肩書・所属
連絡先(住所・電話・FAX・メールなど)
<一言メッセージ>
1969糟谷孝幸50周年プロジェクト:内藤秀之(080-1926-6983)
〒708-1321 岡山県勝田郡奈義町宮内124事務局連絡先 〒700-0971 岡山市北区野田5丁目8-11 ほっと企画気付
電話 086-242-5220 FAX 086-244-7724
メール E-mail:m-yamada@po1.oninet.ne.jp(山田雅美)
<管理人注>
野次馬雑記に糟谷君の記事を掲載していますので、ご覧ください。
1969年12月糟谷君虐殺抗議集会
野次馬雑記に糟谷君の記事を掲載していますので、ご覧ください。
1969年12月糟谷君虐殺抗議集会
http://meidai1970.livedoor.blog/archives/1365465.html
【お知らせ その3】
ブログは隔週で更新しています。
次回は9月13日(金)に更新予定です。