重信房子さんを支える会発行の「オリーブの樹」という冊子には、重信さんの東日本成人矯正医療センター(昭島市)での近況などが載っている。私のブログの読者でこの冊子を購読している人は少ないと思われるので、この冊子に掲載された重信さんの近況をブログで紹介することにした。
当時の立場や主張の違いを越えて、「あの時代」を共に過ごした同じ明大生として、いまだ獄中にある者を支えていくということである。
今回は「オリーブの樹」156号に掲載された重信さんの獄中「日誌」の要約版である。(この記事の転載については重信さんの了承を得てあります。)
(前略)
9月1日 今日は教育プログラムの日。講師の話から彼の専門分野など含めて、いろいろなことを学びます。また、講師はある賞を先日受けて、その授賞式のスピーチで、私の「改善教育」に関わっていることに触れて述べられたそうです。自分も知らないうちに警察・マスコミ報道の側から私をとらえていたこと、会って話し、本を読み、違う人物として理解したこと、世の中の情報に乗っかってしまうと、事実のようにそれを受け止めてしまう教訓と反省として語ったとのこと。真摯な師の姿勢にありがたく、うれしく感じました。
夕方Nクンからお便り。来年元気で出てきてほしいと。もう何年も前から連絡をと思っていたとのことです。Nクンは覚えているかな……70年6月ごろのこと。現思研が赤軍派への参加で大学から出て行ったあと、学苑会で党派の内ゲバでひどい。何とか打開しなければ、NクンやKクンらが研究部連合会(研連)として対案を出すことにした時のことを私もそれを勧め、助言しました。Nクンに誘われてその作戦会議へ。どこだったか、誰かのアパート(中野か杉並か?)靴一杯の狭い入口からたくさんの仲間たちが話会っていました。私は大会にもオブザーバー席から下級生たちの活躍、対案勝利K委員長選出を見届けたのが、明大 に足を運んだ最後です。Nクンは和尚が法要に来ていることを知っているのかわかりませが、とても嬉しいお便りです。でも私から返事出せないのが申し訳ない。
(中略)
9月10日 腱鞘炎を悪化させつつ、作業も書き物もして、今日更に痛み。入浴後、湿布を貼ってもらって、少し良い。
「民主的アラブの国への道」チュニジア近現代史とブルバギ(鹿島正裕著)「NO NUKES VOICE 20」「テオリア」長船さんの一文、水谷さんのミャンマー問題など届きました。長船さんは、若宮さんのことと合わせて、誌的な文でふうさんを追悼しています。若宮さんが71年秋に赤軍旅森指導部を批判しながら、アラブに来たいと連絡を受けたのを思い出します。赤軍派と分派闘争になりたくなかったので、本当は訓練のために来てほしかったけど、断わろうと奥平さんと決めました。M君からの手紙だったので、率直に書いたのです。彼が来ていたら、奥平さんたちと一緒に、リッダ闘争に参加したかもしれないと思います。そういう志の人ですから。
水谷さんの論文「日本政府・官僚・財界はミャンマー軍部クーデターの共犯者一日本のミャンマー政策の植民地主義的実態と本質を糾明する」を読んでいるところです。ミャンマーに対する戦前の植民地支配が続いている姿を、歴史的に解明し、具体的に記していてとても学習になります。ミャンマー軍の軍産複合利権集団は、エジプトのシーシ政権と軍に、とても似通っています。人民の要求に虐殺で答えることも。日本政府は対抗的に中国に対峙すべく、ミャンマーに肩入れし、その中枢当事者たちは大東亜共栄圏並みのミャンマー利用の姿が水谷論文に示されています。そして、ミャンマーの挙国-致政府・人民防衛隊を支持し、 ミャンマー人民に支援・連帯をと訴えています。ミャンマーの置かれている位置、日本政府の戦略の一端をよく学べます。
(中略)
9月16日 昨日、りんどうの白とピンクの2本、ケイトウのオレンジ色と赤の2本が届きました。今日はサブラ・シャティーラ難民キャンプ虐殺のあの82年イスラエルベイルート侵略を思い出します。イスラエル軍とモサドが力づくで大統領にすえたブシール・ジャマイエルが大統領就任式直前に爆殺され、怒り狂ったシャロン国防相の指揮で停戦下の西ベイルートにイスラエル軍突入。シャティーラキャンプを包囲して、ブシールの軍隊レバニーズ・フォース(LF)をキャンプに入れ、 数千人を16日~18日までの間虐殺させた日。 39 年目の今日なので、和尚の法要に追悼に加えてもらいました。「ノーニュークスボイス」29号を読んだところです。元福井地裁の裁判長で画期的判決を下した樋口英明さん、3・11前に2006年3月金沢地裁で日本で初めて北陸電力志賀原発の運転差し止めの判決を下した裁判官で、現弁護士の井戸謙一さんのインタビューはとても読みごたえがあります。こういう主体的な裁判官が今後も出て来ることを期待しつつ読みました。
(中略)
9月28日 朝から快晴です。珍しく運動でベランダヘ。
今日は9・28第二次インティファーダから21年目です。ダッカ闘争の始まりも9月28日。44年前でした。私が生まれたのもこの日で、76年前です。みんなに助けられながら生きてきたなあ… と青空を見上げつつ、逝去された方々含め、多くの友人たちへの感謝がこみ上げてきます。
今日は、誕生日を祝って下さった方々のお便りや、丁度いろいろ送って下さったものなど重なって、獄で迎えた最後のバースデイとして、きっと思い出すだろう…と考えつつみんなの暖かいお便りなど受け止めました。来年の出所、みんなに迷惑をかけず、どう支え合って生きていけるだろうか…。心配よりもわくわくで困ります。真面目に考えねば!来年のバースデイは自由に乾杯したいです。
(中略)
9月29日 今日は教育プログラムの受講日で、 外部の講師の話の最終日です。出所後の助言を伺い、いくつもの示唆を頂きました。ご講師は、私の生きてきた経験を活かして、生命(いのち)を大切にする生き方を次の世代に語ってほしい。当初は、世間には嫌な思いや非難もあると思うけど、真摯な対話は良い結果をもたらすだろうと、助言してくださいました。この間、獄で初めて対話が成立するという稀な経験の中で語る機会があったこと、更に出所後も自分の生き方―失敗も過ちも楽しかったこともーを語ることを勧めて下さったこと、とても有意義な時間を持つことが出来ました。(中略)
今日は教育のあとコーラスに少し遅れて参加。「川の流れのように」のあと、ハンドベルで「きらきら星」をみんなで演奏。最後は「花は咲く」。
9月30日 夕方Mちゃんから暖かいお便りにニンマリです。「お誕生日おめでとうございます!来年はメイちゃんと一緒に楽しみに」と。おいしそうなスイーツの写真を送ってくれました。「かんざらし」という長崎・島原の伝統的なスイーツとか。出所したら「かんざらし」を作ってくれるとのこと。白玉粉に少し砂糖と水を入れ白玉団子をつくり、ざらめ糖と蜂蜜の蜜を入れて氷水冷蔵庫でキンキンに冷やすのが「かんざらし」。あっさりとしておいしそう!
Mさんによると、コロナで若い人が釜の労働センターの手配師の仕事をしているようで、離職と貧困は深刻のようです。釜の組合は対応に懸命とのこと。
監獄人権センターのニュースレターでは、獄中者のカルテ開示訴訟、被収容者の医療を受ける権利など、最高裁判決の解説、学習になります。刑事施設のコロナ感染状況も出ていて、当東日本矯正医療センターも職員の感染多い!4/14~4/25 二人、6/14~6/20一人、8/2~8/8 一人、8/23~8/29 一人、8/30~9/5一人と。(法務省のウェブサイトで毎月曜に発表)。受刑者患者の当センター感染者はいません。
10月8日 54年前のような青空です。ちょうど「10・8プロジェクト」からの資料も届きました。
“弁天橋悼み置かれし白百合に無数の我らの夢の象(かたち)見ゆ”
“落暉浴び血色に染まる弁天橋砕かれし理想(ゆめ)赤く燃えたつ”
「10・8プロジェクト」への連帯として詠みました。
今日は、分類課より、仮釈放に関する「申告書」の書類を書くよう指示されました。自らの犯罪についての考えなど記す書面です。「公安事犯には仮釈はないのに書くのですか?」と聞くと、義務なのだそうです。ハーグ事件の無罪主張など記し、また出所後の展望なども書きました。 (中略)
10月12日 今日は、和尚の法要面会です。日蓮御会式の法華経の由来の話をききました。またもう半世紀をはるかに越えた「10・8」も法要して頂きました。工場から戻って、入浴や診察や宅送便送りなどのバタバタもなく、今月はゆったり。と思っているところに、オリーブの樹155号が届いてとても嬉しい。編集室に感謝しつつ読み始めました。(中略) 元中核派のリーダーのMさんからのお便りに。「カクマルは別にしても、かつての三派、五派、八派という共闘関係をもっと大切にし、大事に維持していくという意識性が、当時の私たちにあれば、ラジカル左翼の運動も少しはちがった発展をとげたかもしれないと、今さらながら無念の思いです」とあります。後世への教訓だけは、明確にさせておきたいと記しています。
(中略)
10月14日 当センターのディスクジョッキーが月一回あるのですが、私は作業に時間を取られて、ラジオを聞いていないのです。「どんな風なの?」と聞いたら、患者や経理さんと呼ばれる懲役で当センターで配膳・掃除など働いている人たちからの投稿文を読みあげて、リクエスト曲をかけてくれるのだそうです。投稿「小さなしあわせ」の話は、週一回黄粉が土曜日の朝食に出るのですが、その中に時々、砂糖の固まり(と言ってもほんとに小さい)があると嬉しくて小さなしあわせを感じます、という内容だったとか。ふうーん、そっか・・・と、驚きつつみんな楽しみを見つけようとしているのだと納得した私です。(中略)
10月18日 工場作業の午前中、30分ベランダで運動です。寒く風が強い。もう秋なのを実感。景色が見えないので、青空のうろこ雲で感じる秋です。午後10月の花届きました。すすき三本、りんどうピンク色一本、赤鶏頭一本、野菊白一本病房に飾ると秋らしくなりました。(中略)
10月23日 資料整理をしていたら、前に小林さんが送って下さった74年の父の週刊誌のインタビュー記事。「世の中は革命なしにこのカネ、権力欲、地位保全の腐りきった社会は三木内閣でもよくならない」「例の三菱重工とか大成建設とかは世の中を革めようとする連中の仕業だと思う。もしそうなら僕はああいう行動を認めますね。僕は三菱重工の爆破事件を道義的に批判しようとは思はないんだ」と述べています。なるほど父らしいと思いつつ読んで、あれこれ思い出しています。リッダ闘争も道義的批判をナンセンスと言っていた父です。
10月26日 今日「明日、第一回目のワクチン接種が行われる」と告げられました。そのため、午前中は、ワクチン接種のため、居室で9:00~11:50まで作業。その間にワクチン。昼食後は、工場に出て、刑務作業とのことです。あすの予定のコーラスは、11月に延期になります。
10月27日 刑務作業を始めてすぐのころ、9:30くらいに問診察の再確認を医師が行い、その後10時ころ、病棟の各室に看護師が順次、ワクチン接種を行いました。作業を少し体むようにとの指示。その後、3回、看護師が「体調変化ありますか?」と、チェックに来で下さったが、とくに異常なし。作業を11時15分位で打ち切り、室内体操30分。昼食へ。 12晦半から、工場に移動して15:00まで。帰房後、看護師が体温とパルスオキシメーター測定。その後主治医が来室して、「体調変化ないか?」とたずねて下さった。「利腕にしたの?」と、ちょっとびっくりして腕が上がらなくなったりするので通常左腕にした方が良 いと助言して下さった。今日よりも明日から2、3 日腕が膨れる可能性を伝えて下さいました。
(中略)
10月28日 大谷弁護士の久しぶりの面命。出所が近づいたせいか、先生の方にいろいろな要望が届いているようです。出版や取材など、今後検討していくことにしました。マスコミ関連は大谷弁護士に、公判時同様対応していただきたいとお願いしました。
10月29日 千夏ちゃんの新著「ふむ、私は順調に老化している」読み終えました。伊豆新聞に週一回、写真とコラムを連載して10年。その中のセレクションで2020年春「マスクが消えた」から、2021年夏「オリンピックと戦争」が載っています。今を生きる、という意味で「ただいま」の身辺雑記コラムで、時事、庭の花の観察や思いついたことや子役時代と自由で含蓄のある文が魅力です。凛として素直で、理に叶っている論を謙虚に身にひきつけて語っているのがとてもいい。「そうそう」と思いながら読み終えてしまいまし た。
(中略)
11月8日 今日は「逮捕記念日」です。長い道のりだった筈ですが、ふり返る21年間は、短く感じます。あの日から今日まで多くの人々に支えられながら、命をつないで来年は出所出来そうです。支えて下さったみんなに感謝しています。あの日の被害を与えてしまった方たちや、その影響を受けた人たちに改めてお詫びします。そしてこの21年の間、支え励まして頂きながら再会の感謝もお詫びも伝えることが叶わないまま、数えると30 人を超す人々を彼岸へ送ってしまいました。是非会って話したかったひとりひとりの顔が浮かびます。この日は自分をふり返ると共にそれらの方々を悼む日としています。
そんな夜、丁度私の原稿「遠山美枝子さんへの手紙」(以下「手紙」)に対して、遠山さんの御家族の諒解をとっていないことを、ある人から指摘、批判されて、初めて気付きました。批判されて初めてその配慮が欠けていたこと、礼儀も思いやりも欠き、思い及ばなかった浅慮を恥じています。まったく申し駅ないことをしました。遠山さんが辱められたままであってはならないと、一方的な考えで御家族の諒解を得るという発想すら欠けていたのです。リッダ戦士たちのことを書く思いと同じように…。心を込めて書いたつもりでしたが、その意味も失わせてしまいました。
11月9日 十一月の御題は「十一月」です。
“車窓より黄金色の稲架見つめ生き直そうと誓いし霜月”
これは逮捕され、新大阪から東京へ連行される新幹線(車掌ルームで男女2人ずつの付き添い)の車窓から次々と流れるみごとな稲架に感動していた日のことです。「ようし、これからは本名で生き直そう。それまで何十年も封印してきた本名の上になりたつ自分自身を育てよう、学ぼう!」と決めた11月8日の日を詠んだものです。
“稲架の季節十一月のフクシマのコンバインが刈る稲棄てるため”
これは新聞で読んだ試験的に育てられた稲の放射能汚染度を測って廃棄するためのコンバ インを知ったためです。その一首です。
11月10日 今日2回目のコロナワクチンの問診票の書き込みをしました。来週から2回目がはじまるのかと思います。本や資料届きました。(中略)
11月11臼 (中略)瀬戸内寂聴さんが逝去されたニュースを聞きました。先日、大谷弁護士が面会に見えた析、「出所したらすぐ寂聴さんのところに行きましょう」と言われて、ひとしきり寂聴さんの話をしたところでした。5月15日、沖縄の日であり、ナクバの日が誕生日の寂聴さんに、百才の祝を少し遅れて伝えましょうと。何度も東京拘置所に面会に来て下さり、大阪の医療刑務所で、初めての癌の手術を終えた直後にも面会にみえて励まして下さいました。心は自然体で、ずっと自分の意志を貫いてきた人の余裕と思いやり、他者の喜びを自らの喜びとする人です。革命的心情に共感しました。それに、面会室に入ってくる時の、スキップでもしそうな若々しい急ぎ足で、強化ガラスに手をあてて、にこっと「元気?!」って、寂聴さんは少女のような初々しさと同時に庵主の慈愛のあふれた方でした。きっとたくさんの友人と彼岸で会い、また、好きな書きものを続けることでしょう。天寿を全 うされたことを祝しつつ御冥福を祈ります。
11月17日 ワクチン2回目接種。朝医師が、最後の問診票記入に巡回し、「2度目の方が副反応が強いですよ」とおっしゃっていました。その後10時前、看護師のワクチン接種、とくに変化は感じられず、工場作業へ。昼食後12時半より少し膨れた程度。左腕にしたので作業にも支障はありません。
11月18日 この間パレスチナの危機的な厳しい現状が伝えられています。一つは、10月22日、ガンツ国防相が、パレスチナの市民団体(国際NGO含)6団体を「テロ組織」として指定したとのこと。実際の「非合法化」にあたります。パレスチナ市民社会の土台を解体しようとする行為であり、その団体がイスラエルにとって脅威であることを証明しています。口実は、PFLPとの関係があるということにすぎず、何の証明もなく、いいがかりです。六団体とは、①アルハク・人権NGO ・法と人権保護、イスラエルの戦争犯罪告発など、② ビザンセンター・貧しい人々の救済・社会的政的市民的権利の擁護、③国際児童防衛(デイフェンス・フォー・チルドレン・インターナショナル)はパレスチナの子どもたちの法的サービス(DCIP)や、国際的擁護、④農業労働委員会(UAWC)パレスチナの農民の権利や農業の発展のための団体、⑤アダミア。獄中者支援と人権を守る団体、⑥パレスチナ女性委員会連合(UPWC)パレスチナの女性差別なき社会をめざすフェミニスト団体です。
また、今日の新聞で、ブリュッセルで行われている先進国によるUNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)国際会議(スウェーデンとヨルダン主催)で今年の予算の不足を埋められない危機にあり、「解決策をみつけなければ組織崩壊の危機にある」と事務局長が訴えています。イスラエル政府は、この国連人道機関を敵視し「政治的組織だ」と、拠出金支払いをやめるよう訴え、トランプ政権が全面停止したことも影響しています。
UNRWAの始まりには、イスラエルが1948~49 年国連難民機関がパレスチナ難民の対応に当たることに反対し(この機関の基本が故郷へ帰還させることから)人道支援、非政治的機関としてUNRWAの設立に至った歴史があります。パレスチナ人の帰還を阻止すべく動く米国はイスラエルに呼応して、UNRWAで難民の固定化に援助を大幅にしてきた歴史があります。アラブ諸国は当初UNRWAの設置が難民の固定化になると反対し帰還権を棚上げにしないという条件でしぶしぶ同意しました。今ではイスラエルが中東での地位を安定できたし、UNRWAへの関与もへらしたいのでしょう。加えて、イスラエルとの国交樹立を批判されている湾岸諸国からの拠出金が減っているのも響いているようです。何よりも「パレスチナ難民問題の解決」をこそはかるべきなのです。
ナクバ時代、国連統計だけでも72万5千人といわれたパレスチナ難民は今年のアッバース国連演説によるとすでに700万人に至っています。パレスチナ問題を避けて中東に決して平和は作られません。
(中略)
11月26日 免業矯正指導日。今日はDVDで「ゼロからの風」(塩屋俊監督・田中好子主演)の交通事故で愛息19才を喪くした母の闘いを観ました。危険運転の交通事故致死傷の刑法改正をかちとる闘い。加害者の謝罪に「死ぬまで許すことはない」という言葉が胸に残りました。
11月30日 11月尽。ちょうど50年前、連合赤軍による雪山での共同訓練がこの頃から始まりました。団結を求めつつ、客観社会を喪失し、主観的な「団結」と「総括」によって、「個の強化を求め、組織を個々に解体させて、死へと突き詰めて行った50年前のはじまりです。そして新年には一つの新党を結成しました。この新党の処罰による「共産主義化」は、繰り返し死をもたらし、破産していきました。この過ちに満ちた中であったとはいえ、純粋・純情な革命精神は強いられた対権力への挑戦として、死力を尽くしてあさま山荘での闘いに至りました。真心を尽くして革命家であろうとした思い。何が何だかわからない「総 括」の混迷の中で必死に革命を求め、権力と闘おうと対峙し続けた同時代の仲間たちを思うと、悼みと哀しみが湧きます。連合赤軍事件の犠牲が革命の財産になりきれていないことが、この哀しみの極みです。
(終)
【お知らせ その1】
『「全共闘」未完の総括ー450人のアンケートを読む』
全共闘運動から半世紀の節目の昨年末、往時の運動体験者450人超のアンケートを掲載した『続全共闘白書』を刊行したところ、数多くのメディアで紹介されて増刷にもなり、所期の目的である「全共闘世代の社会的遺言」を残すことができました。
しかし、それだけは全共闘運動経験者による一方的な発言・発信でしかありません。次世代との対話・交歓があってこそ、本書の社会的役割が果たせるものと考えております。
そこで、本書に対して、世代を超えた様々な分野の方からご意見やコメントをいただいて『「全共闘」未完の総括ー450人のアンケートを読む』を刊行することになりました。
「続・全共闘白書」とともに、是非お読みください。
執筆者
<上・同世代>山本義隆、秋田明大、菅直人、落合恵子、平野悠、木村三浩、重信房子、小西隆裕、三好春樹、住沢博紀、筆坂秀世
<下世代>大谷行雄、白井聡、有田芳生、香山リカ、田原牧、佐藤優、雨宮処凛、外山恒一、小林哲夫、平松けんじ、田中駿介
<研究者>小杉亮子、松井隆志、チェルシー、劉燕子、那波泰輔、近藤伸郎
<書評>高成田亨、三上治
<集計データ>前田和男
定価1,980円(税込み)
世界書院刊
(問い合わせ先)
『続・全共闘白書』編纂実行委員会【担当・干場(ホシバ)】
〒113-0033 東京都文京区本郷3-24-17 ネクストビル402号
ティエフネットワーク気付
TEL03-5689-8182 FAX03-5689-8192
メールアドレス zenkyoutou@gmail.com
【1968-69全国学園闘争アーカイブス】
「続・全共闘白書」のサイトに、表題のページを開設しました。
このページでは、当時の全国学園闘争に関するブログ記事を掲載しています。
大学だけでなく高校闘争の記事もありますのでご覧ください。
【学園闘争 記録されるべき記憶/知られざる記録】
続・全共闘白書」のサイトに、表題のページを開設しました。
このペ-ジでは、「続・全共闘白書」のアンケートに協力いただいた方などから寄せられた投稿や資料を掲載しています。
知られざる闘争の記録です。
【お知らせ その2】
ブログは概ね隔週で更新しています。
次回は2月11(金)に更新予定です。