このブログでは、重信房子さんを支える会発行の「オリーブの樹」に掲載された日誌(独居より)や、差し入れされた本への感想(書評)を掲載している。
今回は、差入れされた本の中から「七転八倒百姓記一地域を創るタスキ渡し一」の感想(書評)を掲載する。
なお、重信さんは明日(5月28日)出所予定のため、「獄中書評」は今回が最終回となる。
(掲載にあたっては重信さんの了解を得ています。)
【『七転八倒百姓記一地域を創るタスキ渡し一』(現代書館刊)】
「七転八倒百姓記」を読みました。
とても感動的な本を読み終えました。「七転八倒百姓(菅野芳秀著・現代書館)です。山形の農家に生まれた著者、191cmの体格の人。大学に行ける余裕のない高校3年の時、何気なく新聞をめくっていて「朝日新聞奨学生募集」という広告をみつけます。学費がほとんど免除され、衣食住も保障される!と。一から勉強し、両親に4年間自由にしてくれと説得して、新聞配達しながら勉強可能な農学部をめざし、68年明大農学部に合格します。68〜69年冬、明大も東大闘争などの学生運動さかんな中で、新聞配達業務と農学部(神奈川•生田)の往復3時間でほとんど活動に参加できなくても、当時の生田校舎の3分の1くらいが何らかの形で集会・デモに参加する政治の季節を自分も身近に感じていたと著者。
農学部の授業や実習も「やがて日本は大きな卜ラクターで大面積をこなす農業が主流になっていくという」授業を受け「村があっての農民の暮らし、農業はどうなるのか?農業政策の中に農業のための政策がない」。工業系の利益発展のため利用する視点の農業農村政策に疑問を持ちます。勉強、政治と新聞配達の時間の調整がつかず、3年になるとき新聞販売店を辞めた。経済的見通しなく、学生寮に住み日雇い労働で稼ぎ勉強。当時の私の周りに居た学友たちの姿が浮かびつつ読み進めました。
そして成田闘争と出会う。農家の息子であるが故に強烈に国家の一方的なやり方に代々暮らす農民の抵抗の姿をTVで見て、いたたまれず成田へ。それからはまっしぐらに成田闘争のために、明治大と近所の玉川大、和光大と三大学三里塚共闘をつくり闘い、71年一坪共有地を守る砦を守り、3月6日逮捕起訴されます。80日間起訴拘留され、ずっと裁判闘争を闘い、74年から75年は労働団体の専従として沖縄で闘い、学ぶことに。
その中で「逃げ出したい現実を避けて、後ろ向きに生きていたらあとに続く子孫も逃げる。だから逃げずに希望をつなぐ。逃げ出さなくてもいいように足元の地域を良くしていく生き方が自分たちの役割だ」という人々の姿に出会う。この人々に比べて逃げ出そうとしてきた自分の生き方の軽さに突き当たったとこの時思い、涙が止めどもなく流れたと、著者は記しています。そして「26才の春、私は一人の農民となった」と。
学生運動経験者のだれもが現実と理想の中で「利」と「義」の中で突き詰めて自分を見直し、道を選んで行った時代があった。私は学生運動の延長上に突き進んで、アラブの地の現実、人々の望む闘いの中で闘いつづけていたころ、日本の中では友人たちそれぞれの選択があり、苦闘したであろう友人たちが同時に頭に浮かびます。この著者が卓越しているのは、常に現実から自身と環境を対象化し、そして改善改革を理想やよりよいものと「利」を結びつけつつ一歩一歩「人々のもの」にとらえ直して世直しをしていく姿です。学生運動、全共闘運動の正義や理念を七転八倒しながら、こんなふうに農民の一人として出発し、家族ぐるみ村ぐるみ町ぐるみ市ぐるみへと築いた力には敬意と共に、共感と羨望と連帯が湧きつつ、感動してその後の著者の軌跡を読みました。
まず父母に認められ、故郷の農民に認められる農民になろうと頑張ります。そして「減反政策」に出会い、国ばかりか県、市、村に至る説得の中でも、稲を植えその農民の生命を奪うやり方に抵抗し、理を訴え挫折しつつ、理だけではダメだと教訓をつかんで次へと進めます。のちにその時の国の方針を貫いた市長が謝罪もしてくれて、著者を行政の場に推したのを後に知ります。
また殺虫剤のヘリコプター散布に反対し、農薬のコメ検査のあり方にも疑問を呈して、明大時代のゆかりの多摩生協(現パルシステム生活協同組合連合会。ちなみに私が生協理事時代、生協法に抵触すると日共の反対と闘いつつ中村幸安さんらが鶴川生協をつくっていたのだが、それが後の多摩生協になっていった)と連携し、「減農薬米」の実験田をつくり地域をあげて空中散布廃止を実現します。1986年のこと。
日本で先駆的に生協消費者と生産者の交流をつくり、地域山形県「置賜百姓交流会」をつくり、農民たちが担う社会を育てていきます。そこから学習を通して85年フィリピンでの国際会議への参加を初めとして、アジアの百姓とのつながり、お互いの実情と問題を学び助け合う動きが広がります。
ここではパルク(PARC)アジア太平洋資料センターとの共同でアジア連帯と国際交流へ。「ピープルズプラン21世紀」パルクらの企画の百姓国際交流を山形の置賜で百姓自身が中心になって実現し、市も行政も協力共同者に巻き込んでいきます。著者らの市民農民イニシアチブが常に行政より先を見て、動員のあり方などすべての専門家やふさわしい方々に担ってもらいながら、地域のイニシアチブが生かされていく姿が活写されています。こうして次々と多様性共生社会としての実績を積み上げ、消費者の生ゴミと生産者の土をむすぶ循環型社会へと挑戦し、市をあげて(長井市人口3万人余)「レインボープラン」として、自治体レベルでそれを実現する計画・準備・実行を成し遂げたのです。夢を実現するようなそのプロセスの入念な取り組み方に学びます。
どこからどのような団体とまず話し合って進めるか?それらは日常の生活の中に答えがあるのを著者が見つける力を持っています。言いかえれば地域の人々が教えてくれるからです。こうして今は更にレインボープランを通して得た広がりを「置賜自給圏構想」として描き続けています。日本の地域社会のポストコロナの人々の姿が描かれていて心躍ります。
学生運動の不十分な理念を「理」と「利」生活社会に晒され鍛えられ作り上げた軌跡が理念と共に記されていて、友人たちにも知ってもらいたいと思いつつ読みました。著者は明大土曜会にも参加したこともあり、和尚の友人でもあります。アラブ時代に異色の「置賜百姓交流会」の現場からの国際連帯に注目したことがありました。その後の発展を納得して学びました。
【本の紹介】
『七転八倒百姓記一地域を創るタスキ渡し一』(現代書館)
(菅野芳秀さんより)
出版社からお話を頂いたのは7年ほど前の事です。なかなかペンをとれずに2年。
病気には縁がないと思っていた私が突然倒れて・・・3年ほど格闘し、周りに迷惑をかけまくりながら、7年越しで書き上げた本です。
でもそのことと本の中身、質とは関係ないですね。余分なことです。
「自分史」として書くならば、市井の一人でしかない私には始めからその資格はないし、出版する意味もない。
私が百姓の七転八倒記を書けるとしたならば、農民であるかどうかを問わず、同じような孤軍奮闘の日々を送っている友人たちに、何らかの連帯のメッセージを伴ったものでなければならず、また同時に私の体験が少しでもその方々のお役に立てること。これがあって始めでその資格ができ、出版する意味もあるだろうと思ってきた。
果たしてそのような一冊になれたかどうかは、今でもまだ心もとない。(本文あとがきより)
(現代書館サイトより転載)
山形のコメ農家の後継者として生まれたものの、「遅れた地域」から逃げたいと一途に思っていた著者。
三里塚や沖縄での体験を経て、20代後半で一人の百姓として地域で生きることを決意して帰郷した。
以来、良質な可能性に満ちた地域を守り、次世代に手渡すために、減反拒否、村ぐるみの減農薬運動、生ゴミと健康な作物が地域を循環するまちづくり等々、農民として様々な取り組みを行ってきた。
グローバリズムを背景に小さな農家が切り捨てられていく危機に直面しながら、地域自給圏の創出、都市と農村の豊かな連携に今も力を注ぐ。
20代から70代になった今日まで、地域を変えようとして奮闘してきた著者の七転八倒記。農に携わる人だけでなく、農の恩恵を受けて日々の食生活を営む人すべてに希望の道を指し示している。
【目次】
序章 みんなでなるべぇ柿の種
第1章 農家に生まれたことが辛かった10代のころ
第2章 激動の70年代 20代のころ
第3章 減反を拒否する
第4章 減農薬のコメ作りへ
第5章 置賜百姓交流
第6章 アジア農民交流センターの誕生
第7章 循環する地域農業を創る―レインボープラン序説
第8章 動き出したレインボープラン―地域の台所と地域の土を結ぶ
第9章 置賜自給圏をつくろう
第10章 原発と百姓、そしてコロナ…―結びにかえて
今、思うこと。そして「タスキ渡し」
【著者紹介】
菅野芳秀(カンノ・ヨシヒデ)
1949年、山形県生まれ。1975年から農業に従事。
自然卵養鶏(約1000羽)、3ヘクタールの水田、20アールの自家用野菜畑を手がけ、家族とともに菅野農園を切り盛りする。
循環型地域社会づくりの先進例として名高いレインボープラン(山形県長井市)を推進。
置賜百姓交流会世話人、アジア農民交流センター(AFEC)共同代表などを務める。
著書に『生ゴミはよみがえる』(講談社)、『玉子と土といのちと』(創森社)。
定価2,000円+税
「戦士たちの記録 パレスチナに生きる」(幻冬舎)重信房子 / 著
本日(5月27日)発売!!
【幻冬舎サイトより】
2022年5月28日、満期出所。リッダ闘争から50年、77歳になった革命家が、その人生を、出所を前に獄中で振り返る。父、母のこと、革命に目覚めた10代、中東での日々、仲間と語った世界革命の夢、そして、現在混乱下にある全世界に向けた、静かな叫び。
本書は、日本赤軍の最高幹部であった著者が、リッダ闘争50年目の今、"彼岸に在る戦士たち"への報告も兼ねて闘争の日々を振り返りまとめておこうと、獄中で綴った"革命への記録"であり、一人の女性として生きた"特異な人生の軌跡"でもある。
疾走したかつての日々へ思いを巡らすとともに、反省を重ね、病や老いとも向き合った、刑務所での22年。無垢な幼少期から闘争に全てを捧げた青春時代まで、変わらぬ情熱もあれば、変化していく思いもある。彼女の思考の軌跡が、赤裸々に書き下ろされている。
さらに、出所間近に起きたロシアのウクライナ侵略に対する思いも、「今回のウクライナの現実は、私が中東に在り、東欧の友人たちと語り合った時代を思い起こさせる。」と、緊急追記。元革命家の彼女に、今の世界はどう見えているのか。
定価 2,200円
【お知らせ その2】
『「全共闘」未完の総括ー450人のアンケートを読む』
全共闘運動から半世紀の節目の昨年末、往時の運動体験者450人超のアンケートを掲載した『続全共闘白書』を刊行したところ、数多くのメディアで紹介されて増刷にもなり、所期の目的である「全共闘世代の社会的遺言」を残すことができました。
しかし、それだけは全共闘運動経験者による一方的な発言・発信でしかありません。次世代との対話・交歓があってこそ、本書の社会的役割が果たせるものと考えております。
そこで、本書に対して、世代を超えた様々な分野の方からご意見やコメントをいただいて『「全共闘」未完の総括ー450人のアンケートを読む』を刊行することになりました。
「続・全共闘白書」とともに、是非お読みください。
執筆者
<上・同世代>山本義隆、秋田明大、菅直人、落合恵子、平野悠、木村三浩、重信房子、小西隆裕、三好春樹、住沢博紀、筆坂秀世
<下世代>大谷行雄、白井聡、有田芳生、香山リカ、田原牧、佐藤優、雨宮処凛、外山恒一、小林哲夫、平松けんじ、田中駿介
<研究者>小杉亮子、松井隆志、チェルシー、劉燕子、那波泰輔、近藤伸郎
<書評>高成田亨、三上治
<集計データ>前田和男
定価1,980円(税込み)
世界書院刊
(問い合わせ先)
『続・全共闘白書』編纂実行委員会【担当・干場(ホシバ)】
〒113-0033 東京都文京区本郷3-24-17 ネクストビル402号
ティエフネットワーク気付
TEL03-5689-8182 FAX03-5689-8192
メールアドレス zenkyoutou@gmail.com
【1968-69全国学園闘争アーカイブス】
「続・全共闘白書」のサイトに、表題のページを開設しました。
このページでは、当時の全国学園闘争に関するブログ記事を掲載しています。
大学だけでなく高校闘争の記事もありますのでご覧ください。
【学園闘争 記録されるべき記憶/知られざる記録】
続・全共闘白書」のサイトに、表題のページを開設しました。
このペ-ジでは、「続・全共闘白書」のアンケートに協力いただいた方などから寄せられた投稿や資料を掲載しています。
知られざる闘争の記録です。
【お知らせ その3】
ブログは概ね隔週で更新しています。
次回は6月10(金)に更新予定です。