野次馬雑記

1960年代後半から70年代前半の新聞や雑誌の記事などを基に、「あの時代」を振り返ります。また、「明大土曜会」の活動も紹介します。

2023年04月

今回のブログは、今年の4月に開催した明大土曜会での、明大土曜会沖縄ネットワーク沖縄訪問の報告である。
沖縄ネットワークでは、今年の3月2日から5日まで、土屋源太郎さんを団長として、「老学青」総勢18名で沖縄を訪問した。その訪問の報告と、土屋源太郎さんの挨拶、それに鹿児島県の馬毛島の基地反対運動をしている明大OBの投稿を掲載した。
明大土曜会は偶数月の第1土曜日に開催しており、毎回いろいろなテーマについて関係者から話を聴いたり、議論したりしている。参加者は明大のOBが中心とはなっているが、オープン参加で、他の大学OBや若い世代まで幅広い方々が参加している。
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【明大土曜会沖縄ネットワーク沖縄訪問の報告】(N氏のレジュメより))
3月2日(木)
早朝、沖縄・那覇空港に向け羽田空港を出発。現地でのレンタカー手配は各グループで行い、全体は14時にひめゆり記念館で集合とした。南部戦跡巡りを案内していただく沖本裕司さん(71年から沖縄移住平和ガイドをやっている)と合流。
ひめゆり記念館入口前の碑の前で、沖本さんから記念館の設立の経過やひめゆり部隊の基本的な事項の説明を聞いた後、記念館の中を見学。
続いて近くの「沖縄陸軍病院山城本部壕跡」を見学。大きなガマ(琉球石灰岩で形成された自然の洞窟)の中が本部となっていた。

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次に、辺野古新基地の埋め立てに使う土砂を採取する予定地となっている熊野鉱山を見学。戦争犠牲者の遺骨が今もなお埋まっている。業者から出された採掘許可が昨年県から降りたが、糸満市が農地法の手続きをまだ終了せず、採掘は始まっていない(北上田さんの情報では、それも近々終了し、3月末には開始される動きがあるとのこと)。
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周辺には沖縄戦で戦死した各県出身者の慰霊碑が点在。奈良県は「大和の塔」、和歌山県は「紀乃国の塔」など。その中で魂魄の塔は特別だ。ここは、敗戦直後、米須地区に移転収容された旧真和志村(現在の那覇市)の住民が米軍の許可を得て遺骨収集班を結成、道路や畑、丘、森に散っていた遺骨を集め建立したものだ。当時は「3万5千余柱」と沖縄で最多の遺骨が納められていたが、1974年、那覇市に1957年に建設された戦没者中央納骨所に移設されたとのこと。
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次に私たちは平和祈念公園を訪れた。まず1975年建立された韓国人慰霊碑へ。さらに沖縄戦で亡くなった人々の名前が出身県、国ごとに刻まれた平和の礎を訪れた。ここには、順次名前が追加されるという。中には名前が分からず「比嘉武栄の一子、二子」などと刻まれている戦死者もいる。

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もっと時間をかけて平和公園についての説明も聞きたかったが時間がなく、沖本さんと別れ次の予定地に。
17時半頃、なは市民協働プラザ到着。ここで、沖縄戦遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」の具志堅隆松さんのお話を聞く。パワーポイントを使って、遺骨収集を始めたいきさつや活動内容を説明。現在進められている辺野古新基地建設、琉球弧の自衛隊基地建設強化に対する厳しい批判の説明もお聞きした。初めて聞いたメンバーもいて、感銘を受けた様子。

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これで初日の行動日程を終了し、各自宿泊先に向かう。

3月3日(金)
この日はキキンプ・シュワブ前での座り込み、安和、塩川の埋め立て土砂搬入トラック阻止行動に参加の予定だったが、警備部隊が石垣島に行った為に工事が中止となり、同行動は中止。警察の警備がなければできない公共工事とは一体何なのだろうか?
そこで、各グループで独自行動に向かう。NグループN・Hさん(芝工大出身。沖縄移住)の案内で、まず嘉数高台公園に向かう。ここは、普天間飛行場が望める場所だ。オスプレイが6機ほど駐機していた。
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次に沖縄国際大学を訪れた。2004年8月に起きた米軍へリ墜落現場。
焼けただれた木が保存されているが、当時の場所から一般の人が見られる場所に移動されていた。
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その後、沖縄市(旧コザ市)に移動。1970年にコザ暴動が発生した「コザゲート通り(嘉手納基地の正面ゲートに向かう通り)」を歩く。通りの途中に沖縄市戦後文化資料展示館があり、沖縄市の戦後の歴史が日常生活や米軍との関係、文化・娯楽など詳しく展示、解説されている。もちろん「コザ暴動Jについても解説がある。
次に、かでな道の駅(嘉手納基地に隣接)に行き昼食(大変なボリューム!)。屋上から嘉手納飛行場が一望できる。セスナ機や軍用機が何度も飛んでいた。
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続いて、読谷飛行場跡地を経てチビチリガマを見学。
ここは、集団自決が行われた場所で、ガマの中には降りられるが、奥は遺族に意向現在は入れない。
15時過ぎ、全員がうるま市役所前に集合。「ミサイル配備から命を守るうるま市民の会」事務局長の宮城英和さんなどと合流。なんと、参議院議員高良鉄美さんも飛び入り参加してくれた。
そこから車で陸上自衛隊勝連分屯地正門前に移動。同分屯地では地対艦ミサイル配備とそのための隊舎建設などの工事が進められている。正門の外からも工事の様子が伺える。宮城さんから詳しい説明を受けた。資格のない白ナンバーのダンプが荷物を運ぶ、強風の中でもクレーン車を動かす、保安林を勝手に伐採するなど、露骨に法律を踏みにじって進められている基地建設の実態を知ることが出来た。
最後に全員で「ミサイル配備を許さないぞ!」などをシュプレヒコール。
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次に近くの米軍ホワイトビーチ基地を見渡せる高台に行く。宮城さんや現地で長く監視行動を行っている方から説明を受ける。同基地は米海軍と陸軍の桟橋があり、第7艦隊の兵站支援港、同艦隊第76機動部隊第1水陸両用群の母港だ。米原子力潜水艦や空母も停泊する場合がある。また北側が現在海上自衛隊の基地となっており、まさに日米軍事同盟を象徴する基地だ。
夜は、我々の仲間で、キャンプシュワブ前テントのスタッフをやっている橋本武志さんの紹介により、名護市の沖縄料理店「蓬来」で全員の交流会を開催。
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食べきれないほどの沖縄料理を堪能した。ここ名護市の基地の反対派のなじみの店で、店主の女性も基地反対運動に熱心とのこと。老労青学の活発な交流が夜遅くまで続いた。

3月4日(土)
11時からキャンプ・シュワブ前で開催された「止めよう!辺野古新基地建設第35回県民大行動」に全員参加。参加者589名。土屋源太郎団長が「ゲストスピーチ」として登場。「(基地が集中しているのは)本土で基地反対運動が高まり、沖縄への移駐によって生じた。申し訳ない気持ちがある」「今日の経験を持ち帰って共有し、沖縄と連帯じて運動を続けていく」という発言が多くの参加者に感銘、共感を与え大きな拍手が起こった(沖縄の人たちは発言者にこうした拍手をすることは珍しいそうです)。
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13時からは、汀間港から2グループに分かれグラスボートに乗船。船長は、特別に名護市議会議員の東恩納琢磨さんにやっていただき、大浦湾の大型サンゴを観察、詳しい説明を受けた。
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ここで全体は別れ、Nグループ、学生グループは高江に向かう。Yグループは那覇に向かう。
高江では、北部訓練場の正門前に行く。警備員が私たちの写真を撮ったで「肖像権侵害なので止めろ」と抗議。こちらから撮ったら逆に「止めてくれ」というので、「公務員なのでそうした権利はない」と言ったら「私は民間の警備員だ」というが「POLICE」と記されたジャンパーを着ていた。警察を僭称しているのか、民間人を装っているのか、ともかく態度が悪かった。
その後2017年米軍へリが墜落した現場を見渡せる高台に向かう。正確には見えなかったが、常に米軍機事故に晒されている現状を確認。
夜には、前日の交流会で予定が変更し参加できなかった前県議会議員の仲村善幸さん主催の交流会が前日と同じ「蓬来」で開催。Nグループと学生グループが参加、更に親交を深めた。Yグループは那覇で昔の友人と会い、旧交を温めた。

3月5日(日)
Nグループは那覇市に移動。午前中は首里城などを見学。
N、Yは首里城の地下に建設されていた第32軍司令部豪の入り口を見学。午後はそれぞれ自由行動。
16時45分沖縄を離れる。一路東京・羽田へ。
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まとめとして
今回のツアーは、Hさんが企画して以来、3年振りに実現したものだった。実施直前にHさんが急死して中断、再開しようとしたらコロナ感染の拡大で2回も中止となった。昨年末、コロナが収束に向かっているのではないかという「感触」により、改めて企画を立て準備してきた。ただ、当初から積極的に参加希望者を集め、昨年予定したツアーでは丁寧な企画、予定表を作成していただいた埼玉のTさんたちが、まだ公に呼びかけることに慎重となり、参加を見送ったことは非常に残念だった。
それでも、御年88歳の土屋源太郎さんを団長に現役の学生を含む20代の青年、後期高齢者、現役労働者など「老労青学」の20名近くの参加者を得られたことは大きな成果だった。また、沖本さんや橋本さんを始め、現地で活動している多くの方々の理解、協力によって充実したツアーを無事に終えることが出来た。
感謝に絶えない。今回の経験を今後の活動、沖縄連帯に活かしていきたい。皆さん、本当にお疲れ様でした。
※ 報告の中の具志堅隆松さんのお話については、後日ブログに概要を掲載する予定です。

明大土曜会沖縄ネットワーク沖縄訪問の報告の後、報告の中にあった3月4日のキャンプ・シュワブ前で開催された「止めよう!辺野古新基地建設第35回県民大行動」での土屋源太郎団長の「ゲストスピーチ」の映像を上映した。

●土屋源太郎団長の「ゲストスピーチ」<映像より>
主催者:本日、東京から参加していただいているグループを紹介して、連帯の挨拶をいただきたいと思います。
「伊達判決を生かす会」共同代表のお一人、土屋源太郎さんが参加されていますので、ご挨拶をお願いします。(拍手)
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土屋源太郎
こんにちは、土屋です。88歳でございます。(拍手)1957年、米軍立川基地に反対する砂川闘争に、学生運動のリーダーとして参加しまして、基地内に侵入して逮捕されました。その砂川裁判で、駐留米軍は日本政府が土地、建物等を供与している、それは当然日本の戦力に値する、いったん事があれば戦争に巻き込まれる、明らかに駐留米軍は憲法違反だ。憲法九条に違反する、という判決があった(「伊達判決」)。日米両政府は、その判決に大変驚いた。最高裁で謀議を行った上で否決したわけです。それが砂川闘争であり、それに対して私は国家賠償請求の戦いを現在も続けております。(拍手)
1950年、60年代、当時の米軍基地は、本土が80%、沖縄が20%。その後、50年代、60年代に本土での基地闘争を進めた結果、沖縄に70%の基地があり、本土に30%となった。沖縄の人たちには大変大きな負担と迷惑をかけております。私は、沖縄に基地が使われることを阻止できなかった。このことについては申し訳ないと思うと同時に、大いに現在も反省しております。沖縄の人たちと共に戦うという決意があります。
実は、今日この会場に、私の学生運動時代の母校の明治大学の後輩の仲間、そして沖縄の基地問題に関心のある学生さんの諸君と、そして50年末から60年にかけて、基地反対闘争と安保闘争を共に戦った戦友、全部で18人で参加しています。(拍手)
普天間基地、さらにはホワイトビーチなど各基地を回って、地元の人たちとも交流を進めてきました。そして、多くの事を学ばさせていただきました。今日この集会に18名が参加しています。
辺野古基地の建設、そして、いわゆる敵基地攻撃が出来るということで、沖縄諸島の自衛隊基地に、岸田政権は攻撃用のトマホーク等のミサイルを配備しようとしています。絶対に戦争をさせるわけにはいきません。(拍手)
私は今日の皆さん方の熱い集会の気持ちをしっかり受け止めていきたい。そして更に、沖縄の気持ちを本土にしっかり持ち帰って、残念ながら本土の運動は十分ではない。しかし我々は闘いをしっかり続けていく、そして闘いを粘り強く諦めない、これが大事だと思っています。そしてその中で、本土でしっかり今日の実態を伝えて、闘いを強めていきたい。それで皆さんと共に、闘いを連帯していきたいと思っています。
どうぞ頑張って戦いましょう。ありがとうございました。(拍手)
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(2023年3月7日付『東京新聞』より)

映像上映の後、土屋源太郎さんから沖縄訪問団長としての挨拶があった。
●土屋源太郎さんからの挨拶
今度の沖縄訪問について、Y君を始め土曜会の皆さんの本当に熱いご支援があって、何とか無事に沖縄に行くことができて、本当にありがとうございました。
我々のグループ6人は、Y君がリーダーで、大変心遣いが優しいM君、少々ゆるキャラなTさん、ちょっと固いなというRさん、それと美人で美声な紅一点のSさん、2日から5日まで、闘争に行ったつもりだったんですが、中身は大変楽しい旅でした。
さきほどのビデオで私が発言した内容ですが、これも6人で車の中で、私が「こういう内容で喋りたいんだけどどうだろう」と言うと、皆さんがいろんな角度からこうした方がいい、ああした方がいいと助言をいただいたものですから、なかなかいい話になったようです。
今度沖縄に行ったのは6年ぶりなんです。5回目です。6年くらい前は、本土から行っても、決して歓迎じゃないんだよね。むしろ、沖縄に来て応援に来たという名目を作るというよりも、本土でちゃんと運動をやってよ、沖縄に来るのもいいけど、むしろ本土でしっかりとした運動をしてください、という雰囲気が非常に強かった。だから本土からの発言を、ああいう集会で求めるとか、拍手が出るという雰囲気はあまりなかった。
沖縄が今、非常に難しい状況になっていることは事実。ご承知のとおり、「オール沖縄」が、保守系と言われる連中がほとんど抜けてしまった。残された、いわゆる革新系の運動をしている人たちの間でも、若干の意見が出てきている。正直言って、キャンプ・シュワブの座り込みも前ほど多くない。辺野古でテントを張ったり小屋を作ったりしていたんだけれど、それも右翼が来て壊したという経過があって、今の雰囲気は、どちらかと言うと本土から応援に来て欲しい、それで関心を持って持ち帰って欲しい、という感情が沖縄の人たちの中にあるんじゃないかという感じを受けました。
沖縄には多くの友人、知人がいるんですけれども、6年ぶりでいろんな人に会いました。話をした後で、男性、女性いろんな方が来てくれて、「土屋さんを見習ってもっと頑張らなければいけないよね」とか、いろんな方にお会いできました。これは大変僕も嬉しかったし、そんな思いで帰ってきました。
沖縄の問題は、辺野古基地の建設が非常に問題であると同時に、沖縄周辺地域に自衛隊基地が作られて、そこに迎撃用だけではなく攻撃用ミサイルまで設置するという状況になってきていて、県知事の玉城知事自身が自衛隊の誘致を認めましたから、当時は通信隊などを中心に派遣するという話だったのが、実際に蓋を開けてみたらミサイル基地になっていた。これは全くの約束違反だしおかしいんじゃないか、という意見も多分に起こってきている。
今、非常に危険なのは、石垣島とか宮古島に自衛隊のミサイル基地が作られている。残念ながら、沖縄の中心と島のほとんどの首長選挙で負けている、連敗続き。そういう状況ですから、もっと本土で沖縄の実態というものを、我々自身が自分たちの問題としてしっかり受け止めて、闘いを広げていく。なかなか本土では難しい問題がいっぱいありますけれど、是非そういう方向で行きたいと思います。
特に今回は、若い人の参加があった。これは大変に有難かった。本当に良かった。そういう意味で、若い人たちにきちっと繋いでいくことも大事なので、そういう意味でこれからも頑張っていきたいと思います。
どうもいろいろありがとうございました。

以上で4月1日の明大土曜会で沖縄訪問の報告は終りであるが、その後、鹿児島県の種子島で、馬毛島の基地反対の活動を続けている牧 洋一郎さん(明大農学部出身)から、基地反対運動の状況を知らせる投稿があったので、以下に掲載する。

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【鹿児島県種子島の属島・馬毛島は宝の島か、それとも金色夜叉の島か】
                                        種子島在住者  牧 洋一郎
 南西諸島の北部に位置する種子島の属島・馬毛島(西之表市から真西12キロメートル沖に浮かぶ8.2平方キロメートルの小島、無人島)では、南西諸島における離島防衛の一環として、自衛隊基地及び米軍FCLP(空母艦載機陸上離着陸訓練)基地を建設中である。昨年は前立腺がんを患い病気との闘いであったが、今年は順調に回復していることもあって、馬毛島の現状を一島民として見て見ぬふりはできぬと思い、基地反対運動に係わって生活している。
馬毛島の葉山港周辺一帯の約2ヘクタールは、西之表市の塰泊(あまどまり)浦集落の共有入会地(民法263条、共同体規制に制約された共同所有地)であり、今でも、他の浦集団にも利用されている極めて重要な漁業基地である。入会権の大家・中尾英俊教授とともに入会権の調査で訪れた島であるが、今は防衛省が基地建設を進めているので、島に上陸することができない現状である。現在、南西諸島の島々では中国の脅威を念頭に、軍事基地の強化・要塞化が進行しており、2019年11月、馬毛島では土地面積の約99%が、開発業者タストン・エアポート㈱から防衛省へ160億円で買収合意がなされ、熊毛地域(種子島・屋久島)の住民らは不安と期待の中で騒然とした状況にある。要するに、熊毛地域の住民らはこのような情勢に、如何に考え如何なる問題を提起せねばならないかを突きつけられているのではなかろうか。
殊に種子島(面積約450平方キロメートル、人口約2万8千人)では、馬毛島にての自衛隊基地及び米軍FCLP基地問題について、自衛隊と米軍の一体化すなわち集団的自衛権(自国に対する武力攻撃がなくても、同盟国が戦火に巻き込まれたときに、是非を問わず助けに入る権利)の行使が取りざたされる中、基地建設反対派住民らは、騒音被害、戦争への誘因・標的、米兵による乱暴狼藉の予想等を根拠に反対しているが、一方、賛成派住民らは、交付金による地域経済の浮揚、地域の活性化、自衛隊家族の転入による人口増加等に繋がると期待し賛成している。島内は基地建設反対派と賛成派の双方に分れている現状である。
それから、行政の対応についても注視すべきところである。2022年2月、西之表市長が防衛省に対し、米軍再編交付金を受け取る意向を示したことについて、新たな局面を迎えることになった(市長は未だに基地整備について賛否の明言を避けてはいる)。そして、屋久島(面積約504平方キロメートル、人口約1万3千人)であるが、基地計画の賛否について屋久島町長は「行政区は西之表市。首長の判断にとやかく言うつもりはない。」「屋久島は観光立島。計画がすすむなら、米軍機がルートを外れ島近くを飛ぶことのないよう、申し入れを続けるなど心しないといけない。」と述べるに留まっている。なお、中種子町と南種子町は基地建設賛成の意向を示している。
今、種子島の島民らにとって、馬毛島は基地建設反対派から見ても賛成派から見ても「宝の島」であることに変わりはないが、反対派からすれば島の自然や漁業を生かした宝の島であり、賛成派からすれば米軍再編交付金(2023年度の交付金28億円)が落ちる棚ぼたの宝の島ということである。また、種子島漁協は漁業権放棄について、防衛省に22億円で漁場を売り渡すことを圧倒的多数(出席漁協正組合員105人中99人の同意)で議決した。まさに馬毛島を巡って、種子島では金色夜叉の世界が訪れていることを意味するものである。
 熊毛の住民らは馬毛島基地着工により、島民の安全な暮らしが破られようとしている。中尾教授は、「平和を守る、あるいは平和を勝ち取ることは費用(カネ)もかかり疲れることである。しかしわれわれ(全人類)の生命を守り、国土を守るためにはそれをしなければならない。それこそが平和憲法を守る途なのである(日本社会と法)。」と論考されているが、然りである。このことを肝に銘じて、島での生活を続けたい。
                           2023年4月16日 

* 本稿は西南学院大学「ほうげん会」への投稿原稿「種子島の属島・馬毛島の基地問題」を加筆修正したものである。

【お知らせ その1】
「続・全共闘白書」サイトで読む「知られざる学園闘争」
●1968-69全国学園闘争アーカイブス
このページでは、当時の全国学園闘争に関するブログ記事を掲載しています。
大学だけでなく高校闘争の記事もありますのでご覧ください。
現在17大学9高校の記事を掲載しています。


●学園闘争 記録されるべき記憶/知られざる記録
このペ-ジでは、「続・全共闘白書」のアンケートに協力いただいた方などから寄せられた投稿や資料を掲載しています。
「知られざる闘争」の記録です。
現在12校の投稿と資料を掲載しています。


【お知らせ その2】
ブログは概ね2~3週間で更新しています。
次回は5月19日(金)に更新予定です。

今回のブログは、昨年10月に開催した明大土曜会で、前田和男氏にお話しいただいた「2022参議院議員選挙の結果と今後の展望」の内容である。
明大土曜会は偶数月の第1土曜日に開催しており、毎回いろいろなテーマについて関係者から話を聴いたり、議論したりしている。参加者は明大のOBが中心とはなっているが、オープン参加で、他の大学OBや若い世代まで幅広い方々が参加している。
この4月に4年に1度の統一地方選挙が行われるが、選挙前に、直近の国政選挙の結果がどうだったのか、また、それを踏まえて、私たちは今回の統一地方選挙にどう臨んだらいいのか、それを考える参考にしていただきたい。

【2022参議院議員選挙の結果と今後の展望】
講師:前田和男氏(翻訳家、ノンフィクション作家)
『選挙参謀 三か月で代議士になれる!』『民主党政権への伏流』などの著書がある前田和男氏に、7月10日に行われた参議院議員選挙について語っていただきます。
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前田和男
7月が選挙だったので、本当は8月の明大土曜会でホットな情報として話をする予定でした。コロナ禍の影響で会が中止となったので、今回に延期になりましたが、その間に統一教会の問題とか出て来たので、冷静に振り返るにはよかったと思います。
マスコミや政治評論家による総括ではなく、三派・全共闘世代である私たち自身にとって、この選挙は何だったのか、さらには今後の選挙にどう関わるべきかいう主体的な視点から話をせよということなので、そういう方向で話をしたいと思います。
まずは、安倍元首相が暗殺されて、2日後に参議院選挙があった。これが参議院選挙にどう影響を与えたのか。
僕の記憶では、安倍元首相が殺されてからすぐに、ネットでは右側から「安倍をこんな目に遭わせたのは反安倍側だ」、「8年前の安保法制の時に『安倍死ね』とか何とか言っているような連中が、結局安倍元首相を殺すことになったんだ」という主張がありました。だから自民党が圧勝するという話も一部にはありましたが、結果は、安倍元首相の暗殺以前のほぼ下馬評どおり。自民党が漸増、維新がそれなりに躍進して、立憲などの左派リベラル勢力が後退したという状態で、何のことはない、現象的には安倍元首相の暗殺はあまり関係なかった。
しかし、選挙が安倍暗殺の1週間後だったら、ネトウヨの左翼リベラル批判がプロパガンダ効果を発揮して、圧勝はしないまでも相当自民党は躍進したかもしれない。
一方で、さらに選挙が2~3週間後だったら、統一教会問題が相当浸透したと思うので、自民党が惨敗した可能性がある。
岸田首相は、選挙をギリギリまで引っ張るんじゃないかという説もあったんですが、この日程でやったことがで、結果的には、自民党にとっては選挙戦術としてはまずまずの成功だったと思います。
もうちょっと引いて見ると、自公合わせて5議席増えただけです。それなりに「安泰」だったわけだけれども、得票率を見てみると、3年前の参議院選挙では35.4%、去年の衆議院選挙では34.7%、今回は34.4%で少しずつ減らしている。票は減らしつつも議席が増えたというのは、野党協力も含めた野党間のタイアップが機能しなかった、要するに敵の戦術的失敗によるものではないか。
今後の選挙を考える時に重要なのは、むしろ公明党の衰退だと思います。私は、ずいぶん前に、選挙前に創価学会婦人部が主導して地域で展開される「座談会」を何度か取材したことがありますが、ある時期まではものすごい熱気があった。ところが、数年前から様変わりして、極めて穏やかになっている。学会2世3世が渋々参加していて、1世のおばさん、いやお婆さんが笛をふくんだけれど、若者は踊ってくれない、何が何でも票を取ってくるという感じではない。そんな状況から判断すると、彼らのパワーは2005年がピークだった。05年の衆議院選挙では898万票を取った、これで自民党に対して公明党があれやこれや要求を突き付けて「漁夫の利」を得るという政権運営が可能だったんですが、2017年の衆議院選挙では100万票減らして700万票になった。今回は618万票で激減。もう増える可能性はないと思います。理由の第一は、私の肌感覚で言えば、支持者の高齢化に尽きる。学会婦人部のオバサンたちのパワーってすごかった、戦後の焼け跡で頑張った人たちだから。でも、あのエネルギーはもう伝わらないし、その人たちは半分くらいは死んでいます。そうなると、公明党が落ち込む分、自公政権は今後はそうはうまくいかないということです。
あと、野党第1党の立憲民主党なんですが、大方の学者やマスコミは、みんな読み誤っていました。3~4議席減らすんじゃないかというところを6議席も減らした。僕はもっと減ると思った、こんな減り方では足りないと。そもそも立憲民主党は、5年前の衆議院選挙の時の「希望の党」でのドタバタがあって、棚ぼたと判官びいきが効いて議席が転がり込んできただけなんだと思います。その時の現有議席というものは、自分の力で勝ち取ったものではないわけだから、むしろ6議席マイナスで済んだのは「御の字」だと。でもそういう総括は彼らはしない。そこがこの党の限界だと思います。
国民民主党については、こんなもんじゃないか。頑張ったのは原発再稼働で元気づいている電力総連だけで、それ以外の重厚長大系の単産は精彩がない。とくに自動車総連を牽引してきたトヨタ労組は「国民民主党では選挙はやらない」と言っていますし、国民民主党はジリ貧でしょう。
日本維新の会ですが、僕はもっと伸びると思いましたが、重点区の東京を落としました。埼玉、愛知、京都でも負けました。特に、3年前の参議院選挙に音喜多を当選させて、ついに維新も箱根の山を越えた、全国政党としていくかもしれないと思わせたんですが、今回は大阪出身の海老沢由紀という候補を立てた。これは相当の決断だったと思う。大阪出身の候補を東京で立てて勝てると思ったわけです。もし当選していれば、維新は大阪の地域政党を超えて全国政党になれたんだろうけれど躓いた。安倍元首相が死んだということで、自民党とのパイプが詰まったことも響いた。また、代表の松井一郎が今回の選挙をもって引退する。私は、大阪府会議員だった尾辻かな子の選挙をやっていて、同期の松井のことをつぶさに知る機会があった。彼は、右も左も党派を超えて人をつなげて、たらしこむ能力をもっている。玉石混交の議員をたばねてきたこの男が辞める。これで、維新は駄目なんじゃないかという感じがします。
共産党は、3年前の参議院選挙が448万票、去年の衆議院選挙が416万票で若干減らして、今回の参議院選挙では361万票とかなり減らした。これは野党共闘の瓦解ということもありますけれど、選挙事務所に行くと支援者は基本的にジジババです。それでも少ないながら若者の支持者を集めてはきたが、今回は支持層のなかで「社民党をつぶしてはいけない」という危機バネがはたらいて、社民党に票を取られたのだと思います。
社民党は崖っぷちだったが、若い人が結構「社民党を何とかしなくてはいけない」ということで、(比例代表で得票率2%以上を獲得したのは)想定外でした。若手が特に応援して、本来なら「れいわ」に親近感を持ってもおかしくない若い世代が、今回相当社民党を応援したという経緯があります。それで持ちこたえたんだろうと思います。
それから、れいわ新選組です。実は私は今回は、私の大学2年後輩の辻恵という「10・8山﨑プロジェクト」の事務局長が「れいわ」の全国比例から出馬したので、かなり深く入り込んで支援をしました。そういうひいき目があって、300~400万票は期待していたんですが、その票は基本的に立憲民主党と社民党と、特に参政党にもっていかれた。ボランティアで「れいわ」の選挙の応援に来ていた若者のなかに、途中で「参政党でやります」という人がけっこういました。
そういう点では注目すべきは参政党ではないか。国政初挑戦だけれども、176万票を取った。全国の選挙区にも候補者を立てた。熊本では何と7万票、宮城では5万票取っています。この数字にはビックリしました。評論家たちは「NKH党と一緒だ」「単なる政権批判を装ったポピュリストだ」と言っている。また、「参政党はファシズム的要素を持っていてやばい」という見方が我々の世代には多い。私も当初は演説などを聴いて「これはとんでもない」と思っていたんですが、見方が変わりました。
参政党は何なのかというと、一つは自然環境が大事だという農本主義的な「まほろば政党」です。一方で、体に異物を入れるワクチンはだめだ、有機農業がいい、原発もけしからんということで、子育て中のママたちが共感して投票した。「子育てママ政党」と「まほろば農本主義者」が同居している奇妙な政治勢力で、どこかドイツの「緑の党」の創設時を想起させます。来春の統一地方選挙には千人の候補者を立てると言っている。

では、わが三派・全共闘世代はどうであったのか。
先日、平塚で介護問題のシンポジウムをやりましたが、そのために『続・全共闘白書』回答者にアンケートを取りました。アンケートの中で「今回の選挙で比例代表はどの政党に入れたのか」という質問をしました。回答では立憲民主党46、れいわ新選組は44、社民党23、共産党5という結果でした。全共闘世代の実に34%の人がれいわ新選組に投票したということです。今回の選挙を通じて、「れいわ」の本部との付き合いが若干は出来たこともあって、この結果について本部に問いただしてみたが、全共闘世代に応援されたなどとは思ってもいない、自分たちは若者の政党だと思い込んでいる。全共闘世代は体力もあるしやる気十分で、金も持っているけれど、こういう人たちとちゃんと連携しなくてはいけないんじゃないかと言っても、今のところ聞く耳を持たない。とは言いながら、れいわ新選組に可能性を見出している三派・全共闘世代がいるのであれば、れいわ新選組に積極的に関わっていくべきではないか。立憲民主党と社民党を分解させて、それらを統合して、「れいわ」を中心に新しい政治潮流をつくる求心力に、我ら三派・全共闘世代がなるべきではないのか。
もう一つの方針は、参政党の切り崩しです。参政党の農本主義的な「国粋まほろば主義」から、有機農業大好き、生協大好き、反原発の子育てママたちを分離させ、子育てママたちとは共闘する。
具体的な行動方針を提起します。2025年は大変な年です、我々団塊・全共闘世代が全員後期高齢者になって、その多くは医療・介護に大きな負荷をかける。5人に1人は身体が要介護、4人に1人は身体は元気でも認知症になる。一方で今、空前の介護保険の改悪が始まっている。2割負担を標準化して利用者を減らす、要介護1,2の訪問介護を地域支援総合事業に移す、ということは事業予算に上限があるから、それに達したらサービスは受けられない。今は無料のケアプランを有料にする。「金を取るんだったら止めようか」という話になる。今はレンタルの福祉用具も買取にする。これも負担が大きくなる。要するに、負担が増える上に、サービスは低下するだけではない、必要とする人が介護を受けられなくなる。介護の沙汰も金次第になる。
こうなったら我々も怒りますよ。
我々はベトナム反戦闘争や全共闘運動もやりました、ヒッピーやサブカルチャーを生んだ物言う世代です。このまま大人しくしているわけがない。断固として戦うしかない。
先ほどのアンケートで、既成政党の「立候補者70歳定年制の内規」について質問したところ、「高齢者の代表を国会に送れ」という声が4割以上ある。「若い世代に託そう」というのは2割です。「我々団塊・全共闘世代は決起せよ」ということです。そのための思い出深い先行事例があります。1971年の参議院選挙です。高見圭司氏は13万5千票取りました、次々点で52位。戸村一作氏は3年後の参議院選挙で23万票取りましたが落選。これではまだ足りない。だから子育てママとも組む。参考にすべきは、アメリカ民主党の「サンダース旋風」です。当時76歳のサンダースと28歳のオカシア・コルテスが組んで旋風を巻き起こした、この戦法です。三派・全共闘世代とZ世代のタイアップ。そう、老若共闘です。
最後にもう1点。3年後の参議院選挙まで待てない。それまでに死んでしまうかもしれない。だったら、来春の統一地方選挙で狼煙を上げましょう。かつて、「辺境革命論」というのがありましたが、地方から攻め上るということで、来春の統一地方選挙に何からかの形で関与したらどうか。
近年、小規模な町村では地方議員のなり手がいない。少し古い資料ですが、4~5年前は無投票が何と23.3%ある。こういう隙間を狙って、実はNHK党は39人も議員を誕生させた。幸福実現党は地方には40人もいる。一方で「れいわ」は50人しか公認しないと言っている。参政党は1000人ですよ。たぶん台風の目になって数百人当選すると思います。
われら三派・全共闘世代よ、介護をテーマに地域から撃ってでよ!

● 前田氏の発言を受けての意見

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二木啓孝氏(ジャーナリスト)
大体、前田さんの明るい総括はいいなと思います。ただ、れいわ新選組と参政党に関する僕の認識は全然違う。
まず「れいわ」については、山本太郎の個人党、個人商店であって、実際は永田町的な党です。地方のことを考えていない。相対的にいい事を言っているので、団塊の世代も「立憲民主党よりいいんじゃない」とシンパシーを感じるんですが、安倍政権がやったことを批判をすることによって注目を集めている。経済政策もどうかな? MMT(現代貨幣理論)という、安定した通貨を発行している国はどんどん借金してもいいというのがMMTの考え方で、何となくいいように見えるが財政規律がダメになる。
もう一つ、参政党についても私はネガティブです。たぶんこれは分散するだろう。私も何回か取材しましたが、言っていることに統一性がない。ワクチンを打つなということもありますが、名古屋に取材したときは「名古屋の人はどんどん二酸化炭素(CO2)を出せ。名古屋の湾内の海水が吸収する」と無茶苦茶なことを言っている。子育ての話も出てくるんですが、綱領というか骨がない。彼らは「今の政治に不満の人は政治に参加しましょう。どんな政策にするかは皆さんの意見で決めます」ということだから、言ってみれば不満の受け皿以上ではなくて、たぶん地方議員で出てくるでしょう。これがどういう方向でやるのかは、どんどんバラけていくと思う。
日本維新の会について。政治不満の受け皿であっても、これ以上大きくは伸びないと思っています。なぜ、大阪が受けるのかというのを考える必要がある。大阪の維新の会、私は満州国を作った関東軍だと思っているんです。首長を握って、議会の与野党を握って、中国人を下に見ていろんな人を排除して、無駄を削る名目で強引な民営化を進める新自由主義的国家。この満州国を陸軍参謀本部の安倍晋三がニヤニヤ喜んでいた。維新の会が大阪から東京へ箱根を越えられないのは、東京で維新が伸びるためには、首長と議会を握らない限り大きく伸びない。実は維新は参院選で京都でも落ちている。首長と議会を握っていないからです。彼らの改革というのは、そんなに全国に広がらない。彼らは統一地方選挙で500人の候補者を立てると言っている。ここは何人か当選するでしょう。でも、大阪の維新型のように首長を取らない限り、全国に波及しないと思っています。
さて、我々は何をすべきか、ということですが、来春の統一地方選挙に候補者を立てようということについては私は大賛成です。定数ギリギリか定数割れのところに候補者を立てていくという、そういう戦略が必要だと思います。
最後に立憲民主党です。かつて取材で当時の枝野代表に会って「立憲民主党は県連を強くすべきだ。自民党が強いのは各県連が強いから。風で勝つ政党から足腰を強くしないと対抗でしない」と何回も言ったんですが。あそこも敵失によって議席を期待する永田町政党に成り下がっている。
自民党があれだけボロボロになってもなぜ強いのか。市町村議員で自民党を名乗っている、あるいは自民党員が3千人以上いる。この足腰の強さなんです。立憲民主党がだんだん駄目になっているのは、国会議員党だからです。10年くらいかけて各県連で地方議員を増やさないとだめだと思います。
前田さんの提案で賛成なのは、定数ギリギリか定数割れのところに我々が入って行くということ。この話を死んだ自民党の加藤紘一さんに話したことがあります。「いい考えだけれども、あなた方が田舎に戻って立候補した時に、同級生とかものすごく反発するよ。なぜならば、あなた方は地方で結構成績が良くて、それで大学に行って企業に勤めて、定年になって戻ってきて選挙に出る、ふざけるな。高校からずっと居る人からすれば投票する訳ないだろう。じゃあどうするかと言ったら、奥さんの地元に戻る。奥さんは受け入れてくれるから、奥さんの会合に2年間くらい横に座ってニコニコして、いい旦那さんと言わせておいて立候補する」。加藤さんは奥さんの地元に戻って議員をやるというのが、東京から地方の議員になるコツだと言っていたことがあった。私は「なるほど」と思った。そういう戦略があって地方議員を目指すということです。
宣伝になりますが、小さな出版社をやっていて、『60歳から地方議員になってみる』(世界書院)という本を作っています。買ってください。

T氏(参加者)
今回の参議院選挙は手伝いに回ったんですけれども、別に社民党を支援しようと考えているわけではなくて、その時の情勢を見た時に、前田さんは社民党を割るべきだという考えかもしれないですけれども、僕は非常に重要だと思っていて、一つには、私は市民運動に関わっていますが、端的に言うと、(社民党の)福島瑞穂さんと繋がっていると議員会館を使えるわけです。これは市民運動側には非常に大きいことで、野党議員も呼べる。現実問題として「れいわ(新選組)」は全然協力してくれていない。果たして「れいわ」を変えることが出来るのか?
おっしゃっているように、「れいわ」はトップダウンで、個々の事務所の電話番号すら公開していなくて、問い合わせ窓口がないんですね。私が「れいわ」の先生に連絡しようとしてどうしたかと言うと、党中央に連絡しなくてはいけなくて、党中央は「それはお答えできません。折り返します」と言われて、一般政党ではないんですね。外部注入には限界があると思います。
二点目は、さきほどの前田さんのお話の中で、「れいわを支持する若者層がいる」というお話がありましたが、僕の肌感覚からすると、「れいわ」の支持層というのは50代より上の方が多くて、20代くらいの学生や若者は何に関心があるのかと言うと、気候変動問題とジェンダー問題が中心で、この2つは「れいわ」はすごく遅れているように見受けられるわけです。参政党を割って、その半分と組むということになれば、ますます気候変動とかジェンダー問題が遅れてしまうような気がして、その辺でどのように若者を取り入れることができるのか、展望を教えて欲しい。

前田和男
私は「れいわ」の本部じゃないから。二木さんは参政党について否定的な言い方をされたけれど、ある種「政策はこれから考えます」、一方で、党員を集めて、そこで議論して決定して上に上げていくという、ソヴィエト型の運動でもあるわけですよ。政策がないとうことを、山本太郎たちは「参政党というのは何も無いんだ。空疎なんだ」と言うけど、俺は違うと思う。皆で議論して決めていくんだったら、それは地方政党としては有り得ると思うので、それ自体がおかしいというのだったら、山本太郎の批判は当たっていないと思う。
今の流動化の中では、相対的な選択しかないわけで、二木さんは立憲に可能性を見出しているけれど、僕は立憲にはもはや全く無いと思います。そうなると、どこから手を付けていくのかというと、国政に関しては何らかの手がかりが必要なんだろうと思います。
「れいわ」には、ちゃんと入って、議論をするわけです。党規約を作れ、党員登録をせよ、支部を作れということです。それが出来ないんだったら、それは政党とは言えない。
それと、今回の選挙をやっていて、山本太郎大好き、政策なんてどうでもいいという若い人、ボランティアが多い。政治というのは、そういう側面がある。個人崇拝だからけしからんというのは違うと思う。それなりに魅力がある。その魅力を僕らがどう受け止めるのか、代表選をやれと言っている。

(終)

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