野次馬雑記

1960年代後半から70年代前半の新聞や雑誌の記事などを基に、「あの時代」を振り返ります。また、「明大土曜会」の活動も紹介します。

2023年05月

今回のブログは、今年の4月に開催した明大土曜会での、大学生ジャーナリスト中村眞大さんのお話である。
明大土曜会は偶数月の第1土曜日に開催しており、毎回いろいろなテーマについて関係者から話を聴いたり、議論したりしている。参加者は明大のOBが中心とはなっているが、オープン参加で、他の大学OBや若い世代まで幅広い方々が参加している。
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【2020年代 若者の社会運動を同世代の立場から取材して】
   明治学院大学3年生  中村眞大(まさひろ)さん
プロフィール:ドキュメンタリー映画「北園現代史」監督。校則問題・社会問題をテーマに映像発信する大学生ジャーナリスト

小林哲夫
今日は、明治学院大学の3年生の中村さんをお呼びしました。簡単にご紹介します。
都立北園高校出身で、大学に入ってから学生の社会運動、社会に向き合う学生の人たちの取材をされてきました、この2年間の取材の話をしていただきます。

中村眞大
皆さま初めまして。明治学院大学の中村眞大と申します。
都立の北園高校という、制服も無く、校則も無いという自由な校風の高校に在籍していたんですけれども、在籍中に、例えば髪の毛を染めてはいけないだとか、いろいろな制約、管理教育というものが強化され始めてきまして、それはおかしいんじゃないかということで、友人と一緒にそういった問題に抗議する、問題提起するようなドキュメンタリー映画を制作しまして公開をしたところ、小林哲夫さんなどに取材をしていただきまして、大学入学後に、学校の校則問題に取り組みつつ、同じような活動をしている同世代の若者の取材を始めるようになりました。今はライターという形を取りながら、『情況』誌に編集部として参加しています。

●何がホットなのか
まず、2020年代の若者たちが何に取り組んでいるのかということについて、お話をさせていただければと思います。
〇環境問題
2000年代生まれが一番注目しているというか、一番人数が多い問題としては環境問題があると思います。
環境活動家のスウェーデンのグレタ・トウーンベリさんという方が、僕と同い年なんですけれども、グレタさんが始めた気候危機の運動が世界中に広まりまして、日本でも「Fridays For Future Japan」(未来のための金曜日)という若者グループが全国的にいろんなところで支部を作って活動しています。例えば、金曜日に学校の授業をストライキして抗議活動をする。そのような抗議の形態を取っています。
あとは、「Fridays For Future Japan」を卒業した年上のメンバーたちが、「record 1.5」というグループを立ち上げまして、12月にエジプトで行われた気候問題の国際会議COP27で、世界中から集まった活動家たちと一緒に抗議行動をしたり、その様子を映像に残して編集をして、今度『気候危機が叫ぶ』というタイトルでドキュメンタリー映画を公開すると聞いています。
彼らはよく、「私たちは当事者であると当時に加害者でもある」と言っておりまして、若者ということで将来の影響を大きく受けてしまう。今の地球はどうなってしまうのかということで、被害者、当事者であるということと同時に、今世界中にはツバルであったりアフリカだったり、発展途上国が気候変動の影響を本当に大きく受けている、自分の住んでいる国が沈んでしまうだとか、大きな災害の被害に遭っているとか、私たちの日本は多少の被害は受けているけれども、そこまで大きな影響も受けておらず、何か出来る立場である先進国であるのに、なかなか対策を講じていない、そういうことで、「私たちは当事者であると同時に加害者でもある」と言っているのが印象的でした。
この気候変動の活動の外には、明治神宮外苑の再開発に反対する運動が盛り上がりを見せています。先日、東京新聞に坂本龍一さんも寄稿されていましたけれども、上智大学の学生さんが中心となって、森林伐採や明治神宮外苑のイチョウ並木の根が再開発によって枯れてしまう、そういうリスクを無視して行っている東京都や企業の再開発事業に抗議するような形で、先日も都庁前で緑のプラカードを掲げたサイレント・デモを行っていました。

〇性の問題
続きまして、性の問題、例えばジェンダーの問題です。ジェンダーの問題も若者の間で関心を集めています。
例えば、女性尊重の動きであるフヱミニズムの問題。日本では「Voice Up Japan」という団体、「Voice Up Japan」は大学に根差した活動を進めていまして、例えば「Voice Up Japan」明治大学支部であったり、「Voice Up Japan」国際基督教大学支部のような形で大学ごとに支部を作って活動しています。
イベント開催や勉強会の他にも、私の通っている明治学院大学では生理用品の無料配布などの活動もしています。また、能條桃子さんという方が中心となって、今度の4月の統一地方選挙で女性議員の割合をまずは3割にする、今後は将来的に半分にしていくという、候補者を応援しようという、投票に行こうというだけではなくて候補者の応援をしようというフェイズに行こうというプロジェクトをしている「FIFTYS  PROJECT」、更には、「Girl Up Tokyo」や「学生団体iml」(イムアイ)というような、様々な団体が活動をしています。また、ジェンダーということで言うと、最近話題となっている性的マイノリティの権利拡大のための活動、もちろん当事者もやっているんですけれども、当事者に寄り添うという形でAlly (アライ)という、当事者ではないけれども一緒に活動しているという若者も多く参加しています。

〇入管問題
次に、入管問題。入管問題の難民支援の活動も若者の間で広がりを見せています。入管に収容されていたウィシュマ・サンダマリさんというスリランカ人の女性が死亡したという事件がありまして、それをきっかけにマスコミで大きく報道されまして、「BOND」(バンド)という団体、これは元々中国の残留孤児の支援をしていた団体なんですけれども、この「BOND」という団体が、これは珍しい例なんですが、大人たちの団体が学生をメンバーにすることで、今や学生団体のようになっているんですが、上智大学や獨協大学に支部を作って、入管に収容されている外国人の方との面会支援だったり、2月22日には上野で行われたデモでは、若年層・中間層・シニア、外国人、親子連れ、性的マイノリティなど、多様な人々がデモに参加していて、印象的だと思いました。

〇校則問題
最後に、学校の校則の問題についてご紹介します。ずっと50年以上前から、どういった権利で、どういった権限で学校側が生徒の見た目を縛るんだということが言われてきたんですけれども、今でも残念ながらそうした問題が続いています。
先日も、外国にルーツを持つ生徒が、卒業式で伝統的な髪形で参加しようとしたら、卒業式に参加させてもらえなかったというような事件もあって、新聞で大きく報道されていたんですけれども、ここでは紹介しきれないようなたくさんのひどい事例が全国であります。
最近は、いろいろな活動が功を奏して、文部科学省や地方自治体も校則の見直しを進めてきていて、そこは一つ進展はしているんですけれども、行政側の通達が届きにくいような私立学校では、未だに古い、有り得ないような指導が続いている、なかなかそれが表に出てこないとう現状があるのも事実です。

これらが今の若者が参加している運動の中でかなり盛り上がっているものですけれども、
ご紹介した4つ以外にも、例えば沖縄の問題に関心を持っている若者も多いですし、あとは軍拡反対だったり、原発の問題に関心を持っている若者も多くて、この前、渋谷で軍拡反対・平和を求める若者中心のデモが行われ、ものすごい数の若者が参加したと聞いています。
あと、私は民族派の方も取材しているんですけれども、民族派の方は若者が少ないという現状があるらしいんですけれども、それでも民族派のホープと言われるような若い人も何員かいるようで、憂国運動の大衆化ということを目指して日々活動をしていると聞いています。

●特徴
今、私が取材をして感じるのは、組織、団体というものがあまり重視されていない、もちろん重視されているところも多いですが、こういう新しい活動に関しては個人が尊重されているところが大きいと思います。
例えば「Fridays For Future」はメンバーを「オーガナイザー」と呼んでいまして、リーダーというような代表という役職も基本的に設けていません。ただ、このような組織体制、あえて悪い言い方をすると寄せ集め的になってしまうので、組織の中で考え方の対立が起きてしまったりとか、そのようなデメリットもあるんですけれども、基本的にはそれぞれが自由に活動することができているようです。
また、活動の発信はSNS、ツイッターであったりインスタグラク、ユーチューブであったりSNSを中心に活動の発信を行っています。ミーティングもZoomなどのオンラインビデオ通話サービスを用いることも多いので、こうしたことが、運動が東京だけでなく地方にも広がって、地方のメンバーが一気に一つのミ-ティングに参加できて、一緒のプロジェクトが出来るということが、SNSだったりZoomなどを使っていることが大きいのかなと思います。ただ、一方で紙に残らないので、「記録に残りにくい」というデメリットもあると思います。
私が今、河出書房新社という出版社で、こういう若者の社会運動を行っている当事者の大学生、高校生に書いてもらって、夏ごろに共著本という形で2020年代の若者がどのような活動をしているのかという本を出版させていただく予定です。

●呼称
呼称についてですが、よく社会運動家とか活動家と言いますけれど、最近では「アクティビスト」と横文字で呼ぶ傾向があると思います。これは「活動家」の和訳なんですけれど、「活動家」と聞くと、どうも物騒だという理由から「アクティビスト」という西洋的な雰囲気のある呼び方が好まれるのかと思います。ただ、「アクティビスト」と使っているのは、いわゆるZ世代と同じようにメディアがかなり使っているという節がありまして、「アクティビスト」になってしまう当事者たちはどのように感じているかと言うと、この呼び方にしっくり来ていない人も多いということで、何と名乗ればいいか分からないということで「アクティビスト」と迷いながらも名乗っている人、例えば「人権アクティビスト」だったり「気候アクティビスト」と名乗っている人もいれば、「アクティビスト」というのは嫌だから「活動家」でいいということで「気候活動家」と名乗っている人たちもいて、その辺はかなりバラバラかなという印象を受けます。
そうした中で、話を聴いてみると、祖父母の学生運動の影響を受けた私たちの親世代、40代50代の親世代が、そうした運動に対する偏見の目が大きいので、「活動家」と名乗りづらいのかなと思います。
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●『情況』の宣伝
最後に『情況』の宣伝をさせていただければと思います。私が編集部員として参加している変革のための総合誌『情況』が、昨年休刊したんですけれども、今年の2月に復刊しました。27歳の編集長塩野谷恭輔という東大で宗教学を研究されている方が代表取締役に就任して、編集部メンバーもシニアの方々が引退して、ほぼ20代、10代のメンバーで構成されています。なので、すごく歴史ある雑誌なんだけれども、中身はすごい20代みたいな変な感じになっているんですが、昔の学生運動の話題も取り込んで記録に残すという活動を進めつつも、その時代の社会運動に合わせた特集をどんどん組んでいきたいと思っておりますので、ぜひご購読よろしくお願いいたします。
若者たちの間でも、昔の学生運動に興味のある学生もかなり多いという印象もあります。そうした人たち、特に今の運動をしている人たちと話をしてみると、『情況』を読んでいるよと言ってくれる同世代の人たちも多くて、いろいろと興味のある人も多いという印象があります。
復刊号が宗教特集で、次号は動物特集を予定しています。
(終)

【お知らせ その1】
重信房子さんの新刊発売!
『はたちの時代』(太田出版) 2023年6月16日刊行
はたちの時代

前半は66年から68年までの明大学費闘争を中心とした時期のこと(この部分は私のブログに「1960年代と私」というタイトルで掲載したものです)。
後半は69年から72年までの赤軍派の時期のことが書かれています。
定価 2,860円(税込)

本のアマゾンリンクはこちらになります。

【お知らせ その2】
「続・全共闘白書」サイトで読む「知られざる学園闘争」
●1968-69全国学園闘争アーカイブス
このページでは、当時の全国学園闘争に関するブログ記事を掲載しています。
大学だけでなく高校闘争の記事もありますのでご覧ください。
現在17大学9高校の記事を掲載しています。

http://zenkyoutou.com/yajiuma.html

●学園闘争 記録されるべき記憶/知られざる記録
このペ-ジでは、「続・全共闘白書」のアンケートに協力いただいた方などから寄せられた投稿や資料を掲載しています。
「知られざる闘争」の記録です。
現在12校の投稿と資料を掲載しています。


【お知らせ その3】
ブログは概ね2~3週間で更新しています。
次回は6月16日(金)に更新予定です。

今回のブログは、今年の3月2日から5日まで、土屋源太郎さんを団長として、「老学青」総勢18名で沖縄を訪問した明大土曜会沖縄ネットワーク沖縄訪問報告の続編である。
沖縄訪問の初日の3月2日に遺骨収集ボランティアの具志堅隆松さんから、遺骨収集を始めたいきさつや活動内容、更に現在進められている辺野古新基地建設、琉球弧の自衛隊基地建設強化に対する厳しい批判の説明もお聞きした。
沖縄県名護市の辺野古では、現在新基地建設のための土砂の搬入が続いているが、膨大な埋め立て土砂を調達するために、元々は西日本各地から土砂を持ってくる計画だった。しかし、埋め立て予定地の大浦湾一帯に軟弱地盤が存在することが明らかとなったことを受け、防衛省は大規模な地盤改良のための設計変更を県に申請し、県外からの土砂搬入は県条例でかなり難しいということで、埋め立て土砂の採取地に本島南部の糸満市と八重瀬町などを追加した。
ところが本島南部は沖縄戦が最も激しく戦われた場所で、いまだに戦没者、犠牲者の遺骨が出てくるという場所であり、よりによって南部の遺骨が混じっている土砂を、戦争のための基地建設に使うというのはもってのほかだとうことで、具志堅隆松さんが反対の呼びかけを続けている。
以下、遺骨収集ボランティアの具志堅隆松さんのお話の概要である。
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【沖縄県における戦没者遺骨収集について】
(この概要は、沖縄訪問に参加したK・Y氏のメモに加筆したものです。)
2023年3月2日(木)18:40から
那覇市民協働プラザにて 
講師:具志堅 隆松さん ― 遺骨収集ボランティア(ボランチュ)「ガマフヤー」代表― 
具志堅さんは自営業の傍ら、週末に遺骨収集活動を30年余にわたり続けてきた。
「ガマフヤー」設立の目的は「壕や山野に眠る沖縄戦没者の遺骨収集をすることにより、沖縄戦没者の慰霊と沖縄戦の実相を伝え、次の世代の平和につなげる」ことである。設立は1983年。
ガマは琉球石灰岩の鍾乳洞で自然に出来たもの。「ガマフヤー」とは「ガマを掘る人」という意味である。ガマは沖縄本島南部に集中している。
ちなみに辺野古埋立て土砂の七割を、本島南部産を使用する予定とのこと。
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(写真 沖縄の闘いに連帯する関東の会発行「ナンクルナイサー」より転載)
遺骨収集は、磁気探査機を使用する。自然界に存在する磁気にも反応してしまうが、軍靴の底に付いていた鉄鋲や武器などの磁気を発する物体の反応を見て、遺骨を見つけ出す。

2008年6月、返還された「米軍住宅跡地(※1)」の再開発地区において住民参加の遺骨収集を行い、そこに遺骨があることが知られるようになった。
(※1)解説:那覇市牧港住宅地区。面積195万1千㎡(60万坪弱、東京ドーム4万7千㎡の42個分。1965年に部分返還開始、22年後の1987年全面返還。那覇市の8字(上之屋・天久・安謝・銘苅・安里・真嘉比・古島・おもろまち)に及んでいた。跡地は、那覇市新都心地区土地区画整理事業を実施中。シュガーローフ(※2)は、具志堅さんの子供の頃の遊び場だった。現在は、大きな配水タンクのある公園になっている。
場所は、那覇市字真嘉比。沖縄戦最激戦地、米軍呼称シュガーローフ・ヒルである。戦闘は、1945年5月5月12日から5月18日にかけて7日間にわたり行われ、双方合わせて5千人(1日当り700人以上)が亡くなったと言われる沖縄戦最大の激戦地であった。
(※2)解説:①Sugar loaf(シュガーローフとは往時、租砂糖が擂鉢を伏せたように固められていた形状を言う。②地元では、慶良間諸島が眺望できることから、慶良間チージ(キラマチージ)と呼んでいる。③日本軍呼称は、安里52高地とも、擂鉢丘ともいわれた。④沖縄都市モノレール、おもろまち駅西側にあり、大きな白い配水タンクが丘の上に聳えていて、那覇空港から市内に向かい、国際通りを過ぎた直後に見ることができる。
米軍は、本島北部を1~2週間で制圧後、南部に転戦してきた。
対峙したのは、千葉県「佐倉の連隊」(※3)に埼玉から1,040人が加わった。
(※3)解説:独立混成第15連隊。1944年6月24日千葉県佐倉にて近衛歩兵連隊を中心に関東一円の部隊を集成して新設された。

厚生労働省は、日本本土の港において、沖縄戦帰還者から聞取りを実施した。
その後、41年前(1982年か?)より遺骨収集活動を開始する。
役所は動きが遅い。もう、沖縄返還から10年、敗戦後36年経過している。

2008年6月28日、沖縄県遺骨収集担当部署を訪問する。
沖縄県保護・援護課は、「遺骨収集は終了している」という認識を示す。
遺骨収集の済んでいない埋没壕が多数ある。戦いは壕内(日本軍)からの方が有利であるため、米軍は壕内に攻め込まず、入口をダイナマイトで封鎖した。現在、壕(ガマ)の入口は陥没し、草木が生い茂り分からなくなっているものが多い。
埋没壕の遺骨収集については、厚労省は実施方針を示す。
しかし、現場の建設工事会社と、遺骨収集会社は異なる。なぜ同じ会社がやらないのか納得がゆかない。

朝鮮特需の話が出たがメモが欠落。多分、戦争の武器を作るために、金属類を取りにガマに入った人がいることかと思う。。

遺骨収集するにも日曜日は、人員が少ない。
不景気なので、ホームレスの人達を教会が引取り、働きに出られる人は働きに出す。
厚労省は金を払って、業者にやらせる。
ホームレスの人達を手助けして、戦没者の声なき声に応えるのはどうかと考え、厚生労働省に訴える。
当時の厚生労働大臣・舛添要一に面談すると、対応が早かった。
緊急雇用創出事業を適用するので、沖縄県から厚労省に要請するよう促された。
しかし、沖縄県は、「遺骨収集事業は終了した」の一点張りであった。
「それならば」と、那覇市に相談すると応諾ししてくれた。
緊急雇用創出事業の雇用期間は、六ヶ月間であった。
作業面積は一人当たり一日4㎡と、遺跡発掘に準じた見積もりをした。
プロシスキーパーとガマフヤー協同で、真嘉比小学校南側の土地7,000㎡(2122坪)を発掘した。
2009年10月9日から12月10日まで、55人のホームレスの人達は、公園から出勤して172体を収集した。
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(写真 沖縄の闘いに連帯する関東の会発行「ナンクルナイサー」より転載)
まず、標高の高いところから下に向けて、等高線上を掘り進む。遺骨を探り当てると、遺跡の発掘調査のように、刷毛と竹串を使って丁寧に作業する。
軍隊手帳は紙の部分は無くなり、セルロイドのみ残っている。兵隊の認識票は、上官に取り上げられたらしく、一分隊13人分が纏まって出てきたこともあった。認識票は、少尉以上は名前が記載されているが、それ以下の兵隊は数字のみであった。172体を収集し、DNA鑑定したら、3体の身元が判明した。
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(写真 沖縄の闘いに連帯する関東の会発行「ナンクルナイサー」より転載)
日本軍の蛸壺は、直径60㎝、深さ120㎝あり、中から千人針の布に縫い込まれた穴なし五銭銅貨(四銭=死線を越える意)が出てくる。その蛸壺の中の遺体を発掘したホームレスの人は、「自分は、本土より沖縄へ死のうと思って来たが、遺骨収集により命の大切さを知り考えを変えた」と述べ、この仕事が終わったら故郷に戻ると言っていた。
アメリカ兵は、3日以上同地点にいて移動しない場合は、周辺の日本兵の遺体を集めてオイルをかけて燃し、埋めていた。そうしたキャンプ跡地には、C-レーション(携行食缶詰)やそれより古いK-レ-ションの残骸が出てくる。

遺体のDNA鑑定が規則化されたが、防衛省は南部の土砂を埋め立てに使う方針である。厚労省は2016年以降、遺骨のDNA鑑定を決定する。
沖縄戦では、20万人以上亡くなっている。そのうち、600体のDNA鑑定を実施した。
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(写真 沖縄の闘いに連帯する関東の会発行「ナンクルナイサー」より転載)
2021年3月1日、南部土砂採取禁止の為、沖縄県庁前でハンストを始めた。
南部・沖縄戦跡国定公園地域内、魂魄(こんぱく)の塔西側において土砂採取の計画(糸満市米須、沖縄土石工業、永山盛也代表)が明らかになる。この場所は、具志堅さんの話を聞く前に、平和ガイドの沖本さんに案内された所である。

2020年11月20日、防衛省に申し込みをする。
具志堅さんは、防衛省内部で共感者の出ることを期待した。遺骨が多数ある南部戦跡における土砂採取は「人の道に外れる」と訴えた。

2021年2月26日、防衛省に2回目の要請を行う。この度は、日本山妙法寺の僧侶も賛同して参加した。
2月17日、沖縄県選出、赤嶺政賢衆議院議員(1947年生れ、共産党、沖縄1区)は国会質問し、当時の菅義偉首相(1948年生れ)は、業者による遺骨収集に配慮を示すと答弁した。
防衛省担当者は、具志堅さんからの質問に対して、「南部に遺骨が多数あることは、新聞報道などで知っている」と答えた。「貴方達は、戦友(自衛隊の先輩)の遺骨を使って、アメリカ軍の基地を造ろうとしている」と更に突っ込んだ。
西銘恒三郎(自民党衆議院議員、沖縄4区、1954年生れ))も同じことを言う。沖縄では党派は関係がない。
自分はハンストをして、現実を人に知らせたい。
全国の地方議会に要請文を送り、いくつかの賛同を得られた(※4)。
(※4)解説:琉球新報(2022年12月30日付)によると、県内外の1743の地方議会に意見書の可決を促す要望書を送付。2022年12月21日までに、227議会が意見書を可決した。可決された意見書のほとんどは、遺骨を含む土砂やその可能性のある土砂は使わないことや、国の責任で遺骨収集することを求めている。

東京弁護士会は、「遺骨は遺族のもの、戦争基地に投げ込むな」と声明を出す。
靖国神社前でも座り込みを敢行したが、別に何ともなかった。
日本は、米国の属国と化しているが、米軍兵士の未収集の遺骨も含まれている。
戦争が起きたら、避難はシェルターにせよと言うが、建設を認めるのは、戦争を認めることだ。
「戦争があったら、お前らシェルターに入るなよ!」と右翼に言われた。

戦跡国定公園を航空写真で見ると、川状の緑の線が見えるのは、全て崖の未利用地である。
そこには遺骨がある。琉球石灰岩で構成される未利用地であるから、自治体による買取りを望んでいる。ふるさと納税金を財源に充て、全国的な問題として知らせたい。
最後に、なぜこの仕事を続けているのかと問われた具志堅さんは、「勝ち負けではない。不条理の中には、立ち止まっていられない」と答えていた。
以上

【補足】
 沖縄の闘いに連帯する関東の会発行「ナンクルナイサー」(2021.12.31発行)には、「第7回沖縄の闘いに連帯する集い」での具志堅隆松さんの講演の内容が掲載されている。沖縄訪問での講演を補足する意味で、その中の一部を転載させていただいた。
【「止めさせて!父を海に沈めないで!」家族の顔いに応えて・・・】
一昨年の4月、沖縄防衛局が大浦湾の軟弱地盤を埋めるために土砂が足りないということで、沖縄県内7力所から土砂を採取する届け出を知事へ出しました。その場所が遺骨収集の現揚とぶつかるのではないかと心配していたところ、その心配が的中し、まだ遺骨が残っている未開発の緑地帯から土砂を採取されることになってしまいました。
遺骨を見つけ、次の日曜日にまた作業をしようと行ってみると、周りの木が伐採されており、磁気探査をしている人に聞くと採石場になるということでした。
最初は業者を止めようと思いましたが、業者が採石をするのは需要があるからであり、需要ができたのは沖縄防衛局が計画を立てたことが問題だと考え、防衛局へ要請をすることにしました。
防衛局は、遺骨がまだあると知らないのではないかと思い、まずは現場視察を要請しました。すると防衛局は、「まだ決まったことではなく、内部で共有したいと思う」と返答しました。計画を立てた時に、南部にまだ遺骨があることを知っていましたかと聞くと、それには答えませんでした。「知っていたなら人の道を外れていますよ」と言っても、何も答えませんでした。
次に、計画の断念を要請しましたが、防衛局はその少し前に菅首相が国会で行なった答弁を繰り返すだけでした。その答弁とは、「業者が遺骨に配慮すると思う」というものです。それは業者が遺骨収集をするということかと尋ねても、何も答えません。
私はいろいろな人にこのことを伝えましたが、「いくら何でもそんなことはしないのではないか」という反応でした。多くの人にこのことを知ってもらおうと、「ハンガーストライキ」を行ないました。
すると、多くのお年寄りがやって来て、「どうにかして止めてください」と言われました。ある人は、「泳げなかった父親が陸路を逃げて死んでしまったので、その父親を海に沈めないでほしい」と言っていました。
私は「できるだけのことはします」と約束しました。
遺骨が含まれている土砂を埋め立てに使う話を聞いた人は、「国がそんなことをするのは間違っている」と言ってくれます。国に間違ったことをさせないため、全国の地方議会に「南部から土砂を採取しないでください」という意見書を採択させる取り組みを始めました。
【主権者=国民が決める! 「勇気」を出して国の方向を変えよう!】
全国の自治体議会は1,743あります。宗教者の人たちが協力してくれ、全国へ要請書を発送し、138議会から「国に要請しました」という回答が届きました。しかし、ほとんどの議会では採択に至っていません。郵送された要請書は議長預かりとなり、地元の人が議会に提出しないと審議されないところが多いのです。
議会への要請は国民としてできる権利です。そのために必要なのは「勇気」です。勇気を出して国の方向を変えましょう。
私たちは主権者です。国の方向を決めるのは私たちです。

【お知らせ その1】
「続・全共闘白書」サイトで読む「知られざる学園闘争」
●1968-69全国学園闘争アーカイブス
このページでは、当時の全国学園闘争に関するブログ記事を掲載しています。
大学だけでなく高校闘争の記事もありますのでご覧ください。
現在18大学9高校の記事を掲載しています。


●学園闘争 記録されるべき記憶/知られざる記録
このペ-ジでは、「続・全共闘白書」のアンケートに協力いただいた方などから寄せられた投稿や資料を掲載しています。
「知られざる闘争」の記録です。
現在13校の投稿と資料を掲載しています。


【お知らせ その2】
ブログは概ね2~3週間で更新しています。
次回は5月26日(金)に更新予定です。

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