野次馬雑記

1960年代後半から70年代前半の新聞や雑誌の記事などを基に、「あの時代」を振り返ります。また、「明大土曜会」の活動も紹介します。

2023年12月

今回のブログは、12月2日に開催された明大土曜会での「パレスチナ問題」についての重信房子さんの報告である。

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【重信房子さんが「パレスチナ問題」について語る!】
パレスチナ問題について、まず最初に現状をお話し、時間があれば歴史的経緯も話していきたいと思います。
10月7日に起きたこと
日本のテレビを観たりラジオを聴いていると、ハマスとイスラエルの闘い、ハマスが10月7日に攻撃を仕掛けた、こういう風になっているんですけれど、これはハマスの戦争ではないんです。ガザにいるすべての解放勢力がみな起ち上がったんです。
ハマスのアル・カッサム旅団、ファタハのマルワン・バルグーデイを指導者と仰ぐアルアクサ―殉教者旅団、PFLPのアブアリ・ムスタファ殉教者旅団、それからイスラム聖戦機構、そのほか諸々の小さなグループを含めて、皆で起ち上がらざるを得ない。絶望なのか、それとも闘うべきなのか、その決断の結果として起ち上がったものなんです。
何故日本でハマスと言われるかと言うと、やはりハマスが最大勢力でガザの行政も担っているし大きいんですね。ですけれども、それは全体のガザに居る人たちの意思として闘いが行われたんです。何故そのような闘いになったのかと言うと、絶望よりも闘いによって新しい希望をつかもう、自分たちだけでなくて自分たちの次の世代に希望を創り出すために、自分たちが起ち上るしか方法がなかった、と友達からも聞いています。
イスラエルの政権の実態
何故そうなったのかと言うと、あまりにもひどいことが続いた。75~76年、イスラエルという国が出来てからずっと続いてきたんですけれども、特にこの間、12月にネタニヤフ政権が登場して以来、ひどいことがずっと続きました。それがここ(資料)にも書いてありますけれども、「これまでにない」と西側の報道が言うほど超右翼の政権が登場した。その理由というのは、ネタニヤフ自身は汚職で起訴されているんですね。ですから自分が権力を取って司法制度を変えて、首相特権で罪が免責されるようにということで、普段はそこまでやらないというような、右翼の「ユダヤの力」とか「シオニズム党」とか、そういう超過激な右派と共同して政権を取ったんですね。それで右派の人たちの主張というのは、「パレスチナ人は自分たちの土地、ここはユダヤ人に神から与えられた土地なので、ここから出ていけ」、そういう主張の右翼なんですね。そういう人たちが権力に入ったために、一言で特徴を言えば、これまでは占領地とイスラエルという区分けがあったんですね。それを全部なくして、全部イスラエルという風にシステムを変えていったんです。
新設された国家安全保障相、治安担当の大臣になった有名な右翼のベングビールという人が権力を握って、これまでのイスラエルの警察長官的な役割というのも、それから占領地は国防軍が管理していた役割というのも、それからエルサレムは警備隊という別の機関が掌握して管理していましたが、それを全部超右翼が握ることになったんですね。
それから財務相には「宗教シオニズム党」のスモトリッチというやはり右翼の人がなって、あそこでは占領下のパレスチナ人というのは代理徴収されて税金を払っていて、その取った税金は自治政府に渡さなければいけないんですね。ところが、自治政府に渡すべき税金もいろんな理由を付けて渡さないということを繰り返してきました。
そして最後に、今年の9月になるんですけれども、国連総会でネタニヤフが首相として演説した時に、地図を示したんです。この地図というのは、その中にパレスチナ自治区もないし、ゴラン高原もないし、エルサレムとか占領したものは全部併合してしまった地図だったんですね。そこに現れていたのは、「我々はイスラエルとして全部掌握する」という、公然とした意思がそこに示されていて、こうした総仕上げとしてネタニヤフが非合法的な拡張イスラエルというのを、国連総会で我々のイスラエルとして勝利宣言のように演説しました。あとはサウジアラビアと国交を結んで、我々が中心となって中東を作っていくという「新しい地図」を宣言したんですね。それを何故宣言したかと言うと、それまではアラブ連盟というのは「パレスチナ問題の解決なしにイスラエルと国交を結ばない」というのが歴史的な原則だったんです。イスラエルが主張してきたのは「アラブ諸国と平和条約を結びパレスチナ問題を解決する」と逆なことを言っていたんですけれども、そっちの方が現実問題として大きくなって、その結果としてネタニヤフが公然とパレスチナを抹消していくような行為に出たということで、パレスチナの人たちはこれは「第2のナクバだ。自分たちはここからまた追い出される」と思った、こういう結果があって10月7日の決起が有った。
「第2のナクバ」とは
ガザの人たちというのは、75%くらいが1947年に国連決議によって47年から48年の間にイスラエル、当時はユダヤのシオニスト機関でしたが、その暴力によって追放され「ナクバ」にあった。「ナクバ」というのはアラビア語で「大惨事」という意味なんですけれども、そういう被害にあって、追放されてガザに入り込んで難民として暮らしてきた人たちなんですね。その人たちのお父さんやお母さん、そういう人たちの娘、息子たちが今ガザに住んでいる人たちですけれども、そこでもう1度自分たちはここから追放されるというのをよく知っているんです。何故なら1996年にネタニヤフが初めて首相になった時に、エジプトに訪問したことがありました。その時にエジプトの大統領ムバラクに「実は自分はパレスチナ人の国を作りたい。エジプトのシナイ半島にパレスチナの国を作るので割譲すべきだ」と。シナイ半島というのはエジプトの土地なんですけれど、そこに全部住まわせようという魂胆があるというのが暴露されたんですね。それは、「そんなことは有り得ない」と言ってネタニヤフはその時は否定したんです。今度はオバマ政権の閣僚たちが証言したんですけれども、やはりもう1度ネタニヤフが「シナイ半島に国を作ってそこにパレスチナ人を住まわそうと思う」という提案をしている、そういうのも暴露されていたので、今度は、今回の10・8の後にまたリークされたんですけれども、全部避難という形でパレスチナ人をシナイ半島に避難所を作ってそこに住まわせて、ガザをいったん平定する、そういう考えだというのがすでに明らかになっているので、もし自分たちが避難に応えて出て行ったら、帰ることが出来ない。それが分かっているから、ガザの人たちは本当に生死の戦争の中で、今自分たちの命を奪われながら、まだ戦わざるを得ない。すでにもう100何人、停戦が破棄され新しい戦争の再開によってこういう事態、虐殺が始まっています。
歴史的経緯 ― 第一次世界大戦時のイギリスの「3枚舌外交」
何故そんなことが起きて来たのかということを、歴史的に少し話してみますと、アラブ中東地域が大きく分ければ2回に渡って西欧の、特にヨーロッパとアメリカの帝国主義勢力によって植民地支配されてきた歴史があるんですね。その歴史の結果として、現在に至る状況が作られています。
第一次世界大戦の時には、有名なイギリスの「3枚舌外交」と言うんですけれども、イギリスがトルコと戦争をやって、トルコが支配をしている中東地域を自分たちのものにするために、3つの舌を使って嘘をついて、イギリスの勝利をものにしようとした。
一つは、アラブの宗教的リーダーであるフサインという人に対して、「あなたがトルコに対して戦ったらアラブの独立を保証する。だからトルコに対して起ち上るべきだ」という約束をし、アラブ人は軍を作って戦うんですね。その時に有名な「アラビアのロレンス」というのが顧問として登場してくるんですけれども、それは西側の話で、実際に彼はイギリスのエージェントで、情報機関員としてアラブの軍隊を訓練したり育てたり一緒に行動はするんですけれど、それが1枚目の舌です。
もう一つは「サイクス・ピコ秘密協定」で有名なんですけれど、それはロシアとイギリスとフランスの3者で、トルコをやっつけた後に、この土地を自分たちで分割しましょうという秘密の条約を決めるんですね。その秘密の内容というのが、実際にアラブ人に独立させると言った土地も含めて、第一の約束と矛盾するような条約を結んだんです。だけど、その時にロシアで革命が起きて、外務大臣の役割を負っていたレオン・トロツキーが暴露するんですね。「こういう秘密の条約がある。我々はこれを破棄する」という破棄宣言をするんです。でも実はその後もフランスとイギリスの間でずっと土地争いをしながら、密かに話を続けるんです。
もう一つの舌で「バルフォア宣言」という、これはユダヤ人の軍資金が欲しかったので、ユダヤのお金を貰うためにした約束があります。その頃世界の金融を動かしていたのはユダヤ人資本だったんですね。ですからユダヤ人のお金を貰うために、バルフォア外相がロス・チャイルド(ユダヤ系金融資本家)に手紙を出したんですね。パレスチナにユダヤ人の国をつくる、国と言わずにその時はあいまいに郷土、カントリーではなくホームランドを作ることに我々は賛成しています、というものです。
こういう3つの矛盾する約束をして、結末はどうなったかと言うと、結局アラブ人は捨てられたんです。アラブ人は一番活躍して、イギリス軍がトルコを攻めドイツを攻めて解放したところに、パレスチナの領土をイギリス軍は1918年くらいから軍政を敷いてそこに居座るんです。結局戦争が終わって国際連盟が出来て委任統治という形になるんですけれども、その時にアラブ人たちは、自分たちが解放して自分たちの軍隊がいるダマスカスとかベイルートとかパレスチナに対して独立を要求するんですけれども、それが「パリ講和会議」という第一次大戦のいろいろな決め事をするんですけれども、その時にフランスがパレスチナに対してアラブ人に権利が無いと主張して、イギリスもそれに同調し、結局誰も支援しようとしなかった。それに対して、アメリカの大統領のウイルソンが、アラブ側の提案に賛意をしめしたのです。レーニンたちの民族自決権に対抗して、自分たちも民族自決権という自由を標ぼうするんですね。そのお陰でウイルソンが「パレスチナの地にバルフォア宣言のような事が可能か実態をを調べることが必要だ。実際にどうなっているのか」ということで調査団派遣が決定されました。他のイギリスとかフランスの方はパレスチナ人を無視しようとしたんですけれども、ウイルソンが調査団を派遣して報告書を出すんですね。それによると、現地の報道で、特に委任統治で現地にいたイギリスの軍隊の人たちは、「もしもここにユダヤ人の国を作ったら、人殺しの衝突になる。だからそれは許すべきではない」と述べたという報告が出るんですけれども、それをフランスとかイギリスが逆にそれを塗りつぶして急ぎ自分たちの意のままの植民地支配をするために会議をしました。有名な「サン・レモ会議」という最終的に第一次世界大戦後の実際の形を決める会議があるんです。そこに日本も登場しているんですが、そこでパレスチナに対してイギリスの委任統治を正式に決めるんですね。それは秘密会議だったんです。1ケ月後くらいに発表されるんですけれど、そこでは日本は中国の青島を割譲されるとか、当時イギリスと同盟を組んでいたんですが、喜んでパレスチナがイギリスの植民地になることに賛成票を投じているんです。だから、パレスチナが植民地支配される最初から日本は与みして、犯罪的な植民地支配の賛成の立場に立って、パレスチナをイギリスが植民地支配することに賛成してきたという歴史があります。
歴史的経緯 ― 第二次世界大戦とシオニズム運動
第二次世界大戦の時はどういうことかと言うと、今度はユダヤ人に対してホロコーストの問題が起きます。それはまさにドイツとかフランスとか、迫害した主体はヨーロッパの帝国主義的勢力だったんですけれども、その勢力に対して、戦勝国がユダヤ人に対する償いをパレスチナに国を作ることにしようと決めるんですね。それは何故かと言うと、それまでの間、ユダヤ人の側は自分たちはホロコーストだとかポグロムだとか、いろいろ迫害されてきたキリスト社会の歴史に対して、自分たちの国を作ろうという運動を始めて、それがシオニズム運動と言うんですね。
シオニズムのシオンというのはエルサレムの別の言い方なんです。「シオンに帰ろう」という、それまでに文化的運動としてはあったんですけど、政治運動として「パレスチナに国家を作ろう」という、1897年にそういうシオニズム運動というのが起こるんですけれども、そのシオニストたちがナチと実は秘密に協力して、身体の丈夫なユダヤ人はパレスチナに、そうでない人は収容所に送っている、そういう証拠書類も歴史的には残っているんです。けれども、あまりそれは社会的には大きくなっていないんです。そういうシオニストたちが中心に動いた結果として、シオニストたちが言うように、ユダヤ人に対する償いとしてパレスチナに国を作ろうと。本来、ドイツでユダヤ人を迫害し殺し虐殺したのならば、その反省としてドイツに一緒に住みながら償いをすべき事柄なんですね。それをパレスチナに建国するという風にすり替えることによって、パレスチナにユダヤ人がどんどん入って来た。
そこには誰もいなかったわけではなくて、すでにパレスチナ人が住んでいたんです。そこから問題が起きるんですね。ですから歴史的に責任があるのは米・欧の帝国主義諸国の決断なんです。
それから何故、今のこういうガザに事態に至っているのかと言うと、それ以来、アメリカがどんなことをイスラエルがしてもそれを許す、拒否権を使って国連決議を無にしてしまう。最初はユダヤ人が持っていた土地はパレスチナの6%だったんですね。それを1947年の国連決議によって2つの国を作ろうと決めたんですけれども、その時に6%がいつの間にか56.5%になって、アラブ人が持っていた94%が43.5%に不公平に振り分けられたんですね。それは振り分けられた結果なんですけれども、2つの国を作るというのに、結局今、パレスチナの国は出来なかったんです。
歴史的経緯 ― 第一次から第三次中東戦争まで
何故かと言うと、イスラエルが全部占領してしまったんですね。1948年の第一次中東戦争で78%、それから1967年の第三次中東戦争で残りの22%を占領という形で。最初の戦後に決議した時には3つに分けたんです。43.5%のアラブと、56.5%のイスラエルと、それからエルサレムはいろんな宗教があるので国連の国際的な管理にして、3つに分けたんですが、それを全部イスラエルが占拠しちゃった。にもかかわらずアメリカの方が、国連安保理でそれに対して制裁を要求しても、アメリカが拒否権を発動して拒否してきた。だから、イスラエルが何をしてもかまわないんだという流れがずっと形成されてきて、その結果として、ここまで増長してしまったイスラエルによる暴力というものが70何年ずっと続いてきた。ガザの事態を見た時に、地球上でこんなことが起こっているのか、こんな人類の犯罪があるのかというような激しい、戦闘をしていない人々への暴力が振るわれているんです。
武器を持たない人間に銃を向けてはならない
私自身、自分で活動してきた中で、武器を持って戦うという方法を取りました。自分たちも誤りも犯しました。民間人で実際には関係の無い人たちに被害を与えるような闘い方をしました。だからこそ反省の中で、「武器を持たない人間に銃を向けてはならない」、これは私たち自身が活動しながらパレスチナの人たちと共に闘ってきた教訓であったわけですね。だからこそ、より声を大きくして、この今のガザの事態に対して、何としてでも普通の人、武器を持たない民間の人たちに対して、あのように無差別な懲罰、本当にハマスとか武装勢力を選んでいるガザの住民に対する懲罰攻撃を止めさせなければならない。ずっと何年間も封鎖された中で生きて来たガザの人たちは、そうであればあるほど、やはりハマスを支持する、武装勢力を支持する結果になっているんです。そのことを今解決できないまま現実に至らしめているのは、イスラエルのこうした暴力に対して国際社会が無力であった、その結果なんですね。逆に言えば、国際社会がもう1度立ち返って、国連で「2つの国を作る」と決議したあの地点に立ち返って、もう1度考え直していく必要があると思っています。
パレスチナ問題への理解を
この間、日本でも、あまりのひどさ、戦争のもう一つの側面なんですけれども、もう本当に観ていられないほどの悲しい画面がテレビから観れる。そのことによって真実は隠せなくなっている。だからみんなが観て、起ち上がらざるを得ないという若い人たちがたくさんいます。私もこの間、一市民として、新宿だとか銀座だとか一緒にデモをしてみましたけれど、若い人が多いし、それから道でみんなが手を振って応援する、こんなことパレスチナに対して初めてで、パレスチナ問題に長く関わって来た私としては、一緒に歩きながら、外国人の方が「フリーフリーガザ」「フリーフリーガザ」と言いながら泣いているんですけど、私も長い間パレスチナ問題と言うと「テロ」という風に言われてきな中で、少数派としてやってきた分、「ああ、こんな風にパレスチナの友人のことを日本でも語れるようになったな」ということがとっても嬉しくて、何となく泣けてきてしまった思いがありました。
今ここで、パレスチナ問題に何か出来ることをみんなにして欲しい。それは何か難しいことではなくて、例えばユーチューブなどでも連帯の印として『ガザの美容室』という映画がタダで観られる、そういうこととか、パレスチナ関連の映画や本、私もパレスチナ関連の本を何冊か書いていますし、書いている人も多いので、同じ地球上にこういう風にして生きている人もいるんだな、ということを知るためでも、少しでも理解を示して欲しいし、日常の中にある自分たちの生活から想像できないことを想像して、一緒に気持ちとしても分かってあげて欲しいと思っています。
以上です。

【『パレスチナ解放闘争史』の紹介】
重信房子さんの新刊本です!
『パレスチナ解放闘争史』(作品社)2024年2月出版予定!
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【『はたちの時代』の紹介】
重信房子さんの新刊本です。絶賛発売中!
『はたちの時代』(太田出版) 2023年6月16日刊行

はたちの時代

前半は66年から68年までの明大学費闘争を中心とした時期のこと(この部分は私のブログに「1960年代と私」というタイトルで掲載したものです)。
後半は69年から72年までの赤軍派の時期のことが書かれています。
定価 2,860円(税込

本のアマゾンリンクはこちらになります。
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「模索舎」のリンクはこちらです。

江刺昭子さんによる本の書評(紹介)です。(47ニュースより)

「あとはき」より
『ここに書かれた記録は、ごく日常的な私自身の身の回りで起こったことを率直に書き記したものです。その分、他の人が書けば全く違った関心角度から違った物語がこの時代のエピソードとして描かれることでしょう。私は獄に在って、何度か癌の手術を繰り返していました。生きて出られないことがあっても、支えてくれる旧友や、見ず知らずの方々にお礼を込めて、私の生き方、どんなふうに生きてきたのかを記録しておきたいと思ったのが、この記録の始まりです。私がどのように育ち、学生運動に関わり、パレスチナ解放闘争に参加しどう生きて来たのか、マスメデイアでステレオタイプに作り上げられた私ではなく、生身の私の思いや実情を説明しておきたくて当時を振り返りつつ記して来ました。獄中と言うのは、集中して文章を書くのに良いところで、ペンをとって自分と向き合うと過去を素直に見つめることが出来ます。楽しかった活動や誇りたいと思う良かった事も、間違いや恥かしい事や苦しかったことも、等しく価値ある人生であり私の財産だと教えられた気がします。(中略)どんなふうに戦い、どんな思いをもって力を尽くし、そして破れたのか、当時の何万という「世の中を良くしたい」と願った変革者の一人として、当時の何万と居た友人たちへの報告として読んでもらえたら嬉しいです。また当時を若い人にも知ってほしいし、この書がきっかけになって身近に実は居る祖父や祖母たちから「石のひとつやふたつ投げたんだよ」と語ってもらい、当時を聴きながら社会を知り変えるきっかけになれば、そんな嬉しいことはありません。
いまの日本は明らかに新しい戦争の道を進んでいます。いつの間にか日本は、核と戦争の最前線を担わされています。そんな日本を変えていきたいと思っています。決して戦争をしない、させない日本の未来をなお訴え続けねばと思っています。なぜなら日本政府が不戦と非戦の国是を貫くならば日本の憲法には戦争を押しとどめる力があるからです。はたちの時代の初心を忘れず日本を良い国にしたい。老若男女がこぞって反戦を訴え支える日本政府を実現したいと思います。』

目次
第一部 はたちの時代 
第一章 はたちの時代の前史
1 私のうまれてきた時代/2 就職するということ 1964年―18歳/3 新入社員、大学をめざす
第二章 1965年 大学に入学した
1 1965年という時代の熱気/2 他人のための正義に共感/3 マロニエ通り
第三章 大学生活をたのしむ
1 創作活動の夢/2 弁論をやってみる/3 婚約/4 デモに行く/5 初めての学生大会/6 研連執行部として

第二部 明治大学学費値上げ反対闘争
第四章 学費値上げと学生たち
1 当時の牧歌的な学生運動/2 戦後民主主義を体現していた自治会運動/3 話し合いの「七・二協定」/4 田口富久治教授の嘲笑   
第五章 自治会をめぐる攻防
1 スト権確立とバリケード――昼間部の闘い/2 Ⅱ部(夜間部)秋の闘いへ/3多数派工作に奔走する/4 議事を進行する/5 日共執行部案否決 対案採択
第六章 大学当局との対決へ 
1 バリケードの中の自治/2 大学当局との激論/3 学費値上げ正式決定/4 収拾のための裏面工作/5 対立から妥結への模索/6 最後の交渉と機動隊導入  
第七章 不本意な幕切れを乗り越えて
1 覚書―二・二協定の真相/2 覚え書き(二・二協定)をめぐる学生たちの動き

第三部 実力闘争の時代
第八章 社学同参加と現代思想研究会
1―1967年 一 私が触れた学生運動の時代/2 全学連再建と明大「二・二協定」/3 明大学費闘争から再生へ 
第九章 社学同への加盟
1 社学同加盟と現代思想研究会/2 現思研としての活動を始める/3 67年春、福島県議選の応援/4 今も憲法を問う砂川闘争/5 あれこれの学内党派対立/6 駿河台の文化活動
第十章 激動の戦線
1 角材を先頭に突撃/2 10・8闘争の衝撃/3 三里塚闘争への参加/4 68年 5月革命にふるえる/5 初めての神田カルチェラタン闘争―1968年6月/6 68年国際反戦集会の感動 

第四部 赤軍派の時代 
第十一章 赤軍派への参加と「七・六事件」
1 激しかったあの時代/2 1969九年の政治状況/3 4・28縄闘争/4 赤軍フラクション参加への道/5 藤本さんが拉致された、不思議な事件/6 7月5日までのこと/7 69年7月6日の事件/8 乱闘―7月6日の逆襲/9 過ちからの出発
第十二章 共産主義者同盟赤軍派結成 
1 女で上等!/2 関西への退却/3 塩見さんらの拉致からの脱走/4 共産同赤軍派結成へ
第十三章 赤軍派の登場と戦い
1 葛飾公会堂を訪れた女/2 「大阪戦争」/3 「東京戦争」/4 弾圧の強化の中で/5 支えてくれた人々/6 前段階蜂起と組織再編/7 大敗北―大菩薩峠事件/8 初めての逮捕――党派をこえた女たちの連帯
第十四章 国際根拠地建設へ
1 前段階蜂起失敗のあと/2 よど号ハイジャック作戦/3 ハイジャック闘争と日本委員会/4 深まる弾圧――再逮捕/5 思索の中で

第五部 パレスチナ連帯と赤軍派との乖離(かいり)の中で
第十五章 パレスチナ連帯の夢
1 国際根拠地パレスチナへ/2 赤軍派指導部の崩壊/3 森恒夫さん指導下の赤軍派/4 パレスチナへの道
第十六章 パレスチナから見つめる
1 ベイルートについた私たち/2 統一赤軍結成/3 アラブの私たちー―赤軍派との決別/4 新党結成の破産/5 アラブから連合赤軍事件を見つめて/6 連合赤軍の最後とアラブの私たち/7 新たな変革の道を求めて

【『ヤタニ・ケース』の紹介】(鹿砦社サイトより転載)
『ヤタニ・ケース アメリカに渡ったヴェトナム反戦活動家』
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矢谷暢一郎=著
鹿砦社 2023.11.20発売
定価:本体2700円+税

望月(上史。旧友。故人)の死を無駄にしないために、生き残った僕らは彼の死を無駄にしない生き方をしなければならないと思うが、それは「明日」を生き残った誇りでもう一つ次の「明日」を準備することかもしれない。 (本文より)
1960年代後半、ヴェトナム反戦運動が盛り上がる中、その渦中に身を投じながら、仲間の死、運動の解体、闘病を経て、70年代後半、再起を期して渡米――しかし、そこでもプロファイリングは海を越え当局に回っていた……。
70年代渡米以降、研究に没頭し過ごしていたが、突然逮捕され、「ヤタニ・ケース」といわれる、全米を揺るがす大事件に発展。闘いは続いた――それはどう決着したのか? その意味は?
伝説のヴェトナム反戦活動家(当時の同志社大学学友会委員長)が激動の人生を総括、渾身の書き下ろし!

[著者略歴]
矢谷暢一郎(やたに・ちょういちろう)
1945年、島根県隠岐の島生まれ。
1960年代後半、同志社大学在学中、同大学友会委員長、京都府学連委員長としてヴェトナム反戦運動を指導。同大中退。
77年渡米、ユタ州立大学で学士号、オレゴン州立大学で修士号、ニューヨーク州立大学で博士号を取得、85年以降、ニューヨーク州立大学、セント・ジョセフ大学、ニュージャージー・ラマポ大学等で教鞭を執る。
86年、オランダでの学会の帰途、ケネディ空港で突然逮捕、44日間拘留、「ブラック・リスト抹消訴訟」として米国を訴え、いわゆる「ヤタニ・ケース」として全米を人権・反差別の嵐に巻き込んだ。現在、現在アルフレド州立大学(ニューヨーク州立大学機構アルフレッド校)心理学名誉教授。
著書に、『アメリカを訴えた日本人――自由社会の裂け目に落ちて』(1992年、毎日新聞社)、『日本人の日本人によるアメリカ人のための心理学』(2014年、鹿砦社)がある。

鹿砦社サイトはこちらから。
https://www.rokusaisha.com/kikan.php?group=new&bookid=000736

【お知らせ その1】
「続・全共闘白書」サイトで読む「知られざる学園闘争」
●1968-69全国学園闘争アーカイブス
このページでは、当時の全国学園闘争に関するブログ記事を掲載しています。
大学だけでなく高校闘争の記事もありますのでご覧ください。
現在17大学9高校の記事を掲載しています。


●学園闘争 記録されるべき記憶/知られざる記録
このペ-ジでは、「続・全共闘白書」のアンケートに協力いただいた方などから寄せられた投稿や資料を掲載しています。
「知られざる闘争」の記録です。
現在16校の投稿と資料を掲載しています。


【お知らせ その2】
ブログは概ね2~3週間で更新しています。
年末年始はお休みにしますので、次回は来年1月5日(金)に更新予定です。

2023年10月8日、東京大田区の蒲田で「10・8羽田闘争56周年集会」が開催された。
当日の様子はNo624「10・8羽田闘争56周年ドキュメント」として公開しているが、集会の第2部「行動し発信する学生たちから」が未公開だったので、今回その概要を掲載する。
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【56周年記念集会】
大田区消費者生活センター2階 大会議室
「10・8羽田闘争56周年~半世紀を超えて戦争反対の思いは今~」
●第2部 行動し発信する学生たちから「沖縄、気候変動、入管問題」など
コーディネーター 小林哲夫さん(教育ジャーナリスト)
登壇者      中村眞大さん(明治学院大学)
         白坂リサさん(慶応義塾大学)
         降旗恵梨さん(立教大学:BOND外国人労働者・難民と共に歩む会)

小林哲夫
2020年代の若者の社会運動、今の『怒りを歌え』からちょうど54~5年経った、今の2020年代の学生が、社会とどう向き合い、どう考え、どう議論し、どうやって発信して、どのような行動をしているのかについて、話を進めたいと思います。
のちほど学生さんが3人登壇します。その前に、2020年代の若者の社会運動の動画を作りましたので、それをご覧になって、今の様子というのを観ていただければと思います。
この動画を作ったのが、明治学院大学3年生の中村さんです。
動画を時々止めて簡単な解説をしますけれども、できるだけ分かりやすく、今の学生さんの言葉を使いながら進めたいと思いますので、よろしくお願いします。

【「2020年代若者の社会運動ダイジェストムービー」上映】

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この画像が、2019年10月21日、東洋大学文学部の船橋秀人さんという学生さんが、竹中平蔵さんが当時東洋大学で授業を持っていまして、その授業反対の立て看板を白山キャンパスに掲げました。それに対して、大学の職員がすぐにやってきて、立看を撤去するという動画です。
今、船橋さんは、京都大学の大学院の文学研究科修士課程にいます。11月5日の関西集会で登壇を予定しています。

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(中村)
こちらは都立の北園高校というところで制作されましたドキュメンタリー映画「北園現代史」です。僕が北園高校の3年生の時に、頭髪規制だったり、見た目について教員が介入してくる、そういう規制が強化されて、元々「自由な校風」がウリだっただけに生徒がすごく反発して、僕と仲間がそれに問題提起するようなドキュメンタリ-映画を制作しました。

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「気候危機を止めろ!」

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今年の9月21日に、静岡の浜松にある浜松開誠館高校、今年の夏に甲子園に出た学校ですが、ほぼ全校生徒千人が温暖化防止対策を求めて市内でデモを行いました。

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(中村)
9月に北海道の帯広に行って、一人の若手の気候運動家に、どんな活動をしているのかを喋ってもらいました。
「みなさん、初めまして。私は北海道の十勝に住んでいる高校2年生です。私は現在Fridays For Future札幌に所属しています。これまでやってきた活動としては、中学3年生の時に、学校を休んでスクールストライキをしました。また、今回のCOPでは気候変動への具体的な解決策を求めて、ハンガーストライキもしました。
今後やっていきたいこととしては、もっといろんな人が気候変動について考える世界ができたらいいなと思っています。」

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(中村)
坂本龍一さんが連帯を表明したことでも知られている明治神宮外苑の再開発に反対する高校生が中心になって始めた運動の様子を紹介します。
「私たちが闇雲に再開発に反対しているという印象を持たれがちなんですけれど、私たちはそうではない。署名活動で積極的に言ったのは、再開発自体を行うことに反対なのではなく、今自然保護と言われているこの時代に、緑の価値とか、人々の心にとっても緑は大事だから、緑を保全して切らない形で再開発を進めて欲しいという思いで、企業にも東京都にも訴えているつもりなんですけれども、やっぱり一方的になってしまって、コミュニケーションが取れていない状態で、近隣住民の人たちも都民も私たちも10万筆の署名を6月に提出したんですけれども、それでもコミュニケーションを取る機会を与えてもらえてないので、もっと声を反映した再開発をして欲しいと私たちは日ごろから思っています」

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入管法改悪反対という横断幕があります。入管問題、難民問題に取り組んでいる学生さん、一昨年から街に出て、多くのことを訴えています。今日これから登壇していただく方もこの中に入っています。
「入管法改悪反対!」

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(中村)
こちらは被選選挙権を引き下げることを求める公共訴訟の運動です。現在、選挙権は18歳に引き下げられたんですけれども、立候補する年齢は衆議院で25歳、参議院や県知事は30歳ということで、それは不平等なんじゃないか、18歳から選挙に立候補できるようにしたい、政治家になって社会を変えたいという人たちが、公共訴訟という形で国に裁判を起こしました。その決起集会の様子です。

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昨日行われた、学生、高校生、大学院生を含めて若い方々が、運動をやろう、いろんな運動をやるにはどうしたらいいのか、それぞれ運動について自分たちの悩みを訴え、これからどうやって広げていくかというのを話し合う場がありました。
以上になります。どうもありがとうございました。

●自己紹介

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小林哲夫
今日は学生さん3人に来ていただきました。3人とも社会と深く向き合って、いろんなことを考え、いろんなことを発信し、行動されている方です。この方々が日々どのようなことを考えているのかについて、皆さんの前でお話できればと思います。
まず自己紹介ですが、私は小林哲夫と申します。社会問題関係、教育関係をフォローしているジャーナリストです。よろしくお願いします。

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中村眞大
明治学院大学3年生の中村眞大(まさひろ)と申します。きっかけとしては、さきほど自己紹介させていただいたんですけれども、都立の北園高校に在籍中に、学校の自由の問題、高校生の自由って何だと言う問題に直面して、そこからこういったことを始めました。
普段は学校の自由の問題を高校を卒業した後も取り組んでいるんですけれども、そのほかに、今回紹介したように、同世代の社会運動家、今でいうところのアクティビストという人たちを中心に取材をして、記事を書いたり映像で発信をしたりという活動を続けています。
あと、総合雑誌の『情況』の編集部として、雑誌制作の方にも関わっています。
今日はよろしくお願いします。

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白坂リサ
白坂リサと言います。さっき動画にあった、参議院選挙の投票方法を解説したポスターを学校に掲載したら、「校則で禁止されている政治的活動等にあたる」と言われてはがされたという経験があります。
それをツイッターで「これはおかしいんじゃないか」と発信したところ、結構バグって、5万「いいね」くらい来て、結果的には掲示は許可されたんですけれども、学校の政治に敏感な態度に対する現状と問題意識を発信できたかなと思っています。
私も中村さんと同じく総合誌『情況』の編集委員をしています。詳しいことは後ほど話したいと思います。

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降旗恵梨
立教大学4年の降旗恵梨(えり)と申します。私は、さきほどの映画の中にもあったんですが、入管問題に取り組む学生の一人です。所属してる団体としては「BOND外国人労働者・難民と共に歩む会」というところに所属していて、活動を始めて2年とちょっとくらいになりますので、よろしくお願いします。

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●若者の運動の特徴
小林哲夫
ありがとうございます。まず中村さん、今回いくつかの若者の運動を撮影する中で、特徴と言いますか、同じ学生としてどう受け止め、彼らがどのようなことを考えているのか、お話いただき、あと、アクティビズム、アクティビストという言葉、もしかしたら皆さんに馴染みが薄いかもしれません。その辺の言葉の定義についてもお願いします。

中村眞大
そうですね。特徴というところなんですけれども、皆さま映像を観ていただいて「おや?」と思った方が多いと思うんですが、女性がすごく多いかなと思います。例えば2015年安保の時は、表に出ていたのはやはり男性がかなり目立っていたと思うんですけれども、2020年代以降、かなり女性が表に立っていろんな問題を訴えるということがすごく増えてきたかなと思います。
あとは、訴える社会課題が非常に多岐に渡っているということがあると思います。例えば気候危機、入管・難民問題、ジェンダー問題、いろいろとあると思うんですけれど、すごく多いですね。それに比べて平和を求める運動だとか反戦運動、それから沖縄を守る運動は、若干現在では若者の間では下火になっているんじゃないかと思います。
アクティビズムという言葉についてですが、これは活動家、運動家という言葉の英訳ですね。社会運動がアクティビズムで、運動家というのがアクティビストということになるんですけれども、この言葉も非常にやっかいでして、アクティビストと名乗っている当事者もいるし、運動家と名乗っている当事者もいて、その辺は統一されていないと感じています。
傾向として、アクティビズムとかアクティビストと名乗る方が何となく恰好良く見えるとか、昔の暴力的で怖いイメージがないと言われているとか、活動家と言われるとヘルメットを被っているイメージがあるから使わないという人もいれば、敢えてアクティビストみたいなのが意識が高くて、普通の学生よりも頭がいいんだみたいに感じられてすごく嫌だから、普通に気候運動家と言っている人もいて、本当にそこは個人のこだわりなのかなと思います。

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●入管問題への取り組み
小林哲夫 
ありがとうございました。
降旗さん、入管問題の取り組みについて、今何が起こっているのか、ご自身がどうしてこの問題に取り組むようになったのかについてお願いします。

降旗恵梨
入管問題については、すでにご存じの方もいらっしゃるかと思うんですが、簡単に言うと、日本の在留外国人、特に在留資格を持っていない外国人の方に対する入管であったり政府の非人道的な処遇のことを指します。
今現在起こっていることとしては、今年の上半期で一番大きかった出来事は入管法の改悪だと思います。その中身としては、難民申請3回以上の人は、今までは強制送還してはいけないという対象になっていたんですが、3回以上の方々は強制送還してもいいとしたりとか、退去に応じられない方は刑罰で罰することができるという、今までも非人道的な取扱いによって、入管施設内のウイシュマさん死亡事件に現れているように、死亡事件が起こったり、見えていないところでも数々の暴力事件があったり、在留資格がない外国人に対する命や健康をないがしろにした国家権力による横暴というものがあったんですが、それがより法的な力を持って強固に出来るようになったというのが、今年の春に起こったことです。
それに対して市民、学生が声を上げたというのが、すごく意味のある事だと思います。結果的に法改悪が成されてしまったんですけれど、そこまでの過程で入管がやっていることが社会的にもどんどん暴露されていって、その中で市民の反対の声というものがどんどん大きくなって、当事者と共に戦うという考えが作られていったというのはすごく大きな出来事だったと思います。
きっかけは、私は2021年の5月から(「BOND外国人労働者・難民と共に歩む会」に)参加しているんですが、当時はコロナ禍で、学生になったらこんなことがしてみたいと思っていたことが出来なくなっていたというところで、社会的な活動に目を向けてみようというところで、私自身は高校の時に留学をしていたので、それがインドネシアだったんですが、インドネシアからの技能実習生の問題とか、その当時からニュースになっていて、そこで自分事としてとらえたというか、自分を温かく迎えてくれた友達が日本に来たら、もしかしたらいじめられてしまうかもしれないと思った時に、これはやはり何かしなければいけないというところで在留外国人の問題に目を向け始めて、そこで入管問題を知って、収容所の存在も今まで知らなかったんですけれども、こんな毎年のように人が死んでいる国家機関があるのかということにすごく衝撃を受けて、自分でも何かしなければいけないというところで活動を始めました。

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●今の若者の政治批判や運動に対する見方
小林哲夫
ありがとうございます。
白坂さん、大学1年生なんですけれど、たぶんいろんな運動をこれまで見てこられたと思います。第1部の「怒りをうたえ」をご覧になったことも含めて、今の学生の運動や取り組みはどんな感じなんだろうか、白坂さん自身の受け止め方、どうしたらいいのか、その辺をお願いします。

白坂リサ
そうですね。私自身の話を最初にすると、仙台二高(宮城県仙台第二高等学校)という東北で一番の進学校と言われているところに所属していて、皆の価値観が勉強にすごくヴァリューが置かれていて、視野が狭まって不登校になったり、授業に行かなくなったり、そこにしか価値を感じられないみたいなことが起きていたので、学生指導要領を問おうということで、私たちが価値観を依存している学習指導要領を問うたら面白いんじゃないかということで、「この国の学校制度を考える会」という愛好会を1人で立ち上げました。
そうした中で参議院選挙のポスターの出来事があって、私に向けられた言葉としては、同じ高校の生徒からすごく非難されたわけです。特定の政治思想に誘導するような会なんじゃないかとか、すごくそういうことを疑われて、後々聞いた話だと、私は政治的に洗脳されたんだ、みたいなことを思われていたみたいで、SNSに投稿したことによって、自分のSNSアカウントも学校中にバレてしまったわけなんですけれども、そこで発信した内容が、政治批判というか、ニュースに対して「これはおかしいんじゃないの」という投稿が結構あったので、政治的に洗脳されて、学校でこういうことを言って、特定の政治思想に誘導するような目的なんじゃないかと言われて、SNSでは結構悪口を言われたんですが、実際に学校では何も言われなくて、皆黙っているわけです。親しい友達もこの話には全く触れてこなくて、そうなった時に、私は完全に「いじり」の対象か非難の対象として客体化されていたわけです。いわゆる政治的に洗脳された、今で言うと「思想が強い」という言葉、思想が強い人ということで、何を言ってもいい対象として見られていたというか、腫物をさわるように扱われることになったということです。
それを踏まえて、今「怒りをうたえ」の映画を観た感想を言いますと、1人が前に立て演説をしていたと思うんですけれども、演説をしている言葉だったりとかが、まさに「思想が強い」という言葉に表さられるような状態で、あれだけの賛同者が、賛同者というか連帯が生まれていったというのは、今では考えられないことではあるし、それに対してのリアリティの無さみたいなものは感じます。今の同世代の中で、政治批判だとかデモとか運動的なものというのは、ヘルメットを被ってゲバ棒というイメージがあるわけです。そのイメージがあまりにも強烈で強くて、運動の歴史とかが細分化されて理解されないまま、ただ政治批判的なことがヘルメットのイメージとすぐに直結して結びついてしまう、暴力的なイメージと直結して結びついてしまう現状があると思っています。教科書でもあまり習いませんし、今の若者の政治とか「思想が強い」という言葉が生まれる背景に、こういった運動の歴史というのが何となくぼんやりとしたイメージが土台にあるんじゃないかと思っています。

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●入管・難民問題の取り組みで考えていること
小林哲夫
ありがとうございました。
降旗さん、「怒りをうたえ」の中でも入管の問題がちょっと出てきましたよね。今、「思想が強い」という言葉が出たんですけれども、入管・難民問題に取り組んでいて、この辺は困ったなとか、うまく伝わらないなとか、思想の問題とか考え方、その辺りで考えるところ、悩むところがありましたらお願いします。

降旗恵梨
そうですね。その辺というのは多くの学生の仲間の様子を見ていても、広報を担当している仲間の様子を見ていても、うまく伝わらないんじゃないかとか、「BOND」はデモをやったりするので、デモに対してメンバーの中でも意見が分かれたりするところで、私自身もデモに参加する前はちょっと過激なイメージというか、思っていたんですね。
そういう周りからの「思想が強い」とか過激だとうところはあるんですけれども、私たちはそういう声に依拠するのではなく、当事者が何を求めているのかに依拠するべきではないのかというところが一番大事だと思います。なので、当事者が何を求めているのかということと共に、当事者と一緒に声を上げて闘ってくれることを一番に求めているわけなので、私たちがどちらの声を優先するのかというと、やはり当事者の声になるわけで、当事者の道理のある声に連帯して一緒に闘って行こうという組織の雰囲気が作られていった中で、発信内容が「思想が強い」ということでうまく伝わらないんじゃないかとか、私から見れば些細なことなんですけれども、そういう些細な悩み事というのは乗り越えられているところがあると思います。

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●多数派の若者の現状
小林哲夫
ありがとうございました。
今の2人の話を聴いて、中村さん感想をお願いします。

中村眞大
「思想が強い」とかいう話は本当に僕もよく聞く話だなと思っています。僕が映像の中で紹介したものだけを見ると、今の若者はすごくいろいろやっているんだと思うかもしれないんですけども、あれは2020年代の学生のほんの一握り、ほんのひとつまみの人たちでしかないわけです。ほとんどの人たちというのはノンポリというか全く政治に興味のない、もしくは選挙だけは行くけどあまり良く分からない、そういう人がほとんどの多数派なわけです。右翼と左翼の違いも良く分からないとか、そういう人たちがいっぱいいる中で、全員がそうではないんですけれども、アクティビストだったり社会運動をする同世代を少し嘲笑う対象として見ることが、残念ながらあるわけです。
その典型が、沖縄の座り込みに対する嘲笑いであったりとか、僕もデモの現場を取材するんですけれども、通行人とかがへらへら写真を撮りながら、「あとでネットで晒してやるからな」とか言って笑ったりしているわけです。そういう現状が今あるというのは事実としてあるし、それをどうやって変えていけるのかというのはすごく難しいんですけれども、伝え方というのは大事なのかも分からないし、ただ伝え方にこだわるあまりに僕たちの訴えていきたい信念というが曲がってしまってもいけないし、そこはすごく皆葛藤を抱えていると思います。

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●運動とSNSとの付き合い方
小林哲夫
ありがとうございます。
「怒りをうたえ」の時代と明らかに違うのが、SNSだと思うんです。ネット上の運動の展開及びネット上でのいろんな言われ方、それをうまく利用する、逆に非難される、その辺りの学生の取り組み、運動とインターネット、SNSというのはどう付き合っていったらいいのか、白坂さん、お考えがあったらお願いします。

白坂リサ
なかなか難しい問題で、自分が実際にSNSで話題になったということで、今ツイッターのフォロワーが4千人ちょっとくらいいるんですけれども、そういった中で自分の経験、高校での出来事を契機として、自分についてすごく語るとか、個人的ないわゆる若者の直接的な感情を文章化して発信したりすることを普段からやっているわけなんですけれども、やっぱり私の個人的な体験というよりも、肩書として消費されるというか、ある意味利用されるようなことも結構あって、例えば私は女子高生であったり、今は女子大生なんですけれども、女子大生として見られるわけですよね。
それでなんか、すごく自分が率直で個人的で心からの思いを書いても、実際にあったことなんですけれども、「是非お話を伺いたい」みたいな感じで「会いたい」みたいに言ってくる某議員の方とか、元大学教授の方とか、某有名大学の学生とかがいるんですよ。実際に会える機会があってお話しようとなった時に、私の話をすごく褒めてくれて、過剰に持ち上げられているような感じもあって、最終的に結びつくのが、何かセクハラみたいな感じの発言だったりとか、そういう感じになるんですよ。だから、自分の個人的な体験を、自分は率直に話しているのに、それをかえって利用されてしまうというか、そういう矛盾は感じていて、特にSNSだとそれがすごく顕著なんですよね。
私は高校生の時に、「政治系高校生〇〇〇」というユーザーネームでやっていたんですけれども、女子高校生としての発信ということで、すごく客体化して見られやすいんですよ。社会的なイメージに「らしさ」というのがはめられていて、それでフォロワーがすごく増えたりだとか、実際にダイレクトメッセージが来た例で言うと、女性の活動家が好きなのか分からないんですけれども、女子高生の活動だけでなくてアイドルばっかり「リツイート」していて、実際私にもその女子高生というイメージでダイレクトメッセージが来て、すごく長文のメッセージだったんですけれども、「あなたの言っていることにすごく共感します。分かります」と、めちゃめちゃ細かく見ているんですけど、ちょっとあまりにも消費されている感じがあるし、「女子高生」とか「女子大生」というネット上で客体化されやすい存在で発信していると、なかなか窮屈ではあるんですよね。
「らしさ」に過剰に当てはめられているという感じがあって、SNSというのはいろんな投稿が流れてくるわけじゃないですか。「女子高生ってこんな感じだよね」とか「女子大生ってこんな感じだよね」というがあって、自分はそれに当てはまっているとも思わないのに、それを勝手に妄信されて、勝手にイメージが作られて、コメントを寄せてくれる人たちがいるので、その人個人とうよりも、肩書として客体化されて消費されて、利用されやすいという面では、SNSってやりづらいなと、広まるのはすごくいいんですけれども、そういう面ではすごくやりづらさを感じています。私は、この問題をどうしたい、どうできるのかというのはまだ分からないです。

小林哲夫
ありがとうございました。
降旗さん、今の話を受けて、「BOND」でやっていてSNS上あるいは街頭で署名活動されている中で、これはどうなんだろうなと思う事、疑問に思った事があったらお願いします。

降旗恵梨
普段SNSの投稿にあまり関わっていないので、SNSに疎い、学生としてはかなりSNS音痴な方に入るので、答えにくいところもあると思うんですけれども、そうですね、やっぱりSNSって明らかに差別的な発言とか入ってくる時とか、それを見て気持ち的に落ち込む学生も結構多いし、私自身もショックを受けたことはあります。
こちらとしては信念を貫くというか、街頭署名をしていても、アンチみたいな人から「俺は絶対こんなこと反対だ」とか言ってくる人はいるんですけれど、こちらとしては理論的に説明を尽くすということに尽きるかなと思います。「こういうことが問題なんですよ」と説明して、相手がどういう風な反応をしてくるかによると思うんです。こちらとしては道理のあることを、ちゃんとした客観的なデータというものを取って伝えていくということが求められているし、それをやっていくことが大切かなと思います。

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●大学のキャンパスでの活動の現状
小林哲夫
ありがとうございます。
3人とも大学生なので、キャンパスの中ではどんな感じなのかなと、おそらく(会場恩)皆さんお考えだと思います。中村さん、全般的にどうでしょうか?

中村眞大
そうですね。僕が感じているのは、大学内での運動というのは、なかなか今の時代は少数派なのではないかと思っています。どちらかと言うと、さきほどご紹介したように、それぞれの社会課題に対してグループとして活動するというものが多いんですが、一つ例外としてあるのは、何年か前にあった「Voice Up Japan」というジェンダー平等を求める団体でして、それは日本中の大学に支部を作って、サークルという形で各大学で新入生を勧誘して活動をするということをやっていました。そういった例はあるんですが、どちらかと言うと大学外で活動をするということが多いと思います。
僕は明治学院大学なんですけれど、明治学院の中でも政治的なサークルというは、「Voice Up Japan」の明治学院大学支部というものがあったくらいで、あとはほとんど聞きません。ただ、東大とか京大とかは話は変わってくるのかなと思います。

小林哲夫
キャンパスの中で何かをやる場合、やれるのか。今の立教大学や慶応義塾大学の大学の体制って言論・表現に対してどんな感じなのか、その辺りをお願いします

降旗恵梨
私は立教大学なんですが、本当に今、その壁にぶち当たっている状況でして、やっぱり入管問題について、もっともっと多くの学生に知ってもらいたいし、これは私たちの社会の問題だから一緒に考えようということで、今年からサークルを立ち上げているんですけれど、蓋を開けてみると学内での活動というものが、大学側から制限されていることがあって、まずは大学の外部組織の支部を作ることが禁止されているということだったり、サークルが外部から当事者の方を呼びたいと思ってもそれが出来ない。あとはビラ配りは基本的にダメですし、ビラにハンコを押して承認されなければ貼ってはいけないというように、かなり言論の自由というものが奪われている状況だと思います。そんな中で道を模索している段階です。

小林哲夫
ありがとうございました。
白坂さん、お願いします。

白坂リサ
私は大学に入学してから半年、春学期が終わって秋学期ですが、すごく印象的だった出来事があって、それは私が政治系の授業を受けていて、それで仲良くなった子がいたんですよ。その人と話していくうちに、うっかり自分のツイッターアカウントを教えてしまったんですよ。「よかったらフォローして」「じゃあフォローするわ」みたないな感じで、いい感じだったんですけど、後日、その人から「実は私は湘南自治会という大学の自治会に所属していて、こういう左派系のアカウントはフォローしてはダメなんだ」と言われて、「御免、フォローはずすわ」と言われて、「え!」みたいな自分のアカウントを勝手に左派系と決めつけられたことも腹立たしいですし、「自治会ってそもそもみんな入っているものじゃないの」と思ったんですよ。
そこから考えた時に、思い当たる出来事があって、自分の妄想かもしれないんですけれども、慶応の塾生情報局という、慶応の2万人くらいのフォロワーがいて、慶応義塾生だったら全員フォローアップするみたいなアカウントがあるんですけど、それをフォローしてもフォロワーされなかったんですよ。私はそこまでフォロワーに執着しているわけではないので、「あーっ」と思ったんですけど、サークルのアカウントとか、いくらフォローしてもフォローアップされないという、何かちょっとおかしいなと思ったんですよ。それでその話を聴いたときに、すごく辻褄が合って、「えーっ左派系のアカウントだからフォロワーされないの」みたいな、「そもそも慶応の大きいアカウントって、塾生であることの承認みたいな相互フォローなんじゃないの」と思って、慶応の組織から拒絶されているような感じを受けたんですよ。それがショックで。そういった中で、慶応は立看も設置できなかったりとか、完全に塾生代表の組織が体制側になびいていったりということがあって、慶応はいわゆる有名大学と言われている中でも一番ひどいんじゃないかなと思っています。
いきなり政治というよりも、大学の組織の構造から変えていかないといけないんじゃないかなと思って、塾生代表の選挙みたいなものがあるんですけど、いずれ立候補したいと思っています。

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小林哲夫
ありがとうございました。
今日、会場に学生さんが何人かいます。もっと学生さんの声を聴きたいと思いますので、中央大大学1年生のSさん。「怒りをうたえ」で中央大学が結構出てきますが、その感想を含めてお願いします。

Sさん
これは僕が趣味で書いている「ゲバ文字」です。中央大学はサークル棟というのがあって、当時の「ゲバ文字」とか落書きが書いてあって、僕が入学した時にそれを見て、元からフォントとか字体が好きだったから、それで魅了されて「書こう」と思って書き始めました。
当時「ゲバ文字」を書いていた人とお話したいと思います。
(「怒りをうたえ」を観て)中大って学費値上げを阻止した大学で有名らしくて、本当に学生運動が強かったんだな、と思いました。
今の中大は駿台から多摩キャンパスに行って、いわゆる「筑波化」なんですけれども、それもあって、学生運動みたいなものはないですね。

小林哲夫
趣味とは言え、いろいろ教えてあげてください。
中村さん、先ほどの話の続きなんですが、お2人の話を聴いてどうですか。

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中村眞大
明治学院の話でちょっと思い出したんですけれども、大学は全般的に不寛容だなと僕はすごく思っていて、うちの大学でも印象的な出来事があって、明治学院大学は数年前に寄川先生の授業を大学職員が盗聴して、教科書を不正に検閲して、「大学の方針と違う」とか言って解雇したんですね。それでずっと裁判をやっていているんですが、うちの大学はその事件のことをどうとらえているんだろうと思って、明治学院大学図書館に寄川先生が明治学院大学事件についてまとめた本2冊を、購入希望でリクエストを出したんです。そうしたら数日後に「購入希望を却下します」というメールが届きまして、「えーっ」と思って何って説明してくるのかなと思ったら、「事実と異なる内容のため購入しません」みたいなことが書かれていて、「別に買ってもいいのに」と思ったんですけど、そういう感じで自分たちと異なる主張、もしくは自分たちの身が脅かされると思ったものは、過剰にバリアーを張って阻止してしまうという、それが学生に対してもそうだし、元教員に対してもそうだし、そのように感じています。
SNSなんですけれども、さっき白坂さんがSNSのどちらかと言うと負の側面についてお話をされていたと思うので、僕の方から便利な面での話もすると、今SNSで主に学生が使っているのはインスタグラムになります。インスタグラムとツイッターとティックトックですね。その3つが主流です。それぞれ役割というのがあって、インスタグラムは写真とか日常の様子を投稿するものとして使われています。広く拡散するというより、友達同士で広めるという機能が強いものです。「今日こういうところに行ったよ」みたいなことを投稿するんですけれども、そういう時に、僕は時々政治的なイベントの映像とかを入れて、友達にも伝えたりするとか、あとは政治的な活動をしている学生団体も、積極的にインスタグラムのアカウントを使って、おしゃれな投稿で使っていることが多いですね。ツイッターは文章で投稿することが多くて、政治的なこと思っていることを投稿することが多くて、あとは拡散する機能がすごく強いので、何か問題提起したものが日本中にばらまかれるというとこがあります。すごく便利です。あとはティックトックは短い動画が次々に流れてくるもので、例えば政治的な解説をしている人の動画がたくさん拡散されたりしていて、どちらかと言うと偏った投稿も混じっているので、それで影響を受けて差別主義者になってしまったり、そういうリスクもあるかなと思います。
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●会場からの質問に答える
小林哲夫
そろそろ時間が近づいてきましたので、会場の皆さんから学生さんに聞いてみたいことがありましたら質問を受けたいと思います。

質問者
皆さんの思いを実現に向かわせるためのロードマップみたいなものがあれば、教えてもらいたい。

白坂リサ
私が今、構想している、自分がやりたいと思っていることは2つあって、一つ目は、今若者とか子供が意見を発信する場として、例えば「子ども家庭庁」の子供会議だとか、与えられた場で、選ばれた人だけが議論して政府に意見を届けるとこがあると思うんですけれども、会議に出席している方は16歳とか17歳とか18歳で、もはや主権者の方もいるわけですよね。そうなった時に、あまりにも子供扱いしすぎというか、飼い慣らし過ぎなんじゃないかという思いがあって、大学生のうちに自分のメディアみたいなものを土台として、自分から政治家に質問しに行ったりとか、政治家に要望を出しに行ったりとか、記者会見に質問に行ったりとか、与えられた場があって、その中で意見をするんじゃなくて、大学生とか高校生とか中学生という肩書なしに、自分自身がその人自体として意見を言ったり届けたり質問できるんだということを自分で体験していきたいと思っています。
二つ目としては、「思想が強い」ということが話題になったと思うんですけれども、その土台というか背景には、やっぱり政治に何か意見するとなると、ヘルメットだったり力でとか、そういうイメージが漠然とあるわけですよ。無い人はいないと思っていて、実際に学生運動というのを知らない中高生が一定数いて、その人たちの中にもヘルメットのイメージ、力でというイメージがあって、それに対するタブー感とか敬遠する感じがあるんですよ。なので、この運動の歴史というのを、より細分化して、分かりやすく子供たちにも理解してもらって、デモという行為自体がそんなに危ないものじゃないんだということを広めたくって、運動の歴史的なものを、本当に野望なんですけれども、岩波ジュニア文庫あたりでまとめて、子どもたちに分かりやすく広めるみたいなことを、いずれはやっていけたらいいんじゃないかなと思っています。

降旗恵梨
そうですね。究極的には権力関係を変えていくということが、どんな問題でも必要だと思っていて、入管問題もそうですけれど、抑圧されている当事者の方々と、それに連帯する市民の声というものが今は全く耳を傾けられていない状態で、そこには国家権力というものが、本来は市民とか抑圧されている側に立って政治を行っていくべき人たちが、逆に排外主義的で自分たちの既得権益を守ろうとするという風に政治が行われているので、そうした問題というか、そこにある明らかな権力関係というものを、実際の具体的問題の中から解決していくということが大事で、ただ単に今の政治に対して「反対」とやっていても、結局届かなくて、今現在政治によって抑圧されている人たちは何を求めているのか、何を訴えてるのかというその声に依拠して、そこからその人たちと共に声を上げていく、そうした中で、具体的な入管問題については、在留資格がない人たちに対して適切に在留資格が与えられて、日本で安心して暮らせるようにするとか、難民認定を国際基準に基づいて行われる、ウイシュマさん問題から入管収容所のあり方自体を変えていくということ、そうした具体的目標を持って変えて行って、それが権力の構造を変えていくことに繋がっていくと思います。

小林哲夫
どうもありがとうございました。
もっともっといろいろ話を聴きたいのですが、時間が来ましたのでこれで最後にしたいと思います。

中村眞大
最後簡単にお話しをさせていただきます。さきほどお2人がお話されていた政治をどうやって変えていくかということにも繋がっていくんですけれども、僕は学校教育から変えていきたとすごく思っていて、今回それに関連する団体を立ち上げました。
「School Liberty Network」という団体です。簡単に言うと、日本の学校を草の根でどんどん自由にしていく、学校に民主主義を根付かせていくということです。学校に民主主義が当たり前になっていくことで、将来卒業した時も、社会に対して批判的な目で主権者として関わって行くことができるということで、学校を自由化したいという団体を立ち上げました。相談事業とかイベント事業とか、いろいろ考えていて、中高生からお金を取るわけにはいかないので、もしよろしければ皆様の支援をいただければということで、賛助会員募集のチラシを持って来ましたので、よろしくお願いします。

小林哲夫
ありがとうございます。
第2部はこれで幕を閉じたいと思います。今日の3人、学生さんがなかなかこういう場で登壇することが難しい中で、本当にありがとうございました。(拍手)

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佐々木幹郎(司会)
どうもありがとうございました。面白かった。SNSの問題とか、いろんな問題は現代的な課題ですが、さっきの女性の方の問題意識は、全然時代が変わっていない。我々の時代と全く同じだ。女性が活動した時に、すぐ「いいね、いいね」を付けて寄ってきて、完璧にセクハラと同じような形でしつこく勧誘しようとするというのは、我々の時代だってそういう奴はいたじゃないですか。時代は全然変わっていないなと思いましたし、入管問題についていろいろやっておられる方の考え方も、本当に時代は変わっていないと思って、本当に逞しく思いました。
これで終わります。
(終)

【『はたちの時代』の紹介】
重信房子さんの新刊発売!
『はたちの時代』(太田出版) 2023年6月16日刊行

はたちの時代

前半は66年から68年までの明大学費闘争を中心とした時期のこと(この部分は私のブログに「1960年代と私」というタイトルで掲載したものです)。
後半は69年から72年までの赤軍派の時期のことが書かれています。
定価 2,860円(税込

本のアマゾンリンクはこちらになります。

「模索舎」のリンクはこちらです。
https://mosakusha.com/?p=5611

江刺昭子さんによる本の書評(紹介)です。(47ニュースより)

「あとはき」より
『ここに書かれた記録は、ごく日常的な私自身の身の回りで起こったことを率直に書き記したものです。その分、他の人が書けば全く違った関心角度から違った物語がこの時代のエピソードとして描かれることでしょう。私は獄に在って、何度か癌の手術を繰り返していました。生きて出られないことがあっても、支えてくれる旧友や、見ず知らずの方々にお礼を込めて、私の生き方、どんなふうに生きてきたのかを記録しておきたいと思ったのが、この記録の始まりです。私がどのように育ち、学生運動に関わり、パレスチナ解放闘争に参加しどう生きて来たのか、マスメデイアでステレオタイプに作り上げられた私ではなく、生身の私の思いや実情を説明しておきたくて当時を振り返りつつ記して来ました。獄中と言うのは、集中して文章を書くのに良いところで、ペンをとって自分と向き合うと過去を素直に見つめることが出来ます。楽しかった活動や誇りたいと思う良かった事も、間違いや恥かしい事や苦しかったことも、等しく価値ある人生であり私の財産だと教えられた気がします。(中略)どんなふうに戦い、どんな思いをもって力を尽くし、そして破れたのか、当時の何万という「世の中を良くしたい」と願った変革者の一人として、当時の何万と居た友人たちへの報告として読んでもらえたら嬉しいです。また当時を若い人にも知ってほしいし、この書がきっかけになって身近に実は居る祖父や祖母たちから「石のひとつやふたつ投げたんだよ」と語ってもらい、当時を聴きながら社会を知り変えるきっかけになれば、そんな嬉しいことはありません。
いまの日本は明らかに新しい戦争の道を進んでいます。いつの間にか日本は、核と戦争の最前線を担わされています。そんな日本を変えていきたいと思っています。決して戦争をしない、させない日本の未来をなお訴え続けねばと思っています。なぜなら日本政府が不戦と非戦の国是を貫くならば日本の憲法には戦争を押しとどめる力があるからです。はたちの時代の初心を忘れず日本を良い国にしたい。老若男女がこぞって反戦を訴え支える日本政府を実現したいと思います。』

目次
第一部 はたちの時代 
第一章 はたちの時代の前史
1 私のうまれてきた時代/2 就職するということ 1964年―18歳/3 新入社員、大学をめざす
第二章 1965年 大学に入学した
1 1965年という時代の熱気/2 他人のための正義に共感/3 マロニエ通り
第三章 大学生活をたのしむ
1 創作活動の夢/2 弁論をやってみる/3 婚約/4 デモに行く/5 初めての学生大会/6 研連執行部として

第二部 明治大学学費値上げ反対闘争
第四章 学費値上げと学生たち
1 当時の牧歌的な学生運動/2 戦後民主主義を体現していた自治会運動/3 話し合いの「七・二協定」/4 田口富久治教授の嘲笑   
第五章 自治会をめぐる攻防
1 スト権確立とバリケード――昼間部の闘い/2 Ⅱ部(夜間部)秋の闘いへ/3多数派工作に奔走する/4 議事を進行する/5 日共執行部案否決 対案採択
第六章 大学当局との対決へ 
1 バリケードの中の自治/2 大学当局との激論/3 学費値上げ正式決定/4 収拾のための裏面工作/5 対立から妥結への模索/6 最後の交渉と機動隊導入  
第七章 不本意な幕切れを乗り越えて
1 覚書―二・二協定の真相/2 覚え書き(二・二協定)をめぐる学生たちの動き

第三部 実力闘争の時代
第八章 社学同参加と現代思想研究会
1―1967年 一 私が触れた学生運動の時代/2 全学連再建と明大「二・二協定」/3 明大学費闘争から再生へ 
第九章 社学同への加盟
1 社学同加盟と現代思想研究会/2 現思研としての活動を始める/3 67年春、福島県議選の応援/4 今も憲法を問う砂川闘争/5 あれこれの学内党派対立/6 駿河台の文化活動
第十章 激動の戦線
1 角材を先頭に突撃/2 10・8闘争の衝撃/3 三里塚闘争への参加/4 68年 5月革命にふるえる/5 初めての神田カルチェラタン闘争―1968年6月/6 68年国際反戦集会の感動 

第四部 赤軍派の時代 
第十一章 赤軍派への参加と「七・六事件」
1 激しかったあの時代/2 1969九年の政治状況/3 4・28縄闘争/4 赤軍フラクション参加への道/5 藤本さんが拉致された、不思議な事件/6 7月5日までのこと/7 69年7月6日の事件/8 乱闘―7月6日の逆襲/9 過ちからの出発
第十二章 共産主義者同盟赤軍派結成 
1 女で上等!/2 関西への退却/3 塩見さんらの拉致からの脱走/4 共産同赤軍派結成へ
第十三章 赤軍派の登場と戦い
1 葛飾公会堂を訪れた女/2 「大阪戦争」/3 「東京戦争」/4 弾圧の強化の中で/5 支えてくれた人々/6 前段階蜂起と組織再編/7 大敗北―大菩薩峠事件/8 初めての逮捕――党派をこえた女たちの連帯
第十四章 国際根拠地建設へ
1 前段階蜂起失敗のあと/2 よど号ハイジャック作戦/3 ハイジャック闘争と日本委員会/4 深まる弾圧――再逮捕/5 思索の中で

第五部 パレスチナ連帯と赤軍派との乖離(かいり)の中で
第十五章 パレスチナ連帯の夢
1 国際根拠地パレスチナへ/2 赤軍派指導部の崩壊/3 森恒夫さん指導下の赤軍派/4 パレスチナへの道
第十六章 パレスチナから見つめる
1 ベイルートについた私たち/2 統一赤軍結成/3 アラブの私たちー―赤軍派との決別/4 新党結成の破産/5 アラブから連合赤軍事件を見つめて/6 連合赤軍の最後とアラブの私たち/7 新たな変革の道を求めて

【『ヤタニ・ケース』の紹介】(鹿砦社サイトより転載)
『ヤタニ・ケース アメリカに渡ったヴェトナム反戦活動家』

yatani

矢谷暢一郎=著
鹿砦社 2023.11.20発売
定価:本体2700円+税

望月(上史。旧友。故人)の死を無駄にしないために、生き残った僕らは彼の死を無駄にしない生き方をしなければならないと思うが、それは「明日」を生き残った誇りでもう一つ次の「明日」を準備することかもしれない。 (本文より)
1960年代後半、ヴェトナム反戦運動が盛り上がる中、その渦中に身を投じながら、仲間の死、運動の解体、闘病を経て、70年代後半、再起を期して渡米――しかし、そこでもプロファイリングは海を越え当局に回っていた……。
70年代渡米以降、研究に没頭し過ごしていたが、突然逮捕され、「ヤタニ・ケース」といわれる、全米を揺るがす大事件に発展。闘いは続いた――それはどう決着したのか? その意味は?
伝説のヴェトナム反戦活動家(当時の同志社大学学友会委員長)が激動の人生を総括、渾身の書き下ろし!

[著者略歴]
矢谷暢一郎(やたに・ちょういちろう)
1945年、島根県隠岐の島生まれ。
1960年代後半、同志社大学在学中、同大学友会委員長、京都府学連委員長としてヴェトナム反戦運動を指導。同大中退。
77年渡米、ユタ州立大学で学士号、オレゴン州立大学で修士号、ニューヨーク州立大学で博士号を取得、85年以降、ニューヨーク州立大学、セント・ジョセフ大学、ニュージャージー・ラマポ大学等で教鞭を執る。
86年、オランダでの学会の帰途、ケネディ空港で突然逮捕、44日間拘留、「ブラック・リスト抹消訴訟」として米国を訴え、いわゆる「ヤタニ・ケース」として全米を人権・反差別の嵐に巻き込んだ。現在、現在アルフレド州立大学(ニューヨーク州立大学機構アルフレッド校)心理学名誉教授。
著書に、『アメリカを訴えた日本人――自由社会の裂け目に落ちて』(1992年、毎日新聞社)、『日本人の日本人によるアメリカ人のための心理学』(2014年、鹿砦社)がある。

鹿砦社サイトはこちらから。

【お知らせ その1】
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●1968-69全国学園闘争アーカイブス
このページでは、当時の全国学園闘争に関するブログ記事を掲載しています。
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●学園闘争 記録されるべき記憶/知られざる記録
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「知られざる闘争」の記録です。
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【お知らせ その2】
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