今回のブログは、2023年10月7日に開催された明大土曜会でのお話の内容である。
【明大土曜会 のりこえねっとの10年】
若森資朗さん
私が設立から関わっている「のりこえねっと」についての話を、とのことだったので、少し話をさせていただきます。
「のりこえねっと」のメールマガジンは、明大土曜会メーリングリストに月に2回送付しています。
今日は「のりこえねっと」の設立時から活動しているTさんにもきていただきました。
「のりこえねっと」は、どのような活動を行っているかですが、まずは設立経過からを話していきたいと思います。
「のりこえねっと」設立の背景
みなさんご存じのように、1995年頃からインターネット、これはWindows95が出た頃から、パソコンを誰もが使うようになったことが背景にあり、当時歴史学者・ジャーナリスト・作家、政治家と称する、それも本当ところ活動実態は分からないのですが、そのような人たちが、歴史を修正する記述をインターネット上に投稿するようになりました。
そのきっかけの一つになったのは、私は「竹島・尖閣問題」だったと思っています。それに基づいて特定の民族への誹謗中傷、侮蔑する排外主義的言説が、ブログやYouTube、Twitter等のネット上に発信が盛んになりました。これは現在も続いています。
1995年には「2チャンネル」が開始。この「2チャンネル」では、俗に言う「ネトウヨ」の言説、今まで公の場で言えない言説やデマが、匿名で書けるということで公然化しました。今までは、とてもじゃないけど人前では話せなかった差別的言辞です。
その人たちがSNSで繋がって、集団を形成して行動を起こすようになりました。
2002年の日本と韓国で開催されたFIFAワールドカップが、彼らが街頭に出た最初になったと思います。永住外国人参政権反対などで日の丸デモを行い、その時からヘイトスピーチへとエスカレートしていきました。もう一つり背景になるのは、小泉訪朝で拉致被害者帰国に対応して、北朝鮮パッシング、在日の人たちに対するパッシングとなりました。
その一方で、2004年に日本では韓流ブームがあり、それに対抗する嫌韓本を出版、韓国ドラマの放映に対するフジテレビへの、嫌がらせの日の丸デモなどを組織していきました。今までの街宣右翼と違った形で、市民を装う形で登場してきました。
また、入管問題や、イラク人質事件なども背景となりました。そこで言われた一方的な自己責任論、リベラル・左翼を毛嫌いする気分的な感情が、ネット上に誹謗中傷として、いろんな形で投稿され、今でもそれは続いています。
彼らは歴史の事実を知ろうとしない。知らないにも関わらず、間違った情報で毛嫌いする対象、例えば中国や韓国に対して、ただただ感情的な貶める言辞を発する。彼らの背景には、過去に日本は、中国や韓国を植民地とし、上だったという感情からこの両国を「見下ろす」という立場があり、他方、現在の中国や韓国が、経済力が増したことで、両国を「見上げる」立場があり、「見下ろす」視点と「見上げる」視点、両方で中国と韓国を叩く、となっていると思います。このことは人権に対する日本社会の理解の不十分であり、根本的な問題であると考えています。
そのような行動が顕著にエスカレートしたのが、2006年12月に桜井誠が結成した「在特会(在日特権を許さない市民の会)」の行動です。これはインターネットによる「ネトウヨ」投稿から、街頭への進出し、デモや集会を組織していきました。従来の街宣右翼と違う、行動右翼と称していました。市民の顔をして、事実に基づかない様々な暴言、誹謗中傷を街頭デモや集会で行いました。それをネット中継して、全国化、話題作りをする。桜井誠というのはアジテーターとしてはそれなりで、当時、大阪府知事であった橋下徹との討論の場を設定し、橋下知事に対して、桜井誠が一方的に言いたいことを言って、それを映像化しYouTubeにアップして炎上させる。そのことで自らに関心を引きつける様にしました。
このような手法がずっと続きます。差別的かつ危害をも想定させる言動「朝鮮人を殺せ」とかそういうことも平気で街頭で言います。差別、暴力、脅迫、迫害、人を貶める、本当に聞くに堪えない発言です。それをYouTubeにアップして拡散させる。
それを可能としたのが、安倍政権が持っていた政治的立場による、そのことを助長する雰囲気だったと思う。右派と言われる人や「ネトウヨ」に連なる人たちは、桜井誠達が活動しやすい雰囲気作りを担ってきたともいえる。言うならば右派的な政治的立場にある人たちの別動隊みたいな形で、取り締まられることもなく活動できていたと思う。
とりわけ標的とした活動は、在日特権という虚構(ありもしないこと)や、外国人参政権反対など。ともすればそれらは市民にとっては誤解を招く、また入りやすい言葉なので、そのことを通して排外主義的なことを扇動していった。また、第一次、第二次安倍政権では、右派論壇(HANADA、Willなど)が、市民権を得るような、自民党政権自身の振る舞いもあったと思う。右派が肥大化をしていった背景に、自民党と統一教会との相互依存があったことが、今、明らかになりました。この様なことがありながらも、とんでも右派論壇の立場にある櫻井よしこ等は、未だに民放に出演しています。それに対してリベラルなコメンテーターの多くは、放送界から追放されています。
また当時、大阪鶴橋での中学生の差別街宣。中学生がマイクで「朝鮮人は死ね」、その様なことを平気で喋る。新大久保では在特会が「お掃除と」称して見回り、「朝鮮人は出ていけ」とか、韓国人や外国にルーツのある人がやっているお店に入って、お客が入らないようにする。そのようなことを何十人かの集団で行っていました。新大久保は2~3年人通りが無くなりました。今はかなり人通りが戻っています。そのようなこともありました。
それに対してカウンターと称される人たちが、SNSで個人が結びつき、対抗行動を始めた。男闘呼組、しばきたい(現C.R.A.C.「クラック」)など、カウンターが増加していきました。この人たちの多くは組織を作っているわけではなくて、SNSで「どこどこで在特会の集会、デモがある」という情報を得て、そこに行ってそれをやらせない活動を続けてきています。
では左翼はどういう対応を取ったかというと、「ああいうひどいことを言っている奴らは、そのうち自然淘汰され消滅するだろう」という雰囲気がありました。ところが自然には淘汰されなかった。ますます盛んになった。その背景にはあらためていいますが、第一次、第二次安倍政権での右派言論の人たちが支える状況があったと考えています。
それに対してカウンターの人たちは、ヘイト活動を現場で一つ一つ潰していく必要があると感じ、カウンター活動を強力に進めてました。そのやりかたについて批判もいろいろありました。これもどちらかと言うと左翼の方からあったと思います。しかしカウンター活動をしなかったら、ヘイト集団をますますのさばらせることになる。またヘイト活動で攻撃された人が、心に傷を被っている現実から、ヘイト集団をのさばらせてはいけないとの思いは、特に「しばきたい」や「男闘呼組」では、言葉は激しくなり、身体を張って対抗となった面もありました。「しばきたい」や「男闘呼組」の人たちに対し、左翼関係の中では警戒感があったと聞いています。一方、ヘイト集団に対する何らかの対抗が必要としている感じた人たちが、辛淑玉さんの呼びかけで集まり、「このままではネトウヨ・行動右翼を助長させることになるので、カウンターの人たちが孤立しない世論を作っていくためにも、対抗言論を発信していくため2013年10月『のりこえねっと』を立ち上げること」を確認した。
のりこえねっと設立の趣旨
目標はヘイトスピーチ(憎悪言動)、レイシズム(人種主義)、ヘイトクライム(憎悪犯罪)に対抗する言論を作っていくことでした。「のりこえねっと」設立当時は、ネトウヨのインターネット放送番組がたくさんあって、それに対抗するインターネット上での放送番組がなかったので、週1回定期番組=「のりこえねっとTV」を制作することから始めました。カウンターとして直接は動けないけれども、ネトウヨの対抗軸になる番組を放映することを理解し期待する支援者が集まりました。
初年度と2年度の支援金の集まりを見て、週何回か放送できると判断して企画を立てましたが、2~3年経つとネトウヨの街頭活動もだんだん少なくなってきて、マスコミもあまり話題にしなくなり支援金も減少していきます。最初は新大久保に自分たちだけで事務所を持ち、スタジオを作り放送をしていましたが、今は規模を縮小し、他団体と共同の事務所を利用しています。放送スタジオは別途確保し「のりこえねっとTV」を、特別企画、人権に関わる講座等を作成し、YouTubeにアップしています。
2016年にヘイトスピーチ解消法が出来ましたが、その時の論議として言論の自由ということが焦点になりました。「ヘイトスピーチを法律で取り締まることについては反対だ」という学者もいました。私たちの主張は「人権に関わる差別的言辞は、言論の自由で云々する範疇に入らない」です。人権は最上位の規範であり、そのような位置づけで私たちは考えています。
ヘイトスピーチを訳すと憎悪言論となりますが、言論だけを取り出すと、言論の自由にすり替えられる。しかしあくまでヘイトスピーチを、レイシズムやヘイトクライムと深く関わる文脈として捉えて、言論の自由と一線を画す、というのが我々の立場です。


ヘイトスピーチ、レイシズムをのりこえる10年間の活動
ヘイトスピーチ、ヘイトクライムに関わる大きな事件への支援を行ってきました。
・従軍慰安婦、徴用工問題の取り組みに対する、反対、嫌がらせに対する対抗。
・京都朝鮮学校襲撃事件―2009年12月から3回 在特会
・徳島県教組襲撃事件―2010年4月 在特会関西チーム
・水平社博物館事件―2011年1月 在特会副会長
・李信恵反ヘイト裁判―在特会桜井誠、保守速報
・辺野古土人発言―2016年10月 大阪府機動隊員 松井大阪府知事、鶴補沖縄担当相の擁護発言
・相模原やまゆり園事件-2016年7月 差別思想
・朝鮮総連銃撃事件-2018年2月 右翼活動家、等々。
このようなことに対抗する活動を支援すると同時に、このことが持つ問題点を「のりこえねっとTV」で情宣しています。現在、「のりこえねっとTV」は月2回のペースで1~2時間行っています。これらの解説、学習、研究を、後日YouTubeにアップしています。
この「のりこえねっとTV」は当初は、辛淑玉共同代表をMCとし、ゲストに人権活動家、評論家、文化人、ジャーナリスト、政治家を迎えて週一で行っていましたが、辛淑玉さんが「ネトウヨ」から脅迫じみた様々な方法での攻撃を受け、日本に居られなくなったこともありました。新大久保に「のりこえねっと」の事務所があった時も、わざわざビル前に来て、インターネットで誹謗中傷の中継を行い、他の方法でもたくさんの嫌がらせを受けました。例えばFAXで延々と嫌がらせ文書を送ってくる、嫌がらせの電話を掛け続ける、贈答品を着払いで送りつけてくることまでされました。そのような事は一つひとつ潰していくしかない。そのような気持ちで今までとりくんできています。
また、メールマガジンを月2回配信しています。それとヘイト、レイシズムに対抗する裁判活動で、沖縄カウンター裁判、これは沖縄の辺野古基地反対運動で、山城博治さんと元男闘呼組の高橋さんが逮捕され、起訴され裁判になり、その支援をしました。他にも「東京MXテレビニュース女子」番組が、沖縄辺野古基地反対運動を取り上げた回で、「のりこえねっと」共同代表・辛淑玉(シンスゴ)さんが名誉を傷つけられ、制作会社のDHCテレビジョンなどに、1100万円の損害賠償などを求めた訴訟があります。この裁判は辛淑玉さんが勝訴しましたが、とにかく引き下がらずに闘おうという気持ちを大切にしています。


暇空茜(ひまそらあかね)裁判もありました。これも勝訴しました。この裁判は、「暇空茜」が原告となり「のりこえねっと」を訴えたものです。
昨年12月に「暇空茜」自身のYouTubeチャンネルで、一般社団法人Colabo代表の仁藤夢乃氏に対する誹謗中傷を行い、その際に仁藤氏の画像を使用。著作権を持つ「のりこえねっと」がYouTubeにそのことで著作権侵害通報を行なったところ、2件の申請が受理され、放映が取り消された。「暇空茜」側は、これを不法行為にあたるとして、放映取り消しによる損害を受けたと訴えてたものです。そのように一つひとつ対抗しています。
ヘイトスピーチに対する法律、条例の制定
そのような経過の中で、ヘイトスピーチに対する法律、条例が、2016年にヘイトスピーチ解消法が制定され、ヘイトスピーチに関連する条例も大阪市、東京都、川崎市など約15の地方自治体で提出されましたが、理念内容にとどまっています。その中で唯一刑事罰があるのが川崎市です。
言論の自由の問題で理念内容にとどまっているのが、問題になるところです。
国連の人権理事会から、日本の差別構造に対する勧告は毎年ありますが、日本政府はほぼ無視する立場を取っています
なお、国際人権に関わる条約のコアになるものは9つありますが、日本は「移住労働者の権利条約」のみ批准していません。しかし、項目によっては「保留」しているものもあります。とにかく日本は人権問題については後ろ向きです。
現在の状況
言論の自由とヘイトスピーチ、人権について、現状はその理解に非常に問題があり、日本人は人権と「おもいやり」の区別がついていない。人権と「おもいやり」は根本的に違います。
もう一つ問題は、ビジネス化するヘイトスピーチ、レイシズムです。「NHK党」なんかもその一つだと思いますが、中には告訴という方法をとり、YouTubeで炎上させてカンパ(投げ銭)を取る。「暇空茜」は一般社団法人Colaboとの裁判では1億円を集めたと吹聴していました。資金集積の悪循環です。それでまた金があるので裁判に持ち込む。もうビジネスまがいといっても良いほどです。
こちらはたまらない。辛淑玉さんの対DHCテレビジョン裁判では高裁まで争い、最終的に慰謝料550万円で判決が確定しましたが、裁判費用にはとても足りません。カンパを募っても「暇空茜」らと違い残念ながら「のりこえねっと」では集まらない。彼らは私たちを疲弊させる、それも目的の一つにあるのでしょう。
彼らはどうしてそれほど集められるのか言うと、それになりにお金、資産を持っている人、また有名人が出していると考えられる。彼らが騒ぐことによって、喜ぶ人たちがいるいうことです。彼らを支える論調もある。杉田水脈衆院議員がとんでもないことを言っても、賞賛される世論・世界があるように。
最近でひどいのは、埼玉県の「子ども放置禁止」条例。普通の常識では有り得ない。今はあのような条例が議会に提出できるような状況です。そのようなことが広く、深く潜行する社会となっている。繰り返しますが、そのこと一つひとつに対決していくことが必要です。彼らは普通の市民の装い、私たちの想像以上に巧妙に活動しているということです。統一教会の様に。これは「のりこえねっと」をこれまでの経験から言えることです。
巧妙化するヘイトデモ、ヘイト集会
一般広報するとカウンターがたくさん集まり、集会やデモが出来なくなるので、最近彼らは秘密裡にやります。同時に、ヘイトではなく普通の集会、デモを装い開催申請をします。実際はヘイトスピーチ、レイシズムの集会、デモです。象徴的だったのは、9月1日の関東大震災慰霊の横網公園での偽装慰霊です。慰霊の集会として申請をして場所を使えるようにし、ヘイト街宣を行う。そういった巧妙な活動になってきています。
マスコミなどで報道されませんが、このこと様々なところに浸透し、普通の人たちを納得させるような言い回しで設定しています。
最近出た本で、定年退職したお父さんが家に居て暇なものだから、ネットで「ネトウヨ」の掲示板、YouTube、投稿文書を追っかけていて、本人が「ネトウヨ」になってしまい、そのお父さんを「ネトウヨ」から離れさせるために大変だったことを書いています。
そういう状況で、インターネットの世界では、相変わらずヘイト、歴史改ざんが広がっているので、一つひとつそのことに対して啓発活動を続けていかないといけないと思っています。
最近、「のりこえねっと」では資金面で困っていますので、支援をお願いしたい。よろしくお願い致します。
Tさん
日本だけではないと思いますが、ミソジニ=misogyny(女性嫌悪、女性蔑視)がある。女性の人権をないがしろにしているというか馬鹿にしているというか、この10年「のりこえねっと」をやっていて感じたので、もう少し何とかしたいと思って活動しています。
若森資朗さん
行動する女性への敵意、ミソジニ=misogyny(女性嫌悪、女性蔑視)ですね。さっきの「暇空茜」なんか完全にそうです。日頃から辛淑玉さんさんなどと話して、いかに人権問題が奥深いか、気づかされる毎日です。
-設立宣言-
いま、在日韓国・朝鮮人を標的とするヘイトスピーチが、各地で凄まじい勢いで拡大している。
多文化のもとで共生する人びとの平穏な生活を切り裂き、民族差別や人種偏見に満ちた、侮辱的、脅迫的言動が繰り返されている。
ヘイトスピーチは、街頭だけでなく、ネットやさまざまなメディアでも繰り広げられ、差別、偏見、攻撃の言説を執拗に展開している。なかでも日本軍性奴隷被害者(いわゆる「従軍慰安婦」)とされた女性たちに向けられる侮辱と憎悪の表現は、人権の価値を根こそぎ破壊するレベルにさえ達している。
ナチス時代のユダヤ人などへの迫害、かつての南アフリカでのアパルトヘイトやアメリカ南部におけるKKK団のリンチを想起させるような激しい侮辱と憎悪表現に対して、日本社会からの反応は、いまだあまりに鈍い。
在日韓国・朝鮮人は、日本による侵略と植民地支配によって生み出された。その存在の歴史性に対する決定的な無知と、「言論の自由」の尊重という口実のもとで、この社会の多数派は、この卑劣で暴力的なヘイトスピーチを黙認し続けている。
ヘイトスピーチは、当面の標的とする在日韓国・朝鮮人だけではなく、女性を敵視し、ウチナーンチュ、被差別部落の出身者、婚外子、社会が障害となっている人たち(いわゆる「障がい者」)、性的少数者などの、社会的少数者にも攻撃を加えてきた。彼らが攻撃する人々は、日本の戦後体制の中で、人格権や生存権を政策的に奪われたり無視されたりしてきた人々と、みごとに重なっている。この意味において、日本におけるヘイトスピーチは、戦後体制が政策的に作り出してきた差別そのものなのだ。
本質に立ち返って考えたい。
ヘイトスピーチが傷つけるものとは何なのか、ということを。
それは、在日韓国・朝鮮人だけではない。社会的少数派だけでもない。
ヘイトスピーチは、良心を持つあらゆる人々を傷つけるのだ。国籍も、民族も、性別も、出自も関係なく、すべての人間には普遍的な尊厳と人権があると考える人々の信念、そして、なによりも平和に生きようとする人々の精神に対して、言葉と物理的な暴力で憎悪を投げつけ、侮辱し、傷を負わせる。国際社会がこれまで長い苦しみの歴史の中で築いてきた、世界人権宣言にも謳われる普遍的な人権概念を攻撃し、その価値をあざ笑い、踏みにじる。
これが、ヘイトスピーチの本質なのだ。
だから、この暴力に対峙し、決然と対決することは、単なるマイノリティ集団の利益のための行動ではない。また、一国の国内問題を解決するためのものでもない民族や国境の壁を超えて、人権の普遍的価値を擁護し、防衛する行動でもあるのだ。
それは、この日本社会にあっては、戦後体制によって市民的権利を剥奪されてきた人々の「市民として生きる権利」を希求する行動以外の何ものでもない。
ここであらためて確認し、明記しておく。
人間の涙の歴史を無に帰そうとする挑戦に、私たちは、決して屈しない。
2013年9月21日
ヘイトスピーチとレイシズムを乗り越える国際ネットワーク
「のりこえねっと」 共同代表 一同
【『パレスチナ解放闘争史』の紹介】
重信房子さんの新刊本です!
【『はたちの時代』の紹介】
重信房子さんの新刊本です。絶賛発売中!
前半は66年から68年までの明大学費闘争を中心とした時期のこと(この部分は私のブログに「1960年代と私」というタイトルで掲載したものです)。
後半は69年から72年までの赤軍派の時期のことが書かれています。
定価 2,860円(税込
本のアマゾンリンクはこちらになります。
「模索舎」のリンクはこちらです。
江刺昭子さんによる本の書評(紹介)です。(47ニュースより)
「あとはき」より
『ここに書かれた記録は、ごく日常的な私自身の身の回りで起こったことを率直に書き記したものです。その分、他の人が書けば全く違った関心角度から違った物語がこの時代のエピソードとして描かれることでしょう。私は獄に在って、何度か癌の手術を繰り返していました。生きて出られないことがあっても、支えてくれる旧友や、見ず知らずの方々にお礼を込めて、私の生き方、どんなふうに生きてきたのかを記録しておきたいと思ったのが、この記録の始まりです。私がどのように育ち、学生運動に関わり、パレスチナ解放闘争に参加しどう生きて来たのか、マスメデイアでステレオタイプに作り上げられた私ではなく、生身の私の思いや実情を説明しておきたくて当時を振り返りつつ記して来ました。獄中と言うのは、集中して文章を書くのに良いところで、ペンをとって自分と向き合うと過去を素直に見つめることが出来ます。楽しかった活動や誇りたいと思う良かった事も、間違いや恥かしい事や苦しかったことも、等しく価値ある人生であり私の財産だと教えられた気がします。(中略)どんなふうに戦い、どんな思いをもって力を尽くし、そして破れたのか、当時の何万という「世の中を良くしたい」と願った変革者の一人として、当時の何万と居た友人たちへの報告として読んでもらえたら嬉しいです。また当時を若い人にも知ってほしいし、この書がきっかけになって身近に実は居る祖父や祖母たちから「石のひとつやふたつ投げたんだよ」と語ってもらい、当時を聴きながら社会を知り変えるきっかけになれば、そんな嬉しいことはありません。
いまの日本は明らかに新しい戦争の道を進んでいます。いつの間にか日本は、核と戦争の最前線を担わされています。そんな日本を変えていきたいと思っています。決して戦争をしない、させない日本の未来をなお訴え続けねばと思っています。なぜなら日本政府が不戦と非戦の国是を貫くならば日本の憲法には戦争を押しとどめる力があるからです。はたちの時代の初心を忘れず日本を良い国にしたい。老若男女がこぞって反戦を訴え支える日本政府を実現したいと思います。』
目次
第一部 はたちの時代
第一章 はたちの時代の前史
1 私のうまれてきた時代/2 就職するということ 1964年―18歳/3 新入社員、大学をめざす
第二章 1965年 大学に入学した
1 1965年という時代の熱気/2 他人のための正義に共感/3 マロニエ通り
第三章 大学生活をたのしむ
1 創作活動の夢/2 弁論をやってみる/3 婚約/4 デモに行く/5 初めての学生大会/6 研連執行部として
第二部 明治大学学費値上げ反対闘争
第四章 学費値上げと学生たち
1 当時の牧歌的な学生運動/2 戦後民主主義を体現していた自治会運動/3 話し合いの「七・二協定」/4 田口富久治教授の嘲笑
第五章 自治会をめぐる攻防
1 スト権確立とバリケード――昼間部の闘い/2 Ⅱ部(夜間部)秋の闘いへ/3多数派工作に奔走する/4 議事を進行する/5 日共執行部案否決 対案採択
第六章 大学当局との対決へ
1 バリケードの中の自治/2 大学当局との激論/3 学費値上げ正式決定/4 収拾のための裏面工作/5 対立から妥結への模索/6 最後の交渉と機動隊導入
第七章 不本意な幕切れを乗り越えて
1 覚書―二・二協定の真相/2 覚え書き(二・二協定)をめぐる学生たちの動き
第三部 実力闘争の時代
第八章 社学同参加と現代思想研究会
1―1967年 一 私が触れた学生運動の時代/2 全学連再建と明大「二・二協定」/3 明大学費闘争から再生へ
第九章 社学同への加盟
1 社学同加盟と現代思想研究会/2 現思研としての活動を始める/3 67年春、福島県議選の応援/4 今も憲法を問う砂川闘争/5 あれこれの学内党派対立/6 駿河台の文化活動
第十章 激動の戦線
1 角材を先頭に突撃/2 10・8闘争の衝撃/3 三里塚闘争への参加/4 68年 5月革命にふるえる/5 初めての神田カルチェラタン闘争―1968年6月/6 68年国際反戦集会の感動
第四部 赤軍派の時代
第十一章 赤軍派への参加と「七・六事件」
1 激しかったあの時代/2 1969九年の政治状況/3 4・28縄闘争/4 赤軍フラクション参加への道/5 藤本さんが拉致された、不思議な事件/6 7月5日までのこと/7 69年7月6日の事件/8 乱闘―7月6日の逆襲/9 過ちからの出発
第十二章 共産主義者同盟赤軍派結成
1 女で上等!/2 関西への退却/3 塩見さんらの拉致からの脱走/4 共産同赤軍派結成へ
第十三章 赤軍派の登場と戦い
1 葛飾公会堂を訪れた女/2 「大阪戦争」/3 「東京戦争」/4 弾圧の強化の中で/5 支えてくれた人々/6 前段階蜂起と組織再編/7 大敗北―大菩薩峠事件/8 初めての逮捕――党派をこえた女たちの連帯
第十四章 国際根拠地建設へ
1 前段階蜂起失敗のあと/2 よど号ハイジャック作戦/3 ハイジャック闘争と日本委員会/4 深まる弾圧――再逮捕/5 思索の中で
第五部 パレスチナ連帯と赤軍派との乖離(かいり)の中で
第十五章 パレスチナ連帯の夢
1 国際根拠地パレスチナへ/2 赤軍派指導部の崩壊/3 森恒夫さん指導下の赤軍派/4 パレスチナへの道
第十六章 パレスチナから見つめる
1 ベイルートについた私たち/2 統一赤軍結成/3 アラブの私たちー―赤軍派との決別/4 新党結成の破産/5 アラブから連合赤軍事件を見つめて/6 連合赤軍の最後とアラブの私たち/7 新たな変革の道を求めて
【お知らせ その1】
「続・全共闘白書」サイトで読む「知られざる学園闘争」
●1968-69全国学園闘争アーカイブス
このページでは、当時の全国学園闘争に関するブログ記事を掲載しています。
大学だけでなく高校闘争の記事もありますのでご覧ください。
現在17大学9高校の記事を掲載しています。
http://zenkyoutou.com/yajiuma.html
●学園闘争 記録されるべき記憶/知られざる記録
このペ-ジでは、「続・全共闘白書」のアンケートに協力いただいた方などから寄せられた投稿や資料を掲載しています。
「知られざる闘争」の記録です。
現在16校の投稿と資料を掲載しています。
【お知らせ その2】
ブログは概ね2~3週間で更新しています。
次回は2月16日(金)に更新予定です。