野次馬雑記

1960年代後半から70年代前半の新聞や雑誌の記事などを基に、「あの時代」を振り返ります。また、「明大土曜会」の活動も紹介します。

2024年05月

今回のブログは、4月6日に開催した明大土曜会での沖縄訪問の報告である。
今年の3月に明大土曜会のメンバー2名が沖縄を訪問し、辺野古での抗議活動や県民集会に参加してきた。そのレポートである。
また、鹿児島県の種子島で馬毛島の基地反対運動を続けている牧洋一郎氏(明大農学部出身)から、馬毛島の自衛隊基地建設に係る漁業権問題について投稿があったので、併せて掲載する。
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【3月沖縄訪問報告】
Nさん
去年の3月は土屋さんを団長として沖縄に行きましたが、今年は3月始めに、土曜会のYさんと沖縄島各地を回ってきました。
那覇空港からまず、辺野古埋立てに使用する土砂の積み出し港である名護市安和桟橋に直行しました。ここでは地元の「島ぐるみの会」の皆さんが、大型ダンプの前を牛歩で横切ることで土砂搬入を遅らせる行動を朝から取り組んでいます。現場に行くと、小型車が何やら警察に囲まれている。聞いてみると、土砂を積んだ大型ダンプが、安和桟橋の敷地内に入ろうと強引に左側に寄せたため、小型車にぶっかったようだ。大型ダンプが我が物顔で走っているのをまざまざと見せつけられました。

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当日は沖縄の3月とは思えない小雨の混じる悪天候の中、10数名が参加していました。しかし、安和桟橋は民間(琉球セメント)が独占使用しているため夜8時まで作業が続くが交代要員が少ないという。私たちは寒さに震えながら7時まで行動に参加しました。7時過ぎに、当日泊まる「クッション」にいた10人ほどが応援に駆けつけてくれやっと交代することができました。8時過ぎまでやっていたそうです。一人でも参加者が多ければ埋立て工事を確実に遅らせることを実感しました。

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翌日は、まず、抗議船に載せてもらいました。この日は偶然にも、海上での散骨に立ち会うことが出来ました。長年沖縄に通い、基地反対運動に参加してきた「憲法9条を守る御所南の会(京都)」の池田哲也さんが19年に亡くなり、本人の意思を汲んでお連れ合いさんとか友人が遺骨を撒いて供養することになったのです。牧師さんの運転する抗議船3隻に加え、カヌー10艇も参加し、讃美歌と「ウイシャルオーバーカム」を歌い、故人を偲ぶ会に参加することができました。
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海上からは、辺野古側と大浦湾側の中間で工事しているN4護岸が見えました。辺野古の海に土砂、石材を投入していました。

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その後、毎月第一土曜日に開催されるキャンプシュワブ前のオール沖縄会議主催の県民大行動に参加しまし。集会には約千人が結集しました。前日には最高裁判所が、辺野古埋め立ての設計変更申請を国土交通省が代執行するのは違法だという県知事の上告を受理すらせず「門前払い」しました。
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集会では「この国の三権分立は機能していない」「日本の司法は死んだ」など怒りの発言が続きました。国土交通相の代執行は違法だとして住民訴訟を起こしている名護市議会議員の東恩納琢磨さんは、「国や司法には任せられない。ウチナンチューが基地建設を止めさせるしかない」と決意を語りました。しかし、沖縄の人々にこうした発言をさせるのは「ヤマト」の責任だということを改めて痛感しました。

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集会後、海上ヤード建設現場が一望できる瀬嵩の高台に登りました。眼下には大浦湾が広がり、本部町塩川港から搬出された砕石が海上ヤード建設海域に投入されていました。規定に反し砕石が洗浄されていないため海が白く濁っています。こうして生物多様性の海が日々汚染されているのが目に見えて分かります。

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次の日は南部の熊野鉱山を訪れました。昨年の同じ頃明大土曜会のツアーで来た時にはまだ緑に覆われていた同鉱山は、農道から作業路が延び、山が大きく削られ、白い琉球石灰岩が露出していました。ここには沖縄戦で亡くなった犠牲者の遣骨が混じっています。遺骨と白い石灰岩を見分けるのは専門家でも難しいということです。工事を中断して土木業者が見つけるはずがありません。土砂を大浦湾に投入することは決定していませんけれども、工事は進んでいます。土砂を積んでおいて、しかるべき時に大浦湾に投入するということが進んでいるのが分かりました。

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その後、うるま市の陸上自衛隊訓練場候補地も訪れました。現地は、石川岳のすそ野を開発した静かな住宅地が広がっています。そこに隣接している旧ゴルフ場の跡地が候補地で、その隣は県立石川青少年の家があります。キャンプや研修の場です。石川岳のハイキングコースの入口にもなっています。こんな静かで県民の憩いの場が軍事訓練場にされようとしていることの無謀さ、理不尽さ痛感しました。
この訓練場建設については市をあげて反対の声が広がっています。旧石川市の15自治会でつくる石川地区自治会長会は2月1日、計画に反対することを決議しました。2月14日には自治会代表や県讒、市議などが共同代表を務める「自衛隊訓練場設置計画の断念を求める会準備会」が発足しました。3月1日、うるま市の全63自治会で構成する自治会長連絡協議会は前回一致で反対を決めました。同日にはうるま市の中村市長が、うるま市は元々保守的な地盤で中村市長も自民党ですが、沖縄防衛局に白紙撤回を要請しました。
こうした「保革」を超えた反対の声を背景に20日、うるま市の石川会館で「住宅地への自衛隊訓練場設置計画の断念を求める市民集会」が開催され、会場の定員を大きく上回る1200人が参加しました。集会は若者たちのブレイクダンスに始まり、世代、党派を超えた幅広い人たちが参加しました。
全市を挙げた計画反対のうねりを受け、防衛省はうるま市での訓練場設置断念を検討しているとの報道もありますが、一方で他市町村での用地確保の動きもあり、訓練場計画自体を断念したわけではありません。
「保革」を超えた訓練場反対の運動はあるけれども、うるま市には地対艦ミサイルの連隊本部が設立されました。ここは奄美、宮古、石垣島に設立されたミサイル部隊を指揮する本部にもあたるわけです。そこまで自衛隊の要塞化が進んでいるということがありました。
そういうことで、沖縄が日々変わっているし、石垣島もそうだし、与那国にも新しい港ができたりとか、民間空港とか港に自衛隊が堂々と上陸したり使ったりしているということが日々起きています。
急ぎ足のツアーでしたが、今沖縄が置かれている状況を体で感じることが出来ました。
6月16日に沖縄の県議会議員選挙があります。県議会の構成は与野党が伯仲して、玉城与党が1議席だけ多いだけです。もし与野党が逆転すると、玉城知事の県政運営も厳しくなるということで、今沖縄では県議選に向けて全力をあげています。本土でも何らかの応援をする必要があると思います。

<若い世代からの沖縄関連報告>
参加者A 
11月23日に、沖縄を再び戦場にさせない県民の会主催による「全国連帯!沖縄から発信しよう!県民平和大集会」が開かれ、奥武山陸上競技場に1万人が集まりました。
集会に参加して、若者が多かったのが印象的でした。30代、40代、50代が少なかったが、子育てや仕事で大変は世代なので、それでも参加するというのは、沖縄は切迫しているんだと感じました。
あとは玉城知事が出て来たことに感銘を受けました。県庁の中でも抵抗勢力があり、来るかどうか分からないという中で来てくれて、すごい盛り上がりでした。沖縄の運動の力強さを感じました。
(玉城知事の挨拶)
「平和でなければ観光も成り立たない。仕事も勉強もできない。パレスチナやウクライナを大きな憂いをもって見守っている。どうして悲劇を繰り返すのか。沖縄に基地を押し付ける不条理を正していかなければならない。子どもたちの未来が戦争の未来、不安の未来であってはならない。グスーヨー、マケティナイビランドー(皆さん、負けてはいけませんよ)」

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(写真19:沖本裕司氏の沖縄報告より)

全国からの参加者の発言の中で、自衛隊の監視をしている方がいて、沖縄での訓練に参加する自衛隊に協力している船会社の船が出航したことを沖縄に連絡して、沖縄側が運ばれて来たものを座り込みで止めて、事実上、訓練を中止に追い込んだという発言があり、本土と沖縄との連携が出来るんだ、ということで感動しました。
沖縄に皆さん足を運んでください。飛行機から見ると、普通はここに街を作る、港を作るようなところに基地がある。これはやっぱりおかしいと思うので、見て実感することが大事だと思います。

参加者B
学生何人かで沖縄現地に行きました。先日、練馬で報告集会とディスカッションをやりました。55人くらい若者が参加しました。
ディスカッションでは自由な議論が出来たと思います。
沖縄の基地問題にヤマトの学生がどう取り組んでいくのかという時に、もちろん現地に行くのも大切だけれども、沖縄に基地を作るのを決めているのは東京とワシントンの人間だから、東京で行動するのもそうだし、仲間で学習会などを地道に積み重ねていかなければいけないということを実感していて、集会が終わった後も学習会を開くなどして、これからも取り組んでいこうと思いました。

以上、明大土曜会メンバーによる沖縄訪問の報告である。
次に、馬毛島の自衛隊基地建設を巡る漁業権の問題について、種子島在住の牧氏(明大出身)からの投稿である。
この問題については、5月11日(土)のTBSの「報道特集」でも放映された。

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【馬毛島漁業権問題の現状】                                
種子島(面積約450平方キロメートル、人口約2万8千人)の属島・馬毛島での米軍FCLP移転を伴う自衛隊基地建設工事が始まってから、西之表市街地では作業服姿の工事関係者や県外ナンバーの車両が目立つようになってきた。今後さらに数千人単位(2024年2月には6千人規模)で投入される見通しで、行政区の西之表市(人口約1万5千人)では、ゴミ処理や水不足問題など住民生活への影響が懸念される。事業者の防衛省は対策について「何ができるか市と相談する」と煮え切らず、地元住民らは不安を拭えない現状である。

また、本年1月30日、馬毛島(西之表市から真西へ12キロメートル沖に浮かぶ8.2平方キロメートルの小島)葉山漁港の浚渫工事(漁場の破壊)について、一部漁民は反対し、ナガラメ(トコブシ)漁等を営む漁民の生活破壊つまり関係地区(入会地区)漁民の権利(漁業権)が侵害されていると主張し、防衛省の意向(総額22億円の漁業補償の提示)を受け入れている種子島漁協に対して、公開質問状を提出した。
質問状の内容は以下のとおりである。
「私たちは、古の先祖から今日まで馬毛島海域を第一の漁場として漁業を営み、葉山漁港を塰泊浦がこれまで維持管理してきたことは周知の事実であり、工事期間中の消滅が予定されている漁業権の関係地区者として強い利害関係を有しています。そこで馬毛島における漁業が私たちの漁業の歴史と文化の重要性、さらにそれを子々孫々に引き継ぐことこそが、関係地区者としての責務であるとの自覚のもとに、以下の質問を行います。‥<中略>‥
一部漁業権消滅に係る具体的な面積及びその補償額の積算根拠。
馬毛島東海岸の漁業制限に係る具体的な期間や制限内容の詳細。
この制限及び消滅が予定されている区域の魚種及び水揚げ高の実績(過去10年)。
関係地区である塰泊、洲之崎、池田、住吉に対する事前協議を開催しなかった理由。
防衛省の環境アセス評価書には、工事による粉じん(降下ばいじん)や騒音が制限区域外の周辺海域に広がることが示されているが、これによる漁業影響も含まれているのか。さらには制限区域外も含め漁業への被害発生防止について、どのように対応するのか。
工事終了後も巨大な港湾施設を建設することが予定され、馬毛島の軍事基地としての本格的運営開始により、馬毛島周辺海域における漁業は全域的に深刻な操業困難に陥る危険性があるが、この点に関する防衛省の説明内容。」
上記質問状に対する漁協の回答は、以下のとおりである(同年2月10日)。
「1.防衛省からは、漁業権の消滅に係る面積は約100haであり、補償額は、『公共用地の取得に伴う損失補償基準要綱』などの国の基準により積算されたものであるとの説明を受けています。
 2.防衛省からは、制限の期間は4年9か月であり、その間制限区域内で全ての漁業の操業ができなくなるとの説明を受けています。
 3. 制限及び消滅が予定されている区域の魚種及び水揚げ高の評価については、防衛省側で行った漁業補償調査においてなされているものであり、種子島漁業協同組合から回答することは控えさせていただきます。
 4. 種子島漁業協同組合の定款等に「事前協議」に関する定めはありません。
 5. 防衛省からは、陸上工事の騒音や粉じんによる水産資源への影響についてはほとんどなく、基準上、補償対象にはならないとの説明を受けています。海上工事の騒音(水中音)についても、魚類が音の発生源から遠ざかる行動を示すような騒音があるのは発生個所の周辺に限られ、魚類に損傷を与えるような騒音は発生しないとの説明を受けています。
 6. 防衛省からは『工事終了後も巨大な港湾施設を建設することが予定』されているとの説明を受けていません。」

 当漁協の回答は上記の通りであるが、漁協が漁民のための(経済事業団体と共同漁業権の管理団体としての性格を併せ持つ)組合というよりも、防衛省の代理店的発言に一貫していることが窺える内容である。
 同月24日に開かれた当漁協臨時総会で、漁協は漁業権放棄について、圧倒的多数(出席漁協正組合員105人中99人の同意)で防衛省に漁場を売り渡すことが議決された。このことに対し、質問状提出者の一人で塰泊浦漁師のH氏は「先祖から守り続け、残すべき宝の漁場を守ろうという意思が全くない。ものすごく腹が立つ」とマスコミに向け訴えた。他方、可決に同意した組合員の一人は「既に工事の経済効果が出ている。漁業だけでなく、市の将来を考えれば基地を受け入れるべきだ」と地域経済の活性化に注目している。
              2023年6月22日 種子島在住者 牧洋一郎
以前、ブログに掲載した記事です。こちらもご覧ください。
No620 馬毛島基地反対運動の現場から

(終)

重要なお知らせ 「野次馬雑記」の今後の運用について】
ブログ「野次馬雑記」は、2024年6月1日より、若手の大学研究者との共同管理に移行します。
ブログ管理人もそろそろ後期高齢者の仲間入りをするということもありますが、若い世代の方にブログ記事を「記録」として引き継ぎ残していくことが重要ということから、今回の共同管理という判断に至りました。
ブログ「野次馬雑記」は、2007年にヤフー・ブログに開設し、その後ヤフー・ブログの廃止によりライブドア・ブログに引っ越しをしましたが、今までの17年間で総計45万を超えるアクセスをいただいています。
多くの方から、このブログの記事は貴重なものなので、持続的にネット上に残して欲しいという声をいただき、大変ありがたく思っております。
今回の若手研究者との共同管理への移行により、こうしたご要望に応えられるかと思います。
このブログでは、1970年前後の新聞記事や雑誌などを題材に「あの時代」の記憶を記録するとともに、「明大土曜会」の活動紹介の記事などを掲載してきました。その基本方針は今後も維持しますが、若手研究者の新たな視点での記事が加わることによって、多様性のある内容になると思います。
今後ともブログ「野次馬雑記」、よろしくお願いいたします。

【『パレスチナ解放闘争史』の紹介】
重信房子さんの新刊本です!好評につき重版決定!
『パレスチナ解放闘争史』(作品社)2024年3月19日刊行
本体:3600円(税別)

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なぜジェノサイドを止められないのか? 
因縁の歴史を丁寧にさかのぼり占領と抵抗の歴史を読み解く。
獄中で綴られた、圧政と抵抗のパレスチナ現代史。
ガザの決起と、全世界注視の中で続くジェノサイド。
【内容目次】
第一部 アラブの目覚め――パレスチナ解放闘争へ(1916年~1994年)
第二部 オスロ合意――ジェノサイドに抗して(1994年~2024年)

【『はたちの時代』の紹介】
重信房子さんの新刊本です。絶賛発売中!
『はたちの時代』(太田出版) 2023年6月16日刊行
はたちの時代

前半は66年から68年までの明大学費闘争を中心とした時期のこと(この部分は私のブログに「1960年代と私」というタイトルで掲載したものです)。
後半は69年から72年までの赤軍派の時期のことが書かれています。
定価 2,860円(税込

本のアマゾンリンクはこちらになります。

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「あとはき」より
『ここに書かれた記録は、ごく日常的な私自身の身の回りで起こったことを率直に書き記したものです。その分、他の人が書けば全く違った関心角度から違った物語がこの時代のエピソードとして描かれることでしょう。私は獄に在って、何度か癌の手術を繰り返していました。生きて出られないことがあっても、支えてくれる旧友や、見ず知らずの方々にお礼を込めて、私の生き方、どんなふうに生きてきたのかを記録しておきたいと思ったのが、この記録の始まりです。私がどのように育ち、学生運動に関わり、パレスチナ解放闘争に参加しどう生きて来たのか、マスメデイアでステレオタイプに作り上げられた私ではなく、生身の私の思いや実情を説明しておきたくて当時を振り返りつつ記して来ました。獄中と言うのは、集中して文章を書くのに良いところで、ペンをとって自分と向き合うと過去を素直に見つめることが出来ます。楽しかった活動や誇りたいと思う良かった事も、間違いや恥かしい事や苦しかったことも、等しく価値ある人生であり私の財産だと教えられた気がします。(中略)どんなふうに戦い、どんな思いをもって力を尽くし、そして破れたのか、当時の何万という「世の中を良くしたい」と願った変革者の一人として、当時の何万と居た友人たちへの報告として読んでもらえたら嬉しいです。また当時を若い人にも知ってほしいし、この書がきっかけになって身近に実は居る祖父や祖母たちから「石のひとつやふたつ投げたんだよ」と語ってもらい、当時を聴きながら社会を知り変えるきっかけになれば、そんな嬉しいことはありません。
いまの日本は明らかに新しい戦争の道を進んでいます。いつの間にか日本は、核と戦争の最前線を担わされています。そんな日本を変えていきたいと思っています。決して戦争をしない、させない日本の未来をなお訴え続けねばと思っています。なぜなら日本政府が不戦と非戦の国是を貫くならば日本の憲法には戦争を押しとどめる力があるからです。はたちの時代の初心を忘れず日本を良い国にしたい。老若男女がこぞって反戦を訴え支える日本政府を実現したいと思います。』

目次
第一部 はたちの時代 
第一章 はたちの時代の前史
1 私のうまれてきた時代/2 就職するということ 1964年―18歳/3 新入社員、大学をめざす
第二章 1965年 大学に入学した
1 1965年という時代の熱気/2 他人のための正義に共感/3 マロニエ通り
第三章 大学生活をたのしむ
1 創作活動の夢/2 弁論をやってみる/3 婚約/4 デモに行く/5 初めての学生大会/6 研連執行部として

第二部 明治大学学費値上げ反対闘争
第四章 学費値上げと学生たち
1 当時の牧歌的な学生運動/2 戦後民主主義を体現していた自治会運動/3 話し合いの「七・二協定」/4 田口富久治教授の嘲笑   
第五章 自治会をめぐる攻防
1 スト権確立とバリケード――昼間部の闘い/2 Ⅱ部(夜間部)秋の闘いへ/3多数派工作に奔走する/4 議事を進行する/5 日共執行部案否決 対案採択
第六章 大学当局との対決へ 
1 バリケードの中の自治/2 大学当局との激論/3 学費値上げ正式決定/4 収拾のための裏面工作/5 対立から妥結への模索/6 最後の交渉と機動隊導入  
第七章 不本意な幕切れを乗り越えて
1 覚書―二・二協定の真相/2 覚え書き(二・二協定)をめぐる学生たちの動き

第三部 実力闘争の時代
第八章 社学同参加と現代思想研究会
1―1967年 一 私が触れた学生運動の時代/2 全学連再建と明大「二・二協定」/3 明大学費闘争から再生へ 
第九章 社学同への加盟
1 社学同加盟と現代思想研究会/2 現思研としての活動を始める/3 67年春、福島県議選の応援/4 今も憲法を問う砂川闘争/5 あれこれの学内党派対立/6 駿河台の文化活動
第十章 激動の戦線
1 角材を先頭に突撃/2 10・8闘争の衝撃/3 三里塚闘争への参加/4 68年 5月革命にふるえる/5 初めての神田カルチェラタン闘争―1968年6月/6 68年国際反戦集会の感動 

第四部 赤軍派の時代 
第十一章 赤軍派への参加と「七・六事件」
1 激しかったあの時代/2 1969九年の政治状況/3 4・28縄闘争/4 赤軍フラクション参加への道/5 藤本さんが拉致された、不思議な事件/6 7月5日までのこと/7 69年7月6日の事件/8 乱闘―7月6日の逆襲/9 過ちからの出発
第十二章 共産主義者同盟赤軍派結成 
1 女で上等!/2 関西への退却/3 塩見さんらの拉致からの脱走/4 共産同赤軍派結成へ
第十三章 赤軍派の登場と戦い
1 葛飾公会堂を訪れた女/2 「大阪戦争」/3 「東京戦争」/4 弾圧の強化の中で/5 支えてくれた人々/6 前段階蜂起と組織再編/7 大敗北―大菩薩峠事件/8 初めての逮捕――党派をこえた女たちの連帯
第十四章 国際根拠地建設へ
1 前段階蜂起失敗のあと/2 よど号ハイジャック作戦/3 ハイジャック闘争と日本委員会/4 深まる弾圧――再逮捕/5 思索の中で

第五部 パレスチナ連帯と赤軍派との乖離(かいり)の中で
第十五章 パレスチナ連帯の夢
1 国際根拠地パレスチナへ/2 赤軍派指導部の崩壊/3 森恒夫さん指導下の赤軍派/4 パレスチナへの道
第十六章 パレスチナから見つめる
1 ベイルートについた私たち/2 統一赤軍結成/3 アラブの私たちー―赤軍派との決別/4 新党結成の破産/5 アラブから連合赤軍事件を見つめて/6 連合赤軍の最後とアラブの私たち/7 新たな変革の道を求めて

【お知らせ その1】
「続・全共闘白書」サイトで読む「知られざる学園闘争」
●1968-69全国学園闘争アーカイブス
このページでは、当時の全国学園闘争に関するブログ記事を掲載しています。
大学だけでなく高校闘争の記事もありますのでご覧ください。
現在17大学9高校の記事を掲載しています。


●学園闘争 記録されるべき記憶/知られざる記録
このペ-ジでは、「続・全共闘白書」のアンケートに協力いただいた方などから寄せられた投稿や資料を掲載しています。
「知られざる闘争」の記録です。
現在16校の投稿と資料を掲載しています。


【お知らせ その2】
ブログは概ね2~3週間で更新しています。
次回は6月14日(金)に更新予定です。

今回のブログは、4月6日に開催した「明大土曜会」での重信房子さんと重信メイさの「パレスチナ問題」についての発言である。
重信房子さんと重信メイさんの親子が、「パレスチナ問題」について一緒に発言するのは初めてではないかと思う。
「パレスチナ問題」を捉える視点や、ガザの状況、日本でできるパレスチナ支援などについて語っている。
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重信房子さん
パレスチナ問題については、一度ここ(明大土曜会)で話す機会がありました。そこでも強調したのですが、パレスチナ問題は10月7日に始まったのではない。パレスチナ問題を10月7日から捉えるという観点は、アメリカとかイスラエルとか、それに追随する日本政府の考えではあるんです。でも、このパレスチナ問題が起こったのは、(イスラエル)建国以来、抑圧されて差別されてきたパレスチナ人たちの声がなかなか届かない。その結果として民族浄化で、これでもう本当に生きていけないという状態になった時に、絶望ではなく闘いを取った、それに過ぎないんです。ですから始まりではなくて弾圧の結果としてそれが起こったんだという、その視点をまず持っていただきたいということを話しました。
それからもう一つは、「ハマスとの闘い」、「テロとの闘い」、これはそうではありません。パレスチナの全武装勢力、全解放勢力がガザから起ち上がらざるを得なかったから戦ったのです。あれにはイスラムの建国を綱領としているハマスとは違う、民主国家建設を求めるPFLPとか、マルクス・レーニン主義組織ですけれども、そういう人たちも協同して、もうこれではやっていけない、そういう中で立ち上がったんです。
その一番のシンボルだったのが、ネタニヤフが去年の9月の国連総会で地図を掲げて新しい中東を作ると、その地図の中にすでにパレスチナは消されていたんです。その事実が、やはりパレスチナの人たちが立ち上がらなければと思った理由と言えます。
今でもアメリカは、そしてドイツは「自衛だ」という形でイスラエルを擁護しています。これはユダヤ人自身からも「おかしいんじゃないか」と言われて、本当に目の前でアルジャジーラなどの記者たちが命を懸けて現実を伝えているんです。それを日本の茶の間にいてもテレビでもネットでも見ることができるんです。その中で人々が「これは虐殺だ。ジェノサイドだ」と分かるんです。にもかかわらず「これは自衛である」ということが、ずっと続いてきた一つの論理なんですけれども、それが今少し壊されつつあるんです。
それは誰によってなされたかと言うと、「マンデラの子どもたち」なんです。南アフリカの人たちが、ずっと人種差別、アパルトヘイトに対して闘ってきました。マンデラがガザに来たことがあります。その時に彼が言ったのは、パレスチナの人たちが和平を開いたことに対して、「オスロ合意」不十分ではあるんですけれども、「パレスチナの人たちはとても寛容だ。それを私は本当に支持します」と言うと同時に「こういう状況の中で武装闘争を選ぶということは、一つの選択として私は支持します。私たちにはパレスチナに自由がない限り私たちの自由はないんです」ということをはっきり言って、パレスチナをずっと支援してきました。その志を受けた「マンデラの子どもたち」、今の政府の人たちが国際司法裁判所に提訴したことによって、少しずつ動きが変わってきました。南アフリカと並んだ「グローバルサウス」と言われるいろいろな国々が支援しています。国際司法裁判所は「ジェノサイドに係る一切のことをイスラエルは責任を持つべきだ」という暫定判決を下したんですね。
そのことによってイスラエルは反撃するために、UNRWA(国連パレスチナ難民事業機関)の組織の人間の十何人かが10月7日のテロに加わったという口実を使って批判しているんですけれども、それは国際司法裁判所の判決を違う局面に、情報戦で転換するためです。彼らはずっと最初からUNRWAという、UNRWAはパレスチナの難民問題を扱っているんですけれども、イスラエルとアメリカは難民をなくすというのは、今住んでいる難民の国々、シリアだとかレバノンだとか、その国の国籍を取って難民問題を終わらせろというのが主張なんです。この機にイスラエルが考えているのは、もう難民問題を終わらせようと、つまりガザの人たちを北から南へと追い出して、エジプトに押し出した後にエジプト国籍を取ればいいじゃないかみたいな論理を作ろうとして、ずっと今ターゲットにしているんですね。
何万人もいるUNRWAのスタッフのうち、十何人が(10月7日に)参加していた、していないにもかかわらず、そんなことは(拠出金を)止める理由にならないんですけれども、証拠も無しにアメリカがすぐに拠出金を停止し、日本も停止しました。そして4月2日に日本は再開すると言っています。ただ、それだけで非常に資金が枯渇し飢餓が蔓延している中で、パレスチナの連帯の声が今本当に必要なんです。
この間、日本の中でも、いろんな形で、あまりにもひどいので、主義主張は分からないけれども人が殺されている、これは許されない、そういう形で若い人たちがずいぶん集まってきています。最近の3月30日の「土地の日」の集会には、全国の北海道から九州まで各地で大小の連帯の行動がありました。「土地の日」というのは、イスラエル領内に住むパレスチナ人の土地を奪われ、奪われ、奪われてきたので、何とか阻止しようということで1976年にゼネストをやったんです。それに対してイスラエルが銃弾で弾圧して、6人が殺され何十人もが怪我をしました。それを被占領地や、他のところにいるパレスチナ人たち全員が怒って起ち上って、そして土を取り戻す日にしようということで、3月30日を「土地の日」と決めていました。そして、世界中の人たちがパレスチナ連帯の日として3月30日に連帯をしています。
東京では新宿駅を取り囲む「新宿円周ラッピングデモ」をやりました。それが終わって、集合が南口だったので、南口に移動したときに、「フリーフリーガザ」という声が聞こえて、そして揉めていて、見たら、筋肉質の男たちが憮然とした表情で出てきて、これはパレスチナ人じゃないな、誰だろうと思ったら、後で知りましたけれど、イスラエルの柔道家が妨害に来ていたんです。その人たちのうちの一人が、ネットで、自分たちは「柔道着を奪われた」とか「殴られた」とか言っている。実際は反対なんですよ。ちょうど在日パレスチナ人たちも南口にいたんです。ラッピングデモの参加者たちに「ハマスの協力者だ」みたいな形で、何でもハマスにすれば日本人は手を引くと思って、「ハマス、ハマス」と言うのに対して「違う」と話をしていた時に、突然バックを開けて柔道着を着て構えたり、いろいろ向こうはパフォーマンスをしていたようです。それをネットでは「柔道着を盗まれた」とか、全く反対の話をしているので、主催者側の団体名で、柔道連盟に対して、こういう事実に対してどう考えるのかという声明を出すようです。このように、日本の中でも皆いろんな形で協力しているので、皆さんの報告とパレスチナの問題が一つに繋がるような形で、さらに若い人たちの力に期待していきたいと思っています。
最後に『パレスチナ解放闘争史』ですが、これは去年書こうとして書ききれないうちに10・7の事態が発生したので、慌てて作りました。これはパレスチナの解放闘争史で、1916年から2024年まで100年以上なので分厚くなりました。「字が小さい」という苦言がなされていますが、いろんな人から「これはパレスチナ問題の辞典ですね」という嬉しいお褒めの言葉と同時に、力仕事のことを言っているように「力作ですね」と言われています。値段が高いので、皆さん伝えたいのは、図書館に行った時に、「この図書を置いてください」とリクエストしてください。そうすれば買えない人に読んでもらえます。本の中に、何でこんなことが起こったのかという歴史が書いてあります。
長くなりましたがこれで終わります。
※当日販売した『パレスチナ解放闘争史』のサイン本は10冊が完売しました。

参加者A
私も3月30日の「ラッピングデモ」にいました。イスラエルの柔道着を着た連中が邪魔した時に遭遇して、明らかにオリンピックの選手じゃないかと思うんです。イスラエルの国旗とオリンピックのマークが付いた柔道着を着ていましたから、個人的に来たんじゃなくて、バックがあるような感じがしましたね。
ただ、パレスチナの人たちは冷静に対応していたので、挑発に乗らずに押し返したというのは、周りで見ていて非常によかったと思います。

参加者B
オリンピックが「平和の祭典」では決してなくて、ナショナリズムの昂揚のために用いられている証左でしかないわけです。
私の大学の所属しているゼミで、重信さんの『パレスチナ解放闘争史』の輪読が決まりました。
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重信メイさん
みなさん、どうもこんにちは。
今アルジャジーラで仕事をしているのですが、短い間別の映画の仕事で(日本に)来ています。

私は、日本でどのくらい中東の、特に今のガザのことが報道されているのか、把握していないです。日本でも最初のころは注目があって報道されていたのは覚えています。今のパレスチナの状況がどの位伝わっているのか、どこから話したらいいのか把握して無いです。最初の頃は自分のツイッターに、なるべく情報と現地の映像を載せていました。でも、そのうちものすごく生々しい映像しかない状態になって、これを日本人向けに載せていいのか迷いました。私はその様なガザの映像や写真を見ざる得ない立場ですけれども、それを見た普通の人はどのくらい耐えられるか、と迷ってしまう程生々しいものしかないのです。

今回ガザで起こっているイスラエル攻撃は、国際社会が決めたジュネーブ協定での戦争のルールというのを全て無視しています。例えば、病院、学校や、避難所は攻撃してはいけない、民間人は巻き込んではいけない、民間人ではなくても捕虜は傷つけてはいけない、などあります。それらが完全に無視されている、ルール無しの戦争、占領になっている。イスラエルの戦争犯罪です。

本当にルール無しという例で言えば、今まではウクライナ戦争でも、どこの戦争にしても、病院が攻撃されるというのは大事件で、大きく批判されニュースになるのに、今回はガザにある36の病院がすべて空爆されて、ガザの最大医療設備であるアル・シファ病院は空爆だけではなく、イスラエル軍に支配され、中にいた医療関係者や病人を含むパレスチナ人は拷問され、逮捕され、人間の盾にされ、ついに多くの人は殺されているのです。

そのうえ、イスラエルのドローンが何百個もガザの空から1ミリごと監視しているのです。なので、今回のNGO(ワールド・セントラル・キッチン)の人たちが7人殺された事件も、「ミステーク」、間違っていたとイスラエル政府は言っているけれども、有り得ない話です。関連で言うと、ガザからどの記者がマイクを持ってカメラに向かって話をしていても、常にドローンの音が聞こえてくる。イスラエルは、暗殺や、スパイしているときに使う、音がしないのも使っているのです。でも、ガザでは常にドローンの音がするというのは、精神的に「ガザを24時間ウオッチしているぞ」という意味を含めて、煩いドローンを常に飛ばしているのです。1ミリも見える監視がイスラエルのテクノロジーではできるのです。ガザの土地をグリッド(格子)状にして、全部監視しているのです。その中で、病院に避難している人たちや、出入りしている人たちが狙われて殺されたりしています。「中にハマスがいる」、「ハマスの指揮所がある」という出鱈目の言い訳で、中にいる病人や避難民を殺すだけではないのです。

最近SNSで時々ガザの北部からの映像出ているので見ているとは思いますが、今人々は意図的に飢餓状態におかれていて、多くの人が餓死する恐れがある中、イスラエルはさらに食料援助が入らない様にしているのです。
米国はイスラエルにガザの人々を殺す武器を提供しながら、援助物資を空から落として、その援助物資を必死で取りに行こうとするパレスチナ人をイスラエルがドローンで攻撃しているのです。有り得ない、本当に信じられない、今どきこんなことがカメラに映っているのに何も出来ないなんて…。
 世の中も見ているし証拠もある戦争犯罪・ジェノサイドがあるにもかかわらず、誰も何もできないということが、私には不思議でたまらないのです。最近では、イスラエルの虐殺による集団墓地が北部の病院の敷地で暴かれました。400人以上のパレスチナ人が、縛られたまま、拷問のあとも示されたまま埋められていたのです。中には生きたまま埋められた犠牲者もいると、ガザの医療関係者が発言していました。

いくらアメリカがイスラエル・ロビーに握られていると言っても、これはあまりにひどい、やりすぎじゃないかという流れにならないのが不思議。(以来、4月下旬から米国の64の大学でイスラエルのジェノサイド反対・米国の関与反対運動が広がっています)

今回(3月25日)アメリカが拒否権を使わなかったことで通った国連安保理の決議案ですが、「この決議案は拘束力のない決議だ」とアメリカは勝手に決めつけている。要するに、この決議案には実効力がないことを暗に示している。イスラエル非難に強制力を持たせないための発言なのです。アメリカは常に拒否権を使うことによって、絶対的に国際社会がイスラエルを止める手段にならないようにしている。

今、日本の人たちが頑張ってくれている。イスラエルはIT産業が中心で、ハイテク部門はGDPの18.1%を占めている。監視技術を含むイスラエルのハイテク分野は、2022 年のイスラエル輸出全体の 48.3% を占め、総額は 710 億ドルに達した。IT産業がこの成長に大きく貢献していて、占領下のパレスチナ地域は、イスラエルの軍産複合体が開発した最新兵器や監視技術の実験場となっている。今のガザの攻撃が続くためには、自分たちのIT産業の成功とアメリカからの援助と武器が入いることが必要です。ドイツ、イギリスや、フランスは武器も提供をしているけれど、イスラエルが作っている(武器の)パーツも提供しているのです。日本もそうです。

今、世の中の注目がガザに集中していますが、パレスチナ自治区のヨルダン川西岸地区でも一般の人がイスラエル兵や、違法(イスラエル人)入植者に殺されたり攻撃されたりしているのです。イスラエル兵が占領を監視するためのジープの中からパレスチナ人を撃ったり殺したりしているのです。今まではジープから出て撃っていたのですが、車輌の上にロボティクスのパーツを載せて、ゲームの様に車輌に乗ったままパレスチナ人を狙って打つことが出来るようになったのです。このパーツは日本の企業から買っているのです。テクノロジーがこの様な武器に使われているので、市民レベルでそれらを止める活動というのが大事だと思います。最近、日本の市民が伊藤忠とイスラエルの軍需企業エルビット・システムズとの間の協力を止めた。(「伊藤忠はイスラエルの“死の商人”エルビット・システムズと手を切れ!」の署名運動が功を奏し、伊藤忠商事がイスラエルの最大手軍需企業エルビット・システムズとの協力覚書を中止することを明らかにしました)。

南アフリカのアパルトヘイトを国際社会が経済的に、軍事的制裁によって苦しめて停めたように、一番今効果があるのはボイコットです。イスラエルに製品を輸出しない、輸入しない、日本政府もイスラエルのドローンを買わない、日本国民もイスラエル商品を買わない、イスラエルの武器に使われていないテクノロジーも、ボイコットするという方向に持って行くのが大事です。

原則的に、どんなグッズであっても、イスラエルの物を一切買わない、イスラエルの経済にお金を入れないようにすることです。経済的に苦しめる事で武器を発展させないということを、どの国もやるべきだと思います。今、国のレベル、政府のレベルで何も出来ないのだったら、市民のレベルで出来ることをやるべきだと思います。この様なことをイギリスやオランダの市民も考えて知恵をつかっている。イギリスでは最近、ジェノサイド「防止策」としての輸出停止を求める書簡に600人以上の著名弁護士が署名。イギリス政府がイスラエルと関係を持つのはジェノサイドに関わっていることで、「直ちに停止するべきだ。イギリス政府もジェノサイドの戦争犯罪の裁判に訴えられる!」、ということで、市民が政府を監視していることを示している。政府は、国民が国家政策に関して無知だとなんでもやりたい放題だけれども、国民、市民の人達からこの様な要求があると、少しずつ変わっていくと思います。日本でもそうですが、市民が見ている、市民が追及してきているというのを(政府が)見る様になると、変わってくると思うのです。市民追求のお陰で、最近オランダ、カナダ、スペイン、ベルギーもイスラエルへの武器輸出を停めたのです。

日本でも市民レベルで頑張っているお陰で、イスラエルとの経済的、政治的国家関係が変わっていくと思います。それをもっと広めて、武器だけではなく、日本に入って来るイスラエル産商品すべてをバーコードでチェックして、戦争犯罪、ジェノサイドに賛成しない国民として消費しない様にするのが今は大事です。イスラエル産の商品やイスラエルを経済的にサポートしている商品やサービスがチェック出来るアプリケーション「No Thanks」があります。バーコードを翳すだけでわかる様に出来ていて、とっても簡単です。イスラエル・ボイコット商品一覧も見られて、さらに詳しくイスラエルとの関わりが知りたい場合は、商品名をクリックすれば良いだけです。これらは個人レベルで買わないだけではなく、それを宣伝すること、「これはイスラエル商品・イスラエル政府や軍に資金を出しているので、買わないようにしよう!」、という運動もやっていけるのではないかと思います。
長くなりました。 (終)
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(重信メイさん提供:パレスチナに連帯する世界の大学のリスト)

【重要なお知らせ 「野次馬雑記」の今後の運用について】
ブログ「野次馬雑記」は、2024年6月1日より、若手の大学研究者との共同管理に移行します。
ブログ管理人もそろそろ後期高齢者の仲間入りをするということもありますが、若い世代の方にブログ記事を「記録」として引き継ぎ残していくことが重要ということから、今回の共同管理という判断に至りました。
ブログ「野次馬雑記」は、2007年にヤフー・ブログに開設し、その後ヤフー・ブログの廃止によりライブドア・ブログに引っ越しをしましたが、今までの17年間で総計45万を超えるアクセスをいただいています。
多くの方から、このブログの記事は貴重なものなので、持続的にネット上に残して欲しいという声をいただき、大変ありがたく思っております。
今回の若手研究者との共同管理への移行により、こうしたご要望に応えられるかと思います。
このブログでは、1970年前後の新聞記事や雑誌などを題材に「あの時代」の記憶を記録するとともに、「明大土曜会」の活動紹介の記事などを掲載してきました。その基本方針は今後も維持しますが、若手研究者の新たな視点での記事が加わることによって、多様性のある内容になると思います。
今後ともブログ「野次馬雑記」、よろしくお願いいたします。

【『パレスチナ解放闘争史』の紹介】
重信房子さんの新刊本です!好評につき重版決定!
『パレスチナ解放闘争史』(作品社)2024年3月19日刊行
本体:3600円(税別)

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「模索舎」のリンクはこちらです。
  
なぜジェノサイドを止められないのか? 
因縁の歴史を丁寧にさかのぼり占領と抵抗の歴史を読み解く。
獄中で綴られた、圧政と抵抗のパレスチナ現代史。
ガザの決起と、全世界注視の中で続くジェノサイド。
【内容目次】
第一部 アラブの目覚め――パレスチナ解放闘争へ(1916年~1994年)
第二部 オスロ合意――ジェノサイドに抗して(1994年~2024年)

【『はたちの時代』の紹介】
重信房子さんの新刊本です。絶賛発売中!
『はたちの時代』(太田出版) 2023年6月16日刊行

はたちの時代

前半は66年から68年までの明大学費闘争を中心とした時期のこと(この部分は私のブログに「1960年代と私」というタイトルで掲載したものです)。
後半は69年から72年までの赤軍派の時期のことが書かれています。
定価 2,860円(税込

本のアマゾンリンクはこちらになります。

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「あとはき」より
『ここに書かれた記録は、ごく日常的な私自身の身の回りで起こったことを率直に書き記したものです。その分、他の人が書けば全く違った関心角度から違った物語がこの時代のエピソードとして描かれることでしょう。私は獄に在って、何度か癌の手術を繰り返していました。生きて出られないことがあっても、支えてくれる旧友や、見ず知らずの方々にお礼を込めて、私の生き方、どんなふうに生きてきたのかを記録しておきたいと思ったのが、この記録の始まりです。私がどのように育ち、学生運動に関わり、パレスチナ解放闘争に参加しどう生きて来たのか、マスメデイアでステレオタイプに作り上げられた私ではなく、生身の私の思いや実情を説明しておきたくて当時を振り返りつつ記して来ました。獄中と言うのは、集中して文章を書くのに良いところで、ペンをとって自分と向き合うと過去を素直に見つめることが出来ます。楽しかった活動や誇りたいと思う良かった事も、間違いや恥かしい事や苦しかったことも、等しく価値ある人生であり私の財産だと教えられた気がします。(中略)どんなふうに戦い、どんな思いをもって力を尽くし、そして破れたのか、当時の何万という「世の中を良くしたい」と願った変革者の一人として、当時の何万と居た友人たちへの報告として読んでもらえたら嬉しいです。また当時を若い人にも知ってほしいし、この書がきっかけになって身近に実は居る祖父や祖母たちから「石のひとつやふたつ投げたんだよ」と語ってもらい、当時を聴きながら社会を知り変えるきっかけになれば、そんな嬉しいことはありません。
いまの日本は明らかに新しい戦争の道を進んでいます。いつの間にか日本は、核と戦争の最前線を担わされています。そんな日本を変えていきたいと思っています。決して戦争をしない、させない日本の未来をなお訴え続けねばと思っています。なぜなら日本政府が不戦と非戦の国是を貫くならば日本の憲法には戦争を押しとどめる力があるからです。はたちの時代の初心を忘れず日本を良い国にしたい。老若男女がこぞって反戦を訴え支える日本政府を実現したいと思います。』

目次
第一部 はたちの時代 
第一章 はたちの時代の前史
1 私のうまれてきた時代/2 就職するということ 1964年―18歳/3 新入社員、大学をめざす
第二章 1965年 大学に入学した
1 1965年という時代の熱気/2 他人のための正義に共感/3 マロニエ通り
第三章 大学生活をたのしむ
1 創作活動の夢/2 弁論をやってみる/3 婚約/4 デモに行く/5 初めての学生大会/6 研連執行部として

第二部 明治大学学費値上げ反対闘争
第四章 学費値上げと学生たち
1 当時の牧歌的な学生運動/2 戦後民主主義を体現していた自治会運動/3 話し合いの「七・二協定」/4 田口富久治教授の嘲笑   
第五章 自治会をめぐる攻防
1 スト権確立とバリケード――昼間部の闘い/2 Ⅱ部(夜間部)秋の闘いへ/3多数派工作に奔走する/4 議事を進行する/5 日共執行部案否決 対案採択
第六章 大学当局との対決へ 
1 バリケードの中の自治/2 大学当局との激論/3 学費値上げ正式決定/4 収拾のための裏面工作/5 対立から妥結への模索/6 最後の交渉と機動隊導入  
第七章 不本意な幕切れを乗り越えて
1 覚書―二・二協定の真相/2 覚え書き(二・二協定)をめぐる学生たちの動き

第三部 実力闘争の時代
第八章 社学同参加と現代思想研究会
1―1967年 一 私が触れた学生運動の時代/2 全学連再建と明大「二・二協定」/3 明大学費闘争から再生へ 
第九章 社学同への加盟
1 社学同加盟と現代思想研究会/2 現思研としての活動を始める/3 67年春、福島県議選の応援/4 今も憲法を問う砂川闘争/5 あれこれの学内党派対立/6 駿河台の文化活動
第十章 激動の戦線
1 角材を先頭に突撃/2 10・8闘争の衝撃/3 三里塚闘争への参加/4 68年 5月革命にふるえる/5 初めての神田カルチェラタン闘争―1968年6月/6 68年国際反戦集会の感動 

第四部 赤軍派の時代 
第十一章 赤軍派への参加と「七・六事件」
1 激しかったあの時代/2 1969九年の政治状況/3 4・28縄闘争/4 赤軍フラクション参加への道/5 藤本さんが拉致された、不思議な事件/6 7月5日までのこと/7 69年7月6日の事件/8 乱闘―7月6日の逆襲/9 過ちからの出発
第十二章 共産主義者同盟赤軍派結成 
1 女で上等!/2 関西への退却/3 塩見さんらの拉致からの脱走/4 共産同赤軍派結成へ
第十三章 赤軍派の登場と戦い
1 葛飾公会堂を訪れた女/2 「大阪戦争」/3 「東京戦争」/4 弾圧の強化の中で/5 支えてくれた人々/6 前段階蜂起と組織再編/7 大敗北―大菩薩峠事件/8 初めての逮捕――党派をこえた女たちの連帯
第十四章 国際根拠地建設へ
1 前段階蜂起失敗のあと/2 よど号ハイジャック作戦/3 ハイジャック闘争と日本委員会/4 深まる弾圧――再逮捕/5 思索の中で

第五部 パレスチナ連帯と赤軍派との乖離(かいり)の中で
第十五章 パレスチナ連帯の夢
1 国際根拠地パレスチナへ/2 赤軍派指導部の崩壊/3 森恒夫さん指導下の赤軍派/4 パレスチナへの道
第十六章 パレスチナから見つめる
1 ベイルートについた私たち/2 統一赤軍結成/3 アラブの私たちー―赤軍派との決別/4 新党結成の破産/5 アラブから連合赤軍事件を見つめて/6 連合赤軍の最後とアラブの私たち/7 新たな変革の道を求めて

【お知らせ その1】
「続・全共闘白書」サイトで読む「知られざる学園闘争」
●1968-69全国学園闘争アーカイブス
このページでは、当時の全国学園闘争に関するブログ記事を掲載しています。
大学だけでなく高校闘争の記事もありますのでご覧ください。
現在17大学9高校の記事を掲載しています。


●学園闘争 記録されるべき記憶/知られざる記録
このペ-ジでは、「続・全共闘白書」のアンケートに協力いただいた方などから寄せられた投稿や資料を掲載しています。
「知られざる闘争」の記録です。
現在16校の投稿と資料を掲載しています。


【お知らせ その2】
ブログは概ね2~3週間で更新しています。
次回は5月24日(金)に更新予定です。

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