●司会・進行
安田宏(元都立上野高校)、金廣志(元都立北園高校)
第1部
●シンポジウム登壇者
高橋順一(ドイツ・ヨーロッパ思想史研究者 早稲田大学名誉教授)
鵜飼哲(フランス現代思想・ジャック・デリダ研究者 一橋大学名誉教授)
ファビアン・カルパントラ(フランス人、映画研究者 、横浜国立大学准教授)
キム・ソンハ(韓国人、韓国徴兵拒否者らの亡命立案者)
三宅千晶(沖縄県那覇市生まれ 被爆三世 ドイツ・イタリアのNATO軍『米軍』基地調査報告書作成、弁護士)
第2部
●ディスカツション登壇者
<今現在、社会の各方面でアクティビストとして活動する若者たち>
白坂リサ(慶應義塾大学)、田中駿介(東京大学大学院)、山本大貴(慶應義塾大学)
<1960年代ベトナム反戦運動の中心的活動家たち>
三上治(思想家)、前田和男(ノンフィクション作家)、二木啓孝(ジャーナリスト)
順不同
●開催趣旨
ceasefire now! 直ちに戦争をやめろ!
ロシアのウクライナ侵略とともに始まった戦争はすでに2年を越え、ハマスの攻撃に端を発したイスラエルのガザ地区侵攻とともに始まった戦争も三か月以上たって未だ終わりが見えてきません。このような状況の中で、私たちはあらためて「反戦」の意志をはっきりと表明し、戦争の停止を要求します!
私たちは、今回の戦争においてあらためて、他国を侵略し、無辜の民衆を情け容赦なく蹂躙する国家のむき出しの暴力の理不尽さを目の当たりにし、さらにはこの暴力が他国への侵略だけではなく、その暴力を批判して抵抗する自国の民衆に対しても向けられているという事実を、そしていつの戦争においても最もひどい被害を受けるのは最も弱い立場にある民衆であるという事実を痛感することとなりました。
この事態を前にして、私たちは、これ以上犠牲が生まれないよう戦闘をただちに停止することを要求すると同時に、理不尽さの核心にある国家の暴力、具体的にいえばロシアのウクライナ侵略と不法な領土奪取、イスラエルのガザ侵攻によるパレスチナ自治区への不当な支配拡大を決して許さないことを表明します。
そして私たちの「反戦」の意志は、不当な侵略を許さないという原則、それぞれの民族は自決権を持つという原則と共に、国家の暴力の大きな要因となっている独裁や弾圧への志向、それを助長する過激なナショナリズム、ポピュリズム、宗教原理主義、人種や民族に基づく差別などを許さないことと一体とならねばなりません。
私たちはこのことをかつてのベトナム反戦運動から学びました。ベトナム反戦運動はアメリカ国内の反戦への機運の盛り上がりとともに戦争を遂行する自国政府への厳しい批判と抵抗を生み、さらにはそれが国外の反戦運動、特にアメリカに協力する国々(日本、西ドイツなど)における自国政府への激しい抵抗運動とも結びついて、ついにはアメリカを敗北へと追い込んだのでした。今私たちの「反戦」の意志も、戦闘停止の要求と同時に、戦争のない社会の創出にむけたアクティヴな民衆運動へとつながっていかねばならないのです。
私たちはこのシンポジウムにおいて多様な立場からの様々な考え方や意見を表明しあいながら戦争に向き合う私たちの現在を、そしてそこにはらまれている問題点や課題を浮かび上がらせていきたいと思っています。多くの方々の参集をお願いいたします。
今回のブログでは、このシンポジウムの第1部の前半部分の概要を掲載する。高橋順一さん(早稲田大学名誉教授)と鵜飼哲さん(一橋大学名誉教授)から、現在のパレスチナの問題について、それぞれの専門的な立場からの発言があった。
【4・28反戦シンポジウム 直ちに戦争をやめろ! 】
●主催者挨拶
安田 宏
私と金廣志と一緒に司会を務めさせていただきます。よろしく願いします。
はじめに、今回、このシンポジウムをやろうと、実行委員会で集まりまして、いろいろな討論を繰り返してきました。チラシの呼びかけ文に、我々の共通の意識というかそういうものが書いてありまして、それとダブる話もあると思いますが、今回のシンンポジウムを始めるにあたって進行をどうしていくのか、あるいはそもそも我々実行員の問題意識は何であったのか、私個人の意見も入りますけれども、お話させていただきたいと思います。実行委員6人が全員同じスタンスではないので、今日集まった皆さんのいろんな立場からの発言があると思いますので、期待しております。
私たちは、今回は言うまでもありませんが2つの戦争、ウクライナに対するロシアの侵攻、それとガザでのイスラエルによる戦争という2つの戦争に対して、何か言うべきこと、やるべきとこがあるんじゃないかということで、スタートいたしました。
皆さんご存じのように、今回の2つの戦争の特徴というのは、極端な非対称性にあると思います。イスラエルとパレスチナ、あるいはロシアとウクライナという、超大国と弱小な国あるいは弱小な集団との戦争ということで、圧倒的な航空機等の戦力の差の中で闘われています。しかも大国の方は国内の反戦運動、反政府運動を弾圧して徴兵制を含めて戦争に注力しています。
私たちは国と国との戦争を見つめると同時に、各国の中での為政者と民衆との関係も注目していかなければいけないということを話し合ってきました。
しかも、この戦争は、どちらにも今のところ停戦する意思が見えないですね。停戦する意思が見えないのと同時に、どちらか片方が停戦しようという提案があったとしても、もう一つがたぶん受け付けないだろうという状態にあります。さらに停戦したとしても、その後、どのような社会や国家を建設するのか、全く見えません。そんな状態での、昔散々使われた言葉ですけれども、「泥沼化した戦争」という状態になっています。


これはどうしても、いろんな考え方があると思うんですけれども、第三者、国際社会の人道的介入あるいは国際司法裁判所(ICJ)による戦争犯罪の摘発、そういう形での国際社会の関与がどうしても必要だと思います。「国連が機能していないんじゃないか」という批判もありますけれども、現実的に国際刑事裁判(ICC)によって、ロシアのプーチン大統領に逮捕状が出ています。ですから、プーチンは国際会議には一切出席できません。出たら逮捕されるということになっています。ですから全く力が無いわけではない。あるいはイスラエルのネタニヤフ首相も、戦争犯罪人として提訴されています。そういう形での国際社会の介入が必要なのではないか、ということを話しております。その中には、原則としての国際法、それから人権意識というものが不可欠だと考えます。
我々日本人として何が出来るか、あるいはどう考えるべきかと考えた時に、国連憲章というのは日本国憲法と非常に密接な関係があります。そういう日本国憲法を持っている我々として、どういうことができるのだろうか、そういう角度でも考えていきたいと思います。
今、テレビなどで嫌と言うほど戦争の実態を報道されて観ていますが、かつてのイラク戦争とか湾岸戦争とすごく違っているのは、非常に生々しい肉弾戦と言いますか、かつてはバーチャルな面が強調された戦争でしたが、今回はまるで第二次世界大戦に引き戻されたのではないかと思うくらいの地上戦というか肉弾戦が展開されています。そういうものを毎日のように見せられて、しかも若い人たち、今日もニュースでやっていましたが、アメリカの名門大学でパレスチナ支持のデモ、集会が盛んに行われています。そういう人たちというのは、今はネット社会ですから、報道されて我々が観ている以上の、虐殺された死体だとか、そういう生々しい映像を皆さんネットで観ているそうです。やはりそれは本当に戦争犯罪であると思います。
第二次世界大戦に引き戻されているようだ、という話をしましたけれど、第二次世界大戦後、皆さんもご存じのように2つの裁判がありました。ニュルンベルグ裁判と東京裁判です。これは後で法律を作って、事後法で遡及させたのではないかという批判があります。しかし、人道に対する罪であるとか、あるいは平和に対する罪であるとか、そういうものは遡及であろうと何であろうと、非常に普遍的な犯罪を裁くルールだと思います。これは人間として当然あるべき姿に明らかに反しているということで裁判が行われたという認識です。
日本では、安保法制から今回の殺傷能力のある戦闘機を輸出するというとこころまで、戦争の出来る国へと進んでいます。生まれてから今まで、これほど戦争というもののリアリティを身近に感じたことはありません。
もう一つ、これは僕自身の感想ですが、従来のリベラルとか左派と言われている方たちが、なぜか戦争の話になると一種の思考停止になるんですね。これが非常にもどかしいというか、そういうことを感じます。例えば、原発神話と言うのがありまして「原発に事故はないんだ。絶対安全なんだ」ということを推進派の人たちは繰り返していて、「原発反対」をリベラルと左派の人たちが言っていますが、それは「万一事故があったら大変だろう」ということなんです。現実に福島で事故があったわけです。やはり万に一つということがあるわけです。先日、テレビで浅田彰さんが「中国が何かやるとか、日本に戦争を仕掛けられるとか、そんなことあるはずないじゃないですか。どうしてそんなことが考えられるんですか」と発言していました。これを聞いていて「これは思考停止だ。万が一というのはあるんだ。原発の事故があったように戦争の可能性は絶対に否定できない」サラリーマン時代に「人生には登り坂、下り坂、まさかという3つの坂があるんだ」と言われまして、若い時は言葉遊び的にしか聞いていなかったんですけれども、歳を取ってくると、その言葉が自分の経験も含めて身に染みてきます。「まさかということはあるんだ」ということです。もちろん、その戦争の可能性に対して、ただ「軍備を増強しろ」だとか、「アメリカからトマホークを買おう」とか、そういうことは全く別の話なので、やはり戦争が起こらないように、日本が戦争をしないようにどうしたらいいのか、ということを考えていかなければと思います。
さきほども話しましたが、各国とも国内の弾圧があるんですけれども、今の話とからみますが、香港の民主化運動が中国共産党によって圧殺されたわけですけれども、その時彼らが何と言ったかというと、「昨日のチベット、今日の香港、明日の台湾」という有名な言葉があります。「その次には沖縄でないとどうして言い切れるのだろうか」と私は思います。やはり現実に米軍基地が集中している沖縄に、何か事あれば戦争が起こり得るだろということは、十分想像されることだと思います。そういう基地集中の現実を見ておく必要があると思います。
最後に、私たち実行委員というのは2020年2月11日に「高校闘争から半世紀」という集会をやりました。300人ほどの方にお集りいただきました。高校闘争というのは各学園のいろんな教育改革の闘争がありましたけれど、その背景にはベトナム反戦運動がありました。ベトナム反戦デモに行った高校生と、各校で高校闘争をやった人間とは、だいたいダブっております。そういう形で党派、無党派を超えて、そういう繋がりがあったと思います。これは私たちの上の諸先輩たちも同じことだと思います。そういったベトナム反戦運動の経験ということも、今日は是非語っていただきたいと思います。
たまたま、先日私の母校の都立上野高校の同窓会がありまして、1人の女性の先生からメッセージをいただきました。長いメッセージでしたが、冒頭に「私は長い教師生活を送って、あなたたちの学年を担当したことを大変誇りに思います」とありました。これはもちろん勉強の話ではありません。我々は学校郡第1期生と言って、各高校の偏差値を下げ、学力を下げ、高校をボロボロにした世代なので、当然そっちの話ではない。やはり高校闘争のことを教師の方は言っていると思います。そのメッセージの最後に「どうか皆さんのお子さん、あるいはお孫さんが戦地で亡くなるということのないようにお祈りしています」と結ばれていました。そういう風に、年代を越えて危機意識があるんだなと感じた次第です。
この間、制服の自衛隊員が靖国神社を集団参拝しました。ものすごい問題だ、とんでもないことだというのはもちろんありますが、違う面で見れば、自衛隊員にとって戦地で死ぬことが実際にリアリティを持っていて、その時は靖国に入れて欲しいと、そういう意味もあると思います。昔は自衛隊に入ったら、給料を貰ってただで免許が取れるとか、そういうことで自衛隊に入った人もいると思いますが、今は自衛隊員も戦死するということを覚悟する時代になったと、ニュースを見て思いました。そういう時代になったということです。
今日は是非、実際に戦争になったら、戦地に行く、あるいは被害を受けるのは私たちより若い人たちだと思いますので、そういう人たちの発言も期待して、挨拶を終わります。
●イスラエル批判は「反ユダヤ主義」ではないー歴史を検証しパレスチナに連帯を
高橋順一(早稲田大学名誉教授)
ご紹介いただきました高橋順一です。よろしくお願いします。
私は元々、大学でドイツのことを研究していた人間でした。ドイツと言うと、もちろんナチズムの問題にどうしてもぶつからざるを得ない。ナチズムの問題にぶつかるということは、<アウシュヴィツ>の問題にぶつかるということになります。この問題がどうしても我々ドイツ研究者としては避けて通れない問題となっています。
何故そんな話をするかというと、昨年10月から始まったガザにおけるイスラエルの住民全体に対する掃討戦というか殲滅戦を目の当たりにしながら、どうしてもぶつからざるを得ない問題があるからです。それは、アメリカやドイツ、さらにはイギリスやフランスといった欧米諸国に共通してみられる一つの公式見解の問題です。それは、イスラエルが何をしようと、イスラエルに対する批判は即「反ユダヤ主義」になるという見解です。この見解によれば、イスラエル批判はすべてナチス・ドイツと同じ「反ユダヤ主義」イデオロギーの現われであることになります。これがアメリカでもドイツでもイギリスでもフランスでも、政府、学会、企業などの公式の見解になっています。
ガザでは率直に言ってジェノサイド、その前提としての民族浄化という言葉でしか呼びようのない、端的に言えばとナチス・ドイツがやったことと何ら変わらない非常に残虐な民衆の殺戮が行われているにもかかわらず、イスラエルに対する批判はナチス・ドイツと同じような悪辣な「反ユダヤ主義」イデオロギーの現れになるんだという公式見解がまだまかり通っている。この状況に、我々は歯ぎしりするような思いを抱かざるを得ません。これまでもドイツでは、イスラエルに少しでも批判的なことを言った政治家や企業家や学者が社会的に抹殺されてきたという現実があります。アメリカでもハーバード大学の学長が学生たちによるイスラエル批判、パレスチナ支持の意見表明を封殺しなかったという理由で退陣に追い込まれ、パリではラディカルなフェミニズムの思想家として知られるユダヤ系のジュディス・バトラーがイスラエル批判の講演をしようとして政府に発言を禁止されました。実際にフランスではパレスチナに連帯しイスラエルを批判する集会は禁止の対象になっています。そういう状況が存在するわけです。


これはいったいどういうことなのか。この時我々がどうしてもぶつからざるを得ない論理があります。それは、<アウシュヴィッツ>で起こった出来事の絶対性ないしは唯一性がある限り、つまり<アウシュヴィッツ>という比較を絶した一度限りの出来事がある限り、その犠牲者たちの礎の上に建国されたイスラエルを批判することはオートマティックに<アウシュヴィッツ>を生んだ「反ユダヤ主義」になるという論理です。逆に言えばイスラエル批判が「反ユダヤ主義」イデオロギーだという根拠になっているのは、<アウシュヴィッツ>の一回性であるということです。ちなみにこの見解を公式に広めたのは、1986年に行われたドイツの歴史家論争におけるユルゲン・ハーバーマスという哲学者の発言でした。
ハーバーマスは<アウシュヴィッツ>の一回性を認識することこそが、<アウシュヴィッツ>の加害者としてのドイツがデモクラシーの国へと変身するための担保となるのだと歴史家論争の中で言いました。これがドイツのほぼ公式見解にもなっている、といっていいと思います。
では<アウシュヴィッツ>の唯一性とは一体何だろうか。今言った歴史家論争の中でエルンスト・ノルテという保守派の歴史家が、「アウシュヴィッツの虐殺はひどいことであったが、こうした虐殺はカンボジアでもスターリン時代のロシアでもあったことだ。したがってアウシュヴィッツの出来事は比較可能なことである」と言ったのに対して、ハーバーマスは上記のように反論したわけです。
こういう議論は、一見すると道理の通った議論のように見えます。実際ドイツにおいて、この<アウシュヴィッツ>の一回性を倫理的な根拠とすることは、ナチスの過去との訣別のために非常に重要な意味を持ったことは否定できないと思います。しかし、今のガザの状況を前にしてこの論理はどうでしょうか。<アウシュヴィッツ>の唯一性がイスラエルを批判できない根拠にされてしまうということは、はたしてアウシュヴィッツの犠牲者たちに対する本当の意味での哀悼に、あるいは犠牲者たちを記憶し、二度と<アウシュヴィッツ>を繰り返させないための反省の糧とすることにつながるのでしょうか。私には到底そうは思えません。
時間がないので簡潔に申し上げますが、<アウシュヴィッツ>の唯一性を唯一性たらしめているのは、ナチス・ドイツが<アウシュヴィッツ>における虐殺を行うために、国家の総力を挙げた事業として極めて組織的に、極めて効率的に施策を進めたという事実です。つまり人類史上類を見ない、国家の組織性を背景に行われたジェノサイド、虐殺であったということです。その際にナチス・ドイツがやった最大の「罪」は「選別」であったと思います。しかもそれは殺す側と殺される側のあいだの圧倒的な非対称性の下に行われました。そこではナチス・ドイツによって極めて恣意的に、言い換えれば何の理由もなく、と同時に極めて組織的な国家の事業として「お前は殺してもいい人間だ」「お前は抹消してもいい人間だ」という選別が有無を言わさず行われ、それに基づいて虐殺が行われたのです。ユダヤ人をこの世に存在してはいけない存在として選別し殺害する ―― これがナチス・ドイツのやったことです。
ここでイスラエルの建国の事情を見ていきたいと思います。するとそこでイスラエルも建国に当たって実は選別をやっていることが明らかになります。その選別の根拠になったのがシオニズムというイデオロギーです。シオニズムというのは、ユダヤ人に約束された土地であるシオンの地、実際にはパレスチナを意味するのですが、そこにユダヤ国家を作る権利があるんだという考え方に立っています。これは19世紀末から20世紀初めにオーストリアのウィーンで活動していたジャーナリストテオドール・ヘルツルが『ユダヤ人国家』という本の中で初めて提唱した考え方です。これが何故、そうした選別の論理になるのか。シオニズムはユダヤ人が初めて獲得したナショナリズム・イデオロギーでありました。そして彼らのナショナリズムというのは、非常に特殊なイデオロギーであった。皆さん、ユダヤ人の本来の定義をご存じですか。ユダヤ人の定義は本来たった一つしかありません。ユダヤ教を信じる者たちという定義です。ですからユダヤ人は人種でも民族でもありません。ユダヤ教を信じる人たちの集団、共同体というのがユダヤ人の唯一の定義なのです。シオニズムは、そうしたユダヤ人の定義を根底から変えてしまった。つまりユダヤ人を一つの民族集団、国民集団へと変えていくナショナリズム・イデオロギーがシオニズムだったのです。ではこのことによって何が起こったのか。くわしくはぜひハンナ・アーレントの『パーリアとしてのユダヤ人』(未來社)を読んでいただきたいのですが、このシオニズムというナショナリズム・イデオロギーに基いてイスラエルという国家が建国されるわけです。ではシオンの地であるパレスチナに先に住んでいるパレスチナ人、より広くいえばアラブ系の人たちということになりますが、この人たちはどうなるのか。じつはここで「選別」の論理が働くことになります。率直にいいましょう。イスラエル建国に当たって先住者たちは排除して構わない、排斥し殲滅しても構わない対象となります。これが選別です。彼らはシオンの地にいてはならない存在、いるべきではない存在なのです。そこには旧約聖書に基づく宗教の論理が働きます。イスラエルは世俗国家ではありません。ユダヤ教に基づく特異な宗教国家です。このことがアラブ・イスラム排斥の根拠となります。この論理は、ちょうどナチス・ドイツがユダヤ人を殺して構わない対象として選別したのとまったく同じです。イスラエルを建国したシオニスト・ユダヤ人たちは、パレスチナに住むアラブ人たちを排除するんだ、場合によっては殺しても構わないんだ、彼らは「選別」の対象なんだ、という論理に基づいて、1949年のイスラエルの建国を行ったのです。


もう一つ付け加えておきたいことがあります。よく、<アウシュヴィッツ>の犠牲の唯一性、絶対性というものがイスラエル国家建国の正当性の根拠になったといわれます。だからこそ、さきほど言ったように欧米諸国の公式見解もイスラエルを批判することは「反ユダヤ主義」になるのです。ところが、シオニストたちがイスラエルを建国することを正式に決定したのは1940年の世界シオニスト会議です。アウシュヴィッツ絶滅収容所は1942年1月のベルリン・ヴァンゼー会議で初めて集団殺戮(ジェノサイド)によるユダヤ人問題の最終解決が決定された後建設されました。ですから<アウシュヴィッツ>の二年も前に、イスラエルの建国がシオニストたちによって決議されていたことになります。つまりイスラエルの建国と、<アウシュヴィッツ>の犠牲とのあいだには何の因果関係もないんです。イスラエルの建国の正当性の根拠に、<アウシュヴィッツ>の犠牲を持ち出すことなど出来ないのです。さらにこれはアーレントの論考に基づく見方になりますが、シオニストたちはパレスチナに移住してきたユダヤ人だけをユダヤ人(ヘブライ人)として認め、欧米に残っているユダヤ人はユダヤ人ではないという考え方をとっていました。このことが何を意味するか分かりますか?要するにシオニストたちからすれば欧米に残ったユダヤ人たち、言うまでもなくナチスの占領下で犠牲になったユダヤ人たちですが、彼らのことなどどうでもよかったんです、シオニストにとっては。シオニストにとって重要だったのは、パレスチナに移住をしてきたシオニスト・ユダヤ人だけなんです。だから欧米に残ったユダヤ人はナチスの犠牲になろうとかまわない。ナチスがユダヤ人を殺してくれたらかえって幸いである。我々に同情が集まるじゃないか。このような考え方の下にイスラエルが建国されたということを、我々はちゃんと踏まえておかなければいけない。ここにも恐るべき選別の論理が働いていることは明らかです。
実はこうしたことは、今までも様々な形で言われてきたことですが、残念ながら欧米の公式世論をひっくり返すところまでいっていません。でも、今回ガザの問題が起きて、ようやくそれを見直す動きが出て来ました。特にアメリカの若い世代の人たちが、五割以上がパレスチナを支持するという状況になっています。公式の世論では認められていないドイツでもフランスでもイギリスでも同じような傾向が見えます。
我々は、ここに一つの希望を見たいと思います。今イスラエルを批判することは「反ユダヤ主義」イデオロギー現れだという論理、私はこれは偽論理にすぎないと断言したいと思いますが、この論理を打破することによって、欧米諸国の世論を変えていくことが、本当の意味で<アウシュヴィッツ>の犠牲者を哀悼し、ナチス・ドイツを批判し、ナチス・ドイツが行ったような<アウシュヴィッツ>の悲劇を二度と繰り返さないことにつながると考えます。歴史において犠牲を強いられた弱者、敗者の側に常に立ち続け、国家や権力の論理と鋭く対峙し続けること、これが<アウシュヴィッツ>の教訓であり<アウシュヴィッツ>以後の倫理の核心だと思います。だとするなら今必要なのは、むしろイスラエルを批判し、パレスチナと連帯することであり、これこそが<アウシュヴィッツ>の記憶と反省に真の意味でつながる道であることは明白であると思います。どうもありがとうございました。
●世界化するパレスチナ
鵜飼哲(一橋大学名誉教授)
こんにちは。松本からやってきました。鵜飼と申します。安田さんと高橋さんから、今日の会の基本的な方向性についてのお話をいただいて、私も大変同感しているところです。レジュメを用意してきましたので、それに沿ってお話させていただきます。
理論的問題とか歴史を深く掘り下げる時間はないと思います。この間あまり触れられていない問題を、後半に少し取り上げていますので、後ほどご意見、ご議議論いただければと思います。
レジュメのタイトルは「世界化するパレスチナ」にしてありますが、何故パレスチナが、今こういう状況の中で「世界化」しているのかということを軸に考えていきたいと思います。
<欧米の大学で起きていること>
皆さんもここ数日、アメリカのコロンビア大学やハーバード大学、イエールその他で起きている事態、あるいはフランスのパリ政治学院で起きている事態をご存じかと思います。
これは私のある記憶を刺激します。2006年にコロンビア大学で仕事があって出かけました。その時にティーチインがありました。ティーチインと言うとヴェトナム反戦運動を思い出しますが、私が知っていたティーチインの方式は、その場に集まった人が誰でも発言できるという直接民主主義でしたが、それはまったく違う方式のティーチインでした。何がテーマのティーチインだったかと言うと、2003年に亡くなったパレスチナ人の比較文学者エドワード・サイードの後任として、中東現代史が専門のジョゼフ・マサドという人が内定していたのですが、彼が「反イスラエルである」ということで昇任を拒否されるという事態が起き、これに対して学生、教員が大学当局に対して異議を申し立てることでした。私が申し上げたいのは、現在の事態の前に、少なく見積もっても20年、アメリカの大学では闘争の歴史が蓄積されていたということです。
当時イラク戦争に反対する、アメリカやイギリスを批判する、あるいはイスラエルを批判する発言を大学の講義中に行うと、学生の中に通報者がいて、それがたちまちテレビで取り上げられて教員がパッシングを受けるということが横行しました。それを「キャンパス・ウオッチ」と言います。
その「キャンパス・ウオッチ」に対する「キャンパス・レジスタンス」として、こういうティーチインが、学生から提案があって組織されたようです。私はちょうどその場に居合わせたわけですが、忘れられないのは学生のビラにあった一つの言葉です。こういう状況で、今、アメリカの学生はこういう言葉を使うのだということで、非常に大きな感銘と衝撃を受けました。それは「今やアラブ人殺しはアメリカの国技(national sport)になった」という言葉です。この言葉が表現しているのは、アメリカはいまやイスラエルと同じ性格の国になったという認識です。「アラブ人であれば殺してもいい」。ガザで今イスラエルが行っていることは、アメリカが当時イラクでやっていたこと同じであり、それはすでに何十年も前から、イスラエルが行ってきたことでした。
このティーチインのもう一つの特色は、学生は基本的に発言しなかったことです。学生ではなく教員が、学生たちの前で次々に、迫害を受けている同僚を支持する決意表明をしていきました。その中でマッカーシズムを想起する教員の方が非常に多かったのがとても印象的でした。
繰り返しますが、ここ数日、我々が目にしているコロンビア大学、ニューヨーク大学などアメリカの大学での学生、大学人の行動は、最低20年の歴史がその背景にある。イスラエル批判の学生・教員たちと、イスラエル支持の学生・教員たちの間で、この年月の間、日々論争があったということです。そしてパレスチナを支持する側が優勢になっていった大きな流れ、それがこの現実の背後にあることを想像すべきでしょう。
フランスでは違います。ここは大事なポイントです。フランスとドイツは米英主導のイラク戦争に反対しました。イラク戦争に反対したドイツとフランスが、なぜ今、米英と同じような立場に立ってしまっているのか。フランスとドイツそれぞれの国で、それ以降何が起きたか、きちんと検証しなければいけないと思います。
フランスでは2007年、ニコラ・サルコジが大統領になった時から、国の在り方が非常に大きく変わりました。その前のシラク政権までは、ある意味でドゴール主義の遺産があり、アメリカに対して相対的に自立的な態度を曲がりなりにも維持し、NATOの統合司令部からも離脱していました。そしてシラク自身、イスラエルに対して、少なくとも1967年の占領地に関しては批判的な発言をしていました。それがサルコジ大統領になってから一気にアメリカと接近し、NATO統合司令部に復帰し、2011年にはリビアに介入してカダフィ殺害まで行ってしまう。こういう流れが一気に出てくるわけです。
私はフランスが専門で、1980年代に留学していました。1987年にはいわゆる(ナチズムとの関係を巡る)ハイデッガー論争があり、その年の暮れには第一次インティファーダが始まります。この時期、フランスの知識人間、学生間、あるいは社会運動の中で、どれだけ複雑な動揺が生じたかを経験しています。現在のフランス社会の動きも、当時得た認識をベースに追っています。
アメリカではキャンパス占拠闘争、大学当局による警察導入、イスラエル支持の共和党下院議員の介入、学生・教員の排除・逮捕、そして弾圧に抗して運動が拡大しています。今日、こちらに来る途中でスマホで見た情報では、インディアナ大学では大学の屋上にスナイパーを配置したそうです。そのスナイパーを大学当局側の教員が案内している映像が出て来ました。ヴェトナム反戦運動の時代、1970年にオハイオ州のケント州立大学で、4人の学生が州兵に射殺された事件を思いだされる方もいらっしゃるかもしれません。このスナイパーの銃口の先にいる学生たちは、おそらく無差別には狙われないでしょう。ここでも「アラブ人殺しはナショナル・スポーツ」という論理が貫徹するのではないか。そういう危惧を抱かざるをえません。「ハマースの信奉者だ」と言いふらせば殺害が無罪になる。そんな酷い展開になりかねません。
アメリカの学生たちは、具体的には大学と政府に何を求めているのでしょうか。ここを確認しておく必要があります。一つは、もちろん即時停戦ということです。それと同時にイスラエルへのアメリカの軍事援助の停止、そしてロシアに対して発動されたような経済制裁をイスラエルに対しても発動することです。そしてどんどん増えている逮捕者の即時釈放 、さらに私立大学の場合たくさんの献金があるわけですが、ジェノサイド加担企業の大学献金停止。こういうことを要求して座り込み闘争が行われています。いずれも正当な要求だと思います。
一方、今回の事態ではイスラエルに対して批判的な立場をはっきりと表明するユダヤ人の活動が目覚ましい展開を示しています。アメリカでは大々的に、フランスでは徐々にですが、その輪は広がっています。
その主張の内容を知るために、一例として、昨年10月19日にジュディス・バトラーほか43名のアメリカの知識人がバイデン大統領宛に送った公開書簡の一部を見ていきたいと思います。
「わたしたちはユダヤ系アメリカ人の作家、アーティスト、研究者です。ユダヤ人であるということの意味は、わたしたちそれぞれにとって異なります。しかし、少なくとも一人のユダヤ人の親族がいます。このことは、わたしたちがイスラエルに移住し、イスラエルの市民権を得る権利があることを意味します」
これはイスラエルが「ユダヤ人の帰還権」として、国の根幹に据えている制度です。潜在的には世界中のユダヤ人がイスラエル市民なのです。それに対してパレスチナ人の帰還権をイスラエルは認めない。現在のユダヤ人のほとんどは、古代パレスチナに住んでいたヘブライ人とは血統上の関係がありません。このことは、イスラエル人の歴史家の研究によってすでに明らかにされています。1922年、のちにイスラエルの初代首相になるダヴィド・ベン=グリオン自身、「生物学的には今パレスチナにいるアラブ人が、古代ヘブライ人の子孫だ」と述べていました。「ユダヤ人」とはそのほとんどが、ユダヤ教に改宗した人々の子孫です。その方向に、東欧についても、北アフリカについても、歴史はどんどん書き換えられています。つまり、「ユダヤ人の帰還権」は神話的権利以外の何ものでもありません。それに対してパレスチナ人の帰還権は、のちほど触れますが、75年前の不当な追放を補償することを目的として国連が採択した政治的権利です。
公開書簡の後半ではこう言われています。
「ユダヤ人として、アメリカ人として、わたしたちは、イスラエルに対するアメリカの明白な支持によってではなく、わたしたちの圧倒的多数が当然のことと考える人権の普遍性を、わたしたちの政府が強調し続けることによってこそ、わたしたちのコミュニティの中で、そして世界のなかで、自分が安全であると感じられるようになるでしょう」
ここでは普遍的人権の尊重が「わたしたちの安全」と、このアメリカ・ユダヤ人たちにとって、どのようにつながっているかが述べられています。かなりいろいろ議論があって、最終的にこの文言に落ち着いたのではないかと想像されますが、大切な論点が、簡潔にして深く表現されていると思います。私たちのこれからの平和の思想を考えるうえで、この公開書簡は大変重要な文書になるでしょう。
パレスチナ問題がなぜ「世界化」するのか。世界中のユダヤ人が当事者だということが、その理由の一つです。しかし、それだけではありません。私は今、ヤコブ・ラブキンというカナダ在住のユダヤ教のラビが緊急出版した本(『イスラエルとパレスチナーユダヤ教は植民地支配を拒絶する』)の翻訳をしています。この本にこういう一節があります。
「西洋諸国の指導層とは反対に、大半の市民はイスラエルを国際平和にとっての危険と考えている。イスラエルに対する支持は収入が高いほど多くなる傾向があり社会階級の問題に転化する。指導者と被指導者の間、かの有名な< 1%>と残りの世界の間の断絶の拡大が、ここでもまた強調される」
一言で言えば、パレスチナへの連帯感には、参加者の階級意識が反映しているということです。パレスチナ問題が「世界化」している、パレスチナ連帯の運動があらゆる大陸で高揚している背景には階級の問題がある。特にアメリカのユダヤ人の親イスラエル派と反イスラエル派の分岐は、かなりの程度階級の問題から説明できる。この間イスラエルの新聞などでもこの点に触れた記事がいくつか出ています。
<語られない論点>
私は10月7日の事態が、昨年9月にインドのデリーで開かれたG20会議で、アメリカが中心となって提起した「新しい中東」というプロジェクトに対する、パレスチナ人の側からの応答として起きたのではないかという仮説を立てています。確証はありませんが、同時代の出来事を解読するには、仮説のレベルの分析も必要だと思います。
この「新しい中東」は、アメリカ主導の中国の「一帯一路」に対する対抗構想です。その出発点はインドです。インドから中東を通ってヨーロッパまで、新たな経済回廊を作る。そこにイスラエルに昔からある「新運河計画」が組み込まれている。エジプトがスエズ運河を国有化して以降、この地域に別の運河を作ろうという計画はずっとあった。いわゆる「ベン=グリオン運河」計画です。デリー開催ということで中国は参加しなかったこの場でこの話が出て来た。そのわずか10日後の国連総会の演説で、イスラエルのネタニヤフ首相は、「The New Middle East」のパネルを手に、「イスラエルとアラブ諸国の歴史的な和平締結に対してパレスチナ人に拒否権を与えてはならない」と発言しました。このパネルにパレスチナはまったく存在しません。そして地図上新運河は、ガザの北部で地中海に出るようになっていました。
10月7日はハマース主導の、PFLPなど10組織の合同作戦だったと言われています。ガザのパレスチナ人武装勢力の軍事作戦は、事実上この計画を当面頓挫させる形になりました。この計画にはサウジアラビアも、ヨルダンも入っていく流れになっていたのです。
ここが大事なポイントですが、この「新しい中東」計画はイスラエル主導の案ではなく、アメリカの構想だということです。だからアメリカは、現在もなお、是が非でもこの構想を維持する形で調停を成功させようと必死なのです。11月の大統領選までに、なんとしてもこの構想の枠内でガザ戦争を集結させたいと考えているでしょう。
ハマースの発信については主要メディアではほとんど報道されませんが、1月21日に2回目のまとまったメッセージを出しています。そのなかで、こういうことを言っています。
「アル=アクサー洪水作戦の一月足らず前に、イスラエル首相ベンヤミン・ネタニヤフは、イスラエルがヨルダン川から地中海まで、西岸とガザを含んで広がっている『新しい中東』なる地図を示した。そのとき国連総会の会場では、パレスチナ人の権利に関する傲慢と無知に満ちたネタニヤフの演説に対し世界中が沈黙していた」
これが作戦発動の最終的な動因になったかどうかは分かりませんが、このネタニヤフ演説をハマースが非常に重視して自分たちの行動を決定していったことは、ほぼ間違いないのではないかと思います。
二番目に、実は下部構造の問題が、ほとんどこの間議論されていません。これほど下部構造の話がないのはおかしいと思われている方も多いかと思います。
実は前世紀末から、地中海東岸につぎつぎに海底ガス田が発見されています。今やイスラエルは化石燃料の輸出国になっています。しかもエジプトとヨルダンに相当の天然ガスを供給している。このような重要な変化を背景に、近隣アラブ諸国とイスラエルを和解させる、この「新しい中東」構想も出てきたわけです。しかし、海底ガス田は実はガザ沖にもあるのです。このガス田がパレスチナ国家によって採掘、活用されるようになれば、パレスチナ国家の経済に自立の目処が立つ。これをイスラエルはどうしても潰したい。
ここでウクライナ戦争との接点が出てきます。この戦争でヨーロッパにはロシアからの天然ガスが来なくなりました。そこでガザ沖の天然ガスをヨーロッパに供給する可能性が検討されることになる。ネタニヤフの前のイスラエル首相ヤイール・ラピドの政権とEUの間で交渉が進み、実は2023年10月に採掘の開始が予定されていました。しかしネタニヤフ政権はパレスチナ自治政府との交渉を嫌い、特に極右閣僚が拒否したために、この計画は棚上げになった。そこに「新しい中東」構想が出てきたのでネタニヤフはこれに飛びつき、万事パレスチナ抜きで事を進めようとして国連演説を行った。どうもこういう流れがあったようです。
ハマースという組織については、私も長年パレスチナ問題に関心を持っていながら、率直にいってこれまで不勉強でした。これはPLO全盛期にパレスチナについての基本的な勉強をしてきた結果かと思います。PLO憲章は歴史的パレスチナの全体に世俗的なパレスチナ国家を樹立することをパレスチナ解放運動の目的に掲げています。この単一の国家のなかで、ムスリム、ユダヤ教徒、キリスト教徒が平等の権利を享受する、そういう国家構想を持っていました。
それに対してハマースはシャリーア(イスラム法)に基づいたパレスチナ国家を提唱する。したがってハマースはPLOに属さない組織だったわけですが、パレスチナ人の組織として、PLO主導の闘争の誤りについて、いろいろな批判的総括をしながらガザを統治してきていました。この点については、昨年12月にフランスに行ったときに発見した『ハマース外交史』という本が大変参考になりました。
10月7日に何が起きたのか、いろいろなことが言われていますが、ハマースは1月の声明で、「パレスチナは国際刑事裁判所(ICC)の加盟国であり、10月7日事態についてICCの公平かつ透明な調査を求める」とはっきり立場表明をしています。これは本当に報道されないことです。第三者が入ってちゃんと調べてくれ、イスラエル側もハマース側も、戦争犯罪があったなら処罰してくれとハマースは言っている。
ダウード・アブドッラーの『ハマース外交史』によると、かつてのPLOはある意味民族解放組織であると同時に革命組織でもあって、ヨルダン、レバノン等、難民キャンプのあるアラブ諸国の内政に干渉して失敗、ヨルダンからもレバノンからも追放されてしまいます。それに対してハマースは非同盟路線を採用する。つまり内政不干渉を原則として掲げる。私がこの本を読んで自分の無知を恥じたのは、ハマースがイラクのクウェート併合を批判していたことです。大半のパレスチナ人は、クウェートからのイラクの撤退と、被占領地からのイスラエルの撤退をリンケージしたサダム・フセインの提案を歓迎しイラクを支持しました。しかし、ハマースは別の現実を見ていた。それはクウェートの移民パレスチナ人の経済的支援によってインティファーダが支えられていたことです。PLOがどれほど自殺的な判断をしてしまったか、当時われわれは分かっていなかった。ハマースはパレスチナ人の主流の判断に対して距離を取っていた。
そしてハマースはオスロ体制を批判し続け、被占領地パレスチナ対イスラエルの超接近戦を戦略化していきます。ヤフヤー・シンワールなど、ガザのハマースの指導者は、20年もイスラエルの獄中にいたような人ばかりなんですね。その期間にヘブライ語を学び、イスラエルおよびイスラエル人を間近でずっと観察してきた。そういう人たちの集団だということは重要で、ハマースの行動のあれこれ、あるいは思想のあれこれに、最終的にどんな判断を我々が下そうと、その歴史的現実はできるだけ正確に受け止める必要があるでしょう。そうしなければ、対等な人間として向き合っていないことになってしまいます。かつてPLOについて、我々はどれだけ細かい情報まで求めて勉強しようとしたでしょうか。それと同じことをハマースに対してしてきたか。出来ているか。これは正直に言って出来ていないと思います。このことは自戒を込めて言っておきたいと思います。
一方、シオニズムについても視野を広げる必要があるのではないでしょうか。シオニズムは大変複雑な20世紀のユダヤ人の運動で、複数のシオニズムがあるということは思い出しておきたい。とりわけ哲学者として有名なマルティン・ブーバーは、精神的シオニズムの一方の旗頭として、長年政治的シオニズムの偏狭なナショナリズムを批判し続けました。『ユダヤ人の起源』の著者であるイスラエル人の歴史家シュロモー・サンドは最近、20世紀最大のユダヤ人哲学者はエマニュエル・レヴィナスではなくマルティン・ブーバーだと明言しました。イスラエル建国当時のブーバーによる政治的シオニズム批判を少し見てみましょう。
「われわれの歴史の経過のなかで、現在のようなこの『再生』の時代においてほど、精神と生命が疎遠になってしまったことはない。」
ユダヤ人の生命を守る、ユダヤ人の安全のために永遠にユダヤ人が多数派の主権国家を作るという政治的シオニズムのプロジェクトのために、いまやユダヤ教の精神はまったく忘れられつつあるという認識です。
「それとも、自分よりも高度な規範をもたず、自分よりも高度ないかなる掟にも服従しない集団的利己心を『精神』と特徴づけようとするのだろうか。このような『シオニズム』はシオンの名を穢している。それは現代の極端なナショナリズムのひとつでしかなく、それは民族=国民(Nation)の利害―そう憶測されているもの!―を超える権利を一切承認することがない」
今のイスラエルの国際法の精神および制度に対する公然たる敵対を、すでに1948年の段階ではっきり批判している。ブーバーは1920年代から、この批判を政治的シオニズムに対して向けています。
<国際法をどう考えるか>
今、この状況のなかで、国際法をどう考えるかということは決定的に重要だと思います。日本の左翼、新左翼の歴史の中で、国際法の問題はどの程度真剣に考えられてきたか。例えばウクライナの戦争に関する議論の混乱などを見ていると、十分できていなかったのではないかと思わざるをえません。
南アフリカによるイスラエルのジェノサイド犯罪の告発、国際司法裁判所への提訴の歴史的意義は決定的に大きいと思います。ドイツは「イスラエルがジェノサイドなどするはずがない」と即座に声明を出しましたが、その途端に南アの隣国でかつてドイツの植民地だったナミビアから、「ドイツはヨーロッパ・ユダヤ人の前に、南西アフリカ(ナミビアの旧名)でジェノサイドをやったことを忘れたのか」と批判されました。
1950年代、60年代の植民地解放闘争は、世界人権宣言に依拠して正当性を主張したということも、あらためて思い出すべきでしょう。旧植民地諸国は、国際法を植民地解放のためにどのように使うか、工夫を重ねてきました。経験に根差した国際法の知識は、欧米諸国よりもはるかに豊富です。南アフリカでアパルトヘイト体制を克服する過程では、武装闘争で勝利することは有り得ない状況で戦略を練る必要がありました。一方で限定的な武装闘争を組織しながら、最終的には法律闘争によっていかにアパルトヘイトを解体するか。27年も獄中にありながら、ネルソン・マンデラはずっとそのことを考えていた。そして権力獲得後、どのように白人との関係を再構築するかというところまで考えていました。そのマンデラが「パレスチナが解放されない限り、我々の自由は完全ではない」という有名な言葉を残した。その遺訓が今回の南アフリカの提訴に繋がっている。南アフリカはイスラエルと西欧諸国に「法の鏡」を突きつけて、ジェノサイド概念の二重基準を超えた普遍的適用への道を開いたと言えるでしょう。反対に、イスラエルとその同盟者である欧米諸国は、いまや自分たちが突然裁かれる側に立たされていることが理解できないようです。しかし、法の前では誰もが裁かれる可能性がある。そうでなければ法は法ではありません。
それにしても、イスラエルは何故、国連に対してこれほど敵対的なのでしょうか。「イスラエルは戦争犯罪を犯している」と国連の事務総長が言った途端に、国連代表が「お前が辞めろ」と言う国がどこにありますか。一体、いつからこうなったのか?実は最初からなのです。そこがさきほどのブーバーの議論と繋がるところです。自分たちの上位に権威を認めない。それは左派、右派を問わず、一貫して政治的シオニズムの共通の信条でした。
イスラエル建国の根拠は国連決議181号(国連総会決議)です。当時の人口の3分の1に過ぎなかったユダヤ人に56パーセントを与える内容で、パレスチナ人はこれを拒否しました。しかし、シオニスト側は、分割決議で認められた範囲をはるかに逸脱する形で、民族浄化、大量虐殺、都市・村落破壊によって、西エルサレムを含む広大な土地を占領して建国宣言を行います。このあたりのことは、1990年代末に、50年の機密期間を経て大量の資料が公開されたことを受けて、イスラエルに「新しい歴史家」たちの仕事が出てきて詳細に明らかになりました。イラン・パペの『パレスチナの民族浄化』がその金字塔です。
私がこの間大変重視しているのは、1948年9月に国連調停官フォルケ・ベルナドッテが極右シオニストによって暗殺された事件です。この人はスウェーデンの王族で伯爵、スウェーデン赤十字の副総裁として第二次大戦中はユダヤ人難民の救済に非常に献身的に関与しました。そのためイスラエルはこの人が国連の調停官になることを認めたわけです。しかし彼は現地に来ると、今度はパレスチナ難民の救済に全力を傾ける。ベルナドッテからすれば当たり前のことをしているだけなのですが、シオニスト側にとっては大変困ることでした。そして当時一番過激だったグループが彼を殺してしまう。しかし、このグループのリーダーのなかには、イツハク・シャミールのように、後に首相になった人もいます。
パレスチナ難民の帰還権を認めた国連決議194号、この決議をなくしたいというのがイスラエルの長年の願望です。ベルナドッテをシオニストが殺してしまったために、弱腰だった国連がこれだけは可決するということで、亡き調停官のいわば遺産として可決したものです。この決議がパレスチナ解放運動の国際法上の根拠にあたります。この決議は奇しくも世界人権宣言採択の翌日に成立しました。この重要な国連決議を、当時も今も、イスラエルは受け入れない立場を取り続けています。
ここでハンナ・アーレントの当時の論文の一節を紹介したいと思います。
「ベルナドッテの主要な関心は平和だった。信念のある平和主義者である彼は、国連がみずからにたいしていかなる代償を払ってでも近東における戦争を防ぐようもとめていると感じた。もしアラブ人とユダヤ人が耳をかたむける唯一の論拠があきらかに武力だったとすれば、戦争を防ぐためには国際社会は武力を行使しなければならなかっただろう」
今のわれわれが立ち会っている現実に、そのまま届いてしまうような観察です。基本的な構図はこのときから変わっていないということでもあります。
イスラエルは国際司法裁判所の裁定が下るちょうどそのタイミングを合わせて、UNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)を中傷するキャンペーンを行いました。この国連機関の職員のなかにハマースのメンバーがいて、その中に10月7日の作戦に加わった者がいるという非難です。日本を含め、西側の多くの国が、UNRWAへの拠出金を停止しました。しかし、イスラエルはこの非難の証拠をいまも提出していません。
UNRWAはどういう組織か、設立時に遡って見ておきましょう。
「UNRWAは難民の帰還には関与せず、キャンプにたどり着いた100万人のパレスチナ人に雇用と支援金を与えるためだけにつくられたのだった。こうした状況で、パレスチナ人のナショナリズムが再興するのに時間はかからなかった。彼らは帰還権の追求を活動の中心に据えつつ、UNRWAのかわりに教育や、さらには社会福祉や医療を提供する機関になろうとした」(イラン・パペ『パレスチナの民族浄化』より)
こうしてUNRWAからの自律を目指してPLOが形成されてくるわけです。
今、大きく国際法の制度が揺らぎ、国連の存在意義が問われています。ここで新たな実践的改革が行われなければ国際法秩序は根底から崩壊してしまうでしょう。それがウクライナ戦争、そしてガザの事態がわれわれに突きつけている歴史的な現実であり、われわれはこれに応えていかなければいけないと思います。日本国憲法9条は国連憲章に依拠しています。国際法の危機と9条の将来は、したがって相関的な関係にあります。9条が生きるためには国連の改革が必要です。「一国平和主義」などという言葉は本来形容矛盾です。国際法と憲法の関連がこれまで閑却されてきたために出てきた言葉でしょう。こうしたことが、今後左派の運動のなかでも議論される必要があると思います。
最後にパレスチナと沖縄について。今日4月28日は、72年前にサンフランシスコ条約が発効し、日本が独立し、沖縄がアメリカの施政権下に置かれた日です。私は2月末に沖縄大学でパレスチナ問題について話をする機会がありました。その時に来てくださった方々といろいろな意見交換をすることができました。そのなかから3点について報告して(第2部の)討論の素材にさせていただきたいと思います。
①日米政府による南西諸島の軍事化は事実上の土地の収奪であるということ。有事には住民が立ち退くことが前提にされ、避難計画がどんどん立てられています。そして自衛隊の家族などが増えてきて、選挙結果に影響を及ぼしかねない、入植植民地的な状況になっている。「土地から住民を消去する占領者の視線」ということが沖縄ではよく言われます。これは、少なくともその質としては、イスラエル人がパレスチナ人を見る眼と同じ植民地主義的な視線ではないでしょうか。今ガザ200万の住民中で3万5千人が亡くなったと言われています。沖縄戦での住民の死者の比率はもっと高かったのでした。それが沖縄からガザを見る場合、日本本土の見方とは違ってくる理由の一つでしょう。
②先ほど触れた「新しい中東」と安倍元首相が提唱していた「開かれたインド・太平洋」は、実はひとつながりの米戦略の二つのパートです。この戦略の下で、米軍の再編あるいはNATOの東アジア版の構想などが出てきているわけです。沖縄ではオランダ軍も、米軍、自衛隊と一緒に軍事訓練をしています。もう事実上日米安保ではなくなっています。一体何が起きつつあるのか。
「新しい中東」と「開かれたインド・太平洋」を繋いでいるのはモディ政権のインドです。モディ政権のイデオロギーであるヒンズー至上主義は、遡ればガンジーを暗殺した人物、ナトラム・ヴィナヤック・ゴドセに辿り着きます。戦後世界秩序の形成過程のほぼ同時期に、宗教対立を超えた民族融和を目指したためにガンジーは殺され、ユダヤ人とアラブ人の間の平和を求めたためにベルナドッテは殺されました。問題は現在のアメリカが、どういう人たちを不可欠なパートナーとして世界戦略を立てているのかということです。インドとイスラエルの現政権は、いずれも筋金入りの「平和の敵」なのです。沖縄の辺野古新基地、南西諸島の軍事化は、「開かれたインド・太平洋」戦略の一環です。沖縄大学では、イスラエルのジェノサイドを支持しパレスチナ人の犠牲を無視する米国は、沖縄人の犠牲も前提にしているとしか思えないという意見がありました。
③今沖縄では、「今日のガザは明日の沖縄」という言葉が広まっています。このことをどう考えたらいいでしょうか。パレスチナ問題では他の政治問題にもまして、類比、アナロジーの扱いが慎重を要します。イスラエルはパレスチナ人を一貫してナチスと同一視してきました。ジェノサイド国家であることが明白になった今、今度はイスラエルがナチスと同質とみなされるケースが増えてきています。
一方、「イスラエルのパレスチナ政策はアパルトヘイトである」という認識は、多くの人権団体や南アフリカの政治家たちが現地を訪れて確認してきたことです。ある面ではアパルトヘイトよりひどいさえ言っています。私はイスラエルとアパルトヘイト時代の南アフリカの比較は歴史的類比と考えて、政治的類比と区別しています。政治的類比については、政治活動に関わった経験のある方はすぐに思い出せることがたくさんあると思いますが、得てして不毛な議論のなかで思想と運動を麻痺させてしまう危険があります。
「今日のガザは明日の沖縄」という言葉は政治的類比なのか、それとも歴史的類比なのか。単なるスローガンではなく、この言葉から出発して運動のなかで認識の深化が進むのであれば、政治的類比としての生産性が証明されることになるでしょう。
長くなりましたが、以上で私からの報告と、若干の問題提起にかえさせていただきます。
どうもありがとうございました。
(続く)
【『パレスチナ解放闘争史』の紹介】
重信房子さんの新刊本です!好評につき三刷決定!
『パレスチナ解放闘争史』(作品社)2024年3月19日刊行
「模索舎」のリンクはこちらです。
なぜジェノサイドを止められないのか?
因縁の歴史を丁寧にさかのぼり占領と抵抗の歴史を読み解く。
獄中で綴られた、圧政と抵抗のパレスチナ現代史。
ガザの決起と、全世界注視の中で続くジェノサイド。
【内容目次】
第一部 アラブの目覚め――パレスチナ解放闘争へ(1916年~1994年)
第二部 オスロ合意――ジェノサイドに抗して(1994年~2024年)
【『はたちの時代』の紹介】
重信房子さんの新刊本です。絶賛発売中!
前半は66年から68年までの明大学費闘争を中心とした時期のこと(この部分は私のブログに「1960年代と私」というタイトルで掲載したものです)。
後半は69年から72年までの赤軍派の時期のことが書かれています。
定価 2,860円(税込
本のアマゾンリンクはこちらになります。
「模索舎」のリンクはこちらです。
「あとはき」より
『ここに書かれた記録は、ごく日常的な私自身の身の回りで起こったことを率直に書き記したものです。その分、他の人が書けば全く違った関心角度から違った物語がこの時代のエピソードとして描かれることでしょう。私は獄に在って、何度か癌の手術を繰り返していました。生きて出られないことがあっても、支えてくれる旧友や、見ず知らずの方々にお礼を込めて、私の生き方、どんなふうに生きてきたのかを記録しておきたいと思ったのが、この記録の始まりです。私がどのように育ち、学生運動に関わり、パレスチナ解放闘争に参加しどう生きて来たのか、マスメデイアでステレオタイプに作り上げられた私ではなく、生身の私の思いや実情を説明しておきたくて当時を振り返りつつ記して来ました。獄中と言うのは、集中して文章を書くのに良いところで、ペンをとって自分と向き合うと過去を素直に見つめることが出来ます。楽しかった活動や誇りたいと思う良かった事も、間違いや恥かしい事や苦しかったことも、等しく価値ある人生であり私の財産だと教えられた気がします。(中略)どんなふうに戦い、どんな思いをもって力を尽くし、そして破れたのか、当時の何万という「世の中を良くしたい」と願った変革者の一人として、当時の何万と居た友人たちへの報告として読んでもらえたら嬉しいです。また当時を若い人にも知ってほしいし、この書がきっかけになって身近に実は居る祖父や祖母たちから「石のひとつやふたつ投げたんだよ」と語ってもらい、当時を聴きながら社会を知り変えるきっかけになれば、そんな嬉しいことはありません。
いまの日本は明らかに新しい戦争の道を進んでいます。いつの間にか日本は、核と戦争の最前線を担わされています。そんな日本を変えていきたいと思っています。決して戦争をしない、させない日本の未来をなお訴え続けねばと思っています。なぜなら日本政府が不戦と非戦の国是を貫くならば日本の憲法には戦争を押しとどめる力があるからです。はたちの時代の初心を忘れず日本を良い国にしたい。老若男女がこぞって反戦を訴え支える日本政府を実現したいと思います。』
【お知らせ その1】
「続・全共闘白書」サイトで読む「知られざる学園闘争」
●1968-69全国学園闘争アーカイブス
このページでは、当時の全国学園闘争に関するブログ記事を掲載しています。
大学だけでなく高校闘争の記事もありますのでご覧ください。
現在17大学9高校の記事を掲載しています。
●学園闘争 記録されるべき記憶/知られざる記録
このペ-ジでは、「続・全共闘白書」のアンケートに協力いただいた方などから寄せられた投稿や資料を掲載しています。
「知られざる闘争」の記録です。
現在16校の投稿と資料を掲載しています。
【お知らせ その2】
ブログは概ね2~3週間で更新しています。
次回は7月19日(金)に更新予定です。