野次馬雑記

1960年代後半から70年代前半の新聞や雑誌の記事などを基に、「あの時代」を振り返ります。また、「明大土曜会」の活動も紹介します。

2024年12月

今回のブログは、12月7日に開催した明大土曜会の中で報告のあった「明大土曜会2024秋季沖縄ツアー」である。10月31日から11月3日まで、3つのグループに分かれて沖縄を訪問。この報告は主にNさんのグループの記録である。
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Nさん
明大土曜会として、去年の3月に続く沖縄ツアーを開催しました。この報告は主に私(Nさん)のグループの行動記録です。Y・Rさんのグループは8人、若者グループは6人、総勢で20人くらいになりました。と言っても、それぞれ独自の行動をしていて、一緒になる機会はあまりありませんでしたが報告します。

10 月 31 日(木)
早朝、羽田空港を那覇空港に向けて出発。台風が来ているとのことだったが、台湾方面に抜けており、那覇市の天気は悪くなかった(かなりの悪天候を覚悟していたが、ツアー全期間良い天候に恵まれた)。到着後まずレンタカーを借り、最初の訪問地、「斎場御嶽(せーふぁうたき)に向かった。基地巡りばかりでなく、沖縄の文化にも触れようと企画した。
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御嶽とは、南西諸島に広く分布している「聖地」であり、ヤマトのような社や偶像などは全くなく、森や岩石などが信仰の対象として祈りの場となっている。斎場御嶽は、琉球王国の最高の聖地であり、「神の島」と言われる久高島を望む位置にある。かつては国家的な祭事が行われ、現在でも沖縄の人々の重要な信仰の場となっている。
一緒に行った Y さんは数十年前に来たことがあるそうだ。現在では「観光地化」されているが、かつては参道も整備されておらず、土産物店もなく、素朴な環境だったのだろう。中に入ると静かな環境が残っていて、非常によかった。

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次に南部戦跡に向かった。辺野古の埋め立てへの使用が懸念されている熊野鉱山は、昨年 3 月のツアーで訪ねた時には緑の木や草で覆われていたが、現状は一変していた。山や地面は削られ、完全に採石場の様相だった。1 台のユンボが作業をしていたが、掘り出された石材に仮に戦没者遺骨が混じっていても見分けがつかない。防衛局は「遺骨が混じっていたら作業を止めて調べる」と言っているようだが、作業員はそんなことに気を付ける訳がない。南部土砂を埋め立てに使うことはまだ決まっていないが、採取された石材はどこに運ばれるのだろうか?監視が必要だ。

次に、沖縄戦で米軍に追い詰められた多くの住民が海に身を投げた喜屋武岬を目指したが、道が分からず、隣の具志川城跡に着いた。息を飲むほどの絶壁の海岸から喜屋武岬も見える。台風の影響で荒々しい。こんな絶壁から身を投げたのだ。

その後、那覇市のなは市民協働プラザ向かった。別行動の学生グループが、前回にもお世話になった沖本裕司さんにお話を聞くというので私たちも同席させてもらった。沖本さんは71年に沖縄に移住して平和活動をやっている方だが、学生たちは全共闘運動、学生運動の経験者から聞き取りをやっているとのことだが、今回のその一環とのことだ。沖本さんは60 年代後半の自分の経験をお話していたが、次第に現在の運動の在り方、なぜ若い人は運動に関心がないのかなど熱を帯びた議論になった。1 時間という限られた時間だったが、学生たちの問題意識、意欲に触れた機会だった。
この日は辺野古のクッション・海の見える家に宿泊した。

11 月 1 日(金)
午前中は辺野古埋立て土砂を搬出している安和桟橋に行った。安和桟橋では本年 6 月、急発進したダンプに警備員が轢かれ死亡、抗議をしていた女性が重傷を負う悲惨な事故が起きた。同所では従来、桟橋入口の歩道をゆっくり歩くことでダンプの搬入・搬出を遅らせる合法行動が行われていた。警備員とは、1 台毎に市民とダンプが交互に行き交うというルールが確立していた。ところが本年 3 月から、請負ゼネコンが大林組に代わってから、ダンプの運行が急がれるようになったという。背景には、土砂搬出を促進したい防衛局の意向があると言われている。

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事故の原因は前方確認を怠り無理な発進をしたダンプにあるのだが、防衛局は「市民の妨害が原因だ」と決めつけ、原因の究明と再発防止の対策もないまま、8 月に作業を再開した。
私たちが着いた日は、事故当日も担当だった沖縄平和市民連絡会の皆さんが抗議行動を行っていた。しかし、桟橋への出入り口の歩道は、左右を 10 名近くの警備員がオレンジ色の網を張って歩道を塞いで歩行者を通さない。「通りたいんだよ。歩道を開けろ」と言っても「安全確認を行っています」の 1 点張り。公道を何の権限もない民間会社が規制するのは違法そのものだ。こうした違法な規制により、搬入・出ダンプは事故前より倍増し、早朝 7 時から夜 8 時まで 1 日 1200 台にも上るという。私たちはY・Rグループと一緒になって、 1 時間余り、市民連絡会の人々と共に牛歩行動でダンプの搬入・出を遅らせる行動に参加した。

午後は沖縄北部、東村・高江に向かった。高江は、2016 年米軍ヘリパッド建設が全国から機動隊の導入などにより強行された場所だ。ここではY・Rグループ、学生グループと合流し総勢 20 名近くになった。米軍北部訓練場正門の前では、監視行動を行っているヘリパッドいらない住民の会の U さんと儀保さんの説明を受けた。

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ヘリパッド完成以降、2020年11月から始まった本格運用により訓練が激化し、軍用車両が生活道路や小学校前を行き交うといった状況がある、最近はまた訓練場内で新たな施設を建設しており、作業ダンプが頻繁に行き交っているという。明らかに訓練場の機能が強化され、危険や騒音など負担が増大していると現状を実感した。儀保さんはかつて、住民の反対運動で訓練場建設を断念させたこともあり、粘り強く闘う必要性を強調していた。

夜は全員が集まり、名護市の沖縄料理店で交流会を開催した。そこには先ほど高江で案内してくれた U さんが店員として働いていた。彼は以前、「ゆんたく高江」というグループで活動しており、私も面識があったが、何年か前に沖縄に移住し、昼間は高江で監視行動をやり、夜は店で働いているのだという。交流会は一部の年配者が横柄な発言をして少し緊張した場面もあったが全体に大いに盛り上がった。

11 月 2 日(土)
11 時からキャンプシュワブ前でオール沖縄会議主催の県民大行動が開催、ツアーメンバー全員が参加した。

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集会には 10 月 15 日に実施された総選挙で当選した 4 名の議員が参加し、1区で当選した赤嶺政賢議員は「辺野古のゲート前と結びついた闘いを国会で頑張っていく」と決意表明を行った。また、参加者の多くからは、漫画雑誌『週刊モーニング』の「社外取締役 島耕作」(弘兼憲史作)で「辺野古埋立て工事に抗議する側も日当をもらっている」と、既にデマだと否定されつくされた言説を掲載したことへの怒りの発言があった。
(この問題では、以前 MXテレビ『ニュース女子』でのデマ放送に抗議し、BPO(放送倫理・番組向上機構)の「重大な倫理違反がある」という勧告を引き出した、沖縄への偏見をあおる放送を許さない市民有志が抗議行動を呼び掛け、謝罪と訂正を勝ち取った)

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相次ぐ米兵による女性への性暴力事件への抗議発言もあり、超党派での県民大会開催が訴えられた。私たちのツアーのメンバーである K 君は沖縄タイムスの取材を受け翌日の紙面に「本土から来た若者」として紹介されていた。
私たちのグループと若者グループは集会後すぐさま那覇空港に移動。石垣島に向かった。

11 月 3 日(日)
午前中は、八重山平和祈念館を訪れた。同館は、「『戦争マラリア』の実相を後世に正しく伝えるとともに、 人間の尊厳が保障される社会の構築と、八重山地域から世界に向けて恒久平和の実現を訴える『平和の発信拠点』の形成を目指する」ことを基本理念に掲げている。「戦争マラリア」とは、沖縄戦末期、石垣島など八重山諸島の住民が日本軍の命令によりマラリアの多発地帯に強制避難させられマラリアに感染、3,600 名余りが犠牲になった事件だ。米軍が上陸しなかった石垣島ではマラリアでの犠牲が戦争の悲惨さと理不尽さを伝えている。

午後は、島のメイン通りである市役所通りにある「島そば一番地」という店の 2 階を借りて、石垣島での住民投票実現を中心になって進めてきた金城龍太郎さんの話を伺った。同店は、沖縄社会大衆党の市議でもあった新垣重雄さんが経営している。2018 年 7 月、中山市長が陸自駐屯地配備受け入れを表明。これに対し、市民によって「石垣市住民投票を求める会」が設立。予定地に一番近かった金城さんはその代表になった。市の条例では有権者の4分の1の賛成があれば住民投票に実施を求めることが出来、市長はこの請求があった時は住民投票を実施しなければならないと規定。
金城さんたちは有権者の3分の1の賛成を集めたが、市長は「この条例には不備がある」と実施を拒み、議会は住民投票条項を削除した条例案を可決したのだった。
金城さんは、駐屯地の可否ではなく、「出来レース」のような進め方に疑問を持ち運動に参加。まず住民に意思表示をする機会を設けてほしい気持ちだったと、その機会すら奪った議会の対応に憤っていた。陸自駐屯地は開設されたが、金城さんは住民投票の実施を求める行政訴訟を行う一方で、分断された島の将来を見据えた今後の活動を語った。新垣さんは「若い人たちがこの石垣島をどうしたいのか、提案があれば自分たちの経験も伝えながら是非支援していきたい」と明言した。
当日は「第 60 回石垣島まつり」だった。窓の外からは市民パレードの音が聞こえていた。
そうした時、駐屯地の隊員約 70 名が迷彩服姿でパレードに参加してきたのだ。中には「一撃必墜」「闘魂」というのぼり旗を掲げた隊員もいた。島内各地からの参加者が工夫を凝らした衣装に身を包み様々なパフォーマンスを繰り広げる中で、軍事を前面に出した自衛隊員の隊列は異様だった。こうして市民の日常に当たり前のように自衛隊が浸透している事実を目の当たりにした。

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金城さんとの交流を終えて私たちは陸自駐屯地に向かった。於茂登岳中腹に位置する陸自石垣駐屯地は2023 年 3 月に開設。地対艦ミサイル及び対空ミサイル部隊が配置、約 570 名が駐屯している。同地域はかつて、日本軍の施設があった近くという。

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旧軍の系譜を受け継ごうという意思もあるのか。石垣市街からは遠く離れ、絶妙な場所に設置された印象だ。施設は完成したというが、駐屯地西側では配水施設と思われる工事が行われていた。しかし、山の中腹から下の街に排水が流れ出るということはないのだろうか?普天間飛行場や横田基地などから発ガン性の PFAS が流出していたことが大きな問題になっている。軍事基地に PFAS は付きものだ。石垣市民の水源になっている於茂登岳を陸自駐屯地が汚染することはないのか。住民からはこうした心配も発せられている。

駐屯地を後に一路空港へ。19 時 25 分、石垣空港から羽田空港に直行した。今回のツアーも総勢約 20 名となり、充実した内容となったと思う。課題も多く感じた。高江にしても石垣島にしても「本土」では済んだことのように受けとめられている。一方で、粘り強い沖縄の人々の生活に密着した抵抗の営みに触れることが出来た。継続した関心と支援・連帯の取り組みが求められている。

(終)

【『ただいまリハビリ中 ガザ虐殺を怒る日々』の紹介】
重信房子さんの新刊本です!
『ただいまリハビリ中 ガザ虐殺を怒る日々』(創出版)2024年12月20日刊行
本体:1870円(税込)

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「創出版」のリンクはこちらです。

昔、元日本赤軍最高幹部としてパレスチナに渡り、その後の投獄を含めて50年ぶりに市民社会に復帰。見るもの聞くもの初めてで、パッケージの開け方から初体験という著者がこの2年間、どんな生活を送って何を感じたか。50年ぶりに盆踊りに参加したといった話でつづられる読み物として楽しめる本です。しかもこの1年間のガザ虐殺については、著者ならではの記述になっています。元革命家の「今浦島」生活という独特の内容と、今話題になっているガザの問題という、2つのテーマをもったユニークな本です。

目次
はじめに
序章 50年ぶりの市民生活
第1章 出所後の生活
53年ぶりの反戦市民集会/関西での再会と初の歌会/小学校の校庭で/52年ぶりの巷の師走/戦うパレスチナの友人たち/リハビリの春
第2章 パレスチナ情勢
救援連絡センター総会に参加して/再び5月を迎えて/リッダ闘争51周年記念集会/お墓参り/短歌・月光塾合評会で/リビアの洪水
第3章 ガザの虐殺
殺すな!今こそパレスチナ・イスラエル問題の解決を!/これは戦争ではなく第二のナクバ・民族浄化/パレスチナ人民連帯国際デー/新年を迎えて/ネタニヤフ首相のラファ地上攻撃宣言に抗して/国際女性の日に/断食月(ラマダン)に/イスラエルのジェノサイド/パレスチナでの集団虐殺/パレスチナに平和を!
特別篇 獄中日記より
大阪医療刑務所での初めてのがん手術[2008年12月~10年2月]
大腸に新たな腫瘍が見つかった[2016年2月~4月]
約1年前から行われた出所への準備[2021年7月~22年5月]

【『新左翼・過激派全書』の紹介】
ー1968年以降から現在までー
好評につき重版決定!
有坂賢吾著 定価4,950円(税込み)
作品社 2024年10月31日刊行

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(作品社サイトより)
かつて盛んであった学生運動と過激派セクト。
【内容】
中核派、革マル派、ブント、解放派、連合赤軍……って何?
かつて、盛んであった、学生運動と過激な運動。本書は、詳細にもろもろ党派ごとに紹介する書籍である。あるセクトがいつ結成され、どうして分裂し、その後、どう改称し・消滅していったのか。「運動」など全く経験したことがない1991年(平成)生まれの視点から収集された次世代への歴史と記憶(アーカイブ)である。
貴重な資料を駆使し解説する決定版
ココでしか見られない口絵+写真+資料、数百点以上収録
《本書の特徴》
・あくまでも平成生まれの、どの組織ともしがらみがない著者の立場からの記述。
・「総合的、俯瞰的」新左翼党派の基本的な情報を完全収録。
・また著者のこだわりとして、写真や図版を多く用い、機関紙誌についても題字や書影など視覚的な史料を豊富に掲載することにも重きを置いた。
・さらに主要な声明や規約などもなるべく収録し、資料集としての機能も持たせようと試みた。
・もちろん貴重なヘルメット、図版なども大々的に収録!

「模索舎」のリンクはこちらです。

【お知らせ その1】
「続・全共闘白書」サイトで読む「知られざる学園闘争」
●1968-69全国学園闘争アーカイブス
このページでは、当時の全国学園闘争に関するブログ記事を掲載しています。
大学だけでなく高校闘争の記事もありますのでご覧ください。
現在17大学9高校の記事を掲載しています。


●学園闘争 記録されるべき記憶/知られざる記録
このペ-ジでは、「続・全共闘白書」のアンケートに協力いただいた方などから寄せられた投稿や資料を掲載しています。
「知られざる闘争」の記録です。
現在16校の投稿と資料を掲載しています。

http://zenkyoutou.com/gakuen.html

【お知らせ その2】
ブログは概ね2~3週間で更新しています。
次回は来年1月10日(金)に更新予定です。


 2024年10月、イスラエル軍によるパレスチナへの侵攻が始まってから1年が経過した。この1年間、無数の無辜の市民が命を奪われ、人道危機がさらに深刻化している。国連安保理による停戦決議や世界各地の抗議デモが行われたにもかかわらず、事態は改善どころか悪化の一途をたどっている。特に、民間人死者数は現在では4万5千人に迫るとの報道もある。その多くが女性や子どもであり、ガザ地区の住民約半数が飢餓状態に陥り、一部では餓死に至る子どもたちが報告されている。こうした状況は、いかなる国際的な人道基準にも反し、到底許容できるものではない。

 欧米諸国は当初イスラエル支持を表明し、後に一部で態度修正がなされたとはいえ、戦闘行為は止むことなく激化している。また、パレスチナへの連帯を示す集会や言論活動が、イスラエル批判と反ユダヤ主義とを不当に同一視される状況が拡大し、「イスラムに対する嫌悪や偏見」の増幅とも相まって、民主主義社会における自由な言論は著しく脅かされている。

声明と6000人超の賛同の意義
 こうした深刻な状況を踏まえ、私たち「大学関係者」有志は、2023年10月23日に発表した声明を改めて再掲し、オンラインで再度署名を呼びかけた。その結果、6000人を超える賛同が得られた。これは、こうした暴力の連鎖と人権侵害に抗い、正義と人道を求める声が決して少なくないことを示す重要な証左である。多くの人々が声を上げることで、加害を看過しない意志を共有し、問題の可視化や解決への圧力となりうる。数多くの賛同者が得られたことは、国際社会にさらなる行動を迫る基盤となるだろう。

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以下に引用を再掲する(引用部分は原文のまま)。

(以下引用)
昨今アメリカにおいて、大学関係者が当局の弾圧を受けながらも戦っている事態を受け、(注・2023年)10月23日に発表した声明を改め、再度署名を集める運びとなりました。
私たち大学関係者は、今回のイスラエル軍によるパレスチナに対する残虐な武力行使に抗議の意を表明します。
イスラエルの高官は、ハマスを念頭に「われわれは彼らを地球上から抹殺する」と発言して、地上侵攻を辞さない方針の発言を繰り返し、欧米諸国も追随してハマスを「テロ組織」だと断じています。一般市民に対する攻撃に対して、私たちは強い悲しみと憤りをおぼえます。
何の罪もない子供たちを含むパレスチナの人々は、イスラエル政府によってガザ地区に閉じ込められています。彼ら、彼女らは、避難するためのシェルターがなく、交通も遮断され、逃げ行く場所がありません。そのような中、ハマスを「抹殺」する名目でイスラエルの侵攻が実行され、今日に至るまで、3万人を超える民間人の尊い命が奪われました。また、物流すらもイスラエルによって遮断されたことにより、ガザに住む半数近くの人々が飢饉に見舞われ、中には餓死した子供たちがいることも報告されました。
ガザでの状況が日々悪化し、世界中で停戦を求めるデモや声明が高まる中、当初はイスラエルの姿勢に相次いで支持を表明していた欧米諸国の態度も少し変わり、ガザの状況に言及する国連安保理決議2728が採択されもしました。しかし、状況は改善しないばかりか、イスラエル軍の侵攻に対してパレスチナの人々に連帯を示す人々や集会を、あたかもナチ・ドイツと同じ「反ユダヤ主義」であるかのように扱い、全く違う両者が同一であるかのような誤解を引き起こす事態が悪化しています。アメリカでは学生や教職員が停戦、虐殺に加担するイスラエル企業との提携停止を訴えるデモを行った結果、多くの人が警察に拘束されるに至りました。政権や大学当局にとって都合の悪い言論や主張が、いとも簡単に弾圧されているのです。
そもそも、イスラエルによる「入植」は、国連安保理決議2334で「国際法違反」と認定されています。このような「定住型植民地主義」(セトラーコロニアリズム)に対して、各国は、どれほど誠実にその責任をイスラエル政府に問うてきたのでしょうか。
もちろん、他でもなく、私たちの意識も責任を問われるべきです。「どうせ遠いところの出来事だ」というような無関心、「世界史の授業で習った気がするけれど…」というような無知、「結局どっちもどっちなんだ」に象徴される無責任な言説――。これらは全て、無意識的に、一方の加害行為を支持することにつながりうる態度です。
1947年から今日まで、パレスチナの人々は、民族自決権の完遂を訴えてきました。この声は、自分達の土地に対する自らの権利を求めるもので、至極まっとうな主張です。しかし、イスラエル政府は抵抗するパレスチナ人に対して、「自国民保護」の名において、「入植」で住民を追い出すだけでなく、恣意的な逮捕、拘留、そして殺害を繰り返してきました。
私たちは改めて、なぜ今回のような悲劇が起きてしまったのか、冷静に考えなければなりません。 今日、パレスチナ・イスラエル双方において無辜の市民が命を奪われることになった根本的な責任は、イスラエル政府、さらにそれを看過してきた国々にあると言って差し支えないでしょう。
いま、私たちが求めていることは以下の通りです。
①イスラエルは即時停戦を
②世界のあらゆる大学は、停戦を訴える声を封じる圧力に反対を
③この事態に乗じたイスラムフォビアと闘おう
④反ユダヤ主義を含むあらゆる人種差別・排外主義を廃絶しよう
私たちは、イスラエル軍による女性・子どもたちを含むパレスチナの人々へのあらゆる武力行使に対して強く非難するとともに、イスラエル国内、欧米諸国を含む世界各地からあがる「イスラエルは、パレスチナの人々への無差別攻撃をやめろ」という学生・市民の訴えに連帯していきます。
(引用ここまで)

未来への責務
 この惨劇が繰り返されてはならないことは明らかである。未来への責務とは、暴力と人権侵害を放置する世界秩序を変革することであり、加害行為に加担する無意識的な無関心や差別を克服することである。そのためには、以下のような取り組みが一層求められる。

 第一に、大学や市民社会、メディア、国際機関、非政府組織(NGO)など、多様な主体が連携し、国際法と人権規範に基づく解決策を模索する必要がある。具体的には、国際司法裁判所をはじめとする国際的な司法的枠組みを活用し、戦争犯罪や人道に対する罪を追及し、責任の所在を明らかにすることが不可欠である。

 第二に、教育・研究・議論の場を通じて、偏見や差別に対する批判的思考を育む必要がある。「反ユダヤ主義」や「イスラムに対する嫌悪や偏見(イスラムフォビア)」は、絶対に許してはならない。学術研究や公共討論、読書会などの地道な活動で偏見をなくしていく必要がある。

 第三に、情報へのアクセスと言論の自由を守り、異なる立場からの発言が弾圧されない社会を目指すべきである。大学関係者や市民による停戦要求デモ、連帯行動、声明発表など、あらゆる平和的アクションが尊重され、弾圧されぬよう監視を強めるべきだ。

 目下の問題は遠い地の「他人事」ではない。一人ひとりの行動、発言、関心が、世界のあり方を変えうる。我々がこの責務を自覚し、勇気をもって行動するとき、パレスチナ戦争をはじめとする不正義と暴力の連鎖を断ち切る可能性が、初めて現実的なものとなるのである。(田中駿介=東京大学大学院総合文化研究科博士課程2年)

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