野次馬雑記

1960年代後半から70年代前半の新聞や雑誌の記事などを基に、「あの時代」を振り返ります。また、「明大土曜会」の活動も紹介します。

2025年01月

今回のブログは、前回に引き続き1970年4月6日発行の『週刊アンポ』の記事である。特集は「嗚呼 日本万博大博覧会」。55年前の1970年3月15日から9月13日まで大阪で開催された「日本万国博覧会(大阪万博EXPO‘70)」対する批判記事である。
この万博には6,400万人が入場したとされおり、今年(2025年)開催予定の大阪・関西万博とは大違い、大きな盛り上がりとなったが、70年安保を控えての「安保隠し」との批判もあり、反対運動も盛り上がった。
今回は、『週刊アンポ』から2つの記事を掲載する。
一つは「生活問題、そして思想問題としてのバンパクとハンパク」。いいだ・もも氏による記事である。いいだ・もも氏はベ平連のメンバーであり、共産主義労働者党(共労党)の議長だった方である。共労党の学生組織は緑ヘルのプロレタリア学生同盟(プロ学同)。
もう一つは「万博―お上の声と民の声」。京都アンポ社グループ「虫」による街頭インタビューの記事である。

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【生活問題、そして思想問題としてのバンパクとハンパク】
いいだ・もも
■万博料理に化かされるな
連休で万博が超満員というきょう(3月20日)の、ある大新聞の記事から
① 『ただ素直に万国博PR―ニユース映画から』―万国博オンパレード。
各社がその開幕日を取上げている。ハンで押したように現れるのは、天皇陛下の開会宣言、皇太子さまのスィッチ・オン、噴水、アメリカ館の石、ソ連館の人工衛星……。そしてナレーションは「人類の進歩と調和」「世界は一つ」。
各社がそろって“主催者”のPRをまことに素直に報道しているのには感心させられる。
② 『高校生からの投書』―万国博にこられた外国の方たち、ようこそ。どうか会場の外をよく見て下さい。みんな日本の恥部ばかりですが、時間の許す限りごらん下さい。日本館の原爆展示は抽象的でおわかりにくかったたかと思いますが、あれは具体的に表現してはいけないと圧力がかかったためであることも、お忘れにならないで下さい。-
③ 『食い物のうらみー大阪?東京』―大阪の食堂で「キツネ」と注文すれば、ケツネ(キツネ)うどんがくる。キツネそばを食べたかったら「タヌキ」といわなければならない。東京でいうタヌキは、うどん、そばとも、大阪にはない。
新幹線のわずか三時間で、タヌキがキツネに化ける。まして外国へ行ったら、食い物、何に化けることやら。
万国博で世界の料理をーと意気込んできて、化かされる。万国博の胃袋担当、協会営業二課に殺到した。食い物のうらみの数々。
五輪の名花チャスラフスカをしのんでチェコ料理、としゃれた。メニユーを安い方から順に見たが、いずれも「品切れ」。やむなく頼んだ800円の定食は、まるでお子さまランチだった。600円のコロッケを追加、やけになってビールを飲んだらコップー杯300円。合計にサービス料、税金が10%ずつ。
ベルギー料理。すいていていいあんばいだと思えば、「高級」の方だった。そうと知って覚悟は決めたが、100円札大の薄切りハム数枚にピクルスを添えて800円。直径10~15センチ、厚さ2センチのポークカツ、ポテトフライ添え1,500円。ワイン350円。3人づれの昼食で1万円札が消えた。
税込み1,350円のインドネシア料理。バイキングというふれこみにひかれてはいたが、食い放題はキャベツ、トマ卜、モヤシ、ごはんだけ。肉は一きれ、焼鳥は二本、スープは一杯でおかわりなし。デビ夫人もキャベツともやしばかり食べてたんだろうか。
というわけで“世界の料理”をあきらめ、日本食堂にもどると、これがまた外国並みであった。シンボルゾ?ン近くの300円のカマメシは、大ガマで炊いてから小さなカマによそったものだった。大ガマでもカマで炊けばカマメシか。
大阪の食い倒れとは、高い値段にびっくりして卒倒することではなかったはずだ。万国博の食い倒れに注意すべし。考えてみれば、東京には世界中の料理が、いつもある。
「おれはべらぼうなことをやる」というのが、岡本太郎さんの“万博の思想”なのだそうですが、とにかく食いものが高いことだけは大べらぼうらしい。食いもののうらみというやつは、御承知のように、おそろしい。末代までたたる。“開けゆく無限の未来”という、その末代まで。
万博食い倒れ→万博公害からは、この連休を粋興にも万博見物にわざわざ出かけてゆかないとしても、のがれるわけにはゆきません。とにかく、たとえば、このところ、キャベツが高い。べらぼうに高い。万博値上りを見こして、業者が買い占めているのだ、という。きょうの新聞のマンガには、キャベツのお化けが出てきています。
食いもののうらみは、早くももう、化けて出てきているれけです。
「咲いた、ひらいた、もえ立った、ぼぼんと、はずんだ、よろこんだ、ニッポン、万国博覧会」という、なにやらポポンSのコマーシャルじみた“万国博の歌”などには、もちろんのことキャベツやもやしの話、100円札大の薄切りハムの話などは、出てきません。「千里が丘へ、はるばると、あかるい笑顔が、やってきた、地球のうらから、おもてから」と、いかにも人類の進歩と調和“調にうららかです。地球に”うら“や”おもて“があるというのは、私にとっては初耳でしたが。
あかるい笑顔で、ぽぽん、ぽぽんと、3,000万人の日本人が、ニッボン万国博覧会にやってくるみこみだ、という。協会側の試算でも。交通費ぬきで最低一人あたり一万円かかるという万博見物に。カネの方はこれだけでもかるく3,000万×10,000円つまり3,000億円の上り、とはっきりそろばんが出ますが、3,000万人というヒトの方は、見当のつけようもない大ざっぱな話で(だからそこのところを、コンピューターによる国民総動員で見当をつけようというのが、万博の一つのねらいなのでしょう)、そこをはっきり見当をつけてゆくと、たとえばさきほどの新聞投書の高校生「後藤文男」君というような、固有の顔と名前をもった一人ひとりのヒ卜にゆきあたります。小田実さんの好きな言葉でいえば“等身大”のヒトに。

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■立派な公害万国博
そういう一人―千里が丘の「柏井義男」というヒトは、“ばんこく博”は“めいわく博”だ、といいました。「一昨年の秋には会場造成にともなう鉄砲水で、山田川、大正川が氾濫した。ようやく出水がおさまったと思うと、ダンプカーの騒音と危険に悩まされる」 万溥ではびこっているのは、松下館とか鉄鋼館とかのパビリオン参加企業と、野ねずみと、野犬だ、という説もあります。一人ひとりのヒトを捨象して、3,000万一把一からげという方式でゆきますと、<よりゆたかな生命の充実を>とか、<よりみのり多い自然の利用を>とか、<より好ましい生活の設計を>とかは、こういったことになります。まるでマンガに書いたようなぐあいになります。「世界は一つ」という“主催者”のPRをまことに素直に報道している、というニュース映画は、きっと、この一把一からげ方式で安直にやっつけ仕事をしているのにちがいありません。
「開けゆく無限の未来に思いをはせつつ、過去数千年の歴史をふりかえるとき、人類のつくり上げてきた文明の偉大さに、私たちは深い感動をおぼえるのである」という、べらぼうに格調の高い“基本理念”にのっとっているバンパクを前に置いて、キャベツやねずみの話は、あまりにみみっちすぎるようですが、“等身大”の話はそこのところからしか出発できない。食う・寝るところ、というジュゲム・ジュゲム的唯物論のところからしか、出発できない。人類のつくり上げてきた偉大な文明なるものは、一切合財、このようなジュゲム・ジュゲム的努力によってつくり上げられてきたのであり、であるからこそ私たちはそれに深い感動をおぼえるのです。だからどうしても、話を1度、バンパクには私たちの一人ひとりが一万円ずつ、行っても行かなくても取られている勘定になるのだ、というようなところにまで落してみなければなりません。
そうでない時、“人類”という美しいことばは、私たちの一人ひとりを捨象した、べらぼうな疎外の一大集積物になってしまいます。「みん、みん、みんなで、大きな輪」式の、「世界は世界は、すばらしい」式の、安手な、空虚きわまるヒューマニズム、コスモポリタニズムに包摂されてしまうことになります。“国家的事業”には、このようにして、国家的事業であるにもかかわらずではなくて、まさに国家的事業であるがゆえに、“大衆不在”が避けがたくなります。
さて、話をジュゲム・ジュゲム的水準に一度落しておいて、キャベツばかりでなく、たとえば大工の日当がはねあがったというような“万博公害”の例は、どうなるのか?東京でも、ある公務員は万国博の影響だと、大工の日当を500円上げられて、建て始めた家の算段が狂ってしまった、とこぼす。大阪の箕面、池田両市では、請負価格の見積りが開きすぎて、学校の建設工事が落札できないことがあった。烏取県の一部でも、労務者不足から公共事業ができなくなった、と苦情が出ている」(朝日新聞)りっぱな公害です。ところで、いわばそのことのウラとして、「大阪府建設労働組合(17,000人)が、6月1日から左官、大工とも日当を3,500円に平均28.1%引上げることをきめた」ということは、すくなくともその当事者の左官、大工にとっては、りっぱな“よりよい生活”の獲得であるにはちがいないでしょう。彼ら建設労働者をこきつかって、がっぷりもうけている業者はもちろんのことですが、当事者の左官、大工にも“万博景気”のおこぼれは及んでいるわけです。

■五ケタ春闘で万博は粉砕できない
話はすこし飛びますが、いま火蓋が切られた“五ケタ春闘”において、総評民同指導部が一番期待をかけているバッターは、私鉄総連です。私鉄総連のなかでも、関西私鉄です。関西私鉄のなかでも阪急労組です。阪急は、3千万人を千里丘バンパク会場にまで運びます。阪急がとまれば、バンパクもとまってしまいます。現に、前回のカナダ・モントリオール「人間とその環境」バンパクの際には、モントリオール地下鉄労働者は会期中にストライキをかませました。それは、人間とその環境についての生き生きした実物展示でありました。
万博=「人類の進歩と調和」とは、具体的に阪急労働者にとっては、過密ラッシュ、休日出勤、労働強化の“合理化”にほかなりません。ですから、阪急の反戦派労働者は「万博粉砕、万博合理化粉砕」のスローガンをかかげて、モントリオール地下鉄の仲間につづこうとしています。ことは具体的に「世界のひろばで、おどろうよ、世界の人と、おどろうよ」なのです。
「人類の進歩と調和」の推進者である資本家の方は、ちゃんとそれをも先取りして、すでに阪急労働者に前渡しの“大入袋”(3万円)を払っているそうです。そこです、総評民同のねらいは。ヤルゾ、ヤルゾ、トメルゾ、トメルゾ、万博期間中に……。そうなれば、飯沢匡じゃないが、「天下の恥さらし」にナルゾ・・・。この圧力をかけて阪急で1万5千円の御祝儀相場をひきだし、“五ケタ春闘”全体の規定力たらしめるーこれがダウンしかかっている民同指導部のいわば苦しまぎれの作戦です。要するに、例によって例のごとき、万博とひきかえの五ケタ、万博合理化とひきかえの五ケタ、万博景気にオレたちも乗せてくれ、という“闘争”なのです。
これでは、万博も粉砕できなければ、万博合理化も粉砕できないことは、いうまでもないでしょう。五ケタ春闘用の圧力型スト気勢とは実際にはー万博には反対できない、なぜならなにしろ万博は「人類の進歩と調和」なのだから、したがって万博に協力するから、そのかわりカネを、ということにすぎないのです。
これは、条件闘争の思想であり、経済主義の思想です。同じ理屈でゆけば、合理化でさえも、技術の進歩、文明の進歩、社会の進歩、人類の進歩なのだから反対できない、したがって「条件」を要求してたたかう、ということになるでしょう。戦後の「平和と民主主義」のなかの民同型労働運動は、これ以外の、これ以上の思想を持ってはいないのです。
万博を利用して五ケタをとる、というやり方は、けっきょくのところ、安保を利用して<より好ましい生活の設計を>かちとる、ということと同じことです。安保繁栄型の労働運動なのです。だからこそ、70年闘争のヤマ場は70年6月である、ということを理由にして、69年秋の佐藤訪米阻止關争から逃亡した民同指導部は、今また、ゼネスト・ダウンを行って、六月闘争からも逃亡しようとしているわけです。指導者はそれを「戦術ダウン」として釈明しておりますけれども問われるべきは、本質的な思想の「ダウン」なのです。
圧力闘争とは、戦後民主主義体制内のプレッシャー・グルーブ活動として、農政運動などにも似て、本質的に経済主義的条件闘争なのです。沖縄返還のために交渉にゆくこと自体には反対できない、だから注文をつけるために・・・沖縄返還自体には反対できない、だから「よりましな返還」のために・・・PHP (繁栄を通じての、平和と幸福)には反対できない、ただし安保繁栄ではなく護憲繁栄を・・・安保体制下の経済成長(要するに安保繁栄)には反対できない、より大きな分け前を・・・国民生産力世界第2位、国民所得第22位、この差額を・・・経済成長には反対できない、そのヒズミの是正を・・・これらの民同的思考パターン、はまったく、万博には反対できない、そのかわり1万5千円を、のパタ?ンなのです。要するに、昨秋に「沖縄返還粉砕」とズバリ言えなかったように、今春も「人類の進歩と調和=万博粉砕」とズバり出せないのです。
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(写真『ゼロ次元 加藤好弘と60年代』より転載)

■バンパク理念のハンパク的考察
もう一度、ニッポン万博の<基本理念>を読み直してみましょう。「近代における科学と技術の進歩」がもたらした“ヒズミ”の是正について、真正面からうたいあげているではありませんか。
「テーマの展開Jは日くー過去の万国博は、科学技術の発達による“進歩”を、もっぱら讚美する立場をとってきた。私たちもこの伝統を受け継ぎ、この万国博を通して、進歩への努力がいっそう強められることを希望する。しかし、第二次大戦後に生きる私たちは、技術文明の進歩が人間の生活を改良すると同時に、そこにさまざまのヒズミをもたらしていることに目をふさぐことはできないー。
民同的思想から「万博擁護論」までは、ほんの一歩なのです。沖縄問題とおなじく、万博問題は、戦後革新勢力の思想の枠内では解けることのない問題、つまり70年―70年代問題として突き出されております。万博に対決する思想の構築は、アクチュアルな今日の課題に翻訳していえば、沖縄全軍労の基地撤去・解雇撤回のたたかいに対して、「基地撤去と解雇撤回は矛盾している、おかしい」という立場をとり、離職手当や離職者対策の条件だけにたたかいをすりかえてゆくのか、どうか。という問題と全く等価なのです。アンチ万博狂気見本市協会の<万博破壊活動第一宣言>は、狂気見本的にではありますが、この問題点の所在をつぎのように語っていました。
「草月会館を中心としているインポ達が万博擁護論を見苦しくやっている屁理屈の一つに、テクノロジー時代をさえぎる原始人の抵抗だという悪ふざけがある。電気を悪魔と恐れた人間へのキャンプな皮肉で笑うトリックを唯一の理論としている単純明盲人。」
この種のインポな万博擁護論が、すぐれてプロレタリアートの思想問題であり、沖縄の帝国主義的統合を旋回軸とする戦後「平和と民主主義」の帝国主義的再編にかかわる70年代的思想問題である、と考える私は、反博思想の深化のために、さらにもう一歩突っこんでみたいと思います。というのは、まず第一に私も参加した昨夏の『反戦のための万国博覧会』」が、「人類の進歩と調和」のテーマに反対する私たち自身めテーマをうちだそうとしながらも、万博的テーマに逆規定されて、けっきょくのところ、戦後「平和と民主主義」からの条件的浮揚をしかうちだせなかったのではないか、ということです。
よりゆたかな生命の充実をーよりゆたかな生きがいの創造を
よりみのり多い自然の利用をーよりみのりある文明の利用を
より好ましい生活の設計をーより好ましい世界の建設を
より深い相互の理解をーより深い人間連帯を
この四連をなす対句の前者は万博テーマ、後者は反博テーマ。ごらんのように、真の対立を構成しておりません。むしろ、“人類”=ヒューマニズム的抽象性(無内容性)と“より”=改良主義において、似通ったところをもっています。
ハンパクの現実において、もっともホッ卜となった問題は、“ホット・ドッグ”論争でした。私が唯一、あの大阪城公園の会場で印象的だったのは、埃の舞い立つ地面に、ゴロッと横になっている“土民”のムレムレでした。しかし今日のバンハクは、「ミダリニ寝ナイ事」という会場規則において、そのような土民の出現さえ許さないに、きまっています。
博覧会はヒロク見るところではなく、ヒロク見られるところであり、見るところを見られるところに変えてしまうのが革命である、というおもしろい発想から、「万博会場では白手袋を片手であげて30分以上歩こうではないか!」とアッピールしたのは、<万博破壊活動派一宣言>でした。「片乎あげのハレンチ儀式革命はダレにだってできる手続きよ。ゲバ棒よりも安全だよ。ゲバ革命に対決するわれわれは知能的ハレンチ革命を万博に提出する。宇宙中継でこのハレンチ革命ハプニングは世界の家庭を訪れる。」
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■全人間的奪還を
しかし、第二に私が思うに、この芸術ゲリラのハレンチ革命は不発に終らせられるにちがいありません。国家指定の場所・形態以外には、タバコをのむことも、酒をのむことも、通行することも、場所をとることも、メガホンを使うことも、ビラをくばることも、回答を求めることも、一切禁止している『警備監察に関する特別規則』において。そして、日本共産党を先頭として国会の赤ジュゥタンの上でにぎわしい「言論の自由」こそ、安保・沖縄国会を「言論国会」たらしめ、万博における「言論・出版・表現の全き不自由」を隠蔽するハレンチ反革命にほかなりません。-
19世紀パリの博覧会について、ワルター・ベンジャミンは、「商品の宇宙を築きあげる」 「商品というフェティシュの霊場」という規定をおこないました。いうまでもなく、商品の宇宙が築きあげられるためには、それをうみだす人間が商品となっていなければなりません。バンパクとは、人間疎外の世界的・人類的集積としての商品=フェティシュの霊場にほかならないでしょう。協会発行の宣伝バンフレットによっても、バンパクの歴史は、①機械文明おう歌の時代(1851年→1910年)→②科学と芸術の時代(1920年→1939年)→③人問性復活の時代(1958年→現在)と経過してきております。バンパクとは、商品というフェティシュをただ単におう歌するにとどまらず、それによってヒズミを生じた人間性の“復活”の場なのです!言葉を換えていえば、生産原点におけるヒューマン・リレーションズ (ZD、目標管理等)の集積的展示なのであり、人問工学的にヒトを操作する民主主義的管理社会のヒナ型なのです。
「アジアにおける最初の万国博覧会」としての70年ニッボン万博は、そのような近代=帝国主義文明の霊場の総休が異議申立てにかけられる“危機”の70年代に向って、東洋思想の“和”によって商品物神崇拝を補完しようとしております。「人類の理想とする進歩は、こうした弊害や、不調和を伴わない“調和的進歩”でなければならない。人間件の尊重を通して調和をめざす進?の精神を、私たちは万国博の会場で実現したい。“調和”ということばは、均衡のとれた美しさを現わし、東洋思想の中心をなす“和”の理念である。」
このような“アジア”万博が、反帝闘争を通して具体的に“人類”“人間性の尊重”を形成する最先頭に立っているアジアのベトナム・朝鮮・中国の諸人民の宮為を、枠組そのものからして完全に疎外してしまっているのは、それなりに物神崇拝にかなったことなのにちがいありません。「いまこそ新しい時代が始まらねばならない」。いかにも、その「新しい時代」は、ほかならないベトナム・朝鮮・中国を基軸として始まりつつあるのであり、私たちもまた沖縄返還によってその新しい時代過程に疑いもなく直接に結びつけられ始めたのです。
“空飛ぶ円盤”をかたどったようなエア・ドーム構造のアメリカ館には、アポロ11号がもちかえった月のカケラが展示されているそうです。そのカケラは、ケネディの夢みた“黄金の60年代”の世にも哀れな形見にほかならないでしょう。“第三の大国日本”の著者ロベール・ギランは、『ル・モンド』において、「この万博が安保による激動を避けるための措置であったことは、周知の通りだが、佐藤政府の戦術は、大成功をおさめた」と述べておりますが、(そして、日米共同声明=沖縄返還→2日間国会→解散・歳末選挙→自民党300議席?勝→「言論」国会→万博→6月カラ国会→安保自動延長という「佐藤政府の戦術」はこの70年前半においてたしかに「大成功」を、おさめつつあるように見えますが)、それと並行して、しかも戦後革新勢力の体制内埋没と衰退をのりこえて、昨秋安保政治決戦→沖縄全軍労基地ストラィキ→全国基地反乱反帝→春闘→4・28沖縄デー大衆デモ→6月反安保闘争という、反帝闘争の全面性をまさにその具体的直接性においてひきうける運動回路もまた、確実に創出されつつあるのです。70年バンパクは、けっきょくのところ、佐藤の夢みる“黄金の70年代”の世にも哀れな槿花一朝の夢として、史上に醜骸をとどめるようになるにちがいありません。
『レクスプレス」のバンパク報道は、第三の大国日本のめざましい経済成長・技術革新を語る一方(これは現代資本制の帝国主義的再編強化に対する私たちのこれまで述べてきたような全的な構造把握によるならば、“一方”ではなくしてつまり“成長のヒズミ”ではなくして、まさに資本主義的成良そのものの不可避的帰結ということになるわけですが)、日本をおおう“非人問化”の現実を列挙し、「エクスポ開催のゼロ時間を示す原子時計の針は、“勝利”の時を告げるだけではなく、“選択”の時をも告げるものである」と指摘しております。しかり、その針は、ほかならない歴史の針として、70年代の選択の時を告げているのです。巨怪なバンパクは、私たち人間を物質的に意識的に収奪しつくすことによって、あのようにべらぼうに巨怪なゼロとなっているのであり、70年代の私どもの選択は、そこから全人間的内容を奪還することでなければなりません。
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【万博―お上の声と民の声】
京都アンポ社 グループ「虫」
街を歩くと万博、万博、テレビを見ても万博で、新聞みても万博だ。バンパクパッポ、アンポッポ。人工衛星打ち上げて、ついでに物価も打ち上げて、どっかの国の血を吸って、豊かなくらしのマイホーム、それがシンポとチョウワなら、お上の声と民の声、どうも「断絶」ありすぎる・・・。
そこで京都アンポ社・グルーブ「虫」では、マイク片手にさまざまな街の声をひろってみた。
〔注.このインタビューは、万博の開かれる以前に収録したものです。質問は、ほぼ次のとおりです。
① 万博に行きますか。
② 万博のテーマを知ってますか。
③ 入場料は高いと思いますか。
④ なぜ、70年に万博が、開かれると思いますか。
⑤ あなたにとって万博は何ですか。
これに対する解答を構成し直しました。

「……今後わが国は自信を持ちつつもおごらず、古来の美風なる謙譲と勤勉さを失うことなく、日本という国が存在することが人類を豊かにするゆえんであると世界からひとしく認められる、そういう国を築き上げて行きたいと念願するのである」
(佐藤首相施政演説)

栄作はんの、骨身にしみるようなりっぱな御言葉を抱えこみ、まずはキャンバスへ・・・。
●学生(男・21歳)
万博?オー見に行くでー。そやなあ女の子ひっかけに行くねん。外人の女の子をな。万博いうたかて余興の一部やなあ。
●校門でビラをくばっていた学生(男・21歳)
行かないつもり。前近代主義にはなりたくないが、おどらされる人間にはなりたくないなア。テーマって人類の進?と平和とかいうやつでしょ。でも入場料が800円というのは、めちゃくちゃ高いよ。
●学生(女・19歳)
おもしろそうだから行きますよ。でも万博のテーマとして「人類の進歩と調和」と言っているけど、そこで言っている進歩ってお金をかけて楽しく遊ぶことで、調和はブルジョヮの遊びを意味してると思います。
●学生(女・19歳)
行きたくないけど、友だちのつきあいで仕方なく行くという感じ。別に見たいと思うところもないでしょう。70年万博は政府の政策でしょう。国民をひとつの目的にヴァーと集めておいて、その間に何かやろうっていうわけでしょう。
●学生運動家(男・20歳)
万博?それは帝国主義者の祭典だよ。明らかに70年ということを意識しての国家権力のごまかしだなァ。ぼくは絶対行かないよ。
●ベトナム人留学生
人間の生活のいろいろなことが解決されていないのに、問題をずらして万博をやることに疑問がある。意見を出すと状況がもっとむずかしくなるんだけど・・・。ベトナム戦争にもいろんな国が干渉しているので、それも万博であるといえる。
●学生(女・20歳)
好奇心だけど行こうと思ってます。テーマ?・・・進歩と・・・忘れちゃった。でも「赤毛のアン」というんですか、それはぜひ見たいわ。
●代々木系学生運動家(男・23歳)
万博? それは一面では世界の産業の集約であり、一面では他の朝鮮とかべ卜ナムの参加が認められていない。そういうところで、正確に今の世界の産業・科学の水準を表わしていないし、また、国民の税金を多量につぎこんで、独占に奉仕する面もある。そのへんは誤っていると思うが、いまのところ見に行こうと思っている。
●掃除婦のおばさん(40歳)
テーマはもちろん、万国博のことなんか何にもしらない。ここの学校の掃除が終ったら、他のそうじに行くので、仕事が忙しくて万博なんて関係ないんです。

「日本がはじめて万国博に参加したのは、幕末の慶応三年(1867年)のバリ博でした。それ以来何十回かの欧米各地での博覽会には、ほとんど毎回参加してきました。そしていつかは「日本で」というのが明治時代からの日本の悲願でありました。1940年に切符の前売りまでした東京博は戦争のために流れてしまいました、やっと今回、アジアではじめて、万国博が開かれることになりました」
(萩原徹日本政府代表)

政府がこれほど待ち望んでいた万博が、開かれようとしています。そこで、京都一の繁華街、四条河原町をいきゆく人の声は?
●学生(22歳・男)
万博? 行きませんよ。あれに一兆円つぎこんでるらしいけど?せやけどさあ、実際ぼくらに還元されるか言うたら全然関係ないわけや、あんなこと。一兆円も銭使うんやったら、道路の一本もね、それから今一番遅れている環境整備とか公害の問題とか、そんなもんバサッとできるわけや。アジアで初めての万博うんぬんゆうことやったら、もっとアジア、アフリカの国にポィントをおくべきやと思うな。アジア・アフリカの国を、まあ5ケ国か10ケ国か知らんけど、一つの建物に押し込めるようなことするんやったら人類の進歩と調和というようなテーマもどだいおかしいと思うね。
●会社貝(男・31歳)
当然見ます。混雑?こりゃ当然ですね。混雑の度合いが高ければ高いほどそれだけ関心があるんですからね。
●おばさん(33歳)
万博は、世界のいろんなものを死ぬまでに見たいから、かけ足ででも全部そっくり見に行きます。入場料は考えようによっては高いし、安すぎる気もします。
●公務員(男・38歳)
万博? ありゃ大阪商人のもうけることですね。見に行こうと思いませんね。やるようなこと始めからわかってますから。800円、高いすね。半額ぐらいでやるべきです。
●おばさん(60歳位)
週刊明星や平凡を読んで知ってるんやけど、世界の人がみんなあつまるんやから、万博はよろしゅうおますな。
●女子高校生(18歳)
見に行きます。やっぱりおもしろいしね。わたしほんまのこと言うたら万博反対なんやけどね、なんか税金あんなとこに使ってもったいないいう感じがして。
それでも見に行くちゅうのは自分でも矛盾してると思いますけど。せやけどいろんな人があんだけ金かけてやらはったんでしょ、労働者やなんか。そんなつぶしに行ったりしたら悪いもんね。
●女子高校生(18歳)
万博は見に行くけれど、カナダ館にペンフレンドがいるから行く以外には、どこを見るか決めていないわ。人類の進歩と調和?わかんない。私にとって万博はデートの場所というだけだから・・・。
●おばあさん(70歳)
やっぱし、全国のことで、ためになるから、まあ一回いこうと思とんやけど、テーマなんか知らんわ。入場料はそんだけのもんがあるんなら、高こうはないな。会場は大阪のあたりなんやろ?
●おばさん(?)
岩手から来ました。100人ぐらいです。農協の関係です。今日は京都へ泊まります。まだ、どんなとこ見るかわかりません。テーマ?わからない。
●会社貝(男・33歳)
行くか行かないかわかりません。あんまり興味もってませんね。結局一部の人のバカ騒ぎみたいなもんですね。単に金だけの観点からだけじゃなしに、精神的にっていうか、人間的にね、もっと日本人がやらんならんことはあると思うんですけどね。

「急速に発展する現代の社会においては、調和はともすれば失われがちでありますが、人類社会の真の進歩は、調和なくしてはありえないと思います。20世紀は偉大な進歩の時代であります。そのめざましい成果が、進歩と調和のテーマのもとに、この日本万国博覧会において多彩に展開されています。それをまのあたりにするとき、人類の英知の無限の可能性に感動せずにはおられまん。」
日本万国博覧会名營総裁
皇太子殿下

「急速に発展する現代の社会」においては、農協で積み立てをして万博へ行くそうな。マィクは京都郊外の農村へ。
●西舞鶴の農民(55歳)
万博行こうと思ってます。それで農協で推めている積み立てに加入してるんですよ。テーマなどよく知らないが、テレビなどでよく言うので、そのうち知るだろう。
●京都府下のおばあちゃん(63歳)
万博はテレビなどで知ってます。うちの娘が大阪へ嫁に行ってますので、娘に会いに行くついで万博も見に行こうと思ってるんです。
●京都府下の農家のおばさん(40歳)
万博知ってますよ。テレビなんかで知ったんやけど、詳しいことはあんまり知りません。学校から子供が連れてってもらうけど、おとうちゃん、お母ちゃんが行くなら、また行くと、うちの子供は言うとるんです。
●西舞鶴の農家のおばあさん(70歳)
万博はテレビによく出るのでしってますよ。うちはおじいさんが鉄道に申し込み、2人の子供は学校からいき、お母ちゃんは婦人会からいくが、私は年をとっているから、バスに弱いので・・・。子供が大阪にいるのでいくかもしれない。テーマなど詳しいことは知らないし、どんなとこ見るといっても初めてだし、見るところなど決めていない。
●京都郡部の主婦(30歳)
万博に行くかどうかはまだ決めてないが、子供がいるから、子供中心に行こうと思っています。テーマ? そんなん知りませんけど。
●京都近郊の農家のおっさん(50歳)
見に行きたいと思うてますが、うちは純農家なんで年収はまあ経費を差し引いていいとこ50万ぐらいなんですよ。それで1回入るのに800円とすると全部見るのに、やっぱり相当かかるらしいし・・・。いまどうしようかと思案しています。農協の方でもだいぶ前から積みたてをしてますけどねェ。うちのような農家では積みたてもうまくいかず、年中積みたてをするのが困難です。まあ一夏、張り切ってもうけがあったら行くことにしてますのやけど。

「およそ都市計画というもので模型どおりにできた例があったらお目にかかりたいね。たいていは似て非なるものばかり。それがどうだ。万国博会場はそいつをやってのけた。
まあ、いろいろできたものに批判はあるだろうよ。だが“模型どおり”に。はばかりながら自分で100点をつけさせてもらいます。」
(2月3日毎日新聞)

「本当に万博を作ったのは誰だろう?」そう思いながら、私たちは、開会間近の3月1日、まだ工事中の会場に入りこんで、声をあつめてみました。
●会場内の労働者(42歳・男)
万博はわれわれ働いているものが作ったんとちゃいますか。わしら出かせぎやからな。こんな設備してもらうより、でかせぎなんかないように考えてもらいたいわ。ほんまの話が・・・。国に国の方針というものがあるかもわからへんけどね。
一番苦しいのは、いま農業なんやからね。家族なんかよびたいけど来られへんもん第一。テーマ? テーマなんか知らん。終ったらまた全国いたるところに出かせぎに行きます。
●会場内の労働者(34歳・男・富山出身)
私は住友の童話館を担当しました。上からの指令なんかきびしかったですね。テーマ? 知りませんけど。でも住友のシンボルは知ってます。
●会場内の労働者、この人は“殺すな”のバッチをつけていた(31歳・男)
東京でベ平連の集会なんかに参加していたんですけど、大阪では参加しにくくなっちゃって、2,3回行ったきりなんです。でも信念として、小田実さんなんか言ってることに賛成です。会場なんか、今は働いているから、ただで見れるけど、金を出してまで行くのつまらないと思う。
●会場で働いている人、高知からの出かせぎ(40歳ぐらい・男)
?日働いている。今夜は夜間ぶっとおしですよ。昼夜兼行でやってます。
●会場内の食堂にいた労働者(35歳・男)
入場料、800円は高い。500円ぐらいが適当ですね。それに一日で会場を全部回れないし、一週間か10日ぐらいかかりますね。それにめしも高いなあ。250円は高すぎる。こんなの120円ぐらいが適当やな。仕事中に感じたこと?そやな、一般の人間を工事中に入れたらあかん。車が停滞して仕事がはかどらへん。政府のおえら方や会社のおえら方などよく来てるが、そんな人たちは工事が終ってから堂々と来たらえェ。
●会場のホステス(18歳・女)
週刊アンポ?知りません。でも安保には反対です。私は大学で語学なんか勉強しまして、実際に使いたいし、世界中の方々と接して自分自身にプラスになるんじゃないかと思って、それでホステスになったんですけど。テーマ?ええ知ってます。でも具体的にどういうことかわかりませんわ。
●マスゲームの練習をしていた小学生(12歳・女)
万博はすばらしいと思う。前から授業をつぶして練習してきたマスゲームを、みんなの前でするのはうれしいし、浩宮さまがいらっしゃるのでうれしいから。
●会場内をぶらっとしていた女の子(18歳)
近いから見に行こうと思っています。でも800円は高いですね。テーマ?さあ知りません。
●自衛隊員(22歳・男)
今日は、万博のリハーサル(注・開会式の)の予行演習で来ています。中へ入りましたが本当に驚きましたね。これが人間が作ったとは思われなかった。人間の力の偉大さを感じました。進歩、進歩って言っても・・・。進歩は進歩でしょう?調和と言ってもあまり調和がとれてないと思う。
●ガードマン(23歳ぐらい・男)
万溥をつくったのは、人間の野心ですね。入場料? 800円は高いですね。500円ぐらいじゃないんですか。それに完全に見ようと思えば3週間ぐらいかかるし、お金は20万円ぐらいかかる。ほんとに一部の金とひまのある人だけが完全に見れるって感じですね。安保? 反対ですね。ベトナム戦争も早く終って欲しい。

「・・・そもそも万国博は、それぞれの時代において人類が到達し得た文化の粋を一堂に集めてこれを展示するとともに、それによって将来の人類進歩の方向を示そうとするものですが、今回の万国博では、このような人類の『進歩』に加えて、人類の『調和』を基本テーマとして掲げております」
日本万国博覧会協会 会長 石坂泰三

お上の声と民の声、この断絶の溝は、単なる政治的諸政策の改良によっては埋まりそうもないほど深いような気がします。
一つの世界ともう一つの世界が、超歴史的なスピードで接近し、一瞬にして交差する、その一点に私連は真の歴史を発見するのでしょう。
断絶とは、まだ交差しない世界と世界とのマサツによる真空地帯であり、実は何物をもってしても決して埋まることもない言葉どおりの「断絶」であることを私たちは知っていますし、またおそらく為政者も知っているのでしょう。
万博会場の水ももらさぬ警備陣へ私たちがィンタビューしている時にも私服刑事の眼がひかっていたが何よりもこのことを物語っているように思えます。
最後に私連は大阪西成区の通称、釜ケ崎の労働者にインタビューしました。
●釜ケ崎の労働者(30歳・男)
万博というものは、われわれのような底辺の労働者をより以上に苦しめるという方法をとりつつ、一方では万博を開けるほど日本が大国になったんだという意識をもたせようとしている。人類の進歩と調和といっておりますが、あきらかにこの釜ケ崎においては、貧困と差別と収奪を意味するものであって、進歩なんてものは考えられないし、調和なんてものはないんですわ。
6

(終)

【『ただいまリハビリ中 ガザ虐殺を怒る日々』の紹介】
重信房子さんの新刊本です!
『ただいまリハビリ中 ガザ虐殺を怒る日々』(創出版)2024年12月20日刊行
本体:1870円(税込)

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「創出版」のリンクはこちらです。

昔、元日本赤軍最高幹部としてパレスチナに渡り、その後の投獄を含めて50年ぶりに市民社会に復帰。見るもの聞くもの初めてで、パッケージの開け方から初体験という著者がこの2年間、どんな生活を送って何を感じたか。50年ぶりに盆踊りに参加したといった話でつづられる読み物として楽しめる本です。しかもこの1年間のガザ虐殺については、著者ならではの記述になっています。元革命家の「今浦島」生活という独特の内容と、今話題になっているガザの問題という、2つのテーマをもったユニークな本です。

目次
はじめに
序章 50年ぶりの市民生活
第1章 出所後の生活
53年ぶりの反戦市民集会/関西での再会と初の歌会/小学校の校庭で/52年ぶりの巷の師走/戦うパレスチナの友人たち/リハビリの春
第2章 パレスチナ情勢
救援連絡センター総会に参加して/再び5月を迎えて/リッダ闘争51周年記念集会/お墓参り/短歌・月光塾合評会で/リビアの洪水
第3章 ガザの虐殺
殺すな!今こそパレスチナ・イスラエル問題の解決を!/これは戦争ではなく第二のナクバ・民族浄化/パレスチナ人民連帯国際デー/新年を迎えて/ネタニヤフ首相のラファ地上攻撃宣言に抗して/国際女性の日に/断食月(ラマダン)に/イスラエルのジェノサイド/パレスチナでの集団虐殺/パレスチナに平和を!
特別篇 獄中日記より
大阪医療刑務所での初めてのがん手術[2008年12月~10年2月]
大腸に新たな腫瘍が見つかった[2016年2月~4月]
約1年前から行われた出所への準備[2021年7月~22年5月]

【『新左翼・過激派全書』の紹介】
ー1968年以降から現在までー
好評につき3刷決定!
有坂賢吾著 定価4,950円(税込み)
作品社 2024年10月31日刊行
30533

(作品社サイトより)
かつて盛んであった学生運動と過激派セクト。
【内容】
中核派、革マル派、ブント、解放派、連合赤軍……って何?
かつて、盛んであった、学生運動と過激な運動。本書は、詳細にもろもろ党派ごとに紹介する書籍である。あるセクトがいつ結成され、どうして分裂し、その後、どう改称し・消滅していったのか。「運動」など全く経験したことがない1991年(平成)生まれの視点から収集された次世代への歴史と記憶(アーカイブ)である。
貴重な資料を駆使し解説する決定版
ココでしか見られない口絵+写真+資料、数百点以上収録
《本書の特徴》
・あくまでも平成生まれの、どの組織ともしがらみがない著者の立場からの記述。
・「総合的、俯瞰的」新左翼党派の基本的な情報を完全収録。
・また著者のこだわりとして、写真や図版を多く用い、機関紙誌についても題字や書影など視覚的な史料を豊富に掲載することにも重きを置いた。
・さらに主要な声明や規約などもなるべく収録し、資料集としての機能も持たせようと試みた。
・もちろん貴重なヘルメット、図版なども大々的に収録!

「模索舎」のリンクはこちらです。

【お知らせ その1】
●集会などのお知らせ
昨年12月、『沖縄報告 辺野古・高江10年間の記録』(A5版並製、408頁、3000円+税)を発行しました。書店で販売中。柘植書房新社(TEL 03-3818-9270)からの直送も能です。
つきましては、出版記念講演会を2月15日(土)、13:30?16:30、東京都江東区の総合区民センターにて開催します。是非ご参加ください。
沖本裕司

2.15沖本講演会仮チラシ(カラー)_1

メディアネットちきゅう座の第6回現代史研究会で2月24日(月)(振替休日)に「怒りをうたえ」ダイジェスト版の上映会が行われます。
東條 守
第6回現代史研究会チラシ (1)
【お知らせ その2】
「続・全共闘白書」サイトで読む「知られざる学園闘争」
●1968-69全国学園闘争アーカイブス
このページでは、当時の全国学園闘争に関するブログ記事を掲載しています。
大学だけでなく高校闘争の記事もありますのでご覧ください。
現在17大学9高校の記事を掲載しています。

http://zenkyoutou.com/yajiuma.html

●学園闘争 記録されるべき記憶/知られざる記録
このペ-ジでは、「続・全共闘白書」のアンケートに協力いただいた方などから寄せられた投稿や資料を掲載しています。
「知られざる闘争」の記録です。
現在16校の投稿と資料を掲載しています。


【お知らせ その3】
ブログは概ね2~3週間で更新しています。
次回は来年2月21日(金)に更新予定です。

今回のブログは、1970年4月6日発行の『週刊アンポ』の記事である。特集は「嗚呼 日本万博大博覧会」。55年前の1970年3月15日から9月13日まで大阪で開催された「日本万国博覧会(大阪万博EXPO‘70)」対する批判記事である。
この万博には6,400万人が入場したとされおり、今年(2025年)開催予定の大阪・関西万博とは大違い、大きな盛り上がりとなったが、70年安保を控えての「安保隠し」との批判もあり、反対運動も盛り上がった。
反対運動としては、この記事にも出てくる万博粉砕共闘会議の反万博デモもあるが、4月26日には太陽の塔に赤軍と書かれた赤ヘルメットの覆面の男が立てこもり、万国博反対を訴えた事件も発生した。(赤軍派とは無関係)
芸術分野では、同時期に前衛芸術集団「ゼロ次元」を中心とする「万博破壊共闘派」のメンバーの1人が全裸で万博会場の正門から突入した事件もあった。(マスコミには報道されていない)
また、万博の前年(1969年)の8月には、関西ベ平連などが中心となって大阪城公園で「反戦のための万国博」(ハンパク)が開かれた。「国家からのお仕着せのバンパクをはねのけて、われわれ自身のハンパクを成功させよう」ということで、万博反対ということもあるが、「反戦」、「反安保」、カウンターカルチャーのお祭りのようなイベントであった。
この時の様子は、ブログに掲載している。
連載No94  1969年夏 反戦のための万国博 : 野次馬雑記

※『週刊アンポ』の万博特集記事はいくつかあるので、引き続きブログに掲載予定です。
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『週刊アンポ』No11 特集 万国博
「万博 牢獄のなかの未来」 鈴木正穂 

「世界はひとつ」と人は酔う。進軍ラッパの声高く、万博へ、万博へと草木はなびく。だが、ほくらはインターナショナルを歌えない。鳴呼、世界はひとつ。
<3月15日
新しい未来が誕生>
阪急電車のつり広告。そのえらくバラ色で、妙に甘い響きの「新しい未来の誕生」という宣伝文句に、僕は苦笑する。

<万博を作ったのは労働者だ>
「新しい未来が誕生」する以前、万博会場では、労働者が最後の仕上げに忙しかった。日焼けした顔、白髮まじりの頭。何々組のヘルメット、長靴か地下夕ピ。軍手で作業着は泥まみれのオッサンたち。その時の労働者には、威厳がある。
背広の企業関係者や報道関係者が工事現場に無断で立ち入ろうとするものなら、「コラ!じゃまだ。どけ、危ないぞ!」と叱る。協会本部の食堂においても、泥まみれの姿で飯をぱくつく。そこには労働者のエネルギーがある。
だが、いかにも農民だったと思われる人々がなんと多いことか。
「オジサアン、故郷はどこですか」「青森」「いつ頃からこちらに」「もう、2カ月になりますな」「はじまったら見に来ますか」「いいや、来ません」おそらく、故郷に残してきた妻子のことが思い出されるのか、その50歳ぐらいのオジサンの顔は、暗い。そういう、多くの出稼ぎ労働者の手によって、万博はつくられた。およそ120万人の出稼ぎ者が日本列島をさまよっているといわれる。
祝、万国博。オメデトウ。
しかし、万国博を呪う17人の魂が地下に眠る。そのことを僕は記憶し続けたい。
万博工事による權牲者。
平川岩夫(36歳)兵庫県尼崎市七松。砂川利春(28歳)熊本県芦北郡田浦町小田原。伝法谷市雄(34歳)青森県西津軽郡木造町大字越水字神山。松井基美(41歳)高知県高岡郡窪川町桧生原町。古賀久喜(25歳)大阪市住吉区我孫子東。田中昇(41歳)大阪府吹田市新千里北町。西宮寬(47歳)愛媛県宇和郡御荘町南川。関住光(46歳)長崎県佐世保市早苗町。釜井一義(22歳)熊本県荒尾市北増水。袖川武(38歳)大阪府泉南郡日根村字野々地蔵。山下菊蔵(60歳)。折田照孝(26歳)。古川石松(50歳)。松田定男(33歳)。辻本実(26歳)。松山桂吉(37歳)。飯田善男(35歳)。
全治2日以上の負傷者、292名。
関連事業の地下鉄や高速道路の工事を含むとさらに死者、負傷者の数は増大するにちがいない。
その死者の家族にとって万博とは。
呪。万国博。
その暗い脇の明るい舞台で、スポットラィトを浴びる万博マークもあざやかな白いヘルメットの花、容姿端麗なコンパニオンたちは地図を片手に、笑顔の訓練に余念がなかった。

<戒厳令下の万博へ>
その頃から、すでに警備訓練も熱心に行なわれていた。VIPという重要人物のために、さらに70年安保という政治焦点のこの年に、無事、破壊されることもなく、偉大な大国、日本を誇示するために。寒風吹きすさぶ駐車場で、どうせ多くはにわか仕込みのガードマン、100人ぐらい、5つほどの隊列が、恥しそうにニヤニヤ笑いそうになるのをかみ殺して、指揮者の命令に「オイチニィーオイチニィー」と足をそろえて歩いていた。その行進には、ユーモラスなものがただよう。だが、やおら警棒を抜いて「撃て!」と身がまえる時、寒々としたものが僕を襲う。
そして白いネッカチーフを首に卷き、例の黒靴、青い乱闘服の機動隊員が、5・6人の隊列で地図を広げ、トランシーバーを持ち会場内のパトロール。もはや、自由はない。
さらに、未来の警備体制を先取りするための実験がコンピュー夕・システムを実用化するために行なわれる。巨大な警察都市へのテスト・ケース。
コンピュー夕が4台。ワンタッチ式の非常通報器が83ヵ所。うち30ヵ所はパビリオン内部。放送マイクが653ヵ所。うち非常広報器の役割を果す特別装置つきが57ヵ所。そして、受像機が本部に設置されている監視用閉回路テレビカメラが出入口、駐車場、お祭り広場などいたるところに50ヵ所。

<釜ケ崎から>
僕は、その同じようなテレビカメラのシステムを「人類の進歩と調和」という白々しいテーマとは、まったく反対のところにある、大阪西成区の釜ケ崎で見た。アルコールとホルモン焼きと小便の臭気が充満し、昼さなかに酔っぱらったオッサンが肌寒い陽だまりの下で、酔いつぶれ寝息をたてていた。彼らを監視しているテレビカメラが9台。受像機は西成警察署にある。果敢に釜ケ崎で運動をすすめているFさんは、その現実を「格子なき牢獄だ」と吐きすてるようにつぶやく。
たしかに、きらびやかなネオンがけばけばしく、外観からはまるで温泉マーク風に見えるホテルがたくさんある。だが、それは「ドヤ」で「立って半畳、寝て一畳」の棺桶式、或は、消却炉式と自嘲的に形容する一泊250円の宿屋で、非常口はもちろんなく、そして悲惨なことにすべての窓には鉄の格子がはまっている。そこで生活している人びと、およそ1万数千人。日雇、賃金約1,900円。最も過酷な肉体労働に彼らは従事する。
「松山一郎さん、すぐに家に連絡して下さい。おかあさんがキトクです。妹より」ビラが福祉センターのドアに舞う。
資本がつくりあげた労働者を搾取するメカニズムは、万博工事が始まった頃、釜ケ崎の労働者を建設工事に使わなかった。すでに、労働市場は確立されていて、大企業は下請け、孫請けで釜ケ崎の労働者を搾取することで精一杯だったから。その口実は「ガラが悪いから」ということだったらしい。そして、つまり、新しい労働市場を拡大する必要があったので「真面目な、素朴であろう」農村からの出稼ぎ労働者を万博建設工事に多く使うことによって日本の繁栄を築く。
いびつに、ゆがんだ繁栄。
その状況の中で、釜ケ崎のごく少数だが、ラディカルな労働者は次のアピールを出す。

万国博におこしになった世界の皆さん
日本で有名な「生活館」釜ケ崎ーカマガサキを案内しますー
私たちは「京都」や「奈良」とともに、日本で有名な大阪市内のスラム地区である「釜ケ崎」を見学されるようおすすめいたします。
万国博会場から地下鉄で30分「動物園前」という駅で降りていただくと、すぐそこに「釜ケ崎」があります。
そこには日本の庶民のいつわらない生活があります。人間の匂い、アルコールの臭い、煙草のけむり、怒号、わめき、釜ケ崎こそ日本国民の喜びと悲しみ、涙と笑いが渦巻いています。「釜ケ崎」こそ驚異といわれる世界第2位の生産力(独占資本の急速な経済成長率では世界一)を築いた日本資本主義の歴史的な秘密がかくされているのです。
日本万国博のテーマ「人類の進歩と調和」というお題目が、「釜ケ崎」にどのように結実しているでしょうか。
「釜ケ崎」は日本の資本主義がヨーロッパの資本主義よりずっと遅れて出発して帝国主義になっていく「明治天皇の時代」に第五回内国博覧会が開かれた時にできたスラムです。「富士山」と「釜ケ崎」を見なくしては本当の日本を知ったことにはなりません。釜ケ崎には、約1万8千人の単身労働者と、2、3千人の世帯持ちが生活の根拠をおいています。
とくに午前五時過ぎ、「天王寺動物園」横丁や、南海電車で難波駅から乗って一つめの駅「新今宮」のガード下にいけば、その日その日の「日雇労働者」と「手配師」の労働契約の状況がみられるのです。平均5、6千人が集まります。
「釜ケ崎」に足を運んでいただいて、つぶさに人間として考えていただきたいのです。
釜ケ崎の労働組合は、万博におこしになった世界の皆さんが「釜ケ崎」を見学されることを心からおすすめしますとともに、無料でガイドの役をお引き受けします。(抜萃)
大阪市港区南市岡二丁目12ノ28
(電話06ー583―1072)
全日本港湾労働組合関西地方本部
建設支部西成分会

<ハンバク闘争>
「こんにちは70年!市民、労働者はたたかう!」と大きく書いたたれ幕が束京数寄屋橋のビルの屋上から降ろされ、「万国博ANPO70年まであとXX X 日となりました。(中略)私たちは宣言します。こんにちは70年!さよなら安保!6・15市民解放評議会」の赤や黄や白のビラが、坐わり込んだ人々の上空を舞ったのは、たしか僕が19歳の時、1968年6月15日だった。あの日、数寄屋橋の万国博の電光宣伝掲示板に「万博まであとXXX日」と輝やいていたかは、記憶がない。
69年、夏、「反戦のための万国博」。70年、3月8日。万博まであと7日、大阪は扇町公園。昼さがり、3月にしては肌寒い日だった。200人ぐらいの万博粉砕のために小さな集会が、20人ぐらいの私服警官が見守る中で行なわれていた。
キリスト教館の問題で教会闘争を提起し、万博は日米共同声明の延長上にあると考える反安保キリスト者連合の人々。(彼らは万博開催中、毎月第3日曜日午後3時、扇町公園に集まり、執念深くハンパク運動を取り組み続けることを確認している)そして、台湾館粉砕を中心スローガンとして、毛沢東思想学院、反戦日中、ML派等の日中友好関係の人々だった。
その集会で「アンチ万博」というガリ版ずりのミニコミをくばっていたN君は、「オレ、こんなとこで喋るのは初めてやあ」と言いながら恥しそうにマイクを持った。彼のひとりの友人は前日逮捕されている。彼は次のように書く。
「3月7日、『万国博を迎える市民大会』が大阪、厚生年金会館で開かれた。万博に関する最初の公的な集会であった。小学生が動員され、たかそうなコー卜を着たおばあちゃんやらが参加した。が、大会は無事に終わらなかった。“大会の終りごろ、万国博反対をさけんで若い男が壇上の中馬大阪市長につかみかかろうとし”た。“この騒ぎはごく短い間のできごとで”あったかもしれない、しかし、万博に関する最初の公的な集会は決して平穏に開催され、終了したのではない。(“内は朝日新聞三月八日朝刊からの引用)
この宣戦布告に対して警察当局はどのように対応したか。不当逮捕、家宅捜索、拘留延良というキチガイじみた弾圧をもって。
万博とはなにか。なぜ、粉砕しなければならないのか。『アンチ万博』を発行するわれわれはこう考える。万博とは、企業の国際見本市であり、支配体制の強化の一環であり、私たちの文化ではなく、さらに70年から眼をそらせるためのものであるという分析でとらえきることはできない。それは、もっと深く帝国主義国、日本に根をおろしたものであり、帝国主義の体内深くから、つかわされた怪物である。」
そして、「今、日本人民に最も必要なことはアジア人民の血と屍の上に成立しているだけでなく、さらにアジア人民の血と屍とを再び虎視たんたんとねらう万博に出かけて、1日だけの、恐らくは空虚であるだろう楽しみを得ることでは決してない。出入国管理体制粉砕の闘いにまず立ち上ることこそが早急の任務である」と結ぶ。また、彼はこうも叫ぶ。
「万博期間中に予定されている各国の軍艦の大阪港寄港にこめられた大阪港軍港化のもくろみを糾弾する港湾労働者の声を聞け。
『万国博に各国の軍艦が大阪港に多数長期にわたり停泊し、自衛隊の軍艦が出迎え礼砲を鳴らし合います。軍港化の第一歩を万国博に便乗して行ない、その後、恒常的に自衛隊の基地化されてしまいます。軍港化反対の闘いをつくりだそう。』(塩水港精糖裁判ニュースより)と。」
デモは万博マークの氾濫する大阪の町を進んだ。
そして、彼等は安保万博粉砕共闘会議を結成する。
日中友好運動の中で活動してきたひとりのオジサンは、「二つの中国をつくる陰謀、台湾館と台湾デー粉砕の闘争を入口として安保粉砕の大闘争に合流して行きたい。老兵は老兵なりに体を張って与えられた任務を果たすために、残る生涯をかけて台湾館粉砕を叫びつづけることを誓いとする」と悲痛なまでに叫ぶ。なにが彼をそう叫ばすのか。
3月10日、共闘会議は万博開幕の3月15日、午後2時半に中央口駅に約千人が集まり、会場周辺道路でのデモを申請する。
大阪府公安委員会は、11日「15日は初日で、入場者は60万人を越えるものとみられ、この混雑にデモが重なれば、たちまち滞留が起き、事故につながる恐れがある。中央環状線をはじめ問辺道路もマヒ状態が予想されるので、デモが広域にわたって交通の大混乱を起しかねない」という理由で不許可。再申請するも、ふたたび不許可。
共闘会議のSさんは、「安保闘争とからませ、われわれは強くないが、図体が大きい敵の重さと大きさを利用したい。最初の闘争は、後々のパターンをきめるので、ゲリラが続発することを期待したいなあ」と闘いの前々日語った。
3月14日、開会式。新聞報道を見ると、不思議なことに、右翼大白本愛国党の三人が「唯物的ブルジョア万傅反対宣言」といぅビラをまき、公務執行妨害、道交法違反、建造物侵入現行犯で逮捕されている。もっともく 大日皇誠会の連中は、「日本の祭典万博万歳!日本の国際的信用と誇りを失墜させる国賊!反博共闘会議を粉砕せよ!」とがなりたてていたが。
3月15日。午後2時前後、万博中央口構内は、私服と制服警官と警備員で埋めつくされていた。そこに出現したのが逮捕覚悟の安保万博粉砕共闘会議のおよそ150人。ジグザグデモと坐わり込みで、バンパクフンサィを叫ぶ。制服警官300人が出動。鉄道営業法違反、威力業務妨害、不退去罪で67人が現行犯逮捕。中央口の横にある警備本部からひとりずつ手錠をかけられ、警官に肩をひっつかまれて彼等はトラックに乗せられていく。その情景を、ほとんど混乱を起こすことなく、無表情に、無感動に一般客はながめていた。
この逮捕覚悟で、バンバクフンサィを叫ぶ象徴的な行動に、僕らはなにを見るか。
おなじ頃、お祭り広場の席から釜ケ崎解放戦線のビラがまかれた。だがその場にいたI君の話では、すぐに警官が追いかけたという。
3月16日、午後6時。(以下、朝日新聞による)「国府館三階の展示室で若い男が、かくしていた長さ15センチのスパナをとりだし、いきなり展示室の壁ぎわに飾ってあった蒋介石総統、宋美齢夫人のカラー写真を入れたケースのガラスをたたいた。そばにいた同館のガードマンが前から組みつき、同じ部屋にいた大阪府警の私眼警官が後ろから飛びついて男をとり押えた。男は『これが権力か。』と大声で叫びながら抵抗したがすぐ、手錠をかけられ、威力業務妨害現行犯で逮捕された。同館には、23人の私服警官がおり、事件当時、同室には10人ていどの観客がいただけでさわぎは10分ほどでおさまった。」
驚いてはいけない。なんと私服習官が23人も台湾館にいるのだ。
たしかに、彼らの行動はラディカルで先鋭的だろう。しかし、次のような警備監察に関する特別規則を読むと、僕等は会場の中で、インターナショナルを歌えないどころか、もちろん、万博ナンセンス、安保フンサイと叫べない。デモ、集会が一切禁止されていることに気づくであろう。そう、逮捕覚悟でないと、未来都市では、うっかりアクビもできないのだ。

<資料>
管備監察に関する特別規則
(S44年 8・14制定)
(禁止行為)
第8条 何人も会場内において、次の各号に掲げる行為をしてはならない。ただし、第8号から第12号までに掲げる行為を博覧会に関する諸規制に基づいて行なう等協会が博覧会の運営上必要と認めた場合は、この限りではない。
(1) 立入禁止場所に立ち入ること。
(2) 出品物、施設、備品等博覧会の用に供せられる物を損傷し、または汚損すること。
(3) 喫煙禁止の場所における喫煙等火災予防上危険な行為をすること。
(4) 酒類を提供する場所および休憩所以外の場所で飲酒すること。
(5) 通行を妨げ、または通行の危険となる行為をすること。
(6) 場所を占拠して気勢をあげ、または他人に嫌がらせをすること。
(7) 他人の身体または物件に害を及ぼすおそれのある物を携行し、または投げ、注ぎ、若しくは発射すること。
(8) 拡声機、メガホン等を使用すること。
(9) ポスター、ビラ等の文書を掲示し、または配布すること。
(10)  寄付を募集し、署名運動をし、または調査回答を求めること。
(11) 集団示威運動、集会または演説をすること。
(12)  プラカード、のぼりその他これらに類似する物を掲示し、または携行すること。
(13)  前各号に掲げるもののほか、他人に危害を及ぼし、迷惑をかける等会場内の秩序をみだす行為をすること。
(入場拒否)
第15条  入場券、入場証または招待券を所持する者が次の各号の一に該当する場合は、協会は、会場の秩序および安全を保持するため、当該者の入場を拒否することができる。
(1) 他人の身体または物件に害を及ぼすおそれのある物を携行して入場しようとするとき。
(2) 異様な服装をし、酩酊し、著しく粗野または乱暴な言動で他人に迷惑をかける等博覧会の秩序維持上好ましくないと認められる状態で入場しようとするとき。
(3) 犬その他の動物を会場内へ持ち込もうとするとき。

万博は70年安保のかくれみの、或いは眼をそらすためにあるのだという説は正しい。だとすれば、僕らはいかに切りくずしていくのか。

<オリンピック、万博、次は・・・>
70年3月14日、朝、花やかに開会式は行なわれた。
祝砲。
あの大砲の音の記憶は、沖縄のカデナ基地を飛び立つビーゴーニ(B―52)の爆音につらなる。耳をつんざき、腹わたをかきむしる大砲の音。花やかなお祭り広場でファンファーレが高らかに響く時、国連館の前に陣地を組んだ日本国軍隊、自衛隊の大砲は6台並んでいた。70数ヵ国の国旗が旗めく掲揚台から鉄カブトの隊員が赤い信号旗で、隊長に伝令を送る。隊長の号令一下、陸上自衛隊第三師団、姫路特科連隊の隊員は、ダークグリーンの105ミリりゅう弾砲の前に戦闘準備を整える。各砲の指揮者1人。そして兵士5人。白い鉄カブトで、白いネッカチーフをまき、保安隊員という腕章をまいたいかつい兵士が直立不動。
11時40分頃。信号旗が振られた。
「ウテエ!」金色の薬きょうが砲筒にほおり込まれる。僕は緊張して、体をちぢこませ、耳を手で力いっぱい押える。
そう、あの音は、ベトナムの空に響いている。
ドースン・バクーウン・ドースンという猛烈な衝撃音。10発だったか、12発だったか爆弾は飛ぶ。淡い紫色の硝煙があたりに漂い、金色の薬きょうは少しこげて、ぽろりと砲口から落ちる。祝砲は打ち終わった。そして、イチニィー、イチニィというふうな掛け声をかけて、兵隊はもとどおりの場所に直立不動で整列する。
お祭り広場からは、奇妙に悲壮な音楽が流れ、花火が打ちあげられ、風船が舞い上がり、噴水の水がいっせいに出る。
「耳に何もつめてないんですか」「もちろんしてません。なれてますからね」
平然となんとなく誇りに満ちた、ニコヤカな顔をしたひとりの兵士、自衛隊員は笑った。
色とりどりの花やかな民族衣装の、子供たちや、コンパニオンは肩をたたきあって感動に満ちた笑顔で、お祭り広場の開会式の主役だった。さあ、世界はひとつだ、と人は言う。
だが、実はきらびやかなお祭り広場は格子なき牢獄で、戒厳令下の中のひとつの空間にしかすぎない。
荒涼とした会場の外には、制服警官が5、6人、或いは20人ぐらいの隊列で、警らしていたし、トランシーバーを持って陰険な眼つきをした私服が300メートルおきぐらいに立ち並んでいた。それに灰色の装甲車が駐車場で待機していたし、御苦労なことに放水車も止まってる。
会場の中は、うすい茶色のユニホームに身をかためた警備員がそこかしこに突っ立ていて、もちろん、制私服の警官が右往左往。総計、5,500人の警備体制。
それは、戒厳令下。開会式の余韻がまだ会場を包んでいた時、南の空から編隊飛行のジェット戦闘機が爆音も雄々しく、赤、青、白の飛行機雲をたなびかせて、大空に<E X PO‘70>と日本国空軍、航空自衛隊ブルーィンパルスがカッコヨク飛んだ。あのキーンと響く金属音は、ファントム戦闘機がベトナムの空を飛ぶ時の音にちがいない。
オリンピック、そして万博。さて、次は・・・。
それにしても、着飾ったコンパニオンと背広姿の人々でお祭り広場はあふれていたが、泥まみれになって働らいていた労働者は、その日、どこに行ったのか。

<3月15日。新しい未来は・・・>
もしも、70年3月15日の朝、新しい未来が誕生していたとすれば、僕はあれほどまでにけだるく、疲れていなかっただろぅ。
コンピュータの60万人の予測が間違っていたとしても、猛烈に多くの人々が歩き、もくもくとパビリオンの前に、食堂の前に並んでいた。秋田県なんとか教会や農協旅行のたすきをかけ、モンペ姿のオバサンたちが、旅行会社の旗をめじるしに、ゾロゾロ歩き、修学旅行生たちは胸にワッペンをつけ、行儀よく引率の先生の指示にしたがっていた。それに、ほとんどの人々が手に手にカメラをぶらさげ、コンパニオンの横でニヤニヤしながら「ハイ・チーズと笑って」それは、ちょうど有名な観光地だ。実に奇妙なバビリオンがせせこましく密集していて、あれがもしも未来だとすれば、お化屋敷に、遊園地、産業見本市に、博物館、そして、動物園プラス百貨店がある都市を想像すればいい。それで、すべてはいいつくせる。
しかし、それにしても、なぜあんなに多くの警備員が立ちならび、警官がパトロールしているのか。もちろん反対闘争で危険だと思われるパビリオン(アメリカ、ソ連、キューバ、南ベトナム、中華民国、大韓民国)には、トランシーバーをもった私服がウロウロ。
ニコヤカな笑顔を絶さないコンパニオンは、赤や緑や白の帽子をかぶり、ミニスカー卜に白いアミタイツ。或いは、パンタロンに、ハンドバック、「オハヨウゴザイマス。ヨウコソイラッシャイマシ夕。」ニコヤカにニコヤカに笑い続ける。笑い続けなければならない。痛々しく、いじらしいほどまでの微笑。つくり笑い。彼女はあなたに笑っているのではない。たとえ、つくり笑いであるにせよ。
子供たちは、歓声をあげて、眼を輝やかして、エキスポランドを飛びはねる。つきそいのパパやママはなんだかゆううつそう。休日の動物園か遊園地の風景。
たしかに、エクスポは白い肌、黒い肌、黄いろい肌の人種のルツボにはちがいない。コンピュータは100万人という外国からの見学者の数を予測するが、その数字は驚異だろう。彼、彼女たちは侵略軍の兵士、占領軍の支配者として、日本にやって来るのではない。或いは、被侵略者として、強制的に連行されて来るわけでもない。だから、そこには希望がある。たとえば、チェコスロヴァキアから、4人の青年が徒歩で大阪まで歩いて来るという蛮勇には感動する。そして、もしも、ハニカミヤの日本人たちがうれしそうに、カタコトの外国語で、各国からの観光客に話しかけるとすれば、愉快だ。

<らぶ・いん・エクスポ>
そこには、人間がいる。完壁なまでのコンピュータ管理体制と、多くの警官が会場を制圧していたとしても、そこに歩きまわる人間がいる、というただひとつのことに僕らの未来を睹けよう。
僕は、いかにこの地球上にたくさんの友だちを、恋人をつくるかと夢想している人々に共鳴する。それは、僕自身の未来に対するひとつのイマジネーションなのだが。つまり、いかに国家のわくを乘り越え、個人的な人間のつながり、広がりをつくりあげることができるかということへのプラン。つまり「日本人は偉大な民族である」と言う馬鹿がいれば、その論理を、どのように拒否し、僕たちの「人間は平等である」という思想をうちたてることが可能かどうかの問題。それには、実際、異邦人と顔を見あわせなければならないだろう。その場は、主催者が意図していようと、いまいと、ひとつは万博になる。単なる美談としてではなく、それを逆手にとって、民衆の側のエネルギーで新しいコミュニケーションを、僕等のためにつくりあげることができるとするならば、未来はまだある。
だが、新聞報道によれば、韓国では総連系の人々に近づくなという思想教育が万博に来る旅行者に対してなされているという。またチェコスロヴァキアからは、秘密警察が来ているという情報も流れている。うわさとしても、それは、ありえることだ。ここにも暗い政治の陰がおちる。闇の中で、秘密警察の陰険な眼がひかり、さらに、日本の警察のギラギラとした眼が万博会場を被う。その中の偽りのお祭り。
しかし、いずれにせよ日本政府の威信をかけて、会期中、様々なアクシデントがあるとしても(すでに空中ビュフェの故障などがある)万博は、お祭りムードの中で9月13日に、盛大に幕を降ろすであろう。
なかには「後家のふんばり」でも行かないという人々もいるだろうが、風かおる五月の連休には、50数万人もの人々が「食料と寝袋とシビンを持って、万博へ!万博へ!」となびくにちがいない。延べ、5,000万人の入場者があると予想される人出は、さながら現代における民族の大移動だろう。さらに、コンピュータは、会場で50名弱の人が病死、あるいは事故死することを予測しているが、「命をかけて万博へ!」という悲壮な決意のもとに、大移動する人々の姿は、実にユーモラスで、平和的だろう。
その民衆のふれ合いに賭けるか、それとも、民衆を踊らすために笛を吹く政府の甘い言葉に耳をかすか。そして、僕らにとって「70年」万博とは、いったい何か。

(終)

【『ただいまリハビリ中 ガザ虐殺を怒る日々』の紹介】
重信房子さんの新刊本です!
『ただいまリハビリ中 ガザ虐殺を怒る日々』(創出版)2024年12月20日刊行
本体:1870円(税込)

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「創出版」のリンクはこちらです。

昔、元日本赤軍最高幹部としてパレスチナに渡り、その後の投獄を含めて50年ぶりに市民社会に復帰。見るもの聞くもの初めてで、パッケージの開け方から初体験という著者がこの2年間、どんな生活を送って何を感じたか。50年ぶりに盆踊りに参加したといった話でつづられる読み物として楽しめる本です。しかもこの1年間のガザ虐殺については、著者ならではの記述になっています。元革命家の「今浦島」生活という独特の内容と、今話題になっているガザの問題という、2つのテーマをもったユニークな本です。

目次
はじめに
序章 50年ぶりの市民生活
第1章 出所後の生活
53年ぶりの反戦市民集会/関西での再会と初の歌会/小学校の校庭で/52年ぶりの巷の師走/戦うパレスチナの友人たち/リハビリの春
第2章 パレスチナ情勢
救援連絡センター総会に参加して/再び5月を迎えて/リッダ闘争51周年記念集会/お墓参り/短歌・月光塾合評会で/リビアの洪水
第3章 ガザの虐殺
殺すな!今こそパレスチナ・イスラエル問題の解決を!/これは戦争ではなく第二のナクバ・民族浄化/パレスチナ人民連帯国際デー/新年を迎えて/ネタニヤフ首相のラファ地上攻撃宣言に抗して/国際女性の日に/断食月(ラマダン)に/イスラエルのジェノサイド/パレスチナでの集団虐殺/パレスチナに平和を!
特別篇 獄中日記より
大阪医療刑務所での初めてのがん手術[2008年12月~10年2月]
大腸に新たな腫瘍が見つかった[2016年2月~4月]
約1年前から行われた出所への準備[2021年7月~22年5月]

【『新左翼・過激派全書』の紹介】
ー1968年以降から現在までー
好評につき重版決定!
有坂賢吾著 定価4,950円(税込み)
作品社 2024年10月31日刊行

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(作品社サイトより)
かつて盛んであった学生運動と過激派セクト。
【内容】
中核派、革マル派、ブント、解放派、連合赤軍……って何?
かつて、盛んであった、学生運動と過激な運動。本書は、詳細にもろもろ党派ごとに紹介する書籍である。あるセクトがいつ結成され、どうして分裂し、その後、どう改称し・消滅していったのか。「運動」など全く経験したことがない1991年(平成)生まれの視点から収集された次世代への歴史と記憶(アーカイブ)である。
貴重な資料を駆使し解説する決定版
ココでしか見られない口絵+写真+資料、数百点以上収録
《本書の特徴》
・あくまでも平成生まれの、どの組織ともしがらみがない著者の立場からの記述。
・「総合的、俯瞰的」新左翼党派の基本的な情報を完全収録。
・また著者のこだわりとして、写真や図版を多く用い、機関紙誌についても題字や書影など視覚的な史料を豊富に掲載することにも重きを置いた。
・さらに主要な声明や規約などもなるべく収録し、資料集としての機能も持たせようと試みた。
・もちろん貴重なヘルメット、図版なども大々的に収録!

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【お知らせ その1】
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●1968-69全国学園闘争アーカイブス
このページでは、当時の全国学園闘争に関するブログ記事を掲載しています。
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●学園闘争 記録されるべき記憶/知られざる記録
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【お知らせ その2】
ブログは概ね2~3週間で更新しています。
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