今回のブログは、『週刊アンポ』第9号(1970.3.9)に掲載されたの反戦派教師の座談会の記事である。
この第9号は「教育特集」ということで、2回にわたり「造反中学生との対話」と「高校生の広場」を掲載してきたが、3回目は「反戦派教師は語る」である。
1969年の10・11月に闘われた佐藤訪米阻止闘争では学生だけでなく、多くの反戦派労働者が逮捕されたが、その中には教師もいた。
「教師は聖職である」という「教師像」を打ち破って、1人の労働者として闘いに参加した反戦派教師たちの思いが語られる。
【日常性の厚い壁をこえて 座談会・反戦派教師は語る】(『週刊アンポ』第9号1970.3.9)
昨秋、佐藤訪米阻止に、数壇を離れて街頭に出た反戦教師たちへ世間の非難は集中した。しかし彼らが彼らをとりまく日常性を超えて投げかけたものは、「教育」への本来的な問いかけであったのだ。 (司会・久能昭)
<出席者>
反戦教師救援会、大森四小、大泉一小、大森二中、萩中小
司会 ここ1・2年、日木のあちこちで、さまざまな矛盾が露出し、怒りも噴きだしているのはご承知のとおりです。
全国を一巡した大学闘争はいうまでもありませんが、最近では、高校生や中学生までも含めた運動が、大きなうねりとなって、日本の学校を底の方からゆさぶっている感じです。
昨年の10・11月闘争での反戰派の教師の行動もさまざまな波紋を起こしたわけです。そうした教師の投げかけた問題はいろいろあると思います。
そこで、今日は、いつも現場でいろいろな活動を積極的に行なっている先生方に集まっていただき忌憚のないディスカションをしていただきたいと思います。
Eさん、いかがですか。
E 私は、逮捕されて、釈放になり、今、自宅研修という処分を受けているわけです。
やはり、10月から、この間、教師というのは何なのか、今の、教育機構と、教育行政といった大きなワクの中で教師がやれる最低のものは何なのかということです。私もよくわからないのですが、一体どこまでありうるのか、ありうるとしたらどこまでやれるのか。
もうひとつ、教師というのは、やはり子供に何かを教えるということ、つまり未来をになう子どもに対して文化の伝達をするということ、これが一面的に重要視される面がありますね。聖職者意識ですが・・・。ほとんどの教師がそういうふうに意識しているだろうし、社会的にも。だから教師は一定のワク以上のことはやるべきじゃない。教師に対する作られたイメージというのはすごく根強いですね。
だから、私自身には敎師として参加するということよりもむしろ私個人として参加するという意識があったわけです。そうすることにより「作られた教師像」を破って行こうとしたわけですけどね。
今後、お互いの職場でも、地域の人たちにも、もっと広げられれば、社会の人たちにも、どうしてそうした「教師像」を破るか、それをさまざまな運動と密着させなからやりたいのですけれど・・・。
B ぼくか教師になっての悩みは「いったい自分のやっていることは何か」ということです。子どもに接してもその中でいろんなことをやるのだけど、全体状況の中で「教師」の位置を見究めたいと思いましたね。そうするとでてくるのは、現在の教育の中では、国家政策の伝達者的存在ですよ。国家を背景としての子どもに対する加害者的存在といってもいいです。それはぼくにはたえられないんですよ。だから、<教師>からぬけだして生身の人間としてもう一度自分を捉えなおさねばならない。そこに10・11月闘争に参加せざるをえないぼくたちの原点があったと思うのです。
C いま、Bさんが「加害者意識」といったけど、あの10・11月闘争で、 わたしたちがはたしてそう考えていたか、どうか、そこは問題だと思うのですよ。全身であの闘争にぶつかっていくという意識が、わたしの場合先行していたと思いますね。いろんな<教師像>が問われるけれども、わたしはそういう状況だからこそ、<教師像>をどううち破っていくか、そのためにはどういう闘争をしなければならないか、 6月決戦に戦うために、いま何をすべきか、そこに意識を集中しなければ、戦後の教育労働者が歩まされた状況を打破することはできないと思うんです。
一個の労働者として私はどう闘いをすすめるか・・・そこんところが問題なのです。でないと、またもとのもくあみになってしまうのではないでしょうか。わたしたちの闘いを通じてだけさまざまな<作られた教師像>をケトバスことかできると思うんですけどね・・・。
D 獄中からでてきた人に聞きますとね、こんなことがあるのです。つまり、自分を取調べている刑事なり、検事の顔か、自分の顔と二重うつしになってしょうがないというんですね。たとえば「支配者の顔」としてね・・・(笑)。また、若い看守にいい年をした人か「先生、先生」というんですってね。そうすると「自分も学校でああいわれている、それは看守と全く同じ立場ではないか」と思えてしょうがなかったというんです。支配者としての立場を途端に感じちゃうわけですよね。
それとね、取調ペをしている検事が、「先生のくせにこんなことをして・・・」というでしょう。それは、わたしたちが職員室で、子どもが喧嘩したときに「六年生のくせに・・・」といって反省を迫ることかありますよ。それとは全く同じ論理ではないだろうか、つまり権力者の論理とね。そうして「教師とはいったい何なのか」ということを問い直した。獄中の人も、でてきた人もみんなそういって自分の立場をもう一度ほり起こうとしております。
司会 神奈川の事後逮捕では、取り調べがほとんどなく、ただ「説教ばかりだった」と聞いているのですけど、Eさん、取り調べは実際はどうだったんですか。
E わたしの場合はね、いろんな取調べを受けましたね。例えば刑事がね、「なんだお前は官費で教育されたじゃないか、そういう立場におるくせに・・・」とか、「教師のくせに・・・」とか、いやみったらしい取調べをしました。そのときのかれらの意識って自分たちと教師を同じようにみているのではないでしょうか。たとえば「同じ財源から月給をもらっているくせに・・・」というようなね。
C いままでいろいろ聞くんだけど、教師の特別視ね。自分たちがそう感じること自体が問題だと、わたしは思いますね。けっきょく階級意識だわよ。かんたんに言えばブルジョワ道徳観にとらえられているということじゃないかしら・・・。
F ぼくはちょっと違うんだけどね・・・。いつだったか、地方に行ったときタクシーに乗ったことがありますが、そのとき運転手さんから「職業は何か」と問われたのですよ。「教師だ」と答えたらとたんに運転が荒くなってね、その運転手さん「教師が大嫌いいだ」っていうんです。ぼく自身そう思っているものだから、それは全くそうなんで引き下がらざるをえないわけですよ。
<教師像>についていえば、ぼく自身いつも実像と虚像に悩んでいますね。つまり一人の人間としてのぼくと、職業人としてのぼくという関係ね。この二つの像のあいだにはものすごく距離があるんですよ。これを埋めなくちゃならない。けれど、その間にいろんなものがあって距離を縮めること自体生やさしいことではないんです。それを埋める努力がいまのぼくの課題なんだけど・・・。
D その前の話ね。実際問題としてね、教師の社会的地位は低いんじゃないですか。月給の面でもね。
ところが、逆にどんな社会的地位のある人でも、自分の子どもをあずけるぼくたちに「先生」とよぶでしょう。それを素直に受けとめるほうが、教師としては安全なんですよね。そういった二つの間の接点に教師はいるんじゃないだろうか。そこから間題がおこると思いますね。
C Fさんのいう虚像と実像ってことね。そういうふうには考えられない。実像が問題なのだと思います。父兄は、教師を尊敬なんかしていないーー私が、東京でも、最も下層地帯にいるせいかもしれませんが、絶対に教師を尊敬なんてしていない。また、教師は社会的になんのかんのと言っているようじゃ駄目なのじゃないかと思うのです。教師だって一個の労働者にすぎないし、いかに自分たちを解放するかが問題ですよね。
D 教師には極端に言うと、真理を教える任務がある。そういうふうにすることにより、子供たちが未来を築いていってくれる。未来への肥料であり、それに徹することで良い、それ以上のことをするなんてとんでもない。それは権力もいうカッコつき革新もいうし、そうだけれど自分が教育ゲリラとして何かやることはある意味では可能だと思っている。
極論すれば戦争肯定をいかに能率よく教えるかということに、 ある意味では相対としてきちゃっている。その中で一般として言えば未来に子供たちを、と言っていては駄目だと、自分としてどうしたら良いか、ということにならなければいけない。教育実践にだけかかわってたのじゃだめだと思うんですよね。いわば職業としてね、世の中の為意識でやっていたらかえってマイナスだと思う。そういうことを自分自身に言いきかせることだ。
広島の人たちがいろいろ書いていることのなかで多少コトバ足らずであっても一人の人間としてやったことが、もういっぺん教師という構造の中でそれとの関係を見いださざるをえない。
今まで教師の自己否定とかということがさかんに言われているわけだけれども、にもかかわらず、日常、口では革命的なことを言う。例えば、ぼくなんか、なんとなく教師の位置はどっぷりつかっているわけですよね。極端に言えば、社会の表向きの姿は成りたっているわけです。象徴的には10・11月闘争に参加した、ないしは逮捕されたというものをくぐって一斉に、どっぷりつかっていた職場の日?性というか教育の日常性が、自分にはむかってくる。群馬の人からTELかかかってきたのですけれど、10月に参加した人に、警察から任意出頭がかかっている。それがたまたま新聞に出た、とたんに翌日から、職務命令で本人に休ませるのではなくて、本人の授業を召しあげる、授業をさせない、という形ででてきているのです。昨日までは授業していたんですね、学校っていうのは、まさに自分にとっての教育する日常性としてあったわけでしょ。それが、自分のやったことが公けになったとたんに、反日常に転化するわけです。今までの日常性であった職場がはむかってくるわけです。そこで、今まで、どちらかといえばあたたかくつつんでくれていた日常のいろいろなものが反権力という落印をおされたことによっていやおうなく、反戦派教飾の眼で検出されてくると思うんですよね、これからいろいろなことが。
幸か不幸かぼくはまだそういうことになっていないからね、ぼくには見えてないことがEさんには見えているかもしれない、という問題としてあるんじゃないかと思うんですよね。
E さっきCさんが言ったのですけどね、父兄が先生を尊敬していない、ということ私もそうだと思うんです。だけれども、何か起こると、先生が・・・という眼で見るでしょ。先生だったらこうしてもらわなきゃいけないという、いわゆるそこには何ていうのかな、そこには戦前の教師という、独特の地位におかれたものがあったのだし、それを父兄なり、教師なり、他の労働者なりが、どう、自分自身がどう感じていたかということとは全く別にして、とにかく、独特な位置があったわけでしょ。それがピョンとでてくるわけなんですけれどもね。
司会 ところで今すぐは敎師の側から、<作られた教師像>とか<自ら作った教師像>をうちやぶる、その原点をどこにおくかという話だったのですが、今度は外からみた<教師像>というところで、Aさん、どうでしょう。
A たとえば、日本文学にあらわれた<教師像>を例にとりましょうか。それはいくつかに類型化できると思う。
まず、権力の鎖につながれた存在としての教師、これは言うまでもないでしょう。
次に社会にいろんな形で疎外された存在としての教師、たとえは、いなかなどでは、地主の次男とか三男とか、 とにかく、長男と従属的関係にある者が教師になるんですな。そうした疎外の具体的な象徴として、胸の病を持つ教師が描かれています。これは、いろんな意味があるでしょう。社会的な地位の低さ、というのもそのひとつの例です。にもかかわらず常に教師は人の子を、全人格的に教化する(倫理化する)宿命を持った存在。そうしたものが家父長的な共同体の中での存在、という像が描かれているわけです。こうした教師像がとても暗い感じを与えているし、このような文学にあらわれた敎師像がつまりは一般社会人がイメージする<教師像>だと思います。これは、基本的には戦前も戦後も変わりないんですね。それに日本の社会構造の特徴から言って、よく言われるように、学歴尊重という意識は、まだ根強いでしょ。だから<未定の子宝>を完成してもらうものとして教師を見るのですね。つまり教師を道具化する。利用するという意識しかないんです。教師に親に親のエゴイズムをおしつけるわけです。
こういうことから教師はただ「教えること」に一生懸命になればいい教師ということになる。だから教師か作られたワク組みからはみ出るとやはりエゴイズムから、得手勝手に、倫理性という日本人の一番弱いところを突くのではないでしょうか。<倫理>を武器にして教師をだまらせるのですよ。ところが10・11月闘争での教師の街頭行動がショッキングなニュースとして流されたわけです。非難の声は日本の父兄の通念から言えば、ごく自然なんです。よく言われる日常性なんですね。これを打ち破るのは、やはり教師の日常性をいかにして打ち破るかという教師自身の生き方に通ずるでしょう。それが、そうした教師集団内にある日常性を打ち破る闘いを通じてのみ、親たちの<教師像>を変えていく唯一の方法ではないでしょうか。その意味でEさん、Cさん、Dさんなどの意見に賛成です。
事実いろんな支援運動をやっていると、たとえばEさんの学区の父兄の意識は少しづつ変わっていってることがわかります。最初は、Eさんの行動を批判してた人たちがEさんの気持ちもわかるというように変わってきた人が多いですからね。
E ええ、それとまた別の父兄に会ったのですけれどもね。その人は、たしかに私が個人的に街?闘争にでるのは全く正しいと言うんですね。正しいという論理があるわけですよね。そうとう覚悟して出たんですが、どうしても教師という職業にある以上ね、子どものことが残るんです。それに対して、子どものことなんか一切考える必要はないというんです、その父兄がね。子どものことなんか今の時代でね、考えてたら何もできないじゃないか、と言ったのですけれどね。
A たしかにそうですね、たとえば、烏取の国本さんの闘いは、今は国本さんとその周辺だけではないでしょう。点の闘いから線の闘いへ、線の闘いから面の闘いへと拡がっていますね。それは今、Eさんが言ったような父兄との闘いの共有があるからでしょう。簡単ではない、特に鳥取などではね。そういう所で闘いを拡げていった点をぼくは学びたいと思うんです。
司会 ところで、日本の教師像から、それをどこで、どのようにして打ち破るものとしての話がちょっとでたのですが、この辺でもう少しいろいろな闘いを紹介していただきたいですね。教壇に帰ってどうするか、ということも含めてですね。
F 私の場合は教壇に帰った場合、どうしても自分が教育を受けた原点が何だったか、から始まるのです。たとえば、わたしの旧制中学畤代、戦後の一時期にあった自由がそのまま教室の中にもありましたね。拘束とか管理とか、そんなものは一切なかったですね。外には闇市という自由の場がありましたしね。結局そこに帰るんですよ。
そうした原点を持ちながら、わたしはずっと職場にへばりついて紐合からおろされてくる方針や情勢を徹底的に討論する。そのためにはさまざまな運動がでてきますね。毎週出しつづける職場通信もそのひとつですよ。教特法(教育公務員特例法)などを討論していくと、反戦派教師への弾圧が自分たち教師全体への攻撃だとスッとわかるーーそうした討論にささえられて、反戦派教師全体の救援を分会としてやろうということが可能になっていったと思います。
B わたしは教育労働者の運動を新左翼のそれとのかかわり合うものとして考えたいですね。いわゆる既成の労働運動の指導では駄目だ、新しい教育労働者自身の自己解放をも可能とするような運動をつくりださねばならないと思う。それがさきに言ったような新左翼の運動とのかかわり合いで60年以降も営々としてあった。しかし、そうした10年にわたる運動そのものを試練にかけ、同時に質的に転換させたものが、10・11月闘争だったのではないでしょうか。したがって、やはり、直接10・11月闘争と、その後の権力による弾圧、処分、という事態そのものを中軸にして運動が全国的に起こっていることにまず注目していくことが大切だと思うのです。自民党が一昨年教育三法のひとつとして提出した、教特法の改悪の延長線上に考えだした「教育特別調整額」を先取りした形で、都の教師のみに毎月千円手当をだすというものなのですが、この考え方などは教育委員会による反戦派教師パージの論理とピッタリなんですね。神奈川の場合は、不起訴でありながら、教壇に立つ教師の場合は徴戒免、事務の場合は停職という分断的処分が出された。これなども毎月千円手当をだす思想を固定化し、エスカレートするものだということです。こうした権力側の全力をあげた攻撃と、ぼくたちの側の闘いが真正面からぶつかったところに、さまざまな闘いが起こってきています。たとえば5人の広島の教師が逮捕・免職されることたよって「五人の教師を守る会」が多くの妨害、弾圧の中からつくりだされ、やがて全県にまたがる大きな組織となり、組合の中に浸透してひとつの勢力となっている。
静岡では富士地区コンビナート建設反対運動をやっている人たちが「山口教諭を守る会」に積極的に参加してるのかひとつの特色です。ともに国家権力と直接に対決しているわけです。その他神奈川での、ユニークな文書活動と職場闘争がさまざまの市民と、ともに立ちあがる例、Aさんがちょっとふれた鳥取での闘い、それに大泉での市民の会のエネルギッシュな校区を中心にしたビラ入れ、対話活動など、さきほどAさんがふれた点・線・面という一本のきずなかできつつあると思います。
A まあ、 その闘いだってそう口で言うほど簡単ではないと思いますが・・・。ぼくたちか知りたいのは教室でとう闘うか、教員室でどう活動するか、そのへんのところが知りたいのですが、何かないのでしょうか。
E 教室で何かやる、たしかに私自身も、私自身でありたいわけなんだけれども、教室での菅理の問題がすぐでてきますね。私自身、教室にいた時には、反戦行動について疑惑を感じるわけですよね。それと教育内容についてどういう内容を教えるかという問題にぶつかる時、今の教育体系そのものをね、全面的に考え直す必要があるんじゃないかと思うのです。たとえば、 教科別にわけられているということもやはりもう一度、検討する必要があるでしょう。また教室の中で私が教育をするということが、社会的総体を考えてどういう位置にあるのかもう少しゲンミツにはっきりさせる必要があるんじゃないかと思います。教師は、教育をとおして何かができるという意見が総体としてあるわけですよね。ほとんど大半の救師かそう思っているのです。だから教師は教育というものを絶対ぬきにしてはならないんではないか、そういう大前提のもとに、さまざまな制約がでてくるでしょう。わたしはそれ自身をつきやぶる中でしか、まずそこをつきやぶらなきゃ、という感じが強くするんですがね。ただ、教師がおかれている状態の中でどこまでできるのかちょっと自信がないんですけれど。
司会 わたしが小学校のころを思いだして一番楽しかったのは、ある教科書、郷上史の教科書を習ったことでした。それは教師集団が自らが作った教科書だったのですが、 考古学の考えを科学的に入れて、古墳を学ぶという作業だったと思うのです。今、考えてみると唯物史観がその教科書には完徹していたのではないか、とにかくすごく科学的だったんですよ。そういったものを天皇制教育のはなやかりしころに教わったのですね。それは、その教師集団が小なりといえども日本帝国の対抗物としてあったのじゃないでしょうか。それはひとつの大きな教師集団の実力がそうさせたのだと考えるんで、私はそういう何かを反戰派の教師に期待したいと思うんですが・・・。
C 私のはそれほどではないんですけれども・・・。
たとえば小学二年生の教科書に、「おまわりさん」の話がでてくるわけです。それも昼、夜を問わず、私たち市民の安全を守っているのはおまわりさんだ、というだし方で、でてくるのです。私、しゃくだから、一応は読むけれども、17年前のメーデー事件をとりあげて子どもにはなしてきかせるのです。たとえば国民の命を守る人が、逆に国民を殺してるでしょ、というようにね。そうすると私の場合など毎日のように親たちから、はねかえってくるわけです。「先生は立ち入ってはならないところに立ち入っている」とね。けれどね、子どもの方はこういうんです。「そりゃ17年前は、17年前のことですよ。だけど先生そんなこと教えるよりも、今、何百人もつかまってるじゃないか。それをいわなきやだめだよ」とね。
A・ E ほう、小学校二年生の生徒でそういう反応示するんだなーー。
C だけど、職員室に帰ってくると、もうガタガタになるんですよ。今は、教える内容ですら学年会で大体統制したり調整したりするでしょ、だから私のようなことを教えてたら、学年会でもめるんですよ。そこで私は考えたんです。つまり、現実の問題として学年会を構成するのに、私たちには人事権がないわけです。勝手に学年を構成できないんです。だから、私が教室で今いったようなことを組織的に体系的に教えていくためには学年会を構成するメンバーを自分たちで組織していく運動をしなければならないですね。
事実、一年間、それをやったんですけどね、結果は、サンタンたるものでした。今年になったら、私に全く関係ない、いろんな事に無感心な教師を全部配属して私を孤立させたつもりでいるんですよ(笑)。だけど、やっぱりそれでヘタバってはいけない、どう私の運動を組織化していくか、それが問題です。それから始めなければいくら教科書が良くったってーそんな教科書、今、ありませんけれどねー何も教えられない、Eさんが言っていた「私自身」に帰ることすらできないですよ。
それに私がいくら体系的に、組織的に、ある事実の正確な認識を教えようとしても、地域を組織化しないかぎり、私の闘いは敗れるわけです。
いくら、教育の帝国主義的再編とか何とか言われても、まず私は、私の日常性を破る闘いとして、私の職場と地域のラディカルな闘いをやらなければ・・・と思うのですけれど。
A そこでCさんは徹底的に階級闘争までもっていくという言葉を続けたいんでしょ……(笑)
C いや、そういうわけじゃないんだけど・・・。わりと合法って言ったらおかしいけど、Aさんの思っているようにワタシ、ワルイコトばかりしてるんではないですよ(笑)。たとえばね、私、沖縄に行ってきたんです、なんとか沖縄を教えようとして学年主任にかけあうわけです。それを沖縄観光旅行という名目でやっちゃうんです笑)。事実、5・60人の父兄の前で沖縄でとってきたスライドを見せながら、現実の沖理を話していくわけですよ。みなさん笑うけと、こういう闘いを通して、どう全体の闘いへ止揚していくか、そういうことが、私たちの解放とどこかで結びつくと思うのだけど・・・。
司会 いやはや、話はつきないけれど、まずはこのへんで一応終りたいと思います。
【お知らせ その1】
●1968-70全国学園闘争「図書館」
1968年から1970年を中心とした全国学園闘争の資料を掲載したサイトです。
全共闘機関紙や全国26大学の大学新聞などを掲載しています。
●新左翼党派機関紙・冊子
1968年から1970年を中心とした新左翼党派の機関紙と冊子を掲載したサイトです。
【お知らせ その2】
ブログは概ね2~3週間で更新しています。
次回は2026年3月13日(金)に更新予定です。

