今回のブログは『週刊アンポ』第8号(1970年2月23日)に掲載された特集「市民運動・自省と噴出のはざまで」の中から、1970年1月31と2月1日に開催された「ベ平連全国懇談会」の報告記事を掲載する。
ベ平連結成から5年、70年安保闘争の中での全国各地のベ平連の活動と方向性がよくわかる内容である。
この報告の中で、大学ベ平連について言及している部分があるので、明大ベ平連について少し書いてみたい。
明大ベ平連は、べ平連と書いた水色の旗を持って黒ヘルを被っていた。1969年当時10数名いたと思う。大学ベ平連の中でも「戦闘的」と言われており、「トロベ」(トロツキスト・ベ平連)とも呼ばれていた。
私も一緒にべ平連定例デモに参加したことがあるが、銀座4丁目の交差点あたりに差し掛かると、「ここは目立つのでジグザグデモをやろう」ということで、交差点でジグザグデモをやったり、そんな雰囲気のグループであった。
70年安保以降は、MUP共闘(明治大学新聞学会を中心とした共闘会議)のメンバーとして、学内ロックアウト体制粉砕闘争や学費値上げ反対闘争に関わっていた。
【変革を求める市民運動の方向 古山洋三(千葉ベ平連)】
ベ平連全国懇談会には北海道から鹿児島まで、250名の人々が一年間のさまざまな運動と経験をもちよって語りあった。そこにはベ平連運動のもつ不思議な活力がみなぎっていた。
10・11月の「佐藤訪米阻止」のたたかいを経て、ベ平連運動はどこへ向おうとしているのだろうか。1月31日・2月1日の両日東京で行なわれた全国懇談会は、北海道から九州鹿児島まで、27都道府県の119グループから約250名の参加者を集めーこれは過去のどの全国懇談会より多い数であったー熱気のこもった討議を通じてベ平連運動のもつ「不思法な」活力をハッキリと示した。もちろん万事がうまくいっているということはない。「人数が減った」「なかなか市民の間にひろがらない」「べ平運連動が何を求めているのかわからない」(大田ベ平連)といった問題は数多く出されたし「女子高校生がベ平連運動はふつうの政治運動ではないのだから参加させて欲しいと投書をしたところ、学校が筆跡鑑定までして探し出し、始末書をとった」(鹿児島ベ平連)というムチャな弾圧を加えられているところもある。しかし、参加者の気分は一様に明るかったし、今後の方向をそれぞれにつかみ出して発言していたといえる。ここでは、まずベ平連運動全般にわたる方向についていくつかの問題を考え、ついで、今後の課題として提案された問題をまとめていきたいと思う。
私自身、昨年9月の「ベ平連ニュース」に運動を多元化する必要を強調し、この会議にむけても「一人一人が追究する個別課題をもつこと。各ベ平連グループは一つの中心課題をにぎって離さないこと」を提案したので、まず、この問題から入っていきたい。
この点については実に多くの発言があったが、関西ベ平連の報告をやや詳細にとりあげてみよう。問題の出発点は「われわれはあまりにも事実について知らなすぎる」ということと、秋の行動には常に500人を超える参加者がありなから事務所にあらわれるのは100人くらいで「あとの人はどこで何をしているのだろう」ということであった。そこから生まれたのが「研究・行動提起集団」という考え方で、500人の参加者一人一人にアンケートし、問題関心別にグループを作るよう働きかけていくというのである。「ソンミ虐殺」「フォーク」「沖縄」といったグループ、そして、すでにはじまっている「安保ゼミナール」では今度、信太山の自衛隊の問題をとりあげ、その研究、暴露から行動へとすすんでいこうとしている。「安保」「社会変革」といった大状況については福岡ベ平連の報告にあるように、私たちはいわば手さぐりといった状態でさしあたり進んでいくほかはない面がある。しかし問題を個別化していく場合に私たちは限られた力でも十分にその問題を知りつくし、こういうことをすれば勝てる、少なくとも勝ちに近づくという一つ一つの行動を提起していくことができるだろう。「まず行動をそして行動を通して問題が見えてくる」ということは過去5年間の運動をつうじてベ平連運動が作り出した最大の財産だ。しかし、それがいちずに「佐藤訪米阻止」「安保粉砕」の街頭行動へと向けられたとき、厚い国家権力の壁にぶつかり、どこから突き破ってよいかわからないというトマドイと、無力感・むなしさが小さな自分を圧倒するということになりかねない。「更なる実力」を結集して体当りすることの必要性を否定するわけではないか同畤に情況の網の目を一つでも二つでも喰い破っていくこと、そこで小さな「人間の渦巻」を無数につくりだしていくことが私たち一人一人にもとめられていると思う。人期の「渦巻」は大きな一つの台風の眼のまわりに作られるのではなく、無数の「渦卷」の集まりとしてはじめてできるのだろう。といって、いうまでもないことだが、6・15や10・10のような全国的な統一行動の必要性がないということにはならない。こうした行動は、それ自体大きな政治的意味をもつものだし、そこでエネルギーが引き出されることもたしかなことである。要はこのエネルギーが1日だけのものに終わらないことであり、そのためには、一人一人が日常的に「渦卷」を作り出す中心となっていかなければならない。いいかえれば「一人でも何かをはじめる自立した運動者」となることが必要なのだ。べ平連とは何かと問われたなら、私はためらうことなく「一人でも何かをはじめる自立した運動の連合」とこたえるだろう。一人一人がこのような運動者になることは決してたやすいことではない。しかし一日のデモをいわば免罪符とするという運動ではベ平連は一日もつづかないということはもはやたしかなことだろう。それではこうした自立した運動者になるということは、どのようにして可能となるのだろうか。ベ平連運動の最大の長所が一つのイデオロギーにもとづく運動でないということは自明だから、というよりは、多種多様なイデオロギーを含む集団であることにベ平連の活力の秘密の一つはあるのだから、 自立した運動者としての支えをイデオロギーに求めることは賢明ではない。となると自分かにぎってはなさない個別的な課題を持つということがさしあたり可能な唯一の方法だろう。と同時に、その課題の意義づけはしっかりしなければならない。各地で学習会や合宿が行なわれている報告かあったが、「運動」に追われてその行動の意義をたしかめていく努力が今までのベ平連運動にやや不足していたことはたしかなことだ。この点はおぎなっていかなければならない。たた関西ベ平連のいうようにそれが「研究=行動提起」というかたちのもので常にありたいと思う。
多元化・個別化ということを考えるとき、必ず出てくるのは地域での運動の問題である。たとえば東葛ベ平連は次のようにいっている。「人数が少ないから地区においてあまり運動をやらず、いつも東京、あるいは三里塚に出かけていく。そうすると柏市民に対するアピールがおろそかになる。すると東葛べ平連の存在にも気づかず、東べとともに行動しようという人はでてこない……全くの悪循環である……以上のことを踏まえた上で、一つの大きな柱が出てくる。すなわち地区における運動の展開である。その具体的な計画としてのフォーク集会を通して市民の反戦感情を高めること、柏における集会・デモ、ステッカーはり、カンパ活動等があげられる」
京都北地区反戦市民の会の活動はもう一つ先をいっている。「ビラ撒きはしない。一軒一軒に必ず入れていく。それも誰にでもわかる言葉で。たとえば“佐藤をアメリカにやらしまへんで”というように」
福岡べ平連の報告では、咋年8月以降11月までの特徴を「この時期の重要な点に、地域ベ平連の結成かある。各大学をはじめ自衛隊のホークミサイルの設置が予定されている飯塚に、またCO患者問題をかかえた三池に、そして久留米にと新しいベ平連ができる。これは求心的(急進的ではない!!)ないし閉鎖的に陥りがちであったこれまでの運動に、遠心的な作用を与えるとともに行動と実践的な問題意識の多様化を与えるという意味で必要なことである」とまとめている。(ベ平連ニュース53号)
「地域」での活動の重要性はいまさらいうまでもない。ベ平連運動はいまみて来たようにこの方而でも着実な歩みをすすめている。しかし杉並革新連盟の人か懇談会の席で再三のペた「日常闘争」=「地域闘争」という考え方には無条件で賛成はできない。運動か日常的に追究されなければならないということには異論はないが、日常的につづけるということは必らずしも「地域」の問題とむすびつくということにはならないからである。私としては「地域化」の必要性を強調した上で、それをさしあたり、多多元化・個別化の方向としてとらえたいと考えている。
「地域」とならんで「職場」の問題があるのだが、この点では残念ながら私たちの経験はとぼしい。都職労べ平連から「組合にはあきたらないか反戰には加われない」という人たちで「組合の中にベ平連を作ってもおかしくない」とベ平連を結成した報告があり、佐籐訪米数日前に羽田空港の従業員の手でベ平連がつくられてもいる。自立した運動者がグループを作るとき、その単位は実生活上の便宜によって主として集まるのだし、たとえば「大泉市民の会」と名のっていてもそれが大泉の住民だけで作られねばならないという理由はなく、現に他の地域の人も加わっている。市民集会池袋西口などという集団は、駅を通過するすべての人にひらかれているわけだ。私たちは、こうした考え方の上に立って、とくに「職場べ平連」の問題について経験を重ねていく必要があると思う。それは単に集る便宜という以上に職場での課?を持つことになると思う。
ここでは十分にとりあげることはできないが、同時に出されている「反戦には加われない」という問題はきわめて重要であると思う。それは大学ベ平連にも共通していえることであり“セクトあるいはセクト化した全共闘”に反撥を感じ、あるいはついていけないと考えている学生のなかでベ平連運動に加わっている学生の数は非常に多いと思われる。(たとえは宇大ベ平連)「大学べ平連とは何か」という点について、懇談会でも十分な論議はなされなかったが、問題だけはハッキリと出されていた。「全共闘のかくれみのではないか」(神奈川大)「セクトからはみ出た学生のかくれみのではないか」(声なき声の会)「セクトの引きぬきがはげしい」(神戸行動委員会)などなど。反対に「ノンセクトというセクト」といった表現もきかれるのだが、私たちがセクトを責めてもはじまらないし、私自身、セクトに対し不愉快な思いをすることもないわけではないが、「やることをキチンとやっていけばいい」(荏原べ平連)ということでさしあたりは進んでいく以外にないだろう。ベ平連運動も含め、全世界的にみて「変革」を求める運動と理論は現在「過渡的」なものであり、そう簡単には解決しないと、私は考えている。不幸といえばこれほど不幸なことはないが、これが現在私たちのおかれている状況、大げさにいえば「世界史的不幸」なので、短期(短気?)に解決を目指せば、それだけ「労多くして功少ない」こととなる以外にない。ただ東京でも福岡でもそうなったが、超党派行動の「呼びかけ人」として「新左翼集団」のまとめ役をすることに今後はあまりエネルギーを使いたくないと思う。六月行動の原則“目的の一致と手段についての相互確認、相互の誹謗はしない”ということで、今後ともすすんでいきたいものだ。
しかし、「大学ベ平連」の場合は学園闘争との関連もあるし、「各大学べ平連の大勢が一人や二人の個性ある活動家のみによって待ちこたえていたり、何度も消滅したりまたでてきたりしている状態にある」(中大べ平連)という指摘もあるのだから、今までの学生運動になかった、かわった新しい運動を作り出すとともに、このへんでしっかりとした運動論をもつことが必要だと思うので、この点の努力を学生諸君に期持したいと思う。
最後に「運動」ということについて前田俊彦さんの発言を紹介して、ベ平連運動全体にわたる問題点については不十分ながら終りとしたい。
「闘争というのは勝つのが目的だが、人々の共鳴をもとめ、連帯の行動をもとめるのか運動だ。闘争は原理・イデオロギーが中心になるが、イデオロギーなしに運動はありうる。闘争は運動なしにはほろびる」前田さん自身、時間の制約もあって、「誤解をまねくかもしれない」という発言であったので、いずれこの点を詳しく「週刊アンポ」誌上で展聞してほしいと願っている。
さて具体的な行動の提案に入るのだが、もちろん単に項目を並べるというわけにはいかない。それぞれについて可能な範囲で意義づけをしていきたいと思う。
■非暴力直接行動について
「週刊アンポ」6号に、1・2非暴力直接行動の報告を寄せている吉崎秀一さん、ハノイ爆撃に抗議する米大使館前座り込み(66年6月)以来非暴力直接行動をつづけている金井佳子さんから、それぞれ10人委員会を作ろうというよびかけがあった。10人単位の小グループを無数に作り、このグループの連合によって4月~5月には千人規模、6月には数万の規模での「反安保」の座り込みを行なおうというのである。ベ平連運動が国家権力か恣意的に定めた「合法性」の枠のなかにとどまることのできないことは明らかだが、同時に「合法性」の枠を最大限に押しひろげる努力を怠り、権力の違法な行使を徹底的に迫及することなしに「実力闘争」にとびこむこともまちがいだろう。非暴力直接行動は原理的には「合法」対「非合法」、「非暴力」対「暴力」というむずかしい問題を含んでいるが、10・11月闘争か全体としてたしかに「ゲバ棒」「火炎ピン」による実力闘争では打ち破れない壁に突きあたったということを考えるとき、ベ平連運動の方向の一つとして重要な意味をもつであろう。
■自衛隊闘争について
米軍兵士の反戦行動を支待する運動とともにこの会議で多くの人によってとりあげられた。「日米帝国主義軍隊を解体に導き、安保条約の根元を堀りくずす」(イントレピッド四人の会)という点の強調もあったが、この運動をすすめていくには「自衛隊員も人間であるという視点をもち」「どこにでも居り、事務所はどこにでもある」(少なくとも各県には連絡事務所かある)したがって「どこでもでもある、誰でもできる運動だ」(小田実)ということが大切だ。小西三曹の問題を契機として「第二・第三の小西を行動委員会」が各地に生まれ、新潟ではとくに自衛隊員に対するビラ入れか活発におこなわれ、6人が道交法違反で逮捕されるという弾圧も起こっており、(その夜釈放された)「自衛隊員に対する働きかけは米軍兵士とはちがって“自衛隊法”にヒッかけられる危険もあるが、ある場合には逮捕をおそれず裁判で争うことも必要だろう」(吉川勇一)「2月中には自衛隊員の手によって作られる“新聞”か出る予定」「そのためにも自衛隊員と仲良くなって隊内の不満や不正腐敗などについてできるだけ評しく知りたい」「小西問題を中心にして映画を作る計画がすすんでいる」「小西氏の裁判闘争を支援する活動をすすめて欲しい」「2月11日に自衛隊基地に対する一斉行動を起そう」等数多くの具体的提案がなされた。70年代におけるベ平連運動の大きな柱としてこの運動にとりくみたい。
■米軍反戦兵士支援運動
“脱走兵通信”に毎号報道されているように“脱走”してJATECとともにたたかう米兵、JATECと連絡を保ちつつ反戦活動をつづける米軍兵士の数は増大する一方である。場所・人・資金あらゆる面でJATEC活動に援助してほしい。JATECの活動は“脱走兵”の援助を含めて、反戦米兵支援の方向に大きく活動目標をかえている」「"WE・GOT・THE・BRASS“”KILL・FOR・PEACE“をどんどん米兵にもちこんで欲しい」「大泉・岸根で行なわれている反戦放送を全国の米軍基地にひろげてほしい」大泉市民の会に連絡し「とくに関西以遠の米軍基地に対して行動をひろげてほしい」「3月21・22の両日、横須賀で米軍基地関係の全国連絡会議を開く」「4月に”米軍解体“といった題で三一新書から闘争を報告する本か出る予定」なと報告も提案も具体的に出されている。ベ平連か創立以来つづけて来た日米連帯の行動として、この運動は確実に米軍に打撃を与えつつあるといえる。
■ベトナム留学生の問題
4月には「強制退去」をせまられる3人の留学生を守る運動を全国におこそう。すでに北海道では留学生を招ねいて運動をひろげているが、あらゆる機会、あらゆるつながり(とくに三君はそれぞれ工学関係の專攻である)を考えて話し合う会を関こう。つぎにのべる入管闘争との関連で、政治亡命権を確立する運動をおこそう。この点で「破鎖を求める人々」(100円)を利用しよう。
■沖縄問題
この点では、全軍労支援の運動を進めることが強調された。
■入管闘争
昨年、廃案になった出入国管理法がふたたび国会に上程される見こみか大きい。入管体制打破のたたかいとあわせて法案の成立を阻止する運動をすすめなければならない。この点では「外国人の救援」について考える必要のあることが華僑青年闘争委員会からも強調された。
■三里塚空港建設反対闘争
「週刊アンポ」6号にも詳しくとりあげられているが、強制測量をひかえて、支援カンバ・救援物資とあわせて、もう一度、なぜ空港に反対するのかという点で真相をひろめてほしい。土地収用委員に対する抗議をしてほしい。
【虫、虫、虫われら虫は語る】
I月31日、2月1日新宿区体育館で行なわれたベ平連全国懇談会には、一年間の運動の経験と今後の展望について無數の声がきかれた。2日間の討論を三行でまとめると…。
☆北見ベ平連
人数が少ないにもかかわらず分裂の可能性がある。
☆旭川べ平連
高校生が秋期決戦より増え、自称アナーキストという人も、増えている。ベトナム人留学生どの懇談会を持つ予定。
☆札幌ベ平連
北海道は自衛隊が多いので、それに対する闘争を多くしたい。中学生、高校生、予備校生など学生が多くなっている。
☆十和田、青森ベ平連
10・26に三沢基地闘争があったが、無関心な市民が多くて思うままにゆかない。
☆盛岡ベ平連
どうやって市民の中から参加者を得てゆくかが、最大の課題である。
☆八戸ベ平連
70年1結成。
☆いわきベ平連
最近発足したばかりだが、2名のデモを毎回続けている。
☆群馬ベ平連
「橋の下大学」にならって「駅前大学」を組織中。半分ぐらいが会社員なのでなかなかデモができない。新聞にビラを入れようとしている。
☆千葉ベ平連
三里塚闘争の中で、意識の低い成田市民に対する訴えを強くしてゆきたい。全国ではじめて官庁に自警団が出来た。これを告発してゆきたい。
☆宇都宮大学ベ平連
栃木は反動的な地域である。船田中の選挙地盤なので、あいつは悪いヤツだというところを訴えてゆきたい。卒業してもやるんだという人を組織化してゆきたい。
☆東葛ベ平連
行動の主体的な位置づけをしたい。「東京から地方へ」ではなく地方から東京へ攻めのばろう。人数が少ないからといって、ためらわず、市民へ積極的にアピールしてゆきたい。
☆神奈川大学ベ平連
岸根米軍基地へ定例デモをかけたい。裁判所べ平連を3人で結成した。裁判官と話をして、“人民裁判所”を夢みている。
☆横須賀、逗子ベ平連
ヤンキー ・ゴー・ホームと叫んでいるような闘争は古いだろう。ネービー・ゴー・ホームと叫んでゆきたい。基地からの利益すら感じるような土地柄なのだから。横須賀基地の公開日を利用してゆきたい。自衛隊にも働きかけたい。
☆横浜商大ベ平連
900人在学中にたった4人の仲間で、かつ学内に反戦平和運動の雰囲気がない。
☆川埼ベ平連
米軍基地へ反戦放送を。高校内に部落問題研を組織。多元的方向性の中で行動の連帯を。
☆茅ヶ崎ベ平連
市民との断層がある。学生、教師が多い。公共施設を使わせてもらえない。
☆高崎経大ベ平連
ベ平連の名前をもう一度蘇らせる。
☆埼玉ベ平連
参加者圧倒的に多い。中学生も多い。9月にはブラックパンサーを招いて集会をした。若い人が多い。デモ中心。
☆全国闘う中学生連帯
東京と埼玉の定例デモに参加、ビラまき活動、全国の中学生との交流活動。「全中共闕=全国中学生共闘会議」と共闘しようとしている。
☆新潟ベ平連、新大ベ平連
大体は「第二・第三の小西を!」新潟行動委と共に活動している。
☆「第二、第三の小西を!」新潟行動委員会
機動隊に慣れ切ってはならない。基本的権利が抑圧されている時には、ひとつひとつ抗議をしてゆかねばならない。われわれの闘争は、自衛隊を解体させることが目的であり、裁判闘争で違憲判決をかちとることだけが目的ではない。全国どこでもが現地だ。だれでもがオルグになれる。直接行動とともに、間接行動も必要である。
☆金沢べ平連
10月には高校生だけのデモが行なわれた。沖縄全軍労ストの支援活動をする。学生よりも市民の方が多い。11月決戦には、ベ平連が最前線に出ざるをえなくなった。
☆中野ベ平連
平均年齡が若い。もっといろいろな活動の型で枠を破りたい。「中野反戦行動」と改名するかもしれない。
☆新宿ベ平連
フォーク集会、出入国管理令反対ハンスト闘争、佐藤訪米についてのアピールに重点。沖縄全軍労スト支援活動。毎週土曜に学習会。デモ前日徹底的なビラまき、アピール。
☆フォーク・ゲリラ
フォークを歌って捕まった人、広場で捕まった人の裁判をどう関わってゆくか。広場の人々の声が聞こえなくなったいま、日本には新しいファシズムが成り立っている。オレが生きている以上、ああいう形で声をあげざるを得ないという確信が裁判闘争の基底に流れている。
☆声なき声
駅頭、各戸にビラまき。徹夜討論会。全体的な座り込みの運動を組織したい。「千人集会」の提案。
☆非暴力反戦行動
日常の生活の中で、体制・権力に迎合しない生活のクセを作ってゆきたい。
☆大田べ平連
「自分たちは当面何を求めているのか」が十分にとらえられていない。荏原地区ベ平連、蒲田ペ平連との共同行動。地域の問題については混迷の中。
☆市民集会「池袋西口」
68年1月エンプラ入港の時、市民討論集会。
☆大泉市民の会
朝霞基地撤去闘争。はじめは中年の人が多かったが、最近は若い人が多い。朝8反戦放送局は最近反応が強い。アメリカ帝国主義軍隊は解体しつつある。「小西三曹につづけ」「自衛隊員はアメリカの反戦兵士に恊力せよ」。ベトナム人留学生問題をとりあげている。
☆三鷹ちょうちんデモの会
デモ。そしてベトナム人留学生問題をとりあげている。
☆荏原地区ベ平連
7月結成。思想的なものより地域的なのか特色、町内会について徹底的に関ぺる。
☆「第二、第三の小西を!」東京行動委
「自衛隊通信号外」を作り、全国に配布したい。アンチ安保が載っている。
☆清水ベ平連
外部に向かって呼びかけるとき、自分自身に強烈なものがないといけない。
☆静岡ベ平連
ヂモは唯一の示威方法であろうか。デモはかえって歩行者との断絶が確立されてしまう。高校生覆面デモで「灰スクール」の象徴をしたい。
☆静岡県の高校生問題
大部分の学校は政治行動に参加した学生の別件処分をする。
☆沼津ベ平連
三島の日大生・高校生・教師などが中心。国労の処分反対運動。人数は固定化。
☆名古屋ベ平連
妊娠二か月の女性が機動隊の暴行により流産。泣き寝入りせず、持続して闘ってゆく。反弾圧市民の意識を絶対に持ち続けてゆきたい。
☆岐阜ベ平連(再建)
各務ヶ原ナイキ基地闘争。川崎重工で奇怪な事件、従業員へ正体不明の予防注射の内実をバクロしてゆく。
☆京都ベ平連
今月で39回目の定例デモを迎える。ベトナム通信をずっと発行している。4 日に「反戦・反安保市氏の会」を結成。これが69年中の活動の母体となる。任?金を支持する会が発展して、朝鮮人問題行動委員会に。「橋の下大学」。「ベトナムについて知る会」「おなら」の発刊。その他京都には多くのベ平連がある。
☆吹田ベ平連
69年11月結成。
☆関西ベ平連
梅田地下街闘争。機動隊が来ても(1)決して逃げない。(2)商店に入らない。(3)座り込む、を徹底する。梅田大学(千人規模)そしてアンポセミナー(50人規模)のものを計画。「参加者から組織者へ」をモットー。
☆北摂ベ平連
新明和工業への抗議デモ。平均130名。豊中市のうち三千軒くらいの家に個別に日刊のビラを配る。
☆北大阪ベ平連
関西ベ平連の活動とかなりダプる。
☆エスペラント平和連合
3月か4月にエスペラントアンポの発刊を準備。
☆広島ベ平連
6日に「反核」がスローガンとなった。広島におけるマンネリ化した広島平和運動のパターンを打破するのは困難。
☆神戸行動委員会
ベ平連と権力からも呼ばれている。「週刊アンポ神戸」の発行現在14号。反戰初詣をした。自虐的との内部批判もある。
☆山口ベ平連
昨年6月結成。市民は無関心であり、商店街は自衛隊に好意的。市民の中に、マスコミによって作られたベ平連アレルギー症状がある。岩国ベ平連とも共闘。海兵隊へ呼びかけている。
☆北九州ベ平連
米軍弾薬輸送反対闘争。自衛隊も参加した夜間デモ。-
☆福岡べ平連
12月に沈滞。1月に合宿。「手さぐりの論理」を。働く人ベ平連=納税者ベ平連結成。公安調査庁スパイ事件アリ。
☆鹿児島ベ平連
中央闘争へ走る人が多かった。毎月7日の定例デモは毎月ーケク。高校生への筆跡鑑定まで行なう弾圧をする。
☆長崎ベ平連
運動は活発だが、財政的には困難。タイミング良く問題点を指摘して訴えてゆけばカンパも集まると思う。.
(終)
【お知らせ その1】
『獄に暮らせば』「21年7ケ月の獄中日記から}(作品社)3,520円(税込み)
2026年5月29日刊行
日本も世界も、もっとより良いものに変えたい!
そんな思いで学生運動に身を投じた日から、思い出さずにいられない革命と解放闘争の日常。
連合赤軍事件、レバノン、パレスチナ・ガザ、そして新たに出会った獄中の人々、さらに次々襲い掛かる大腸癌、小腸癌、子宮癌など病魔との闘い。
本書は、著者による2022年5月28日朝、満期出所時までの獄中ドキュメントであり、かつ元日本赤軍リーダーが、一人の人間として、戦争と平和に向き合い、人々の命を思いやった、その心情と葛藤を綴った2000年11月8日から2022年5月28日までの闘いの記録である。
【お知らせ その2】
●1968-70全国学園闘争「図書館」
1968年から1970年を中心とした全国学園闘争の資料を掲載したサイトです。
全共闘機関紙や全国26大学の大学新聞などを掲載しています。
http://meidai1970.sakura.ne.jp/gakuentousou.html
●新左翼党派機関紙・冊子
1968年から1970年を中心とした新左翼党派の機関紙と冊子を掲載したサイトです。
【お知らせ その3】
ブログは概ね2~3週間で更新しています。
次回は2026年10月30日(金)に更新予定です。


