昨年11月、1通のメールが届いた。
『明大土曜会のみなさま
今回、明治大学で学生が立て看板を持ち込んだところ、当局が警察を呼んで弾圧するという事件が発生しました。(中略)
11月4日、明大祭期間に「明治大学立て看同好会」の学生5名が「明治大学20年ぶりの立て看おめでとう」と書かれた立て看板を学内に掲示しようとしました。
すると当局が学生5名を拘束し、警察に通報するというあり得ない行動を起こしました。
その前の10月末に「明治大学貼り紙同好会」という団体が事務室に「貼り紙はどこに貼れば良いか」と訊いたところ事務室から場所を指示され、そこに貼り紙同好会が「明治大学自由貼り紙スペース」を設置したところ1日で大量の貼り紙が貼られ、翌日に当局がそれを全て撤去するという事件も発生しています。
当局に通報された学生5名は大学当局に「セクトの手先」でないことを宣誓させられ、11月10日現在授業の出席を禁止され学内の密室で警察による取り調べを受けています。学生曰く当局はいまだにセクトの陰に非常に怯えているそうです。
「検閲」を受けていない貼り紙と立て看板を持ち込んだだけで警察を学内に導入する当局の姿勢は、言論の自由を徹底的に弾圧するもので、断固として容認できません。』
という内容だった。
その後続報のメールがあり、『実行者の「明治大学立て看同好会」に対し文学部教授会から「厳重注意」と反省文の提出という処分が下されたそうです。処分結果【厳重注意】 ・口頭による学部長からの注意喚起 ・A4反省文1枚 罪名:ビラ張り罪、タテカン罪 条件:反省していること。二度としないと誓うこと。』
という処分が下されたとのこと。
明治大学では、学生の自由な表現や活動が厳しく制限されているという話は以前から聞いていたが、これほどひどいとは思わなかった。明大土曜会として、また、1970年前後の時代に「立て看」を書いていた者として、何か支援することが出来ないかと考えていたところ、関係者から「明治大学立て看同好会」の資料を入手することができた。
この問題を広く知らせるとともに、声を上げている学生を応援できればということで、今回のブログでは、この資料を掲載することとした。
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●「明治大学立て看同好会」の資料
【学内規制問題の現状】
①ビラ張りは個人でも許可申請さえすれば良いという規則になっているが、実際は公認団体に限られ、許可制が内容の検閲性として恣意的に運用されている。
→大学は学生のためのものであり、学内での表現の自由を認めない大学に存在意義はない。ただし、学外のセクトのビラや、差別的な表現やヘイトスピーチの自由までもが保障されるキャンパスには断固反対である。学生による掲示板の白治が行われることが理想であるとする。
②大学当局は学生の声に耳を傾けることなく、向き合おうとしない。学生からの要望に応えることはなく、単なる“問題”として処理する。学生が当局とルール改善にむけた対話をすることは不可能である。
→立て看や張り紙などの目立つ活動によって教授・学生の学内世論の活性化を促すことが有効と考える。また、OBによる公開質問状や学生による要望書が有効と考える。
③事務室の職員の大学の自治に関する視点の欠如。慎重に検討することもなく、口先だけで「戦争反対は政治的」や「大学は学生のものではない」という判断を下す組織。
→事務方との弾圧・対話を繰り返し、問題のある発言を引き出し、SNS上で周知させることで、自己反省を促す。
④学祭とはいえ、警察を常駐させているということ。
→学生は国家権力たる警察と対峙することで委縮する。事情がどうであれ、警察の介入は言論弾圧として機能した。
(学内規制の内容)
本学教職員・学生及び許可された者以外の立入りを禁止します。
なお、上記に反し許可なく立入りをした場合は、法律に基づき処罰されることがあります。
また、本学の敷地内では、本学の許可なく以下の行為をすることを禁止します。
1.集団示威行動、集会及び行事の開催、座込み等による敷地の占領、宿泊、演説、営業、取材、署名集め、アンケート、勧誘、撮影、募金活動、物品販売、宗教活動、政治活動、ビラ・チラシ配布
2.車両の乗り入れ、駐車、駐輪
3.看板、ポスター、ビラ、物品等の提出・配布
4.危険物・火器の持込み及び使用並びに危険・暴力行為
5.はちまき、ゼッケン、腕章、ヘルメット、旗、のぼり、拡声器、ブラカード、マイク及びこれらに類するものの持込み
6.スケートボード、球技、フリスビー、パフォーマンス、演奏、大きな声を発する等の騒がしい行為、他人に迷惑のかかる可能性のある行為
7.所定の場所以外でのゴミ・廃棄物の廃棄、家庭ゴミの持込み、私物の放置
8.飲酒及び所定の場所以外での喫煙
9.所定の時間外での施設使用及び立入り
10.その他本学の風紀を乱す行為及び公序良俗に反する行為並びに本学の業務・授業等の正常な運営・遂行に支障をきたす行為

【活動目的】
明治大学立て看同好会は、学生一人ひとりの手に学内での表現の自由が戻ること、「自由な大学・たのしいキャンパス」を目標に活動している。明治大学は、「権利自由 独立自治」を建学の精神とし、一般にリベラルな大学として知られている。私大とはいえ、建学の精神に賛同して入学した者が、学内での学生の権利・自由・独立・自治を一切認められないのは、不健全な状態である。これが名実一体となることを願い、立て看禁止の撤回と、張り紙の許可制の廃止をはじめとした学内ルールの改正を目的とする。
実現後は、字義通りの「明治大学立て看同好会」として、学内に設置された立て看の紹介や立て看資材の共有、立て看同好会名義での立て看設置などを行う。

【今後の動き】
立て看はインパクトがあるが、多くの方のご支援・ご協力がないと金銭・体力・時間ともに難しい表現手段である。そのため、明治大学立て看同好会は新規会員を募集し、組織の規模の拡大を目指している。しかし、セクト主義に陥らないよう、学生一人一人の学内でのあらゆる表現活動を応援・協力する体制を整えていくことを目標とする。
現在、明治大学立て看同好会は「すべての大学に立て看板を」をスローガンに、東大・早稲田・慶應の立て看同好会と連携して、情報共有や連名での立て看設置を行っている。立て看をはじめ、学内規制問題に関しては各大学間での連帯が有効な手段である。首都圏のみならず、全国規模での立て看ネットワークをゆるやかに形成したい。
また、主宰の一人は明治大学だめライフ愛好会の会員でもあるため、鍋闘争など各種学内イベントを行うことによって、キャンパス内での学生の自由の拡張にむけて、広く明大生の賛同を得られるような活動を行っていきたい。
2023.12.2明治大学立て看同好会

【明治大学立て看同好会の経緯】 同会X (ツイッター @tatekan_MU)から。
「革労協が追放された2001年以来、学生の自治や自由な言論を完全に封じ、治安を維持してきた明治大学。この状況に異議を唱え自由な大学を求めた学生によって、二十数年ぶりに立て看らしい立て看が立ったことへの記念碑的な意味を込めた「おめでとう」立て看を作りました」(11月7日)
「二十数年ぶりに立て看文化を学内に持ち込んだら、大学当局に即時撤去され、警察が介入する事態となりました。明治大学では、学生一人ひとりが声をあげる手段がなく、キャンパス内での表現の自由は存在しません!明大生諸君!学生の学生による学生のための自由なキャンパスを取り戻そう!」 (11月10日)
「当局の対応はおかしいと思いますが、一貫して「やっぱり明治がNo.1!」という愛校心からこの活動をしています。多くの学生が涙をのんで入ったような、ちょっぴりコンプレックスの入り混じる大学だからこそ、胸を張って卒業できる母校になってほしいですね。
がんばろう明大生!(11月12 0)
「学内では署名活動が禁止されています。そして当局は全関係者を監視・把握しようとしているので、署名名簿を渡すのは学生にとって不利益になります。本会と当局との話し合いで規則が変わる可能性もなく、多数決の原理に持ち込むことすら困難な状況です。お知恵を拝借いただけないでしょうか。明治大学には自治会がないので、学生が当局と交渉する手段が何一つありません。表現の自由を求めるための自由がありません。どうかお力をお貸しください」(11月17 0)
「例の張り紙コーナーのなかで明治大学が最も「好ましくない」と判断したものは、パレスチナ連帯と反戦のビラでした。理由は「極左暴力集団と同じ主張だから」。「戦争反対」のビラすら許可がでないのか?と問うと、そんな政治的なものは無理に決まっているだろう、と答えましたJ (11月12日)
「【課外活動における成績・成果の募集について(学生部長賞)】
公認サークル・個人 明治大学立て看同好会
成績・成果
・20数年ぶりに立て看を設置し、立て看文化を復興させた。
・学内の規制や学生課の問題点を表面化させた。
・SNSで拡散され、不本意ながら明治大学のネガキャンに貢献した」(11月28 0)
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【ビラの配布】
共通テストの受験生に、テストが終わった後、立看同好会の活動をアピールするビラを配る活動を行いました。
(内容)
すべての受験生/新入生のみなさんに訴えます!
昨年11月、慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(5FC)にイスラエル政府によるパレスチナ・ガザ地区への侵攻を非難し停戦を求める立て看板が設置された。また時を同じくして明治大学和泉キャンパスにも立て看板が登場したが、いずれも大学当局によって即日撤去される事態となった。立て看板やビラに決起した学生に対する、当局の処分策動を絶対に許さず、自由なキャンパスを学生の手へと奪還しよう。
すべての大学で立て看板が復活する日まで我々は闘い続ける。(文:大辻はじめ)
学生の自由を奪い続ける大学当局
大学のキャンパスは本来、学生のあらゆる活動を許容し包摂する空間であった。コンパ、焚き火、スクウオット、釣り、自治寮。
こうしたものは仝国ありとあらゆる大学に存在していた文化であるが、今では京都大学などごく一部の「名物」となりつつある。
その中で、最後に学生の手に残っているのが「立て看板」「ビラ」「ポスター」などのメディアである。これらは大学当局に異議申し立てをするために必要な言論の手段であり、絶対に手放してはいけない学生の基本権ともいえるものだ。しかし、今ではその立て看板でさえ「禁止」されている大学がほとんどである。
首都圏各校で爆発する立て看闘争
こうした中で我々は、昨年は新たな立て看同好会と合流を果たし、柬大(@tatekan_UT)、明治(@tatekau_MU)、早稲田(@waseda_tatekan)、慶應(@tatekanSFC)、法政、ICU (@ICUtatekan)、日大などの名だたる大学に、国公立―私立大学の垣根を超えたネットワークとして登場を果たした。
慶應や明治の当局による強権的な対応を見れば明らかなように、大学は究極的に不自由な空間になりつつある。「もう我慢の限界だ」という学生の切実な叫びすらをも圧殺せんとする大学当局―文科省の教育政策の改悪とに断固として反?しよう。
立て看同好会に結集し自由を勝ち取ろう
受験生諸君の志望校はどうだろうか。もし大学の「格付け」が存在するとすれば、それは偏差値によるものではない。難関校と呼ばれる大学であっても、そこに自由がなければ素晴らしい発見は生まれず、待つのは暗黒の隸属したキャンパスライフだけである。
案ずるなかれ、諸君には最短でも4年の歳月が与えられている。まったくの無から立て看同好会を組織する十分な時間もある。あるいは最寄りの立て看サークルに連絡し、連帯してともに新時代の歴史と学生文化とを創り出そう。
自由とは所与のものではなく、自らの手で勝ち取るものである。卒業するときに悔いのないキャンパスライフを。
2024 年冬号  2024/1/13
タテカンネット(首都圏立看同好会ネットワーク)
明治 早稲田 慶應 法政 1CU 日大 学生有志
立て看規制・撤去弾劾!大学当局の規制管理強化を粉砕し2024決戦に勝利しよぅ!
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以上、「明治大学立て看同好会」の資料である。
なお、この「タテカンネット」の学生たちによる座談会が『情況』2024年冬号(2024年2月発行)に掲載されているので、そちらも読んでいただきたい。

なお、この問題への対応について、昨年12月の明大土曜会で議論したが、その中で、明治大学における「立て看」の歴史についての発言があった。

土屋源太郎さん(1953年明治大学法学部入学、1955年学生会中央執行委員長、都学連委員長、砂川事件被告)
明治は立て看ビラ貼りの歴史もあるんだよ。1951年に明大の7・1ストで全学ストをやって、それまでは立て看ビラ貼りも許可制だったんだよ。当時は俺は共産党員だったから、共産党のビラを撒くのは大変だった。ところが全学ストを契機に団体交渉をやって、届出制になって、一切学校側は立て看ビラに干渉しないという約束になった。そこで明大の立て看とかビラが自由になった。
Yさん(1966年明治大学政経学部入学、1968年学生会中央執行委員長)
我々の時代は学校の許可もへったくれもなく、全く自由でした。ずいぶん恩恵を被りました。
Sさん(1965年明治大学Ⅱ部文学部入学)
逆に言えば、私たちの時代のやりすぎが、皆に迷惑をかけている。
Yさん
土屋さんがようやく大学当局から許可を得なくても勝手に出来る仕組みを作り、我々の世代がいろいろやってダメにして、30年近く経って現在の明大生がまた苦労しているという流れですね。」

Yさんが言うように、明治大学では「立て看」「ビラ貼り」の権利を1951年の全学ストで勝ち取ったが、1970年前後の学生運動の時代、特に70年以降の内ゲバと党派の大学支配という状況がその権利を失わせてしまい、現在の明治大学の状況を創り出してしまったということは概ね間違いないだろう。
明大土曜会として、「おかしい」ものに「おかしい」と声を上げる学生たちを、今後も可能な範囲で応援していきたいと思う。

<参考までに 「立て看」に関するエピソード>
私が明治大学に入学したのは1969年。SNSなどがなかった時代である。ビラや「立て看」は情報発信と情報収集の重要な手段だったと言っても過言ではなかった。
4月に学生会館運営委員会に入って、すぐにやらされたのが「立て看」作りであった。
 確か、「立て看」を組み立てるところから教わったような気がするが、作成手順はこうである。
1 ベニヤ板と角材を材木店で買ってくる。
2 ベニヤの周りを角材で囲って釘を打ち、四隅に鎹(かすがい)を付けてベニヤ4枚張りの立て看を作る。(4枚張りが基本形)
3 洗濯糊をバケツに入れて水で薄めてベニヤ板にハケで塗り、模造紙を障子張りの要領で中心から外側に広げるように張っていく。
4 糊が乾くのを待つ間に文字の配列や色、構成を考える。
5 墨汁、ポスターカラー(赤、青、緑)で文字を書く。一発勝負なの慎重かつ大胆に。
6 長い間使うものには、「立て看」の上から透明のビニールシートをかぶせる。
「立て看」の文字は独特の「立て看文字」(今は「ゲバ文字」とも言うらしい)とでもいうような書体で書かれることが多く、私も「立て看」を書くのがうまい学生が書くところを見て、書体や構成を勉強した。
その後、多くの「立て看板」を書いてきたが集大成は1972年の駿台祭の時の「立て看板」である。
1972.11駿台祭立看板

(朝日新聞に掲載された写真)
 政治的な内容ではなく、大学祭での企画を宣伝する看板で、深夜映画の日活ロマンポルノなどの宣伝ではあったが、駿河台の記念館前の明大通りに面してベニヤ48枚張りの看板を徹夜で書き上げた。失敗が許されないことと、記念館前に掲示するので大学祭の顔のような看板なので、ある程度見栄えのするものでないといけない。慎重に文字のバランスや大きさなどを考えて何とか書き上げた。
「立て看」の効果は絶大で、深夜映画の日活ロマンポルノ上映では、会場に入りきらないほどの学生たちが集まった。
(終)
※3月12日のYahooニュースに明大「立て看板」問題の記事が掲載されたので、そちらもご覧ください。
yahooニュース
「明治大学では戦争反対の表明もできないのか」警察沙汰にもなった明大「立て看板」問題の実相

【『パレスチナ解放闘争史』の紹介】
重信房子さんの新刊本です!
『パレスチナ解放闘争史』(作品社)2024年3月25日出版予定!
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【『はたちの時代』の紹介】
重信房子さんの新刊本です。絶賛発売中!
『はたちの時代』(太田出版) 2023年6月16日刊行
はたちの時代

前半は66年から68年までの明大学費闘争を中心とした時期のこと(この部分は私のブログに「1960年代と私」というタイトルで掲載したものです)。
後半は69年から72年までの赤軍派の時期のことが書かれています。
定価 2,860円(税込

本のアマゾンリンクはこちらになります。

「模索舎」のリンクはこちらです。

江刺昭子さんによる本の書評(紹介)です。(47ニュースより)
https://nordot.app/1051909235439075336?c=39546741839462401

「あとはき」より
『ここに書かれた記録は、ごく日常的な私自身の身の回りで起こったことを率直に書き記したものです。その分、他の人が書けば全く違った関心角度から違った物語がこの時代のエピソードとして描かれることでしょう。私は獄に在って、何度か癌の手術を繰り返していました。生きて出られないことがあっても、支えてくれる旧友や、見ず知らずの方々にお礼を込めて、私の生き方、どんなふうに生きてきたのかを記録しておきたいと思ったのが、この記録の始まりです。私がどのように育ち、学生運動に関わり、パレスチナ解放闘争に参加しどう生きて来たのか、マスメデイアでステレオタイプに作り上げられた私ではなく、生身の私の思いや実情を説明しておきたくて当時を振り返りつつ記して来ました。獄中と言うのは、集中して文章を書くのに良いところで、ペンをとって自分と向き合うと過去を素直に見つめることが出来ます。楽しかった活動や誇りたいと思う良かった事も、間違いや恥かしい事や苦しかったことも、等しく価値ある人生であり私の財産だと教えられた気がします。(中略)どんなふうに戦い、どんな思いをもって力を尽くし、そして破れたのか、当時の何万という「世の中を良くしたい」と願った変革者の一人として、当時の何万と居た友人たちへの報告として読んでもらえたら嬉しいです。また当時を若い人にも知ってほしいし、この書がきっかけになって身近に実は居る祖父や祖母たちから「石のひとつやふたつ投げたんだよ」と語ってもらい、当時を聴きながら社会を知り変えるきっかけになれば、そんな嬉しいことはありません。
いまの日本は明らかに新しい戦争の道を進んでいます。いつの間にか日本は、核と戦争の最前線を担わされています。そんな日本を変えていきたいと思っています。決して戦争をしない、させない日本の未来をなお訴え続けねばと思っています。なぜなら日本政府が不戦と非戦の国是を貫くならば日本の憲法には戦争を押しとどめる力があるからです。はたちの時代の初心を忘れず日本を良い国にしたい。老若男女がこぞって反戦を訴え支える日本政府を実現したいと思います。』

目次
第一部 はたちの時代 
第一章 はたちの時代の前史
1 私のうまれてきた時代/2 就職するということ 1964年―18歳/3 新入社員、大学をめざす
第二章 1965年 大学に入学した
1 1965年という時代の熱気/2 他人のための正義に共感/3 マロニエ通り
第三章 大学生活をたのしむ
1 創作活動の夢/2 弁論をやってみる/3 婚約/4 デモに行く/5 初めての学生大会/6 研連執行部として

第二部 明治大学学費値上げ反対闘争
第四章 学費値上げと学生たち
1 当時の牧歌的な学生運動/2 戦後民主主義を体現していた自治会運動/3 話し合いの「七・二協定」/4 田口富久治教授の嘲笑   
第五章 自治会をめぐる攻防
1 スト権確立とバリケード――昼間部の闘い/2 Ⅱ部(夜間部)秋の闘いへ/3多数派工作に奔走する/4 議事を進行する/5 日共執行部案否決 対案採択
第六章 大学当局との対決へ 
1 バリケードの中の自治/2 大学当局との激論/3 学費値上げ正式決定/4 収拾のための裏面工作/5 対立から妥結への模索/6 最後の交渉と機動隊導入  
第七章 不本意な幕切れを乗り越えて
1 覚書―二・二協定の真相/2 覚え書き(二・二協定)をめぐる学生たちの動き

第三部 実力闘争の時代
第八章 社学同参加と現代思想研究会
1―1967年 一 私が触れた学生運動の時代/2 全学連再建と明大「二・二協定」/3 明大学費闘争から再生へ 
第九章 社学同への加盟
1 社学同加盟と現代思想研究会/2 現思研としての活動を始める/3 67年春、福島県議選の応援/4 今も憲法を問う砂川闘争/5 あれこれの学内党派対立/6 駿河台の文化活動
第十章 激動の戦線
1 角材を先頭に突撃/2 10・8闘争の衝撃/3 三里塚闘争への参加/4 68年 5月革命にふるえる/5 初めての神田カルチェラタン闘争―1968年6月/6 68年国際反戦集会の感動 

第四部 赤軍派の時代 
第十一章 赤軍派への参加と「七・六事件」
1 激しかったあの時代/2 1969九年の政治状況/3 4・28縄闘争/4 赤軍フラクション参加への道/5 藤本さんが拉致された、不思議な事件/6 7月5日までのこと/7 69年7月6日の事件/8 乱闘―7月6日の逆襲/9 過ちからの出発
第十二章 共産主義者同盟赤軍派結成 
1 女で上等!/2 関西への退却/3 塩見さんらの拉致からの脱走/4 共産同赤軍派結成へ
第十三章 赤軍派の登場と戦い
1 葛飾公会堂を訪れた女/2 「大阪戦争」/3 「東京戦争」/4 弾圧の強化の中で/5 支えてくれた人々/6 前段階蜂起と組織再編/7 大敗北―大菩薩峠事件/8 初めての逮捕――党派をこえた女たちの連帯
第十四章 国際根拠地建設へ
1 前段階蜂起失敗のあと/2 よど号ハイジャック作戦/3 ハイジャック闘争と日本委員会/4 深まる弾圧――再逮捕/5 思索の中で

第五部 パレスチナ連帯と赤軍派との乖離(かいり)の中で
第十五章 パレスチナ連帯の夢
1 国際根拠地パレスチナへ/2 赤軍派指導部の崩壊/3 森恒夫さん指導下の赤軍派/4 パレスチナへの道
第十六章 パレスチナから見つめる
1 ベイルートについた私たち/2 統一赤軍結成/3 アラブの私たちー―赤軍派との決別/4 新党結成の破産/5 アラブから連合赤軍事件を見つめて/6 連合赤軍の最後とアラブの私たち/7 新たな変革の道を求めて

【お知らせ その1】
「続・全共闘白書」サイトで読む「知られざる学園闘争」
●1968-69全国学園闘争アーカイブス
このページでは、当時の全国学園闘争に関するブログ記事を掲載しています。
大学だけでなく高校闘争の記事もありますのでご覧ください。
現在17大学9高校の記事を掲載しています。


●学園闘争 記録されるべき記憶/知られざる記録
このペ-ジでは、「続・全共闘白書」のアンケートに協力いただいた方などから寄せられた投稿や資料を掲載しています。
「知られざる闘争」の記録です。
現在16校の投稿と資料を掲載しています。

http://zenkyoutou.com/gakuen.html

【お知らせ その2】
ブログは概ね2~3週間で更新しています。
次回は4月5日(金)に更新予定です。